ブレスヴォイストレーニング研究所

紹介・推薦

 

 

□関連本の紹介

 

「朗読ダイエット」ドリアン助川著(左右社)

 

 本書は、「表現を通じて、日々豊かに生きていく」ための指南書といえます。朗読とはいえ、「全身で語ること」、それが「小宇宙」として、「内なる本質」を実行する人に与えてくれます。 つまり、「全身で語ると生きていけるよ」ということが実例を含めて、しかも本人プラス2名での証拠写真つきででています。

 

 「全身で声を出して生きてこれた」私と「全身で声を出すと、生きていける」研究所のことも、とりあげていただいています。  

 「内なる本質」について、私は何百人にもトレーニングをしてきて、私がいようといまいと、得ていく人は得ているし、得ていない人は得ていないので、今も声を出し、話し、書き、人に接しつづけています。それを氏は、わずか半年で、2人の弟子で実証をしたのですから、しゃっぽを脱がざるをえません。

 

 この研究所は、つくった当初から、すぐれた人が多くくるので(今のトレーナーも受講者さんの多くも、です。)、いつも、いろんなところで「何かが立ち上がった一瞬」(本書の表記より拝借)の匂いがするのです。それが好きで、私も続けているし、研究所も続いているのです。

 

 私はあるときから、私自身のことばだけでなく、トレーナーのことばを、そして、学んでいる皆さんのことばをたくさんとりあげるようにしてきました。私自身、いつも学んでいる途上の気持ちであり、他の人の上達のプロセスに学ぶことが大きいと思うからです。

 

 氏は、そこそこに出さなくなる人も少なくない、レッスンレポートを1枚も欠かしたことがありませんでした。レッスンからヒントを得て自分のメニュをくみたて、他の人へも与えるという実践に結実させています。

 是非、ヴォイストレーニングの本としても、声優・役者などに限らず、表現をしていこうとする人には、参考にしていただきたいと思います。

 

 ここのヴォイストレーニングと関係のあるところを、抜粋させていただきます。

 

「声について真剣に考え始めたのは40代になってからです。レコードメーカーとの契約も切れ、大きなステージからも去っていましたが、朗読と歌を生涯やっていこうと決意したんですね。その時、どんな技術よりも先に、まず声の原理について知ることが大きなテーマになりました。どんな声の持ち主になるべきか。そのためには何をすべきなのか。自分なりの探求は続けたのですが、何ひとつ確信を得られないまま日々が過ぎていきました。年齢も年齢です。迷いと焦りの中にいた私は、日本のヴォイス・トレーニング界の雄である福島英先生のもとを訪れました。代々木のブレスヴォイストレーニング研究所です。ここで徹底的に指導されたのが、腹式呼吸により体芯から声を出すこと。今の私が信奉している基本にして鉄壁のスタイルでした。
 腹式呼吸……実はわかっているつもりでいたのです。声に関する本もずいぶんと読みましたから。自分ではそれができているとも思っていました。しかし、福島先生から懇切丁寧な指導を受けた時、何もわかっていなかったということを思い知ったのです。
 腹式呼吸とは言いますが、お腹だけを使えばいいというものではなかったのです。もっと全体の、イマジネーションの問題です。大地や空とつながっている自分を想像できるかどうか。(あとで詳しく語ります)
 この腹式呼吸を自らのものとし、体すべてを使って声を出すという行為は、かなりのインパクトを内側にもたらします。何かが燃え始めたような、心地よい充実感が体芯からじわじわとあふれだします。内臓が主役になって表現を楽しみ始めたような感覚です。体の真ん中から気持ち良さが広がるのです。
 そして、声が変わっていきます。ある日突然そのことに気付きます。ただ叫んでいた頃とはまったく違った声です。こうなるとしめたものです。語りや歌がみるみる安定してきて、表現の幅が広がります。自信もついてきます。長時間、たくさんの聴衆を前にマイクなしでも朗読できるようになります。
 驚くべきことに、体型や顔も変わってきます。これはおまけのようなもので、本質が変わったからこその予期せぬ変化でした。10年ぶりにライブに来てくれたような人は必ず言います。声がパワフルになったね。なのに……痩せたね、と。」(P25~27)

 

「胸の底?おかしいな。声は声帯で出すのではないですか?
 私もそう思っていた時期が長いです。でも、だからこそ、腹式呼吸による発声ができていなかったのです。福島英先生のブレスヴォイストレーニング研究所に通うようになり、自分が何もわかっていなかったと気付いたのはまずこの部分です。」(P73)

 

「べちゃっと声が横につぶれている人がいますよね。こうした人でも、縦のイメージで口を開いてもらうだけで聞こえ方はまったく違ってきます。土台を安定させて縦の表現をする。これは福島英先生の研究所でも繰り返し指導されることです。」(P77)

 

「続いて、ヴォイス・トレーナー界の雄、福島英先生です。朗読も歌も一度はやめてしまい、舞台から去ったこの身です。でも、再び立ち上がろうとした時、私は気付いたのです。これまですべて独学だった。だからだめだったのだと。芸ごとには師匠が必要だとよく言われます。福島先生に出会い、腹式呼吸のイメージを根本から覆していただいたことで、私の声は劇的に変わりました。本書に於ける声の理論は、福島先生から教えていただいたことを自分なりに膨らませたものです。今、自分のことを「朗読者」だとはっきり規定できるようになったのは福島先生と研究所のトレーナーの皆さんのお陰です。ありがとうございました。」(P126)

 

 

「人間研究 西城秀樹」塩澤幸登(河出書房新社)

 

 野口五郎、富澤一誠、みうらじゅん、茂木健一郎、湯川れいこさんなど、分厚い本で、人間西城秀樹とそのファンの人たちを追った労作に、ブログの文章が2ページ(P74~75)に掲載されています。

 

 西城秀樹 「ブルースカイブルー」

 

 西城秀樹が歌が本当にうまいと気づいたのは、日本人のすぐれた歌唱を選りすぐらされたときでした。それまで、私は彼の「ブルースカイブルー」(1978年)を日本人離れした大きな曲に美しいメロディでカンツォーネのようだと絶賛していました。彼のステージでの「レイディ」(「Lady1980」 ケニーロジャースでのヒット曲)をとりあげたこともあります。今 もこの2曲を私なりに彼の「絶唱」と思っています。

 

 あまりにさりげなくて、どの曲もかなりのハイレベルで歌っているのに皆、気づかないほどのすごさでした。

 

 秀樹は、ヒデキであって、評価を抜けている歌い手です。歌で声が飛んでくるポップス歌手は、日本にはとても少ないのです。 忌野清志郎のようにトータルでなく、歌唱力としての個性で、しかも尾崎紀世彦のように声フレーズとしてでなく、ロックとして日本語を動かした点で、ビジュアライズな魅力よりも、歌の声の力、感情の伝え方で味わってもらいたいと思います。

 

 歌唱の力は「若き獅子たちよ」でわかるでしょう。 私がリアルタイムで、好きだったのは「愛の十字架」でした。 今、思うと、どれもプレスリーのように宗教や祈りにも通じていた歌のように思えます。殉教とはいえなくとも過激な生活がたたっての早逝でした。2018/5

 

 私は60代まで生きた彼を「早かった」と、惜しみたくはないのです。世に出て最初の3年で惹き込み、7年で解き放つ、スターというのは、もうそこで成り立っているのです。(デビュー1972~「Young Man」1979)

 

(「福島英のヴォイストレーニングとレッスン曲の歩み」より)

 

 

 

 

□音信

 

元銀巴里シャンソン歌手

 

 「私は、銀巴里の歌い手の時に在籍させていただいておりました。

 何もかもが新鮮で、感動してレッスンを終え帰ったものでした。

 先生への尊敬は、その後送られる冊子での関わりになってしまいましたが変わりません。

 このような先生の、内容を是非とも私と行動を共にしているものたちに、伝えたいとの思いから問い合わせした次第です。

 クラシックのいわゆる、声楽用の声で歌うことから切り替えられない人間が多く、そこにもどかしさを長いこと持っております。

 

(中略)

  先生のレッスンはカリスマ性があるというか、私にとってはとてもスリリングな、魔力的なものに感じられ、やめてしまうことにたえられないほどでした。

 時間の経過と共に少しづつ、先生のおっしゃることが体で理解できた気がして、歌や声を褒めてもらうと福島先生のおかげというのが口癖でした。

 

(中略)

  福島先生からなら、納得するのだろうにと。

  こんな大切なことを、長いこと受講生と関わってきた私が訴えられないことにもどかしさを感じていました、この私の力不足は死んでも死に切れないと。

 こんなすばらしいメソッドを、私の愛するモノたちに本物を与えてやりたいと思ったのです。

 このコロナ禍のため活動が停滞していて、でもこの間こそ力をつける時であると思うのです。」

 ※※(後日)

 本当にありがとうございました。熱のこもった先生のお話に心動かされたものが早くもメールをくれました。

 私は、おかげさまで、長い間持っていた課題の一つをやれた幸せを感じます。

 先生から得た事がらを、忘れず持ち続け、実践することが力になるとみんな気づいてくれたと思います。

 聞こえただけでは何にもならず、やることだと。

 心からお礼を申し上げます。

 先生は、私の尊敬する3人、たった3人しかいない人のひとりです。

 

<福島英特別セミナーアンケート>(2021)

 

  日頃、教えていただいていることを、福島先生の講義で体系的にまとめて提示していただいたと思う。改めて、声というものについて考えた。 また歌うということについても自分の足元から見て考えていくことが大事。 表現しやすい人の選択とか曲の組み立て方を知る、音色をそろえる等々すべての表現が小池先生の指導と結びつきよく分かった(?)本当に快い時間でした。(AZ)

 

プロの歌唱をじっくり聴かせて頂き、それぞれの素晴らしい歌い方に感銘を受けました。 「声にしないで息にする」発声は難しいと思われるが努力してみようと思いました。 日常の体の鍛錬、発声の大切さを知らされました。 発声練習の際、先生より「体からの息で、もう少し強く!」と指摘があり、3回目でOKになった際の発声は、「お腹からの発声で」自分でも違いが分かりました、今後もあの感じを忘れないようにしたい。 歌う時だけでなく、話しことばの際も腹からの発声の肝要さを感じ取りました。(AO)

 

実際に声を出すことで、発声、呼吸、共鳴を自覚できてよかったです。お経は自分で唱えること、聞くことが大好きです。 それぞれの声の違い、ことばの感じ方の違いを感じました。(IN)

 

自分の声については録音したものを聞いてほぼ解っているつもりではありますが、自分のことは甘く考えようとしているかもしれないとも思います。他人の声については理性的に理解出来るかもしれない。 他人に声を聴かせる点でも自身の声を魅力あるものにして行きたいと思います。 声は生きることにつながっているか、息であり、身体であり、意識であり等関わりは深いですね。(ED)

 

あんなにていねいに御指導頂けるとは思っていませんでした。普段教えて頂いている事と同じ事を再認識致しました。アクセント、ブレス、体を使う事、勉強になりました。 レッスン前は、「苦手な高い声の克服を」と考えていましたが、「ポピュラーソングなのだから自分の一番良い声が出る様にキィを変えれば良い」と言われ、改めて、気がつきました。 観客の求めているのはムリして苦しく出した声ではなく、ここち良く聴ける歌だと思いました。(SN)

 

息を聴きとる耳を持つことが大切だと気づかされた。 ワンフレーズをフラットに言ったり、抑揚をつけて言ったり、リズムの取り方を変えて言ったり、節をつけて歌ったりをくり返し取り組むことで表現する力がつくことに気づかされた。(KT)

 

歌とは声・フレーズを組み立てること。 そして体から息を使って、大きな歌をうたう。 その為にはどうするか?ということを具体的に教えて頂き、一番心に残ったことを実践しております。(KK)

 

短時間でしたが発声練習が出来たことが良かった。 ステージ評価表の言葉が知れた事(GM)

 

先生の講話だけでなく実際に自分の声を出せたことはヴォイストレーニングとは、どういうことか少しでもわかって良かったと思います。 一人一人声が違うこと。 トレーニングすることによって力のある声(大きな声ではなく)を出せる様になるのかもしれないことに気付きました。(KN)

 

トレーニングには興味があり一度受けて見たいと思っておりましたが歌うと云う事は只リズムに乗って声を出すだけで無く日頃からの心の持ちかた、体力、気力等々あらゆるトレーニングが必要だと云う事が分った事が良かったと思います。(TR)

 

共鳴の実技は初めての体験でしたが理にかなっており繰り返すことで効果が期待でき大変良かったです。(IY)

 

 

長唄の師匠

 

  伝統音楽を勉強する場合、発声の訓練のメソッドというものは、基本的に存在しません。入門すると、一対一で曲を修得していきますが、1フレーズ、あるいは2フレーズ、師匠が手本を示し、弟子はそれを忠実にコピーするというレッスンになります。その曲想によって、語り物、あるいは唄物と、声の使い方が違う訳ですが、声自体については、元も角、師匠と同じように出すということで、ああして、こうして、という指導は少ないと思います。 私自身、長唄の世界に入る以前に、演劇の勉強をしておりましたので、その折に修得した発声のメソッドに従って、自分なりに訓練をしていました。しかし、三十代後半に入り、声の出し方に迷い始めました。
  その時に出会ったのが福島先生のレッスンでした。ポピュラーボーカルという、全くジャンルの違う世界でしたので、多少の戸惑いはありましたが、思い切って飛び込みました。何か感ずるものがあったからです。
  ロックに限らず、カンツォーネ、ポップス、あるいは歌謡曲というジャンルに「唄う為の身体」という視点で見直す機会を得たことは、私の本業である長唄を全く違う角度から見直すということでもありました。強い息、深い息、又弱い息、浅い息、知識としてではなく、実感(身体の感覚で)する為の訓練は、又とても楽しいものでした。
  言語によって音楽は様々なヴァリエーションを持っていますが、その基本となる人間の身体自体には、それ程の違いはありません。福島先生のメソッドは、それがどの様なジャンルの音楽にも通用する、最もベーシックな部分の訓練法として、私の場合は長唄に応用させていただいております。

 

 

ミュージカル劇団のメインキャスト

 

 「はい」という言葉を繰り返して、先生は「今のは違う」「今のは響きを無理につくっているから、もっとおとして」「音色を統一させて」「今のより、もう一つ前の方がよかった」というような、アドバイスを私にくれる。今の一つ前が、どんなのだったが、どうやってやったのか、正直わからない。でも集中して考えて思い出してみる。自分の体の何処に意識があったのか?何処にどれだけ力が入っていたのか?この空間の何処から響いてきたのか?

 今まで、自分が知っていた音楽の世界は、音程、リズム、表現ぐらいしかなかっので、一つの音の一つの言葉にこんなに微妙で、広い世界があることをしらなかった。

 今まで歌のうまい人は、楽器が良いか、天才とばかり思っていたが、そんな微妙なところを聞き分け、こだわって練習をかさねているに違いない。私はいろんなダンスを専門的にやっているが、体の感覚をふくめ理解していることと、知識として理解はしているが、まだ体では掴みきれていないものがある。時間をかけて、体験して、観て培ってきたつもりだ。歌に関しても、まずいろんなものを聴いて耳をこやし世界を広げ、オタクのようにこだわりを持ち続けて、いつかオリジナルになれるようにと思いながら練習を重ねている。

 

 

能楽の師匠

 

  ここで謡の声の出し方についてちょっとひと言。

  お恥ずかしい話だが、謡の声の出し方について細かな指導はなされてこなかった歴史がある。どうして? そう、私も疑問に思ったが、答えは簡単。自分で謡えても、人に伝える指導法を知らなかったからだ。現に今も「真似すりゃいい」のひと言で片付けられている。白状すると私もそうだから間違いない。しかしこれは正さないといけない。

  これからの能役者は正しい発声法を身につけて声を出すべきで、それが喉のためにも良いはずだ。

 

  その手段としてお薦めするのがヴォイストレーニングだ。

  専門家を訪ねて診てもらうおう。まずは「自分は患者なのだ」、という自己認識からはいるといい。これからプロになろうと志す人も謡曲愛好家の方々にもお薦めする。

 

  身体全体を楽器のように考えて声を出すようにと指導する。「ではどのように身体を使うの?」 これは直接先生にお聞きしてほしい。

 

  直弟子にヴォイストレーニングを受けさせた。私は教えられないが、なにかした方がよいと思ったからだ。直ぐに効果覿面というわけにはいかないことは重々承知していたが、最近二人の声が強くなってきたのには驚いている。先生方のお陰だ。

 

  声の出し方をマスターすると、もっと謡が面白くなるかもしれない。かも・・・だが。

  残念ながら謡指導とヴォイストレーナーを兼ねられる人は、今見当たらない。

  やはり専門家の門を叩くことをおすすめする。ご希望があれば、ご紹介する。

  これで直ぐに、謡が上手になるという訳ではないが、声というものを意識することは謡を謡う何かの役に立つだろう。

 

 福島英先生が出版された「読むだけで、声と歌が見違えるほどよくなる本」(音楽之友社)をお薦めする。

 

 

 

先輩からの音信

 

 ここにあげるのは、研究所で平均で6年ほど学んだ人たちからの音信です。 学び方のヒントにしてください。(複数名、順不同)

 

 研究所での日々、学べたことは、とにかく、本物のアーティストに出会うことができました。それまで、オリジナルをただ歌っていたのに、今ではゴスペルを中心に歌うようになっています。研究所に入っていなければ、今の声もありませんでした。まだまだ途上の身ですが、これからもマイペースでがんばっていきます。

 

 今の私の声は、90%が研究所でのヴォイストレーニングであるといっても過言ではありません。個人レッスン30分の録音を毎日、聞きながら練習しています。これに出会っていなければ、結婚式でゴスペルを歌う依頼もなかったと思います。

 

 「歌っている人は誰ですか」マヘリア・ジャクソンの「サイレント・ナイト」をレッスンで聞いていたとき、福島先生に尋ねたことは、今でも忘れられません。フォークを歌っていた私が、なぜマヘリアを聞かなくてはいけないのか、わからなかった入門当時のエピソードです。今では、5本の指に入るフェイバリット・シンガーなのに。

 

 私自身の今の声は、福島先生と研究所のヴォイストレーニングから学んだものであることに間違いありません。私の歌や声に興味を持った人に、私の歌の録音を聞いてもらうことがあります。研究所のヴォイストレーニングを始める前、始めて2年ほど、そしてそれから2年ほど昨年、今年といったようにです。理屈ではなく、こういう声がこうなったという証拠を聞き比べてもらうためです。他に何をやったというわけではないので、他のものを無責任に勧められません。自分が体験してきたものしか、わからないので。しかし、「いい声をしている」といわれると、福島先生の顔を思い浮かべます。この人のおかげですから。

 

 研究所での日々、学べたことは、世界の基準。それを知り、それに追いつくことしか考えていなかった。心と体と呼吸と、声と音楽。それらが一体になったとき“自由”が手に入る。空を飛べる。そのよろこびに勝るものは、この世にないと確信している。

 

 研究所のヴォイストレーニングに出会って、ゼロからスタートした。そのため、自分にとって“自分の音楽”と呼べるのは、研究所にいる5年間で、自分が感じられた確かなもの、だけ。だがこのことは、正直、悔しい。世界の基準と比べたときの、あまりに貧弱な自分のバックグラウンド(基盤)。

 心に残ることは、いくつかの、自分のステージ。悔しくもあり、うれしくもあった仲間たちの鮮烈なステージ。音楽が渦巻いていた孤独な日常。

 

 当時、何がなんだかわからないけれど、とにかく「体を使って歌を歌うのだ」と、ひたすら息を吐いていた自分を思い出します。NYにきて改めて、自分が研究所でヴォイストレーニングを学んで、本当によかったと実感しています。とにかく、「基本」なのです。リズム、フレージングが、いかに大切か、こちらでのJAZZワークショップなどでもいつもいわれていることで、これがないと音楽にならないのです。どんなに美しい声で、メロディどおりに歌えても、評価されません(クラシックは別だと思いますが)。そして、リズム感を養い、自分のフレージングで歌えるためには、体から歌が生まれてくる感覚を知っていなければならず、それを知らない人の歌は、一見うまそうに聞こえても伝わっては来ません。ここで聞いたさまざまな本物達の歌声、思いっきり表現することを学んだレッスン室での経験、が、今の私の歌の基本となっており、NYにきてから、パフォーマンスの後、「いい声をしているねえ」、といわれることがよくあります。

 

 研究所でトレーニングをやっている人たちが必ず苦しむ問題が、「トレーニングのときの状態で人前で歌う」ということだと思います。たとえば、パフォーマンスしている最中に、「声を胸でキープしなくちゃ」、とか、常に考えてしまうこと。私も、これでかなり苦労しました。もしできるのであれば、最初、ここのトレーニングについて自分なりにわかるまで、人前で歌わない方がやりやすいかもしれません。基本の1オクターブができたら、高い音につなげていくやり方も自分の体でわかってくると思いますが、これはかなり私にとっては難しい作業で、今もできてはいないです。NYにきて、ヴォイストレーニングを受けて、感じたことですが、上級者になったら「舌を前に出す」「パレット(喉ちんこの両脇の部分)をACTIVEにする」など、声がもっともっと前に飛ぶような方法をとりいれるとよいと思います。 最後に。福島先生がレッスン室で私たちに要求していることは、ここNYで、世界で共通に必要とされる「基本」だということを感じています。

 

 「歌で表現するために足りないと感じたことを自分で埋めていけばいい」と福島先生はよくおっしゃっていたと思う。私自身、研究所のなかで学ばせてもらったというよりは、研究所におけるレッスン、福島先生の発言や文章(ビジネス書も含む)等で刺激を受けたことを日常生活のなかに持ち帰り、自分自身で探究したり深めていって、自分自身のやり方で何かを学んでいったのだと思う。

 実際、学ぶことや、学ぶための具体的な方法や道筋は、ひとりひとり違ったものだと思うし、ひとりひとり試行錯誤して自分にあったものを見つけていくものだと思う。

 

 私にとってのここのヴォイストレーニングについてあらためて考えてみると、私が取り組んでいたポイントは主に次の二つでした。一つは、深い意識から声を発するためのトレーニング、もう一つは、イタリア語やスペイン語などの母音を主とする言語の歌のように、日本語の歌でもアクセントがそのままフレーズとなるような深い声の歌い方を探究することでした。

 

 前は福島先生が塾生を褒めることはほとんどなかった思うのですが、特別ライブ実習での私のステージに対して、一度だけ認めていただけたことが印象に残っています。

 もう一つは、合宿で行なった、喜怒哀楽を表現したり、天と地の声を出すエチュード。「天」と「地」というのをはじめて意識することになったのがこのエクササイズでした。

 私ほど、レッスンの数はそれほど出席していないにも関わらず、福島先生からたくさんの影響を受けている塾生はいないのではないかと、自分自身思っています。というのは、福島先生の歌に対する思い入れだけでなく、観察力の鋭い福島先生が何を考えているのか、何でも吸収したいと思い、ビジネス書もほとんど読みあさりました。

 研究所においては、とにかく「書くこと」が重要な位置を占めていましたが、これらの著書には「書くこと」の重要さだけではなく、「情報とは活かすもの」「表現」「アウトプット」「仕事とは」「感性」「クリエイティブとは」「ライフワーク(一芸)」等に対する福島先生の考え方が、本質的な言葉としてちりばめられていて、これらの考え方が私の現在の活動のベースになっています。

 

 とにかく熱中していました。レッスンは片っ端から出てみて、内容をつかんでいきたいと思っていました。先生がいわれた通り、この場所を最大限利用しよう(したい)と思って過ごしていました。

 レッスンに出た分、ステージ実習に出た分、人(一流・他の人)から学べ、自分をチェックできた。感覚と耳と声が大変、身についたと思う。 研究所は母校。スタートした所。原点に戻れる場所。学べる場所。他にはない貴重な場所。変わった所。自分(の恥ずかしい部分)をさらけ出した場所。気の引き締まる場所。自分が選んだ場所。一生忘れられない場所。

 

 ステージに出させて頂き、4曲歌ったこと(自分のなかでは熱唱)と、その後の打ち上げが楽しかった。X’masライブオーディションでの屈辱と挽回。軽井沢合宿での練習と発表。毎月のステージ実習で、緊張しながら歌ったこと。レッスンで、一流のフレーズを大音量で聞いて感動したこと。フレーズまわしで、集中したこと。他多数。

 私の心のなかでは、研究所は永遠に不滅です。在籍中はいろいろお世話になりありがとうございました。また、いろいろ利用(活用)させて頂き感謝しております。

 

 ミュージカル劇団の役者として、年間、約100公演、全国巡演中です。行き始めたキッカケが“何か歌っても歌っても、決定的に足りないものが私の歌にはあるのではないか”という抽象的なものだったので、最初の2年はただ、やみくもにガムシャラに通っていた。ステージ実習とかライブ実習とか、合宿とか、次から次へと、追いつかなかったし、こなせなかったから、余裕がなかった。ここは何かを教えてくれる。というより、自分自身に何か問題がある、と気づいたときに、全てをゼロにもどして、見つめ直す場だった。何も教えてくれないからこそ、求め続けて歩き方そのものを身につける場だった。 私にとっては、息吐くことそのものより、精神的にこんな地味なことをやり続けることができるかと問われている感じが大きかった。モノトークや合宿で「なぜ、私は歌うのか」ということを見つめて、実は私のなかには、歌にこだわる必然的動機などないのでは、という逆のことに気付いてしまった。2年、3年かけて私は「いわゆる歌うために生まれてきた」人種ではないことを認めなければならなかった。今も前の古いスタジオ、合宿で走ったとき、稲穂が黄金色だったことが心に残る。 私はずっと歌うことイコール生きることが完全に一つになっているような人に憧れていた。そのすごさを知れば知るほど、私の歌がゴミみたいに思えた。「なんとなく、歌っちゃう」私の歌のウソっぽさに吐き気がした。だから今、時間をかけて今までのゴミみたいな歌を私の体から追い出そうとしている。しっかりと忘れるのを待っている私の歌の致命傷は、結局、体の芯から歌わずにはいられない「何か」が、私のなかには貯まっていないこと。歌わなくたって生きていける自分の「人生のゆるさ」だった。だから今、いろんなことを真直ぐに見つめて、全身の細胞で受け止めて、毎日やるべきことを精一杯やっていくしかないと思っている。明日か来年か、10年後か、歌えるようになる日が、すごく待ち遠しくワクワクする。それまでは、役者でもして、自分とは違う他人の人生を生きる苦労をして、感性の自由さを鍛えていこうと思っている。

 

 会社を辞め、自分で時間をコントロール可能になってからのほぼ1年~2年、集中して濃い関わり方をしたように思う。とにかく、ある期間、ある密度をもって事に当たれば、方法が正しかろうが間違っていようが、基準となる何かが得られるものだ。私にとっては、その時間にここで得た、心と体と声の結びつきが、その後の核となっている。 誤解を恐れずいえば、研究所は何も教えてくれない。ここにはただ材料と場所と時間、そして同じように何かを得ようとしている何人かの人がいるだけだ。だからいつも渾沌としている。学生のときのように、何かを与えてもらうのを待っていても、何ももらえない。自分で渦中に飛び込み、手掛かりを探して、自分の欲しいものを見つけ、自分の物にする。もしそこに、仮に答えが転がっていたとしても、自分に見つけだすだけの準備がなければ、それは答えとして認識することができない。まったく不親切きわまりない。他人には「ここっていいよー」とは薦められない。しかしだからこそ、信頼できると私は思っている。学ぶということの本質がそういうものであるから。その学び方が私がここで獲得した最大のものだと思う。だから、ここには終わりがない。(目下のところ。私が知る限りでは。) 学びたいことが自分のなかに沸いてくるかぎり、ここには学ぶべきことがころがっている。

 

 ここのほかにも、勉強できる場所はたくさんある。世の中そのものが大きな勉強の材料である。だがしかし、いざ何かを探し始めると、引っ掛かってくる情報はえてして、加工され、整理されすぎている。ここは、根底に音楽への強い欲求があるうえで、渾沌としているから、かえっていろいろなものが丸裸で存在しているように思える。ここで、さまざまなトレーナーを見ること、日々変化する研究生を見ること、こんな面白い材料は他にない。何かを教えてもらうためではなく、この貴重な場所を確保するためにレッスン料を払っているという感じ。

 

 私にとってのここのヴォイストレーニングとは、始めは体で声を出すという概念に出会っただけでぶっ飛んだ。が、その後、何もそんなことは、このヴォイストレーニングに限ったことじゃなく、あたりまえのことだと知った。とにかく研究所にいるとわからない事だらけだから、半端じゃなく本を読んだり、他の情報を集めたりする羽目になる。で、数々あちこちに首を突っ込んだ結果、思いっきりはしょってしまえば、あらゆることが同じだとわかる。声を出すことも、体を動かすことも、字を書くことも、皿を洗うことも。ブここは特別じゃないということに気づかせてもらったという点で、ここはわたしにとって特別なものになった。

 

 福島英評。この場所を拓き、維持しているということが何よりも素晴らしい。やめる理由はいくらでもある、むしろその方が多いのかもしれない。でも、続けているということ。このことは本当に尊敬に値する。福島先生ご本人はそんなこと望んでいらっしゃらないでしょうが、結果としてこれがいかに社会にとって大きな仕事になっているか。 少なくとも私は、ここにこなければ今歌ってなかったし、一生音楽を続けていこうなどと決心もしていなかったに違いない。私の勝手な言葉遣いだが、何かを「あきらめてない」感じがする。人が生きていくときにとても大事なこと。うんと抽象的になるけれど、「希望」のようなもの。個人が切実に生きていくことが、結局いつか社会と交わり、何か(誰か)を変えていくということかもしれない。

 

 今後も、この場所と福島英という類い稀な耳を最大限に利用して、わがままに自分本位に私の音楽を探していこうと思っています。できれば、なるべく多くの人に、途中退場せず、密度は濃淡さまざまでも、いろんな語りで関わりながら、自分勝手に利用し続けて欲しいと思います。10年20年などというサイトで物を考えられるようになったのも本当に最近のこと。入るときに「遅くないでしょうか」とオリエンテーションで質問したのを憶えています。今思えば何を恐れていたのでしょうか。今となっては年をとってほんとによかった。

 

 基本的な声を持つということが、いかに大切なことであるかがわかった。とにかく、日本人が魅力的な話し声を持っていないので、歌えるわけがない。とにかく、息、呼吸が基本であり、それを得ることができたと思っている。外国にきてみると、やっと同じスタート地点に立てただけなのですが、アメリカにも下手な人はたくさんいます。でも、うまくなりたければ、最低マスターしておかなければならないこと。 今の自分のベースになっていること、正確なブレスをマスターした上で、今のトレーニングが理解できている。

 

 今の学校では、日本人もたくさんいるが、きちんとした声で話す人、歌う人は一人もいないと断言できる。自分は、ことばの問題を除けば、外国人と同じ土俵でレッスンしていると実感している。これは、何年もかけてブレスを練習し、獲得してきたからだと思い、自分のしてきたことに間違いはなかったかなと思う。

 

 ただ、がむしゃらにやってたような気がする。好きでやってたことなので、あまり苦ではなかったが、毎回、考えることが多かった。ノートとか今みると、まじめで笑える。あそこまで声にこだわったのは、自分の歌いたい歌を歌っているシンガーと自分の声の差をわかっていたからだと思う。客観的に自分を見ている冷静な自分と、自分ならできるといううぬぼれともいえる自信があった。まあ、今も自信はないようなあるような。 音楽は、インプットされた以上のアウトプットはありません。とにかくたくさん聞くことをお勧めします(しかもうまい人)。今でもそちらで学んだことは、体のなかで生きています。

 

 声や歌は、他人から教えられるものではないということ。自分で探し、自分で仮説を立て、自分で検証する。そのくり返しを100回続けて、一つの真理に立ち向かう資格を初めて得る。それまでは愚直に自らの内面に直面し、問いかける作業をくり返すのみ。 今まで、ここのヴォイストレーニングを「ブレスヴォイストレーニング」として特別、意識したことはない。自分は自分の思った通りにやってきたし、これからもそうするつもりだ。それを「ブレスヴォイストレーニング」と誰かが呼ぶなら、それはそれで構わないが、自分にとっては今も昔も自分自身の練習でしかない。ブレスヴォイスに出会えたことは、自分の人生にとってとても大きなできごとで、それがなかったら今の自分はあり得ない(まだ、何も成し遂げてはいないが)と思う。 自分に関すること以外の思い出はまったくない。それは自分の歌や声に対する自己評価であり、そのために在籍しているわけだから、それで充分だと思う。あまりに他人を気にする人がいるが、そんな暇があるなら「自らのなかに入り込め」といいたい。思い出や友人などより、自らのなかに脈々と受け継がれてきた血のなかに、まず語り合うときをもち、感謝する心をもてば、自分が単なる一個体ではないことに気づかされるはずだ。自分の想いだけで歌っているなどと、うぬぼれてはならない。 他人のことはどうでもよい。たとえ、先生であろうと、基本的に自分にとっては同じである。自分はわがままで、それを放っておいてくれたことには深く感謝している。残りの時間を、今まで以上に「我がまま」に過ごそうと心に決めた。結果は、確かに大切だが、強がりではなく、心から、この苦しみ抜いた8年間、これからも続くであろう修練の日々こそが、自分を支えるすべてであるといえる。なぜなら、手に入れたものと同じか、それ以上のものを同時に失ってもいるのだから。

 

 LAに移住した私にとって、研究所はもう思い出となってしまいました。私が通っていた当時は、まだ今の研究所の形になるその移行期であったと思います。まだ、専用のスタジオがないときから、生徒たちはそのユニークなメソッドと、福島先生の不思議な魅力にみせられて、集まっていました。そこで、しばらく勉強した後、教えさせていただく機会を与えられ、またそこで新しい勉強が始まりました。そうして、生徒の皆さんを助けて差し上げることができ、それによって、生徒の皆さんの音楽が上達していくのを見るのは私にとってのこの上ない楽しみとなりました。

 

 研究所でのトレーニングメソッド、声の調整と発達については、皆さんのご存知の通りです。研究所で、声について実際に練習するのと並行して、私にとってもっとも勉強になったことは、「ヴォーカルとは何か」と考えさせられたことでした。ただ好きで歌っているだけではやはり何かが欠けている。「ヴォーカルとはこういうこと」というのを、テストのときに、そしてまた会報を通して、福島先生から学びました。自分なりの答えがなければならない。他の人と同じではいけない。 声の訓練、歌い手としての勉強は、隣の人との競争ではないのです。人それぞれ違う。そのなかで私のペース、私の歌をみつけていかなければなりません。 そういった意味で、福島先生のお話を聞くのはとても刺激になり、励みになりました。 何しろ当時は、他に今のような多様な、充実したクラスがありませんでした。だから、そこから、私は学びましたね。福島先生。これからもたくさんの生徒さんを励まして上げてください。また、くれぐれも、お体を大切に。また、日本で、福島先生と研究所のみなさんにお会いできるのを、楽しみにしています。

 

 研究所で学んだこと、得たこと~私の財産~原点にかえれること。判断の基準を自分に持ち続けられること。より複雑になってきたとき、表現の核に何があるのか読み直せること。やり続けた人のキセキをたどることができること。誘惑や落とし穴に溺れなかった(あるいは溺れてみる勇気のあった)人の芯の強さと真実を仰ぐことができること。 飾りと目移りしやすい世界のなかで「基本」は何なのかを知らしめてくれた。私にとっては「からだ」と「生き様」だった。言い換えていうなら、「姿勢」と「唄いたいこと」を“みつける”ということ。

 

 『ここを使っていこうとする人へ』一人の人間が、「トレーニング」に集中できるチャンスは、そうない。現実や日常は複雑で雑多な事情に取り巻かれていて、そこで「生きる」ということは自分ではどうにもならない事情に揉まれて、自分のことをやるのは一番最後になるのが普通だ。 今、研究所に通おうとしている(または通っている)あなたは、「稽古」を日常とできるチャンスに巡り合わせているといっていい。自分の置かれている状況を客観的に見ることは難しい。だから「今、自分がそのチャンスを目の前にしている」という事実をハッキリ認識できるのは、それが過去になったときである場合が少なくない。私もそうだった。最終的に表現は、現実に向き合った今のなかから何をつかみ、そこに自分が何を与えられるかということでしか見えてこないし、形になってこない。 観客にとって表現との出会いは絵でも歌でも踊りでも、一期一会なものだ。だから、その表現を高めるというのは、その瞬間の強度を高めていくことである。一瞬にどれだけ出せるかだ。そのために特化されたトレーニングが必要となる。

 いいものには深みがある。深みとは何だろうか。私はここで「複雑さ」と表現してみたい。これは自然を例に考えるとわかりやすい。自然は、さまざまな要素で成り立っている。光や水やミネラルや。それが絶妙なバランスで調和しタペストリーを織り成している。それは、一つが狂えば壊れてしまうような危うい緊張のなかでバランスを取っている。危うく、はかなく、もろいけれども、長い年月で育まれてきたその調和は、同時にものすごく強い。その緊張が輝きを発し、だから私たちはさまざまな機微や美しさを感じる。一つのなかにすべてが含まれているからだ。 私たちがトレーニングするということは、その一つひとつの要素を認知し、取り出し、億万年かけて育つ自然を一つの歌のなかに宿していくことだと思う。一人の人生は自然ほど長くはないから、集中して宿す時間が必要だ。そして、短い一生のなかでより到達するために、花々が種をつくって次の世代に受け継ぐように、すぐれた先達の残してきたものを、永遠の命として学んで、継いでいく役目が、トレーニングのなかにあると思う。 「今生きている自分のいのちを育てること」と「永遠のいのちを受け継ぐこと」、この二つが、トレーニングの意味ではないだろうか。