ブレスヴォイストレーニング研究所

福島英のヴォイストレーニングとレッスン曲の歩み

 

 ここでは、私がレクチャーやレッスンで使ってきた曲を順不同ですが、紹介していきます。

耳を鍛えることやオリジナリティを得るためにも、充分に活用できる歌曲の作品を主として取り上げていきます。 まずは、どのように聴くか(学ぶ、気づく)が、その人の可能性の大半を決めるといってもよいでしょう。

 これらは、私のレッスンのバックグランドにあり、本当の力をつけるためには、とても有意義なものと思っています。私がどのように出会って聞いてきたのかも加えています。お勧め曲の一覧も参考にしてください。尚、敬称は、略させていただきます。

 

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Context

 

1.イヴァ・ザニッキ 「心遙かに」

2.クラウディオ・ビルラ 「愛の別れ」(日本語)「アディオ・アディオ」

3.尾崎紀世彦 「さよならをもう一度」「また逢う日まで」

4.マヘリア・ジャクソン 「サイレント・ナイト」

5.村上進 「3001年のプレリュード」「カルーソ」

6.ジョルジア 「明日に架ける橋」「リヴ・フォーエバー」

7.メルセデス・ソーサ 「人生よありがとう」

8.仲代達矢の”役者声” 「どん底」

9.ジルダ・ジリアー二 「セレーナ」「愛の流れのなかに」

10.ニコラ・デバリ 「ギターよ静かに」「虹の日々」

11.ジルベール・ベコー 「神の思いのままに」「メケメケ」

12.サラ・ヴォーン 「枯葉」

13.タミア 「Falling For You(フォーリング フォー ユー)」

14.ミルバ 「タンゴ・イタリア―ノ」「愛はるかに」

15.エンゲルベルト・フンパーディング 「ラスト・ワルツ」「リリース・ミー」

16.グラシェラ・スサーナ 「アドロ」(日本語、スペイン語)rf.月田秀子

17.エディット・ピアフ 「恋人たち」(シャルル・デュモン) 「私の神様」

18.アマリア・ロドリゲス 「暗いはしけ」

19.ルイ・アームストロング(サッチモ) 「ラ・ヴィアン・ローズ」

20.美空ひばり 「悲しい酒」「上を向いて歩こう」

21.ジリオラ・チンクエッティ 「愛限りなく」

22.ベティ・クルティス 「アルディラ」

23.ドメニコ・モドォーニョ 「ヴォラーレ」「素敵なあなた」

24.ジャック・ブレル 「愛しかないとき」「行かないで」

25.ジョルジュ・ムスタキ 「ある日恋の終わりが」

26.バルバラ 「黒い鷲」「我が麗しき恋物語」

27.シャルル・アズナブール 「ラ・ボエーム」「イザベラ」「帰り来ぬ青春」

28.セルジュ・エンドリゴ 「去りゆく今」

29.サルヴァトール・アダモ 「インシャラー」

30.エラ・フィッツジェラルド 「マック・ザ・ナイフ」

31.ダミア 「暗い日曜日」「人の気も知らないで」

32.マレーネ・ディートリッヒ 「リリー・マルレーン」

33.ハリー・ベラフォンテ「バナナ・ボート」

34.マービン・ゲイ 「What’s Going On」

35.エルビス・プレスリー 「この胸のときめきを」「ラブミーテンダー」

36.ファッツ・ドミノ

37.リシェンヌ・ボワイエ 「parlezmoi damour(聞かせてよ愛のことばを)」

38.深緑夏代のシャンソン

41.ルイジ・テンコ 

 

(42~48中略)

 

49.劇団四季と浅利慶太さん(「エビータ」より)

50.美輪明宏 「ヨイトマケの唄」

51.井上陽水 「ドミノ」「心もよう」「氷の世界」

52.北島三郎 「函館の女」

53.布施明 「霧の摩周湖」

54.西城秀樹 「ブルースカイブルー」

55.カルメン・マキ 「六月の詩」「時には母のない子のように」

56.森進一 「影を慕いて」

57.さだまさし 「フレディもしくは三教街―ロシア租界にて―」(「帰郷」収録)

58.坂本スミ子とOmara Portuondo/Teresa Garcia Caturla(Los De Cuba) 「キサス・キサス・キサス」

 

 

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1.イヴァ・ザニッキ 「心遙かに」

 

 カンツォーネの曲名で「はるか」には「愛遥かに」「瞳はるかに」「心遥かに」と3つありますが、なぜ、一つだけ、「はるかに」とひらがななのでしょう。今では、「遥かに」とは使わなくなりましたね。

 最初の「冷たいことば聞いても」のところを原語で、日本語で入れてみるのに、ずいぶんと時間をかけたものです。「冷たい」を「tumetai」と比較して、実演しました。「愛の別れ」をクラウディオ・ビルラと張り合って歌っていますが、正面で争わず、彼女なりのもっていき方をしています。スキャットの「ラララー」あたりも、ビルラとは違う形です。本当の歌い方というのを教えてくれた一人です。

 

2.クラウディオ・ビルラ 「愛の別れ」(日本語)「アディオ・アディオ」

 

 この曲を彼の日本語バージョンで聞くと、日本語でなく、日本人との歌唱力との圧倒的な差がわかります。もっとわかりやすいのは、「夜明けのうた」の絶唱です。

 「キング・オブ・ハイC」のパヴァロッティと同じく、この「カンツォーネの王様」も、難しいことをいとも簡単にやるために、学びにくいのですが、声のやわらかさ、鋭さと音楽性については、ミルバと同じく基礎の勉強になります。ともに正攻法、真っ正面で歌うために、まじめすぎておもしろみに欠けると思う人も少なくありませんが、基礎から最高峰の歌唱まで、生涯、手本として学べる歌い手です。

 

3.尾崎紀世彦 「さよならをもう一度」「また逢う日まで」

 

 日本人なら忘れてはならないヴォーカリストです。ヒット曲「また逢う日まで」と「さよならをもう一度」を取り上げています。アドリア海の真珠ドブロブニクに行ったとき、一曲請われ歌ったところ、ガイドに気に入られ、その後、紛争で街が破壊される前まで文通しました。「ふたりでドアをしめて」のサビのところのフレーズ、「しーめーて」などは、勉強になります。この頃の歌い手は、「イ」が深くよく響きました。「ラーラララ、ララララ―ララ」のような声も、今の歌い手には出せないでしょう。

 

4.マヘリア・ジャクソン 「サイレント・ナイト」

 

 あまりにメジャーで、紹介するのもためらいましたが、これも12月の定番の練習曲としています。1秒も無駄のない完成された作品で、マヘリアの歌を聴いて自殺を思いとどめた人もいたというから、12月に限らず、どんどん流してほしいと切に願います。

 英語は、私はある時期、発声を教えるのに不都合と、イタリア語に基本レッスンを移したのですが、それでも、この曲は英語の弱点など、超越しています。最初の「Silent Night Holly Night」だけでも3年、次のフレーズに至っては、10年で克服できれば、あなたも天才というフレーズです。こういう大きなスケールで、かつ、温かみの伝わる歌を目指してほしいものです。

 

5.村上進 「3001年のプレリュード」「カルーソ」

 

 ファドやカンツォーネを歌い、TVなどにもときおり出ていましたが、早逝されました。

 銀巴里で、もっとも多く聞いたヴォーカリストであり、労音などでもみました。最後に新宿の高層ビルのライブを見に行くつもりでしたが、かなわず、ちょうど私のところに彼の弟子が通っていたので、すぐに訃報を知りました。4枚のアルバムの中でも、最後の死をテーマに取り上げて歌った数曲、時にピアソラの「3001年のプレリュード」らの一連の作品は、今でも胸を打ちます。私は日本人の歌手の日本語の見本としては、深緑夏代と村上進をあげています。

 イタリアでデビュー、石井好子事務所に属し、サンクオムというグループでもCDが出ています。この一人の歌い手に、日本人の可能性を実証していただきました。

 そのとき、彼の歌う大曲は好きでしたが、プレスリーばりに腰の入る色っぽい歌は生理的に受け付けられませんでした。今ならどうでしょう。

 彼の弟子の中では、松本潤子の「アンコーラ」の中に、可能性を感じられました。他に私が知らない歌い手の優れた歌唱があれば、教えてほしいと思っています。

 

6.ジョルジア 「明日に架ける橋」「リヴ・フォーエバー」

 

 2曲ともに、こんなアレンジができるのか、こんなアレンジで歌えるのかというのを見事に実現した曲です(研究所でのかつてのパートナーがそれを詩にしたのを、ブログにも入れています)。

 後者の曲を私は、一番は息を聞いてくださいと、呼吸、息の深さの差を伝えることに使ってきました。そして、コーラス間の「ハァ―」と息を声にするところの繰り返しをデッサンとしてみて、そのデッサンで、この曲のテーマで私は表現するよという展開をしていると。つまり、音楽ということばにできない世界を、絵画というたとえを通じて、私自身に「ことば」の使い方を教えてくれたと思っています。

 デッサン練習は、線、音楽のフレーズであり、そこでの色は音色、声のトーン、タッチですから、それを基礎の勉強としましょうという説明も、彼女の曲から生まれました。「私にはこの線と色があるから、このデッサン、このフレーズで、歌を料理するの」というスタンスが、歌い手の持つべきものです。悲しいかな、日本にそれほど創造的な歌い手は、美空ひばりさんくらいしかいないのです。ただ、残念なことに、ジョルジア自身のCDのできは、この2曲の歌唱に比べるとお勧めできないのですが。

 

7.メルセデス・ソーサ 「人生よありがとう」

 

 アルゼンチンを代表するフォルクローレの歌手。ジョーンバエズや月田秀子もカバー。

 
 日本のファド歌手 月田秀子

 彼女の好きだったのは、フランスのシャンソン歌手、ジルベール・ベコーでした。その「神の思いのまま」は、私のベストソングの1曲です。彼女も歌っています。
 私は、彼女しか出せないフレーズが好きだったので、どうでもよいことでした。他にまねのできないオリジナルのフレーズのある歌い手として評価できる人でした。
 アマリア・ロドリゲスの死んだ翌年、私は、その喪に伏しているポルトガル、のリスボンの記念館を訪ね、CD全集を入手して、しばらく毎日、流していました。Saudade(サウダーデ、サウダージ)の音楽、歌、何よりも声。(「暗いはしけ」は1954年、映画「過去を持つ愛情」で使われました。

 

8.仲代達矢の”役者声” 「どん底」

 

 弟の仲代圭吾のアルバムの中にあり、そのモノローグを彼がやっています。その一節に「オレは役者だ。役者って奴は・・・」というくだりがあります。私が息と声の関係に悩んでいたとき、欧米では、息で表現するのに日本の歌はなぜ声に響かすのか、という問いに、彼のせりふが息声で答えをくれました。つまり、日本人でも、本当に相手の心を動かそうと表現するときには、息が声に混じるのだということです。つまり、息が聞こえるから、表現が、リアリティが、そこでの状況や個性が、聞こえるのです。これはきれいに響かせてだけ歌っている歌い手の息と比べると、すぐにわかります。

 音大生のレベルでは、未熟な発声は聞こえても、ポリシーや個性は出てきません。日本では、教育が画一的なせいか、こういう分野でさえ、声楽からアナウンサーまで20代は型通り、40~50代まで続けた人だけ、力が抜け型が破れて、個性的な魅力が出てくるのです。そこまでに個の才能を問えず、やめてしまう人が多いのは、もったいないと思っています。

 

9.ジルダ・ジリアー二 「セレーナ」「愛の流れのなかに」

 

「セレーナ」

 初めて聞いたときわかったのが、「カフェラッテ」というのくらいの頃、イタリア語に接してしばらくした頃に出会った曲です。何年も経ってから、ジルダの若いときとは全く違う、テンポダウンした円熟版を聞きました。

 確かに、パワーは衰えていましたが、いろんな工夫がしてありました。人は年老いていきます。それを無理せず、とらわれず、そのときの歌い方ができるのは、幸福だなと思いました。

 私は10年以上に渡り、ドシドという、わずかに半音のところ、「セレーナ」の1フレーズに、「4、5年かけても、できたら早いほうですよ」と述べていました。「ドミノ」なども、惚れ惚れするほどよいです。

 

「愛の流れのなかに」

 私はこの歌い手に、日本人に欠けている要素を多く思い出したのだと思っています。それほど好きではないのですが、ここを抑えなければ、ある一線を越えられないというのを彼女は表しているようでした。これをエディット・ピアフなどで説明しても、多くの日本人には、とりつくしまもないように思うからです。

 

 たとえば発声の基礎のできた人が、これをコピーしても、もっと声量も声域も豊かでも、それゆえ、歌にならないのです。つまり、そこでは、自らの武器として、自分の声をどこまで知り尽くしているのか、そこに息をどう使い、表せれば一番人の心に届くのかを熟知していることが、大切です。

 出だしは小さく、息声ですが、ここでの寸分と狂わない表現力をじっくり味わって欲しいものです。日本人では、声量の豊かな人ほどもたないし、疎かにしているといえるのです。この曲では、出だしのあとのストレートなシャウトによって、小さな声で表現を保つには、このくらいの大きなイメージと、それに伴う声が出ることが必要というのを説明しました。声量や大きな声がなくとも、そこまで声を使えていれば作品になりうるのです。また構成や展開ということを学ぶにも適した曲です。

 

 ヴォイトレは、声量、声域を目指すのではありません。結果として得られるところは、声が自然に使える、そのために使うよりはやや大きめの器づくりまででよいというのが、私の自論です。個人差がこれほど大きいのどや声の使い方において、なぜ猫も杓子も、声域や高音を求めるのかわからない、いえ、あまりにわかりやすすぎる、そんなカラオケレベルの競争に陥ってどうするのかと思うのです。そんなところからは、こういう歌やヴォーカリストなど、決して出てこないからです。

 

10.ニコラ・デバリ 「ギターよ静かに」「虹の日々」

 

 歌声というのをわざわざつくって、それで歌うのは、一つの方法です。日本ではそこで認められてしまうので、言葉のレベルに歌が処理されていない苛だたしさがあったのです。国際レベルで一流といわれる歌や、民族音楽のようなしぜん発生的な順序を踏もうとしたのです。私は日本人の言語音声力を高め、そのままメロディを処理して歌に入りたかったのでしょう。

発声やヴォイストレーニングを学びながら、それを同時に否定する、つまり、技術などは見えてはならない、消化され、身についていなくてはいけないのに、それが見えるのは中途半端な完成度でしかないからです。そんな簡単なことさえ、わかる人が少ないのです。(あとで「エビータ」劇団四季で詳しく述べます。)

 

 そこで、1オクターブの歌をいろいろと探したわけです。それなら、音域に苦しまないというか、高低を意識せずにアプローチができるはずだからです。1オクターブの歌というのは、曲だけでは、盛り上がりにくいから難しいのです。誰でも歌えるし、初心者向きに思われていますが、名曲中の名曲しか残りません。逆にプロでも、本当の表現力が問われるので、一石二鳥なのです。

 つまり、誰よりも大きな声や高いところを出せるなどというのは、何のメリットでもなく、誰でも歌えるところで、誰もできないオリジナリティを出すことこそが、ヴォイトレの究極の目的なのです。そのために、体、呼吸、発声、共鳴、さらに歌い方は、人並みではこなしきれないために、必要性が生じ、トレーニングとなるのですから。

 

 冒頭の「ギターよ、あの人に伝えておくれ、涙に」 これでほぼ1オクターブあります。つまり、欧米人は、会話の中で1オクターブを使っているために、歌でその1.5倍くらいは、言語レベルでこなせるわけです。(先に、ジルダのところで述べた、大きなイメージが入っているからこそ、テンポを落としても小さな声にしても、充分に歌がスケールが保てるのです)

ところが、私たち日本人が、この1オクターブを語ろうとすると、歌ってしまわざるをえないのです。というのも、子音に母音で1文字となる、間延びせざるを得ないから、ビブラートで歌を表現として保たせる術が、やたらと取り込まれてきました。つまり、ポップスを声楽家が主導した影響に加えて、安易にビブラートをかけることで歌らしく歌をしてしまい、本当の表現力を弱めたのです。

 それを戻すには、まず言語として表現しておくこと、それをことばの意味の力に頼らず、強弱という楽器レベルで音声伝達力を確保させること、次にその変化の一つとして、メロディがあるくらいに捉えることです。つまり、メロディを歌って、そこに言葉をつける日本の音楽教育が形をつけさせたことと全く逆の方向から身(実)を入れていくのです。

 

 ささやくように、あるいは語るように歌えるのは、ハイレベルな課題です。声楽で声が自由になっても、日本語の性格上、どうしても歌ってしまうのです。いわば、小さく語って、音楽にのせることができないのです。

 これは、発声よりも音楽センスと自分の声への徹底した理解と使いこなす力だとわかったのは、あとのことです。声量や声域があれば、問題が解決するというのは、ヴォイトレに入った人の陥りやすい罠といえましょう。もちろん、発声こそがそういうギャップを埋める効率的なトレーニングだからこそ、ややこしいのです。

 

 私は、今でもウィスパーヴォイスやハスキーな声で歌わせるような教え方は、是認しません。ビブラートのかけ方なども、ヴォイトレでは邪道と思っています。

 基本はしっかりと声を出せること、本人の声の可能性を目一杯、広げていくことです。その上である程度、タフになればその使い方は、再現性を損ねなければ、本人の表現上の必要性が生じ、変じればよいのです。

 ところが、器がないから技術に頼らざるを得ない日本では、プロやトレーナーほど、大きな勘違いを起こします。誰かのをまねてかっこよく計算して、音響の調整でカバーしてしまうのです。それは、自力の可能性をつきつめて限界をみてから、まさにカバーするために行うべきことです。しっかりしたヴォイトレもやっていないのに、そこに走るのは、より大きな可能性への自殺行為です。

 ただ、シンガーソングライターとなると、作詞作曲の能力とトータルで、声も微妙にセンスよくみせる術で、ヒットされられる人がいます。こういう人は、本人とファンにはよいのですが、国際レベルでは認められないから、見本にはとらない方がよいのです。その人はその人で、そういう世界を認めさせられたのだから、それを実力として、私はよしとしますが。

 

11.ジルベール・ベコー 「神の思いのままに」「メケメケ」

 

 「ムッシュ10万ボルト」で親しまれた貴公子、研究所スタジオに写真が掲げてあるので、よく聞かれます。代表曲は、美輪明宏が訳して、日本でヒットさせた「メケメケ」と「そして今は」「ナタリー」「バラはあこがれ」など。「そして今は」は、コニー・フランシス、シャリー・バッシ―、プレスリー、ジュディ・ガーランド、アンディ・ウイリアムズ、シナトラがカバーしました。聞き比べてみてください。お勧めは「神の思いのままに」です。(エヴァリー・ブラザースがカバー、Let It Be Me、ボブ・ディランからジェームズ・ブラウンらもカバーしました)

 この曲は、泣いてしまう人もいるくらいに神聖な、信仰深い曲です。ベコーから歌い手の道に入った人も、日本にはたくさんいました。岸洋子、堀内環が、たくさんカバーしているので、比べるとよいでしょう。日本語、日本人、声楽出身者の二人と比べることで、ベコーの、あるいは、海外のヴォーカリストとの違いがわかると思います。ベコーの吐き捨てるような歌い方、ピアノの叩き方は、打楽器ベースで歌を処理する欧米の感覚がみてとれます。

 

12.サラ・ヴォーン 「枯葉」

 

 サラヴォーンの「枯葉」は、音程やリズムを強化したい人のために毎日10回聞いたら、4年くらいでよくなるといいました。上っ面の音感、リズム感でなく、実践で使えるものとしてです。

この中のフレーズをこなすのも、最難関でしょう。コピーできる箇所がかなり限られますね。声の使い方、男性以上の太い低音からヴォリュームたっぷりの高音、シャウトから共鳴まで、まさに声を楽器レベルで使い、アドリブ、フェイク、セッションとは、こういうものと見せつけます。ボビー・マクファーリンなどよりもおすすめしています。

 

 こういうのを聞くと、どうしても日本人のフェイクやアドリブは楽譜に書かれたような形にしか見えなくなってきます。つまり、自分のデッサン、色と線があり、それにあらゆるパターンに対応できる種類や応用力があり、はじめて表現が成り立つのです。

 セッションというのも、日本では楽器とどっぷりと組み合えている例は、ほとんどありません。バラバラに走っているというか、バンドもヴォーカルにセッションしていないで、バンド内で成立させているようで不快なことが多いです。バンドをリードできるようなデッサン力をもつヴォーカルが少ないのです。

 日本人の中では、綾戸智恵は、デッサン力があると思います。ジャズにおいては、声のせいか、固さと無理な形がみえて、心地よくないのですが、「夜空ノムコウ」など、日本語の曲のカバーには、彼女の独自のオリジナリティがみえます。

 「枯葉」というと、イヴ・モンタンの創唱で、ジャズにも取り入れられ、サッチモで大ヒットした「バラ色の人生(ラビアンローズ)」と並びます。

 

13.タミア 「Falling For You(フォーリング フォー ユー)」

 

 タミアの「Falling For You」は、クレイシー・ジョーンズのプロデュースの名唱です。セリーヌ・ディオンやマライア・キャリーをコピーする人は多いのですが、彼女たちよりも差がわかるものとして取り上げました。アスリート並の集中力やフレーズ処理力などがなくては、一声たりとも出せないのです。日本人には、聞き取りにくいので、ヴォリュームを2~3倍にして、体感してみるとよいです。わずか2、3秒のフレーズを比べても充分でしょう。

 

14.ミルバ 「タンゴ・イタリア―ノ」「愛はるかに」

 

 ミルバは、私が最後に会ったときのステージを、感謝を込めた詩をサイトに載せています。歌としてもヴォイトレとしても、私に最大の影響を与えたアーティストの一人です。

 「タンゴ・イタリア―ノ」は、3つのリズムが入っています。「タララーラララ・・」のフレーズだけで、私はその才能に驚いてしまったのです。

 カンツォーネで学ぶ意味は、これまでも述べてきました。メロディの美しさ、構成、展開の確かさ、歌でなく、歌唱、いえ演奏なのです。二流で終わる人は、技術ばかりを求めてきますが、一流になる人には、精神を、そして、一流の作品の紹介や聴き方、学び方を伝えるべことです。

 

「愛遥かに」

 カンツォーネの女王、日本の歌は、「ウナ・セラ・ディ東京」に「昴」、「夜明けのスキャット」など多数。

 来日するごとにテーマを変えたステージを、「エル・タンゴ」ピアソラの「リベル・タンゴ」ほか、「カルーソ」「泣かないでアルジェンティーナ」ピアフの曲をイタリア語でカバー。

 「ミルバ日本を歌う」

 「谷村新司を歌う」

 「新カルメン」「リリー・マルレーン」

 「エンニオ・モリコーネを歌う」

 「ミルバ・カンタ・ブレヒト」

 「ナポリターナを歌う」

 あらゆる歌を、いろんな言語で歌っています。

 ミルバについては、聞きこむしかありません。聞くだけなら、ミーナの方が楽しいでしょう。

 

オルネラ・ヴァノーニにスケールの大きさを学びましょう。「素敵なあなた」「生命をかけて」「カーサ・ビアンカ」「チェルカミ」(「逢引き」は、2004年「オーシャンズ12」にも使用)

 「ローマよ今夜はふざけないで」「アモーレ・ミオ」

 「強く抱きしめて」「リトルネライ」

 「エ・ヴェーロ」最初のエ・ヴェーロの6回くり返しのところです。

 似たフレーズで、アリダ・ケッティの「死ぬほど愛して」(1960)のところ、「アモーレ・ミオ」最初のアモーレの4回のくり返し「…アモーレ・ミオ、やさし君に…」、「生命をかけて」サビ。

 

15.エンゲルベルト・フンパーディング 「ラスト・ワルツ」「リリース・ミー」

 

 私がヴォーカルに目覚めた深夜放送で、オリビア・ニュートンジョンに続けて、かかったのが、彼のメドレーでした。「リリース・ミー」「ラスト・ワルツ」「愛の花咲くとき」「太陽は燃えている」「スペインの瞳」。

 レッスンでは「Quand Quand Quand」(68年)を、元はカンツォーネ、トニー・レニス(62年)です。イタリア語、英語、日本語で比べます。「いつか二人で…」の出だし、日本語の難しさを痛感させられます。「ラスト・ワルツ」、深く張りのある低音から高音まで統一した声は、日本では、尾崎紀世彦が近く、正統的な感じがします。声のポジション、共鳴、縦の線、すべて、そこでは包括されているように思うのです。

 

16.グラシェラ・スサーナ 「アドロ」(日本語、スペイン語)

 

 アルゼンチン出身、アルゼンチンタンゴの菅原洋一が紹介しました。1971年初来日。「サバの女王」「愛の時間」「アドロ」は、1番の日本語、2番のスペイン語比べます。サビの踏み込みは、原語では素晴らしいのに、日本語ではやや難しくなってしまっています。

 

17.エディット・ピアフ 「恋人たち」(シャルル・デュモン) 「私の神様」

 

 映画や舞台でも、その劇的な人生を取り上げられるシャンソンの女王、「バラ色の人生」「愛の賛歌」「水に流して」幼い頃、3歳からしばらく目が見えず、音の感覚が研ぎ澄まされたのではないでしょうか。

 「アコーディオン弾き」「群衆」「ミロール」はリズムフレーズ、「私の神様」「谷間に3つの鐘が鳴る」「パリの空の下」は音程フレーズ。ピアフの見い出した歌手、シャルル・アズナブール、イヴ・モンタン、ティオとともに歌唱を比べてみるとよいでしょう。

 越路吹雪、美輪明宏、大竹しのぶ、ほか、舞台化されました。映画では、マリオン・コティヤール主演(2007「エディット・ピアフ愛の賛歌」第78回アカデミー賞主演女優賞受賞)。

 「恋人たち」をお勧めするのは、シャルル・デュモンの深い声にピアフがバックコーラスを奏でているからです。

 恋人たちがこの歌を聞けば、きっと涙を流すだろう。日本語訳詞では「あなたの歌を聞くとき、恋人たちは泣くだろう」で、「あなたは、いつでも笑顔でこたえる…」のところを、メロディに流されることばを伝えるということで、よく使いました。

 

 シャルル・デュモンは、ピアフの育てた歌手の一人です。

 シャンソンの女王、「愛の讃歌」は悲劇的な経緯も含め、世界中でドラマチックに聴かれ、演じられたり、歌い継がれています。

 ピアフには、最後の曲「水に流して」ほか「アコーディオン弾き」「群衆」「谷間に3つの鐘が鳴る」など、スタンダードナンバーもあります。

 「ハンブルグ」では、金子由香利の力強さがわかります。

 

 恋人を失い、「愛の讃歌」で絶望の淵にあったピアフが再起したのは、「水に流して」でした。 「いいえ、私は後悔しない」という歌。 オリンピアでは、幕があがると、16分間拍手で歌い始められなかった。 3ヶ月、連日休みなし満員で、オリンピア劇場の経営を助けました。

 「あなたの歌を聴くとき、恋人たちは泣くだろう」(恋人たち) 62年、テォ・サラボと46歳で結婚。翌年逝去。 マレーネ・ディートリッヒ談「彼女は心の限り歌い尽くした。生き方はスキャンダラスであっても。」

 

18.アマリア・ロドリゲス 「暗いはしけ」

 

 ファドの女王、ポルトガルの国民的英雄です。私は、亡くなった翌年に、リスボンを訪ねました。メリスマとサウダーデの理解に。村上進(日本語詞)との比較をしました。

 ファド歌手は、ほかに、ミージア、カティア・グレイロ、マリーザなど。

 

19.ルイ・アームストロング(サッチモ) 「ラ・ヴィアン・ローズ」

 

 ジャズのトランペットプレイヤーでヴォーカリスト、スキャット唱法を生み出した人です。

 エラ・フィッツジェラルドとの「ポーキーとベス」。マイルド・デイビスに「しゃべりまでジャズになっている」と言われました、しわがれた声をまねた白人たちが喉を壊したというので、発声のコピーにはお勧めできません。

 「バラ色の人生」(ラヴィアン・ローズ)は、ピアフ、美空ひばりと比べてください。

 彼のトランペットを聞いて、彼の歌唱で聞くと、楽器のプレーと声の歌唱のことについて、多くを学べるでしょう。トランペットは、初心者には音が出せない金管楽器です。音を出すこと、次に音を伸ばすこと、そして少しずつ長く強くしていきます。声も、すぐに歌うという前に声をきちんと出して、フレーズにしていくというプロセスをふまえることと同じです。スキャットというのは、ことばのない歌です。ハミングと同じで、発声、声の音色でメロディを聞かせるのによいと思います。

 参考スキャット「夜明けのスキャット」由紀さおりの「ルールールルルー」(1969、2011ピンク・マルティーニ)(THE YELLOW MONKEYの吉井和哉、香西かおり、ほかカバー)

 

20.美空ひばり 「悲しい酒」「上を向いて歩こう」

 

 「悲しい酒」は、最初は、北見沢惇という25歳で逝去した低音の歌手が歌ったものでした。涙つきの表現、戦後日本人は、泣くことを忘れたと哲学者、山折哲雄氏や五木寛之氏が述べていました。

 

 カバー曲も入れ、1500曲以上残したひばりのなかで「上を向いて歩こう」では、途中、アカペラでペースダウンして歌いあげています。

 ふつうにこなしてしまうだけでは、終えられない女王の意地とともに、そのメロディとリズム、ことばの融合性ミックス、支える声と呼吸のレベルの高さは感嘆ものです。

 私はすぐに何人ものプロの歌手やハイレベルの歌い手にコピーされるので、その差や違いが誰よりも明確に確証を得られるのです。そして同時に、その歌い手の才能、能力、実力とともに不足点、欠点も明らかになります。自分一人でやるのと客観性がまったく違います。☆

 

 歌詞と音楽性の両立を日本で安定してどの曲でも成したのは、美空ひばりです。それには7つの声、なかでも、日本人にはめずらしく低く太い声の存在、芯のある声の存在です。これが裏声や高音の発声と伴っている歌手は日本では稀有です。

 その秘密は、少女時代にすでに大人の声をもっていたことにあります。そこでは、時代劇のような芝居浪花節のような語り、腹から声を出す少年役から男役が多くて、女優としてもそういう声を使えるのは他になかったでしょう。

 日本の女優の声は、清く美しく正しくとつくられ飾られていました。宝塚が男役として身長が高く低く太い声の出る大スターを輩出しながら、初期のレベルを越えられないのは、花嫁教育指針と先輩のコピーにあったと思います。

 ひばりは身長150cm台、高音向きのようですが体形や首からみると中音向きです。高く細い声ー低く太い声を自由に行き来できることで、歌をことばとして扱える条件を満たしています。高く太い声ー低く太い声、この太いは、深いという方が合っています。ひばりは、高く太い声もあるのですが、それほど使っていません。世界の一流の歌手は、深い声で高低を感じさせずに一本化し、一体化しています。ひばりがそうしなかったのは、日本の歌の伝え方、端唄や小唄、清元の歌唱イメージ、あるいは日本人の感性かもしれません。最終的には、ことばの語りを選んだのです。

 

21.ジリオラ・チンクエッティ 「愛限りなく」

 

 ヒットを連発、16歳でのこの歌唱力は、天才としかいえません。

 「夢見る想い」は日本語版もあります。伊東ゆかり、弘田三枝子がカバー。

 「ナポリは恋人」弘田三枝子のと比べます。リズムに注目。

 他にチンクエッティの代表作は「ローザ・ネーラ」「雨」「落葉の恋」「薔薇のことづけ」「太陽のとびら」と美しいメロディが並びます。

 

22.ベティ・クルティス 「アルディラ」

 

 映画「恋愛専科」、アメリカのラブ・コメディ、イタリア舞台。

 出だしのラーララララーのところだけは、とってつけたようで、よくありません。

 Al di iaの入り方、Ci sei tuのおき方、この2つをマスターした上で、サビフレーズに挑戦しましょう。

 ルチアーノ・タヨーリもカバーしています。

 

23.ドメニコ・モドォーニョ 「ヴォラーレ」「素敵なあなた」

 

 1959「チャオ チャオ バンビーナ」出だしの2フレーズを使います。

 1966「愛は限りなく」はチンクエッティと比べましょう。キリンビールのCMで有名なヴォラーレは、それはジプシーキングですが。

 「素敵なあなた」では、あの声の真価発揮、ジャズの「Boi Mir Bist Du Schon」とは違います。「チャオ チャオ バンビーナ」も、せりふのチャオのところをしっかりと。「ヴォラーレ」はoh ohが難しいです。

 

24.ジャック・ブレル 「愛しかないとき」「行かないで」

 

 「行かないで」岸洋子のと比べる。

 「愛しかないとき」荒井恍子のがよいです。

 「アムステルダム」新井英一のも参考に。

 

25.ジョルジュ・ムスタキ 「ある日恋の終わりが」

 

 ジョルジュ・ムスタキのは、大塚博堂の「ある日、恋の終わりが」の元曲として入りました。ムスタキが来日したとき、ホテルで食事を伴にする機会があり、そのときの写真は、私の宝物の一つです。こういう神がかり的な仙人のような歌手は、まねられるものではありませんが、私は「私の孤独」で日本語の語りのまま、メロディを処理して歌わずに歌として、成立させるためにどうすればよいかを模索していました。同じ目的で、ピアフの「あなたはいつでも笑顔で応える」(恋人たち)を使いました。この曲は、今では、新井英一のバージョンがよいでしょう。

 

 ジョルジュ・ムスタキがつくって、バルバラが歌った「我が麗しき恋物語」も圧倒的です。これは、クミコが日本人の誰もが泣く歌として、この前ヒットしました。「いなくなるの、あなた」というところから、ぐっとくるのですね。(こういう歌詞中心の歌い方は、バルバラと比べるとわかりやすいでしょう)

 

 コラヴォケール大塚博堂やさとう宗幸がカバーしています。

 「私の孤独」は、出だしを日本詞でコピーします。

 「異国の人」

 「17歳」「HIROSHIMA」

 

26.バルバラ 「黒い鷲」「我が麗しき恋物語」

 

 バルバラといえば、「黒い鷲」、日本では岸洋子の絶唱があります。その歌い方の違いこそが文化の違いであり、差です。バルバラはしぜんにことばを削っていきますが、岸さんはそれをあてるのに留まっています。

 日本人は、元の曲が6番まであれば、その通りに6番まで歌います。表現として、もってもいないのですから、半分にすればよいのに、まねします。変なアレンジをバンドが入れることも多いのも邪道です。スキャットなど声だけの技術で展開するところは、およそカットしてしまいます。

 

 「我が麗しき恋物語」

 「黒いワシ」を岸洋子と比べると、わかりやすいでしょう。岸はビブラートで大きく歌いあげます。間がもたなくなってしまい、しぜんと後半で、ことばを抜けなくなります。

 クミコでヒットした「我が麗しき恋物語」

 「ナントに雨が降る」

 

27.シャルル・アズナブール 「ラ・ボエーム」「イザベラ」「帰り来ぬ青春」

 

 シャンソンの悪名のちりめんビブラートのように聞こえて、とっつきにくい人も多いのですが、あるとき、その声の魅力に目覚めるとはまってしまうのが、シャンソン歌手の第一人者、シャルル・アズナブールです。

 

    「ラ・ボエーム」は、日本語歌詞をせりふとして読み切って、できるだけそのままメロディを従えています。「イザベラ」は、「ことばをメロディ処理」する練習に使えます。特に「イザベラ」と繰り返すところは、そっくりその練習になります。「イザベラ」で1オクターブ半あがっていくのです。せりふとメロディの混ぜ方もアズナブールならでは、役者です。知らない人は、かなり違うのですがクリント・イーストウッドをイメージしてください。

 

 「帰り来ぬ青春」は、多くの人がコピーしています。シャーリー・バッシーがお勧めです。日本では今陽子がもっともよく、梓みちよもよいです。

 今陽子はピンキーだった頃の「恋の季節」の「恋は、私の恋は~」、梓さんの「二人でお酒を」の「それでも~ 飲みましょうね」は、日本人離れしたフレーズです。グラシェラ・スサーナの「アドロ」のサビと同じく、大きく歌うことの勉強になります。

 それにしても、青春の頃に聞いていたこの曲を、もう帰り来ぬ青春とわかる年齢になって、想い出すことになるとは感慨深いものです。もう帰り来ぬ人の唄。

 

 「帰り来ぬ青春」シャルル・アズナブール、シャーリー・バッシー、イヴァ・ザニッキ

 「イザベル」

 「ラ・ボエーム」イヴェット・ジロー、しますえよしお

 「想い出の瞳」

 「エルザの瞳」

 「哀しみのヴェニス」

 「コメディアン」

 「愛のために死す」大木康子

 「ジザベル」

 「青春という宝」

 「私は一人片隅で」

 「忘れじのおもかげ(she)」エルヴィス・コスティロがカバー。

 「機動戦士ガンダム」のシャア・アズナブールは、彼の名に由来します。

 

28.セルジュ・エンドリゴ 「去りゆく今」

 

 「去りゆく今」は、TBS系TVドラマ「赤い迷路」では、ファースト・チリアーノで、セルジュ・エンドリゴは「君を歌う」「瞳はるかに」「テレーザ」「真昼の用心棒」の主題歌「Massacre Time」などで有名です。「去りゆく今」は、冒頭の「Adess si Addess che アデッソシ アデッソケ」を「さりゆく いまこそ」と付け替えるのがソソラシ シラシドの半オクターブでのフレーズ処理です。低音の声のポジションでのメロディ処理が問われます。さらに、サビの「私は知っている このことを 去りゆく今…」の高音フレーズの処理、挑戦してみてください。声の深さと薄っぺらくならない高音処理、イタリア語から日本語に変えたフレーズの比較と、課題は盛りだくさんです。

 

29.サルヴァトール・アダモ 「インシャラー」

 

 「サントヮマミー」(1963年)が最初の大ヒット曲、忌野清志郎もカバーしています。アラン・ドロンと主に日本人受けするタイプです。「雪が降る」「愛の中に君がいる」「インシャラー」と、ハスキーな声で高音までもっていく独自の応用としての参考例です。日本人の感性、研究のためにも、と思いました。「インシャラー」は、第三次中東戦争直前、22歳で書き上げました。常に、時代の最先端のことを歌っているのに、日本の客は往年のヒット曲だけを聞きたがっています。そのギャップを感じて、私は、「今」の大切さを伝えたかったのかもしれません。「ル・ネオン」も大都会を歌い新鮮でした。原詞をみて、無理やりメロディに即興的に入れ込んでいくレッスンをしました。

 「明日は月の上で」「夜のメロディ」「ブルージーンと皮ジャンパー」「ヘイ・ジュテーム」「ろくでなし」。

 日本語訳で歌っているのが多いので、とても参考になります。

 

30.エラ・フィッツジェラルド 「マック・ザ・ナイフ」

 

 感心したのは、歌手でなく、渡辺えり子の「マック・ザ・ナイフ」です。長い歌詞もうまく訳して、見事に処理していました。もちろん、エラ・フィッツジェラルド版がお勧めです。

 

31.ダミア 「暗い日曜日」「人の気も知らないで」

 

 新井英一のカバーと比べましょう。

 

ダミアの「暗い日曜日」で、18人が自殺。

警察から止められた、そんな曲。

ルーマニア 「ランダバ」「恋のマヒアミ」

“見たくないものつきつける”ようなものが欲しい。

サンボマスターのPRをした。

駆け抜けるだけでなく、止まるんだ。

そして、また、駆けるんだ。

 

32.マレーネ・ディートリッヒ 「リリー・マルレーン」

 

 ミルバ、加藤登紀子のと比べましょう。

 日本語詞がなかなかよいのです。

 

33.ハリー・ベラフォンテ 「バナナ・ボート」

 カリプソの女王浜村美智子のカバーと比べてみましょう。

 

34.マービン・ゲイ 「What’s Going On」

 

 1971年、反戦歌。関心を持つこと、関わること、深い意味をもつ歌詞で歌うこと。うまいのに伝えていない日本人のコピーばかり聞いてきました。コピーとスタンダード。ものまねと自分のものにすることに違いを知ること。客もこれまた同じで、向こうに似てたら受けてしまうという、日本では二重のバーチャル構造があります。

 

35.エルビス・プレスリー 「この胸のときめきを」「ラブミーテンダー」

 

 ゴスペルからロックンロール、プレスリーの若いときの声は、ビロードの声といわれたフランク・シナトラと並びます。ピンク・クロスビー、ナットキングコールなど、ソフトで柔らかく迫力があります。ソフトな声は、ペリーコモやアンディ・ウィリアムス、日本では、ソフト低音のムード歌謡が流行していました。

 

36.ファッツ・ドミノ

 

 日本の歌唱力の弱さは、敵を深く批評できるスタッフの層のなさです。向こうへ行くとバンドマン、ギタリストやベーシスト、ドラマーまでが、日本人のプロ以上に歌えてしまうことに、唖然としています。

 私は、ファッツ・ドミノをとりあげました。

 

 

37.リシェンヌ・ボワイエ 「parlezmoi damour(聞かせてよ愛のことばを)」

 

 この曲シャンソンにのめり込んだ人は、日本人の歌手に少なくありません。淡谷のり子、高英男、石井好子など。1930年の唄です。

 私はピアノを習っていたとき、「河は呼んでいる」が、その出会いだったと、かなり後に知りました。

 

38.深緑夏代のシャンソン

 

 芦田宏が逝去、石井好子についで日本のシャンソンの重鎮が続けて逝きました。紅白などで日本にシャンソンを宝塚(越路吹雪、上月晃など)とともに普及させた功労者でした。

 でも、私が歌い手としてもっとも評価するのは、90年代の早期の私の書物(音楽之友社/ON BOOKS)に紹介した深緑夏代です。

 コロンビアから大人の音楽のシリーズとして、「モダンな昭和を聴く、シャンソンの巨星」として、18曲再リリースされています。12曲目までの1975年発売レコーディングは秀逸(13曲目から1972年のライブ版はやや残念ですが)です。

 私は、日本語の歌唱の例として、村上進と、声楽っぽいところを引いた岸洋子を挙げていました。深緑のほうが深く、また、由紀さおりに通じる艶をもっています。「帰り来ぬ青春」は今陽子に匹敵し、それにこの選曲、「神の思いのままに」や「貴婦人」「行かないで」「インシャラ」「愛は君のよう」「ラ・ポエム」「おお神様」の選曲が、私の感性に近いので、改めて驚きました。

 「セ・シ・ボン」は、日本人として初めて、欧米人と変わらぬ歌唱レベルの音色を使ったと思います(ただ、肝心の「セ・シ・ボン」が、派手に日本人好み、宝塚色が残っているのが残念です)。これは、日本の客の好みを考えたり、これだけ名歌手や名指導者がいて、なぜその後、それを超せなかったのかを知るための大きなヒントになります。

 

41.ルイジ・テンコ「『Dalida』と自死」

 

 「Dalida ダリダ」(2016)を観ました。そう、あのサンレモのとき、彼女はルイジ・テンコのそばにいたと思い出しました。「青春の墓標」で茶番と叫んで出ていったように、彼は生きるのには、あまりに繊細でした。(それは曲を聞くとわかります。ダリダの「灰色の途」にも通じますが、)映画では「Angela」が流れていました。

 「Se Stasera Sono Qui」「Quando」は、私とカンツォーネとの関係を決定づけた2曲でした。

 34歳のときの後追い自殺未遂、そして54歳でのピリオド。他に2人自殺します。アランドロンがでてこなかったのは、今も生きているからでしょうか。(1973年の大ヒットしたダリダとアランドロンのデュエット曲「甘い囁き」、これもカバーでしたが。)

 自死については、とても深い問題です。自らを殺す自殺とは、私は異なると思っています。それについては、またいつか。

ルイジ・テンコ(1938-1967)

ダリダ(1933-1987)

 

 

 

(42~48中略)

 

 

49.劇団四季と浅利慶太さん(「エビータ」より)

 

 ここに劇団四季の人たちがもっとも多くきていたのは、10年ほど前までのことであったように思います。関西や名古屋でも指導しました。声楽出身者と劇団出身者が分かれていて、主に声楽家のところに学びにいった人以外がここにきました。
今ならむしろ、そういう人たちにここはもっともうまく対応できる体制になっていると思います。それ以降は、オーディションを受ける人がよくきます。私どものトレーナーにも劇団四季の出身者やトレーナーをしながら転身した人もいて、よく通じていました。
劇団出身者で声楽の基礎、高音やコーラスの発声法に通じない声の人と悪役声(けもの声など)のようにパワフルで、ハスキーな声を求める人が多いです。さらに西欧音楽にないリズム(アフリカなど)の歌唱や感覚を必要とする人、その他、劇団四季を出て、ブロードウェイなどに挑戦する人などもいました。この場合、海外、つまり国際的な基準を求められるわけです。
この4つの日本の歌唱の弱点は今もどこでも対応しきれていないように思います。言いかえると、この研究所の本質的な役割は、そこに集約されているといえるのです。

 劇団四季と私のスタンスの違いは、これまでも記してきました。浅利氏の日本語歌唱での発声発音法は、劇団のせりふの延長上にあります。元よりミュージカルとしての音楽面は、優先されていないのは、今さらいうまでもありません。
欧米のミュージカルとの差については、よく例として出した「エビータ」のマドンナ・バンディラス版(映画なので入手しやすい)と劇団四季バージョンを比較すると、わかりやすいと思います。

 日本で劇団四季が成功した秘訣は、宝塚歌劇団と同様に、日本人の感性を考えるのによいケーススタディとなります。興行としての手法も、学ぶところ大です。政治的なことでなく、なぜ日本人の感性が、そのミュージカルにとりこまれたのかということです。
私は声と歌で同じく氏が理想としていた美空ひばりとの関連からも純粋に研究してきました。
 今となっては、国家の予算に加えけっこうな自己負担を強いてきた音大の声楽科をも従えてしまったほどの、つまり劇団四季にあこがれ入りたくて音大に入る人が多数いるほどの、そして、ヴォーカルの数少ない安定した就職口として、これだけの組織体制を歌劇でつくった偉業に、深く敬意を捧げ、冥福を祈るばかりです。(日本のオペラは市民権や職としての確立は今だ得られず、です。)

 

「エビータ」での比較

 比較として、お勧めするのは、次の3曲です。「こいつはサーカス」「星降る今宵に」「共にいてアルゼンチーナ」

 かつて合宿でも使いました。私がいつも指摘する次のような違いが出ています。

日本人 母音 高低 細 小 弱 伸 声楽ぽい(か劇団ぽい) ふしぜん 舞台

欧米人 子音 強弱 太 大 強 切 ロック、ポピュラー   しぜん  日常

 日本語の処理にすると、どうしても母音中心に共鳴を伸ばしてつないでいく、間延びしてシャウトできず、インパクトがなくなり、きれいに美しくひびく歌いあげて歌わされてしまいます。ことばをしゃべるように処理できないで、違うものになってしまうのです。これは、日本語と欧米語(他の外国語も含めてよい)の違いに起因します。結果として声域が広く感じられるようになり、地声と裏声の2つのつなぎかた、統一して、差をなくするのか、美しく弱い裏声(男性は、ファルセットにするときもありますが、むしろ、最近では弱い地声をあてています)で、きれいに切りかえるかで、苦労します。声量も大きく歌いあげることになり、この2つがミュージカルスターの条件になっているため、トレーナーも声楽的テクニック(声楽をうすめたもの)で教えます。この問題は、私がいつも問題になったところですでに問題、つまり、せりふを言うように歌えないために、カヴァーしているやり方なので、次善の策ゆえに、それを実際にできるほどに本場の表現の迫力には、対抗できない形をとってしまうということです。しかし、それを選び、使ってきた日本人の感性にもよるのです。とはいえ、まねても消化できないために編み出したやり方ともいえます。

 

50.美輪明宏 「ヨイトマケの唄」

 

 泣かせる歌は数多くあります。ほかには、雪村いづみ「約束」「傷心」。

 近いところでは、クミコ「我が麗しき恋物語」。どれも皆、歌詞が泣かせるのです。

 日本人独特の共感現象、もはや症候といってよい、傷ついているものの輪です。

 泣いたり、傷ついたりのところで成立していたのが、演歌、別名、怨歌、恨み節、酔う、泣く、酒、悲しい、慰めの演歌ワードでしょう。

 

51.井上陽水 「ドミノ」「心もよう」「氷の世界」

 

 「ドミノ」は、井上陽水のつくった曲でありません。彼のCMソングでのリカバーに啓発され、ヒットさせたペギー葉山まで並べてみました。

 井上陽水というのは、異色の存在で、最初の1フレーズの入り方だけで、圧倒的な強さ、才能を感じさせる、日本では稀な存在です。

 そこに並ぶのは、矢沢永吉です。大スターと共に、向こうで歌った「I’m Cruel」などよりも、私は日本語のものに惹かれます。たとえば、コカコーラのCMの一連の歌のCDが出ていますが、アーティストたちの中でも、声の力でフレーズの与える印象で傑出しているのは、彼です。(参照CD「Come on in, Coke ’80(THIS IS A SONG FOR COCA-COLA)」)

 

52.北島三郎 「函館の女」 

 

 全体の構成です。言葉で伝わらない部分は、材料をそろえて示します。

 外国人と比べたらどうかとか、日本でこういうふうに歌える人はいないのかということでは、昭和40年代の北島三郎の「函館の女」「兄弟仁義」あたりは、誰もできない天才的な歌唱となっています。

 当時29歳くらいというと、遅咲きで、昭和11年に生まれて、40年代に花を咲かせた。東京に出てきたのは18歳くらいで早かったのですが、ずっと流しをやってきました。流しだけでは勉強はできません。それは大切なところで、誰でも歌えるのです。でも歌にならないのです。

 

 ここには演歌臭さが入っていないといません。進行に対してどういう駆け引きをとるかということを体の中で知っているからでしょう。時代もあれば、育った環境もあります。我々が外国人の真似をするのもそうです。

 美空ひばりのような安定した歌唱を貫けた人は珍しく、逆にいうと、大半の歌手は悪い部分が拡張されて、あまりいい歌い方ではなくなっていくのです。ただ、歌手というのは、いろいろな部分で伝えていますので、一概には言えません。

 

53.布施明 「霧の摩周湖」

 

 代表曲「シクラメンのかほり」「積木の部屋」などでは、しゃくれ、いや、はしおった感じで、どちらかというと野口五郎的なのですが、これは、森進一的な声が入っています。それと「君はバラより美しい」の、この気障さは彼しか歌えないでしょう。

 

54.西城秀樹 「ブルースカイブルー」 

 

 西城秀樹が歌が本当にうまいと気づいたのは、日本人のすぐれた歌唱を選りすぐらされたときでした。それまで、私は彼の「ブルースカイブルー」(1978年)を日本人離れした大きな曲に美しいメロディでカンツォーネのようだと絶賛していました。彼のステージでの「レイディ」(「Lady1980」 ケニーロジャースでのヒット曲)をとりあげたこともあります。今 もこの2曲を私なりに彼の「絶唱」と思っています。

 あまりにさりげなくて、どの曲もかなりのハイレベルで歌っているのに皆、気づかないほどのすごさでした。

 秀樹は、ヒデキであって、評価を抜けている歌い手です。歌で声が飛んでくるポップス歌手は、日本にはとても少ないのです。 忌野清志郎のようにトータルでなく、歌唱力としての個性で、しかも尾崎紀世彦のように声フレーズとしてでなく、ロックとして日本語を動かした点で、ビジュアライズな魅力よりも、歌の声の力、感情の伝え方で味わってもらいたいと思います。

 歌唱の力は「若き獅子たちよ」でわかるでしょう。
 私がリアルタイムで、好きだったのは「愛の十字架」でした。
 今、思うと、どれもプレスリーのように宗教や祈りにも通じていた歌のように思えます。殉教とはいえなくとも過激な生活がたたっての早逝でした。2018/5

 私は60代まで生きた彼を「早かった」と、惜しみたくはないのです。世に出て最初の3年で惹き込み、7年で解き放つ、スターというのは、もうそこで成り立っているのです。(デビュー1972~「Young Man」1979)

 

55.カルメン・マキ 「六月の詩」「時には母のない子のように」

 

56.森進一 「影を慕いて」

 

 

57.さだまさし「フレディもしくは三教街―ロシア租界にて―」(「帰郷」収録)

 

 NHKでオンエアバトルをみたいのに、突然なくなっていて、よく出てきたのが、さだまさし(の番組)です。私には、NHKの深夜便って感じです。噺家を目指して上京されただけあって、トークにおいては、それだけで作品となる完成度を誇ります。あまりにトークの力が強いので、歌い手なのにトークの間に歌を挟むといったスタイルを確立したのも、彼かもしれません(ちなみに、歌も長いのが多く、紅白出演で物議を醸したこともあったような。CDのライナーノーツまでトークが長い、この曲の収録されているCDは、詞は6ページまで、8ページから28ページは、対談ほか・・・)。

 なぜ私が、さだまさしを、というのは、素朴な疑問でしょう。ちなみに、平尾昌晃は日本のトップ10に、さだまさしを入れていました。

 

 「精霊流し」や「無縁坂」あたりを同時代(「グループ」の時代)で聞いて、それは山口百恵の「秋桜」につながっていくものでした。「関白宣言」は、ことばを節をつけて歌う、そして弾いてみればわかるように、延々と同じ音が続く彼の代表的なパターン。後日、私の中では、ジョルジュ・ムスタキなどにつながるのですね。「あかちょうちん」「好きだった人」のかぐや姫の南こうせつとなじんでいきます。

 私が、取り上げたのは、「フレディ・・・」と、スティービー・ワンダーの「21世紀の子供たち」(訳詞さだまさし)でした(後者は、研究所の合宿に、さだまさしがつくったプロセスも含めて取り上げました。「案山子」は「乾杯」(長渕剛)、「妹よ」(南こうせつ)、「防人の詩」はいつか)。

 彼の小説・映画まではよく知らないのですが、MCやトークの力が歌手に必要と、日本の音楽シーンを大きく変えたのは確かです。

 

 私は、よく「日本人は歌に音楽演奏よりも、ことば、詞、せりふ、そしてストーリーを、他の国よりも大きくとらえ、求める」と述べてきました。そのために、「外国語よりも日本語の方がうける」さらに「歌よりもトークの方がうける」のだと説明してきました(玉置宏のようなMCの第一人者がいなくなったと、話をしていたところですが、これもMC=Master of ceremony)。

 世界の中で、歌でなくMCで最大に盛り上がる国民になっているのです(データも出ていたので確かです)。

 そう考えると、噺家志望だった彼が、幼いときのヴァイオリンの演奏を活かして切り拓いたのが、「さだまさしの世界」といえるのでしょう。

 私は、ことばを音楽的に処理するところに、声の力でなく、ポピュラーとしてのトータル感覚でもっていくところに、いくつか学んできました。

 

 さて、「フレディ・・・」は、反戦歌です。中国のロシア租界という、彼のテーマの一つである中国を舞台に、時代に運命を狂わされた漢口での話です。「ランデブー」などという「アベック」なみに今は古いことばが使われます。「なんて深くて青い目」(「アルディラ」の訳詞の「なんてあおいひとみ」のフレーズは、よくレッスンで使いました)、そのおじいさんのように、あなたもなると思っていたのに、私はそのあなたのそばでずっと生きたかったのに、という、歌詞も曲も美しすぎる反戦歌です。その美しさゆえに戦争を否定し切るのです。でも、皮肉なことに、「燃えあがるあかい炎の中をとびかう戦闘機」もまた決して醜くはないのです。「あの人は一枚の絵だった」「絵」とは・・・。「人情」だけで語れない、さだまさしの一面、「非情」の業火の世界です。(戦闘機の機銃掃射によって命が奪われた話は、ダークダックスが歌った「アンジェリータ」というカンツォーネにあります。アンツィオに上陸した兵士と歩いていた、戦争孤児となった女の子が4つの貝殻を握って死んでしまったという話です)

 

58.坂本スミ子とOmara Portuondo/Teresa Garcia Caturla(Los De Cuba) 「キサス・キサス・キサス」

 

「キサスキサスキサス」での坂本スミ子との比較では、次のことがわかります。

日本人は、大一小、長一短、で音を捉えています。楽譜でのf-p、フォルテーピアニッシモ)は強一弱です。大小と強弱は、ともに音圧ヴォリュームですが、ニュアンスは違います。たとえば、クレッシェンドやデクレッシェンドも日本人はどちらかというとだんだん強く=大きくとか、だんだん弱く=小さくと捉えるのか、そういう感じで扱います。むしろ、強は、鋭いとかつっこみ、ドライブ感、動きの大きさ、鋭角的という感じで捉えてみるとよいと思います。

私はよく過速度で例えます。速い車と過速度のある車は違います。時速何キロでるのかと、急発進できるのか、トップスピードにどのくらい早くいけるのかの違いです。ギアなら、トップが、スピード、ローが馬力です。そう、馬力と考えてもよいでしょう。車輪は大きいと早い、しかし、小さい(数が多い)方が力は強いのです。

 

 坂本スミ子さんの声は音色も声量も強さもあります。声の芯もあり、今の日本人の失った声の楽器としての器、声の芯は、当時の歌手の資質として一流レベルです。弘田三枝子、浜村美智子、西田佐和子、カルメン・マキ、浅川マキに通じます。

 問題は使い方で、日本語の歌詞がつくとこうなってしまうということです。「恋は心に…」のサビは今洋子の「恋は私の恋は…」や梓みちよの「それでも、たまに…」のフレーズのような力強さがあります。

                                          (福島英、編集部文責)