ブレスヴォイストレーニング研究所

ヴォイストレーナーの選び方要項

 

 

現在、私は専門学校やスクールのヴォイストレーナーのアドバイザーをやっています。ヴォイストレーナー志願者の人やヴォイストレーナー選定に関する質問も多くなりました。そこで、この件について以前に述べたものを再掲載しておきます。(会報2001/3)

最新は、「夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング」ブログを、ご覧ください。

 

 

<CONTEXT>

○ヴォイストレーナーの難しさ
○声と耳での判断を
○声だけの問題ではない
○誰に教わるかより、何のために誰をどう使うか
○精神論、知識、権威偏重に陥らないこと
○目的による選び方
○よくある方向違い
○プロ対象の条件
○トレーナーもセカンドオピニオン制に

 

 

 

 

○ヴォイストレーナーの難しさ

 

 最近、多い質問は、どこで誰に指導を受けたらよいかということです。これは、とても難しい問題です。目的や方法、相性などによっても一概にはいえません。
 結論からいうと、誰にでも全ての人に適任なヴォイストレーナーは、厳しくいうと、どこにもいないのです。
 しかも、ヴォイストレーナーほど、一人ひとり、考え方、やり方、声への目的や優先順位、価値観が違う分野はないほど、個人差があります。

 私の講演会に来た方には、その人の目的に対して、できるだけ公平中立な立場からアドバイスしています。
 私の研究所についても、できることとできないことを示し、どんな人も、引き受けるわけにはいかない旨を伝えています。医師や他の専門分野の方や教室を勧めることもあります。

 私の研究所は、私の考えでずっと複数のヴォイストレーナーや声楽家など、他の先生を交えた総合指導を行なってきました。(今は、私がゼネラルマネージャーとなっています。)
 声楽は二期会(および、その研修所)正会員のヴォイストレーナーほか、東京芸大声楽科卒、劇団四季出身など、日本ではトップレベルのヴォイストレーナーをお願いしています。また、これまで演出家やプロデューサー、外国人講師、専門家なども、必要に応じて招いてきました。

 

 

○声と耳での判断を

 

 ヴォイストレーナーによっては、誰もをすごくよくできると豪語する人もいます。確かに、家庭教師や塾と同じで、誰が教えても、やったくらいには上達するでしょう。しかし、どのレベルまでかということが、問うべきことでしょう。
 なかには、本人の方向や目標そのものと、そのヴォイストレーナーの資質とが、全くずれていることも少なくありません。

 たとえば、声楽では、日本で権威ある先生についてやったことを、本場では、すべて否定されたり、逆に日本で全く認められなかった人が、すぐに認められたということも、珍しくありません。コンクールなどがあり、基準が比較的、明らかな声楽でさえそうなのですから、ポピュラーのヴォーカルや役者、声優などにおいては、歌やせりふの表現力に基準をとりにくいので、尚さら言うまでもありません。何をもって、評価なのかがわからないから、否定さえされないのが現状ではないでしょうか。

 たとえば、トレーナーが高い声や声量を出すだけでも初心者はびっくりするのですが、冷静になって考えてみれば、それは目的ではありません。トレーナーの歌や声に感動するわけではないのです。うまいというのなら、実績や知名度のあるヴォーカリストや役者の方が上でしょう。また、現実に声の使い方や生かし方については、プロデューサーや

 

演出家の方がすぐれているように思います。それゆえ、そういうことの判断経験のあるヴォイストレーナーがあまりにも少ないのが問題です。

 

 

○声だけの問題ではない

 

 

 多くのスクールの卒業生やプロの人さえ、何ら声自体は身についていないのです。私からみると、多くの日本のヴォイストレーナーは、その最低ラインの基準を満たしていません。そのため、いくつかのスクールに依頼され、ヴォイストレーナー研修をやっています。

 研究所の採用面談でも、私の求める基準を満たすヴォイストレーナーは1パーセントもいません。
 ヴォイストレーナーといっても、少々歌をかじってきた経験をもとに、全くの初心者に対することは短期的にできる先輩ヴォーカルアドバイザーに過ぎないのです。
 そういう人は、自らの活動のあいまに指導しています。生計のためにやむをえないとしても、まずは自らの活動の充実、それを通じての貢献に専念すべきだと思うのですが・・・。なぜなら、ヴォイストレーナー業とアーティスト活動の両立は、思ったより難しいものだからです。
 自分の活動のためには、自分ののどのケアは、最大に優先すべきことにならざるをえないからです。それでもやっているのは、結果的に生徒を自分のライブのお客として取り組むメリットの方が大きいからのようにも思えます。

 その中には、一声で悪声、のど声という人も少なくありません。発声を教えている当人がのど声でも、初心者はわからないものかもしれません。しかし、本人は、それで教えるのですから、百害あって一利なしです。
 声を壊したというヴォイストレーナーの相談も最近は多く受けています。

 もちろん、どんなヴォイストレーナーも実力、つまり声がないなら、ないなりに、いろんな工夫をしたり、熱意をもって指導にあたっていると思いたいものです。
 でも大半は、他のことでも食べられないための小遣い稼ぎやアルバイト感覚でやっているのが現状です。自らの声を磨き高めていない上に、そのことをわからない。とはいえ、そのような声は、誰にでもすぐに見分けがつくはずです。

 声の判断そのものは、それほど難しいものではありません。むしろ、これほど明瞭なものはありません。一声で鍛えられた声と、誰でもわかるほど、ストレートなものです。
 だからこそ、私もやってこれたし、基本が身につくとはどういうことかがわかるともいえましょう。(みえない知識でなく、声という現実で判断できるのはありがたいことです。)もちろん、それをどう応用するかは、本人の自由です。

 一例として、私のレクチャーの感想録も(一文一句変えず)、そのまま載せました(レクチャー&カウンセリング感想文参照)。プロでも初心者でも、迷いもなく、声については、すぐに判断のつくことがわかります。実物をみればよいのです。その声を聞けばよいのです。
 それが生来の声でなく、磨き鍛えられた声であるかどうかも、すぐにわかるものです。

 とはいえ、トレーナーは、本人の声そのものよりも、耳での判断力やアドバイスする力の方が大切だというのが私の考えです。さらに、その人(の声)をどう現実の場で通用させられるかという力です。
 ステレオタイプの発声を押しつけて、一つの見本に声をそろえるのでなく、その人の個性を生かしていくことです。一人よがりに陥らせないように基本を取り入れていくのです。
 発声そのものよりは、声の判断の基準や作品づくりにおいて、声のトレーニングとなります。

 

 

○誰に教わるかより、何のために誰をどう使うか

 

 教えたがり屋や、人間関係のよさだけで生徒をつなぐ先生も、それを求めたがる人が多いから、そうなるのだと思います。それだけ、教わりたがり屋が多いから、そういうヴォイストレーナー稼業も成り立つわけです。
それならそれでよいと思っています。自立すべき存在のアーティストを目指す人を依存症にしてどうするのかとは思うのですが。

 第一に、毎日、続けるべきトレーニングをしないで、声も身につきようがないからです。半年や1年でやれることは、声に関していうと、大したことではありません。むしろ、2年間くらいは、イメージづくりや耳を鍛えること、あるいは学び方を知るのに専念してもよいくらいです。
 声は、幼い頃から誰もが使っているだけに、全くゼロからの初心者がいないのです。それゆえ、すでに環境や必要性のあった人に比べ、少々やったくらいで、さほど差をつけられないのです。

 だから、本来は、声などの成果を1、2年で問うてはいけないのです。
 トレーニングで伸ばすことのできるものは、トレーニングせずには伸びません。つまり、レッスンを受けようとする人の取り組みや態度の問題も大きいようにも思えます。
 最近は、大半は、本来声の問題ではないことのためにいらっしゃる方も多いように思います。(このことについては、私のHPなどを参照してください。)

 一度しかない人生です。学べないことの原因は、自分にあります。それを防ぐために当ホームページをオープンにしています。何事も、学び方を学ぶことからです。
 自らを伸ばすには、他の人の才能を自分のために使うことでしょう。一期一会、私自身、いろんな人に会い、また自らトレーニングを続けてきた者として、そう確信しています。

 

 

○精神論、知識、権威偏重に陥らないこと

 

 レッスンが精神論だけに偏るのも困ります。
 研究所のホームページやメルマガも、量が多いだけに誤解されがちですが、そこに出ているものはレッスンそのものではありません。レッスン以外で伝えられること、レッスンの中でも文字にできること、むしろ文字で伝えた方がよいことだけを掲せているのです。(会報参照)
 そこでの考え方との違いは、気にする必要はありません。あなたは、あなたの考えを育てればよいのです。

 レッスンは、よく耳と心で聞くことと、よく声を魂でコントロールすることに尽きます。最高のレッスンの状態では、声でどう表現されたかが全てです。
 プロやプロレベルの人へのレッスンでは、かなり精神的な部分に負うことが多いのは確かです。知識(科学、医学的原理)偏重もよくありません。

 私もトップクラスの声の分析家や音声医と研究を続けています。(参考:拙書「いい声になるトレーニング」(かんき出版))しかも、どこよりも数多くの生徒に、入会前や出てから学んだところの情報もいただき、蓄積してきました。そのため、10年以上の実績のあるスクールやトレーナーの考え方やメニュ、実際の場について、どこよりも情報があるのは確かだと思います。
 情報収集も、世界中から協力いただいてやっています。
 知ったから、読んだから、偉い人についたからといって、自分が習ったように教えるのは、的を得ていることにはならないからです。(この件は、ヴォーカルの耳づくりと歌唱の学び方ブログ参照)

 

 

○目的による選び方

 

 何よりの問題は、あなた自身の目的です。
 例えば、ヴォーカルになりたいのならば、次のような条件を兼ねなくてはなりません。

 1.クリエイティビティ(その人のオリジナリティ、その人自身の世界を創造する力)
 2.音楽的能力、特に耳の力と音楽のベース(演奏力とその基礎)
 3.声のコントロール力(調律)
 4.体づくり(楽器づくり、声づくり)
 5.プロデュース力

 1.にはアーティスト的資質、2.はミュージシャン、アレンジャーの素質、4.は声楽家、役者の資質、5.はプロデューサーや演出家的資質が問われるでしょう。
 このなかで、狭義のヴォイストレーニングでやることは、1をふまえた上での、3となります。ヴォイストレーナーの多くは、3についてのアドバイザーです。私がプロに対してやるレッスンは、1と4にとても厳しいレベルでの、3です。

 私は、1、2を中心に、3、4で補完させます。5についても、たえず触れます。あなたがプロを目指すなら、1か5がもっとも大切です。
 私がみていると、1のない人ほど3や4に凝ります。そして、そういうタイプのヴォイストレーナーを選びます。プロを教えていない人は、これからプロになろうとする人に適切とは思えません。
 つまり、もっとも必要なのに全く自分に足らないものに目を向けず、声そのものをマニアック化させていくのです。現実の世の中に全く目を向けないのですから、いくらやっても、よいとこヴォイストレーナー並になって、全く世の中ではやっていけないことになります。(かといって、発声も半年や一年でやめてしまっては、元のもくあみです。)レッスンの目的が模写であってはなりません。

 

 

○よくある方向違い

 

 アーティスト、表現者としては、作品の制作ありきです。
 仮にロックヴォーカリストになりたくて、学校に通うなどという、あまりありえないようなことをやるなら、しっかりとした目的と方針をもって使うことです。
 声だけの完成では、決してどこにも誇れるヴォーカリストにはなりません。(このあたりは大切なことなので、ホームページか、音楽之友社発刊の「ヴォイストレーニングがわかるQ&A100」をよく読んでください。)プロになるには、声よりもずっと必要なことがたくさんあるからです。

 声量、声域については、その人に神の与えたところまで、結果として取り出せればよいという、単に条件にすぎません。(私が本やホームページで述べているのは、これまでのセイフティな一例にしかすぎないことをご了承ください。)とはいえ、発声やヴォイストレーニング、そのために、レッスンがとても大切なことは、疑うべきことではありません。

 つまり、あなたの表現から、足らぬところを知り、何を補強するのかが、根本課題です。もっと先に学ぶべきことはたくさんあります。常に、一流アーティストとのギャップから多くを学ぶことです。それは、歌や芸で食べることのできなかったヴォイストレーナーを反面教師にすると、よくわかることでしょう。

 ちなみに、今の私のところでのヴォイストレーニングの定義は、「声を伝えるために、繊細ていねいに扱える力を養うこと」です。それとともに、声づくりと音声をどう扱っていくのか、自分の声のデッサンをどう創るのかをレッスンしています(この二つは、ここだけの特色です)。
 その声で何を伝えるかによって、全く一人ひとり、目的もプロセスも異なってきます。

 

 

○プロ対象の条件

 

 ヴォイストレーナーの仕事・役割とは、要するに、人を育てることです。自分が歌うことではありません。それはヴォーカリストの仕事です。若いヴォイストレーナーも増えましたが、自分が歌うことと、人を育てることは違います。

 私もトレーナーを二十年以上続け、ようやく自分ができることを人はできないこと、自分ができないことでも人ができることがあることを、きちんとふまえてみることができるようになってきました。トレーナー本人も、生徒もきれいに正しく歌っているのを聞くと、これで他人を巻き込み、感動させるのは無理とわかります。土台、方向が違うのです。

 まだ若い頃に、プロに教えることを請われたときから、それまでにヴォイストレーナーのクローンみたいな人をたくさん見てきただけに、ミニ福島を一人も作るまい、自分を最低の基準にし、それ以上にして結果を問おうと決めていました。
 これについては、多くのヴォイストレーナーが、自分を超える人材をほとんど一人も生み出せぬなか、声を素人離れさせられないままであるのに対し、今でもここでは、そのことを実証してきたと思います。もちろん、本人の努力と担当のトレーナーのおかげです。

 他のところよりも、すぐれた才能をもつ、研究生やトレーナーを集めてやってこれたのも大きな要因です。
 ただ、ここも、まだ結果、グラミー賞のような、世界トップレベルへのアーティストの育成には、至っていません。生涯かけて、そういう結果を出していくつもりでやっています。 何千人教えたという実績も大切ですが、数の多さは、経験というより、それを日数で割れば、いかに一人に対していい加減なのかということになりかねません。指導した歌い手などというのも、声ということの基準でみたら、首をかしげることの多い、ただの有名人ばかりということも少なくないようです。
 テニスでも、マラソンでも、育てるなら10年で2、3人、いや1人だけでも名トレーナーといわれるのです。私は生涯で、偉大なヴォーカル、もしくは表現者が一人育てば、この生を受けた甲斐があった、との思いで続けています。

 

 

○トレーナーもセカンドオピニオン制に

 

 自分の型、早く自我を芽生えさせるため、そのための試行錯誤が大切ということ、創作テーマが出てくるのは、自我の芽生え、表現力は、スケッチからだということを忘れないでください。絵におけるこのスケッチこそ、セリフや歌では、ヴォイストレーニングにあたると思うのです。

 医者には、セカンドオピニオンがつくことがあります。一人のドクターが考える治療の方針がよいのかを患者にアドバイスします。医療分業で、病院と薬局を分けたのも、医者が売り上げ利益優先で薬を選ぶことのないようにするためです。
 分業をしたり、違う角度からのアドバイスをとり入れる。このことで、トレーニングにおいても最良の選択や処置をしようというのが、私の考えた研究所です。

 どんなすぐれたトレーナーでも、万能ではありません。声のトレーニングは、間違いということさえ生じず、わかりにくいものです。
 もっとも声は長期でみなくてはいけないので、その判断は、とても難しいものです。常に、方向性、方針、やり方、さらに必要に応じて担当を変えてみるのも、検討すべきことでしょう(もちろん、成果が著しく出ないことが、必ずしも誤りということではありません)。
 そのためにトレーナーは、あえて同じタイプ、同じ出身、同じ考え方にしない方がよいと思っています。あらゆる分野から異なる考えややり方、育ち方できているすぐれた人を集めた方がよい。また、学者をはじめ、科学や医学の専門家との研究や連携も欠かせません。

  多くのトレーナーは、ただ一人、自分のノウハウしかもたず、他人に与えたことへの検証は、ほとんどしていないというか、できないのです。そのため、誰にも同じ方法のトレーナーはいても、誰にもすぐれた方法を選んで、組み替えられるトーナーは、ほとんどいないのです。成果が出ない人はやめ、相性のよい人だけが続けているのが多くの学校や個人レッスンの現状だからです。やっかいなことに、相手もトレーナー自身もすぐれていてオリジナリティがあるほど、このことは難しくなります。

 

                                                                                                                        (話:福島英:編集部文責)