ブレスヴォイストレーニング研究所

ブレスヴォイストレーニング理論

 


ブレスヴォイストレーニング理論
「外国人に負けないパワーヴォイス養成のために」
「プロのように強く太い個性的な声を出せるようになる」
-福島英のブレスヴォイストレーニングとその理論的根拠となる文献引用集-

 

 

目次

 

まえがき
1.声の実力
2.現実をみる
3.現場をみる
4.トレーニングは方法論でなく、環境、状況での気づきの違い

 

プロローグ ~声楽とブレスヴォイストレーニング
1.声楽を限定する条件
2.ポップスで優先すべきこと
3.ブレスヴォイストレーニングのアプローチ
4.ブレスヴォイストレーニングのプロセスについて
5.ブレスヴォイストレーニングで使う用語の解説

 

(1)のどをあける発声のポイント、通る声
1.日本での歌唱指導の難しさ
2.『のどをあける』(通る声と喉頭室)
3.『通る声』
4.日本人の発声の改良
5.通る声には、“声の芯”がある

 

(2)息の支え
1.呼気のマスター 2.ひびきのある声 3.腹式呼吸の必要性を与える

 

(3)太い声……体壁振動の地声
1.俳優の声は、なぜ深まっていく
2.トレーニングは体に負わせる
3.浅い声を深くする
4.富田浩太郎氏の、俳優の統一音声論
5.外国人の声の深さと発声ポイント
6.日本人の英語は発音でなく、発声が悪い
7.外国人の方が声では有利
8.日本人も音声に関心を
9.教育環境と声
10.五木寛之氏の聞いたロシア人の低声
11.太い声のインパクト
12.[ベルティング]について
13.胸の打撃音

 

(4)音色と高さと深さと大きさ
1.高い周波数を発する人が、高く聞こえるのではない
2.日本人の声は低いがキーは高い
3.言語の周波数での違い
4.声が細い人は、太い声になれるのか
5.声の大きさ

 

(5)日本人の母音発声と、外国人の子音発声の負担の違い
1.高音域発声について
2.母音がのどに負担をかける
3.外国語による歌唱法との違い
4.日本語は、声帯への負担が大きい
5.一流のオペラ歌手は、低く太い声の声帯をもつ
6.クラシックで高音が発音不明瞭となるのは~ 母音発音と高音発声の両立の可能性
7.日本語での高音歌唱への対策

 

(6)発音のまえに発声あり
1.発音より発声を優先する
2.外国人のすぐれた日本語歌唱
3.声のスピード~外国人は休んでいる

 

(7)日本語アクセントと音楽的処理(「メロディ処理」の理論)
1.日本語にも音楽的要素はあふれている
2.高低アクセントでメロディをつける誤り
3.山田耕作氏の誤り
4.日本語の拍(V+C構造の日本語)

 

(8)声楽の方法と信憑性
1.日本人の耳と評価のポイントのズレ
2.声楽について

 

(9)音色と抵抗について
1.純音
2.ピッチと音程
3.こぶしと泣き(音色)
4.日本人はかすれ声が好き

 

(10)日本語の特質について知る
1.一音に一つの音がつく
2.日本語は、拍の種類が少ない
3.「ン」「ッ」「ー」を一拍と数える
4.高低アクセントと強弱アクセント
5.日本語は表意文字である

 

(11)日本語と欧米語の違い[「メロディ処理」の理論 以下、拙書「ヴォーカルの達人」]
1.日本語の発音、調音について
2.等時性の違い
3.一音中心と拍中心
4.日本語は、母音中心言語
5.欧米語は息で単独の子音(無声子音)がある
6.英語はCVC型 1音節に子音がつく
7.リズムの違いの克服
8.英語の音声の特徴

 

(12)その他の参考引用
1.周波数分析と1/fのゆらぎ
2.森氏のレッスン体験
3.ベルティングのためのガイドライン
4.日本語の拍は、一拍一音
5.発声だけならイタリア語に学ぶ
6.H.マスケラと頭声発声、鼻腔共鳴の真実

 

(13)BV理論をふまえた福島仮説

 

1.悪声論 間違いなんてない
2.今の声楽は、声を鍛えない
3.日本人シャウト限界説
4.俳優の弱み
5.歌わないのが、歌
6.声二分論

・日本人の聞こえないもの
1.息
2.音色
3.強弱アクセント(リズムグルーヴ)

 

【引用参考文献一覧】
「声と日本人」米山文明(平凡社)
「日本人の声」鈴木松美(洋泉社)
「「医師」と「声楽家」が解き明かす 発声のメカニズム」萩野仁志・後野仁彦(音楽之友社)
「新・発声入門 あなたの声を診断する」森明彦(芸術現代社)
「俳優の音声訓練」富田浩太郎(未来社)
「イタリア歌曲の発音と歌い方」藤崎育之(音楽之友社)
「日本語の特質」金田一春彦(日本放送出版協会)
「人に好かれる声になる」拙書(祥伝社)
「ザ・コンテンポラリーシンガー」Anne Peckham(今野志津子訳 吉野美知子監修 ㈱ATN)


 

 

 

【ブレスヴォイストレーニングの考え方】


 トレーニングは、日常の量を短時間に重ねることでムダを少なくし、効率よくするものです。ですから、基本的に日常の延長上におきます。(特別な目的のとき以外、あまり変なことをしない。特別なことをするときは、あとできちんと元(本人)に戻すこと。)
 つまり、トレーニングをしなくても、そうなれた人の歩みを効率よくたどることがベースに思うのです。特に、声や歌のように、全くの初心者は一人もいない。生きた年月分、必ずそれなりに接してきたものは、新しい方法を与えるよりも、これまでどうであったかをきちんとみることの方がずっと大切なのです。

 

 時間と絶対量、日常で長くかかることを効率的に(無理、無駄、間違いをなくし)短期的に上げていくこと、20年の日常を2年間のトレーニングにします。さらに、年月や時間や量では到達できない次元に、感覚を開き、体との相乗効果でオンしていくことです。
 これには天才の100のアンテナを、凡人は一本ずつ獲得していくようなレッスンが必要です。感性(特に、耳から心)のアンテナを磨くことが中心です。
 その上で、個人差を踏まえていくのです。欠点、補強に特殊な方法をやむなく使うこともありますが、それが通常のトレーニングでなく、例外的な処法です。
 客観性を求められるトレーナーが、ずっぽりとトレーニングや声の中にはまっているのは危険にも思われます。まるで、医者の不養生、企画やさんがどこにも仕事がこないと言っているようなものです。
 私は、トレーニングは、10年かかるものを早くやること、レッスンは10年20年かけてもやれないことを、可能にするためにあると考えています。また、一生かけて、つまり長期的に向上するためと、過酷な状況で対応するために必要なのが、クラシックと同じくブレスヴォイストレーニングと思っています。

 

 

 

まえがき  基本を知るには現実、応用された現場から感知しよう

 

1.声の実力

 

 私は、次の要素で声をみています。
1.その人のもつ元々の声(生来的な声)
2.発声技術
3.表現力(ことばの力、メッセージ性)

 

さらに、ヴォーカリストは3つの要素が加わります。
1.音楽性、音楽の効果と声との絡み
2.作詞、作曲、アレンジ力(バンド力)
3.ステージパフォーマンス力
 このなかで、私の専門は、1にあたります。

 

2.現実をみる

 

 現実をみるとは、俳優になりたい人にとっては、現実にいる理想の俳優、ヴォーカリストには、理想のヴォーカリストの声を聞くことです。  そもそも誰でも声が出るし、せりふはいえます。歌も歌えます。
そこでめざすものは、仮にもトレーニングというなら、あこがれ、売れている俳優の発声、言いまわしやヴォーカリストの歌唱スタイルでなく、基礎のできているプロのプロとして基本的な声や使い方、すなわち一流のプロが共通して、すでにもっている要素(感性、基礎力、応用力)と考えるべきでしょう。
 それが感覚となり、声となります。声はすでに出しているのですから、その条件を分析していくか、一声でも、それに値するレベルの声が自分で出せることがスタートです。  そこで徹底してプロの体、息に近づけていくのです。
さらに、俳優やヴォーカリストの特有の難しい問題がそこにあります。
バイオリニストなら、楽器と演奏能力がすべてです。
しかし、俳優やヴォーカリストは、パフォーマンス力、つまりステージとしてのトータルの力となります(ダンス、ルックス)。その上で、演技力や音楽性(曲、アレンジ、バンド演奏能力)も大きく問われていきます。
特に、声や歌としての力は、必ずしも音楽としての力に相関していません。まして、ステージやCDではなおさらです。歌の下手なアイドル歌手がいなくなったように、音響技術であらゆるフォローができるからです。

 

そこで私は、トレーナーとしてだけでなく、演出家、プロデューサーの眼でみています。
そこでヴォイスコンダクターとでも名乗ろうかと思っています(ここでいうヴォイストレーナーとは、体の原理に理想的に声を取り出す担当者という意です)。

 

 歌としての力は、その人自身のもつ声やことばの表現力にカバーされています(もちろん、音響効果も伴うので、さらに複雑です)。
A・・・自分のあこがれの俳優、ヴォーカリストの声
B・・・プロとして共通ベースとなる、ヴォーカリストの声
C・・・自分にとって、もっともふさわしい将来的理想としての声
 自分の声についても、次のように見極めていきます。レッスンは、C3をふまえ、C1とC2をしっかりと区別することから始まります。
C0…今の自分の声
C1…今の自分の中でもっとも使いやすい声(主観的)
C2…今の自分の中の、もっともよい声(ベターな声)将来性のある声(客観的)
C3…将来のベストの声

 

3.現場をみる

 

 プロがもつ声を入手するとしたら、最近のタレント性が高く、ルックスのよい俳優はあまり参考になりません。
まして、ヴォーカリストに関しては、さらにその傾向が強くなります。 ・日本のヴォーカリスト……たいして何もしていない。でも、作詞作曲、歌唱力はある。 ・向こうのヴォーカリスト……たいして何もしていないようで、声の力、音楽性、作品レベルは、とても高い(たいしたことをやっている)。 ・声楽家……クラシックに基づく発声の基礎トレーニングをしている。  素人とベテラン俳優、あるいはこの三つの声の違いは、地の声一声でもあきらかです。
そこで、ヒントは、歌以前の日常の声、それを取り巻く生活環境にあると私は思ったのです。  日本でなく、海外に生まれ、普通に生活していて、声を使っていたら、できたであろうというところまでは、誰でもトレーニングでできる。これが、個人を主体とした俳優ベースでの、プロの声づくりです。
 英会話でも、楽器でも学べば、必ず成果が表われます。ヴォーカルスクールなどで、声を学んでいても、ほとんど声に成果が出ていないのは、おかしいと思いませんか。

 

 生まれついた声をどこまで変えられるのかは、まだ定かではありません。素質や経験による個人差も著しくあります。
 しかし、トレーニングとその年月しだいで、大きく変えられるのは、私自身の声では実証してきたつもりです。だからといって、私の声をまねればよいのではないのです。
めざすのは、A、A2でなく、B、CをふまえたC3なのです。(ただし、そういう押し売りもまた、トレーニングを歪めかねません。)

 

4.トレーニングは方法論でなく、環境、状況での気づきの違い

 

 現実、現場を自分でもつことです。その環境として、私は声を継続して研究できる研究所をつくりました。※
そこでは、主に3つの声を紹介するとともに、声の聞き方や効果にも関心を払っています。  1.プロアーティストの声と使い方(A>B)  2.トレーニング中の人の声(C2)  3.トレーナーの声(B)  同様に、芝居や音楽にもまた、そういう環境が必要なのです。  以下、生理学的な面において、専門家の記述を引用しながら述べます。詳細は、参考文献にてお読みください。(以下、引用文責:福島英にあります。)

 

 

 

プロローグ ~声楽とブレスヴォイストレーニング

 

 私のトレーニングは声楽の発声法と、よく比べられます。根本的には、私は音楽や歌という点で求めるイメージやスタイルはまったく違っても、声を出すことにおいては、同じことだと思っています。
 しかし、声楽は、次の点でかなり長い年月と完成度を要求されます。それに対し、ポピュラーのヴォーカルとして必要最小限のものを短期間で習得し、さらに声楽には必要ないが、ポピュラーに不可欠なものを組み込んだもの、かつ俳優やプロとして声を使う人すべてに共通するベースづくりが、ブレスヴォイストレーニングと思っています。

 

1.声楽を限定する条件

 

 大体の方向として、声楽の特色、条件を述べておきます。
 1. オリジナルの調(原調)でしか歌わない
 2. マイクを使わない
 3. レガート、[母音]共鳴を中心にする
 4. 人間の声の美しさを最大限に追求する
 つまり、すでに書かれた曲(オペラ、リート)を歌うために、その曲に使われている声域を確保しなくてはなりません。テノールなら、ハイCのポジションまで必要です(それに対し、ポピュラーは、自由に移調できます)。
 また、マイクを使わないで観客の耳にしっかりと届くように、うまく共鳴させて歌わなくてはいけません。そのため、一語一語をヴィブラートがかかるレガート唱法で確実に抑え、響かせます。レガートを中心に基本を固めていきます。ひとつひとつのことばをきちんと発音し、統一した音色、響きを作品【歌】においても、確実に保持しなくてはなりません。そして、声そのものの美しさを追求するため、声帯を含めた先天的な楽器としてのよさや素質も問われます。

 

2.ポップスで優先すべきこと

 

 ポピュラーのヴォーカルの場合は、声楽家が決して出せないし使わないような声を使うことも少なくありません。これは、スタイルが違うのです。声楽からポピュラーに移ってくる人にも、より難しいものがあるといっています。それは、一言でいうと、声に頼らないことです。自分自身をど真ん中にすえた声と表現を持ち、自分の世界を相手に伝えることです。(声楽も同じなのですが、多くの声楽家はものまねを目標としているかのようです。)

 

 トレーニングにおいては、声楽の基本は、先に述べた条件をクリアするために、さらに長い期間を必要とします。ポピュラーにとっては、不要のことも含まれるというより、ポピュラーを歌うなら、もっと、優先して仕上げていかないことがあるといった方がよいでしょう。

 

3.ブレスヴォイストレーニングのアプローチ

 

 ブレスヴォイストレーニングでは、それを次の点から追求しています。
 1. ことばのイメージ、伝わる実感を中心に声を深めていく
 2. 必要以上の響きをつけない(コントロール力の方を優先する)
 3. 体から、そのまま伝えたいことが声にのっている感覚を大切にする
 4. 声がハスキーでも息になろうと、よしとする(のど声は否定的にみているし、不必要にはかすれさせない)
 5. シャウトを取り込む(トレーニングとしては、勧めていない)

 

 これを中心にメニューを組むと、最短にして、最大の効果が生まれます。つまり、
 1. 全身から声を出すことを優先する(深い声、深い息)
 2. レガートより、スタッカート(ハイ)での、一声をプロ並みにしていく(音色)
 3. メロディより、ことばの強弱の中でフレーズをつかんで動かしていく(リズムグルーブでの「メロディ処理」)
 4. ことばの表現力を徹底的に生かす(フレージング)
 5. 独自の音楽観、ヴォーカル観を表現していく(オリジナリティ)
 ポピュラーのヴォーカル曲をよく聴くと、多くの人が思うほど、声を伸ばしたり響かせて歌っていないことに気づくはずです。つまりことばを音の動きにしっかりのせて伝えることで、聴衆に曲の世界のイメージを構築させていくのです。

 

4.ブレスヴォイストレーニングのプロセスについて

 

○ことばの表現力を生かす

 

 ことばは大切にしなくてはいけません。ことばを発したら即プロと思わせるほどのトレーニングで練ることです。つまり、読んだだけでも歌になるくらいの声と表現力を持つことが大切です。
ことばを読みこむことによって、ことばのフレーズがでてきます。棒読みでなく、感情を込めると、体と息が使われるはずです。それをリズムグルーブにのせ、さらにメロディを巻き込んでいくのが、[メロディ処理]です。こうして魅力的なことばのイメージ、実感を表現力として失わないまま、その流れが、結果として歌になります。
これには体力、そして息を必要とします。だから、体や息が身についていくのです。つまり、ブレスヴォイストレーニングは次の順に整えていきます。
1. 声(深い声)
 2. ことばの表現力(音色)
 3. ことばのフレージング
これをベースに歌唱にしていきます。
 1. リズム(リズムグルーブ)
 2. メロディ(メロディ処理)
 3. フレージング(オリジナリティ)
 その上で、力をつけていくのです。

 

5.ブレスヴォイストレーニングで使う用語の解説

 

 これらの用語は、ブレスヴォイストレーニングで使うもので、一般的に使われているものではありません。
「ブレスヴォイストレーニング」 「声の(になる)ポジション」「声の芯」… 「ベターの声」…その人の、将来の理想の声 「ベストの声」…その人の、今の理想の声(必しも今、使いやすいものでない。可能性のある声。) 「最下音声」… 「音楽的日本語」…深い声のポジションでとった日本語(俳優やイタリア人に近い) 「メロディ処理」…メロディを意識せず、結果としてメロディがついているようなフレーズの処理(言語感覚でのフレーズ、シャウトもその一つ)

 

 

(0)声の認識と判断

 

○日本での歌唱指導の難しさ

 

「声と日本人」で音声医の米山文明氏は、「最初に、好評だという噂のトゥッチのレッスン室をのぞいてみた。」とあります。そこには、このように描かれています。
「歌唱法の細かい技術を直すというより、声づくり、言葉づくりという歌唱の最も根幹部分、すなわち姿勢(体の各部分の位置のとりかた)、息の流れ(吸気、呼気の方向とタイミング)、共鳴のつくりかた(響きの場所、呼気を当てる方向、言葉づくり)、などについて実に的確で核心をつく注意が飛ぶ。しかしほとんどの日本人受講生たちはどこをどう直してよいのかわからない、つまり指摘されていることが漠然と頭で理解できても体のなかでどこをどう変えればよいのかわからないのである。」(P191「声と日本人」米山文明 以下、<Y>と略記)

 

 

(1)「のどをあける」と「通る声」

 

「のどをあける」ことと、「通る声」を声楽的、つまりイタリア人のベルカント的に述べたものを引用します。私の立場は、やや異なりますが、日本人を離れて人間という楽器から、声をみるときの一つのアプローチといえるからです。

1.『のどをあける』(通る声と喉頭室)
<「声門上腔(声帯のすぐ上の空間)は喉頭室とよばれ、仮声帯と声帯とに囲まれた場所である。
この部分の形や広さによって音色が変わる。すなわちこのスペースが広く、大きく使えると音の響きは拡大され、音色も明るくなる。逆にここを狭く、左右から圧迫された形になると音色は暗くなり、硬く搾り出したような声になり、響きかたも狭く直線的で音の広がりも制限される。」(喉頭蓋というのは舌根部にあって気管の蓋の役目をしている軟骨である。)<P62 <Y>>>

 

2.『通る声』

 

<「呼吸時は空気が気管に出入りするためにこの蓋は起き、発声、発語のときはさらにその起きる角度を変化させて声の音色や言葉づくりに影響を与えている。
 つまりこの蓋の起きる角度が小さく、声帯の上にかぶさるような形になると音色は暗く、こもった声になるし、逆にこの起きる角度が大きく、声帯の上の空間が広くなると音色は明るく、開放されて、声は上腔によく響くようになり、いわゆる「よく通る声」になる。
「通る声」というのはこれだけできまるわけではないが、関係する一つの大きな要素になることは間違いないと思う。
 この喉頭蓋の起きた(開いた)のどと、倒れた(閉じた)のどの差は音色の明暗の差だけでなく、母音の「イ」、「エ」、「ア」などの発音のつくりかた(構音)の巧拙や、歌においては高音をうまく出せるか否かの発声技術にも関係してくる。
 すなわち、喉頭蓋をうまく起こせない(開けられない)と、明るい母音の「エ」から、さらに明るい母音の「イ」の発音がうまくできないし、高い音域の声になるほど喉頭蓋を起こしてゆかないと声帯を前後に引き延ばす(緊張させる)ことが難しくなるからである。
 これがいわゆる「のどを開ける」ということの本体であって、しばしば「のどを開ける」ことを「口を開ける」ということと間違って理解されているようである。」<P63 <Y>>>

 

3.日本人の発声の改良

 

 さらに、最近出た医者と声楽家の共同研究である「発声のメカニズム」(音楽之友社)(以下、<H>と略記)での記述を引用しておきます。この本は、日本人とイタリア人の楽器(生まれつき)や声の使い方(育ち方)の違いを前提に、トレーニング方法を声楽家のイタリア留学経験と、医者の科学的な所見、検査の目から、メスを入れた本です。  日本人の声楽家やヴォイストレーナーには異見もあるでしょうが、私は、“クラシック”としての所見としては、ほぼ全体にわたり、肯定できます。(もちろん、新しい本は、従来の研究や常識化したことの間違った流用や異見であればこそ、価値があります。その検証と確かさというのはまた別で、常に問題提起後の研究課題となります。)

<「喉の開け方にはいくつかのパターンがあり、この詳しい内容はフレデリック・フースラーとイヴォンヌ・ロッド=マーリングの『うたうこと』(音楽之友社、1987年)にわかりやすく書かれています。これをもとに、大まかに声の出し方を2通りに分けて考えてみましょう。  その2通りとは、「喉を狭めて声を出す方法」と「喉を広げて声を出す方法」です。 イ)喉を狭めて声を出す方法=標準的日本人(※1)が普通に出す声  歌謡曲やミュージカルなど、語りと同じ感覚で歌声を出すと、声が“前歯に当たる”感じになります。これはフースラーのアンザッツ(※2)I型に相当しますが、喉はやや上がり気味で狭くなります。原著では「白い声」と表現され、下あごは上げ気味になって、浅く平たい印象を与える声が出ます。口は横に開く感じです。 ロ)喉を広げて声を出す方法=欧米人的(イタリア人的)な声  日本人でも、少ないながらこのような声を普段から出している人もいます。声が“胸に当たる”もしくは“うなじに当たる”感じで、フースラーのアンザッツII型とVI型が、それぞれに相当し、深みのある、歌唱では丸い感じの声になります。喉は下がって広くなり、下あごが下方に開いて首と近づきます。口は縦に開く感じです。 ※1:この本では「鼻腔共鳴の強い声」を「標準的日本人」と捉えて話を進めてきました。(以下略 P98あとがきより) ※2:Ansatz<ansetzen「当てる」という意味のドイツ語からの派生語。日本語では「声の当て場所」「声の当て方」に相当する。  アンザッツI型は「白い声」と表現され、あまり良い発声と捉えられていないようですが、感覚的には自分の声を「前歯」に当てて発声する方法です。この場合、喉頭は狭く高い位置にあって、声帯には負担のかかる発声法であるといえるでしょう。一方のアンザッツII型の発声は「明るいイタリア的な発声」と表現されるものですが、感覚的には自分の声を胸に感じる発声法です。喉頭は広く低い位置に保たれます。喉頭の空間を広く保っているため、広がりのある声を出すことができ、しかも声帯には負担が少ない方法といえるでしょう。>

○日本の指導、ことばの勘違い <「日本ではよく「頭から声を出しなさい」「笑ったように頬を上げて声を出しなさい「のどちんこを上げて大きい口を開けて声を出しなさい」などと指導されることが多いと思います。これは鼻腔に声を共鳴させて声に明るさを持たせる意味がありますが、この場合“喉を開ける(広げる)”ことを意識しないで発声すると、アンザッツのI型の発声となります。このような発声が好まれる音楽もありますし、日本人には親しみやすい声ととらえることもできます。  しかしこの発声法は声帯に負担をかける危険性もはらんでいます。私の印象ではテノールの歌手がこの発声で歌うと、日本の聴衆の場合受けが良いこともあります。そのせいか、私のところに来るテノールの歌手たちは喉頭が割と狭く、診察時に声帯は見えにくい状態になっています。声のパートと喉の広がりは必ずしも一致するものではないはずですが、おおむねテノールは喉が狭く、バリトン、バスと進むにつれ喉が広い傾向にあります。」(<H> ※2=22ページ図1-2-3参照)>

 ここには、日本人のテノールの特質と、一般的に日本人の、客の聴き方の特色が端的に示されています。
<「従来行なわれてきた「頭から声を出す」「顔に声を持ってくる」「軟口蓋を上げて声を出す」「頬を上げて笑ったような顔で声を出す」「重心を前にかける姿勢で歌う」などの常識的に正しいといわれている方法は、日本人によく見られる、いわゆる喉を狭くして発声するという習慣が、より強調されてしまう場合があります。」 「このような事実が声に影響をもたらしているのです。ですから、良い声を手に入れるには、まず暗く、深く、丸く声を出すように注意していただきたいと思います。」<H>>
「暗く深く丸く」というのは、日本ではプロデューサーや経験の浅いトレーナーによく否定されてしまうことです。

○喉の位置とあごの関係 <「上あごを開けて」あるいは「上あごを開ける感じで口を開けるように」とレッスンなどで言われた経験のある読者がいることでしょう。しかしよく考えてみると、上あごは頭蓋骨と一体化しているため、実際には開かないものなのです。ただ確かに上あごを開けるような感覚で口を開けると、鼻腔を意識しやすくはなります。
「目の後ろを開けて」「額から糸を引くように」「頭の中を広く」「頭の中で回して」「軟口蓋を上げて」など、とにかく鼻腔共鳴を手に入れるための表現方法にはいろいろな言われ方があり、どれもが当たっているようですがよく理解できません。  しかし日本人は鼻腔共鳴を多く伴って会話をする人が多いので(次項「マスケラの誤解」参照)、ことさらこだわる必要もないと思いますし、鼻腔共鳴を追求するあまり、喉が上がって詰めてしまっているのでは、上達の妨げになってしまいます。<H>>  これは、日本人の鼻にかかりやすい発声と、向こうの胸に芯のある発声とを同じアプローチでやっている日本の声楽トレーニングへの疑問提起と私は考えます。

5.通る声には、“声の芯”がある
<「藤原直美「ホントにそう。うちの父親が言ってたのは、『舞台では大きい声出せよ、客席に聞こえんから。けど、ちっちゃい声で喋れよ』って。意味、わからへんね、その時は。大きい声でちっちゃい声ってどういうことやねん、何言うてん、このオッサン、だんだん頭おかしなったんかと思うて。」 勘九郎「ハハハハ……。」 直美「結局、声の芯の話なのよね。通る声」 勘九郎「そうなんだよねぇ。」 直美「だから『パラダイス』に出た時、二人で喧嘩する場面があるでしょ。あそこで哲明さんが私に、『出ていけ』って囁くように言う声が三階まで聴こえるんですよ。あぁ、これが父親の言うてた『大きい声のちっちゃい声』かと。」」(拙書「みるみる声がよくなる本」)>
 ここでの二人の俳優の会話は、私の使う「声の芯」ということのイメージについて、的確に述べてくれています。

 

 

(2)息の支え

 

1.呼気のマスター

 

<「(私たちの提案する声づくりの第2段階では、)横隔膜でしっかり支える呼気をマスターします。そして、この支えのある呼気で広がった喉を使って発声する感覚を覚えます。  この段階では、まだ艶のないがさつな声として、聞く者には少し物足りなさを感じさせるかもしれません。歌っている本人も“芯のない声”で自分の声に自信が持てない状態に感じられることもあります。
 また、多くのヴォイストレーナーにも“間違った方法”と早合点される可能性もあります。しかし、ここを克服できるかが真のオペラ歌手になれるかどうかのポイントだと思います。」<H>>

 

2.ひびきのある声

 

<「横隔膜の支えがしっかりして、この歌唱法が板についてくるとビブラートが自然にかかり、やがて艶のある深みを持った声に変化してきます。この段階ではじめて「声をどこにもっていくのか」という本人が決められる自由が出てきます。喉が下がって広い感覚がわかった上で声を顔に感じれば、いわゆる「マスケラ」になります。」 「感覚的な話になってしまいますが、マスケラのところでもお話しましたように、声を体の中に埋め込み横隔膜に振動を伝えながら歌唱する感じです。息を吸うとき、なるべく胸が上がらないように息を吸い、みぞおちより下、おへそより上の部分に集めるように息を入れ、横隔膜を平らに保つ感覚で、その張力を失わないように声を出します。体が大きく膨らみ、胴鳴りする感じで声を出すようにすれば、響きのある声が自然と出てくるのです。」<H>>

3.腹式呼吸の必要性を与える
<「もともと日本語というのは、肺からの空気圧をあまり必要としない言語です。英語の「have」は、日本人では「habu」になってしまいがちです。英語を発音するときには、まず息を強く吐くようにしなくてはならないのです。
「『f』は下唇を噛んで、しっかりと息を吐かないと、日本語の「フ」になります。このように強い空気圧を利用した発音が日本語にはないため、日本人は言葉を発するさい、腹式発声を必要とせず、喉のコントロールを中心に使うようになったのです。
 アジアの言語は、日本語のようにあまり息を使わないで発することのできるものも多いのですが、韓国語などには息を使った発音がたくさんあります。」「日本人の声」(鈴木松美)>


 

 

(3)太い声……体壁振動の地声

 

1.俳優の声は、なぜ深まっていくのか
 歌では音域をとることに誰しもが急いで高い音出そうとやっていくので、なかなか声のベースのことができてこないものです。
 私がそれに気づいたのは十代の頃でした。俳優の養成所に声楽を教えにくる先生の話す声は、普通の人と変わらないのに俳優の声というのは、4、5年でみるみる変わってくるのです。俳優の声、プロの声になっていくのです。それはどういうことなのだろう、という疑問からでした。

2.トレーニングは体に負わせる
 トレーニングで考えることは、誰でもができるようにならなくてはいけない、しかし、個人別に資質が違う。そこでどこまで、その目標に対し、責任を持たせるかということもあります。私の元にも、とても優れた人と、それから他の学校に行っても間に合わない、かなりの大きな変化がない限りなんともならないという人がいます。私は日本で早くから、この上の層と下の層をみることができました。やってきた人と何もやってなかった人との両方みてきました。これは海外でも得がたい体験でした。
 日本の場合、すぐれた歌い手が必ずしも深い声をもっていません。
 トレーニングとしてみたときに、どうして同じように生きてきてそれだけ声が使えないのかというと、結論からいうと、「体にきちんと声を入れていない」ということがとても大きいのです。
 体というのは単純にいうと、鍛えたら変わります。腕立てができないと言っても1年やれば10回が20回でもできるようになります。
 体自体というのが器としてはあるとしたら、そこを変えていくというのが一番べーシックな考え方です。
 それは同時にトレーニングを引き受けるときの安全策です。勘とかセンスとかにまかせていたら、それがある人はよいとしても、ない人はどうにもならないでしょう。

 

3.浅い声を深くする

 

 日本人の声は大体、浅く、体でコントロールしずらいものです。これは、日常生活のなかで体からことばとして表現する必要がなく、その経験を積まなかったというだけです。私は、決して先天的な欠点とは思いません。  だから、深い声、体から深い息で深いポジションで声を捉える発声を学んでいくことで解消できるのです。

 

4.富田浩太郎氏の、俳優の統一音声論

 

 浅い声は、胸腔の共鳴を起こしにくいものです。
 胸腔の共鳴は音声の変化に大きな役割を持つもの」と、富田浩太郎氏の「俳優の音声訓練」(以下、<T>と略記)には述べてあります。富田氏の方法は、ブレスヴォイストレーニングと考え方を同一にするところが多く、スタッカートから始めるところも同じです。そこで言及している注意点についても、声についての深い体験と見識をおもちの方であることがわかります。
 「のどにかかった浅い声という欠陥を除くことが腹部に力を入れて声を上に突き上げるというものの欠陥を移行させる危険を多分に持っています。しかし、それを承知でやってみる理由は、のどにかかった浅い声から解放された声を聞き分けさせ、自分の欠陥を自覚させるためには、このような欠陥の移行になりがちな方法もときには大変効果的な場合があるからです」  自分の声やその変化がわかるのは、他の人の方が早いものです。

 

5.外国人の声の深さと発声ポイント

 

 私は、十代のとき、とても浅く薄っぺらい声だったので、年齢をとらないと声というのは深くなっていかないものと思っていました。しかし、海外に行ったら、十代でもけっこう深い声、しっかりした声を皆出していることで、必ずしも年齢によるものでないとわかりました。
 それは、声を使っている量もさることながら、さらに声の使い方によるものでした。
<「イタリア語の各音は、口の奥上でなる。したがって声が、顔面の前の一点に感じられ、よく通る。日本語は下顎を中心に話すから、声の位置はつねに落ちており、つやがなく、リンとした響きがない。」(「イタリア歌曲の発音と歌い方」藤崎育之(音楽之友社)P12)>
<「ca-roは、caにアクセントがあり、日本語ではカーロと送り仮名をするが、caとroの長さは、実際には同じである。このようにアクセントがあるところを、日本人の耳では長音に感ずるので、そのように(カーロ)と表すが、イタリア人はカロと書くことを好む。」(「イタリア歌曲の発音と歌い方」藤崎育之(音楽之友社)P12)>
 つまり、私たち日本人には、強アクセントを長音としてしまうのです。強い音は高い音となり、その高い音を長くしたがる傾向があるのです。

 

6.日本人の英語は発音でなく、発声が悪い

 

 日本人の英語の発音はよくなりました。しかし、発声とリズム(強弱)がよくないのです。口先で英語を器用に発音しているだけ、ほとんど英語らしい雰囲気で聴かせているだけといってもよいでしょう。声は前に飛ばないし、強い息にのっていない。歌も声の芯や深い息がないので、私は、その一声で、およそ日本人だとわかります。
 英語は、強い息を発し、舌、歯、唇で生じさせる子音を中心とする言語です。そのため、パワーや勢いが違うのです。日本語にないパワー、勢いといったものから、腹式呼吸や体が身につきます。それが自然な深い声や音色につながるのです。そこまで耳と声で捉えている人は、日本人には稀でしょう。
 そこまで強化された“自然な発声”と呼吸を身につけた体があってはじめて、外国人と対等に声で渡り合える声につながるのです。ですから、体からの深い息を深い声にするようなトレーニングを続けることです。

 

7.外国人の方が声では有利

 

 <「外国人との発声の大きな違いの原因となっているのは、日本語の浅い発声、日本人の生活様式など、さまざまです。姿勢一つとっても、私たちはどうしても猫背になりがちで、響く声を出すのに苦労するのです。言語を発するポジションも、喉のあけ方((1)-4 参照)も違います。
 顔の形も違えば、鼻の形、目の形なども、民族によってかなり違いがあります。その違いは共鳴体にも変化をもたらしています。たとえば、あごが出ている民族とそうでない民族では共鳴体が違うので、声や言語も違ってくるのです。共鳴体の違いは、声の違いを生むとともに、民族によって出しやすい音と出しにくい音という差異も生んでいます。その民族にとって出しにくい音を使った言語は当然なじまないので、それぞれの民族に適した言語体系が形成されていくのです。」<S>>

 

8.日本人も音声に関心を

 

 日本人は、話し声も小さく、メリハリ、響き、パワーに欠けます。しかし、外国人は深く体についた声で、明るくはっきり発しています。しかし、最近は日本人も、体格、骨格や背の高さなども外国人と変わらないようになりました。きちんとした発声を身につけることができれば、同じように声が出せるはずです。
 ただ、声を引き出すのは、必要性です。日常生活からビジネスの現場まで、むしろ、私たちを取りまく文化、風土、環境の問題の方が大きいのです。
 日本では、異民族、異言語にさらされてきた多くの外国人ほどに、音声に対する関心や表現力が必要ありません。
 とはいえ、邦楽では80歳でも朗々とした声を出す人もいます。そこに、私は声楽以外にいくつもの活路を見い出しています。歌う声も話し声も、トレーニングしだいで克服できるのですから、がんばりましょう。

 

9.教育環境と声

 

 「英語教育による影響をもっと強く受けているのが、海外生活の経験がある子どもです。同じような体格の子どもであっても、海外で生まれ育った子どものほうが20ヘルツほど声が低くなるという調査結果があります。体格的な理由以上に環境や文化が声に影響を与えているのです。」<S>
 声の低さということに注目ください。私が述べてきたのは、日本人は、体から出しやすい声より高めに使っているということです。特に女性に、その傾向が強く表われています。

 

10.五木寛之氏の聞いたロシア人の低声

 

 「私はある日の夕方、宿舎に帰ってゆくソ連兵たちの隊列と出会った。連中は自動小銃をだらしなく肩にかけ、重い足どりでのろのろと歩いてゆく。服装は粗末を通りこしてボロ布にちかく、どう見ても物乞いの集団としか思えない一団である。 突然、その隊列のなかのいく人かが、低い調子で歌をうたいだした。すぐに何人かが加わり、たちまち全員がそれに和して歌声が大きくなった。 なんという歌声だっただろう! それは私がかつて聴いたことのない合唱(コーラス)だった。胸の底から響くような低音。金管楽器のような高く澄んだ声。いや、声を通りこして心に響いてくるなにか奥深いもの。」
 これは、ロシアのバスの声の深さに感嘆したときの、五木寛之さんの文章です。
 「いまも、ロシアには詩の朗読をするコンサートがあります。人気のある詩人たちが朗読すると、二万人も集まったりするとききました。詩人たちがステージの上をいったりきたりしながら、ジェスチャアをまじえて詩を読む。観客たちはそれに聴きいって感動する。そういうコンサートなのです。 また、少し前にトルコのイスタンブールへ行ったときも、小劇場のようなホールで詩の朗読会がありました。ヒクメットという有名なトルコの詩人の詩を、名優といわれている初老の俳優が朗読するのです。 その朗読は本当に素晴らしかった。表情、抑揚、音の響き、強弱、緩急……。周りの観客はみんな涙ぐんで、ハンカチで目頭を押さえていました。言葉の意味はわからなくとも、私にもその感動が伝わってくる。あれは、やはり言葉のライブ感の魅力であり、音のもつ力ということなのでしょう。」(五木寛之さん)
 ロシアのバスは、すごい。ことばでなく音、つまり、声そのものの力なのです。私も欧米のミュージカルで一つの声に感動し、三つ合わさった声に涙したことがありました。このことを私は日本人の声に求めていたような気もします。

 

11.太い声のインパクト

 

 同様のことを米山氏もやや遠回しな表現で述べています。
「私の感じた第二点目は「群読」についてである。」(P153 <Y>)
「ところが群読に入ったときふと気がついた。もちろん声の高さも強さも違うのは当然であるが、セリフもよくそろい、テンポ、タイミングも見事である。しかし何かもの足りない。聴いているうちにそれが何であるのか次第に鮮明になってきた。
 もちろん声の高さも強さも違うのは当然であるが、セリフもよくそろい、テンポ、タイミングも見事である。しかし、何かもの足りない。聴いているうちにそれが何であるのか次第に鮮明になってきた。  音源になっている喉頭原音と、喉頭から下部に生ずる体全体を含めた体壁振動があるか否かの問題である。確かに声の音色は多彩で変化に富み、それなりに素晴らしいのであるが、各種の声の土台となって喉頭部分より下でつくられてささえる共通の響きがないのである。聴いていて群読全体としての声の根底に大きな不安定感をもった。」(P154<Y>)

 そして、その不満への解決へのヒントを、それと異なる別の体験から、次のように語っています。「受講者たちは第一段階では発声を離れて呼吸法を中心に学び、ある程度会得した段階から少しずつ声をつくるところに進む。この発声に入る段階で、呼気の流れに乗せて各自勝手に声を添えるように指示する。言葉ではなく、単一母音(各自勝手の母音、曖昧母音でよい)、音の高さ、強さ、持続、音質とも個人の自由である。この場合「声を出す」ということを特に意識させないように、母音も明確な構音ではなく、「ウ」でもなく「ア」でもないような曖昧な声(動物のうなり声のような感じの音)を乗せながら呼気を送り続ける。
 このようにして発せられた声の集合音は不思議なことに、なんともいえないような溶け合った音になるのである。老若男女、ジャンルも違う人々の声が音色や声の高さの違いなどは適当に混合されてはいるが、ベースになってささえている声というか音の基盤のようなものがあって、集合音全体に大きな安定感を与えているのを何回も経験していた。群読に欠けていた一点はこれだと直感した。」(P154 <Y>)
 私のことばでは、声のバスドラ、日本人の声や合唱は、ドラムでいうとハイファイ(ハイハット?)ばかり響いていて、深く振動する基調のベース音がないということなのです。

 

12.[ベルティング]について

 

 これらのことを欧米の本で述べたものを探したところ、日本語訳してあるものに、「ベルティング」ということばで説明がありました。
 「ベルティングとは、大きな声で、とても豊かで、エモーショナルなサウンドを、胸声を使って歌うスタイルの一種です。ベルティングは、通常頭声に切り替わる喚声点を越えた高いピッチを、胸声区を拡張して使い続ける歌い方を指します。このような歌唱スタイルは、ミュージカル、ゴスペル、ロック、ブルース、R&Bなどで使われます。ベルティングという用語は、また一般的な感覚で表わすと、男性と女性の両方の、力強く、エネルギッシュな歌い方を意味しています。」

 「ベルティングには主に2つの学説があります。1つめは、中声区で胸部共鳴をブレンド(溶け合わせる)するか、またはミックス(混ぜ合わせる)すると考える説です。2つめは、胸声は混ぜ合わせるのではなく、練習を通してその声区の大きさを徐々に拡大させていくと主張する説です。ポピュラーミュージックでは、ベルティングは正当な歌唱の方法として認められています。健全なベルティングは、シンガーが声の健康維持に気を配り、使いすぎを避け、常識を心がけながら歌うことで達成できます。」 なぜベルティングには特別な注意を必要とするのか? 1.ベルティングは、長時間、高く、大きな声で歌うことを意味します。 2.ベルティングで歌われる曲は、特性として感情移入が強いため、シンガーは、のどや発声器官の周囲に不必要な圧力を加えてしまう傾向があります。特に女性の場合、中声区に通常よりも重さを加えてしまう傾向があるので、無理に声を押し出すことに注意しなければなりません。 3.シンガーは、ときどき健康管理や声の健康法に関して基本的な常識を無視します。そして、激しい歌い方と貧弱なテクニックが合わさると、深刻な声のトラブルを引き起こします。 4.多くのシンガーは、発声のメカニズムのデリケートな仕組みについて無頓着で、自分は声の問題に対して無関係だと思い込んでいます。」 「開放胸声は、シャウトすることに類似して、低音区が可能な限り高く押し上げられた歌い方であるといえます。開放胸声を無理に高音域まで届くように強制することは、非常なダメージを与える可能性が秘められます。

 一方、ベルティングは、高い音をミックスする、もしくは徐々に高音域まで胸声を延ばしていく、といういずれかによって、歌い方の質で高い音をアプローチすることを意味します。ベルティングにはさまざまな方法があります。しかし、高いピッチへアプローチするために、叫ぶことやシャウトすることを勧めるような指導者には、耳を貸さないようにしましょう。」 「ベルティング(belting)……歌唱スタイルの一種。胸声区を拡大するか、または胸声区を高い声区と混ぜ合わせて、音量豊かで、エモーショナルで、満ち溢れるサウンドを創る。ベルティングは、ミュージカル、ブルース、ロック、ポップのジャンルでよく使われる。 胸部共鳴(chest resonance)……胸部共鳴。歌ったり、話したりするときに、のどの下から上胸部あたりが振動する感覚。これは、胸でというより、むしろ咽頭の下部で発生すると思われる。低音域または大きな声で歌う場合に感じやすい。」 「あなたがいつも中声区全体で頭部共鳴の大部分をブレンドし、充分な呼吸のサポートを維持し、健康状態がよければ、声帯を痛めることはほとんどないでしょう。しかし、これについての確かな保証はありません。ポピュラー・ミュージックと同様に、オペラも力を入れすぎて歌われます。ベルティングをするシンガーは、先生と話し合って、筋肉の余分な緊張を最少に抑えるために声の健康管理にきめ細かい気配りを心がけましょう。」

 

13.胸の打撃音

 

 声楽家のなかでも、私に近い立場で考えているのは、森明彦氏で、私も日本人として世界レベルにあったと評価する山路芳久さんの師です。
「ベルカントは決して浮いた声ではない。日本人の場合は、胸に落ちて歌っているから、響きは上ですというと、カスのようなひ弱な声で歌ってしまう。上の方はキラキラ声、中声区はひ弱な声で歌っている人が多い。上から下まで統一したものをもって、上を歌っているのではなくて、ベースは持っていないわけです。イタリア人は、常に“胸の打撃音”、ドイツ人は“胸に音を坐らせる”と表現されるベースを持っている。日本人は、響きは上ということを強調しすぎるために、ベースをおろそかにしてしまって、支えもなにもない状態で歌ってしまうわけです。響きだけを追い求めている。声をひくのも悪いくせ。」(森明彦氏の「新発声入門」より)
 この支えこそが胸についた声、地に足をつけた個性のある深い音色をもつ声と思うのです。


 

 

(4)高音発声と音色-その高さと深さと大きさ

 

1.高い周波数を発する人が、高く聞こえるのではない
 日本人の聞き分けにくいのは、息と音色とリズム(グルーヴ)、このうち音色についての項目です。案外と常識的なことが誤解されているので、触れておきます。声紋分析の第一人者、鈴木松美氏の本からの引用が中心です。
<「高い周波数の音を発する人は声が高く、反対に低い周波数を発すれば低い声のように思えます。しかし、声にはもう少し複雑な要素がからんできます。
 たとえば、『有楽町で逢いましょう』などのヒット曲で知られる歌手、フランク永井は低音の魅力で売っていました。低音と言うからには、彼の声の周波数が低いかというと、そうではないのです。声帯の基本周波数でいえば、むしろ彼は高い声の人といえます。
 人間の出すさまざまな声の基本周波数を線で結ぶと、いくつかの山ができます。その山のことをフォルマントといいます。そのなかで(周波数の低いほうから)、第一フォルマント、第二フォルマント、第三・・・と区別して呼んでいます。このフォルマントのどこの部分が強く出ているかで、耳で聞いたときに感じる印象が異なってくるのです。つまり、高い声(高音)を出している人でも、第一フォルマントが強く出ていれば、低音がより響いて聞こえるのです。
 フランク永井の声は、第一フォルマントが強く出ているため、低音の魅力となるのです。それは彼の共鳴腔が、口腔の容積が大きい、エラが張った顔の形だからです。
 低音の魅力があるというのは低い周波数がより強く出ていることです。彼自身の声が低いこととは、同じではないということです。そのために、声の低い人が、フランク永井の曲を歌っても、キーが高くて歌えなかったということが起こるのです。」<S>>

2.日本人の声は低いがキーは高い
<「ある筒の中にいろんな周波数の音を通してみると、音の強さはすべて同じようにしているのに、それらの音すべてが同じように出てくるのではないのです。
 音を仲介する共鳴体では、音がそれぞれ固有の振動を起こすとき、ある周波数だけが共鳴体(この場合は筒の中)で共鳴を起こし、出口からはその強められた周波数のみが出てきます。ほかの周波数の音は弱められてしまい、出口では聞き取ることさえできなくなってしまうのです。
 つまり、もともと周波数上は同じレベルのエネルギーを持っていたとしても、出てくるときには、弱められた周波数と強められた周波数というように区別され、変換がなされているのです。
 どの周波数が弱められ、どの周波数が強められるのかというのは、共鳴体の形によって異なります。
 一般的には共鳴体が大きければ大きいほど低い音に共鳴し、小さければ小さいほど高い音に共鳴します。大きいものは低い音を出し、小さいものは高い音を出すのです。バイオリンとコントラバスの音を比べたら、わかりますね。このように音がどこの部分を通り抜け、どの周波数が外部へと出てくるかによって、聞く音には大きな違いが生じるのです。」<S>>

3.言語の周波数での違い
<「声の高さは、一般的にいわれるキー(音域)の高さのことですが、もうひとつ、日常的には高い低いで感知されない、周波数的に高い声というものが存在します。子音(破裂音、摩擦音)などは、母音に比べて、高い周波数を含んでいます。
 この周波数としての声の高さとキーの声の高さというものは必ずしも一致しないのです。
日本人の声は、周波数的には高いとはいえないのです。声の周波数に影響を与えるのは、言語体系による違いがもっとも大きいのです。そこからみると、日本語は言語としては高周波を必要としていないからです。高周波の音を多分に使っている言語には、スウェーデン語などがあります。日本人の声を高低から定義すると、周波数としては高くないが、キーとしては高いといえるのです。」<S>>

4.声が細い人は、太い声になれるのか
<「音色とは、波形で示される音の種類のことです。一般の音には、純音※というものはほとんどありません。私たちが聞いている音のほとんどは複合音です。純音とは単一の周波数の音で、その波形は「サインカーブ」、数学の三角関数の授業に出てくるようなきれいなカーブで示されます。自然界にはほとんど存在せず、時報の音が純音です。
 声は、複合音です。たとえば120ヘルツの高さで話していても、その上の240、360、480と整数倍で高調波(ハーモニクス)が乗ってきます。その高調波がどのように交わっているかによって、音色が違ってくるのです。
 たとえば、同じ大きさ、同じ高さの音でも、それがギターの音かバイオリンの音かはわかります。これは、それぞれの波形=高調波成分の分布状況が違うからです。この波形の違いが音色なのです。」(S)
「声は同じ大きさ、高さで出していても、誰の声かは、はっきりとわかります。これは音質が違うからです。声のイメージは、この音質です。これは、声帯と共鳴器官との関係などによって決定づけられます。ですから、トレーニングで太い声にはなれるともなれないともいえます。」(S)>

5.声の大きさ
<「日本人の声の大きさは、欧米人の声に比べるとかなり小さいといえます。音圧にして、3~4デシベルほどの違いがあります。」<S>
「日本人にとっては、人前で話すことや声を大きく出すことは、まだまだ抵抗があるのでしょう。
 欧米人は、そういう恥ずかしさを逆手に取るようなところがあります。洋画や海外のドラマなどを見ていると、自分が失敗をして恥ずかしくてしょうがないというときに、ひときわ大きな声で笑い飛ばす、なんていうシーンが少なくありません。自分の感情をどんどん前に押し出していくのです。そういうふうに、声で伝えるというのは、日本人にはあまりみられません。楽しいときには豪快に笑い、怒ったときには派手に怒声をあげるとよいのです。」(S)>


 

 

(5)日本人の母音発声と、外国人の子音発声の負担の違い

 

1.高音域発声について
高い音域からトレーニングを行なう方がよい人が、私の経験上は1、2割います。低いところではうまく声が出ないのに、高いところで楽に声が出るタイプの人です。  ここで中心とする1オクターブは、ピアノの真ん中のドから下へ1オクターブです。  話し声のなかでの高音域であっても、現在、ハイC(さらに1オクターブ上のド)まで使われているJ-popなどにおいて、このドは、中音域(の上)になりつつあります。しかし、俳優からすれば、不必要な高すぎる声といえます。ですから、私の基礎トレーニングからはのぞいています。私は歌での声の高さも、テンポも、日常での声の表現力をベースに考えるからです。

2.母音がのどに負担をかける
<「日本語の構造上の問題がある。つまり日本語の宿命ともいえる母音の使用量である。簡単にいうと母音の特性に次の二点がある。
 一つは、母音における口腔、咽頭腔、喉頭腔、喉頭蓋、喉頭室などが構音に及ぼす影響、特に共鳴スペースの形や容積の変化と母音構成の関係。
 もう一つは、母音の成立には必ず喉頭原音すなわち声帯振動によってつくられる音源を必要とすること。

 しかも日本語の子音は必ず母音を付加して使うから、声帯にかかる負担は大きくなる。日本人が日本語を使わざるを得ない以上、この点は避けては通れない。それなのに、母音の音源となる上手な声帯の使い方、すなわち声帯にかかる負担をなるべく少なくするような効率のよい発声方法と、言語構造と発音のしかたのくふうなどを教えてもいないし、教えられてもいない。その具体的な方式もなく、それをつくろうという研究すら行われていない。声の使用量としては最も多いと思われる教師、特に幼稚園から義務教育の教師、あるいは質的に最も使い方が悪いと思われる政治家、この量と質の面でワースト2の声を聴いてみればその惨状は明らかである。」(P83<Y>)>

ちなみに「日本語が声帯を傷める!? グルベローヴァやフィッシャー=ディースカウをはじめ、内外の多くの歌手の〈のど〉を診てきた声帯障害専門医が、日本人の発声に警鐘を鳴らし、幼児からの発声・発語教育の重要性を提言する。」米山氏の「声と日本人」本の帯に、このようにあります。

3.外国語による歌唱法との違い
そこから強い息で生じる音色で高音までとる外国人の発声に対しての日本語歌唱の弱点に言及しています。
<「母音とフォルマントの関係は外国語にあっても日本語と同様に成立するはずである。しかし問題の要点は日本語のように母音数が五つに限定されないことと、子音に必ず母音を伴うことがないという点であろう。複合母音、中間母音、鼻母音その他母音の数が多種類あるということは、歌唱の進行のなかで母音と子音の前後関係において、状況に応じて同系統の母音をうまく使い分け得る点、さらに音の高さにふさわしい種類の母音をもつ言葉を選択できる余地が生まれるであろう。また、子音だけを使える音の場合は数千ヘルツもの高い周波数でも発音できることになる。また発語機能においても、共鳴器官を効率よく利用する点ですぐれている。
 このように外国語歌唱の場合、日本語歌唱におけるよりもかなり許容範囲の広い発語表現が可能であり、それだけ共鳴効果を増すためのくふうもできるであろう。」(P167 <Y>)>

4.日本語は、声帯への負担が大きい
<「要するに日本では演奏活動のみでは経済的に生活しにくいから、止むを得ず教職等を主にせざるを得ないのである。
 さらに加えて、日本で教えるのには日本語で話すという前提があり、これには別項で述べたようにのどへの負担が大きい。音声障害も起こりやすくなるし、時間的消費量も増すから演奏活動を阻害する。」(P194 <Y>)
 「高い方の声域の限界は声帯の形や大きさだけではきまらない。もちろん短く、軽い声域の人の方が長く重い声帯の人より高音が出しやすいのは当然である。しかし前に述べたように緊張力つまり声帯を前後に引張る力の強い人だと高音もかなり出し得るし、さらに重要なことは声帯を薄くして(声帯筋、前筋などの働きで)、しかも声帯の辺縁つまり、へりの部分を一部だけ使う技術がうまければ高い音も出すことができる。たとえば長く、太い声帯をもった人は低い声域では声帯全体を振動させて発声し、高い声域になったときには声帯を薄くして、その辺縁の一部分だけを振動させるように使えば、振動部分が少なくなるので軽くなり、振動数を多くして高音まで出すことができる。」(P53 <Y>)>
 これは、低声は伸ばせないが、高声は伸ばせる可能性の大きいことを示しています。

5.一流のオペラ歌手は、低く太い声の声帯をもつ
<「日本人歌手と欧米人歌手を診断しての大まかな印象からいえば、日本人のソプラノ歌手は短い、細い軽量型のソプラノが多く、欧米人のそれはかなり長い、太い、重量型のソプラノが多い。というより欧米人には日本人に多い軽量型の人が少ない感じがする。」(P56 <Y>)
 「日本人の場合、大型の声帯をもっていても高音の発声技術が未熟なために低い声種を選ばざるを得なくなり、高音の発声方法を学ばないまま低声種に安住してしまうケースもかなりあるようである。後章でも触れるがロシアのメゾソプラノ歌手のオプラスツォヴァは、五十歳を超えてからソプラノ歌手の領域の高音域をマスターし、現在素晴らしい発声でソプラノのアリア、歌曲を聴かせてくれる。」(P56 <Y>)>

6.クラシックで高音が発音不明瞭となるのは~ 母音発音と高音発声の両立の可能性
<「日本語の宿命として前にも述べたようにほとんど全部の子音に母音が付加される。しかもその母音は五種類に限定される。したがってその五母音の発音処理がうまくゆかないと語音明瞭度が落ち、歌詞の意味が不明になる率が高くなる。つまり何を言っているのか分からなくなる。母音を明瞭に発音するためには、すなわち母音それぞれのフォルマント構造(音響特性)の成立が必須条件となる。各母音の音響学的成立条件と、作曲される曲の音の高さが両立できない場合が起こると、その母音は不明瞭になってしまう。各母音性維持のためにはそれぞれの母音のもつ音響特性、つまり第一、第二フォルマントの確立が最小限度必要になる。」(P165<Y>)>
<「前述した日本語母音フォルマント表(一四七頁、図13)で見ると、日本語母音の第一フォルマントの位置が最も高いのが女性の発声する「ア」母音で、八二〇ヘルツ(g2が784ヘルツ、gis2で八三一ヘルツ)以下におさまっていれば歌詞のなかでの母音性は成立するから、フォルマントの位置の移動が大きく変動しない限り歌詞の内容はほぼ明確に聴きとれることになる。
 ところが八二〇ヘルツ以上の音になると第一フォルマントと最も高い「ア」を含め、倍音がそれ以下になるものを除き各母音性がかなり失われる。つまりこれ以上の音域で歌うと歌詞の母音性の減退によって内容が分かりにくくなる。すなわち各母音を特徴づける音色を保つためには基音の周波数はある限度までしか上げられず、その倍音もフォルマント域に入っていなければならない。」(P165<Y>)>
<「ソプラノ歌手がよく歌う「ヴォカリーズ」(母音唱法)という歌唱法があり、ラフマニノフやラヴェルのものが有名である。この場合も周波数のある高さ(少なくともa2)を超えた音では母音性の確立、維持は成立しにくくなる。五母音の第一フェルマントに相当する音をほぼ包含するようにつくられていると思われる日本のいわゆる「語りもの」のジャンルでは、歌詞の意味を伝えるという点では合目的的である。もっともこれらのものの意味が通じなかったらそのジャンルの存在理由もなくなるであろうが。
 歌唱言語において共鳴効果を優先すれば構音位置がずれ、各母音の母音性を規定するフォルマントの変移によって母音の明瞭度が悪くなる。音韻性を重視すれば共鳴効果に最も有効とされる高次フォルマントの集約(いわゆる歌唱フォルマントの形成)は破壊される。この両者の対立性をいかに統合するかが大きな壁である。」(P165<Y>)>

7.日本語での高音歌唱への対策
<「① 母音の多様化をくふうする(共鳴腔調節による母音性のくふう)。歌唱に際して五母音にこだわらずに、中間母音、複合母音の設定、あるいはより有効な母音への偏移。これは個人差もあるし、前後に置かれる語音によっての変動ルールを設定する研究。
② 子音を効果的に強調するための音韻の変化、つまり別の子音の付加、あるいは省略。具体的方式については、声道の上下への調節や舌の上下、前後の移動、下顎の開き、咽頭腔の形、など構音調節のくふうなどをはじめ、音韻学、音声学、作曲家、作詩者、さらに演奏者も加えた必要諸分野の専門家たちの協同研究が必要となる。
 日本語と洋楽歌唱の問題はほかにも追究、検討すべき点は多くあろう。日本語による歌唱法、または歌曲創作法がいかにあるべきか、母音の組み合わせによる日本語独特のフォルマント構造をいかに歌唱、創作の上で効果的に利用できるか、などの点も含め、今後の課題となろう。」(P168<Y>)>
 ちなみに、これは声楽においてのことであり、ポップスとはマイクによってこの問題に対面するのを回避してきたといえます。ですから、声楽の高音発声(テノール、ソプラノ)は必ずしも、ポップスにストレートに使うものとはなりません。このあたりも、ヴォイストレーニングを混乱させている要因です。むしろ私は、言語レベルにおける母音から、子音優先の感覚への切り替えを主と考えています。


 

 

(6)発音のまえに発声あり

 

1.発音より発声を優先する
<「発声指導において、喉を開けるフォームを一定にすることを優先して発声させるために、母音を本来の形ではっきり発音させない手技を使っています。  母音をはっきりさせて歌う演歌や日本語のミュージカルの場合は、母音に伴って舌根が激しく上下すると思われます。それに連動する喉頭の上下運動と声帯の上の空間の共鳴腔が広くなったり狭くなったりする変化が、とても大きくなるでしょう。  歌う際に母音の発音に伴う喉頭の上下運動を極力抑えているのは、母音を1つの固まりとして捉えることによって舌根と喉頭の上昇を抑制し、共鳴腔を一定の広さに保つためだと思います。」(H)>

2.外国人のすぐれた日本語歌唱
<「古いところでイベット・ジローがシャンソンを日本語訳でしばしば歌ったことがある。日本語としては多少アクセントに変なところがあるが歌詞は明快で、日本人の歌う日本語より私にはよく分かったのを記憶している。シャンソンであるから語りに近い曲が多い。語りものなら日本人の方が得意なはずであるのに、語音の響きの美しさは比較にならない。フランス人が小学校から徹底して学ばされる詩の暗誦の成果であろうか。しかし彼女らは日本語を学ばされたわけではない。」(P163<Y>)>
 素人のど自慢などでも、外国人の歌唱力、発声力には驚かされます。神父のゴスペルなどプロ級です。というより、プロなのです。歌も言語的感覚で処理されているのが、海外では一般的なのです。

3.声のスピード~外国人は休んでいる
<「日本語と英語のニュースで、同じ内容を伝えるためにどれだけの時間を要したかを測定してみました。その結果、日本語では14秒、英語では21秒でした。さらに、10分間で何音節話しているかを調べると、日本語では160、英語では110でした。
 日本語では少ない時間内に多くの語数を費やし、より多くの情報を伝えようとしていることがわかります。つまり、日本人は早口だということになります。
 このスピードの違いは、英語ではひとつの単語を伸ばして話したり、強調するための間などが多く見受けられるのに対し、日本語では比較的どんどん言葉を進めていってしまう傾向の違いによるのでしょう。」(S)>


 

 

(7)日本語アクセントと音楽的処理(「メロディ処理」の理論)

 

1.日本語にも音楽的要素はあふれている
 これまで、日本語の音声表現における欠点をたくさん述べてきましたが、ここでよいところも含めて、まとめておきたいと思います。  カ、サ、タ、ハ行の清音が美しく、ガ、ザ、ダ、バ行の濁音が汚いと一般的に言われていますが、音声物理学では、sやkは噪音で、gやzの方が楽音です。ですから、音そのものでなく、その音のきれい汚いは、そのことばが何を示すのに使われるか、誰が多く使うかということからきているようです。金田一春彦氏は、濁音は京から離れたところでよく使われていたから、汚いと感じられるのではないかと述べています。  アフカディオ・ハーンは「町を行く人の日本語はすべて歌のように聞こえる」と書きとめたといわれています。たとえば関西以南のことば、特に京都弁などにはメロディックな美しい感じがよくでています。参考までに、私がこれまで訪れた国ではポルトガルがそんな感じでした。  外国人の声に対し、日本人のはどうも平べったい気がするというのに対し、金田一氏は、外国人が日本語を使うときにもふくらんで聞こえるので、これは日本語の発音のせいではなく、発声の問題だといっています。まさにその通りだと思います。  となると、外国人が日本語を使っているときの発声をまねするのも、一つのヒントです。もちろん発音やシラブルなども大切ですが、イントネーションなど、日本語らしくない点はのぞきます。純粋に声のみを学ぶのであることは言うまでもありません。  そこで、外国人が日本語で歌ったむこうの歌や日本の歌をよく聴いてみましょう。(ミュージカルにも多い)  同じ日本語の歌なのに、声のヴォリューム感、メリハリのつけ方、構成の仕方が随分と、違うでしょう。安定はしていても、薄っぺらい声よりも、生命感にあふれ活き生きとした声を求めたいものです。聞いただけで元気のでる声、これが理想ではないでしょうか。

2.高低アクセントでメロディをつける誤り
 本居宣長氏は、大正十年頃、日本語の歌詞のアクセント問題に取り組んでいました。
 山田耕作氏よりも早く、決まりきったアクセントでなく、ことばの調子によっても変わることなどに対応させていました。日常会話では、語尾がだらだら下がるから、メロディはアクセントに反しても構わないというような進んだ考え方でした。さらに高低低低のアクセントをメロディにのせるときは、四分の二拍子の曲なら、第一、二拍とも高くても歌いやすいなどと述べていたようです。  これはブレスヴォイストレーニングでの、高低の変化を強弱の変化によってのみこんでしまおうという日本語の音楽的処理方法に近いと思われます。  日本語は高低アクセントが中心で強弱アクセントは強くありません。英語などの強弱アクセントの言語では、語尾の母音がよく落ちるのに日本語はあまりそういうことがありません。
 しかし、これからは母音が落ちていくでしょう。今でも「そうです」が「そです」「そす」などとなってきていることでわかります。  すると、そこに強弱がつきやすくなるでしょう。いや強弱のリズムをつけていこうということでこうなってきたのではないでしょうか。

3.山田耕作氏の誤り
 日本の歌は、山田耕作氏によって、基礎が成立したといわれます。山田氏は、ことばのアクセントをもとに、メロディをつけていく試みをしました。
日本語は、高低アクセントですから、ことばのアクセントに応じて高い音、低い音を割り当てていったのです。これによって、ことばとメロディの高低が一致して、ことばの意味が聞きとりやすくなったのは、事実です。

 日本語ではアクセントが逆の形(高→低)と(低→高)で意味の変わることばも少なくないし、意味をなさなくなることもあるからです。
 日本語は音は同じでも、文字が違えば、別のことばだという意識が強いのです。同じケイコ(Keiko)でも恵子と桂子は全く違うと思うわけです。同音異義語が多いため、どうしても字を中心に判断します。場合によっては、一番と四番のことばのアクセントが違うためにメロディを変えることさえ行なわれました。作詞家と作曲家が手を組んで協力したのです。  この試みは、大きく評価されていますが、私からみると、歌い手の力不足のための苦肉の策といえます(その代わり、一音をピッチでとらえて、一つずつ次に続ける感覚が固定してしまったのではと、私は思います)。

 演歌の歌手は、ことばを高低アクセントを感じさせずメロディにのせて伝える技術をもっています。残念なことにポピュラーの歌い手は、ほとんどそのレベルに到っていないのも事実ですが(とはいえ、演歌や歌謡曲も「歌声ことば」でかなり声楽に似た処理法ですが)。
つまり、山田氏以来の日本語に忠実にメロディをつける試みは、歌い手が楽譜に一〇〇パーセント忠実に歌うことを前提にしたときに生じる問題への解決策に過ぎないのです。
歌い手が大きなフレージングとメリハリをつけ、ことばをしっかりと伝えることをできる力があれば、歌のなかに高低の問題は、歌い手の技術のなかで消化できるのです。  音の高さによって、音色の違うような発声でなく、全く同じ太さの声に使う音域内で統一して使えればということです。音の高さによって、発声が変わらない声を出すこと、これには太く強く大きく、音色を統一させることが必要です。さらに、もう一つ、ことばを伝えるためにことばのフレーズをつくり、それに忠実にメロディを処理することです。

 日本の歌い手に欠けている声の魅力も、こういう基本を踏まえたら、きっと解決するでしょう。それは外国人の歌い手が日本語で歌うのを聴くとよくわかります。[とはいえ、J-POPSはかなりことばを犠牲にしたリズム優先(といってもグルーヴでなく、音響に依存した点打ち的な歌唱ですが・・・)になってしまいましたが。(拙書「人に好かれる声になる」参照(祥伝社))

4.日本語の拍(V+C構造の日本語)
 「日本」をニッポンと四拍で言う感覚がないので、ニポンとなります。つまり、日本人が四つのことばに分解して、それを均等に四つの拍においていくのに対し、むこうは、ジャ パンという二つの音で捉える感覚と同じに知覚するのです。  「日本の着物」が、ニポ(ン)ノ(ウ)キモ(ウ)ノ(ウ)となります。しかし、考えて欲しいのは、この方がニホンノキモノより、音楽的に(強弱がついてリズムカルで)表現しやすいということです。  「討論会」というと、ト(ウ)・ロ(ン)・カ(イ)で、日本人の六音が、三つで捉えられてしまいます。
 先に述べたように、英語では、たとえばcatと子音で止めます。しかし日本語は、これをキャットcattoと母音をつけないと止められないのです。


 

 

(8)声楽の方法と信憑性

 

1.日本人の耳と評価のポイントのズレ
[日本では全く評価されなかった中丸三千繪さんの声]  世界の四大コンクールを制したソプラノ歌手の中丸三千繪さんのインタビューを聞きました。中丸三千繪さんは、ルチアーノ・パヴァロッティ、マリア・カリニア、フランチェスコ・パオロ・ネリア、そしてマリア・カラス国際コンクールと、オペラ歌手の登龍門といわれる世界の四大コンクール全てに優勝したソプラノ歌手です。(一九八八~一九九〇年)その中丸三千繪さんの話を引いてみたいと思います。
 <「私は、日本でいい声と言われたことは一度もないのに、イタリアでは皆が”ベラ・ボーチェ(いい声)“と言ってくれた。私は、日本にいたときは、先生にいろいろ言われても自分の考えは決して変えませんでした。そのため、全くいじられていない声、それがあちらでは非常によかったというわけです。」 「実は、日本人がいい声だといっているような声は、イタリア人からすると、全然芯のない声なんですよ。ベルカントというのは芯のあるハガネみたいな声ですから。」 「二期会の研究家にいたとき、私が留学してコンクールを受けようと思っていると言うと、ある女の先生に、そんなことを人前で言うと気が狂っていると思われると言われました。」 「私の声そのものは、今も大学のときと変わっていないわけです。」>
 どうでしょうか。これだけで判断するのはよくありませんが、現在の日本の声楽界でさえ、まだこの程度の器量の狭さ、見識のなさなのです。まして、ポピュラーを歌う人、教える人、そして日本人全てに声の善し悪しというのがどのくらいわかっているのかというと心細い限りです。

 特にヴォイストレーナーには資格はないので、安易に音大出身のトレーナーがやることになります。やっていることは音程、リズム(というより、テンポ)をとるための楽譜の歌い方に発声です。これでは四年制の音大を出てもポップス一つまともに歌えない人(が多いのですが)のレベルにさえ、到達できないでしょう。  日本人には日本人の好む声や発声というものがあるということで終わらせるのは簡単です。しかし、それが世界のなかで、唯一、ことばと音楽がかけ離れたまま、歌を皆が本当に本心から楽しめない原因になっているとしたら、声への大きな意識革命も必要なのではないのでしょうか。

2.声楽について
 声楽の分野で私が支持している考え(声楽家、渡部東吾氏の研究による)をあげておきます。有名な発声本の受け売り一辺倒の、日本人の指導法に警告したものといえます(私は声楽家ではないので、声楽に関しての判断は、ここでは揚げません)。

<<ガヴァリング(デックング、被せること)>-1830年 G.L.Dupres(テノール)提唱
「喉頭を下げ、口蓋を上げて、口のなかを広く大きくして発声、音色を暗くしたり声区転換点での破端(ひっくり返ったり、開きすぎたりする)を覆う。さらに大きな響きが得られる共鳴の技術。
→自然な共鳴を舌を無理に下げ、口を丸くして口腔に引き込む形で不自然な声となり、発声、音程、呼吸の効率も悪くなるので、根本的な解決ではない。代理技術にすぎない。」

<発声配置-G.B.Lamperti>リリー・レーマンの共鳴の知覚図
「振動の感覚を捉えて共鳴のつけ方を訓練する。
→正しい発声(共鳴)の結果おこる振動を先にさぐりあてて、共鳴を起こそうという考えで、順序が逆。振動するのと振動させるのは、声帯の働きはまったく別になる。振動の伝わり方は個人的なもので、心理的なもの。聴くことより、見たり感じることが重視される。共鳴と振動の混乱、音に方向性をもたせるのも不自然といえる。」

<鼻腔共鳴>-Jean.de.Reszke、提唱
「→口腔、鼻咽頭は音量の増強という意味での共鳴には影響なく、エネルギー保存からはマイナスに働く。鼻腔は、鼻のなかに音が流れ込むこと自体疑わしく、共鳴を起こすことはない。咽頭の筋肉の緊張が原因で、それを通じ振動が鼻の方へ伝わるとされている(音声科学による)。つまり、逆効果となる。」

<クラシック的な声>
「得体もしれない強烈な音質観念。自然な音作りを型をはめてしまうもので、クラシックの名のゆえにまだまだのん気に構えてられる面が残っている。」

・間違った指導でよく使われることば
 ブレスをコントロールする
 ヴィブラートをかける
 発声器官を調整する
 声(響き)をあてる
 声を前方(上方)に向ける
 鼻腔共鳴に集める
 軟口蓋を上げる
 咽頭の位置を下げる
 声をかぶせる

・正しいトレーニング
 リラックス
 単純なトレーニングの繰り返し
 感覚(声の判断力)を磨く
 声を統一する
 音声イメージを構築する


○<笑い顔発声>の罪
似た考え方を、先述の本から引用しておきます。 「ところで、顔の筋肉は首の筋肉などともつながっているわけですが、頬の筋肉を上げると首全体の筋肉も上がるので、当然喉も上がることになります。それに悲しい内容の歌を歌うとき、笑った表情で歌うのは無理があろうというものです。喉の周り、とりわけ首の筋肉が緊張していては良い声は出せません。顔の筋肉だって同じことなのです。ぼんやりした表情で下あごを斜め後方に開けると、顔の筋肉は緊張しなくなりますし、喉をリラックスして声を出すことができます(リラックス感を会得するには時間を要しますが)。」(H)

○H.マスケラと頭声発声、鼻腔共鳴の真実 <「イタリアでのレッスンの折、ボローニ先生からよく「マスケラ」と注意されました。そのたびに鼻腔を意識して歌いましたが、マエストラからは「大変良い。でも少し違う」と言われます。それである日、思うところがあってまったく逆のことをやってみました。「マスケラ」と言われるたびに、声を体の中にしまいこむように歌ってみたのです。当然、声は顔から離れて首の中へ。首の後ろや背中といった所から出てくる感覚になります。自分の声が耳の後ろから聞こえるような感覚で声を出したら「そう! それよ! 見つけたじゃない! それがマスケラよ!」。  その時、鼻腔を意識するより、喉の位置を低く保って声を出せば、マエストラの言うマスケラに当たった声(鼻腔共鳴の強い声)を実現させうることがわかりました。しかしそれはそれまでに考え、感じ、実践してきたこととはあまりに距離があって、とまどったことは言うまでもありません。口は両鎖骨の中央のくぼんだ所に、声帯は胸骨の中央にあるような感覚で、そこに声をじっと保ったまま出す感じです。「胸からまっすぐに声を出す」と言ったらいいでしょうか。ですから顔に声が当たる感覚はまるでなく、決して首から上に声があることはありません。声が横隔膜に跳ね返って出るような、体中が共鳴体になっているような状態、まるで首なし人間にでもなったような感覚です。)(H)>


 

 

(9)音色と[抵抗]について

 

1.純音
<「NHKの時報の音は、純音です。「プ、プ、プ、ポーン」は「プ、プ、プ」より「ポーン」のほうが高い音で、この周波数は、最初が440ヘルツ、最後の一音だけ880ヘルツとなっています。周波数が大きいほど音も高くなるので、時報は最初の3音に比べて、最後の一音に倍の周波数を使って高音を作り出しているのです。」(S)>

2.ピッチと音程
<「たとえば、美空ひばりさんの歌には、ビブラートによって、効果が顕著に表われています。『川の流れのように』では、「ド」なら「ド」の音階で歌うべきところであっても厳密な「ド」の周波数をほとんど発声していません。その上下の微妙に違う周波数(高さの音)を発声しています。しかし、そこで規則正しく周波数変化が行なわれているため、聞き手には「ド」の音が聞こえます。しかも周波数の高さと音の周期が反比例しているため、「1/fの揺らぎ」も生じ、α波すら発生させてしまうのです。
もう一つは、周波数ゆらぎです。100ヘルツの音が聞こえますが、実際は100ヘルツの音は出していない状態です。あるときは130ヘルツ、あるときは70というふうに、中心周波数は100なのですが、70から130の間をゆらいでいるものです。」(S)>

3.こぶしと泣き(音色)
<「こぶしはある意味で「泣き」が変化したものではないかと考えています。「泣き」といっても、すすり泣くような感じのものではなく、ちょっと声が詰まるような「ウッ、ウッ」という嗚咽に近いものです。実際に「こぶし」と「感極まっていまにも泣きだしそうな瞬間の声」というのは、周波数の変化がよく似ているからです。」<S>>
(f.さわりP)

4.日本人はかすれ声が好き
<「日本人は、森進一さんや八代亜紀さんのようなハスキーな声を好みます。
尺八の渋い音色は、竹林をわたる風の音を理想としているそうです。風の音や虫など、自然の音は、かすれています。日本人が四季激しく移ろう日本の風土で育んできた感性、木や紙で作った家に聞こえてくる、風や雨の音に敏感に暮らしていたからでしょう。
 日本人の好む音色に、サワリといわれるものがあります。これは、琵琶などで、弦の下にある小さな柱(フレット)に弦がかすかにふれ、うなりが生じることです。
逆に日本人の浅い声の歌がどうして一つの音色でそろっていないのに、日本人には通じてしまうのかという理由にもなりそうです。
 肉食の欧米人は、立体的な顔であごが発達し、厚みのある体をしているため、体全体に共鳴させて発声します。日本人は、薄い小さい体のため、のどで絞って出していったのかもしれません。日本人の声は、のどの奥から上の方へあがっていくようで、カン高いのです。」(S)>

○息のもれる声、かすれる声(声立て、呼吸消費量)


 

 

(10)日本語の特質について知る

 

 日本語の特質について知っておきましょう。

1.一音に一つの音がつく

 日本語の犬は「いぬ」で、「inu」2音、英語なら「dog」で、一つの音で「ドッグ」とはなりません。「いぬ」は逆にすると「ヌイ」となりますが、「ドッグ」は逆になりません。
日本語は語順をひっくり返したり、しりとりすることもできます。これは日本語が、発音の単位が少なく、仮名一つひとつで切って発音できるからです。一つひとつを拍と数えます。サクラは三拍となります。日本語の拍数は100余りあります。(私はことばそのものと拍で分けた音の組み合わせは同じとはみていません。) 五十音図は、その音の組み合わせで、すべての単語ができるため、音の書き表し方を覚えると、日本語は何でも書けます。そのために、発音や聴音よりも読み書きで習得されてきました。これが音の聞き方やリズムについて、日本人が劣る要因の一つになったと思います。  英語は、「dog」「cat」と単語ごとに発音とともに書き方を覚えなくてはなりません。「dog」「cat」と、それぞれ1拍の単語ですから、拍の数はとても多くなります。「monkey」や「tiger」は2拍です。[参考:金田一春彦(日本放送出版協会)以下、<K>]

2.日本語は、拍の種類が少ない

 桜は、サ・ク・ラで3拍、音素、サはsaでsとa、日本語だけサで最少の単位となります。音で100余りというのは、50音の他に、鼻濁音のかきくけこ、キャ、ギャキ゜ャ、シャ、チャ、ジャ、ニャ、ヒャ、ビャ、ピャ、ミャ、リャ、ッ、ー、ヲ、ャ、ュ、ョになったものがあるからです。 EX ヲ…強うございます(つよwo-ございます)

拍は北京語で411、英語で8万くらいあります。ハワイ語は少ないようです。  拍が少ないと、文字で書き表しやすいので、日本では、小学校一年生で、知っていることばはすべて書けます。英語は習わないと書けません。日本の文盲が少ないのは、ひらがなのおかげともいえましょう。しかし、そのため、発音が同じで意味が違うことばがたくさんでき、しかも、長くなります。  may(1拍)→かもしれない(6拍)  must(1拍)→しなければならない(9拍)  長くしないため、日本語では、同音異義語が多くできます。このため、数字の記憶術などには、日本語は便利です。たとえば円周率は、「才子異国に聟き、子は苦なく身ふさわし、炉に蒸し耳病(やみ)に泣く」で表わせます。  日本語の古来の歌は、最初2拍をくっつけてから声を伸ばします。一音で伸ばすと意味がわからないからです。むこうの曲は、1音目で伸ばすことが多いようです。  日本語の拍は、一つの子音と一つの母音とででき、母音で終わっています。全部の拍が母音で終わる言語は、ポリネシア語やイタリア語です。

 ニッポンは、中国でnit-p*n(2拍)、韓国でil-bon(2拍)ともに1拍目、2拍目とも、子音で終わっています(中国語、韓国語は、子音でも母音でも終わります)。
子音では、母音に比べ、声のよしあしもあまり聞かせられないのです。ただ、イタリア語などに比べ日本語は、口腔の奥の音であるガ行が多いのが残念です(カ、サ、タは発音しにくい)

3.「ン」「ッ」「ー」を一拍と数える

 「ン」、「ッ」、「ー」は、順にハネル音ツメル音ノバス音です。これが一つずつ一拍となっています。外国語では、これらは一拍にしないことが多いので、大体、短くなります。「にっぽんの」(5拍)は「ニッ・ポン・ノゥ」(3拍)となってしまうのです。そのため、外国人が日本語を話すときは、独特のイントネーションとなります。  逆に、私たち日本人が外国語を話すときには、「カタカナ英語」(1音ずつ母音で終わる)になりがちです。

 外国語は、ハネル音やツメル音は、一拍でなく似たものは前の方へくっついて一拍になります。Shouldはシュッド(4拍)でなく、1拍なのです。ですから、私たちが英語できちんと歌おうとすると、ことばが遅れて余ったりします。  金田一春彦氏は、オ・チャ・ワ・ンを覚えるときに、オチャワでなく、オチャワンのンをしっかりと教えるように言っています。  ちなみに外国語は強アクセントがこないところは、かなりいい加減に発音しています。「ン」がついたら負けのしりとりなども、「ン」が、日本語では一拍にしているからです。「コンバンハ」も「コ・ン・バ・ン・ワ」で「コン・バン・ワ」ではありません。しかし、方言では必ずしもそうではありません。コナスンブン(こんな新聞)などといっています。 (上海、広東語、マヤ語、ヒンディ語、ギリシア語なども、ハネル音、ツメル音を一拍にしているようです。)

4.高低アクセントと強弱アクセント

 日本語には同音異義語が多く、高低アクセントで使い分けされています。一つひとつの単語についての高さや強さの配置のきまりです。高低アクセントには、中国語、ベトナム語、タイ語、ビルマ語などがあります。

 それに対して、英語は強弱アクセントです。たとえば、abstructでは、アクセントが前にあれば形容詞(抽象的な)、あとにあれば動詞(抽象する)になります。  もちろん、日本語でも強弱はつけます。ただし、きまりはないのです。  強弱アクセントが中心のことばは、音楽でも、ことばのリズムの強弱にあわせて、歌詞がつきます。4拍子なら、強、弱、中強、弱ですから、1拍目か3拍目に強アクセントがくるようになっています。弱アクセントではじまる場合は、2拍目か4拍目につけます(弱起)。
 日本語は、その点、自由にどの拍からも始められます。その結果、欧米の曲は、リズム中心、日本の曲はメロディ中心になるともいえるのです。
 音楽のメロディは、高低に動きますから、日本語は強弱のリズムの制限を受けない分、高低のメロディにうまく詞をつけることが求められます。しかし、これも絶対的な決まりではなく、メロディ(ピッチ)が低いところから上がるのに高いアクセントからはじまることばをつけていることも少なくありません。

 日本語の歌を聴いて詞の意味がわからなくなるのは、音が伸びたときに、一つひとつの音で伸ばすことと、高低アクセントが守られていないのです。
 歌詞のアクセントに注意してメロディをつけている人もいます。詞によってメロディを変えていた人もいます。ことばのアクセントが違うために、メロディを変えるか、メロディに合うようにことばをつけるわけです。これは本来、歌い手の技量さえあればカバーもできるのです。
 中国語も高低アクセントですが、四声といわれるようにさらに複雑です。  タイ語では、中くらいのアクセントも含め三つあります。そう考えると、日本語のアクセントは案外とシンプルなものです。拍が子音+母音でできているのもシンプルです。  さて、東京と関西の高低アクセントはよく反対になります。  東京のアクセントは、高低低、低高高、低高低の3つです。最初が高ければ次に低くなり、一回低くなったら高くなりません。最初が低いものが、必ず上がるわけです。有坂秀世氏は、このアクセントは、ことばの始まりを示しているといっています。これでことば(単語)のまとまりがわかるのです。 (EX にワノさクラがちっテしマウ:カタカナのところが強アクセント)

○日本語の高低アクセントの特徴
 音の高いのを高、低いのを低として表記してみると、日本語には、いくつかのルールがあるのがわかります。
2拍 (1)低高 (2)高低 (3)高高(=低低)
 必ず、低高か高低ではじまり、低低や高高ではじまるものはありません。
 高低高がないのは、高-低高か高低-高となり、2つのことばに聞こえるからです。
3拍 (1)高低低 みどり
   (2)低高低 おかし
   (3)低高高 さくら
 3つの組み合わせでは、高高高、低低低、高低高、低低高がありません。
つまり、日本語は、1拍目が高なら2拍目は低、1拍目が低なら2拍目は高しかないのです。つまり、高から低になったら、もう高になりません。
 よくみると、高低低、低高低、低高高があり、高低高がないのは、低から高になったら新しい単語となるのです。
 4拍では、高低低低、低高高低、低高低低、低高高高しかありません。
 つまり、文を長くすると、どんどんと低くなるので、文頭で高めに入ります。一音目がはっきりしないと、文意もわかりにくいので、「高出し」するわけです。冠詞など、重要でなく、強アクセントのないことばが頭にくる英語とは、ここも正反対です。

5.日本語は表意文字である

 日本語は表意言語で一字一字に意味があります。それに対して欧米語は表音言語です。一字一字は意味をもたず、単語となってはじめて意味を表わします。意味は発音によるから、発音、発声重視となるのです。  表音文字は、カナのように文字が音だけを表わすものです。その音と同じなら何にでも使えます。ローマ字、ハングル、インド、アラビア、昔のギリシア文字などです。それに対して表意文字というのは、発音に加えて意味を表わすものです。漢字は、同じ音だからといって同じ文字は使えません。漢字やアラビア数字、古代のエジプト文字などは、表意文字です。

<参考>
○拍と音節構造(10)  Vは母音、Cは子音、jは半母音を表わします。 イ.①V(あ、い、う、え、お)    単独で1拍を形成する音節です。/a,i,w,e,o/がこれに当たります。   ②CV(か、き、く、け、こ、が…、さ…、ざ…など)    子音と母音が結合して、1拍となります。カ行音、ガ行音、サ行音、ザ行音などの音節構造がこれに当たります。   ③(C)jV(や、ゆ、よ、ぎゃ、ぎゅ、ぎょなど)    子音と母音の間に半母音/j/が介入して、1拍の音節です。ヤ行音(/ja、jw、jo)と「ぎゃ、ぎゅ…」などのいわゆる拗音といわれるものがこれに当たります。 ロ.①(C)(j)VN(N=撥音)    直音拍(または拗音拍)+撥音拍です。2拍の音節です。    「本、ぴょん…」   ②(C)(j)VQ(Q=促音)    直音拍(または拗音拍)+促音拍で、2拍の音節です。    「アッ、カッ、キュッ…」   ③(C)(j)V:(:=長音)    直音拍(または拗音拍)+長音拍で、2拍の音節です。「イー、ハー、ミャー…」 (以上、参考<K>)


 

 

(11)日本語と欧米語の違い [「メロディ処理」の理論 以下、拙書「ヴォーカルの達人」]

 

1.日本語の発音、調音について
 日本語の50音は、音声からいうと100音ほどになります。
 そのうち母音は、アイウエオ5音で、とても少ないのですが、必ず子音について終わるために、とてもよく使われます。日本語が、一つひとつバラバラになるのも、母音が必ずつくからです。ときには、母音が無声化(音にならない)することもあります。
 多くの人の声がこもってしまうのは、とても浅い息、浅い声のため、うまくひびかないためです。
本当は、ヴォイストレーニングをしっかりした上で、お腹から理想的な発声状態でできた声を調音して、発音のトレーニングをしなくてはいけないのです。
「ア」で発声すると、浅い「ア」しか出せない人も「HA」や「HAI」を、「ハッ」というかけ声のようにイメージしてやると、案外と深く声がとれてうまくひびくようです。まず、ハ行からやっていきましょう(そのため、発声トレーニングとして、「アエイオウ」を「ハヘヒホフ」と聞こえるようにやっている人もいます)。
 さて、なぜ「アイウエオ」でなく「アエイオウ」なのかというと、口の開き方に「アーエーイ」と横に広げるのと「アーオーウ」と縦につぼめていくのを交互にやるのは、口先が動いてしまうからです。声をコントロールするということは「アーーーー」のつもりで最低限、口を動かして「アエイオウ」にすることです。もちろん、表情からすると、はっきりと口元が「ア」「エ」「イ」「オ」「ウ」の形になっている方がよいのですが、私は、ヴォイストレーニングのためには、声質をそろえ均一の流れをつくることを優先し、そこに各音をのせていくべきだと思います。というのも、この母音は、感情をしっかりと伝えるためのひびきの基本だからです。しっかりと母音をおいていく(ためる、キープする)ことができると、声の表現力はとても豊かになります。

2.等時性の違い
 日本語というのは、俳句や短歌でも、音を一つずつ数えます。一音ずつのことばに分け、一拍ずつになっています。「ハイヨ」を伸ばすと、「ハー」「イー」「ヨー」と、二倍の長さになります。これを日本語のもつ等時性といいます。
つまり、常に長さを均等にして音を分けていくのです。俳句や短歌の五七五は、その通り、5+7+5の時間をかけていいます。リズムでいうと6、8、6(正しくは、8、8、8の強拍のない8ビート)になるのですが、五七調と数えるわけです。つまり、音となったところしか、カウントしないわけです。これは、日本語が息を発せず、その音を聞くことをしないことばだからです。
 英語というのは、強弱のアクセントで、「ハイ」も「ハ」「イ」(ai=二重母音)とは言わず、「Hai」で一つのフレーズです。「ハ」でふみこめば、「イ」でひびくという感じです。そして、アクセントをおいたところ以外はあいまいにします。それを日本語みたいにきちんと区切って言おうとすると、カタカナ英語といわれるものになって、却って通用しないのです。日本語は音の長さが等しく、英語は拍が等しいのです。
 つまり、日本人は日本人であるがゆえに、日本語にそってしか音を捉えられず、発せられないのです。だから、感覚と体を変えるトレーニングが必要です。
 どちらの方が、体を使いやすいかを考えると、当然のことながら一つのフレーズ、一つの強アクセントがあって、そこで踏み込み、その反動で弱いところ、あいまいに言っているところをカバーしていく英語の方が、動きも出しやすく、表現としては密度が高くなるわけです。ことばがすでに音のフレーズとして動いていく欧米の言語の方が、音楽、歌に近く、有利なのは言うまでもありません。

3.一音中心と拍中心
 英語が早口に聞こえたり、語尾がいい加減な発音のように聞こえるのは、子音のためです。日本語の子音は母音とくっつき、子音だけのものでないから、一音ずつしっかり区切られて聞こえる(1音1拍)のに対し、英語は拍中心にまとまって進むからです。
 英語は、10拍くらいでほとんどの文章を言い切っていくのです。10拍というと日本語にすると、1音1拍なので、「古池や 川の音」くらいしかいえないでしょう。だから、外国語の歌詞を日本語でつけかえると、内容の半分以上が入らなくなります。
 日本人の英語は聞きとれても、洋画などでの英語が聞きとれないのは、拍感覚がないからです。これは、歌でも同じことです。

4.日本語は、母音中心言語
 日本語は、母音でおわることば、つまり開口音言語(母音止め)で、これは他にポリネシア語しかないそうです。
 イタリア語、スペイン語のように母音中心のように思われていることばはたくさんありますが、これもすべて閉口音言語(子音止め)です。中国語、ハングル語も閉口音言語です。
 たとえば、Bookのおわりのkは、私たち日本人はクとしか言いようがありません。kはなくkuでしか、認識できないのです。それに対し、外国人は、キーボードのように子音単独のキーがあるのです。

5.欧米語は息で単独の子音(無声子音)がある
 子音は、日本語の18に対し、英語では24あります。
 英語の子音は、アクセントのところでかなり強く発されます。総じて英語は、息の出し方が強くはっきりしており、日本語はむにゃむにゃとしているのです。
 子音だけの単独音素から子音を学びましょう。母音を切り離して聞くのです。無声子音※と母音を切り離してみましょう。
 h・s・sh・p・k→無声子音

 Pick it upで、ピケタップ、(ピッキッタッパ)といいます。しかし、これを私たちは、ピック・イット・アップとピッにピッk(u)とuを補い、ピックと聞いて初めて、pickととれるのです。外国人は、ピケをpick itとわけられます。
 日本人は、ピッキッやピィ、ケェで聞こうとするのです。一つの音を、そうしか捉えられないのだから、聴きとるだけでなく発することもできません。どんなに短く弱く発しても時間をとるので、子音だけのスピードにはついていきません。しかも、拍が変わってしまうのです(日本語でも「おばあさん」と「おばさん」とは、音声では拍で5つと4つに分けます)。
 英語の歌がうまく歌えないのも、そのせいです。これを、センス、フィーリングで片づけるのは簡単です。しかし、身につけるためには耳から鍛えないと習得できないのです。
だからといって、pick itをピッキット、get upをゲッタップと覚えていては、キリがありません。日本語の50音のように、もとになる音を覚えることが大切です。
 日本語の音数は100あまり、それに比べ欧米語は、最低でも1500以上あるのです。いかに日本人が音の世界で、彼らのレベルで歌うのが大変なことかは、これだけでもわかるでしょう。

6.英語はCVC型 1音節に子音がつく
 Vは、母音(Vowel) Cは、子音(Consonant)のことです。
 たとえば、Strength[stre  ](強さ、*)という単語ではCCCVCCCC(母音のまえに3つ、母音のあとは4つまで)が1音節となります。これは、もっとも多い1音節の例です。
 日本語は1音節がCV(C1つにV1つ)までですから「すとれんぐす」は5音節となります。
 英語では拍1つにStrengthsが入るのに、日本語では拍5つ必要とするということです。歌にすると、音符1つにStrengthsとつくのに、日本語になると「すとれんぐす」は音符が5つ必要だということです(だから、一曲に歌詞内容があまり入らないのです)。

7.リズムの違いの克服
 英語は、スキップのように弾みリズム(bouncing rhythm)です。一言語内での音の力(エネルギー)の動きがあり、力の入れ方が、持続、弱化、消失 長、重、軽、弱という感じで変わります。上昇型です。
 それに比べ日本語は、相撲の四股のようにスタンプする(stomping rhythm)、つまり下に押しつける感じになります。
 ですから、ステッピングやスキップをトレーニングにとり入れるのもよいことです。
 親指のつけねに体重をかけ、軽快に飛びます。かかとだけではだめです。重心のとり方に気をつけましょう。
 リズム-拍を、体で感じとり、聞きとり、言ってみましょう。
 マクドナルドは、MacDonald(マッダーノー)といいます。

※日本人がBook(ブック)、Cup(カップ)、It(イット)というとき、母音(ブック(ゥ)、カップ(ゥ)、イット(ォ)をしつこくくっつけてしまいます。
 有声子音※(b、d、g)になると、Cab、had、dogを日本人は2拍、彼らは1拍でとります。拍が違うから通じないのです。体を使うには、一つで捉えた方がよいのは先述した通りです。

 次のようなトレーニングもしてみましょう。
①外国語を耳コピーする
②外国の曲に日本語の訳詞でなく、原詞のまま、のせて歌ってみる

8.英語の音声の特徴
○ストレス、アクセント(Stress Accent=強勢)の違い
 日本語は、音節リズム(syllable-timed rhythm=音節)が等間隔であらわれるのに対し、英語は、強勢リズム(stress-timed rhythm=強勢)が等間隔であらわれます。

○リズムの等時性(isochronism)
 英語のリズムでは、強く発音される箇所が、ほぼ同じ時間的間隔をおいて現われます。
「ォ」アクセントの意味
1)Cuts catch rats→cuts、catch、rats
2)our cat will catch the rats→our cat、will catch、the rats
 1)2)は、英語では同じ時間内で3拍打つところで、つまり「タン タン タン」のなかで言います。日本語なら、アワー キャッツ ウィル キャッチ ザ ラッツとすると、2倍くらい長くなります。英語は、6語を3語と同じ時間内、つまりこの場合、2倍のスピードで言えるのです。

○音声変化
 これは、リズムからおこったものであり、その逆ではありません。※
 連結 linking  同化 assimilation
 脱落 elision  弱化 Weakening

○「複層構造」をもつもの
 バット バッター バッテリー
    baet] baeteri
 bat batter battery
/発音記号/、/発音記号/、/発音記号/

○棒読み(Scansion)
a.弱強……もっとも多いメリハリのつけ方です(アフタービートや弱起中心の感覚は、ここからきます)。
b.強弱
c.弱弱強
d.強弱弱……一般には、ほとんどないのですが、日本語には、これが多いのです。


 

 

(12)その他の参考引用

 

1.周波数分析と1/fのゆらぎ
<「普通、周波数分析したものを「フーリエ分析」、そのさいの変換式を「フーリエ変換」と呼びます。あらゆる周波数の波形は、いろんな周波数の正弦波(サイン波)の組み合わせで表わせるという理論で、これを発見したフランスの数学者フーリエの名がついています。
1/fのゆらぎにも2種類ありまして、ひとつは振幅ゆらぎというものです。鐘を突くとボ~ンと鳴って、ワ~ンワ~ンとゆらぎます。このとき、周波数の高いところではウワンウワンとゆらぎが非常に速くて、周波数の低いところではウワ~ンウワ~ンとゆっくりゆらいでいます。そのウワ~ンウワ~ンとウワンウワンと、うまく調和がとれてるのが振幅ゆらぎです。」(S)>

2.その森氏が体験しているレッスンも、ブレスヴォイストレーニングの当初の頃のものに似ています。天性のある人に、勘とスピードで身につけさせていくような大胆な手法といえます。
「当時は、毎朝15分間の発声訓練。それは、目にも止まらぬスピードで行なわれ、考える隙を与えないものであったから、とにかく全神経を集中するしかなかった。終わった時には、目の前が真っ暗になり、レッスン室のドアがどこにあるのかも分からなくなる時もあった。(中略)
 歌唱時に、発声のことなどはまったく考えている余裕がない。そのため、発声面での成長した箇所、未熟な箇所がはっきりと表われるわけである。身体が自由に動くようになると、突然、呼び込まれて、1つのテクニックを提示され、それに対して反射的に、反応できるか否かのレッスンが行なわれる。そして、本能的に体がすべてに反応できるようになった時、初めて、フスラーの著『singer』を読むことを許され、その理論を解説され、指導法を教授して頂けるというレッスンの日々を過ごした。」(森明彦氏の著書より)

 声楽とポピュラーとは確かにスタイルは違います。しかし、本当に正しく理解し、習得している人は、やり方は違っても根本的には同じところをめざしているのではないでしょうか。再三、この本で繰り返したように芸ごとはマニュアルでなく、人にその声に全てが入っています。

3.「ベルティング」のためのガイドライン(参考)
<○熟練したベルティングの感覚 ・のどが楽である ・空気の漏れが、非常に少ないようである ・他のピッチへ簡単に動けるようである ・マスクで共鳴している ○熟練したベルティングのサウンド ・豊かではあるが、引っ張らない、また叫ばない ・明瞭でリンキングしている ・音が簡単に生み出せるようである ○熟練したベルティングができる人の外観 ・口、あご、のどがリラックスしている ・曲の感情がつながっている ・エネルギッシュである 「コンテンポラリー・ミュージックにおいて、ベルティングができるシンガーは、今まで以上に求められています。しかし、もし声を傷つけてしまった場合は、あなたは全盛期を迎える前にシンガーとしてのキャリアは絶たれてしまいます。シンガーは、たとえ人前で頭声で歌う機会がなかったとしても、声域全体を練習する必要があります。シンガーは、高音がより軽いタッチになるように頭声をトレーニングすることによって、パフォーマンスで使用する主な声域のベルティング・ヴォイスの質を向上させ、またベルティングをするためのバランスを得ることができます。」 「ベルティングは、とてもエキサイティングで強い感情を表わしやすい歌唱スタイルですが、慎重に使うべきです。もし、歌っているときに、のどに締めつけや、むずかゆさを感じたら、おそらく圧力をかけすぎて歌っているのでしょう。シンガーの中には容易に、緊張することなく、自然に力の抜けたベルティングを使って歌うことができる人もいますが、それとは逆に、強引に声を押し出さないと、ベルト・ヴォイスがつくりだすことが不可能な人もいて、その音は飲み込むようなサウンドに聞こえます。声を強制することは、音楽の感情を損ねるだけでなく、声の酷使と深刻な声のトラブルにも引き起こしかねません。」(B)>

4.日本語の拍は、一拍一音
日本語は同音語が多く、音をあてはめやすいので無意味な数字の暗記などには強いのです。ルート2=1.141421356・・・ヒトヨヒトヨニヒトミゴロ(一夜一夜に人見ごろ)、π=3.14152 653 58979 32384・・・(妻子異国に聟さ 子は苦なく身ふさわし・・・)などと、すぐに覚えられます。円周率四万ケタのギネス記録をもつ友寄哲英氏の偉業も日本語の利点を生かしたものです。  また、日本語は発音の単位が少なく、全部で百十二くらいしかありません。どんなことばでもこの百十二に分解できるから、小さな子でも、何でもかなり正しく書けるのです。海外のことばでさえ書き写せます。  日本人が外国語を覚えるのが下手なのは、ことばの捉え方の感覚が違うからです。逆に外国人にとっても日本語は難しいといえます。

5.発声だけならイタリア語に学ぶ
 イタリア語などは母音で終わるので日本語に似ています。イタリア語が音楽的なのは、母音で終わるからだと言われています。そういう意味では日本語も美しく音楽的であることばであるといえます。  ところが日本語には、のどの奥の方を使う音が多いから、美しくないのです。  明治のときに向こうから入ってくることばに漢語をどんどん使ったためか、ガ行が多いそうです。ドイツ語や英語もそういう点では美しくないといえます。  だから、私は発声に関してだけでよいというなら、イタリア語の感覚をもって声を習得することが、日本語でよい声を出すにも早くて効果的という立場をとっています。  日本語がイタリア語に劣る点は、こういうことばの問題のほかに、強弱のアクセントのないところです(イタリア語は、第二音節に強アクセントがくることが多いのですが、これにより、次のことばへ強くひっぱっていくわけです)。そのため、中国の南方のことばによく似ているともいわれますが、これはとても音楽的です。(拙書「人に好かれる声になる」祥伝社)

 「口が胸の真ん中、首から上はないと思え」というのは、私が15年前に本に述べたことです。


 

 

(13)BV理論をふまえた福島仮説

 

1.悪声論 間違いなんてない
2.今の声楽は、声を鍛えない
3.日本人シャウト限界説
4.俳優の弱み
5.歌わないのが、歌
6.声二分論

・日本人の聞こえないもの
1.息
2.音色
3.強弱アクセント(リズムグルーヴ)