「感性を高めるためのヒント」

      
感性のレベルアップをしよう― 世界で初めて“感性理論”を完成―「福島流・感性の法則」


(4)感性での表現力が仕事を決める、実力、能力をアップさせる

30 ビジネスは、好印象から始まる〜感性でのつきあいとは

 今では、いかに優秀なセールスマンも、ものだけの価値では売れず、自分の価値を売るようになったといってもよい。
 モノを売るセールスマンは、モノが市場にあふれ、必需品がなくなると売るモノがなくなる。しかし、売り手の誠意や心が人を捉えていたら、モノは何でも売れるともいえる。自分という人間が売りモノとなるからだ。それには元手はかからないようにみえるが、それなりの投資が必要である。特に、これからは自分の感性を磨く投資が、決め手となるだろう。
 さて、ここでセールスといったのは、ものを売ることだけを指すのではない。誰しも、これからは自分のアピールをしなくては、仕事にありつけなくなる。あなたにも、強いセールスアピールが必要なのだ。

 今、私は、欲しいものはさほどない。だから、モノを買わないかというと、結構、買っている。その会社が好きとか、やり方がよいというので、買うこともある。賛助のつもりで買うことも多くなった。それは、そこの経営者や働いている人の心を買うとでも言おうか、従来の買い方とは違うのだ。たとえば、月に二回ほど京都に行くと、必ずMKタクシーを使う。料金が安いだけでなく、ホテルマン並みのマナーで、とても心地よいからだ。すると、とても、他の多くの自分勝手なドライバーのタクシーには乗れなくなる。つまり、これはそこの経営者のポリシーに共鳴しているからだ。これだけのサービスを安く提供するのは、この業界においては大変だろうと頭が下がる。となると、MKさんとよび、道路を渡るにもMKさんが来ると、信号ムシの常習犯の私も、ピタっと足を止め「どうぞ」となる。
 つまり、よい人やよいサービスと出会うと、モノよりも、その人やそのことに出会えた嬉しさで、お金を払う気になるのと同じだ。つまり、芸人に拍手と投銭をするようなもので、これはその人の心と意気を買っているといえる。
 これは、まさに感性でのつきあいといえる。こんな客は私だけだというのなら、MKタクシーもクロネコヤマトも、とっくにつぶされている。これからは、環境によいものをつくる会社なども、こういう支持を受けていくはずだ。逆もまたしかり、欧米では品質や値段よりも、エコロジー対策や会社のポリシーで選択するのは、もはや一般化したといえる。つまり、共感あってこその仕事、ビジネスなのである。

 会社や商品も人も、持ち味や印象が心を動かす。そこでは、第一印象が大きくものをいう。人でいうと、その人の声のトーン、話し方、ファッション、持ちもの、雰囲気、すべてがトータルに、こちらに働きかけた結果で心を動かす。モノでいうと、それはデザインや色やブランドイメージにあたる。そういう効果のもたらすものは、実のところ感性に働いているのである。
 そういったものは単に流行を追うのではなく、自分なりに工夫し、組みかえるような手間ひまをかけて、つくり出されたものである。磨かれた感性によって裏づけたものでなくては、長くは通じない。そこに、その人のプロ根性が働きかけて、語り出さなくてはいけないからだ。そのつぶやきを聞いて、買い手は安心するから買う。何となく安心だから、買う。つまり、どこかで、その会社やその人の感性を買うわけだ。
 だから、あなたにも、その力があれば……どこでもやっていける。

☆心意気の売り買いが、感性の市場だ。


31 よい感じが客を引きつける

 大きな仕事は、チャンスと同じで一生のうちに三度はくるものだそうだ。私は、その三度のうち一回を生かせば、必ずもう三度くると思っている。なぜなら、たった一つのチャンスで、ものごとが成し遂げられることはないからだ。最初にやってくる、ちょっとしたチャンスをとらえるのは、次の少し大きなチャンスを引き寄せるためである。
 ところが、感性の鈍い人は、その小さなチャンスに気づかない。どこの国にも、みすぼらしい老人に不親切にしたら、その人がお金持ちで……という話はあるが、誰でもよく、これと同じようなことをやっているものだ。日頃の心構えや行動が悪ければ、何も見えず、行き過ごしてしまうのである。
 私にも、企画やインタビュー、執筆などいろんなところから依頼がくる。しかし、注文が来たというだけでは、本当の意味では、まだ私の仕事ではないと思っている。それをやり終えたあと、成果がでて、うまくいくと、次にまたくる。そこでようやく、仕事になったと捉える。
 企画が通ったからといって有頂天になってはいけない。それは、責任をもたされたということだけである。また、それを期日までに予算内にやり遂げた、というのも、報酬をもらっている以上、あたりまえである。要は、そこで「君でなくてはできなかったよ」「また頼むよ」と言われるかどうかである。そして、次にきて、あなたの仕事になっていたかどうかが決まるのである。
 お客さんが来て、ものを買った、あなたは売った。これも、本当はあなたの力ではない。あなたがそこで説明して買ったとしても、それは他の人にもできるかもしれない。高校生のアルバイトでも、できたかもしれない。どちらかというと、これはそこに客が来るようにした会社の宣伝力や、店の立地条件の方が原因であろう。つまり会社のこれまでの信用や販促努力と、そこまできたお客さんのご足労によるものだといえる。
 しかし、そこでのあなたの応対で、お客が品物以上のものをあなたから受け取ったとしたら、どうだろう。もう二、三品、そこにつけ加えて押しつければよいというのではない。笑顔で懇切ていねいに好感をもって、てきぱきと感動するほど見事な応対をみせられたら、その客は、また来たくなるだろう。この店でなく、あなたから買いたい、あなたのいるこの店で買いたいと思うだろう。
 すると次には、あなたが招いたあなたのお客となる。あなたに会いに来ようとし、モノを買うだろう。あなたの感じのよい応対が、お客を再びよんだわけだ。それは、お客にもあなたにも楽しいこととなる。そういう毎日を積み重ねるのと、その逆をやるのでは、業績も、あなたの人生も一八〇度、違ってくるのは、言うまでもないだろう。

☆心を捉えてこそ、あなたの客となる。


32 たった一言のセンスのよしあしが決め手

 お客が好感をもつのは、プロとしての応対だからである。そこにはいろんな要素が含まれている。
1.プロ意識…プロとして自分は相手を満足させられるという自覚。
2.知識・技術…プロとして求められているスペシャリティ。
3.サービス・ことばかけ…相手の心に働きかける力。
 多くの人は、応対とは、決められた通りに間違えずに説明したりお客の疑問にてきぱき答えることだと思っている。しかし、それは基本的なことに過ぎない。そういうことに詳しいと、お客に信用はおかれるが、それだけでは信頼には値しない。むしろ答えられなければ、信用を失うのだから、できてあたりまえのことといえる。
 それよりも、客が本当に求めていることにどこまで答えられるかということが大切なことである。それは、一人ひとりの客ごとに違うから、感性を働かせないと、読みとれない。「このネクタイの柄、似合いますか」と言ったとき、その客は自信をもって同意を求めているのか、それともこれまでにない柄に挑戦したものの異和感をぬぐえないでいるのか、いろいろな感じ方をもって、あなたに聞いているのだろう。
 また、必ずしも、そのことを口に出して問うとは限らない。店員の態度、雰囲気、応対をみて、のどまで出かかった質問をのみこんで、他の店に行くお客もたくさんいる。それを楽に吐き出させ、すっきりさせた上で、安心させて買えるようにしてあげるのがプロである。みえないことには、感性を働かせて対応するしかない。客自身が自分の言いたいこと、望むことに気づいていないことも結構、多いのである。
 感性の低い人は、他の店員のセールストークやマニュアルをそのままに使う。そのまま正しく言えたから客は買うだろうと思っても、うまくいかない。その客はつまらなそうな顔をして去り、二度とこなくなるだろう。楽しくなかったからである。心に働きかけなかったからである。何か不安がぬぐえなかったからだ。
 何かを見たり買ったりしたい感じがあって、店に入ってきたのなら、あなたは相手の要望を見抜き、それにこたえる行動をしなくてはいけない。しぜんとそつなく、どこまでそれに答えられるかは、感性での勝負である。「とてもお似合いですよ」「お客さんなら、もっとハデなものが合いますよ」どちらも言えるときに、あなたはどちらを言うだろう。それは、客によって決まるのである。それを、あなたが感じられるかである。

 さて、病院などでサービスがよいというのは、医者の腕がよいことではない。待たされないことが一番、待たされるにも居心地よく待てることである。そこに、患者への心配りが表われていると、心地よくサービスがよいと感じるのである。
 「あの病院はよかった」といわれるときも、診断治療行為そのものや薬の量、値段よりも、診療時の医者や看護婦のコミュニケーションのとり方によることが多い。薬を出されたときの「お大事に」という一言のニュアンスが決め手となることも多い。そこで、ブスっとされたままなら、きっと帰りの足どりが重くなるであろう。「感じ悪かった」となる。
 このように、ことば一つとっても、かけるタイミング、言う声の大きさ、テンポ、語調と、ちょっとした違いで、聞く方のイメージは、ずいぶんと違ってくる。まして、病気のことで頭が一杯の病人や家族にとって、医者の一言は何とも大きなものだろう。
 ことば一つを投げかけるにも、そのときにことばにしっかりと心を込めて、相手の反応を受けとめないと、どんなによいことばも空回りしてしまう。感性の働きかけるようなことばを、感性が働くように使うことが肝心だ。
 ベテランの看護婦になると、臨機応変に相手の顔色や所作をみて、サッと肝心なことばを絶妙の言いまわしでかける。しかも、忙しいなかで無駄なく、時間をかけずに切り上げる術まで知っている。最小で最大の効果をあげるから、プロなのである。
 それに対し、同じことを言うにも、言い方や語調で相手を不機嫌にさせたり、怒らせるのが名人のような人もいる。それは自分で気づき、根本から直さないと、本当に損な人生を歩むことになる。
 自分の思いも、相手に働きかけて、なんぼのものであり、放ったことばをよりうまく働くようにコントロールしているのは、感性の力にほかならない。これも、極めれば至芸である。

☆本当のサービスとは、感性のよい働きかけである。


33 期待に難なくこたえるカンのよさ―感性のいきとどいた職場にしよう

 同じ仕事を頼んでも、心地よくやってくれる人と、そうでない人がいる。人間だから、いつも快くとはいかないとしても、どちらがおたがいによいかは言うまでもない。タクシーの運転手の応対一つ、比べても、人によって随分と差があるものだ。ブスっとしている人、こちらのことばを無視したように返事をしない人、わざわざ不快にさせるかのように受け応えする人がいると、何かこちらが悪いことをしたのかと思うこともある。もちろん、こちらもそれを察したら、自分の言動に責任はないのかを省みなくてはいけない。知らずと無礼な客であることも少なくないからだ。
 しかし、世の中には特に原因がなく、いつもそのようにものごとに対している人もいる。それは、本当に罪なことである。第一、自分で楽しくないだろう。まわりの人も楽しくない。これでは、仕事もうまくはいかないし、生きてても楽しくないだろう。

 仕事は一つのチームプレーであるから、自分の感情や気分よりも優先すべきことがたくさんある。大切なことは、自分一人で仕事をやるまえに他の人も仕事がうまくできる環境を協力してつくっていくことである。
 だから、感性のよい人が多いとか、感性のよい状態におかれた職場は、段どりがよい。きびきびしている。皆がまわりのことと先のことを考え、協力しあうからだ。感じて、動くからだ。
 それに対し、私がこのまえ訪れた会社は、鈍かった。会議室の机を教室の型からコの字に並びかえるのに、何と二十分近くもかかった。指令する人がばらばらで、自分の周辺の机ばかり考えているからである。最初の十分間は、いったい彼らがどう並べたいのかもわからなかった。私が、そこに口を出せる立場なら、すぐさま黒板に図を書いて、5分間で終えただろう。
 こういうときに、ことばだけでうまく伝えきれないものを伝えあうためには、テレパシーのようにピンとくるアンテナを整えなくてはいけない。こういった気の流れがよいところは、社内の雰囲気(培われて社風となる)もとてもよいものだ。
 ところが多くの人は、自分がそれを守る努力を怠っていること、あるいはそれを壊すようなことを時にしていることに気づかないものだ。このときのリーダーたちも同じだ。よほど意識的に心がけている人以外、日本人の場合は、人に注意されるという恵まれた環境でないと、気づかない。たとえば、すぐに無愛想が表情に出てしまう人も多い。いつも感じよくするには、少しエネルギーが多めにいるからだ。これは、起きたばかりのとき、特に寝不足や体調の悪いときに、にこやかにするのは難しいことからもわかる。しかし、考えようによっては、生活の糧を稼ぐ職場に、その人の最高の顔と動きをもってこないのは、何よりも本人にとって、残念なことだろう。

 海外に行くと、どこでも気軽に声をかけてくるし、笑顔がいたるところから飛んでくる。何か、一方的にもてた気になって気持ちがよい。日頃、日本に住んでいるから、特にそう感じるのだろうか。
 笑顔は人と接するときのマナーであり、余計なリスクを避け、うまく生きる知恵である。笑顔は、自分を魅力的にするし、健康にもよい。そう考えると、随分と私たち日本人は損しているように思える。海外では、日本人はニタニタして気持ち悪いといわれる。これは、一説にはひきつった笑顔だからで、どうやらスマイルの慣れていない日本人は、ほほえむとそのあとあとすぐには元に戻らないそうである。
 少しまえまで、日本人は人前で笑ったり歯をみせることを慎んだ。亭主関白でだんまりがよく、おしゃべりは女子供のすることという風潮もあった。「男はだまって…ビール」と無口無言の職人かたぎが理想像でさえあった。
 しかし仕事は、ただ仕事をするだけでなく、そこであいさつと同じく、コミュニケーションを通して進んでいくのである。よい仕事によい表情と、よいコミュニケーションに欠かせない。報告、連絡、相談という報連相は、まさにそれにあたるが、膝を交えて、文面ですむものを、わざわざ声をかけあって伝えるのには、大きな意味がある。
 難しそうに思えることも、顔を合わせたら案外と簡単に解決するのだ。怒ろうとしていたことが、その相手の顔を見たら、消えてしまった覚えは、誰にでもあるだろう。ぐだぐだ考えずに会ってみると、ものごとは解決するようにできているものだ。それは、感性は争わず、よい人であろうとし、よい関係をもとうと働くからだ。メールですべてを片づけても片づくものではない。相手を感じるために会うことが、必要なのだ。
 感性から考えるのなら、仕事におけるやりとりには、必ず、誰かの期待と信頼のまなざしがある。それにこたえるのが仕事である。しかし、現実の仕事の内容は、ただ処すべき事にしかみえないことが大半である。そのギャップを埋めることを可能にするのが、感性の豊かさであろう。
 有能な上司が、細かいことを言わず、大きな仕事をポーンと与えてみて、部下がどう処するかをみることがある。仕える事を仕事というが、すべて任せてみたときに、どのようなコミュニケーションをとろうとしているのかをみるだけで、およそ相手の力を知ることはできると思う。

 サッカーの王者といわれたペレは、ボールをチームメイトへのメッセージとして蹴ると述べていた。ボールにメッセージをのせて届ける。パスが届くのはチームメイトへの期待と信頼があるからである。こういった感性なしには、適確なパスはできない。仕事も同じではないだろうか。
 いつも、タイミングや速さまで考えなくてはいけない。
 いつ出せばよいか―、どう出せばよいのかを感じ、最良のところで出す。返す方も同じである。そうでなくては、結局、せっかく相手のことを考えてやったつもりの行為も、反感をもたれることになる。あるトップは、社員へのプレゼントを服にして経費でおとそうとして、陰で「ホステスではないわ」と言われていた。
 片や、「私の秘書は頭が切れるもので、一言いうとすぐに、やらなくてよいことまで片づけてくる。困ったことだ」と嘆いていたトップもいた。この秘書は確かに頭もよく事務処理能力にすぐれているのだろうが、感性においては優れているとはいえない。忙しいトップは、即決即断を迫られるため、言えるときにまとめて言うものだ。それを、普通、秘書は、緊急のもの、二〜三日据え置くもの、取り上げずにもう一度、確認するものなどを分けて処理する。
 言われた順に自動的にすぐにパスを蹴り返していくのは、能力のある証拠だが、能力を誇示するのは、仕事ではない。頭が切れる人には、自分の能力を使うことに快感を感じているのか、がんばりすぎてかえってまわりとうまくいかなくなる人が少なくない。当人は、誰よりもがんばっているつもりであるだけに、自分に非があるなど考えもしないし、まわりのやっかみに思っていることが多いから、直らない。
 しかし、仕事は求められた役割をいかに期待通りに果たすかであり、満足するのは本人でなく、相手であるべきなのだ。仕事ができるのは自己満足でなく、相手の期待以上にできるということであり、それによって困らせるのでなく、もっと認められることなのだ。こういうことが感じられない人は、思ったよりも多い。
 パスはキープしてもっともよいところで返さないと、トップはうまく走れない。しかし、頭が働く人は、とにかくすぐに早くやろうとがんばってしまう。その結果、時に電話一本かけたらよいというようなもっとも重要なことがあとまわしになり、先方へ迷惑をかけることさえある。
 たとえば、「あ、○○君とは、会えないかもしれないな。電話一本入れておいて。いや、かえって混乱するかな…」などと言われたときに、そこでかけては早すぎるだろう。確認するか保留にすべきである。
 つまり、感性が鋭ければ、これまでの経験やそのときのニュアンス、語調などをくみとって、正しく判断して処理できる。ことばだけを一方的に受けとめては、何ごともうまくいかない。
 京都では「ゆっくりしていっていな」と言われれば、そろそろ席を立たなくてはならない。サラリーマンが他の会社を訪問しても、湯呑みを下げられたのに、コーヒーが出てきそうでなければ、そろそろおいとまということだ。誰も言ってはくれないが、わからなければいけないことは、世の中にたくさんある。それは、相手の気持ちをその所作から感じてわかるしかない。
 ともかく、仕事はいろんな人のいろんな期待に答えることなのだから、頭の知識と自動的な処理能力だけではだめなのである。それでは、パソコンと同じである。いろんな状況下で異なる体験をして、こういった場合の感性の働かせ方を磨くことが必要だ。

☆自分が何を求められているか、相手が何を欲しているかに鋭くなる。


34 心地よくしてもらえば、お礼したくなる

 談合、賄賂など、国際ビジネス通念からみて、日本の会社社会のゆがみが、一斉に糾弾されている昨今、ギフトも中止するところが多いのは、やむをえない。お中元やお歳暮の縮小については、そんなもので中断するくらいなら、最初からやらなければよいのにと私は思うのだが……。
 本当に世話になったら、お礼をするのは当然だし、ビジネスも人間と人間が織り成すものである以上、どんな時代も変わらないものがある。ただ、品物、お金や利権などしかお礼できないと思っているのが、想像力も含め、感性が乏しいというだけであろう。
 いろんなお礼の仕方がある。お礼は、気持ちだからである。相手の気持ちへのお返しである。それなのにそこで、感性を使わなくなったのがよくないということだ。
 年賀状や暑中見舞いも、印刷見本そのままに送ってくるのは、あなたのことは私にはどうでもよいと告げているようなものだ。受け取る立場では一筆あるかないかで、全く違ってくる。そのくらいは、誰でも受けとっているから、わかるはずだ。
 ぱっと名前だけみるのと、数秒でもその人の直筆を読むのでは、気持ちの動きが全く違う。一筆、十秒もあれば一枚かける。その手間を惜しむのは、相手の、受けとったときの心のわからない人である。感性はあっても、それを実際の場で動かせない人である。
 昔は、自分の氏名だけは住所印の横に自筆で書く人も多かったのだが……。今やワープロ全盛で、そういうこだわりのある人も少なくなりつつある。残念なことであり、さみしいことである。
 つきあいにしても、「今日は用事があるので……」と自分の都合だけで断る人と、「今日つきあうと、お宅の仕事、遅れて迷惑かけるから」と相手のデメリットで言いまわすのとでは、印象が違ってくる。同じ結果でも印象の与え方が、感性のある人は、とてもうまいのである。
 私が取引に使う会社は、だいたい決まっている。それは、第一に信頼している人のいる会社であり、その人が自分の会社にプライド、仕事に責任をもっているところである。
 新規取引先とは、一、二回、試してみたのち、おたがいにプラスかどうかということからを考えていく。たかだか、そのくらいで、「そことはつきあわない方がよいな」とわかってしまうほど、日本の会社も社員も、仕事に対するプロ意識のないところが多くなった。
 たとえば、少なくとも、仕事として受ける以上、こちらが知っている以上のことを提案してくるのは、あたりまえである。いつもこちらが仕切ったり、心配してあげたりするのでは、どちらがお金を払わなくてはいけないのかわからない。コンサルタント料やアドバイス料を請求させてもらいたいと思うこともたびたびだ。請求書を出すことさえ、請求しなくてはいけなくなったのは、どういうことだろう。どうも、仕事は手続きであると割り切り、感じることを意図的に介入させまいとしているような気もしなくもない。これでよいはずがない。
 一方で、やはり素人が有無も言えないようにプロとして行き届いたサービスをしてくれる会社もある。有能な人も、いるところにはいるものである。そういうところは、出会うまでは大変だが、出会ったらうまくいく。こちらもその関係を保ちたいと思うから、他の人もそこに対してそう思うわけで、決してつぶれない。そこを絶対に使いたいところがいくつもあるからだ。
 そういうところは、ポリシーがあるから、信頼、信用を勝ち得るためにやっていくのが、仕事という点では共通している。
 仕事は、それを通して、相手を心地よくすることでもある。すると、お礼をしたくなる、払いたくなる、発注したくなる、買いたくなる、会いたくなる。そうではない感性なき人や感性なき会社が、いかに多いことか。これからの仕事は、感性をくすぐり、感性を満たさなくてはやっていけない。

☆自分のポリシーと信用をもって、相手を心地よい気持ちにするのが、仕事である。


35 嫌いな人を好きになる法

 「感性が合わない」「しっくりいかない」「馬が合わない」、という相手は、どこにでもいるものである。
 しかし、ビジネスにおいては、ビジネスという線が引ける。このおかげで、相手が取引先の社長でいくら気にくわないといっても、人間関係を損ねずにそれなりにつきあうことはできるものだ。
 それよりも、隣のデスクの人とうまくやれるようにする方がよほど難しいといえる。同じ立場の人とは、どうしても自分と比べ、仕事での不公平感やえこひいきなどへの嫉妬などが働きやすいからだ。
 大体、誰でも自分は仕事をやっていて、まわりの人は楽をしているようにみえるものだ。だから、どうして「自分だけがいつも……」と思い込んでしまう。かつては、そこでぐちが入ったが、最近は、そこからは、相互不干渉ということで、相手の領分に踏み込まない関係が目につく。
 プロとして生計を立てている仕事をするのに、自分のボロを棚にあげて、いろいろと言われたくないために、相手のボロを容認するのも慣例化しているとしたら、これは、とてもよくない関係である。他人や他人のすることに無関心になるのは、自分の感性を生かすのではなく、むしろ感性を押し殺すわけだ。すると、他人はいつまでも他人で深くは関わり合えない。関わりたくないからそうするのが賢いというのは、間違いだ。まだ、本音でいがみあっている方が、競う相手が休んですっとするとか、さみしいなどと感じる分、発展性がある。関係をもつということがあってはじめて、好きも嫌いも変化する可能性があるからだ。
 こういう場合は、毎日、顔を合わす以上は、相性が合わなくても、感情面でもおたがいのことを知っていく方がお互いの得だということを、しっかりと認識するとよい。お互い違う人間で、違う考え方であるというのを、はっきりと認めればよい。それは、あたりまえのことなのだから。そのギャップを埋めるのが、人間関係でのコミュニケーションである。
 もちろん、そうはいっても好き嫌いで左右されるのが人間であり、それゆえ感性の力は大きいわけである。
 ただ、うまくいかない理由の多くは、相手との表面上にとらわれているからである。これはまだ、お互いの感性の力を正しく働かせて理解しあえていないのである。
 「性格が合わない」というのも、全く違っているか似すぎているかだろう。
 どちらにせよ、いろんな人間がいて、だからこそ、自分もいることを忘れてはならない。大切なのは、それぞれの性格や態度、行動よりも、その関係のもち方である。相手は変えられなくとも、自分の感じ方を変えることで、関係のあり方は変えられるのだ。

 たとえば、嫌いな人について、自分はどうして嫌いなのか(A)、それはどういうことがあったからなのか(B)、それはどうしてなのか(C)を、思いつくままに書いてみよう。そして、そこに具体的に事実を加えてみよう。
 A 相性が合わない
 B 私の悪口を上司に言った
 C 私のことが好きでないからだ
 こんなに抽象的なことでは、相手が自分を嫌っているから自分も嫌いだとくらいしかわからない子供と同じだ。
 もう少し、詳しくとり出してみよう。
 A いつもやることが気に入らない
 B 4月10日、私がコピーをミスしていたのを上司にそのまま出した
  C1 わざとやった
   C1―1 時間がなくて仕方なかった
   C1―2 上司の評価を下げさせようとした
   C1―2―1 それは、私がまえにそうしたことの仕返しだった
  C2 気づかなかった

 このように掘り下げていくと、いろんな要因が考えられ、必ずしもすべてが相手の悪意だったのかも疑わしくなるだろう。人間関係は誤解のつみ重ねである。誤解も正解も、その人の思い込みに負うのだから、同じこともよい方に考えた方がよい。よく感じたい心まで、悪く思い込みたい頭が抑えてしまうのでは、ストレスだらけになる。
 同じことをやっても、好きな人なら好意的に、嫌な人なら悪意に捉えてしまうのが、人間である。それは、理屈で責めようとするからだ。感性で捉えるとは、相手の立場に立ち、そこから相手を感じようとすることである。そして自分が、一つ大きくなって包括しようということだ。おたがいに同じ人間なのだからと感じられたら、性格のよきも悪きも許した上で、行動のよきは認め、悪しきは認めないようにできるはずである。

☆感じ方を変えて、関係のあり方を変えよう。


36 スマイルとあいさつで感じのよい人になる

 自分を感じよく演出できる方法をマスターしよう。まずは、スマイルである。笑顔こそが、感性の表情である。感性が働き、イキイキしているとき、人は笑顔となる。何かを成し遂げたり、ひらめいたり、わかったりして、「やったー!」という気分、それは思わず笑いたくなり、満身これほほえみの状態となる。それは、まわりの人も幸せにする。
 それに対し、日本人特有のニヤケは、感じが悪い。「何を考えているのか」と思わせるように、相手の頭にけしかけるのだから、感性とは、無縁である。そこで、ストレートに感じてものを言う外国人から嫌われる。
 笑顔一つをよくするにも、トレーニングが必要である。自分の顔については、鏡やVTRでみるしかできない。だから、まずは身近に鏡をたくさん置くところから始めるとよい。
 感性を豊かにするには、自分で魅力的になろうと心がけることが一番よい。頭の中身も大切だが、中身は急には変えられない。それよりは、相手の感性に働きかけるところに注目しよう。これまで疎かにして、よく見ていなかったはずだからである。自分の思い込みだけでは、通じない。相手が自分を心地よく受けとめることによって、初めて感性の働きがうまくいったことになる。頭の中身は、その次に問われることに思ってよいだろう。
 魅力的になることへの努力は、みえない頭の中より、顔の表情から始めるのが効果的だ。顔の表情ができてくると、それは、五感のなかでも特に受けとめる力の大きい相手の視覚に働く。もちろん、他の感覚についても、この際チェックしておこう。聴覚―声がうるさい小さい、聞きとりにくい、これはハキハキとしよう。臭覚―臭い、これは最低である。
 顔と声としぐさ、この三つは共に、自分のパーソナリティや印象に大きく関わってくるものだけに、くれぐれも自分がどうみえるかを知っておくことだ。

 まずは、あいさつから感じのよい人をめざそう。ほどよい大きさの声で、はっきりとあいさつしよう。
 それから、ことば使いをしっかりと正そう。だらだらとだらしないことば使いは、感性を逆なでする。何を言うかより、どういう声のトーンや間合いで言うかに気をつけよう。ものを言うだけでなく、自分の声で言ったことが相手にどう届くかというところまで、感性を及ばせてみよう。
 外国人は、声のトーンに敏感である。笑顔と同じく、ハロー一つにも、いろんな感情を目一杯つめこむ。それに対し、日本人は言わなくてもわかるせいか、ぶっきらぼうだ。さあ、ここで練習してみよう。
「ありがとうございます」(ございました)
「おつかれさまです」(でした)
「しつれいします」(した)
「すみません」(でした)
「いらっしゃいませ」
「おはようございます」
「こんにちは」
 あいさつは、あいさつを返されることで共に嬉しさを倍加させ、気まずいときにも、それをあいさつで回避することで、より感性を豊かにし、よかった、楽しいという思いを残していく。そういう毎日の楽しさが、あなたの顔や声やあいさつを、さらに魅力的にしていくのである。
 どうも、その逆をしている人が多い。いじわるな気持ちをもつと、もっと顔がいじわるになる。そしたら、運も人も逃げていく。つまり、毎日のちょっとした意地の張り合いは、割りにあわなくなる。あなた自身が、魅力的でなくなるのだから。

 自分自身に最高の演出をして、自分を最高に演じてみるように心がけよう。こういう努力をつみ重ねていくと、やがて相手の変化にしぜんに対応してふるまえるようになる。そのために日頃から、やっておくのである。
 何事でも、たとえどんなに感謝していても、それは会って口に出さなくては伝わらない。自分が相手を感じているだけで表現しないことには意味がない。
 一流のホステス、ママさんの感性に学ぶことは、少なくないはずだ。誰かがお茶をこぼしたら、すぐふきとるものをとって、ぬぐう。ビールがグラスに少なくなったら、つぐ。顔色が悪ければ気遣う。とにかく相手がそうして欲しいと思うまえに、行動する。それは理屈でなく、感性からの心遣いで即、行動に表われる。だから、プロの感性なのである。
 再三、くり返すが、感性はあるのに行動が伴わないというのは、本当の感性ではない。気づいたときには、動いているというのが正しい。感性は、行動を伴って、より感性を豊かにしていくものだからだ。

☆顔を笑顔で飾ろう。心に感性で化粧しよう。


37 感性に、元手はかからない

 成功者とは、総じて感性が高い人である。つまり、ものごとに共感し、多くの人々と共に感じあうことができないと、他人は動かず、何事もうまくいかないからである。勘も鋭い。先見力もある。これらは、一流の芸術家も技術者でも、同じであろう。だからこそ、感性を磨いて、鋭くしていきたいものだ。
 なんといっても、感性は感じる力なのだから、本当は元手はかからない。誰にでもついている。しかし、誰にでもあるということは、それだけではどうにも使えないものなのである。やはり、自ら高め磨いていく努力が必要である。
 あなたも「感性が悪い」や「勘が鈍い」といわれたら、決しておだやかではいられないだろう。いや、人格に関して強く否定されたのと同じくらい、それを許しがたいと感じるのではなかろうか。頭が悪いとか計算ができないといわれても、「そりゃそうだ」と納得できても、感性の能力を否定されたら、許しがたく感じたり、落ち込むのはなぜだろう。「私は頭が悪くて」と言えても、「私は感性が全くないので」とは言えないであろう。それは、生きていくにははるかに困ったことだからである。
 昔、親が「頭のよい子に」「器用な子に」というより「やさしい子に」「人に迷惑をかけない子に」と願ったのは、正しかったのである。信用上もこと欠くことのできない能力が感性なのである。

 感性で行動するというのは、他人やお客の言うとおりにするわけではない。客が喜ぶからといって何でも安くすればよいわけではない。どんどん安くすると、素材が悪くなったり、従業員の手当が低くなり、どこかで必ず限界がくる。それを続けるとサービスは低下してしまう。
 だから、よい店はプロのサービスをプロとして妥当な値段で売る。客本位でありながら、店のポリシーを守る。そのことで、よい客だけに限定して、よいサービスを高く売ることもある。そのきっぷのよさに、しびれる店もある。女性の感性でもっている料亭などもある。感性で客をよぶというのは、ペコペコ、もみ手をするだけではない、客は神様というが、客にも悪魔もバカもいる。
 とはいっても、客からクレームを言われないと感じない鈍さでは、困るし、何度、言われても直らないのは、最低である。何事も、第三者に迷惑かけないこと、不愉快にさせないことが基本である。
 これは、個人でも全く同じことといえる。いつも、人の言うままに動く人は、信用されない。自分が深く感じていることにそって、一貫して行動しなくては、信頼は得られない。ポリシーやスタンスというのは、その人がもっとも深いところで感じていることの表われ出たものであるからである。

☆感性をステップアップするには、ポリシーをもつ


38 リーダーは感性なくしてつとまらない

 リーダーに必要なのは、予知力、本質把握力などもあるが、共感力と、何よりもダイナミズムであろう。それは、人の痛みを自分の痛みとして感じ、自分の喜びは人の喜びだと感じる力である。人の心を感じなければ、そして人に感じさせる力をなくしたら、人の上には立てない。
 二代目の後継者がアメリカなどに経営の勉強に行って親父の古いやり方を批判し、新たな経営手法をとり入れるという話はよくある。しかし、それがあまり成功しないのは、理論には人がついてこないからである。つまり、自分のやりたいことがあっても、相手がやりたくなるように働きかける力がなければ、人は動かないのである。
 相手がそう思うためには、相手の心がわかっていなくては、無理である。相手をわかりたいと思い、よりうまく接したいと思うのは、関心からはじまる。関心というのは、自分の心が相手に関わっていくことだ。感じて働きかけていくことである。
 感性を働かせ関心をもつことは、命、エネルギーを相手やものごとに注ぎこむことである。
 すべては相手への関心が本質であろう。関心とは、注意の向くところ、無視できなくなるところ、つまり感性の指す方向である。そうして、心をかけたこと、興味をもったものに対して、人は打ち込める。それは、相手も同じだ。士はおのれを知るもののために死すという。愛も同じ。
 そして同時に、感性は、相手に好かれる力のことでもある。部下に慕われずに何ができよう。
 上司が部下を掌握するには、部下の心に感性が及ばなければいけない。
 知―知識、情―感性、意―行動ともいえる。この三つが一体となるとき、ここで、知識を行動に結びつけるのが、感性である。
 人は感じるから、動く。感動するから、喜ぶ。
1.相手に関心をもち、感じて、おどろくことから、知り合っていき、
2.相手のためにこうするというやり方を共につくり、
3.相手に役立たせるために、自分のやり方を相手へ対応させていく。
 これが、リーダーのすべきことである。感性あるリーダーは、このようにして人に慕われていく。

☆身近なことに関心をもとう。どんな人にも、関心を向けよう。人の喜ぶ顔をみることを楽しみにしよう。


39 経営者の感性は、経営の決め手

 手で触ってはじめて、わかるもの、雰囲気や匂いから何となくわかるものは多い。それは、目で見て知ることができないものであり、それゆえそれを感じている人が成功する。
 人間国宝、ベテランの技術者などは、経験を記憶として体に蓄積し、その情報を、ひき出して使っていく。職人や芸人は、基本の型をふまえて、それを超えていこうと、技術と感性を磨く。
 マーケティングも、コンピュータのデータも、みえるデータだけでなくみえないデータが大切である。チェックリスト、マニュアルからもれたものが、ものを言うことも多い。
 さて、自分の情報発信をくり返すと、一つのスタンスがみえてくる。これがポリシー=こだわりとなる。これからは、それが何を訴え、何を感じさせるかから、代価を回収していくのがビジネスとなるだろう(これからは、必要な人がアクセスしてきて求め、選んだり創っていったりする時代であり、インターネットはまさにその象徴である)。
 つまり、誰もが感じられないものを感じて、人に感じ方を示すか、誰もが感じているけど形にできないものを形にするのがすぐれたビジネスとなる。
 そこで、すぐれた経営者、ビジネスマン、芸術家は、必ず自分のことばで語る。ことばは、その人なりに定義され、発されるものごとを区別するから、基準となる。わかるとは、わけるということからきている。
 人を見分けるときには、次の三つの点からみると、その人の感性の度合いがわかる。

1.自分のことばで語っている
  ホンモノとは、自分のポリシーと自分のことばをもっている。
2.日頃の行ない、行動が伴っている
  感性は行動を伴う。
3.私心がない
  おおよそ、野心、慢心は眼をくもらせる。

 特に経営者には、見通し、予知力と人心を読む力、共感力は不可欠である。誰でも一流の経営者には、感性が磨かれていることが最大の条件である。みえないものをとり出す力が、感性だからである。

 経営者やビジネスマンが、何かあると現場に行くのも、そのためだ。刑事と同じく、現場の様子から直観を働かせる。たとえば少し暗い顔をしている人がいることで、おかしい、おちつきがない……だから……とピンとくる。
 現場へいく、そして離れる、入って出て、みる。このときに、第三者の眼になり、客観的な判断力が働く。
 そこで理屈、理論ではない何か、をつかむ。つまり、肌で感じるわけである
 「そうだ」「これだ」とか、「あの人はこういう人だ」と感じて、イメージすることができて、はじめて手が打てるからである。
 ビジネスは、数字上の利害を感性で解決していくゲームともいえる。それは、社員やお客の立場での実感がなくては、おぼつかない。そういうときは、少しでも現場にでて、そこの雰囲気をストレートに肌で知ることが必要である。
 相手になり切れなくとも、投身してなりきるように努めてみよう。いつも目の前の、そしてまだ見ぬ相手が、どう考えるのかを考える。そのために、どう感じるかを感じる。だから、同じところに居合わせる体験が必要なのだ。そうして、相手の生の現場と現実の彼らを知ろうとする努力から、見えないものが感じられてくるだろう。
 上司は部下の立場に成り切ろう。そして、そこでの苦労を感じ、感謝しよう。そこで、感謝することが評価するという立場を変える力となる。すると、同じ立場になってみえる。そのことが、もっとも大切なことなのだ。すると、大体のことはうまくいくようになるのである。

☆優秀な経営者やビジネスマンは現場に急ぐ。

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