ブレスヴォイストレーニング研究所

プロフェッショナルへの伝言(1)~1999.6

 

はじめに

  私は、いつも必要なものは、本当にその人にとって必要なところまで手に入ると信じています。ただ、欲しがってはいても、本当の意味で必要でないことが多いので、身につかないのです。本当に必要なら、そのことがその人の毎日の行動を変えていきます。素直に、そして真剣になります。それを志があるといいます。

  しかし、いくら必要性があって志をもち、一所懸命にやっていても、自分のみえないもの、足らないものに気づかなくては、上達はしません。

  それに気づくために、他から学ぶことが大切になります。自分を知り、世の中を知り、その接点をつけていくことは、なかなか一人では学ぶことはできません。本当に学ぶためには、まず正しい学び方を学ぶことが、何よりも大切です。

  本書は、研究所の会報に掲載された発言などをまとめたものです。多くのレッスン受講生やスタッフと共に歩んできた研究所についての、私の考え方の記録です。これからプロの表現者をめざして生きていく人への助言になるものと思い、まとめてみました。

  欠けがえのない一度限りの人生を生きようとするあなたに、勇気と力を与えられたら、そしてあなたの心の支えとなれたら本望です。

 

 

Ⅰ アーティスト詩集 歌は決してあなたを裏切らない
 
1-1 うぶ声よりも高く歌いあげよ~たかが歌、されど歌
 たかが歌、と言う。それなら、たかが声、たかがピアノ、たかがサッカー、たかが競馬……とも言うことができよう。わめいたり、声を出したり、鍵盤を指で叩いたり、球を足で蹴ったり、馬を走らせたりするだけのことには違いない。しかしそのいずれもが、〈たかが〉のこととしては終わらない。

  〈たかが〉に過ぎないと言ったもの――それを繰り返し繰り返し続けるうちに、歌も声もピアノも、どうしてこんなにも美しく人の心を捉えるものになるのだろう。
  感動、つまり心を動かされるという精神的機能は、おそらく人間に固有なものであろう。その人間に固有な特質の、長い長い遺伝作用の最先端にぼくらはいて、できたらそれを受け継ぎ、新たに創り出したいと願いながら、歌を選んだ。

  ぼくらの創り上げるものも、やがて生まれてくる子どもたちに追い越されるかもしれない。

  しかし、いつか研究所を去る日が来るまで、ぼくは先行した人類の吐き出したたくさんの息を、誰よりも深く吸い込み、そして吐き出しつづけようと思う。

  どんな人間もこの世に誕生し、命を与えられた瞬間に、生まれた証としての〈うぶ声〉を上げた。それ以来、ぼくたちは声を上げつづけてきたではないか。

 

 その声を、きみはもう上げようとはしないのか。
  今ならもっと大きな声が出せるのに。
  そして何よりもきみ自身が生きていけるのに。

 

 

1-2 キラッとしたものをキラ、キラ、キラに

 やり始めたばかりのときは、誰でもそれなりにやる気に満ちているので、それぞれキラッとしたものが出ています。意欲も見えます。でもこの輝きは誰もが持っているものです。大切なことは一年また一年と続けて輝かせていくことです。それが人前に通じるところまで続け、さらにそれを超え、磨きをかけられるかどうかです。

  進んで〈場〉に出て、〈場〉に慣れていってください。ある意味でこの研究所は、日本の中でもかなり厳しい場所です。はじめはマイクもバンドもありません。シチュエーションとしても、これくらいの広さ、これくらいの人数の前でやることが一番きついと思います。しかしそれは、ここでどれくらいのことができるかを試すことで、自分の力を客観的に見ることになります。

  心を白紙にしてください。いろいろなことを見て感じ、試していくことです。今まで歌ってきたというのなら、なるべく早い目に、それをいったん壊すことです。本当に自分がやりたいことは何か、そのために何が足らないのかを突き詰めていかないと、自分のやるべきことがわかってきません。

  人前で表現するということ自体、殊に日本人は苦手なのですが、これは慣れていくしかありません。今の自分に何ができるかを、この場を使って、体験し知っていくことです。

  こういうことは、誰も周りにいなくなったところから始まります。誰かがいるから、見ているからやるようでは、せいぜい人前に出るところまでで終わりです。やりつづけられる人はいつも一人でやります。誰もいなくても、たった一人でやれなくてはいけないのです。イマジネーションの世界ですから、それがないと思ったら、入れるのにどうするか考えましょう。何をするにも精一杯、取り組んでいくことからです。

  どのくらい取り組んできたか、そこまでやってきたのかということが問われます。その上でここに出てくるのでなければ、ことば一つ、表現に値することができるはずがありません。出したときに失敗しても、それが次の可能性につながるのなら、ここでは成功です。

  そうすれば、多くの人がキラキラしたものを手放してしまう中で、あなただけは、キラを一つずつ加えていくことができるようになるでしょう。

 

 

1-3 一分間で一生

 一分間という時間がいかに長いものか、一分間でどれほどのことができるのかということを、自分の身に感じられるようになってください。

  歌は、一生を何秒かに賭ける仕事の一つです。自分が今やったことがわかるようになることから始めましょう。選んでくる曲の歌詞や、音の一つひとつに責任を負わなければいけません。そのことばについて質問されたら、何時間でも語れるくらいであたりまえだと思ってください。

  他の人とは違うと思う部分を大切にし、それを最大限に拡大して取り出すのです。拡大しすぎたら嫌味になるのではないか、などと考える必要ありません。個性とは、他人とのちょっとした感じ方の違いにこだわったところから生ずるのです。舞台ですから、そこまで自分を掘り下げて、そこで得た表現で空気を動かさなくてはいけないのです。

  ただ自分の体験をしゃべるのでなく、何をどう感じているのかを音声で伝えることです。自分を見て、他の人も見て、また自分を研究してください。

 

 

1-4 本当のあなたとの出会い

 こういう分野に関して言えば、本当の意味での出会いとは、あなたの顔を覚えるのではなくて、あなたの作品で出会わせてくれることです。ですから、自分を作品で問うことです。レッスンの中で何か感じられることがあったら、そういうことも出会いの一つです。自分の作品で、他の人達を出会わせられるようにしていくのが、あなたの役割です。

  それには、頭で考えるのでなく、あなたが何をどう感じているかが出てこなければなりません。そのためには、そこに入っていくことが必要です。うまく歌おうとか、うまく読もうとしているのが見えるようでは、まだ入りきれていないのです。

  それでは形をとっているにすぎないから、誰の印象にも残りません。うまくいっても、無難に終わったというだけのことです。

  そういう目的でやらないことです。どこを間違えたかをチェックするためにやっているのではありません。間違えたことが減点になるのではありません。何を出せたか何を創ったか何を与えたかが問われるのです。

 

 

1-5 夢をかなえるということ

 夢を実現することは、誰にとっても最大の念願です。しかしどうやったら夢を現実にできるだろうかなどと人に聞いたり、心ひそかに願ったりしているうちは、それは無理なことです。夢は人にかなえてもらうものではないからです。

  単なるあこがれに過ぎなかったところから、自分の夢をどうふくらませていくか、力をつけ、人に認めさせてゆくためにはどうすればよいかを考えましょう。

  それにはまず、自分の演技、スタイルが必要です。他の人のやり方にあわせてやっているだけではどうしようもありません。他の人が追いつけないところまでやって、はじめて少し差がつきます。

  あなたが自分の人生でひきずってきたもの、よいもの悪いものも、すべてに光をあてましょう。すべてを一つの声に出しきりましょう。

  トレーニングよりもまともなご飯を食べている方がいいと思うくらいなら、やめた方がよいでしょう。トレーニングは、若いうちだからこそ、徹底して打ちこめるのです。それには、たくさんの勉強する時間が必要です。しかし、あわてないことです。ある時期まで続けたら、人より一所懸命生きたとか、学んだとか、やったとか、自信がついてきます。一人前になるのに十年以上かかる世界なのですから、いろいろな道があってもよいのです。

  受け手としての能力も大切ですが、それ以上に、送り手としての能力を磨くことが必要です。基本トレーニングのあくなき繰り返しの上にだけ、自然に表現のベースになるものができてきます。そして、そこからが勝負なのです。情熱、意欲、パワーで、絶対にゆずれないという思い入れがあなたにはありますか。

 

 

1-6 こだわりについて、こだわるべきことについて

 〈やりたい〉と思っていることは、やらなくても、誰にも迷惑はかけないし、怒られもしない。だから、〈やらなくてはいけない〉と誰かに言われたことよりも、実行していくのはもっと難しいことです。だからこそ、一つのことにこだわり、やりとげていく人には誰もが感動し、価値を見い出すのです。それは、自分へのこだわりなのです。

  人は何もしなくても、どんなにでも生きられるのです。なのに、自分が自分であることにこだわって生きようとし、生きることにわざわざ苦しみ、それによって成長しようとします。その姿に、人は自然と打たれるのです。蝶や蛾でさえも、己自身の姿になるときは美しいでしょう。

  同じ場にあって同じ時間を共有しあうこと、このプロセスこそ生――人の生、人生でしょう。どこかをやめて研究所にきた人もいます。しかしこの研究所も途中でやめたら、もとの木阿弥、結局、同じなのです。たった一年や二年、がんばり抜いて、それでわからなくなった人は、わからなくなるところまで来られたということではないでしょうか。そこからが勝負でしょう。

 

 

1-7 すばらしいこと

 表現できるということは、とてもすばらしいことです。

  しかし、このすばらしいことを実現するのには時間がかかります。努力が必要です。どうしてみんな、こんなにすばらしいことが、ほんのちょっとの努力でできると思うのでしょう。五年も十年も、いやもっと長い期間にわたって毎日努力しても、大変だろうと思うのがあたりまえなのに、簡単にできることのようにしか考えないのが、ぼくには不思議です。大してすばらしいことはやろうとしていないのだろうと思いたくなります。一つのことに時間をかけること、それだけでもすばらしいことなのに。

 

 

1-8 歌は決してきみを裏切らない

 小器用にいくつものことをこなす人がいる。
  うまく立ちまわり、要領よく楽に生きて、得しているつもりの人だ。
  不器用でも、ただ一つ、絶対なものを持って生きる人がいる。
  ただ一つのことに人生を賭け、絶対を生きている人だ。

 どちらがよりよい生き方かはわからない。
  だが真剣に人生を生きようとする人、
  絶対なものを持って生きる人の生きざまにかなうものはない。
  ただ一つと思っていたものが、いつかすべてに通じる道が開ける。

 時間も空間も自由に超えられる今、
  ぼくらは時間も空間も自由でなかった人のことを考えなくてはいけない。
  それは人類にとっては、ほとんどの人のことだ。

 音楽家たちは、つかの間の時間、わずかな空間に自由を手に入れた。
  彼らは自分の力で音楽を奏で、そして歌が聞こえるようになった。
  生きている苦しみを歌った歌に、生きている幸せを感じた。
  生きている幸せを歌い、生きた。
  愛する苦しみを歌った歌に、愛の不実を嘆き生きた。
  人生を、年老いることを、子どもたちを、
  愛する人を、憎悪を、喜びを、
  悲しみを、恋を、夢を、絶望を!
  歌い手の息吹きを感じ、自分の鼓動を確かめた。
  歌い手のため息に、手首の血管を見た。
  歌い手の恍惚とした表情に、背を流れる汗を感じた。

 歌い手が歌い、送り込んだ歌が体に満ちたとき、
  世界やら人間やら、生やら愛やらがいっぺんに回転し始め、
  頭の中も脳も胸も心臓も逝っちゃって、やっと落ち着いたとき、
  きみは口ずさみ始めていた、歌い手として。

 歌は決してきみを裏切らない。
  きみがそのときの心をいつまでも持ち続けることができたら…。
  だから、結局、歌えないのは、人間が悪い。
  もっと強く愛していたら、歌は離れることはない。
  わずかな一生……。わずかな歌……。わずかな人間の命……。

 

 

1-9 あなたって何だ?

 いつも寂しく思う。研究所を変えているのがあなたでないことを。
  表向きの形がどう変わっても、それは変わったということにならない。同じものに真実なものの本質が宿るように変えることだ。

  みんなは何でも早く理解しようとし、決めつけようとする。歌や声だけではない。息も体も気分も感情も、時代や社会も。しかし今日はきのうのままではない。それをもっと鋭く感じとり、もっともっと素晴らしく表現できるようにするために、基本の型やフォームがある。それなのに、そこに埋もれてどうするのだろう。

  世の中は汚く、金も汚いなど思うのは、現実をそうとしか見られないあなたの眼のくもりである。だから歌をやりにここにきたと、もしあなたが言うのなら、エセ宗教と同じことではないか。いやエセ宗教団体のメンバーでさえ、あなたよりもっと厳しい修行をしているだろう。

  確かな価値を求め、それを得て身につけていくということは、あなた自身が変化することを抜きにしてはありえないことだ。あなたが変わることで世界のあり方も変わる、あなたが歌で表現することが、この二つをつなぐのだ。その先にある世の中は今と違うものではない。金も同じなら人間も同じ、世の中も同じである。

  世の中が冷たいと言うのは、あなたが冷たいと感じているからだ。熱く表現して世の中に働きかけることができないでいるからだ。

  〈ギブ〉しないで〈テイク〉はない。あなたのつけた力があなたを変え、まわりを変える。

  そのときの一瞬一瞬が真実なのだ。

 歌を創造せよ!
  客を創造せよ!
  自分自身を創造せよ!
  Be Creative! Be Artist!

 あなたが来てここが変わらなかったとすれば、
  あなたがくることでこのときがもりあがらないなら、
  あなたがいないことで何も欠けなければ、
  ……
 あなたって何だ!!

 

 

1-10 やめたくなったあなたへ、一度だけおくる詩

 そのとき、きみは大きな勇気を持ってここを訪ねた
 そしてきみはまっ白になって、すべてを貪欲に吸収しはじめた
 誰にも負けないで、そしてじぶんにも負けなかった
 ――でもきみは勝てなかった。うまくならない、できない
 そしてきみは、自分をもてあまし始めた
 大きな欺瞞の心がきみを支配した
 こんなことして、何になる。こんなことでうまくいくのだろうか
 自分に向けていたまなざしが、他のものにうつりはじめ
 きみの心は染まりはじめる
 ときに一つのレッスンに、一人の人に、一つの声に
 洗われることがあっても、きみはきみの心を自分で汚しはじめた
 グレることは大人になること――そんな大きな勘違いをして……

 

 

 何と言っても、誠実で素直でないことほど悲しいことはない
 きみは知らなかったのか、何もないところで踏み出す大きな勇気より
 ちょっとつまづいたときにそこで一歩踏みとどまる小さな勇気の方が
 その積み重ねこそが、何事をなすにも大変で、
  それゆえ尊いことであることを

 

 

 誰よりもすごいことを成した人は、成したことではなく
 超えたこと、不屈の精神でやりとげたことで
 何でもないことをすごいことにした

 初心を抱き貫き通せることは、大変なことだ
 声も歌も音楽も、その大変なことを貫いて生きている人への
 神様のごほうびなのだよ……

  きみは、勇気を持ってドアを開け、
  そしてきみを大きな声で伝えなくてはいけない
 いつも、機会あるごとに、
  きみの存在、生きざま、そしてきみの作品を
 まわりの誰もが一目おき、きみのその努力、苦労、
  一つのことを成せる力を手に入れたことへの賞賛を
 その耳に、体に、心に、全身であびる日まで……

 ここを去るのは簡単だ……その「言い訳」がきみにとって
 きみの初心にとっても納得のいくものならば……
 ただ、ここを見切ると言うなら待って欲しい、
  ここにもわずかにだが、みんなに惜しまれ、涙を流させ、感動させ、
  歌を、声を、作品を
 残して〈卒業〉していった人がいることを、
  貸スタジオや一〇畳のちっぽけなスタジオだったときでさえ

 

 

 きみは何のために、ここにいる、何のためにここにきた
 自分が自分であろうとするために選んだ、そのときの
 自分の心を大切にして欲しい、

 何かをやり遂げた人は
 ただ一つ、他の人よりも、
  自分のそのときの心を大切にしつづけた、
  もちつづけた、歌や音楽や人を愛するのと同じように
 そして、学びつづけた

 今一度、ここにきたとき、そしてきてからしばらくすごした日々、
  そのときよりもずっと大きなものをたくさん学んでいるか、
  作り出しているか、問うて欲しい

 きみの心はまだまっ白か、
  もっともっと学べるほど大きくなったか
 そして、何も学べていないことを学び、
  もっと学べる幸せを感じて欲しい
 世界中のアーティストが、
  どんな思いでこんなにもすばらしい作品を
 わずかな一生の間にあんなにも作り残していったのか

 素直になること、耳を心を傾けること……
 きみの心臓はもうきみのものではないのか、動かないのか
 きみの体は心は、歌は――
 あきらめず、あきらめず、ただあきらめず……
 人生で一番、大切だった、そのときを
 忘れず、忘れず、忘れず
 離さないで、死ぬまでずっと握りしめて離さないで……

 歌がもし、あなたの恋人なら……
 あなたが歌にふさわしくなればよいだけ
 歌は裏切らない
 本当だ、それだけは信じて欲しい
 いつも裏切っているのは、あなた
 もっとそばによって、ほおをつけて、
  その息づかいにまばたきにしびれてごらんよ、
  キスしてごらん、そして眼をあけて、勇気を、
  あのとき、あなたがあなたであろうとしたとき、のように
 今、ここで――それがいつもすべてにおける最大の問題で
 そして答えなのだよ

 

1-11 ラスト・レッスン

 年に何人かほどだが、ここをやめるとき、最後のレッスンで涙する人がいる。
  声はひっかかっていても、なんて美しいことなのか。
  その美しさをぼくはねたみ、眼を熱くする。
  もちろん、二年いたくらいでは涙なぞ出ない。
  それ以上にがんばってきた人たちの眼の輝きだ。
  ここに思い出を与え、ここを作りあげ、そして変えてきた人たちだ。

 他人ごとではない。
  きみらもやがて、退くだろう。
  ぼくもやがて退くだろう。
  そのとき、こんなにも美しい涙を流せるだろうか。
  やりつくした涙か、後悔の涙か。
  どちらにせよ、それは生きてきた証であり、生きている証だ。
  かわいた瞳で生きるよりはよい。

 もう一度、自分に問おう。
  どこで生きるのか。いつ生きるのか。
  クライマックスは、いつも、今、このときだ。
  同じところにいて同じ空気を吸っていて、
  そして何も感じられない、その他大勢の人たち、
  きみらはいつ目覚めるのか、いつまで寝ているのか。
  いつ、その瞳をぬらすのか

 いずれ、ぼくらも人生から退くときがくるだろう。
  そのときを、ラスト・レッスンにしたい。
  できるだろうか。

 

 

1-12 まだ、レッスンは……

 どうして本質が見られないのだろう。
  権威や名に負けてしまうのだろう。
  ここにあなたが入ってきたのも、ぼくの本や講演のことばのためだったのか。
  思っていたのとは違うとか、合わないとか、
  それを正し、合うことにしていくのが、あなたの役割だろう。
  違う本を読んだら、そこへいくのか?
  違う歌を聞いたら、それを歌うのか?
  そんなのは出会いでも何でもない。
  ここでもぼくと出会っていないのだから、別れもない。
  どうしてぼくや客と出会う努力をしないのだろう。

 ぼくはいつも聞こうとしているのに、
  あなたは、身につく能力を持っているのに、
  自分で身につかないように邪魔している。
  それが、いつまでわからないのだろう。
  レッテル貼り大好きの日本人のなかに群れようとする
 抜け出すことに努力せず、
  いつまでも他人の歌を他人のふりして歌っている。

 これだけは覚えておいて欲しい。
  身につく人は、必ずどこでも一ヵ所に一つのことを残してきた。
  だから、次のチャンスもくる。
  いるところにすべてきちんと自分の足跡をとどめてきた。

 そこにいるトップレベルの人よりもできていないのは、
  まだまだ学べることがあるのに、自分で詰め切れないからだ。
  いや、詰め切らないのだ。
  だから、そんな人生になる。
  だから、一〇年たっても変わらない。
  それを変えるために来たのではないのか。
  それが、たった二、三年であきらめるなんて。
  ここで一曲も人を感動させずに、やった気になるなと言いたい。
  ぼくと出会ったと、研究所で学んだと言って欲しくはない。
  目頭が熱くもならないのに、去るというなら、
  それは
 まだレッスンは
 始まっていなかったということなのだ。

 

 

1-13 軽井沢のつき抜けるような空へ

煮つめて練り込んでおいで―

1-14 五合目
 五合目まできたら
 そこからがずっと大変なんだけど
降りることを考えなくなる―
 だから のぼれるんだよ

 

 

1-15 最期のうた

ぼくの のど仏を 誰かが
 ハシで はさんで みる日が
 いつか 必ず くる だろう
 そのとき ぼくの のど仏は
 さいごの 音 を
発して くずれ る だろう
 それは、きっと、何の
輝きも 深み もない
音だ ろう
(それを ぼく だけ は
 やはり 聞くこと が
 できない のだ)

(30年先か3日先か、いつか、きっとのうた)

 

 

1-16 ミルバ ’98

  あなたは、私の生まれるまえから歌っていた。
   そのころの日本ですでにその名は知られていた。
   あなたをみたのは、それから二〇年、学生のころだった。
   そして、その二倍の年月が経とうとしている。
   なのにあなたは、今もそこに立っている。
   歌っている。

  みんなはあなたを知っている。
   しかし、知らない人も多くなった。
   ビルラもシナトラも逝き、
   今日は新しいホールだ。

  あなたはぼくを知らない。
   ぼくはあなたに力を得た。
   あなたの歌声は世界をめぐる。
   あなたの力を封じ込めたレコードは、世界をめぐる。
   そして、あなたも世界をめぐる。

  あなたはぼくを知らない。
   でも、もっとあなたが知るべき人は、いるはずだ。
   昔、あなたから盗もうとしたことを
  〈ディーバー〉の少年のような日を
  ぼくは思い出していた。

  あれから二〇年、いろいろと変わった。
   けれど、あなたは変わらない。
   ぼくも変わらない。
   そのことを大切にしよう。
   そう歌い続ける。
   あなたはいつもと変わらず、
   全身で、いつもこんなにも多くのものを伝え続け、残してきた。
   あなたにとって、この世界はどう見えるのだろう。
   あなたの眼に、東京はどううつるのだろう。
   そして、このぼくは――。

  日本からきた一人の坊やに
  海外のアーティストはみんな、親切だった。
   ぼくはあなたのまえでは、坊やのまま。
   かつて、この深くて遠い世界を身近に、
   手玉にとってさし出してくれたミューズ。

  同じホールの空気を
  同じ鼓動の音を
  同じ二つの耳で聴きながら

  今宵もまた、逢瀬。
   きっとぼくは、好きではなかったはずだ。
   あなたの作品も歌も音楽も。
   まじめすぎてスキのないその歌に、
   本当にひかれたことはなかっただろう。

  なのにどうして、いつもここであなたを待つのか。
   あなたの熱烈なファンと一緒にいるのか。
   それがいつもわからなかった。
   あなたの声や技術やステージを盗みにきた。
   あのころのぼくの欲しかったのは
  そんなものでしかなかった。

  あなたのファンに、
   ぼくはただ、なりたかった。
   ただのファンに。
   そして、その歌を聴きたかった。
   なのに、あなたは、それを拒むかのように
  いつも、偉大だった。
   ぼくは、あなたの心が欲しかった。
     *それにしても、TVにも滅多に出ない、遠い国の六〇年代のスターを支える日本の客には感謝したい。

 

 

1-17 “自”殺

 年とともに動けなくなり、死んでいく。誰もがそうだ。
  しかし、自分で自分を殺してどうするのだろう。誰が、何もなさなかった死体をみにくるというのだ。

  ステージは、自分の生きざま、そして生き場であるとともに、死に場である。
  そのステージを、あなたはいつ、どこにもってくる気なのだろうか。
  これで君の生命はよいのか、生きたのか、輝いたのか。

 

 

1-18 感性と声

 バンドの技能は、コンピュータに奪われつつある。

  ヴォーカルの声は、コンピュータで出せないから安心だと思うな。
 技能は技術の発達で、ますます技能そのものの価値はなくなっていく。
 今のヴォーカルも、声がなくとも音響でカバーされている。カラオケでうまいのも一興だ。

  そうして誰もが歌えるようになると、その人の演奏を聞きたいかどうかの勝負となる。だからタレントヴォーカルが受けるのもあたりまえ、声がなくても人を魅きつけるものがある。声を身につけても、それだけでヴォーカルになれるはずがない。人を魅せる力にプラスしてこそ、価値のあるのが声なのだ。高級な楽器だって同じだろう。声をやるのは、声から音楽、その本質の感性を磨くためだ。一流のヴォーカリストは、感性に加えて声をもっている。そこを間違うな。

 

 

1-19 「ライブ感覚」をもつ

今、この瞬間、ここで生まれてくるものに心をゆだねる
過去のこと、ことばにとらわれるな
 そこで自分の心を動かしたものの動きにそって表現していくことだ
決まりことば、教科書通りのレッスンは、表現の後退でしかない

失うことを恐れて得ようとしないなら、得たものは すでに、
 得られない、失うだけ。
 飛び込むこと。
これができない。
でも、勇気をもて。

 それが自分の人生に必要なら、全力でそのときに得なくてはいけない。
  それがなくてもよいと思ったら、それはそれだけのもの、水とパンさえあれば、人生は生きていける、そして死んでいく。
  あなたが、そのことに、こだわれるのが人生であることを選びとらない限り。
  あなたに必要なものならば、決して冒険を、傷つくことを、不安定を恐れてはいけない。
  飛び込んで切り拓けないものはない。
  いつでも遅いということはない。
  自分を愛して信じているつもりで、自分を愛せず信じられないのは誰。
  愛されることを待っているより、愛することだ。
  待つほどにおくびょうになるものだから、今、逃げない方がよい。

 

 

1-20 問い

1.なぜ君らは、仮に生涯、やっていこうとするものなら、歌や声、そして今の自分を徹底して疑い、つきつめようとしないのか

2.どうして自分が最も見据えなくてはいけないもの、みたくないものから目をそらすのか

3.既製のワクのなかで考え、“歌う”ことのまえに既製のワクを取り払い、新たなものを築こうとしないのはどうしてなのか。(この一点においてのみ、アーティストたるものであるはずなのに)

 4.自分は自分のペース、自分のままでよい。それは正しいが、自分への甘言でしかない。でも、それが(その程度が)本当のあなたか? だとしたら、いつまでも何もできない。あなた自身が誰よりもあなたの可能性を信じないでどうする?

 

 いったい誰が人並み以上のことをしないで人並み以上になれるというのだろう。結果しか認められない世界(長年いても長年やっても、それは何でもないということ)において、結果の出ない人は、何もやっていない、やれていないのである。(ただ、時間が助けてくれる。時間が神様なのである。そのプロセスを自覚しているなら、そのときは成果が出なくともよいが、成果をめざさなくてはならない。)

  所詮、この世界のすばらしさを傍観している人は、いつまでたっても観客であり、それはそれで、ファンの一人としてアーティストの出現でも助けていけばよい。自分でやりたきゃ、どこで差をつけるかだ。まずは、今の自分に負けないことだ。プロの自分をもつことだ。その自分にも負けないことだ。

○がんばるのでなく力を尽くすこと。
○勝つのでなく、負けないこと。
○自分の力を伸ばすことから目をそむけ、他人とのおしゃべりに気をそらしにくるような人は、早くやめたまえ。ベストも尽くせぬ自分を“打ち上げ”て何がおもしろい。

 

 

1-21 遠い昔、どこかの国のどこかの街のお話

街に一軒だけ、映画館があって、人々はそこで昔のもの、世界中のものを見て楽しんだ。その熱い映写室に入りびたった子供のもっと熱い心。
 街に一軒だけ、図書館があって、人々はそこでたくさんの本を読んだ。そのいかめしい古本の匂いをこよなく愛した青年の誇り。
 街に一軒のダンスホール、人々は、DJの楽しい音楽に合せ、踊った。そこでバラバラのオーケストラを指揮する人の愉悦。
 街に一軒のライブハウス

すべてはいつでもどこかであること。

1996冬。代々木は、地下のスタジオ。
まだ、お話でなく、現実。
たった一つの光の窓。

 

 

1-22 伝えるもの

伝えるものを失った歌
 伝える熱を失った歌
  君は何を誰にどう伝えたい

ステージが違っていないかい?
 人に何かを伝えるステージ、人の心を動かすステージは
会社の事務的文書を書き写すだけのようなトレーニング、
カルチャー教室の小説講座のようなことはやめよう
夢と現実のかけはし、それを伝える
内容と手段のないところに
 どんな表現が出てくるのか?

表現は地にあり 歌は天にある
表現は足もとにあり 歌は空にある
地を踏め、空に舞い上がれ

 

 

1-23 何ものかになるということ

“2年”という期間
たった2年、仮に柔道や剣道だったら、どこまでできるのだろう。きっと、2年でものにならなかったといってやめても、誰も惜しみさえしないだろう。本当にやったとは思われないだろう。2年では、初段になれたらかなり早い方だろうか。しかし、三段、四段と残っていく道は厳しく、またその実力の差たるやケタはずれという。それは、その人がその道を選ばなかっただけで、もし本当に極めたいのなら、選べなかっただけで、それを決めたのはその人なのだから、まわりが才能や素質に云々いうレベルでもあるまい。
しかし、一所懸命の2年のあとにしか、次の2年はこないのである。などという、あたりまえのことが、そしてそのあたりまえが、ずっとわかっている人の何と少ないことか。続けられる人のさらに少ないことよ。

できないのは?
 1.努力が足らない
2.時間が足らない
3.意気込みが足らない
4.目標が足らない
5.自分を知ることが足らない

できるためには?
 1.群れるより孤独
 2.今日の楽しみより明日の満足
 3.言い訳より行動

私は尋ねたい!
いったい何がこのことに優先するのですか-と聞きたい、戦争ですか? 大災害ですか? 大病の両親ですか? それでも、歌っている人は歌っているのに…?

 

ライブというのは、
そのとき、そこにいることが、人生にとって、どのくらい大切なのかということです。

 

 

1-24 三段腹に弾丸を! 若き者へ

ギャラリーはうるさい方がいい
 まだやっているの-
 何になるの-
もう、やめたら-

待っていな!
 今にみてな!
あんたより好きだから!
やめられない!
もう、ちょっと待ってなよ
一瞬で黙らせてやるから!

なぜ、そういえない。そういえるようになるためにやっているのだろう-

そんなに早く、人生に幕をおろしてどーすんの
演じてもいないのに
幕はまだ降りない、これからだ

ギャラリーは、あいかわらずうるさい

ぺちゃくちゃ人のことをしゃべりまくる人生より、
たった一言、自分を語れるようになる人生を選べ

 

 

1-25 マラソンランナーの孤独

トップを走れば一人になる
一人になり、自分になれば
皆がついてくる
皆が迎える

第○集団にいつまでいるのか
 それは、スパートするためではないのかい?

 

 

1-26 ステージの完成度なんか考えるな

 誰よりも練習し、一所懸命に努め、
  見にきた人に何かを伝えようと全力を出せば
 与えられたところで最高のプレーをする
 あなた一人がいれば充分である。
  何ごとも、最高のプレーができるということが
 いかに大変なことであるかを
 経験して、気づいてくれたらよいと思っている。
  それが絵になるまでの時間をいそぐな。
  声と同じ、年月が少しずつ、絵に変わっていく
 それまで、その流れをこざかしい頭でこわすな。
  ここにいれば何か身につくなどとは、思わないで
 身についた人は、誰よりもやった人
  ここは、最低限必要な基準をクリアするための場に過ぎない。
  外人のカラオケバーで、うまいですね、なんていわれるためにやらないでおくれ。
  神(イデア、偶像)を壊し、自ら打ち立てよ。