ブレスヴォイストレーニング研究所

紹介・推薦

 

 

□関連本の紹介

 

「朗読ダイエット」ドリアン助川著(左右社)

 

 本書は、「表現を通じて、日々豊かに生きていく」ための指南書といえます。朗読とはいえ、「全身で語ること」、それが「小宇宙」として、「内なる本質」を実行する人に与えてくれます。 つまり、「全身で語ると生きていけるよ」ということが実例を含めて、しかも本人プラス2名での証拠写真つきででています。

 

 「全身で声を出して生きてこれた」私と「全身で声を出すと、生きていける」研究所のことも、とりあげていただいています。  

 「内なる本質」について、私は何百人にもトレーニングをしてきて、私がいようといまいと、得ていく人は得ているし、得ていない人は得ていないので、今も声を出し、話し、書き、人に接しつづけています。それを氏は、わずか半年で、2人の弟子で実証をしたのですから、しゃっぽを脱がざるをえません。

 

 この研究所は、つくった当初から、すぐれた人が多くくるので(今のトレーナーも受講者さんの多くも、です。)、いつも、いろんなところで「何かが立ち上がった一瞬」(本書の表記より拝借)の匂いがするのです。それが好きで、私も続けているし、研究所も続いているのです。

 

 私はあるときから、私自身のことばだけでなく、トレーナーのことばを、そして、学んでいる皆さんのことばをたくさんとりあげるようにしてきました。私自身、いつも学んでいる途上の気持ちであり、他の人の上達のプロセスに学ぶことが大きいと思うからです。

 

 氏は、そこそこに出さなくなる人も少なくない、レッスンレポートを1枚も欠かしたことがありませんでした。レッスンからヒントを得て自分のメニュをくみたて、他の人へも与えるという実践に結実させています。

 是非、ヴォイストレーニングの本としても、声優・役者などに限らず、表現をしていこうとする人には、参考にしていただきたいと思います。

 

 ここのヴォイストレーニングと関係のあるところを、抜粋させていただきます。

 

「声について真剣に考え始めたのは40代になってからです。レコードメーカーとの契約も切れ、大きなステージからも去っていましたが、朗読と歌を生涯やっていこうと決意したんですね。その時、どんな技術よりも先に、まず声の原理について知ることが大きなテーマになりました。どんな声の持ち主になるべきか。そのためには何をすべきなのか。自分なりの探求は続けたのですが、何ひとつ確信を得られないまま日々が過ぎていきました。年齢も年齢です。迷いと焦りの中にいた私は、日本のヴォイス・トレーニング界の雄である福島英先生のもとを訪れました。代々木のブレスヴォイストレーニング研究所です。ここで徹底的に指導されたのが、腹式呼吸により体芯から声を出すこと。今の私が信奉している基本にして鉄壁のスタイルでした。
 腹式呼吸……実はわかっているつもりでいたのです。声に関する本もずいぶんと読みましたから。自分ではそれができているとも思っていました。しかし、福島先生から懇切丁寧な指導を受けた時、何もわかっていなかったということを思い知ったのです。
 腹式呼吸とは言いますが、お腹だけを使えばいいというものではなかったのです。もっと全体の、イマジネーションの問題です。大地や空とつながっている自分を想像できるかどうか。(あとで詳しく語ります)
 この腹式呼吸を自らのものとし、体すべてを使って声を出すという行為は、かなりのインパクトを内側にもたらします。何かが燃え始めたような、心地よい充実感が体芯からじわじわとあふれだします。内臓が主役になって表現を楽しみ始めたような感覚です。体の真ん中から気持ち良さが広がるのです。
 そして、声が変わっていきます。ある日突然そのことに気付きます。ただ叫んでいた頃とはまったく違った声です。こうなるとしめたものです。語りや歌がみるみる安定してきて、表現の幅が広がります。自信もついてきます。長時間、たくさんの聴衆を前にマイクなしでも朗読できるようになります。
 驚くべきことに、体型や顔も変わってきます。これはおまけのようなもので、本質が変わったからこその予期せぬ変化でした。10年ぶりにライブに来てくれたような人は必ず言います。声がパワフルになったね。なのに……痩せたね、と。」(P25~27)

 

「胸の底?おかしいな。声は声帯で出すのではないですか?
 私もそう思っていた時期が長いです。でも、だからこそ、腹式呼吸による発声ができていなかったのです。福島英先生のブレスヴォイストレーニング研究所に通うようになり、自分が何もわかっていなかったと気付いたのはまずこの部分です。」(P73)

 

「べちゃっと声が横につぶれている人がいますよね。こうした人でも、縦のイメージで口を開いてもらうだけで聞こえ方はまったく違ってきます。土台を安定させて縦の表現をする。これは福島英先生の研究所でも繰り返し指導されることです。」(P77)

 

「続いて、ヴォイス・トレーナー界の雄、福島英先生です。朗読も歌も一度はやめてしまい、舞台から去ったこの身です。でも、再び立ち上がろうとした時、私は気付いたのです。これまですべて独学だった。だからだめだったのだと。芸ごとには師匠が必要だとよく言われます。福島先生に出会い、腹式呼吸のイメージを根本から覆していただいたことで、私の声は劇的に変わりました。本書に於ける声の理論は、福島先生から教えていただいたことを自分なりに膨らませたものです。今、自分のことを「朗読者」だとはっきり規定できるようになったのは福島先生と研究所のトレーナーの皆さんのお陰です。ありがとうございました。」(P126)

 

 

「人間研究 西城秀樹」塩澤幸登(河出書房新社)

 

 野口五郎、富澤一誠、みうらじゅん、茂木健一郎、湯川れいこさんなど、分厚い本で、人間西城秀樹とそのファンの人たちを追った労作に、ブログの文章が2ページ(P74~75)に掲載されています。

 

 西城秀樹 「ブルースカイブルー」

 

 西城秀樹が歌が本当にうまいと気づいたのは、日本人のすぐれた歌唱を選りすぐらされたときでした。それまで、私は彼の「ブルースカイブルー」(1978年)を日本人離れした大きな曲に美しいメロディでカンツォーネのようだと絶賛していました。彼のステージでの「レイディ」(「Lady1980」 ケニーロジャースでのヒット曲)をとりあげたこともあります。今 もこの2曲を私なりに彼の「絶唱」と思っています。

 

 あまりにさりげなくて、どの曲もかなりのハイレベルで歌っているのに皆、気づかないほどのすごさでした。

 

 秀樹は、ヒデキであって、評価を抜けている歌い手です。歌で声が飛んでくるポップス歌手は、日本にはとても少ないのです。 忌野清志郎のようにトータルでなく、歌唱力としての個性で、しかも尾崎紀世彦のように声フレーズとしてでなく、ロックとして日本語を動かした点で、ビジュアライズな魅力よりも、歌の声の力、感情の伝え方で味わってもらいたいと思います。

 

 歌唱の力は「若き獅子たちよ」でわかるでしょう。 私がリアルタイムで、好きだったのは「愛の十字架」でした。 今、思うと、どれもプレスリーのように宗教や祈りにも通じていた歌のように思えます。殉教とはいえなくとも過激な生活がたたっての早逝でした。2018/5

 

 私は60代まで生きた彼を「早かった」と、惜しみたくはないのです。世に出て最初の3年で惹き込み、7年で解き放つ、スターというのは、もうそこで成り立っているのです。(デビュー1972~「Young Man」1979)

 

(「福島英のヴォイストレーニングとレッスン曲の歩み」より)

 

 

 

□音信

 

元銀巴里シャンソン歌手

 

 「私は、銀巴里の歌い手の時に在籍させていただいておりました。

 何もかもが新鮮で、感動してレッスンを終え帰ったものでした。

 先生への尊敬は、その後送られる冊子での関わりになってしまいましたが変わりません。

 このような先生の、内容を是非とも私と行動を共にしているものたちに、伝えたいとの思いから問い合わせした次第です。

 クラシックのいわゆる、声楽用の声で歌うことから切り替えられない人間が多く、そこにもどかしさを長いこと持っております。

 

(中略)

  先生のレッスンはカリスマ性があるというか、私にとってはとてもスリリングな、魔力的なものに感じられ、やめてしまうことにたえられないほどでした。

 時間の経過と共に少しづつ、先生のおっしゃることが体で理解できた気がして、歌や声を褒めてもらうと福島先生のおかげというのが口癖でした。

 

(中略)

  福島先生からなら、納得するのだろうにと。

  こんな大切なことを、長いこと受講生と関わってきた私が訴えられないことにもどかしさを感じていました、この私の力不足は死んでも死に切れないと。

 こんなすばらしいメソッドを、私の愛するモノたちに本物を与えてやりたいと思ったのです。

 このコロナ禍のため活動が停滞していて、でもこの間こそ力をつける時であると思うのです。」

 ※※(後日)

 本当にありがとうございました、熱のこもった先生のお話に心動かされたものが早くもメールをくれました。

 私は、おかげでさまで、長い間持っていた課題の一つをやれた幸せを感じます。

 先生から得た事がらを、忘れず持ち続け、実践することが力になるとみんな気づいてくれたと思います。

 聞こえただけでは何にもならず、やることだと。

 心からお礼を申し上げます。

 先生は、私の尊敬する3人、たった3人しかいない人のひとりです。

 

<福島英特別セミナーアンケート>(2021)

 

  日頃、教えていただいていることを、福島先生の講義で体系的にまとめて提示していただいたと思う。改めて、声というものについて考えた。 また歌うということについても自分の足元から見て考えていくことが大事。 表現しやすい人の選択とか曲の組み立て方を知る、音色をそろえる等々すべての表現が小池先生の指導と結びつきよく分かった(?)本当に快い時間でした。(AZ)

 

プロの歌唱をじっくり聴かせて頂き、それぞれの素晴らしい歌い方に感銘を受けました。 「声にしないで息にする」発声は難しいと思われるが努力してみようと思いました。 日常の体の鍛錬、発声の大切さを知らされました。 発声練習の際、先生より「体からの息で、もう少し強く!」と指摘があり、3回目でOKになった際の発声は、「お腹からの発声で」自分でも違いが分かりました、今後もあの感じを忘れないようにしたい。 歌う時だけでなく、話しことばの際も腹からの発声の肝要さを感じ取りました。(AO)

 

実際に声を出すことで、発声、呼吸、共鳴を自覚できてよかったです。お経は自分で唱えること、聞くことが大好きです。 それぞれの声の違い、ことばの感じ方の違いを感じました。(IN)

 

自分の声については録音したものを聞いてほぼ解っているつもりではありますが、自分のことは甘く考えようとしているかもしれないとも思います。他人の声については理性的に理解出来るかもしれない。 他人に声を聴かせる点でも自身の声を魅力あるものにして行きたいと思います。 声は生きることにつながっているか、息であり、身体であり、意識であり等関わりは深いですね。(ED)

 

あんなにていねいに御指導頂けるとは思っていませんでした。普段教えて頂いている事と同じ事を再認識致しました。アクセント、ブレス、体を使う事、勉強になりました。 レッスン前は、「苦手な高い声の克服を」と考えていましたが、「ポピュラーソングなのだから自分の一番良い声が出る様にキィを変えれば良い」と言われ、改めて、気がつきました。 観客の求めているのはムリして苦しく出した声ではなく、ここち良く聴ける歌だと思いました。(SN)

 

息を聴きとる耳を持つことが大切だと気づかされた。 ワンフレーズをフラットに言ったり、抑揚をつけて言ったり、リズムの取り方を変えて言ったり、節をつけて歌ったりをくり返し取り組むことで表現する力がつくことに気づかされた。(KT)

 

歌とは声・フレーズを組み立てること。 そして体から息を使って、大きな歌をうたう。 その為にはどうするか?ということを具体的に教えて頂き、一番心に残ったことを実践しております。(KK)

 

短時間でしたが発声練習が出来たことが良かった。 ステージ評価表の言葉が知れた事(GM)

 

先生の講話だけでなく実際に自分の声を出せたことはヴォイストレーニングとは、どういうことか少しでもわかって良かったと思います。 一人一人声が違うこと。 トレーニングすることによって力のある声(大きな声ではなく)を出せる様になるのかもしれないことに気付きました。(KN)

 

トレーニングには興味があり一度受けて見たいと思っておりましたが歌うと云う事は只リズムに乗って声を出すだけで無く日頃からの心の持ちかた、体力、気力等々あらゆるトレーニングが必要だと云う事が分った事が良かったと思います。(TR)

 

共鳴の実技は初めての体験でしたが理にかなっており繰り返すことで効果が期待でき大変良かったです。(IY)

 

 

長唄の師匠

 

  伝統音楽を勉強する場合、発声の訓練のメソッドというものは、基本的に存在しません。入門すると、一対一で曲を修得していきますが、1フレーズ、あるいは2フレーズ、師匠が手本を示し、弟子はそれを忠実にコピーするというレッスンになります。その曲想によって、語り物、あるいは唄物と、声の使い方が違う訳ですが、声自体については、元も角、師匠と同じように出すということで、ああして、こうして、という指導は少ないと思います。 私自身、長唄の世界に入る以前に、演劇の勉強をしておりましたので、その折に修得した発声のメソッドに従って、自分なりに訓練をしていました。しかし、三十代後半に入り、声の出し方に迷い始めました。
  その時に出会ったのが福島先生のレッスンでした。ポピュラーボーカルという、全くジャンルの違う世界でしたので、多少の戸惑いはありましたが、思い切って飛び込みました。何か感ずるものがあったからです。
  ロックに限らず、カンツォーネ、ポップス、あるいは歌謡曲というジャンルに「唄う為の身体」という視点で見直す機会を得たことは、私の本業である長唄を全く違う角度から見直すということでもありました。強い息、深い息、又弱い息、浅い息、知識としてではなく、実感(身体の感覚で)する為の訓練は、又とても楽しいものでした。
  言語によって音楽は様々なヴァリエーションを持っていますが、その基本となる人間の身体自体には、それ程の違いはありません。福島先生のメソッドは、それがどの様なジャンルの音楽にも通用する、最もベーシックな部分の訓練法として、私の場合は長唄に応用させていただいております。

 

 

ミュージカル劇団のメインキャスト

 

 「はい」という言葉を繰り返して、先生は「今のは違う」「今のは響きを無理につくっているから、もっとおとして」「音色を統一させて」「今のより、もう一つ前の方がよかった」というような、アドバイスを私にくれる。今の一つ前が、どんなのだったが、どうやってやったのか、正直わからない。でも集中して考えて思い出してみる。自分の体の何処に意識があったのか?何処にどれだけ力が入っていたのか?この空間の何処から響いてきたのか?

 今まで、自分が知っていた音楽の世界は、音程、リズム、表現ぐらいしかなかっので、一つの音の一つの言葉にこんなに微妙で、広い世界があることをしらなかった。

 今まで歌のうまい人は、楽器が良いか、天才とばかり思っていたが、そんな微妙なところを聞き分け、こだわって練習をかさねているに違いない。私はいろんなダンスを専門的にやっているが、体の感覚をふくめ理解していることと、知識として理解はしているが、まだ体では掴みきれていないものがある。時間をかけて、体験して、観て培ってきたつもりだ。歌に関しても、まずいろんなものを聴いて耳をこやし世界を広げ、オタクのようにこだわりを持ち続けて、いつかオリジナルになれるようにと思いながら練習を重ねている。

 

 

能楽の師匠

 

  ここで謡の声の出し方についてちょっとひと言。

  お恥ずかしい話だが、謡の声の出し方について細かな指導はなされてこなかった歴史がある。どうして? そう、私も疑問に思ったが、答えは簡単。自分で謡えても、人に伝える指導法を知らなかったからだ。現に今も「真似すりゃいい」のひと言で片付けられている。白状すると私もそうだから間違いない。しかしこれは正さないといけない。

  これからの能役者は正しい発声法を身につけて声を出すべきで、それが喉のためにも良いはずだ。

 

  その手段としてお薦めするのがヴォイストレーニングだ。

  専門家を訪ねて診てもらうおう。まずは「自分は患者なのだ」、という自己認識からはいるといい。これからプロになろうと志す人も謡曲愛好家の方々にもお薦めする。

 

  身体全体を楽器のように考えて声を出すようにと指導する。「ではどのように身体を使うの?」 これは直接先生にお聞きしてほしい。

 

  直弟子にヴォイストレーニングを受けさせた。私は教えられないが、なにかした方がよいと思ったからだ。直ぐに効果覿面というわけにはいかないことは重々承知していたが、最近二人の声が強くなってきたのには驚いている。先生方のお陰だ。

 

  声の出し方をマスターすると、もっと謡が面白くなるかもしれない。かも・・・だが。

  残念ながら謡指導とヴォイストレーナーを兼ねられる人は、今見当たらない。

  やはり専門家の門を叩くことをおすすめする。ご希望があれば、ご紹介する。

  これで直ぐに、謡が上手になるという訳ではないが、声というものを意識することは謡を謡う何かの役に立つだろう。

 

 福島英先生が出版された「読むだけで、声と歌が見違えるほどよくなる本」(音楽之友社)をお薦めする。

 

 

 

福島英からの音信(抜粋版)

 

 声帯は、きちんと使われていると、若さを保つことができます。

 歌は、せりふよりも、よい保全効果があらわれます。

 それも浅く癖をつけた歌い方ではよくないので、声帯の健全さは、自分自身の身体に合った使い方の習得によるものです。

 

 私も今は、第一に身体づくり、第二に声の保持を心がけています。愚鈍なりに継続することは守っています。

 

 少し手間暇がかかり、面倒なことを人生の友とすることを新たに挑んでは、続けることをお勧めしています。

 

 歌い手や役者というお仕事を続けるのは、すべてを兼ねられていることなのです。

 

 私も、真意の伝わらないことの連続で、今の日本の歌の世界との距離が縮まらないのですが、だからこそ、本質的なことに専念できると開き直って続けています。

 

 時代や日本の文化や国民性とは、自分がずれているのですが、時代や国を超えたところまで、自分が抜け切れば、もっと伝わると思っています。

 

 うまくご返答できないときもありますが、気にせずご遠慮なく、いつでも思いのまま、お便りください。見知らぬいろんな方からも、ご質問などくるのでそこには慣れているつもりです。

 

 何かしら相手や対象があると、刺激になったり気づきがあったり、勉強になります。私が一番、多くの人のメールやレポートで助けられてきました。若いときから本を出してきたお陰で、いろんな分野の第一人者から教えを受ける機会、実践する機会に恵まれてきました。著書も会報もブログも、一人では、とても続かなかったでしょう。また、現在も続いていないでしょう。

 

 これから出会う人、今、接したり、通っている人、なによりもここを出てから、活動している人、そして、活動をやめてしまった人を念頭に、いつも述べています。