会報バックナンバーVol.197/2007.11


レッスン概要

■LESSON

Q.歌や芝居は演じるものなのでしょうか。

A.自分が望むようにやるしかない。演じてみたほうがいいと思っているから演じてしまうので、演じないほうが本当にいいと思えば、演じないでしょう。
たとえば、誰にでも愛されるようなキャラを演じようと思ったら、誰にでも愛される人は世の中にもいるわけです。そういうキャラの強い人もいます。そういう中で多くの人を合わせたようなキャラで、たとえばかわいくぶりっ子っぽくやっていこうと思っても、本当の意味でそれに恵まれている人にはかなわない。若さがなくなった時点で価値がなくなってしまいます。
だから、自分が勝負できるところで勝負していくのです。自分が勝負できるところで勝負すると、まず番外扱いになってしまいます。向こうが必要としないということになってしまう。それでも自分を必要としてくれるところをということになると、仕方がないから、受けのいいキャラをつくろうと働くかもしれません。しかし、すぐに通りやすいように自分が演じてしまう、そこで通ってしまうとことは、はっきりいうと自分でなくてもいいところ。だから、長くは続かない。けれど受かりやすい。価値観がはっきりしているところは、ほとんどの場合はダメだけれど、もし通ったら、大切にしてくれるかもしれない。自分にできない役ばかりになるかもしれませんね。そこで学ぶのもよい。それはその人のスタンスです。

Q.オーディションを受けたほうがよいか。

A.中途半端にやっても、仕方がないけれど、出てみる。徹底して自分の個性を強化して、それが通用するところまで磨いていたらいい。
そうでないようなものは、仮にフランクなものが出てきても、オーディションは通らない。クラスメイトの中で、フランクにできていても、演技は違う。オーディションに受かればよいのではないのです。
オーディションは通った後に、役や歌で何ができるかという入り口にすぎない。オーディションを目指して、それを通ろうと思っていると、通るだけでやっていけなくなってしまいます。
本当に自分ができる演技、あるいは自分が歌える歌というのは何なのかというところで問わないと、受かっても失敗です。受かって、その後に必ずしもうまくやっていけるのかというのは、別の問題です。やっていけるところでやらなければいけないから、かたっぱしから、そういうことを知るためにオーディションを受ける時期があってもいいのでしょう。けれども、自分はこういうことをやりたいと決め、そういうことをやらせてくれるところ、あるいはやっているところはどこなのかということに対して、自分の魅力をアピールしていくことです。すべてに通用するということはないですから。

Q.歌い手になるためのオリジナリティを高めるのにもっとも基本的な練習は何ですか。

A.音楽をやっていくということであれば、音楽の中で感動していったところでの体験が一番のベースになります。勉強するというなら、より感動できるものをたくさん聞いていくことでしょう。一日ひとつ、そして、一週間や一ヶ月にひとつ、新しく感動するようなものを聞く。それを解釈してもしかたがないけど、勉強するときには、それの何がいいのだろうとか、どうしてそういうことでひきつけられるのだろうかということを知っていく。そのことと、自分の作品をつくっていくことは密接な関係がありますね。
いろいろなものが世の中に出て、すべての人が感動するものもあるとはいえ、自分が感動するけれど人は感動しないもの、人は感動するけれど自分はあまりいいと思わないもの、そういうところの中から、感じるところに関してのオリジナリティというのもあります。
人とどう感じ方が違うのかというのが、人にどう感じさせるかという違いにもなってきます。それはそういう体験を、いろいろなものを聞いたり見たりしてやっていくのです。

Q.正しく歌いたいのですが。

A.自分の歌をどう直していくということは、すでに音や声がどうこうと決めつけていて、そういう基準を置くこと自体がおかしな話です。正解の歌、正しい歌はどうあるのかということになってしまいます。無難な歌、間違っていない歌というのはあるけれど、感動するかということであれば、正しく歌われたからといって、誰も感動しないでしょう。

Q.どう表現したらよいのかわかりません。

A.これはあなたが漫画を描いたときに、どこが悪いんですか、どう直せばいいのですかということと同じと言えるのですけれど、まず描かなければダメですね。自分が作り上げていかなければいけない。 作り上げたい理想像が明確でないのは、当たり前で、つくらないとわからない。
たとえば画家でも全部が見えて、それを描いていく人はいるでしょうけれど、多くの人は描いている中でつかんでいく。そのときにどちらの判断をするか。1枚の絵でも何百何千のパターンがあります。同じ画用紙で最初にどこを描きはじめるのか、どの色を使うのか、全部選択と判断の繰り返しです。この判断を繰り返している中で、自分なりのものが出てくる。人によって、30回描き直す場合もある。30回目がOK、でも31回目は入れる必要がないと思うのか、もう少し入れようと思うのかというのは、その人の中にある基準です。それは絵を描く前にあった基準ではないですね。
描いているうちに、左の方が塗れそうだと思って塗ってしまう人もいるし、これ以上、塗ってはいけないというかたちがある。そういう絵ができて、それはその人の表したい世界が、ここだというのができ上がるわけです。声も同じなのです。やってみないところに明確も何もない。
そういう仕事をしていたりそういう活動をしていないと、どんなに意識しても、自分が漫画家だといっても、ひとつも漫画を描いていなかったり、世の中で誰も知らなくて、描いても読んだ人も友達しかいないというのなら、そういう意識にはならないでしょう。何を優先して生きていくかというだけです。

Q.歌がうまくないのですが、歌が好きです。やっていけますか。

A.歌がいいのかどうかというのは、別の問題です。歌をやっている人には幸せで歌をやっている人もいる。けれど、それ以外ができないでやっている人もいます。その人が選んだ人生だから、死ぬときにどう思うかというだけで、考えてもしかたがないのではないでしょうか。

Q.トレーニングのためによい仕事ってありますか。

A.体を動かすのがよいと思いますが、立ちっぱなしの仕事や体力をすごく使う仕事がいいのかというと、それも考えようですね。短い時間で稼げる仕事で、トレーニングの時間をたくさんとりたいと思いますが、それは自分の中で位置づけていくしかありません。人づきあいが苦手だから、人とうまくやっていけるためにそういう仕事につくというのも、よいと思います。自分の本当の能力や本当の意味での好き嫌いがどこにあるのかが、仕事を通じてわかるのであればよい。歌い手も役者も、それが仕事なのですから。

Q.ライブの客を得られるような仕事につくとよいでしょうか。

A.居酒屋などでバイトをして、仲間をつくって、バンドを組んだり、劇場で役者をやったりしている人もいます。そういう中で、お客さんができてくるとか、自分を応援してくれる人ができてくることもあります。
歌い手で水商売をやって、そこにくるお客さんが皆、自分のファンで応援して、コンサートを開くというのは、それでひとつの力です。
ただし、本当の意味では、仕事先でお客さんをつかまえるものではないと思えます。
その時期を、どういうスタンスで仕事を捉えるかによります。さっさと仕事を引き上げて、自分の練習をやっていたほうがいい場合もある。自分のトータルの人生設計の位置づけで考えることですね。

Q.発声や歌についていろんな本を読むと混乱する。全て知りたい。教えてもらえますか。

A.何かがわかるということは、何かがわかっていないことを知ることだと思います。そんなものに答えもなければ、正解もないということがわかればいいのです。こんがらがるのは、あなたがやりたいことを、自分がきちんと見据えていないからで、あなたの問題です。誰かに答えを求めるのではありません。アーティストは自分が自立して作品をつくっていくのです。

Q.アーティストについて知りたいし、なってみたい。

A.会社でいうのなら、その会社を起こしていく人、起業家みたいなものです。そういう人たちは迷いの中で決めてつくっていくわけです。
ところがサラリーマンというのは、つくられた会社の中で、このことをやってくれというのを受けて、やります。アルバイトでも同じです。そのうち、自分が同じことを違うふうにやろうとか、改革をしようとすればよい。古い人がいなくなり、自分がリーダーとしてやらなければいけなくなったら、その立場になるのです。そうならない人もいる。どちらが偉いとかいうのではなくて、組織という中での役割です。
考えなければいけない。というより、考えなければどこかにのっかかって生きていくことになる。それが嫌なら自分でやることでしょう。
学校は何となくそれがあったから行っていたし、大学もそうかもしれない。就職もそうかもしれない。けれど、それは幻想にしかすぎない。そういう線が引かれているだけであって、そういうものにのらないで生きている人もたくさんいます。

Q.歌が自分の救いです。だから、うまくなりたいのですが。

A.人より迷わないし人より苦労しないし、人より作品をつくるのに努力しない人が、人を感動させたり人前に立つことはないでしょう。
自分が救われるために歌いたいのであれば、カラオケで歌っていればいい。歌い手というのはお客さんがいる。お客さんもいろいろ苦労して生きている。そこまで足を運んだり、なけなしのお金をはたいてくる人も、忙しい中で大変な中で来ている人もいる。そこで何かを与えるのだから、歌い手というのは、歌に関してはお客さんと違うレベルでやれていなければ、もたないのです。

Q.歌を仕事にするヒントをください。

A.私たちも声のことはわかる。けれど、人生、どう生きたらいいのかということがわかるほど、優れてはいません。
舞台において、それなりの価値をつくり上げるというのは、そんなに簡単なことではない。簡単なことではないけれど、やるべきことをやっていくしかないのです。
それは自分でどうやりたいのか、もっというのならどう生きていきたいのかということと密接に関わってきます。仕事ならなおさらそうでしょう。歌い手の多くは、他の仕事を持ちながらやっているわけですから、そういう仕事との関連も含めて、いろいろな考え方がある。
就職したら歌がダメなのかというと、関係ない。就職して土日やアフター5をしっかり音楽やっている人もいる。歌の世界に入って食べられなくなって、何もやっていない人もいる。その人その人の、いろいろな考え方の中でやっていくしかない。
頭で考えてもしかたがない。悩んだり考えたりすることは大切なことです。目標を立てて、何のためにレッスンにきているのか、どう生かしていくのかを考えましょう。

Q.今、22歳です。才能があるのかを知りたい。

A.22、3歳くらいまでに、自分が何に向いているのかなど、わからない。そういう時期は、とにかく目の前のことを一生懸命やることです。与えられたことを一生懸命やり、3年経ってみて訳がわからなかったけれど、それをやったことで、それをやらなかった人よりも何かの能力がついていたら充分だと思います。やらなければ能力はつかないのです。それが音楽であれば、音楽の能力をつける。
計画的にやるのであれば、自分でそれが何になるのかはわからないけれど、かたっぱしから世界中の名作を聞いてみるとか、自分の生まれる前からの時代のポップスを全部チェックしてみるとかでもいい。他の人がやらないようなことをどんどんやっていけばいいと思います。

Q.高音や声量に波がある。

A.体力的なことも精神的なこともあります。高音にしろ、声をコントロールするにしろ、集中力が必要です。ピッチが下がってしまったり、音程がとれなくなったりリズムが悪くなったり、メリハリがつかないとか高い音が出ないというほとんどが、ここに起因します。どこかで気を抜いてしまったり、集中力が切れたら失敗します。
そこだけやってみたら、たとえば高い音が出る。ところが最初から歌ってくるとそこに届かないといったら、途中でテンションや声の状態が下がったりする。確かにテンションや意気込みだけでやるのではない。けれど、疲れが出てくるのであれば、体のこと、リラックスのこと、それから喉の状態をよくする。

Q.声がかすれやすいため、練習がうまくできない。

A.声を使うということは、最初は消耗させることに近い。連続して話していくと、疲れてきます。そこに休憩を入れてみる。
本当は1曲、あるいは1フレーズ入れると、休憩を入れる。細かく、歌っている中でも、呼吸、ブレスをするときに喉は休めていなければいけない。必要なのは、体力づくりというよりは喉の筋力です。喉にも耐久力はあります。あまりやっていなければ喉は弱くなります。
たとえば、ずっとしゃべっていなければ喋るのも大変です。腹筋使うのも大変、音にするのも大変。歌もそれと同じです。日頃から声を出しているのに、たとえば3日くらい歌わなくなると、すごく歌いにくくなる。ジョギングでも1、2日休むと大変になりますね。そういう体をキープしていくことです。
歌の場合は、言葉とも密接に関連しているから、1日休んでも呼吸を、たとえば体づくりとか発声練習のようなことをやっておいたら、そんなに衰えるわけではない。楽器は触らなければ大変ですが、声は普通に生活していても使われるわけです。ベッドの中に1週間いたとなると、なかなか歌えなくなってしまいます。

自分でできるようになれば、いろいろと切り替えていってもかまわないのです。本当はあまり発声のほうにいってしまうと、チェックがあいまいになってしまうことがあります。
先生に2、3人つくと、違う刺激が得られる。発声ばかりに頭がいっているときに、リズムや音感はどうでもいいように思う。けれども、そこでリズムに気をつけたり音感に気をつけたりすることをやることで、トータル的に総合力としてついていく。
リズムや音感、初見力は、誰でもある程度のところはいく。たとえば2年やったら誰だってとれるようになる。ところがやらないとダメなままです。

Q.トレーニングのなかで何を中心にやるべきですか。

A.声の分野はすごくあいまいで、確かに発声も音域も音量ものびる。けれど、どこまで何ヶ月でのびますかと言われても、個人差でもやり方によっても違う。早くそうなればいいのかというと、また難しいところもある。
一方、楽典というのは、確実に力になるところだから、確実にやる。1、2年たったときに、普通の人よりできる。知識のように、頭で学んでいける。
もうひとつは、体の問題で、体が強くなってくるとか筋肉が強くなるというのは、確実な部分です。そのかわりに、2、3年たったあと、5年も10年も伸びていくかというと、ある程度で限界になってしまう。量的拡大でなく、質の向上にしていく。
大切なのは、そこでのイメージや勘なのです。

Q.どうやって感覚を磨くのですか。

A.これに関しては、どんなに伝えようとしても、受け取るほうの感覚です。何もやらなくてもわかる人もいれば、どんなに言っても勘違いしてしまう人もいます。そこにはトレーニングのベースはおけない。すると、知識とか体とか、両方の部分から埋めていく。自分でやれるようになれば、それはかまわないと思います。

Q.ステージのためのトレーニングを教えてください。

A.レッスンの中では、直接歌をやるときがあります。歌そのものでアドバイスしています。歌をみてくれといったら、チェックはします。ステージングということで、マイクの使い方から、スポットがあたっているところで歌として見せていくところをやってください。

○レッスンで楽しむ。

楽しむということは、一緒に入れていけばいい。確かに、ここでしか音楽をやっていない人もいる。けれど、ここで閉じてしまうのでない。以前は、全部ここでやっていたのです。すると、ここが人生の場になってしまい、ここでうまくやることが目標になってしまう。
養成所としては、世の中に出て、もっと大きな場で活躍するために、ここで力をつける。学校でも、そういう目的だったら、大きなライブハウスで卒業公演をやってくれるところにいったほうが楽しい。学んだ結果も問える。その辺の比率をどのくらいにしようかと考えたこともありました。しかし、実際の世の中でやるためにここに来ている以上、オーディションより厳しいオーディションをレッスンでアドバイスするべきだと思っています。

3ヵ月後にオーディションがあるから、受けようと思っているならば、それに対してプロデューサーがこう見ると、相手がわからなかったらこっちもわからないわけでもありません。月8回、レッスンをとっている人では、1回くらいは発表ということでやっていいのでしょう。
いろいろな人がいて、全員に同じやり方はとりません。半年とか1年とかの単位で専念したい人も、自分は活動の場があるから必要ないという人もいるなら、希望に応じてレッスンを変えたりオプションでつけられるようにします。

Q.基本としてクラシックを学ぶ意味は何ですか。

A.そこを踏んでおくと、どこの位置づけかがわかるというのが、ベースのものですね。だから、声楽をやると考えないで、人間の体として声を最大限に使う。ポップスでは声が最大限の目的ではないのです。作品があり、そこにメロディ、リズムがあり、トータル的な要素です。マイクを使って、音響の中で総合的につくっていきます。
オペラも総合的なものですが、クラシックの発声に関する部分は、声だけの中でどこまで高いレベルで、どこまで人間として響きや輝きを追求できるかです。それはポップスの本題とは違うのだけれど、体に戻したときにそこをやっておくことは、自分が何かを迷ったときにも戻るところになっていきます。だからバックグラウンドなのです。

Q.ジャズ歌手ですが、声楽をやったほうがよいといわれました。なぜですか。

A.たとえばタップやヒップホップも、踊りをやって踊れる人は、その場で対応ができるわけです。そこで対応しても、その動きがわからないとか体を壊してしまったというときに、日頃クラシックバレエのようなことをやっておくと、打つ手が出てくるのです。関節を柔らかくし、足を伸ばし、全身を使うようなことをやるから、壊れにくいのです。筋肉が厳しく調整されます。
ポップスの困るのは、どこかの偏りでやる。ひとりよがりでやるとかバンドの色にどっぷりつかってやるとか。すると、それが必ずしも人間の呼吸の、本当の意味での原理ではない。
たとえばロックも「(ノイズ)」のような音で歌うときがありますよね。それでやれる人はいいのですが、多くの人はそれでやると、喉を壊してしまったり、状態を悪くします。どこまで使っていいのかがわからなくて、力をどんどん入れていく。そうなったときに声楽を知っておくと、ここまではOKだけど、こうなってしまうとちょっと危ないとか、いろいろな勘が働くようになってきます。そういう意味で一通り深めてやっておくというのは、いいことだと思います。

Q.発声とその他の要素の練習でのバランスについて。

A.声のことばかり入っているときに、音の感覚やリズムのことはやりにくいわけです。感覚として、全然違う感覚でやらなければいけない。でも結局はそういうことに対応できて、パッと切り替えられる力が器みたいなものです。こっちもやっているときにこっちはできないというのは、最初は仕方がない。こっちをやっているときにこのことをやると、矛盾してしまって、音がとれない。音をとろうとすると声が出ない。でもそういうことを体験していく中で、器というのは少しずつ大きくなるのです。
だから今は、いろいろなことに気づいて、いろいろなところの刺激を受けながら、それでトータル的に器が大きくなって、自分がどこのポジションを深めていくのかを、次の段階で決めていけばよいと思います。

Q.自分を勉強するとは、どういうことですか。

A.もう2、3年たったときに、自分の勝負どころはここなんだと。他のところに関しては、自分よりもすぐれた人がいるから、そこでやっても難しいとか、それを知るための期間だと思えばいいでしょう。
自分の声にはこんな特徴があるというのは、必ずしも、今聞いてもわからないのです。トレーニングもやっていないし、やるだけのことをやっていないから、どれだけ可能性があるのかはわからない。どこにあるのかもわからない。
今はそういうところをやってみてください。レッスンだけではなく、本当にたくさんいろいろな曲を聞いたり、片っぱしから見てください。どんなものに感動するのか、どんなものが面白いと思うか、そういうことも大切なことですね。そういうことで感動しないと、人はどういうものにひきつけられるのかがわからない。舞台に立ってみたら何もできないわけです。

Q.なぜ人の作品に学ばなくてはならないのですか。

A.それも楽しいことです。自分の作品に結びついてきます。人のことを勉強するみたいで、結局、自分の勉強をしているのです。自分が将来つくるようなことを、すでにやっている人がたくさんいるのだから、そういうのを知ってやる。それと、そういうのを知らないで自分の思いだけでやってしまうのと、レベルが違ってきます。たくさんの周りのものを勉強するというのは、必要なことです。そんなことを日々入れてやってみてください。

Q.ポップス歌手にとって声楽の必要性は?

A.舞台でよい発声をする。表現力をメインにしても、発声になると、自分のオリジナルな部分になってくる。それはクラシックの部分とつながる。
ただ、声楽というかたちではなくて、実際ポップスの場合は、声楽的なところでの原理に基づいた一番いい声に、必ずしも表現力があるとはかぎらないのです。
今は、先に声楽をやることを薦めています。ポップスに関して、声楽が必要だとしたら、何年かたった後とか長い間活動をするとか、1年のスケジュールでやるといったときに、もっともベースとしてのよりどころとしての位置づけです。
確かに近道ということでもない。

Q.ロックのオリジナリティに声楽は役立ちますか。

A.オリジナルというのは、様々な要素が入っているから、すごい強みがある。発声を置いても、それこそ声と関係なしに伝わってしまう、あるいはやれてしまう部分があるけれども、多くの人の中で、それは1割、あるいは1パーセントくらいでしかない。基本のレッスンとして考えたときに、積み重ねとしてやれるものは、声楽だけでいい。結局、歌というのは、歌ってしまわなければいけないし、ステージでやらなければいけない。
そこで踊ってみてといわれて、踊れなければどうしようもない。その踊りとクラシックバレエの関係のようにまったく関係がなかったとしても、どこかの部分でそういうことをやることで体の管理や長期的に喉を痛めないというような共通部分があります。

ポップスに関して、声楽が必要だといったら、何年かたった後とか長い間活動をするとか、1年のスケジュールでやるといったときに、もっともベースとしてのよりどころとしての位置づけです。
確かに近道ということでもない。

○矛盾を恐れない

リズムをとりなさいといわれたときには発声なんかはめちゃめちゃ。音程をとりなさいといわれたときも、声楽やヴォイストレーニングで習っている高音の発声がそこに出る人というのはないですね。それが自分のものとなって身についたら、その声でその音はとれるかもしれないけれど、最初は高い音を出せといったら、高い音を出すだけの声ですね。
そういう意味でいろいろな面から刺激をしていって、いろいろな面で気づいていくのであれば、矛盾していても、それは悪いことではないと思います。中にはこんがらがってしまって、こっちの先生が正しくてこっちの先生の言うことはおかしいと思うとか、不審になってしまうのは困る。こういう相談はうけています。

○確かな違いを知る

だから、私はいいものであればいいと思う。トレーナーのレベルや教え方というのなら、いろいろとあるかもしれません。それは誰からもケチのつけられないものになるべきとも思いません。
あなたの持っている資質は、右のほうで生かすよりも左のほうで生かしたほうがいいとする。これは声楽とポップスの人が違うというより、ポップスの人の中での違いのほうが大きいくらいですね。
だから、声楽は、ここではクラシックバレエみたいにやる。ポップスだけで3年5年と歌っていて、歌の技術やフィーリングがつくことはあっても、あまり根本は変わらないことが多い。
けれど、声楽を5年やった、声楽を習ったとなると、声の張りなどが確かに違うとなる。やる前とやった後と、何かが確実に違ったというものがほしいと思ったときに、声楽は標準的につけておきたいというのは、今の私の考えです。

ただ、人によりけりがあります。最初はもう、皆はどうすればいいかと聞く。やってみないとわからない。それでやってみたところで感想を聞いて、その人の考えや方向性ということもある。
今、聞いたような声の人は、声楽的な発声じゃないから、声楽じゃないほうがいいかというと、こういう人たちのほうが、声楽をやったほうが変わる可能性が大きいのです。
というのは、ポップス的にずっと歌って、喉をつめたり、やるだけのことはやってきているから、それを同じやり方で変えろというのは、難しい。その感覚をもう自分の中にもっていて、自分なりに納得している部分がある。そうしたら声だけのことを使うのであれば、まったく違う形で裏声やソプラノの練習をしていって、それはやり方が違うかもしれない。
実際はエスニックな歌みたいなものに声楽は必要ない。けれど、声の原理に戻っていけば、今まで固めて歌っていたがために、無理をしていた部分がほぐれていけば、結果的に作品はよくなっていくのです。

Q.表現すべきか、発声の基本をやるべきか迷います。

A.本当は声をやることと表現をやることを、同時にやるということは、難しいことです。だからヴォイストレーナーの中でもそういう考えの人は多い。
表現にはタッチしない、歌にはタッチしない。声だけのことでやろうとする。すると、声楽的な考え方になってきます。
他方で、まったく、表現をやっていなかったり、声楽やコーラスばかりをやってきた人にとったら、そこの中でどんなにやっていても、なかなかオリジナリティを持った表現にはなってこない。自分がどう使っていくかということに最終的になってくると思います。
迷っている段階であったら、どちらもレッスンと思ってやりましょう。刺激がついてくる。
レッスンの充実度がもっと欲しくなって、つめてやりたいという時期がくれば、そこでやる場合もあると思います。
声楽の中の課題で、とにかく2週間も間をあけてしまうと、よくわからなくなる。今つかまなければいけないということがあれば、目一杯、やるということでいい。

Q.ひびきと発音は矛盾しませんか。

A.響きをていねいにしていくのと、今の日本語をていねいにするのは、矛盾しかねない。問題は言葉のことよりも、流れや響きのこと中心で、言葉としては聞こえなくていいときもあります。言葉をていねいにというのは、私から言わせると、クラシックでは、ポップスにとっての言葉より、トータル的には響きが中心なのです。響きをていねいにしながら、言葉をいい加減にする人がいるから、言葉をていねいにといわれる人がいる。
この言葉のていねいさでは、ポップスの中で言葉といっているよりも、本当でいうとかなりいい加減なのです。言葉でなく発音としてつなげている。声楽というのは、かなりきちんと響きを出す。
それは逆のことではない。実際の歌からいうと同じ結果となる。

Q.声楽は必修ですか。

A.課題があるかないかです。クラシックをやって課題がないということであれば、それはやる必要がない。そこに課題があるが、今の舞台に使えないということだと、やればよい。
クラシックは声量や声域、あるいは呼吸のようなものが長期にわたって、自分が気づかないところで結びつけばいい。すぐに結びつくということではない。それをずっと繰り返していることで、どこか知らないうちに、そういう結びつきができる。そういうサポートができていたらOKですね。

Q.しぜんな流れで歌いたいと思います。その場合の課題は何ですか。

A.歌にあわせて鋭く切り込んでいこうとすると、声がとれなくなる。その問題をはっきりさせておけばいい。それはあらゆる人に程度問題としてある。しっかりと声をとって体で呼吸をつけて声を出していこうということと、それから逆に音楽の速さを感覚に入れて、そこで切り込んでいこうということと、同時にできていたら、問題というのはほとんどないわけです。常にその両方をやっていかなければいけない。
ここの場合では、その流れのほうができていたらいいと。高低や展開が見えてこないと、途中のところでバタバタして、重くなりすぎて沈んでしまうと、それは声や体のほうに負っているからいいとはいえなくなってしまいます。本当に体と声に負っていたら、切るところは切れるし、ぱっと入れるはずです。

Q.息をロスしないためにはどうすればよいのですか。

A.しゃべっているときに、「ふつうしゃべっているときに」、ここまで意識しないです。次の流れをとっていくし、それは深く言えなくてもよい。曲や歌としてみたときに、部分的な完成度より全体的な流れから外れないということのほうが大切です。うまくは入れなかったり、声が出なかったり言えなかったとしても、それは即座に切り捨てて、次のところを立て直すところ、あるいは全体の流れを壊さないことを優先しなければいけないのです。
ただ、練習というのは、それを部分的にできるので、そういう練習の場合はつなげない。うまくいく歌詞をやっておいたほうがいいですね。そこの歌詞をやって、実際につないだときに無意識につなげていればいい。落ちてしまうようなら練習をすればいい。
呼吸が持たないということよりも、動かすのに息を使いすぎている。だから、深い声やボリューム感のあるようなものを見たり、感情を入れたりすると息はロスしてしまうのです。

Q.背中に入れるという感覚がわかりません。

A.背中で息をとれというのも人の感覚なので、わからなくはないのです。けれど、この辺でやっているようなことを、特に肩甲骨から向こうのものが動くような感じで捉えろということだと思います。背中に入るということがあるわけではないのです。お腹の周りは横隔膜で動きます。けれど、横隔膜の動きで、逆に肩が張ったり固くならないようにすることです。
たくさん吸う必要はない。たくさん吸うと、かえってたくさん出てしまう。たくさん吸ったものをコントロールはできなくなる。むしろブレスは、たとえば3フレーズまで歌おうとしたときに、4フレーズまで歌うつもりで呼吸を配分するということです。
瞬時に出さなければいけないときもある。そんなぜいたくを言っていたら、最初から弱くしか出ない場合もあります。基本的に歌がここで終わるからといって、そこを目当てに息をコントロールしていたら、当然、息は持たないですね。もう1フレーズか2フレーズくらいできるような感覚で終えておかないと。

Q.歌の中でいろいろ考えてみても、考えるほど息が動かなくなってしまう。

A.意識してしまうと体は使えなくなるので、体の使い方というのは、日常的に、あるいはトレーニングの前後に、体が一番楽に使えるような状態をとっておくことからです。
それが歌で壊れてきたり、張ってきたり、そういうことが起きてくる。すると1曲終わった後に、それをほぐしたりしながら背伸びし、膝を屈伸しながら、そういうふうに息が入りやすい体にして、やる。
実際に歌っている中で、次に息を吸わなければいけないからとかいうことで頑張ろうとして、どこかくずれてしまいます。何か変なことをしているというふうにしか見えない。その体を持つしかないところへ、長期的な努力目標として、少しずつやっていくことです。

○重くしないで、先行で勝負する

「ままにならない」で一回おとして、「私の心」でもう一度そうしたいのでしょう。体と呼吸の問題なのか、テンションや気の問題と総合的にあるのでしょう。「定めのつらさ」の「さ」のところから自由につながったときに「別れの日が」の中のフレーズのつくり方ができると思います。最低限、結びついています。置き方で大きく変わる。
「知らないわけではなかったが」の「が」が、流れから落ちてしまっている。曲調と声の質や発声はあっていると思う。いろいろな動かし方をこれの中でやっていくと、声をていねいに扱ったり、こう出したいときに、こういっていながら、何かふにゃふにゃになっていたり、息が足りなくなっていたり、今自分があるものでの使い方のバランスです。
最初にもっていけるのに、それをここまでは考えていない。体で覚えていくしかない。何回もやってみましょう。最初はもう少し押さえて入らないと、最後のほうまで持たなくなる。最初、高めに大きめに入っても、マイクに頼ったほうが、インパクトは強くなる。
最後の「キサスキサスキサス」はあとのところに盛り上げるよりは、ひとつのフレーズがきちんとあるから、後ろの方に続くよりはこっちのほうに勢力を使わないと、リズムが刻めなくなってしまう。重くなって動かしていくのが辛くなってきてしまいます。

○聞かせどころ(「アデュー」)

「アデュー 涙流れ アデュー さよなら」の「アデュー」を聞かせるのか「涙流れ」か、それは4つ聞かせられたら一番いいのですけれど、4つ聞かせる中でもどの音をつないでいるところを一番ピークに持っていくのかというところをきちんと決めていく。何となくは決まっているのですが、本当の意味でいうと、歌うごとに若干ずれているのです。
最初は「アデュー」でやっていくつもりが、「涙流れ」や「さよなら」の方に移っている。声を音楽にしていくときの一番大切なところです。こうやればいいとか、これが正解というのでなく、自分の中で何回もやってみます。
今の体だったらこう見せるのが一番いいということと、将来的には、もし体があって、もっと声が自由になるのであれば、こういうかたちで本来この歌はやるべきだったという、その2つを常に見ていく。今の体でうまく歌えるのは、処理になってしまうから、限界がありますね。

ここでやるのは、前半はすごくよかった、後半はバタバタになったでいいから、すごいよかったというところの度合いを上げていくことです。この曲で歌うというよりも、たった一箇所でもいいから、その一箇所だけ聞かせたらすごいと言われるような部分を知っていく。つくっていくことですね。後はどうでもいいのです。そのくらいしか残りません。
「アデュー」という音だけが、あるいは「さよなら」という声だけが残っていたら大成功です。
歌い手が歌えば歌うほど、何か一生懸命別れっぽいことをやった、はい拍手で終わりでは、何も残っていかない。
だから、自分がどこを残せるか。それは自分の感性だけではない。曲のつくりや曲にたまたまついている歌詞によって決まる場合もあります。
でも、当人が選ぶというのは、何かしら当人が接点をつけられると思ってくるから、選ばない曲よりは選んだ曲のほうに可能性があると思っています。そうでない曲もいろいろな練習にはなると思います。この2つというのは、対照的です。

○関連づけ

日本人が歌っている歌い方では限界があって、古くなってしまう。海外の人は、リズムも体のところに声がしたがっているから、ああいうふうに歌えてしまうわけです。普通はあんなフェイクのしかたや動かし方は考えないです。無茶なことです。2人でやっていることを1人でやれというのも無茶な話です。けれど、非常に高度に音楽的に成り立っているのです。
ああいうことができると本当に何でも歌えるようになる。
2曲目は、歌いようによっては難しい歌で、すぐ崩れてしまう歌。だからはっきりしていて練習にはいいですね。これがきれいに歌えるときには、声の調子とか体調のいいときです。気持ち的にもいい。こういう歌が歌えなくなっているときには、発声の状態がちょっと悪くなっていても歌えなくなる。
自分の調子のチェックには、非常にいい。それから音楽の基本的な流れをきちんと踏んでいます。だから、チェックに使うといいのではないでしょうか。確実に呼吸のこと、体のこと、声がとれることをしておかなければいけません。でも、その体から息を出した声で、こうつなげてもっていくというのが歌ではない。歌の場合はどこから入るからわからないです。心から入るでも、思いから入るでも、言葉とかリズムとか、感覚的な面が走っていく。だから、発声の練習の方とわけて、自分のオリジナリティのほうを磨いていく。

Q.歌において体から歌うことは、どのくらい大切なのですか。

A.体から考えると、体が使えて声が使えているほうがいいとなります。実際の歌になってくると、マイクを使うから、声量があったほうがいいとか、体を使ったほうが働きかけることとは必ずしも結びつきません。ただその歌の中でもっとやりたいと思ったときに、体が動かないと、うまく声が動かなくてできない。主従関係というか、歌と声ということから、両方から関連づけていくことです。
発声をやっているときは、体からばかり歌を見ていく。
けれど、歌というのは、切れがよくて気持ちよくて、心地いいような部分がある。それは中途半端なところの呼吸や体では対応できない。歌本位に考えてしまうと、全部体を投げ出すしかなくなってしまう。
体をきちんとつけて歌おうとすると、今度はリズムや切れが悪くなる。常にその矛盾の中でどちらもやる。それで間を詰める。それから、体も大きくなってくれば、自分もいろいろなことができるようになる。そういうことを自分の中で考えてみてください。

Q.評価を超えるような歌、他人の好き嫌いで判断されない歌とは、どういうものですか。

A.枠が破れないうちは何も出てこないから、まず枠を破ることをやらせていました。最近はそうではなくて、それぞれの分のあるところで生きていくというのか、枠が破れてというのは、評価がなくなってしまうのだから、自分がつくったものイコール、絶対に自分のつくったものとなります。しかし、他人が認めなければやっていけないわけですから、それはどこまで自分のカリスマ性やアーティスト性を信じるかということになります。
本来、ポップスも劇団も、最初から破れているものなわけです。死にそこないみたいなところから人材は出てきます。
劇団では、バカとかアホと平気で言われ打たれ強くなって、恥も外聞もないところまでやっていきます。お笑いもまだそういうところでやっています。
音楽というのは、なかなかそのようにできないのです。萎縮することによってよさがなくなる。喧嘩できない。役者みたいにつかみあって何かできていくのならいい。あくまで内面的なものから、心地よさの上で出していくものとしてあります。
他人のものを心地よくといわなくてもいいのです。けれど、表現の強さを支える心地よさというところでとっていきます。
一番やらなければいけないのは、こういう歌でも、歌の内容に見合うような人生とはいいませんが、イマジネーションをもってリアリティをどう与えていくかということですね。

Q.なぜ歌や声に体が必要なのですか。

A.ほとんど歌えないと思うのです。歌唱は体験をしていないから歌えないということではない。そこが歌の面白いところです。声と関係ない部分もあるのですね。そこをきちんと、ある意味だと声や体というのは、戻るときのため、あるいは長期的にいろいろなことをやっていくために必要なのです。
瞬発的にやることに、声や体を考えたらおかしくなります。表現のことよりトレーニングを一生懸命やっている人は、トレーニングが出てしまうわけです。それがトレーニングの最大の欠点です。
でも、トレーニングをやってはいけないのではなくて、トレーニング以上に表現のことに走っていなければいけないということです。
音楽自体がそうでしょう。各自体の完成度よりも全体の流れのほうが優先されるわけです。どこかのところできちんと声が置けなかったから、それをていねいに言いなおそうなんてしていたら、音楽は壊れてしまいますね。
全体で走れるために、各部分をきちんとやる。そのために声や体が必要だというふうに見てください。

○リアリティの切り出し

よくこなしていると思います。今、プロのところにいっても、なかなかこういう音がとれない。動かし方ができない。
ここでは、こういう曲ばかりつくってきているから、それが今のポップスのシーンにどう対応するのかはよくわからないけれど、とにかく応用性ができてくるというのはいいことです。ただ、そこに頭や体がいっていることが、固くなってしまうと、今度はそこにリアリティが出てこなくなる。
心配なのは、言葉じゃなくて、言葉の裏にあるリアリティですね。声だけで勝負していくというのはまた別でしょう。けれど、それがちょっと薄いなという気がします。はたしてこれだけの歌の世界の中の、プロが入れ込んでいるだけの心を持って表そうとしているのかということです。
それを1回でできるというのは無理な話で、2年3年、5年もかけて1曲をつくっていくことです。けれど、その接点は、最初から持つべきだと思うのです。

○トレーニングを抜く

トレーニングがいいわけになるのです。今、声をやっているからとか、音程をとか、それはそれでいいのですが、どこかでそんなことを全部抜きにして伝わらなければいけない。そんなことを何もやらなくても歌えるのだからという、すごい適当さをどこかに置いておかないといけないような気がします。
表現を切り出していないといけない。ことばから捉えるのは、一番大きな、ことばの裏の世界、ことばの思いが出ているかという、同じでは困る。
「秋」と「並木道」も、J-POPSからいうと似たところがありますね。重々しい世界で、演劇的な世界に入ってしまうかもしれません。

クラウディオ・ビルラを年配の人は聞くかもしれませんが、10代の子は聞かない。よほどこういうものが好きでないと。でもあなたが歌えば、この世界をもっと簡単に、もっと伝えられることがあるわけですね。そこに勝負の接点を持っていく。
確かに村上さんや岸さんや、チンクエッティはすごいが、ドメニコ・モドーニョの声でも、あんな処理のしかたがあるぞと、違う処理のしかたもあるぞとわかる。自分の処理のしかたを持てば、勝ちですね。

○気づきを伝える

違うところに気づいた部分、それもまったく変な気づき方だったら、誰も納得しませんからね。だからレポートを書かせている。1回目、2回目、3回目、あなたのほうで気づくことが違ってきたら、それはあなたの感覚として一番違うところだから、一番価値があるのです。
私たちが難しいことを言っても、世の中には通用しない。あなたが同じ条件で生きているような、同じ若さの同じ世代の中で、ちょっと気づいたこととか、ここはこうじゃないか、というようなことが一番与えられるところなのです。
こういうものなんだよと。ここ、こういうふうにいいねと。そのいいことを取り出して歌えばいいわけです。それを出ないようにしてしまったら、何もないわけです。
気づかないところで歌っていても、何も与えられないです。カラオケも歌っているだけでしょう。
気になるのは、歌っているだけになってしまったら、まずいということです。歌に何をのせるか。
その辺は何回やっていても、難しい。

Q.どうすれば先生のように気づけますか。

A.私のように気づく必要は全然ない。あなたの中で、昨日の自分より気づいたそこの部分は、まだ気づかない人にとっては、非常に大きな発見です。そこを大切にすればいいわけです。
皆、気づかされて、心を同化できるし、いい歌だと思う。その常に半歩くらい先をいかなければいけない。
プロが若い人の前で歌ってしまうと、半歩どころか別世界になってしまう。それは同世代の中で、あるいは同じ土俵の中でできることはあると思います。

クラウディオ・ビルラを年配の人は聞くかもしれませんが、10代の子は聞かない。よほどこういうものが好きでないと。でもあなたが歌えば、この世界をもっと簡単に、もっと伝えられることがあるわけですね。そこに勝負の接点を持っていく。
確かに村上さんや岸さんや、チンクエッティはすごいが、ドメニコ・モドーニョの声でも、あんな処理のしかたがあるぞと、違う処理のしかたもあるぞとわかる。自分の処理のしかたを持てば、勝ちですね。

<一般Q&A>

Q.学校のレッスンとどう違うのですか。

A.ここでやるべきことは声のベーシックなことをやり、耳を徹底して鍛え、活動の段階がくれば、そういうことをやればいい。すでにやっている人も、やってきた人も多いのが、ここの特徴です。
発声のことを勉強して、学校というのは、ここまで最低限教えようということに対して、知識として覚えていく。テストをすればわかる。それから落ちこぼれないようにしていく。
クリエイティブな場というのは、むしろ課題を突きつけていく場で、自分が答えを出していくしかない。もしどこかに行って、その先生の言うとおりにやって答えが見つかったとしたら、それはクリエイティブな場ではない。合唱団や劇団の中のひとつの役割を演じたらいい。
このことはずっと突きつけられます。こういうことを選ぶごとです。来年何をやるのか、今日から何をやるのか、今晩どういうふうに時間を使うのか、全部自分で決めて、それで自分でやって、つくり上げていくのです。

<トレーナーQ&A>

Q.複数のトレーナーについたときの考え方について

A.レッスンの間は自分の課題を練習していきます。2人の先生についたら、2週間周期で2つ別のことをやっていると考えたほうがいい。こっちの先生で出した声を、別の先生でやってしまうと、違うと教えられるというプロセスは、それぞれ違うこともあるからです。言葉をていねいにしなくてもいいというのと、言葉も両方ていねいにしていくというようなことも、実際には違うからです。私の中でも人によって調整しています。
2人のトレーナーにつくとよくある矛盾は、一人のトレーナーにつくと、ちょっと右にいっているからといって、左にいくようなトレーニングをするでしょう。そうするとその時期は左に寄せていくから、何でこんなに不自然に左によっているの、もっと右のほうにやらなければダメだともう一人は思う。それは一緒に見ながらやっていないから、仕方ない。
ある意味、一人の先生との接点をつけられたら、私はいいと思います。先生と接点がまったくつかない場合をどう考えるかは難しいです。自分と合わないほうがいい先生といえなくもない。
声楽の先生ははっきりしている。ある生徒はOKだけれど、ある生徒は絶対ダメ。その幅も人それぞれです。自分が近いと思う人は、たまたま自分と合っている。合っていなければ、考え方で対立してしまいます。たまたま合っている人なら、それでかまわないと思います。
同じ時間をどう使いたいのかということです。活動のことをベースでやるのであれば、表現だけでもいいと思います。

Q.トレーナーの効果の確実性について

A.そこばかりは、結果でしか出せない。たとえば、この人に1年つけてみて、相性が悪いという結果が出てくると、違う先生がいいということもある。とはいえ、よほど悪い結果で出てこない場合は、変えるべきでないと思う。度々変えても、その日の状態がよかったとか悪かったとか違う。そこは自分の中で納得がいくように変えていけばいいと思います。
半年ごとくらいに見直すとよい。自分の勉強した感覚も意識も変わるし、やりたいことももっとはっきりしてくる。
そうしたら、またここに、そのときに選択するくらいの厳しさを持ちます。いいのか悪いのかわからないけれど、だらだらとやっているのが一番よくないです。一番すぐれているのは、学ぶことがあると直感したら、自分の小さな頭で判断せず、相手を信じることです。

私は、ひとりの先生にしかつかない人をたくさん見てきた。その場合はその先生と成り立ってしまう場合が多いのです。それは、他の先生がついたときにも認められなければいけないことだから、その矛盾は、むしろ持っておくべきだと思います。
常にここでこうやるといわれるのです。こっちでこうやるとそういわれないという見方もどこかにあると知って、簡単にいうと両方でOKがとれればいい。仮にこっちで認められるやり方と、こっちで認められるやり方とを自分で区分けして、違う使い方をしなければいけないとしても、そういう応用力がついている。
たとえば歌ってみてごらんなさいといわれて、その歌じゃよくないと思うよ、こうやってごらんといわれたときに、そうやれて、そうやればいいのと言われたら、そういう応用力がつくのであれば。その人の性格や考え方や幅ですね。

○声楽とヴォイストレーニング

声楽とヴォイストレーニングは、選択伎としてどう考えるかです。両方やってみればいい。違う面からの刺激は、それはそれでよい。
すごく急ぐ人にとっては、ひとりの先生に月8回くらいつくのがわかりやすいのは確かです。
声楽トレーナーもここに何人もの先生がいます。やり方も違います。
ただそのやり方の違い以上に、ポップスのやり方は皆、違う。だから、ヴォイストレーニングというと、声楽にあわせてやっているところのほうが多いのですね。
普通のスクールに行ってしまうと、声楽とまったく関係のないポップスの歌い手が直接教える。どっちを見ても、たいして効果を上げていないことが多い。すごく効果が上がっているのかというと、必ずしも言えない。両方の機会とチャンスを与えて、後は相性ですね。
ポップスのことばかり、4年やるとしたら、声楽をどこかに入れさせています。
個人レッスンになってから、2、3年は声楽をやらせてみたい。
その人にとっていいというより、ある時期、そういうふうに詰めたい時期というのはあるのが大切です。よほど仕上がっている人か、形があって今までやってきたことがあまりに長くてくずせない、固まっている人。そういう人は月に何回かとりたい。そうでない人の発声や呼吸、音程やリズムはマイペースでよい。矛盾することはあまり心配していない。

<5.EI Q&A>

Q.舞台をやっていて、「ここでこうしたい」というような感情がどうして起きるか。レッスンを受けていて、その答えが得られるか。

A.それは実際の舞台に近いレッスンとしてやっているからでしょう。舞台を踏んでいる人につくと、そこの部分で得ていけると思います。
実際の歌でいうのであれば、歌唱上の表現や精神的なケアというのは、表現のレッスンだと思います。声楽は、そこからワンクッション置く。客観性をもつ。ポップスというのはキャパが広いから、だいたい誰でも受け入れられる。

たとえば自分で表現したいといっているときには、そこの時点での結果でやるしかない。大きく見たときに、それがいいときもある。 そこでしかできないから、それが一番いいのかどうか、よくわからないときもある。そこでやっていたら、それと同じ以上のことができる、もっと優れた人がたくさんあらわれ、存在価値がなくなってくる。他の人がやったほうがいいということになってしまう。
そのときでも、声楽というのは戻れる場ですね。キャパシティの問題になってくる。
声を守るとか、声をどう配分して使っていくかとなると、ダンスをやるのにクラシックバレエでは、柔軟に股間を開いたり、つま先から手の先までていねいに扱うことを日々やらなければいけない。実際にバレエのレッスンが、体をめいっぱい使ったところでやっていくものです。
ポップスはその中でのひとつの演目というようになってくる。そこで偏らなければ別に問題はないし、偏ってそこでやっていけたら、ポップスはそれはそれでいいということです。
全体をとる必要はなく、部分で絶対に強ければよい。ただ、部分で強いというのは、そこで壊れたときに、本当にその歌い方でいいのかとか、それが単にくせや真似だったというような状態になったときに、どこまで戻るかということです。
その辺の判断は、実際のレッスンに、あなたが何を得られているかということで考えてみればいいと思います。


■アーティスト論 #001-010

#001. MILVA

クラブといった感じの小さなステージ。テレビのセットかもしれない。
しかし、一曲ごとに舞台も声も移り変わっていく。
一曲目はリリー・マルレーン。ゆっくりとした動作…
a音でよく下あごが動くな、と感じる。目はほとんどつぶっている。
二曲目、まだ動きはゆっくり。しかしハスキーで、小声にしても
しっかり音が入っている。どんな風に扱ってるんだろう?

次の曲は短調でタンゴのリズム。いきなり前の2曲とイメージ変わる。
しぐさを入れて、語り、叫びを合間に。しかし曲から決してはずれない。
シルクハットをかぶり直して、指先で失敬…それまでに決まりまくってるから、ちょっとくらいキザでもカッコいい。

今度はジャズ曲だ。歌詞も英語を歌っている。あんまり下には入れない声になっているのかな?
低音でも軽くした感じになっている。
ピアノにちょこっと座ってピンク色の照明、この辺から既に創り上げているのだろう。

次はシャンソン。ちょっとおどけた感じ、振りつけも声も。
歌詞もしっかりフランス語で歌ってる。
しかし、ダミ声ぽくウォーと張った後にすぐ囁き声…面白いし、凄いなと。
声楽の方ではちょっと無い表現では?

そして、オーソドックスにカンツォーネの大曲へ。
とにかく、この声量…。響きに持っていってる感じではないのに。

その次は「ジョニィ」。歌の途中で床に寝ている男に語りかける感じで。
そして、髪の毛パタッと倒して終わる。役者だな…と。

「待ちましょう」。バイオリンの人と背中合わせで楽しそうに。
el mio cuo、たったこれだけでも一瞬で深く入れて浮かせている。

何曲か続く…間奏の時の動きもサマになっている。顔の表情に合わせて声も本当に良く変わる。
語るような所でも、演説みたいに訴えかける所もあるし、すぐ小さくもできる。
演奏でブレイクした後に軽快なリズムになる所も、切り替わった感じをすぐに出していく。

「oi vita mia」と言っている曲で、叫ぶ所も何回かあった後、
最初のリリー・マルレーンに戻り、再びゆっくりとした動き。
何もかも計算されているのか。それがあったうえで、
数え切れないアドリブを繰り出しているのか。

2回目に観て感じたのは、とにかく「この人は役者だ」。
声の感じからリズムから、しぐさから全てを含めて表現に注ぎ込む。
自由にやる所はやるし、踏まえる所はきちんと踏まえる。
その幅が恐ろしく広くて、自分にはまだ到底分からない所もある。
【ミルバライブ】


#002. JANIS JOPLIN

彼女のアルバムを聴く限り、あまり強く魅かれることはなかった。
決して上手いヴォーカルだとも思わない。大好きな曲もない。
でも、この映像を観て彼女という人間が好きになった。
「何も考えない、感じること。瞬間と一体になる、宇宙なのよ」
ということばも、彼女なら素直に納得できる。
モントレーのあのステージは、何度観ても鳥肌が立つ。
“歌”が“歌”でなくなる瞬間を観るのだ。
あの大会場を真空にしてしまうようなパワーだ。
「子供が泣き叫んで訴える」というのは、まさにこれなんだと気付く。
話すように歌い、歌うように話す。歌の中で怒り、泣き、笑う。
「私は未だパワーだけ」と語ってた彼女にいつかが来なかったのが本当に残念。
彼女がアレサやオーティスの表現力に関心を寄せていたのが興味深い。
歌には確かに技術が必要で、しかし、その技術をあやつり、
創るのは「強烈な想い」であり、その人が培ってきた「たましい」なんだな。
【ジャニス ア フィルム】


#003. AMALIA RODRIGUES

何かが違うのではないかという気がしてしょうがない。
今まで「耳が聴ける」ということがわからないとは思っていたけれど、心の底から全くわからないとは思っていなかった。
それが何なのかは全然わからないのだが、
今初めて「何か違う」ということばが私の頭に飛び込んできたのだ。

アマリア・ロドリゲスはピアフとは違うけど、
同じようにことばが後から後からかぶさっていくようなところがある。
そのリズムについていけない。追いついたと思ったら待ってるし、
こっちがひと呼吸おいてる間にもう走り出している。
それは曲がスローだとかアップテンポだとか、そういうことでの違いじゃない。
とにかくつかまえられないのだ。
曲が始まると、どんどん滑り出していくあの感覚は、私にはわからない。

ファドというジャンルは、
歌詞をみるとポルトガルという国の歴史や国に対する想い、
生活している人々の姿など、いろんなことがわかる。
決して明るい曲ではないが、強く生きてゆこうとする姿勢がみえる。
イワシの歌なんてかわいらしいのだけど、
アマリアが歌うと、歌詞のことばの世界が音によって、
どんどん広がっていくのがわかる。
アマリアのように、生きてきた中でのつらいこと、苦しいことを、
歌にすることができるというのは幸せなことだ。

ステージに立つアマリアは存在感に溢れていた。
黒の衣装で身をつつみ、ほとんど動きもせずに、あごを少し上にして歌っていた。
あごをすっと上にしたまま歌っていて苦しくないのかと思ったけれど、あれが彼女のしぜんなスタイルなのだろう。
歌うということは自分の感情を一つの世界にして伝えるだけだ。
本物は皆そうだ。何も余計なものがついていない。
ことばを音に乗せ伝えるだけ。(K)
【アマリア・ロドリゲス ライブ】


#004. JULIETTE GRECO

絞首刑にされようとする女の人の歌がすごい迫力で、
客席も入り込んでいるのがわかった。
それと「行かないで」のフレーズ。黒のシンプルなワンピース。
20分の休憩のあとも衣装がえなし。バックのセットもなし。

ずーっとスタンドマイク。ピアノにアコーディオンに超シンプル。
バンドの人の名前を紹介したとき、歌っているかのようで歌詞かと思ったら、ドラムの人の名前を呼んだんだと判明。

ああ、憧れのパリだ!この言語の差は何だ??
70過ぎても声って出るよなあ。それもかさかさしてなくて潤ってる。…うらやましい。
歌詞の中に「人はすぐに忘れるんじゃなくて、すぐに慣れてしまうのさ」って。ドキッ。

シャンソンは結構思想的というか、哲学的というか。
最後はすごい底までずーんと入り込んでいるのがわかった。
客席の50代の人たちはたぶん、1970年前後によく聞いていた人たちだろう。
グレコは昔サルトルたち実存主義者の思想家、詩人、文化人の溜り場であった
パリの地下酒場「タブー」のマスコット的存在だったらしい。

70過ぎた今も、所作や雰囲気に可愛らしさは残っている。
ひとくちに洋楽だの、ジャズだの、シャンソンだの、
西洋人だの言うけれど、アメリカとは全然違うやん。
シャンソンってなんか哲学やん。
すごい、わび、さび利いてるやん。(M)
【ジュリエット・グレコ ライブ】


#005. PAU CASALS

感動した。うなづくことが多かった。
おじいさんになったカザルスが、劇場で演奏する前に言った言葉には、もう何も言わず拍手を送りたい。
彼をいとおしく思った瞬間だった。

かつての国家カタロニアの小さな村サン・サルバドル出身の彼は、
地方出身者らしい知恵、粘り強さ、目的意識、負けん気を奥に秘めた努力の人。
長い間の不幸な結婚の後、年老いてから出会った二人には幸福をもらった。
故カプデビラ夫人と、マルタ未亡人だ。

それまでの彼の音楽が人々に幸せをもたらせたとしたら、
当然与えられるべき至福のとき、安らぎの時間だったろう。
彼の人となりを語る人々の言葉は皆正直で、時折辛辣な批評もある。
しかし、gentleで愛情を含み、思い出しながら幸せそうに
感慨深げに語っていた。ひとかどの大人とはああいうものなのだろう。

その中のひとりがカザルスの音楽についてこう言った。
「彼の音楽はただ完璧に演奏するだけではない。
彼は常に聴衆に何かを訴えてきた。しかし、その音楽は
詩のように純粋で簡潔なスピーチのようだった」と。

彼には才能があった。しかし、それ以上に努力家であった。
幼い頃、始めて弦楽四重奏を聴き、父親にチェロを習いたいと告げた。
父の手作りのヒョウタン・チェロを与えられ、彼がアベマリアを弾くと、一同は感動した。
とりわけ音楽家の父より母の方が彼の才能を見出し、あちこちに連れてはチャンスを作ってくれた。

バッハのチェロ組曲は難曲だという。
並みの練習量では演奏できる程になれない。
彼はこの曲を長年研究し、発表し、そして成功した。
彼は宝石細工師のようだったという人もいる。
音楽は完全に大きな視点でとらえ、しかし、細かいところも忘れない。

彼自身は言う。自然が好き。
自然にしていれば音楽が要求するものを組み立ててくれると。
祖国の独裁者フランコ総統に反対し、亡命したカザルス。
もうほとんど人生の終りに近い老齢で、若く美しい乙女マルタと出会う。
彼女はチェリストとしての才能もあったし、女優でも他の仕事でも
きっと成功していたであろう程の才能の持ち主だったが、
巨匠と出会ったことで、彼が生涯を閉じるまでの17年間を、
全ての時間を彼に捧げた。

彼女はカザルスの母親と同じプエルトリコ人で顔立ちや髪の色、
雰囲気など、風貌が母親にそっくりであった。おまけに不思議なことに、マルタの母とカザルスの母は誕生日が同じだったという。
彼の才能を見出した母―当然彼は母を一番尊敬しているし、愛している。
その母と結婚した、と言っても過言ではなかった。
劇場での彼の言葉が忘れられない。

“ Cataluna was a great nation in the world.
I play a short piece of the Catalonian folklore ― Song of the birds ”

「鳥の歌」は、彼が最も愛し、今はスペインの一地方になってしまった祖国への想いが込められた曲であった。
【パブロ・カルザス 鳥の歌】


#006. CHARLES AZNAVOUR

彼の歌は、とにかく自然体。
「ほら歌っていますよ、ハイ、歌ってるんですよ、どーだ!」
などという、外形のラインが全く感じられない。

アズナブールは、強い表現をしているときも、
ツンツンと尖ってなくて、柔らかい感じがする。
音色だけであんな感じになるのかな?
どうしてゴチゴチにならないのかなあ?

音量をある程度出して、フレーズを大きく作った上で、
優しさ、丸さ、穏やかさを出すというのは、本当に難しい。
自分で無理にかけている圧力を解放してあげなければ、
アズナブールのような自由な表現はとてもできそうもない。
フレーズの作り方にしても、音色にしても、
体のコントロールと気持ちの余裕が先ず必要。

彼があまりにも演技派なので、
ついついそれに乗せられているんじゃないか?と思い、
目を閉じて聴いてみた。・・・語っている。
なんてさりげなく、ポンと吐くように、音を置くのだろう。
けれど、胸にチクッとくるような切なさが残る。
目を閉じていても、観せられる歌だ。

彼は、根っからのロマンチストなんだな。
あと20年くらいしたら、ツボに入ってしまうかも。
いや、こう思ってしまったということは、
すでにアズナブールの魔術に引っかかってしまったということか・・・。(Y)
【シャルル・アズナブール コンサートより】


#007. MILES DAVIS

マイルスの眼光は、いつも何かを睨んでいるようだった。
演奏しているときも、他のミュージシャンに指示を与えるときも、
まるでケンカを売っているかのような威圧感がある。
その鋭い視線の先には、僕たちが想像もつかない音の世界が
広がっていたに違いない。彼は、いつでもそこに勝負を挑んでいった。

マイルスの音が炸裂するとき、
僕たちはその強烈な音の一つ一つにしびれまくるんだ。
もっと聴かせてくれよ、マイルス。もっと吹いてくれよ、マイルス。
僕たちはどんどん欲求を抑えられなくなる。もっと、もっとだ。

でもさ、あんな涼しい顔して、正直困ってたと思うぜ。
いや、ジャズ界の帝王・マイルス・デイビスが困るわけ、ないか。
時代とともに、マイルス・デイビスの音楽スタイルは大きく移り変わっていく。
だけど、それぞれに全く違うマイルス・デイビスがいた。

ずっとうつむいたまま、トランペットを吹き続けるマイルス・デイビス。
ぽつり、ぽつりと、音が鳴り出したとき、僕たちは静かにその音の跡を追うんだ。
でも、誰にもマイルスがそこからどうするのかなんて、わかるわけないよ。
そりゃそうさ、いつだって僕たちは彼の身体から溢れ出すエネルギーと、彼が描き出す音のイマジネーションをみたいんだから。

でも、いつだって彼は答えてくれるんだろ?
僕たちがそれを求め続ける限りは・・・

僕はアクセルをガンガンにぶっ飛ばして、
あたりかまわず荒れ狂うようなマイルスの音が好きだ。
「オレのいっていることがわかるか?」
一番最初に聴いたマイルス・デイビスの音は、誰かを挑発しているようだった。
だけど、今日ある曲の途中で、急に涙が出てきた。
なぜだかわからないけど、涙が出てきてしまった。
マイルス・デイビスの演奏で泣いたのは、これが初めてだ。
「タイム・アフター・タイム」
確かに僕がこの曲を好きだからかもしれない。
いや、違う。
マイルス・デイビスの音があまりにもやさしかったからだ。(H)
【マイルス・デイビス ライヴ】


#008. CESARIA EVORA

西アフリカ島のカボ・ヴェルデ共和国という小さな国の
「モルナ」という音楽ジャンル(?)の歌い手。
60歳位で、フランスで火がつき、世界の市場にデビューしてから
まだ10年余りだそうだ。
ブエンナ・ビスタのキューバ「ソン」のイブライムやコンパイもそうだが、植民地の頃は、夜の街も賑やかで仕事も多かったが、
共和国になったり、革命後とか独立後、生活に苦労するケースはよくあるらしい。

セザリアは裸足ですっくと立っていた。
彼女の国の歌は、とても哀愁の感を起こさせる。
彼女の何がすごいかっていうと、とにかく、何もしていない!
歌らしいことは何もしてない。
左手にハンドマイクを握ったら、握ったまま、反対の手をあげることもしなければ、悲しそうな、嬉しそうな、日本にはびこっているような、借り物の、形骸の、演劇じみた表情は一切しない。

「ようこそおいで下さいました。サンキューベリーマッチ」風の愛想も一切なし。
曲の最初から最後まで全部自然な地声。
ファルセットだの声楽のなんとかいう技巧も、或いは逃げも一切なし。
彼女にとって高そうなキィも、低そうな音も一切なし。
すべて同じ状態で引き受け、音声ですべての情感を表現していた。
予備知識全然なかったに関わらず、不思議な感動が沸き上がった。
繰り返しの時、音楽のリフレインって、何て気持ちいいんだろうと思った。

声ひとつ引っさげて諸国漫遊できる人だ。両手を合わせて(心の中で)拝んできた。
途中、小休止のバンド演奏の時、テーブルに腰掛けて、タバコを一服し始めた。
アメリカや日本のショービジネスだと、そうすること自体演出であったりするが、ホントそれが習慣、生理的な欲求なのだ。あまりに自然体なんで笑えた。面白い。
ボサノバみたいに表面さらっとしてて、水面下に支えるテンションを要する音楽。
間奏で外人のカップルが踊っていたのを、タバコをくゆらしながら満足げに眺めてた。
アレくらい何もせず表現できたらいい。

こんど生まれてくる時は、南の国で、10人くらい子供を産んで、大きいお尻をして、家族そろった時には、五枚重ねのパンケーキを嬉しそうに食べて、いつも歌を口ずさんで、ゆれててっていうのもいいなあ。
去っていく後ろ姿は、何者も恐れていない迫力満点のおかーちゃんだった。(M)
【セザリア・エヴォラ ライブ】


#009. RAY CHARLES

1930年にアメリカ南部の黒人に生まれるというのは、何を意味するか?
差別と貧困のなか、6歳の時緑内障を患い、7歳にして完全に視力を失う。
5歳の時弟が溺死、14歳にして母を失い、15歳で父とも死別。
自立を否応なしに迫られ、シアトルに渡り、音楽のキャリアをスタートさせる。

幼少の頃隣家はジュークボックスを置いているような店を営んでおり、ショーマンシップ溢れるジャズやブルースシンガーに心酔する。
また足しげく教会に通い、ゴスペルに親しむ。
ゴスペルを礎に、R&Bやカントリーに自身の色づけ“聖と俗”を融合、彼の生み出した音楽は“ソウル“と名づけられる。独特のスローテンポ。 

貧しさと孤独にあえいだ青年は、20代の終わりには、
アメリカのトップスターに登りつめ、高級自家用車に自家用飛行機も有していた。
精力的に仕事をこなし、数々の女性と浮名を流し、薬物中毒に10数年苦しむことになる。いま生きていることが奇跡だという。
当時はそれこそ命が首の皮一枚でつながっていたと。

40年のキャリアを過ぎてなお、1年のうち10ヶ月をツアーで過ごす。
今までずっと好きなことがやれて幸せ、感謝している。
コメントを述べているミュージシャンがいうには、
アメリカ人はみなレイのように歌いたいという。
彼の声には、古い金管が通っていて、あらゆる感情を表現できる音色があると。
ニュアンスや音色を聞き分けられる耳を持つ民族。
“音楽“として評価することのできる人たち。

日本だったら、レイのような盲目のミュージシャンが、
若者を熱狂させる(ど真ん中の)スターとはならなかったに違いない。
また歌唱表現の裏に隠された生い立ちや、
苦難や迫害の歴史の上っ面をなぞっても、
何も分かりはしないかもしれないということを、心しないといけない。
恋の歌も、真意は実のところ人種差別を歌っていたりする・・・。

イメージ豊かで独特の音楽的解釈を施すことのできる天才。
体を揺らしながら、個性的な歌唱スタイル。興味深かった。
幼少から音楽と密接に過ごした体験の豊かさ、
否が応でも自立を迫られて始まったキャリア、辛苦を舐めた人生。
孤独も自立も絶望もないところで、ぬくぬくと同じ表現ができるのか。
作品のバックボーンへの配慮や、敬意が必要だ。

“スタイル“というのは、個人のソウルを通して体現したとき、
たまたまそういう形になったもので、
形だけ真似れるものじゃないのだろう。(551)
【レイ・チャールズ「ザ・ジニアス・オブ・ソウル」】


#010. GILBERT BECAUD

私はこの人で、シャンソンに対する自分のイメージを根本から覆された。
フランスでは60年代後半、世界的な潮流だったロックが
他国ほど流行らなかった。
その原因はこの人にあったのでは、と言われているらしい。
ステージングからして、一般的に日本人がシャンソン歌手に抱くイメージとは全然違う。確かにいつも紺のネクタイにスーツという出で立ちではあるが、ピアノの鍵盤を叩きつけ、舞台を所狭しと駆け回り、時に叫び倒したり、じっと観客を見つめて黙らせたり。

シャンソンもカンツォーネと同じく仏語で「歌」という意味で、
特定のリズムとかコード進行を指すものではない。
現にベコーの歌っている曲のジャンルは相当多岐にわたっている。
確かに王道、いわゆる、というのもあるが、このビデオを観ただけでも、ジャズからロシア民謡やゴスペル風、フォーク調など様々だ。
ベコーという一つのジャンルの音楽ともいえる。

どういう音楽をやってもブレないのは、その人の個性が揺るぎないからだろう。
ビデオは「旅芸人のバラード」からだったが、
ともかく手の動きとかも含めてしぜんであり、なおかつ強烈な印象を残す。
曲にもよるが、ベコーの攻撃的な歌い方、ステ―ジングは、
当時のシャンソン界では賛否両論真っ二つだったそうだ。
「扇動家だ」「歌手生命縮むぞ」と言われても、彼は自分を貫いた。
そのことを、結構私はカッコいいと思ってしまう。

そういう歌い方にもかかわらず声楽出身だったり、
オペラの舞台をつくったりもしている。その辺がよく分からなくて意外だ。
「プロヴァンスの市場」という曲では導入部からマーチのリズムが入ってきて、一旦ブレイクしてまた流れが変わる。その度に歌でも「変わって」いる。
特にマーチの所ではまさにたたみ掛け、街道でこれはどうですか、
こっちも安いよ、と八百屋さんが言っている感じだ。
声楽ではまずあり得ないだろう。

「せり売り」という曲ではそれがもっと極端になる。
ベコー自身「3通りの歌い方を1曲の中でしている」と言っているが、バイオリンが早口言葉のように絡むのに合わせて、
ベコーの競売の早口語りが繰り出される。でもリズミカルだし、メロディもある。
リズミカルというのを、ベコーは「言い切り」で生み出していると感じる。
「チャーリー天国は無理さ」という曲は、パーカッションもコーラスも入る楽しい曲だが、これはベコーの音程が高かろうが何だろうが、言い切りまくる歌でないともたない。
やはりこの盛り上げ方は、素直にカッコ良いと思う。

「詩人が死んだ時」の曲では、ベコーはほとんど歌ってなくて、
お客さんに歌わせている。でも、凄く感動的だ。それが何故なのか。
お客さんとの場の形成も含めて舞台ということなのか。
私自身、発声でずっと悩んだりしているが、声が出たからといって、
それで舞台が成り立つ訳ではない。発声の仕方を変えたからといって、それで持つほど歌の世界が甘いものであるはずがない。
一朝一夕で得られるものでないこと百も承知で、必死でなければ。
ベコーのように自分のスタイルを持ち潔くありたい。(407)
【ドキュメンタリービデオ:ジルベール・べコー「そして今は」】


■チーフトレーナーの一言アドバイス 
自分にあてはまるものをチェックしてみましょう。

<発声>

○もっと自然な呼吸をしていくこと。寝ている時の自然な呼吸を確認して、その形を大きくしていくこと。大きく呼吸をしつつも、余分な力が入っていない状態を見つけ出していくこと。

○深く取りすぎると、声が引っ込んでしまうし、前に出しすぎると、声が浅くなってしまう。このバランスのいいところを、見つけていくこと。

○お腹で息を取り込むこと。姿勢は良くなっている。声を出す時に、お腹を押しすぎて、姿勢を崩さないようにしていくこと。

○のどの調子は不調だが、それに影響されずに、いい声が出ている。体から声を出すことで、のどの影響も少なくなる。日常でも意識していくこと。

○爪先立ちで歌う練習をする。足の指でしっかり床を押すこと。ふくらはぎが辛かったりするが、重心を下に感じつつ、歌えるようにしていくこと。

○のどはリラックスできている。上半身の力をもっと抜き、お腹だけで声を出していくイメージで、声を出していくこと。体力作りをすること。

○息を吐こうとしすぎて、息もれになってしまう。もっと効率よく息を集めて歌っていきたい。ことばもはっきりさせたいが、点々にならないように、なめらかに息を吐きつつ、その中でことばをはっきりさせていくこと。バランスが大切。

○お腹を前に突き出してしまうので、姿勢を正していくこと。一見お腹は出ているように見えるが、逆に息が入りにくくなってしまう。重心は前にして、後ろに引かないこと。

○声のイメージ、体の使い方、呼吸の基本から行う。いい声を持っているので、体を鍛えていくことと、人前で声を出すことに慣れていくことが大事。

○意図的にお腹を押さないこと。自然な形で、息を吐き出していくこと。また声を出す準備をしっかりしてから、声を出していくこと。無意識に声を出さないこと。

○のど中心ではなく、腹から声を出していくこと。体のひびきが全然違ってくる。無意識に声を出すのではなく、常にお腹からを意識していくこと。

○日々の練習しかない。週に一度声は出しているが、それ以外で練習できていない。もっと日々の積み重ねを大切にしていくこと。

○お腹を固めることなく、自然な形で呼吸ができている。声もパワフルなので、消極的にならずに、もっと体を使い、思い切り歌っていくこと。

○息を吐くときに、お腹を固めて、押してしまう。まずはゆるめて、そこから強く息を吐き出せるようにしていきたい。日々息吐きのトレーニングをしていくこと。

○声を出そうとして、お腹を固めてしまう。寝ている時の自然な呼吸から、徐々に息の量を増やしていき、強い息が吐けるようにしていくこと。お腹は固めない。

○体の動きと連動させて、呼吸を行う。体は動かしつつも、常に重心は下にある状態を作っていく。その状態から呼吸を繰りかえしていく。お腹まわりを固めることなく、しかし支えた状態で練習をしていくこと。

○声を出しすぎないこと。のどで押しすぎないこと。バランスよく声を出していくこと。声の行き先をもっとイメージしていくことで、意志のある声になる。

○お腹に深く取り込むコツが少しつかめてきた。息を吐くときも、吐き出す瞬間にお腹をへこませないようにしていくこと。腹を中心に下半身で声を出していくこと。

○まずは息をしっかり吐ききること。次にお腹に息を取り込むこと。あとは体が覚えてくれるまで、この基本を何度も繰り返していくこと。

○下半身が遊んでいる。もっと意識していくこと。また腰が引けてしまい、姿勢が悪い。正しい姿勢で、かつ下半身を意識して息を吐いていくこと。

○お腹まわりのリラックスができない。腹筋を固めすぎない。息を吐くときに押しすぎないこと。体の使い方をもっと研究していくこと。

○息を均等に強く吐き続けられるように、トレーニングしていくこと。自分が思っている以上に、もっと声を出していい。中途半端な声を出さないこと。

○下半身を中心に歌っていくこと。トレーニングでも、そのことを意識してやっていくこと。以前に比べて、上半身の力は少しづつ抜けてきている。

○もっとボリュームを出して、体から声を出す練習をしていくこと。小さくまとめようとしないで、大きく体を使って歌っていくこと。

○口をもう少し開けること。不自然にならない程度に開けて、口の中のひびきを作っていくこと。自分が声にしている音を、もっとよく聞くこと。

○呼吸を自然にしていくこと。息の取り込みが不自然。そのためフレーズ自体も不自然になってしまう。吐く息、吸う息を一連の流れの中で、行っていくこと。

○下半身を鍛えていくこと。筋肉的に鍛えていくことと、腹式呼吸を練習していく過程で鍛えていくこと。両面から鍛えていくこと。今は足が辛くていい。

○力んで、体に力を入れることで、パワーのある声を出している。もう少しリラックスしていい。リラックスしたほうが、声も太くなる。

○高音時に胸に息が入ってくる。力みすぎ。もっとお腹を中心にブレスをしていくこと。ソフトな声を出す時でも、遠くへ息を送るイメージを持って声を出すと、意志のある声が出てくる。

○3度の発声より、5度の方が流れもいいし、バランスもいい。音が離れているので、逆に意識的に歌えたのかもしれない。この感覚を覚えていくこと。

○力を抜きすぎて、音程が低くなってしまう。息は鋭く吐きつつ、自分が出している声も、しっかり聞くこと。

○声を遠くへ送っていくイメージをもっと持つこと。視線の先に、声は伸びてゆく。体から声をもっと離していきたい。

○体の支えはあるので、後は、その状態で、リラックスして声を出せるようにしていくこと。体の力と、のどの力のバランスをとっていくこと。

○頭で理解することも大切だけれど、もっともっと練習をして、体に覚え込ませていくこと。直接的に筋肉を使いすぎないこと。呼吸の中で、自然な筋肉の使い方を覚えていくこと。

○積極さが足りない。もっと思い切って歌っていくこと。下半身に重心をかけ、肩、首、上半身をリラックスしていくこと。

○上半身の力を抜くこと。お腹を中心に呼吸をして、声を出していくこと。息のトレーニングを日々行っていくこと。

○体調管理、体力作り、栄養管理をしっかりしていくこと。そこで体調を整えた上で、歌の練習をしていくこと。限られた時間の中で、質を高めていくこと。

○呼吸を安定させていくこと。緊張してきたら、深い呼吸を意識して、何度も息を吐くこと。歌う前の呼吸の安定、気持ちの安定を、呼吸でコントロールしていくこと。

○胸の力を抜いて、お腹だけでブレスをすること。胸に力が入っている時は、のどにも力が入ってくる。そしてまた、胸にも力が入ってしまう。その悪循環に注意すること。

○ゆったりたっぷり取り込むこと。その時間がない時も、必死に吸い込むのではなくて、お腹で取り込んでいくこと。お腹を中心に呼吸をしていくこと。

○集中が維持できない。点々にならないように、息をしっかり吐き続けること。自分が今やっている課題にもっと集中していくこと。

○息と声を交互に、発声練習をする。息の流れの感覚を大切にしていくこと。そうすると、なめらかな声が出ている。息で曲の練習をしていくこと。

○息を吐くときに、押しすぎて姿勢まで悪くなってしまう。正しい姿勢をキープしながら、お腹まわりを使って、呼吸をしていくこと。


<せりふ>

○落ち着いて、低い声でしゃべっていくこと。練習の段階では、息をたくさん使い、強く吐いていくが、日常では、その低い声を基準にして出していくこと。

○腹を固めすぎない。もっと普通でいい。そのかわり、息は強く鋭く吐いていくこと。そしてその時に使われる筋肉を鍛えていくこと。

○緊張した中でも、間違わずに読めるように練習していくこと。滑舌練習とイメージ練習を、集中した中で行っていくこと。間違っても止まらずに、次へ次へ進めていくこと。

○文末を丁寧に。あわてないこと。あわててしまうクセがあるので、思いを込め、丁寧にゆっくりと、まとめられるようにしていくこと。

○滑舌ではなく、発声を重視して読んでいくこと。読もう読もうとしすぎないこと。流れを感じて、お腹の深いポジションから声を出していくこと。

○日々の体調を管理して、多くの人の前で講演するための、体力、精神力を維持していくこと。もっと回数をこなしていけば、慣れてきて、お客さんとのコミュニケーションも自然になってくるはず。

○体を使うこと。深いポジションから声を出していくこと。セリフのためにも、歌も並行してやっていく。

○役の声を作るのではなくて、その役の気持ちになれば、自然と役の声になる。自分自身のリアルな気持ち作りを大切にしていくこと。

○少しづつ気持ちが入ってきている。漠然としゃべるのではなく、相手に向かってしゃべっていくこと。その相手をイメージして、そこに向けてしゃべっていくこと。声に意志が入ってくる。

○視線の先に、声は飛んでいく。遠くを見つめて、声を送っていくこと。文と文の間のテンションが切れてしまう。意味のつながりがあるのなら、テンションキープでつなげていくこと。

○意味のあることばをしゃべっていくこと。必ず動機があるから、ことばになるという自然なかたちを、セリフに生かしていくこと。

○息が浅く、のど声になってしまう。あわてないで、ゆっくりたっぷり息を取り込むこと。そして深いポジションから声を送り出していくこと。

○舞台での声、マイクの前での声を、使い分けてトレーニングしていくこと。目一杯声を出す時、小さな声でしゃべる時、テンションを変えることなく、高い状態で表現していくこと。

○大きな声を出すことに慣れていないので、まずはこの感覚に慣れていくこと。そして楽器としての体作りをしていくこと。


<日本語曲>

○ライブでの歌の構成を考えたりすることも、歌うことも同じ。広く歌の世界をとらえて、歌の世界で楽しく歌えることを考えていくこと。いい歌との付き合い方ができるように。

○流れを大切にしていくこと。話し声も少しづつ、いい声になってきているので、歌声にも生かしていきたい。低音のひびきを、もっと安定させていくこと。

○常に次のフレーズへ向かっていく歌い方をしていくこと。またテンションの低い状態で声を出すから、のどに負担がかかってしまう。発声時においても、テンションを上げて声を出していくこと。

○フレーズを大きくとらえていくこと。細かく表現しないこと。大きく流れでとらえて、気持ちを込めていくこと。

○内面をもっと広げていくこと。自分だけの世界ではなく、外へ気持ちを出していき、伝える対象を、もっと思い描いて歌っていくこと。

○まず体から声を出していくこと。声を出すという基本を、もっと体に染み込ませていくこと。歌詞を覚えること。体から声を出せてもいないのに、歌詞も覚えていない。やれることをしっかりやってくること。

○メロディーラインのとらえ方が甘い。体の支えのせいで、声が上ずっているのかもしれない。支えをしっかりした上で、歌い込み、聞き込みを繰り返し、正しく歌えるようにしていくこと。

○自分の歌いやすい歌い方も大切だが、客観的な視点からの歌い方も研究していくこと。歌詞が聞き取れるように、フレーズの流れをつなげていくこと。

○気持ちは込めるが、気持ちを歌い方にしないこと。歌い方で表現しないこと。歌はなめらかに平らでいい。そのためにも息を吐き続けること。

○歌い出す前の準備が足りない。体も気持ちも準備した上で、歌いだすこと。リズムが重くなる。裏でリズムを感じられるようにしていくこと。

○歌い方で表現をしないこと。歌は体からしっかり声を出し、気持ちはリアルに大きく作って歌っていくこと。深いポジションからの息の流れがほしい。

○歌詞のイメージのとらえ方が薄い。もっともっと深く考えて、もっと練り込んでいくこと。そしてその意味に、息の流れをつけていくこと。

○繊細に歌っていくこと。おおまな内容把握だけではなく、もっと具体的に自分の思いを作っていくこと。声を出すことだけに、とらわれすぎないこと。

○声を出そうとしすぎないこと。お腹から丁寧に歌っていくこと。ボリュームではない、自分中心ではない歌が歌えるようになるチャンス。自己満足な歌から脱却していくこと。

○吸う息、吐く声、この二つの流れがつながっていない。一連の流れの中で、歌っていくこと。一方的に直線的にブレスをするのではなくて、流れの中でしていくこと。

○サビはテンションの高い状態で歌えている。サビ前が、歌っていることに余裕があるのか、小細工をしてしまう。もっとテンションを高めて、シンプルに歌っていくこと。

○メロディーを気にしすぎて、自由な表現ができない。点々ではなく、なめらかに息を流していき、そこに思いを込めていくこと。


<英語曲・ジャズ>

○メロディーは歌えているので、リズムを大切にしていくこと。声を出すことだけに、集中してしまうと、リズムが遅れてしまう。ある程度、リズムに集中していくこと。

○高音時の支えを、冷静に下半身に持っていくこと。また高音の音を一点と、とらえるのではなくて、前後の流れの中でとらえていくこと。

○一つ一つのフレーズではなく、もっと大きくフレーズをとらえていくこと。テンションを上げて、次のフレーズにつなげていくこと。歌うテンションを常に高く。

○演奏DVDを観て、アドバイスをする。本番ではうまくいかないことも多いけれども、反省するところは反省して、それ以外はあまり気にしすぎないこと。自分のいいところをもっともっと伸ばしていけるように努力していくこと。

○高い音を頑張りすぎない。キーを下げて、安定した低音で歌っていくこと。自分の低音の魅力に気づいていくこと。

○シャウトのとらえ方として、のどだけではなくて、体からシャウトしていくこと。そして、シャウトの前に、もっと中音域での声を深くして、安定させていくこと。土台が大切。

○原曲の聞き込みが甘い。もっと聞き込むこと。またその際に、ただ聞くのではなく、リズムを感じて、裏でリズムを取って聞いていくこと。裏のリズム感をもっと身につけていくこと。

○地声でのテンションが低い。高音になるとなおさら、怖がってしまい、テンションも下がってくる。実際、声は出ているのだから、もっとリラックスして、勇気を出して声を出していくこと。

○音程、リズムにとらわれすぎて、表現にならない。まず歌詞を覚えること。そして覚えた歌詞を気持ちと一致させて表現できるようにしていくこと。


<課題曲>

○体から大きな声を出していっていい。体にその感覚を覚えさせていくこと。そうすれば、表現の時は、自然に体が動くようになり、気持ちだけに集中できるようになる。

○口が開かなすぎる。もう少し開けていくこと。そして口の奥が開くようにしていきたい。体を鍛える方向でトレーニングしていくこと。

○下半身の支えをもっと意識していくこと。それにより、のどの力もけてきて、歌いやすくなるはず。具体的には、かかとを上げたり、足を前後に開いて、重心を前足にかけていくなどして歌っていくこと。

○声を出そうとしすぎないこと。息の流れを感じて、丁寧につなげていくこと。低音から高音まで、リラックスしてつなげていくこと。

○声がこもってしまうので、少しだけ口を縦に開けて、意識も遠くへ伸ばし続けていくこと。ピアノ伴奏がもう少し聞けるようにしていくこと。

○フレーズの入りが甘くなる。もっと準備をして、鋭く入っていくこと。同じフレーズを1番から3番まで歌うが、それぞれイタリア語のひびきをキープして、形を崩すことなく歌えている。

○細かく歌わないこと。もっと大きくとらえて、シンプルに歌っていくこと。ことばがついても、息の流れを大きく、シンプルに。

○たっぷり取り込もうとすると、前に声が出てこなくなる。その逆もまた同じになる。両者のバランスをとっていくこと。

○のどへの集中をなくしていくこと。のどはリラックスして、体から声を出していくこと。集中力の持続が足りない。また少しでも、うまくできたことに焦点をあてて、伸ばしていこうとする気持ちを持つこと。

○歌っているうちに、力が入ってしまい、フレーズが点々になってしまう。声をもっと体から離して、遠くへ送っていくこと。

○フレーズの盛り上がり、山をしっかり考えて歌っていくこと。音が高いからといって、声を出しすぎないこと。冷静に客観的にフレーズを作っていくこと。

○高音がなめらかでとてもいい。これ以上、いろいろやりすぎないこと。このままの形で、なめらかに丁寧に歌っていくこと。

○ボリュームを出そうとして、のどに力が入り、息苦しく、一本調子になってしまう。自分が思っている以上に、ボリュームはいらない。そのほうがひびきもいい。

○高音を点でとらえないで、フレーズの流れの中で考えていくこと。流れの中で、その高音の一点を通過しているというイメージを持つこと。

○お腹を固めないで、自然な呼吸にしていくこと。フレーズを一つの流れでとらえて、なめらかに歌っていくこと。

○重くなってしまうので、前へ前へ進んでいくイメージを持ち、歌っていくこと。流れをつけていくこと。声を体から離していくこと。

○下の支えで、息を吐けるようにしていくこと。「マ」や「イタリア語」で歌っている時は、内容に入ることよりも、歌うこと自体のテンションを高める努力をしていくこと。

○トーンやひびきを軽くするのではなく、前に前に進んでいくことで、歌い方を軽くしていくこと。

○のどで頑張りすぎないこと。高音も重くなりすぎてしまうので、明るく軽いというイメージで歌っていってちょうどいい。

○意味がわからないイタリア語を歌うことで、流れが悪くなり、のどにも力が入ってしまう。息のイメージをもっと明確に持って、体を中心に声を出していくこと。

○声楽的な発声、またはその声に違和感がある様子。耳が慣れていない。もっと肯定的に聞いていくこと。体を使って出す声に慣れていくこと。

○コツコツと努力していくことも大切だが、一歩踏み出して行動していくことが、なによりも大切。ライブをするとか、人前で歌う機会を作るとか、オーディションを受けてみるとか、またライブを定期的にやっているのなら、新しいジャンルに挑戦してみるとか。現状維持ではなく、チャレンジしていくからこそ、成長できる。

○カンツォーネの歌い方で、ポップスを歌うわけではないが、今は基礎を固めるとき。腹から声を出していくこと。体を中心に歌っていくこと。

○イタリア語の母音が短くなってしまう。発音に注意して、子音に意識がいってしまうが、母音こそを大切にしていくこと。母音をつなげて、なめらかなフレーズを作っていくこと。

○原曲を何度も聞いて、フレーズを体に入れていくこと。その上で、自分のフレーズを作っていくこと。自分の息の流れを感じていくこと。

○もっと気持ちを開放させて歌っていくこと。自分の中から表現していきつつも、お客さんの波動をも感じて、パフォーマンスしていくこと。主観的な目と客観的な目。

○ブレス時に腹筋を固めないこと。特に吸う時に固めないように。息を吐くときも固めたくはないが、今はあまり気にしないこと。ゆっくりでいいので、たっぷり息が吸える練習をしていくこと。

○何度聞いても音が取れない。レッスンを続けていけば、耳もよくなってくると思う。今は与えられた課題に集中して、トレーニングを重ねていくこと。

○メロディーを点で取ってしまうので、線で取っていくこと。線で取り、なめらかなフレーズにしていくこと。そのためにも、息をしっかり吐き続けること。

○イタリア語よりも日本語のほうが、ひびきが集まりやすいようだ。ひびきを集めた上で、発声も良くしていきたい。日本語の歌詞を何度も読む練習をしておくこと。

○歌い出しがあいまいになる。もっと準備をして、テンションを上げてから、歌い出すこと。そしてその勢いで、その後の息の流れを作っていくこと。フレーズを作っていくこと。

○発声時のリラックスさや、息の流れの自然さは、いい方向にいっている。歌になっても生かしていくこと。音楽的要素をもっと磨いていくこと。

○簡単なメロディーラインだが、息を流し続けて歌うという意味では難しい曲です。点でとらえることなく、線でつなげていくこと。

○歌う感覚だけではなく、語る感覚で歌えるようにしていくこと。息を流し続け、繊細に丁寧に語っていくこと。声を出して、歌っていることに安心しないこと。常にそれ以上を求めていくこと。

○息の流れの変化をつけていくこと。どうしても高い音を張り上げてしまう。音の高低に関わらず、自然な息の流れで歌っていくこと。

○踏ん張る意識がほしい。特に高音を出す時こそ、下半身で支えて踏ん張っていくこと。のどの力も抜けてきているので、この方向で頑張っていくこと。

○声楽的なひびきに慣れていくこと。いくら真似しても、そのようにはならないから心配はいらない。体を使うという意味で、その方向で鍛えていくこと。

○首を軽く左右に振って歌う。力を入れずに振ることで、のどのリラックスを促す。だいぶ力は抜けてきている。なめらかに歌えるようにイタリア語の読みをしておくこと。

○発声時はひびきの統一ができている。歌になると、それができない。高音でひびきが浅くならないように、下半身の支えで、ひびきを上に持っていけるようにしていくこと。

○声を大きく出さない時ほど、テンションを高く歌っていくこと。声の効率も良くなってきているので、後は音程に注意していくこと。

○のどの力が抜けて、体がひびいてきている。息の流れの変化をつけていくこと。機械的でもいいので、変化をつけていくこと。いずれ気持ちとつながってくるはず。

○下半身を意識して歌っていく。のどの力も分散して、体も鳴ってきている。体が使えてきているので、これからも歌を続けていきたい。

○フレーズの山をなめらかに描いていくこと。どこを盛り上げて、どこを引いていくのか。自然な形で、フレーズの山を作っていくこと。

○息の流れの変化をつけていくこと。「マ」で歌っている時は余裕があるので、変化もつけららるが、イタリア語となると変化がつかない。イタリア語時の余裕がほしい。


<オリジナル曲・その他>

○誰にも言わなくてもいいので、大きな夢、大きな目標を掲げておくこと。そして今できることに集中して、努力していくこと。夢は大きければ、大きいほどいい。

○現状に満足しないこと。もっと歌に関して、できることはあるはず。勇気を出して一歩踏み出していくこと。行動していくこと。

○自分で自分を売り込んでいく精神は大切。消極的にならないで、積極的に恥ずかしがらずにやっていくこと。大変なのは最初の一歩だけ。まずやり始めることが大切。

○芸術的なことを理解できる感性というものがある。もともと持っているものもあれば、努力して身につけていくものもある。努力して身に付くものがあるのなら、精一杯努力していくこと。感性も後天的に身につけられるものがある。

○現状を変えていくこと。仕事も大切だが、歌への取り組みが甘い。もっと真剣に考えていき、行動をしていくこと。行動しないことには、現状を打破できない。

                        
■トレーナーズ アドバイス
レッスンの中での概要です。これらのメニュが必ずしも誰にでもあてはまるものとは限りません。参考にとどめておくようにしてください。

○声を出そう
レッスンをしていく中で感じていることですが、この研究所の方はとても声のことに熱心ですし勉強されている方が多いと思っています。
声のことで話していても知識の多さに私も驚く事があります。
その反面、発声マニアになっている方も多くいることも事実です。知識はないよりあった方がいいに決まっています。
しかし我々歌い手はその知識が技術となって外に出てこなければ意味がありません。頭で考えすぎるあまり体が硬くなって無表情な硬い苦しそうな声を出している方を多く見ます。
知識は知識として置いといて、実践では声を出すことに集中してみてはいかがでしょうか?歌う筋肉は歌わなければつきません。
砲丸投げの室伏選手はボディビルダーよりも小柄ですが誰よりも砲丸を遠くに飛ばすことができます。それは彼の砲丸投げとしての技術と砲丸投げ選手としての肉体のおかげでしょう。相撲の力士もそうです。一見スポーツとはかけ離れた体系ですが相撲というジャンルには適した体というわけです。
それも食事と稽古両方からなった肉体であるわけですから我々歌い手もレッスンや練習の中で身についていった筋肉をフルに使いたいものですね。その為にも頭ではなく体で声をだしましょう。 (♭Σ)

○言葉の重要性
私は劇団四季などの大きな舞台はもちろんだが小さな劇団の公演にもなるべく足を運ぼうと思っている。小さな劇団だと舞台も小さく音響もけしてよくない会場で公演する場合が多い。もちろん予算の都合もあるだろうが各劇団それぞれ色があって面白いし会場が狭い分役者の表情、演技などが近く、入場料も安いので見にいきやすいのだ。
しかし舞台を見ていていつも不満に思うことがある。それは小さな劇団ほど多いのだが、「言葉が分からない」ということだ。
分からないというよりテンションが高くて演技は心にせまるものがあるのだが逆にテンションが高すぎて言葉が分からない。言葉にまで意識がいっていないという感じだ。
逆に四季などの舞台にいくと言葉がハッキリと聞き取れて分かりやすい。「二人のロッテ」「ライオンキング」などを代表とするファミリー向けから「オペラ座の怪人」「ジーザスクレイジー」「李香蘭」などの大人向けの作品まで全国で展開する四季は言葉の処理が徹底されている。(音響が良いと言うせいも確実にあるが。)
四季の研修所や稽古場にいくとバレエと歌唱の訓練以外に母音のみで言葉をしゃべる訓練がある。母音をしっかり鳴らすことで言葉をはっきり理解し、深い場所でしゃべれる訓練なのだろうが、四季のように徹底させなければ万人に言葉が聞き取れるようにはならないのではないだろうか。
それでも小さい劇団にもしっかり訓練している人たちが多くいることも事実なのでそのような方たちが早く表舞台に出てきて欲しいと思う。(♭Σ)

○本とレッスンとは違う
書店や楽器店などにいくと発声の本やヴォイトレの本が多く出版されています。福島先生の出版物も多くあります。
本を多く読むことはとてもいいことですし自分の中の知識を増やすということもとても大事なことです。初めてレッスンに来られた方やよく勉強されている方は本にはこう書いてあります。どの本を読めばうまくなりますか?などいわれる方もいます。
しかし本というのはあくまでも本であり、より多くの人に効果を出すために様々なことが書いてあります。逆に言うと今必要でない事まで書いてあるのでそれを間に受けてしまうと自分のキャパシティの範囲をこえた技術まで身につけようとしてしまい(必要だとかんじてしまい)違う方向に行ってしまうことが多くあります。
生徒それぞれ抱えている問題や理想像、目標、声種、音域、声質、癖全て違うのですから一概に本を読めば解決するといったものではありません。
「走るのが速くなる本」などを買ってそれだけを実践したからといってオリンピック選手にはなれないでしょう。スタートはそれでもいいですがあくまでも基本はレッスンであり我々はスポーツ選手に近いので第三者に見られた状態でよいものを作り上げねばなりません。
本はレッスンに様々な事情でレッスンに通えない人が主として使用するもの。レッスンに通える方にはサポートするものだとおもった方がよいでしょう。 (♭Σ) 

○レッスン前シートの提出を大切に
トレーナーに提出するレッスン前シートという用紙があります。このシートは必ず提出しなければいけないものではありません。しかし私は大いに活用して欲しいと思います。
トレーナーによってこのシートの活用方も違うでしょうし重要視している部分も違うと思います。私は、「こんな練習をした」、「こんなバンドを見た」、「こんな歌を歌おうと思う」なんていう言葉はあまり重要視していません。
私が重要視しているのは私にやBV全体に対してくる疑問、質問です。
ここの生徒はほとんどが二人以上のトレーナーに付いているので一人のトレーナーのレッスンを受けると次にそのトレーナーのレッスンを受けるのは2週間後ということになります。
2週間練習をしていれば何か疑問がわいてくると思うのです。
発声のこと発音のこと。もし何も疑問がわいてこないのであればそれだけの練習しかしていないということか、もしくは自己満足で歌っているだけのどちらかでしょう。
トレーナーに毎週レッスンを受けていればうまくなるかと言うと決してそういうわけではなく生徒が2週間かけて練習してきたものが身に付いているのかどんな疑問がわいたのか、それを解決できる方向へ導くのがトレーナーだと思っています。
練習して当たり前なのですから「こんな練習をした」なんて書いてきてもあまり意味のないことだと思えて仕方ありません。トレーナーとのレッスンの密度を濃くするためにもレッスン前シートを活用されてはいかがですか?(♭Σ)

○質問が出る練習をすること
生徒の皆さんがトレーナーのレッスンを受けてから次のレッスンを受けるのに皆さんはどんな練習をしてきているのでしょうか?
トレーナーまかせでレッスンに来るだけでは絶対に上手くはならないです。
真剣に練習を続けていると必ず何かしら疑問がわいてくると思います。この疑問すらわいてこないならば練習不足かトレーナーに頼りきり。もしくは、ただ楽しく歌っているだけでしょう。
生徒の皆さんはレッスン代を支払っている以上我々トレーナーを活用する権利をもっています。我々トレーナーは皆さんの疑問に出来る限り何かしら答える義務があると思っています。
ヴォイストレーニングを受けているならばトレーナーをもっと利用してください。
質疑応答がないレッスンならそれはやらされているに過ぎないと思うのです。(♭Σ) 

○ビートを感じよう
トレーナーのレッスン中、コンコーネ、カンツォーネ、トスティなどを歌っていて「遅れている」「音楽が重い」「音楽にのれていない」など言われたことはありませんか?
その原因に多く見られるのが歌にビート感がない。ということです。
具体的に説明すると裏拍を感じていないのです。
コンコーネ、トスティなどの声楽教本は主に一泊目に重心が来ます。この形は4分の3拍子、4分の4拍子、8分の6拍子すべてそうです。
しかしビート感のないフレーズは曲を間延びさせてしてしまい退屈な歌になってしまうのです。
こうなってしまう大きな要因として次のようなことが考えられます。
・拍子感覚が鋭くない。
・フレーズにポルタメントをかけるくせがある。
・発声を気にしすぎている。
よくあるのが発声を気にしすぎていて声を確認しすぎるあまりテンポにのりきれていない場合です。テンポに遅れ、ビートがない歌の方がよっぽど喉に負担が大きく聞いているひとも退屈になってしまうでしょう。Jpop、声楽、JAZZどんな音楽であろうとも裏拍の感覚はあるべきだと思います。(♭Σ) 


■トレーナーとのQ&A

研究所内外の質問とトレーナーの回答です。
これも相手やその目的によって、あるいはやトレーナーによって、回答が異なることもあります。参考までにしてください。

Q.今度レコーディングをするのですが、ピアノ伴奏のみの簡単な構成で、編曲もお願いします。どんな点に注意して、イメージを伝えればいいのでしょうか?

A.歌詞であるとか、自分の思い、どんなことを伝えたいのか?曲ごとに、細かくすべてを伝えることです。そして何度も話し合うことです。
また何度も合わせる練習をしていくことです。気持ち、呼吸を合わせていくのです。そうした練習を積み重ねた上で、ライブレコーディングに臨んでください。(♭∞)

Q.コンコーネを20番近くまで進めて来ました。今までより声が出やすくなったように感じます。

A.最初の1番台はWのテキストに近いくらいシンプルなリズム、音程、曲の長さでできています。ところが10番台に入ると珍しい拍子や普段出てこない臨時記号、覚えにくい転調などがプラスされ、20番台ではさらにその中で音符の跳躍、細かいパッセージの変化、テンポの変化などが加わってきます。8小節歌うのにも、繰り返しの練習が必要な箇所が出てきます。しかしこれらを体で覚えて歌うことがスケールの発声練習の次の段階として、また上達の手段としてとても有効になります。
大切なのは1回歌ったからといってそれで終わり、すぐ次に進むのではなく、5,6曲程度進んだらもう一度前に戻って繰り返し歌ってこそ味が出てくるということです。コンコーネ50が丁寧に歌えればいろんな曲が自由に歌えるようになってきますから頑張ってください。(♭Φ) 

Q.話し声は普通なのですが、歌いだすと全く違うしゃがれた声になると言われました。どうすればしっかりとした歌声になりますか?

A.欧米では話し声と歌声はとても近い所にあって自然に聴き手に伝わることが多いのですが日本語はどうしても響きの浅い所で発音できてしまうが故に話し声が弱く力強く聞こえてきません。スポーツなどで大きな声を出し合ったり、掛け声をかけてトレーニングをしている人はお腹の底から声を出せています。普通はそこまでいくのに気合や勇気が必要になりますね。小声で息もれのように話すのが楽ですと、ますますそのポジションで話してしまい、遠くに通らない声を作り上げてしまいます。したがって実は良い声を持っていたにもかかわらず、自分で気が付かないままの人が多いようなのです。しっかりした声で歌われたり発せられた声をまず注意して聴いていくところから始めて行きましょう。自分の内側から意識を変えていく必要があります。トレーナーと共に上達してください。(♭Φ) 

Q.ヴォイストレーニングが初めてで、最初声やのどを痛めてしまわないか、心配です。

A.何事も初めてチャレンジする時には不安が付き物ですが、特に歌うための声のように話し声より大きい場合、初めは順序良く慎重に始めるのをお薦めします。大体がカラオケの延長でエコーを効かせて人工的な響きを付けて声が出ているように感じがちですが、マイクを使わずに生の声で発声したときに、ほとんど頼りない声になってしまう人が多いのに驚いてしまうことが多いです。最初のレッスンで、声量がある人、あるけれでも息漏れが多く、声のポジション、スポットが定まらずいわゆる歌声にならない人と声量は少ないけれど無理なく自分の声で共鳴させるコツをつかんでいる人と、十人十色ですが、大体大きい声の人は10分くらいでのどが疲れて、かすれ気味になる人が多いです。意気込んで歌ってしまうのですね。初めはゆっくりのテンポでよいので1音1音丁寧にレガートで歌うことを心がけて下さい。(♭Φ) 

Q.歌う時に、地声、裏声のチェンジが上手くいきません。スムーズにつないで行きたいのですが。

A.初めから声を地声と裏声というように2種類だと思い込んで発声練習をしていると、枠にはめてしまい歌い方がぎこちなくなることがあります。「あ、今ここ声のチェンジのポジションが変わったな。」と意識を表に出してしまうと聴いていて技術的な、機械的な歌になってしまいますね。自分の中でチェンジしたことが意識にのぼらないくらいが理想的なのです。中音域からあるところを通過するときにくっと引っ掛かる、このポイントをスムーズにつなげるのが慣れるまで何回も練習と時間を要します。ところが人によってあまり意識しなくてもすっとできてしまう人もいるようです。好きな曲をCDに合わせて歌っているうちに無意識のうちにマスターするものだとも言えそうです。

地声から裏声へのチェンジは特にクラシック、声楽、オペラのジャンルで重要視されています。特に男声テノールは高いファかファ#が声区、つまりチェンジの場所だと言われこの場所をイタリア語でPassaggioといい(通過するという意味)、みなレッスンの中でこのコツを掴むように教えられますが、なかなか最初は上手く行きません、こけっと声がひっくり返ってしまったり、逆に声が詰まる、音色が暗くなる、など最初は本当にやる必要があるのだろうかと苦労するものです。
低い声からそのまま上に上がっていくとイタリア語で言うApperto(開いた状態)になり高いラ、シ、ドがそっくり返ってしまう。そこでchiuso(閉じた状態)といって首の後ろを延ばすように前に声を包み込むようにします。

高音域、特にラ、シ、ドは男声にはかなり高い音域だと思いますが、最近はポップスでかなり高い声の曲が多いですね、カラオケでもオリジナルのピッチ、音程で歌うのがかっこいいという意見も聞かれます。あまり無理しないほうがのどのためにもよいのです。しかし、音程が原曲と同じ方が雰囲気、印象が作り手の意図やニュアンスとあってトータル的に感じが出るのは確かです。ですから高いキーに挑戦したくなるのでしょう。
オペラでは決まってソプラノとテノールが高い音域で二重唱を歌い上げるシーンが多いです。その時にpassaggioされていないapertoな声で歌うと力強い声が感じられずいわゆるイタリア語で言うVoce vianca(白い声)になる傾向にあります。子供っぽい声で大人の様式感とはニュアンスがずれてしまうようです。無理なくその人らしさが歌い方に出てくるのが良いとは思います。(♭Φ) 

Q.地声の発声方法が良くないので、のどに負担のかからない発声の仕方を教えてください。

A.地声というのは本来持っている自然な声ですが、実は息の使い方や体の筋肉の使い方によって大きく変わっていきます。自分で地声が良くないという実感があるということはもっと良い状態があるはずだという意識を持っているはずです。色々なアーティストやヴォーカリストの声を聴いて耳を肥やし意識的に良くしていくのも、一つの方法ですしコーチにしっかり声を聴いてもらい適切なアドヴァイスを受けることをお奨めします。体を柔軟体操などでいつも柔らかくしておきましょう。そして気持ちに余裕を持って息をゆっくり深く吸えるように心がけていきます。この基本を踏まえてみるだけで以前より声が出しやすくなると思います。(♭Φ) 

Q.声を出したとき、音程にははまらないときがあります。これは、音感が悪いのでしょうか。それとも、体的な面の不足でしょうか。そして、今の段階で気にすることはないでしょうか。何か良い練習方法があったら教えてください。

A.音程の問題は、各自、いろいろな原因が考えられますが、一つは息の支えだと思います。走った後や、運動した後のほうがかえって音程が正しかったりすることがある。息が弾んでいる状態、体が動ける状態のとき、音にも伸びが感じられ、その方向性が音程の高さを正しくさせていると思われます。(♭Φ)

Q.曲を歌う時に、地声・裏声のチェンジがうまくいきません。地声から裏声へのチェンジは比較的スムーズにできますが、裏声から地声にする時、裏声のまま低音まで引っ張りすぎて弱くなる(チェンジできない)、チェンジした時、地声がかすれる事が多いです。特にテンポの速い曲でそうなります。地声の出し方が悪いのでしょうか。

A.中音域がしっかり出せるようになると、バランスとして高音域に移るときに、ディミヌエンドをかけているように、ふっと息の支えが少なくなります。低音の声量を少し抑えて中・高音域から音量を増やす。クレッシェンドのイメージ・方向で練習していきましょう。ゆっくりとしたテンポでトレーナーと1つ1つの音を確かめながら歌っていきましょう。(♭Φ)

Q.日々声を出すと喉を自分で痛めてしまうのではという不安があります。まずは自分では体づくりを進めればよいのでしょうか?

A.喉を痛めないよう無理のない発声法として、まずハミングが挙げられます。十分ハミングで喉を暖め、同時に「共鳴」「響き」のポジションやコツをつかんでいってください。体づくりは腹背筋をきたえるエクササイズを取り入れていきましょう。(♭Φ)

Q.お酒を飲んで歌えますか?

A.お酒を飲むと喉に炎症が起こりやすくなります。
いわゆる「酒焼け」というやつです。この状態で歌うとその場は喉が温まったように感じ声の出もとてもよく感じますが、声帯は悲鳴をあげた状態であるという事は確かです。そのまま歌い続け朝おきると大変悲惨な声になっていることが多いです。しかしこれは体質にもよりますし飲んだお酒にもよるようです。飲んでも歌える人は次の日でも歌えますし歌えない人は一晩で通院するはめになる場合もあります。
しかしトレーナーや周りが言うより、一度自分で体験した方が言いと思います。自分の体は自分にしか分からないからです。それで歌えれば自分はそういう体質なんだと思えばいいし、ダメならそういう体質だから本番前は控えようと思えばいいだけです。
一番大事なのは飲んでも歌える人がそうではない人に無理にお酒を飲ませることです。
皆が自分と同じ体質ではないという考えは常にもたれた方がいいでしょう。(♭Σ)

Q.地声で無理のある音域はどうしたらよいでしょうか?高いところでも弱く歌いたいところとか開放しながらどう抑えればよいのか?ミックスヴォイスの練習をしないといけないですか?

A.解決法としてはミックスヴォイスを勉強されることだと思います。誰でもそうですが地声で歌える音域には限界があります。そのまま高音までもっていっては喉を痛めるだけですしお客様にもそれは叫びでしかありません。
このミックスヴォイスと言うのは勉強したいといってすぐに出来る代物ではありません。ある程度充実した中音域と裏声と実声の混ぜ方を出来る先生、教えられる先生に根気強くレッスンしていただくしか方法はないと思います。
日本人のミックスヴォイスというのは名ばかりでちゃんとやれている人はごくわずかです。
それくらい大変な技術なので根気が必要です。(♭Σ)

Q.ブレストレーニングの時の息が、どうも効率よく声になっていない気がします。息をしっかり声にするには、どういうことに心掛けるべきでしょうか?

A.息の事を意識しすぎると声に芯がなくなり、声そのものが不安定になります。フレーズを流して、しっかり声にすることを心掛けてください。(♭Σ)

Q.コンコーネ(1番)の練習のとき、ド→シの流れのときにド→ラと歌ってしまいます。その他、音程がはまらないときなどがありますが、これはトレーニングしていくうちに良くなるのでしょうか。音感が良くなるトレーニングがあったら教えてください。お願いします。

A.音程を治すのは、ひたすらピアノと向き合って、一つ一つ治していくことでしょう。コンコーネでは伴奏がメロディを弾いていることが多いので、よくきいてください。(♭Σ)

Q.深い発声を心がけながら"しゃべる"練習をとりいれてみたのですが、(役者のように)翌日になって少し支えが上がってしまっている気がしました。歌の練習だけにしておいた方がいいのでしょうか?

A.声を出しすぎて喉を痛めてしまうと上がってしまいます。体からもなかなかはなれていかないので、注意しましょう。しかし、しっかりした声でしゃべる練習は悪いことではありません。(♭Σ)

Q.呼吸を深いところから出すための練習方法が知りたいです。

A.特別なことをやろうとするより、始めのうちはゆっくり鼻から音をさせずに息を吸おうと思ってください。(♭Σ)

Q.カラオケでトレーニングで学んだことを生かそうとするのですが、うまくいきません。
最後にはのどが嗄れ、しわがれた声になってしまうのですが、これは正しい声の使い方とはいえないのでしょうか。正しく声を使っていて、のどは嗄れるのでしょうか。

A.どんな曲を、どの程度、どれぐらいの時間歌ったかによっても違うと思いますが、高音ばかりの練習を長時間続けたりすると、嗄れる時もあります。
カラオケでは、バックの音もあって、自分が思っている以上に、のどに負担をかけて歌ってしまうことがあるので気をつけてください。(♯∬)

Q.アカペラのテンポには、何か法則はあるのですか。

A.ある程度一定のテンポ感をもって歌えば、あとは自由な感じでよいと思います。(♯∬)

Q.口を開ける=喉が開くなのですか?

A.口を開けすぎると、響きが散ってしまうので、口はあまり開かないほうがよいです。(♯Ω)

Q.鼻から息が入ると、胸に息が入るのですか?

A.顔中に吸うようなイメージで吸うことがコツですが、瞬時に吸うことは急には難しいと思います。ゆっくりと吸いましょう。(♯Ω)

Q.腹式呼吸の練習について詳しく教えて欲しい。

A.腹式呼吸は、歌を歌う上で、どのジャンルでも、とても大切なことだと思います。強化するには、いろいろな方法があり、生活の一部として習慣になるものもあります。
腹式呼吸とは、横隔膜の運動のことです。横隔膜は、体を横から見ると、斜めになっていて、一番わかりやすいのは、みぞうちとおへその間、後ろは、腰の辺りに手をおくと、横隔膜の動きがわかります。そこに、息をためるように息を吸うことが大事なのですが、イメージとしては、蛇口の口にビニール袋の口をあてます。そして、水を出すと、当たり前ですが、底から水がたまります。そのイメージで、口から、ストローでジュースを飲むように息を吸います。そのとき、必ず、先ほど言ったところに手を置き、手をあてているところに、息をためるようにします。この練習は、椅子に座って練習すると、とても効率がよいです。特に、時間を設けて練習しようとしなくても、電車で座ったとき、学校で座っているとき、仕事中、座っているとき、いつでも、気が付いたときに練習できます。その、お腹に息が入った感覚がわかったら、それをどんどん強化する必要があります。例えば、先ほどの要領で、5秒かけてゆっくり息を吸う、そして、息がたまった状態で、5秒息をとめます。そして、5秒息を吐く練習は、とても効果的です。吐くときに、口から針くらいの細さの息を出すつもりで息を吐きます。そのとき、前に息を吐くのではなく、鼻を通って上に行くイメージを持つと効果的です。(♯Ω) 

Q.音程の勉強法は?

A.ドレミで歌うと、どうしても、いろいろな母音があるため、響きが変わりやすく、音程に影響を及ぼすことがあります。そういうときは、ハミングで歌ってみるとよいです。そして、その響きをつかんで、ウなど、あまり口を開かなくてよい母音で、歌うことです。どうしても、低めになってしまう場合は、「リ」で歌うと、効果的です。跳躍する音は、前もって、その音を準備する、(イメージする)とうまく歌えると思います。
逆に、同じ音を反復する音は前の同じ音よりも、高めに歌うつもりで、ちょうどよい音程で歌えます。音程が、うまくとれない原因は、いろいろありますが、発声も関係してくることもあります。特に、腹式呼吸で歌えているかどうか、というところは、とても重要なことです。休符の後の音程が、下がっていることが多いです。休符の前の音で、伸ばして練習したり、1音高めを目標にして歌うことが大事です。(♯Ω)

Q.リズムと拍子の勉強法は?

A.リズムが複雑なものは、まずは音程はおいて、リズムだけ読んでみます。また、拍子によって、拍子を数えにくい課題もあります。たとえば、2分の2拍子は、最初から、2拍子で数えるよりも、4拍子で数えたほうが、早く、メロディーを覚えることができると思います。曲に慣れてきたら、2拍子で歌うようにしてください。8分の6拍子も同様です。最初は、6つで数えて、慣れてきたら、2拍子で歌うのが理想です。
重要なのは、強拍と弱拍です。拍子によって、強拍と弱拍が変わってきます。強拍は、重要な音ですので、強調して歌うことが大事です。ただ単に、強く歌うのではなく、大切に歌うことです。(♯Ω)

Q.出だしの音をしっかり歌うには

A. よく準備して歌うことです。最後の音は、必ず、その音の長さいっぱいまで伸ばします。たとえば、4拍子の全音符で終わるようでしたら、「1、2、3、4、1」のあたままで、伸ばします。(♯Ω)

Q.ドレミの階名では歌いにくいのですが。

ドレミで歌うと、どうしても、母音がそれぞれ違うため、響きが変わりやすく、音程が正しく歌えないことがあります。特に「ファ」の音は、「ア」という母音が、響きが散りやすく、音程が下がることが多いです。笑顔で歌って、なるべく響きを鼻にもってくると、音程が正しく取れると思います。「ソ」の音は、響きがこもりやすく、暗くなるため、音程が低く聴こえることがあります。これも、同様に、明るい響きを目指して歌うとよいと思います。「レ」の音は、口を横に開き過ぎる傾向があります。それによって響きが散ってしまい、音程が下がることがありますので、口を少し縦に開けることで響きがまとまり、音程も正しく取れると思います。(♯Ω)

Q. 休符の位置よって、歌いづらい曲はどうするのか。

A.音程はつけずに、リズムだけ読む練習をしてから、歌うとスムーズに歌えると思います。休符の後の音程が、下がることが多いです。休符の前の音で伸ばして歌う練習をしたり、思っているよりも、わざと高めに歌うことで、音程は、かなり良くなると思います。(♯Ω)

Q.ハミングのときに、高い音までいけない

A.ハミングと一緒に声がのどからでていませんか?ハミングはごく少ない息で声帯を振るわせてでています。声をだすほど強く声帯を使う必要がないのに、のどから声が一緒に出てしまうと、ハミングでは高いところまでだせません。おそらく、まだ感覚が分からないのだと思います。ポイントとして、目のあたりからでている感じや、声をだすときよりもっと鼻の奥から頭へ抜ける感じ、のどはまったく使われていない感じ、このような状態になると思います。そして、声の響く<点>を見つけましょう。(♯§)

Q.ハミングで気をつけることは

A.のどはハミングのとき緊張していないか、響きの点は高いところにあるか、のどまで響きの点のように高く上がっていないか、です。(♯§)

Q.高い方の声が息がすぐなくなってしまうのは、なぜでしょうか。

A.高い声で息を多く出しすぎていて、ムダに使いすぎたせいだと思われます。腹筋をもっとしっかりして息の抜け道を見つけましょう。(♯§)

Q.普段しゃべる声が疲れやすいので、どうしたら良いですか?

A.喉でしゃべらず、できるだけハキハキ「ア・イ・ウ・エ・オ」ということです。(♯Θ)

Q.声に深みがあるとか、深みを持たせるとは、具体的にどういうことですか?

A.声に深みをもたせることを考える前に、まず体を使って歌うことを考えましょう。呼吸から始めてみてください。(rf)(♯Θ) 

Q.歌を聞けば聞くほど、その歌手が何を伝えようとしているのか、何のために歌っているのか、そういうことがわからなくなってきます。他人の歌を100%理解するというのは、無理なことなのでしょうか。

A.100%理解できなくても、しなくてもかまいません。一流のものはわからないままでよいから聞くとよいでしょう。(F)

Q.何をどう感じるかは個人の自由で、正しい答えというものはないのでしょうか。

A.歌い手とお客の間には、共通の基盤があります。トレーナーはそこから見ています。あなたが表現を選ぶとともに、あなたの表現が選ばれるように、ツーウェイをとるのです。スタンスとしては、幅広く、深くしていきましょう。(F)

Q.自分の地声が、今までより高い音域でも出せるようになりました。安定しないので聞きづらい声になってしまいます。何かよい練習方法はないのでしょうか。また、1番は歌えても2番まで歌うとくずれてしまいます。

A.鋭く柔らかく出せる状態で保ってみてください。(F)

Q.今、受けている別のところのヴォイストレーニングで、地声でDまで出すようにと言われます。出せて損はないと思うのですが、まわりは咳き込みながら発声していますが、私は鼻腔に響かせてごまかしています。

A.かまいません。鼻腔を使う発声も使えるのです。のどには負担をかけないようにしましょう。(F)


■レッスン受講生、研究生などの声
研究生、通信生などのレッスンに関するレポート選です。

<福島英のレッスン>

○歌っていて気がついたこと。
声や気持ちに集中すると、リズムが見えなくなる。
あのひとはもう〜忘れたかしら→とてもへ入るときにすっかりリズムが消えたことが自分でもわかったし、
そうなってすごく歌いづらかった。
また、「とても」「さみしい」 もすごく難しかった。
ふたつのつなぎはもっと難しかった。 
実は、サビ前をもっと細かく見なければいけないということも覚えておきたい。(TU)

○トレーナーになったつもりでコメント。
ベースとなる声は、少しずつ太く深くなってきていますが、さほど表現に活かせていません。活かされているように聞こえません。
全体的に出しすぎ、かつ、ピークのがんばりもいまいちなのです。
しかしながら、喉のことも考えるとピークでがんばるには限界があります。現時点では、まだまだ成長していく可能性がありますので、器を広げる練習は必要ですが、それと並行して、小さな部分を磨くことが必要です。
F先生のコメントであったように、「低音部分のたたみかけ」をもっと考えましょう。
そして、相変わらずリズムがめちゃくちゃです。
今回の曲も、最初は一定のリズムをみせておき、最後に落とすということをしたかったのでしょうができていません。
リズムだけの練習もしましょう。
 
当日までの練習計画をたて、実行していくことが何より大切です。 
また、これまでに先生から頂いたコメントをきちんと活かしましょう。(TU)

○「タンゴ・イタリアーノ/ミルバ」
家でも聴いてはいたが、読み込みが足りない状態だと感じた。研究所で聴いたものだと、もっとうねりを感じたし、間が入りまくっていた。最近は、英語の発音が良い方向へいき、イタリア語も以前より流れがききやすくなってきたんだけど、とんでもない。リズムにものってるし、ひっぱっているイメージ。僕がこの曲に日本語にのせている程度のことは、全然リズムにのれていない。日本人ラッパーのようにノリもなく、強弱のリズムもあてはまっていない感じだ。このミルバの曲もラップといえばラップのようなものに感じる。むしろ外国人は普通の曲もラップのようなイメージで歌っているだろう。言葉の置き方がリズムにのりまくっているので。”とおいうみのかなたはわたしのふるさと”ここではふるさとをどう置くためにその前のフレーズをおくかになるけど、大抵はミルバと同じになるのではないか。これを崩し、自分のものにする。こういう完璧に近いものだと直すのが大変。というよりめんどくさいっていう感覚が僕の中に存在している。それが成長のためのことなのに。ただこのフレーズに関していえば100%の出来。巻き込んで勢いで流れをつくり”ふるさと”の前でためこみ、落ち込んでいくイメージがある。このリズムだと変えられなそうだけど、アプローチはあるはずだから、動かして探していく。日本語は生かすならこのフレーズは優れている。崩してもいいならいくらでも作れるけど、ちょっと違和感がでてくる。あくまでも日本語を生かしていくことが大事。(MA)

○ミルバの日
「タンゴイタリアーノ」
イタリア語の踏み込み、ミルバの踏み込み…出来ない。
自然になんて到底無理だから、無理矢理にわざとらしくでも作ってみる…のも出来ない。あれ?
私やっぱりカンツォーネとかイタリア歌曲とかの類い、凄く苦手だす。
ま、他のも得意なわけじゃないですが、酷い分類に入る。
こんな自由な掛け合いが出来たら、気持ちがいいだろうなと思います。
強くも弱くも、伸びも縮みも、鋭いも緩いも、自在。
そらぁ楽しいでしょうね。
自然、普通に宇宙の一部。
歌がどうとか、そいうんじゃなくて、思った通り出来たら、なんかええんやろうな。
上手くなくても、それがその人の通りになっとったらええのかな。
ぬー。それがなかなか。(NI)

○日本の古い歌&石川さゆりカバー曲の日
確かに演歌系の曲はかっこよくスパッと斬っている。
ポップスの方は、お!石川さゆりだ… という感じだ。
この声ならいいって人ならいいんだろうな。
というかこの方はなんでこんなにエロい、というか艶っぽい声が出るのだろう。
それでいて可憐もできるんだから、もうおっちゃんはグラグラですね。
演歌を艶歌と書くのもありますが、そんなん。
「哀しい」と「悲しい」の色がきっちり使い分けられるような、なんとも日本人の感じ易いところをくすぐる音色使いをされます。
演歌のような日本の歌謡て、最近「かっこええ」と思うてしまいます。
独特の音階とまわし具合に、残念ながら歌うのはついていけませんけど、年々、良いなあと思う率が高くなって来たです。

後半、タンゴイタリアーノ。
うーん、そりゃずっと演歌系な世界の中で、「洋モノ」初めて聴いたらショックだろうな。(NI)

○集約することができないとテンションが落ちた印象になる。
テンポを落として間合いを入れると「聴いてくれる」けれども、逆に変化をきっちり決めた構成をとらないと「ダラダラ」なる。
テンションを保って刻んで行かないとふらついたり、全体像が見えにくくなる。
もうちょっと構成をきっちり!
百個で一つ、なら千個で十個。
数は必要。(NI)

○甲斐よしひろの今曲カバー聴く。
・今の人の古曲カバー聴く。
・「夕日が泣いている」
・「リンゴ追分」
・「water flower」
夕日が泣いている。
つくりも歌詞もシンプルでおもしろいな。
いろいろ出来そう。
リンゴ追分の…このリズムで呼吸ができない。
うーぬ。
呼吸がついていかんとさっぱり何ともなりません、というのがこういう曲だと解り易いと思いました。
かなりカッコわりい。
この方は、うまいことやってるなあ。
というか自分のとこなのですね。
でも、ドームのHIBARIさんのリンゴの方がファンキー。

こういう「オラび系」の歌は、ここ数年めっきり減ったなあと思いました。
個人的には、五月蝿いの好きじゃないのでありがたいんですが、あんまり無いのもなんだかおかしな氣がします。

微妙にアクセル踏み込む感じが、やってやろうと思ったのですが、さっぱり出来なかった。
この辺の伸び縮みが、首筋に効いて来るのが心地良いのだろうな、と思います。
なんかこうゆうのは聴いてると肩とか首から入ってくる氣がします。後ろの方。(あ。発声とかの話とは違います。)(NI)

○甲斐よしひろのカバーアルバムの日
おもしろかった。
甲斐さんならもっとやりようがあるだろうにな感じで言うておられたんですが、私はたぶん逆にそのちょっと危険な負け気味の部分が、特におもしろかったのかもしれません。
あんまり上手くやられると、私にはわかりにくいのです。
「戦っている感」が伝わるくらいが、いいです。
というか、勉強にはなるのでした。
もうコレは格闘技ですね。(NI)

○前半、甲斐よしひろさんのカバーアルバムを鑑賞。途中、あれ?あんまりよく思わないな、甲斐さんの勝負所が活かせてないのでは?と感じたのだが、先生が「よくない曲から順にかけてます」とのコメントが入り、「ああ、やっぱり」と感じた。コメントの中で、「本来もっと力のある歌い手でも原曲の歌い手の雰囲気に流されてしまう事が起きる」とあったが、本当に自分事である。課題として色々な曲を歌う時に、元のイメージが固定されてそこから抜けられずに、そのイメージ、歌い手の呼吸に合わせにいってしまう。まず自分の場合、1.曲の解釈(どういう雰囲気、世界観なのか)を感じ、2.それに対してどういう構成でいくのかを考え、3.その中でどういう音色(声の使い方)を出していくのかを考えていく。もちろんこの行程の前に音楽を体に入れる、曲を覚えるという段階があるが。この3つの行程の後、実際に歌ってみて、一番しっくりくる、気持ちよく歌える=自分の呼吸がうまく回るキーを設定するのだが、このキー設定が出したい世界、イメージによって変化する。例えば「自分のうまく呼吸が回るキーはここだが、出したい世界がエモーショナルに叫んでいくようなイメージだから高くした方が声のサウンド的にイメージに近づく」みたいな事が起こる。なので、ぎりぎり自分のできるキャパシティとイメージに近い部分をとるか、自分の声の制限から新たにイメージを創り変えるかになるのだが、できれば理想のイメージに近づきたいという幼い自分と、制限されている自分の器の中から質のよいものを創っていくべきだという自分が格闘する。まさに前者は主観、後者は客観だと思うのだが、曲を最初に聞いた時の第一印象というか、イメージのインスピレーションみたいなものはあまり崩したくないという想いと、出来ないなら変えるか捨てるかしなければものにならないという現実が格闘するのだ。カバーと言えど、ただコピーするだけでなく自分を打ち出すのは簡単ではない。しかしそれをやらなければカバーする意味がないと感じた。次に前もって渡してもらっていた音源の中から、「おどけた顔出すだけで荒野は楽しい笑いの渦」という1フレーズに焦点をあてて。出だし「お〜」の部分から繊細に呼吸レベルで声立てのエッジ部分からニュアンスを込めて入る感覚。計算だが、イメージどうりに入れた。「お〜」の次、「どけた顔」の「どけたか」までは転がす感じと言おうか、ドミノが倒れていく感じと言おうか、うまく地声の密度のある感じに自然となった。最後「顔」の「お」は自然と抜けていく感じだったが、スパッと切った方が次のフレーズの頭が生きたかもしれない。次「出すだけで」は、こぶしを効かすとまでは言わないが、少し踏み込み、芯のある感じ。「荒野は楽しい」の部分、入りの「こ〜」は、「おどけた顔」の時の入り方よりは、はっきりクリアーな感じだった。そして次の「笑いの渦」、「笑いのう〜」まで次の言葉を食っていくようなリズムイメージで歌わずに言葉で出した感覚。そしてラストの「ず」で落とさなければならない。しかし出したものは「落とす」=「ただ弱くしただけ」になった感覚あり。このあたりのフレーズ最後の落とし込みの意味が正直まだつかみきれていない。さらに、このように細分化していった感覚も、思いだしながらのもので、トータルのバランスとしては成り立っていたのかどうかというのはまだまだ自分では見えない。せいぜいわかるのは「呼吸の流れには乗れていた」とか「この部分は動かしていた」というぐらいで、『全体の結果』が歌い終わった後、頭の残像に残ってくれない。もっと前後の関係性が見えるようにならなければならないのだが…。聞き込み、歌い込みを継続してやっていくのみだ。(YK)

○深いポジションになどついて練習する際のチェックのポイントが少しクリアになった気がします。
フレーズについて…同じポジションで言う、言葉を言い切る、深いところで言う、流れを止めない、終止が拡がらないようにする、イメージするetc。

声について…響きすぎない、作りすぎない、もっと胸の奥のほうに響くポイントがある、身体が硬くなりすぎない(上半身など)

課題…引き続き身体の問題(鍛える、楽器としての身体づくり)、フレーズの感じを掴む、線にする努力をする、深いポジションを掴む、イメージする時間を増やす、歌詞を音読する、etc。

自分の活動…月2〜3回ピアノ、ベースと歌のトリオやギター、ベースのトリオで演奏をしています。(MM)

○ひいた歌(弱く歌うか悲しみを歌うか)の歌い方が誤解されている。歌である以上は、日常的な情感とはまた違うものであって、あくまで演技した歌で伝えるもの。構成でみせていく。気持ちはひかない。・強く出したら、次に自然と弱まる、というような掛け合いが見られなくなってどんどん強く強くとつっぱっていってる。何かをやったら必ず戻しを作ること。・集中度、練りこみが甘い。気持ちもまだ弱い。強気で。

ただ言葉を言っているだけで、言葉のニュアンスがない。声のことや、メロディの処理のところの問題はなくなってきているから、今後の課題はいかに表現していくか。歌の中で、ただ歌っているだけの状態にならないように。(FR)

○サビからなら、もし歌いあげたいのであれば、響きで持っていって、まとめてあげること。そうしたくない場合、どこかを息の混じった声で違和感を与えるような表現をしたら、その次や最後でよっぽど丁寧に治めてまとめあげないと、表現はこわれたまま失敗に終わる。・フレーズの最後や、フレーズから次のフレーズへ渡るとき、弱めるつもりが気を抜いてしまってひけちゃっている。弱めるのと、気を抜くというのは違うということ。・語尾、フレーズの治め方が下手くそ。声が着地していない。聞いていて中途半端。・ブレスが下手くそ。流れをこわしてしまっているように聞こえる。・単調。もっと、言葉やフレーズのニュアンスを多彩にしていきたい。(FR)


<トレーナーのレッスンに>

○声優入門 P.158〜159「結婚披露宴のスピーチ」の朗読。
長文を読みましが、だいぶノドに負担がかからなくなってきました。
「フォルテで発声することが苦手なようなので、それを克服する訓練をします。声が裏返っても気にしないでよい。
歩き回りながら大きな声で読んでください。現在、身体に力が入っている。歩き回ることで、力が抜ける。」
「朗読をしているとき、顔の筋肉が固い。
 口の周りを大きく動かすようにして、早口で読んでください。」「だいぶクチャクチャ感が減ってきました。
 でも、もっと大袈裟に顔を動かしていいです。」

声優入門 P.70 言葉のトレーニング <2音>
「早く、フォルテで、顔をしっかり動かして読んでください。」
「犬の散歩の後の呼吸で発声。発声の瞬間、腹の下の方をきちんと凹ませる」

レッスン後の感想。
100%の音量で発声すると、まだ、しばらく声がかすれます。
だいぶ声を出すことに慣れてきたようなのですが、最近、停滞感を感じています。(NR)

○前回と同様、ハミングで「ン〜」と声を出し、息の量を変えることで声の大きさに変化を付けるトレーニングから。
他も前回と同じでしたので、トレーニング内容の記述は省略します。
「音楽の世界は、ピアニッシモ・ピアノ・メゾピアノ・メゾフォルテ…など音量にいっぱい段階がある。これを使いこなせるのが歌い手。
ふだん喋るときもメリハリとか音量の調節をしなければならないが、そのときに息の量をどれくらい使えば自分はこの音量になるというのを知っていなければならない。
今のトレーニングでは2段階だったが、この段階をどんどん増やしていって、コントロールできるようになると良い。」

声優入門 P.71の<7音>を発声。
「かくされている」の「る」が、どうしても落ちてしまう。落ちないようにしようと思うと口先だけで発音してしまう。完全にクセになってしまっていて、これを直すのはそうとう大変そうです。
「基本的に同じポジションで言えるように。語尾だからといって胸に落とさないこと。」(NR)

○声優入門 P.73 50音のトレーニング。
・普通に読む。
・息を吸い込みながら読む。
・フォルテで読む。手前に引く感じではなく、外に出しきる感じで。
・一つの文を、だんだん高いポジションにしていく。
・丹田のへんを持ち上げるように押さえて発声し読む。
・「♪あ〜あ〜あ〜」と大きく発声したあとに読む。
「今くらい大きな声を出して。身体でおぼえたほうがよい。
 大きな声で喋ってると声帯は下がっている。それを無理に下げようとすると、おかしくなるから今はしなくて良いけれども、理想的には常に下がっている方が良い。下がっていると声は深くなるから」
声がかすれてきたので、声優入門 P.70 ことばのトレーニングの<4音>。
奥歯がもっと空いていてよいとのことで、指を奥歯に挟んで発声。
「オペラの舞台で喋るときには、あばら骨の一番下の位置が上へ上がったまま下がらない。
息を吐いてるときも吸っているときも、同じ位置。つまり箱は変わらないということ。
楽器は変わらない。楽器がしぼんでしまうと。声もしぼんでしまう。
一回一回作り直しているとそれで疲れてしまう。だから常に一定の位置で。」(NR)

○「最初に ♪ア〜 と発声し始めた時は、鼻腔で音を取っている。
その音を今度はうなじに当てる。
これの何が良いかというと…、口頭筋の中に引き裂き筋というのがあって、そこを引っぱって声帯がもっとも強い張りのある声になる。響きが良くて、良く通った音になる。」
「『うなじに当てる』、というのを別の言い方に変えると、『飲み込む』。ハミングでも可能」
「音の違いが分かるようになること。聞き分けること。耳からおぼえる。耳の感受性を高めること」
「身体に響かせる。身体を共鳴帯にさせる」
「固く締める。」
今回は、フォルテで瞬発的に「ア!」と発声するのはだいぶ良くなってきたそうです。
「練習の半分くらいはハミングで。そうするとノドに負担をかけなくてすむ。」(NR)

○声優入門 P.133 語りのトレーニング「こんきょうじ」(早口ことば)
「最終的に、かなり早く読めるようにする。
が、どうしても早口ことばを喋るとペチャクチャなってしまう。
これは声のためには決していいことではない。
そこで現在のキーよりもかなり低いキー(トーン)で読んでみる。
大きな声で話すというよりも、結果的に大きな声になればよい。
どうしても普通にフォルテで読むとペチャクチャしてしまう。
深く低いキーで読むとそれが改善できるのではないか。」
実際にこうすると、ペチャクチャならないようです。
「この文章に関しては表現などは気にしないでよい。
マシンガンのように喋る技術を身につける。
気を付けて欲しいのは、早口ことばを喋ろうとすると声が浅くなること。深くなることを求めている。」(NR)

○破裂音のような強い子音があれば、それにくっついて母音が出てくるが、「あおい」のように母音だけの場合は、不鮮明になる。
比較的良い発音:カ行・タ行・マ行
比較的悪い発音:サ行・ナ行・ハ行・ホ音・「する」
オ母音がア母音に聞こえる(IZ)

○今日のテーマは、喉があがってくる(時に高音にいくにつれて)のを、下がっている状態のままで出せるようになるのを体に体感させ、覚えこませる事。補説として、下に無理に押し込むという意味ではないという事。あくまで理想の状態であり、やはりある高さ以上になれば(人によってどこからかは違うが)この状態を保てない事もあるので、ステージ等の本番ではこんな事考えなくてよいという事をおっしゃられていた。トレーニング、エクセサイズとしての意図を自覚して行う事が大切だという事だ。まず「MONMONMON」という発声をあくびのような出し方で。こもってしまっていいので意識的に喉を下げながら行う。やっていく中で底辺のポジションから両肩の後ろあたりがワイヤーでつながっていて、その逆三角形の中に喉仏があり、首から頭蓋骨にかけての空間で吊っているような感覚を感じ、自然と喉がさがりさらに体の深い所まで使えているよい感覚を覚えた。次にこの状態を意識したまま「ニャア」と発声。鼻空と眉間の響きを意識。高音になってもこの発声だと無理に体に頑張らせる事ができないので自然とファルセットに移行できる感覚があった。しかもこの発声の場合、ふだんより地声とファルセットの境目が目立ちにくい、よい感覚があった。一見、出ている音色が喉でしめているように聞こえるが、喉も意図的に下げているし、開いている。今日のエクセサイズで喉が上がってこない状態を体の習慣にしなければならない。
次に今日のテーマを頭に入れておき、「あかとんぼ」を題材として使う。表現するという意味あいではなくて、「こやけ〜の」の「や」から「け」にかけて音が離れているのでいかに喉を下げた自然な状態でスムースに前に出すかという確認の為に題材として使った感じ。元のキーでは「け」の部分、声を張る事によって胸声でもいけるのだがそこだけ急に声量があがったような突出したような感じをさける為、響きに身を任せて、なるべく一本のラインがまっすぐ前に通っているような感じをめざす。
そして「夕焼けこやけのあかとんぼ」の出だし1フレーズを色んなキーで。
高いキーになるとこの一本のライン、やはり「や」から「け」の部分で崩れる。地声で引っ張りこんだような感じになったり、抜いてしまってスカスカな感じになったりで上手く一本のラインが通らない。そこで「MANMANMAN」でこの部分を歌うといい感じで一本のラインに。しかし「け」に戻すと崩れる。そこで、「こやき〜の」と「き」にしてみると「け」の時より若干感じがよくなるがまだ崩れている。自分なりにその場で考えてみた。母音「e」は確かに自分の中で出しにくいと普段から弱点として感じていたが解決策がわからないので小手先で直さないよう自然に正されるのを待っていた音。しかしMANの時とここまで差があるのは一体?と。何が違う?「MAN」の「M」の方が深く踏み込める点。「N」〜。!!!
鼻からスムースに息が流れている。「e」の場合、「N」の時ほど鼻を通せていない!これかもしれない!と意図的に鼻から息を通すつもりで「e」を出すと「N」の時よりはまだ不安定だが、少しよい感覚に近づいた実感があった。できるだけ不得意な母音は無くしていきたいと感じていたが、直すという行為がクセでの出し方になってしまってそのクセで固まるのを恐れていたので、今日のきっかけはクセではなく体でよい状態を感じた実感なので、よいきっかけになればと思う。
体づくり、器の拡大は基礎、応用力への基盤としてしっかりやり続けると共に、声の柔軟性、体の色んな場所の響きの体感、あらゆる場所のポジショニング感覚、発見、等々しっかりトレーニングして自分の表現の世界、歌に生かしていきたい。(YK)

○高音は声が「うすく」「小さく」なってもよい。
それをどうやって「太く」するかと言うと、それは「上の響き」をソコにまぶすのです。
…という事が、かなり要点らしい。
・響きを作る為にミュートを外す。
・真っ直ぐ進むと声は切りかわる。
・切りかわりを許す。(NI)

○照明暗くして、本番モードで
(オケ:ドラム&ベース音)に合わせて一回通して歌う
歌詞Feverの高い音(シ♭シ?)はリラックスして地声が出せる感覚でいけるとよい。
最終的には、流れは感じるんだけど、歌ってません!サラッと歌える感じになれるとよい。
身体で覚えて。
想いは強いけれども、全部見せないって感じがいい。
沸々と"Fever (情熱)"を表現出来るといいね。
サラッと歌っても、想いがこもっていれば音質(声質)としてサラッとしない。
理想に近づくためには、相当練習しないとね。ピアノ・歌・両方(弾き語りなので)。
(途中略)
ホールの欠点は、響くので、良いところも響くけど、悪いところも助長されるところだね。
だから、より繊細に、丁寧に歌えないとね。

"Fever"(高い音)の歌い方に気を付けて、通して歌う
出そうとしない。気持ちは高く、歌はサラサラと。
頑張りすぎない方が良い。Fever のFe にアクセント付けて!(NR)

○バランス良い力の抜き方が出来るようになってきていると思う。
息はしっかり吐くけど、余分な力は入らない。
踊りながらとか、弾きながらでも、歌は乱れないくらいになるとよい。
風邪を引いていても、身体を中心に声を出すことが身に付いていれば、声だけを聴くと判らないので、そこまでもっていけるようにしたい。そうなるから。腹の下の方で歌うことを意識する。
(途中略)
身体の姿勢を、前後に両脚開いて、重心を7(前足):3(後足)でかけて腰を落とす。
ピアノを弾く時も、踏ん張っているイメージで座って弾くと、歌が乱れない。
補記(→ この姿勢は「功夫(コンプー)」の姿勢と言って、太極拳では基本姿勢である。
両脚をこぶし1個半程の間隔を開けて、後ろ足を斜め45°にすると、身体が最も安定する。)(NR)

○(オケ:ドラム&ベース音)に合わせて歌う(ピアノソロの前まで)
1st. 膝使って、重心落とした方がいいね。1/3 位の声だけど出ているので、あまり頑張らなくてよい。" Fever " (高い音のパート)も重心下で。
2nd. 高い音の " Fever"は遠慮気味に出すと、音が乗り切らないので、もっとスパッと出す。
3rd. 惜しい!
4th. "Fever ya, I burn for sooth"よりも更に続く感じで歌うと、soothが苦しくない。
"Everybody gotta fever〜"は捨てる(突然音が低くなるので)。
今、声を出そうとしすぎて、逆に咽喉にきて声になっていない気がする。
5th. "for sooth"が惜しい。
6th. "for sooth"が惜しい。"I'm a fire "の後でバッチリ息吸って、"for"で裏声で一息で滑らかに歌っちゃったら、安定するんじゃないかな。"for"で当てて、"sooth"で軽くいっちゃう。
声は抜くんだけど、気持ちは抜かない。
7th. そう。今までで一番良い。地声で戻ってこれるとベストだけど。(MD 004 31:00〜)
8th. 地声に戻れなかったら、息を強く出す裏声でもよい。

ピアノソロ後の"Now You've lissen to my story"から最後までを歌う。
9th. 低い音は、やっぱり頑張らない。
 "Fever"が2つの音になっているので、Feにアクセント置いて1つにして。
ピアノ弾き語りで、照明暗くして本番モードで歌う。
12th. 突如ピアノが入ってくるんだけど、自然な流れが欲しい。歌の呼吸でピアノがスパッと入ってこれるとよい。
13th. 前半が唐突かな。もうちょっと流れが欲しい。
14th. 弾きっぱなしではないので、歌とピアノがずれてる。弾いていない時も、ずっとピアノは弾いているつもりで。
15th. O.K.!今だとテンポいいね。課題としては、ピアノ弾いちゃうと歌のテンションがすごく下がっちゃうので、歌だけ歌ってる時のテンションを保てるとうまくいくと思う。(NR)

○DVD録画を観て、アドバイスを頂いた。
間違えた後の方が歌はいいね。前半は頑張りすぎているのか、何かハマッてない。
(キーボードのすぐ後ろにベースのアンプが設置されて、自分の弾いている鍵盤の音が変に聴こえたことに関して)
自分の音が聴こえても、聴こえなくても、身体の感覚として覚えたものを頼りに歌えるようにしておくと、多分、大丈夫。
本番で集中しつつ、如何にリラックスするかが、コツ。

大きな声出したからO.K.とか、譜面どおり弾けたからO.K.という評価(のレベル)じゃないのは、いいんじゃないかな。
(ピアノソロ4回しの後の弾き語り部分が入れなくて、最後、何とか歌いつつ終われた。もともと、ピアノの音数も少ないので、聴いていた人達は、間違えたの判らなかったと言ってくれたが、本人としては全く納得の出来ない演奏になってしまった…。)
間違えたけど、ピアノソロを本当にアドリブで弾いたし、最後は弾きながら歌って纏めたし、評価するところはあるよ。
   
プロでも、練習の時と比べたら、ステージでは70%の出来でやって維持していくからね。
今回は、本人も納得いってないし、40 −50 % の出来だな。
調子が悪い、ミスタッチした、歌詞忘れて70 % 位の出来だといいね。それを目指したい。
そのためには、もうちょっと早めに準備するべき。(NR)

○「愛は限りなく」を「マ」で
・少し浅く、平たくなるところがある。
・割り箸をくわえて行う。やっている時は喉声に感じるが、録音を聞くと自然だ。高音も下(地声)に近い感じで聞こえる。
「声が集まってる感じがする。ちょっと上に、上がっちゃっている。深い声を出すのと交互に。バランスをとるとよい」
「それよりもフレーズが雑になっている方が気になる。
例えば、 ディオコメ〜ポッシービレ をつなげて一つに。繊細に。 P4〜5辺りは特に繊細に、丁寧に、つなげる。後半は勢いでいってもよい」
・声を出す事に集中し過ぎていた。歌にメリハリをつけていく事、丁寧に、気持ちを入れていく事、おろそかになっていた
ブレスも含めたテンションをきらさない。
ブレスも歌の一部。息を吸って、次のフレーズへテンションを上げていくようにとらえられるとよい(HY)

○「急流」を「マ」で歌う。フレ−ズを平坦でなく、後半にかけてどんどん息を増やしていき、流れる息に盛り上がりがつくようにする。フレ−ズの中で息に変化を出す。実際息は少なくなっていっているので、増やしていくことでフレ−ズ全体に一定の息が流れるような感じになる。あまり増やそうと力を入れてしまわないこと。
曲の後半をやる。途中に出てくる16分音符の部分を盛り上がるように歌ってみる。そのために16分音符だけどなるべくゆったり丁寧に歌うように意識する。普通にリズムを刻むような歌い方ではない。リズムからずれるくらいにしっかり息を流してゆったり歌う方が歌としてはぴったり。
最後に一回通す。
息に変化をつけることが意識できてるところは上手く流れているが、まだ出来ていない処もある。
最終的にはこの息の変化を気持ちの変化に合わせて使えるようにしたい。今は意識的に身体を使って感覚を覚えさせている。
もっと力は抜く。特に声が出にくい部分は下手に力を入れず自然に流す。(AS)

○ライブが近かったので、集中して息をしっかり吐こうと意識してみる。
息を増やすと考えると力が入って行くようだ。増やすと言うより、なるべくよく先を見て先をドンドン流そうとするイメ−ジの方が上手く行くようだ。
16分音符は口先だけになってしまいがち、じぶんでももっと深くした方が良いと思ったら、丁寧にという指摘を受けた。
自分で軽くなっていると感じた時はちょっと深くしようと考えると良いかもしれない。
そこをもりあげようとすると直前まで盛り上げてきて吸った息を太目にでもゆっくり吐く感じにしてみると良かった。
息のイメ−ジをもったら聞こえ方も丁寧に歌に合うようになったらしい。
ただ淡々と歌うより変化があるほうが流れるようになるらしい。
歌を知ってイメ−ジを養って、そこに歌が伴うように、身体の準備しておこう。(AS)

○仰向けになり、吐く時に意図的にお腹をへっこませていく。内に入れていくような感じで。そして吸う時に脱力し、ひっこんだお腹を「ぼんっ」と元にもどす。このことにより、吸うという行為が「自然と体に戻ってくる」という状態になるよう、体に覚えこませる。始めは10秒くらい吐くパターンで続け、次に1秒で吸って吐くというパターンで続けた。これだけでけっこうきついし、呼吸が深まっていくのを感じた。途中からポイントの中心部をお腹からお尻あたりに自分で切り替えてみた。いい感覚だ。背中とミゾオチあたりが引っ付く感覚があり、ここの核(コア)のような塊から声を出すとまさに「肉声」となるのも家でのトレーニングで体感している。しかしまだ自分の中でこの核の塊が小さい感じがあるので、(今はビー玉くらい)この塊が握りこぶしぐらいの大きさになると自分の求めている域に達するような気がする。PS,今述べた事は全て自分の体内部のイメージなのでわかりにくいかもしれませんが。(YK)

○声を見せる事でごまかせない、低音での歌唱だ。今日の自分のアプローチとしては、もう、歌の意識を外し、役者のつもりで感情を伝えるという感じだった。結果として呼吸がどう動いてくれるか、というのがポイント。場面が変わり、たたみかける部分で、自分の計算を超えて、声が動きだしてくれたよい感覚が得られたのがよかったと思う。なんというか、「事件的」な感じと言おうか、緊迫感、切迫感、歌詞の内容から言えば、故郷、恋人を捨て、夢追い人となる覚悟、悲壮感、等のような悲しみと希望、喜び等の相反したような感情が入り交じった、訳が解らなくなりそうな複雑な想いに少しは入り込めたような実感。ただ自分が世界に浸り、入りきる事と、その自分が出したものが客観的に聴いてどうかというのは別問題なので、果たして?ただ、このように低音でドラマチックに展開さそうとしたり、抑揚をつけたり、起承転結を考えたりするのは表現力を鍛えるのにいい課題になる。本来は、この曲、自分のものとして出すには、もっとベストのキーがあるのだが、この曲に関してはあえていかに声を見せずにどこまで表現できるかという事をできるところまでやってみて、その上でベストのキーでやってみた時にどう曲としての解釈、もっていき方が変わるのか?という事をやってみようと思う。そうやって自分のキャパシティ、表現力を磨いていく事が大切だと思うので頑張ろう!(YK)

○スタンスについてひたすら悩む。
今日はレッスン前にプロダクションの人とミーティングをしてきた。
自分に足りないもの、指摘された事として、非常にたくさんあるが、特にコンセプトが不明確である事、営業力のなさ、具体的に活動できていないといった部分がある。
やれていること、やるべきなのにやらなかったこと、やりたいこと、やるべきことなどのカテゴリーで表を作って書き出していき、
自分が一ヵ月後、一年後どうなっていたいか、そのためにどう動くかということを具体的な目標とともに設定していく作業をした。
抽象的なことでなく、例えば毎回のライブで新曲を披露する、デモ音源を配布するといったことを定める。
そのへんは結局自分でやるしかないが、ともかく今のうちからプロ意識を作っておく。
また、普段考えて思っていることが作曲にも歌にも全部出るから、普段からいろんな問題を考える癖をつける。
そして色んなパターンをやってみて、こういう歌は自分にぴったり来る、こういう歌詞を書くと普段の自分の思いを出せるというものを悩みながら探していく。
課題はクリアして当たり前、大きくクリアするようにする。
いつも考えている事が、声そのものに表れれば理想。
はじめの発声、力を抜こうとして少し浮つく。響きが横、散漫な感じがした。(KA)

○「愛は限りなく」は、喉の力は抜けていた。ヴォリュームそのままで、もっと遠くを意識する。
フレーズの出だしのテンションをしっかりあげる。ブレスはゆったりたっぷり、そこでテンションを補給する。
今日はいつもと違い、低音の方がはまっていたということだ。高音は上ずっていた。良いほうに統一していく。
大事なのはヴォリュームでなくヴォリューム感で、叫ぶのでなく、遠くを意識するだけで、聴いている人に届きやすくなる。そっちが大事。
ピッチが外れるのも、意志がこめ切れてない。本当に込められれば絶対にぴったりはまるはず。
ぴったりはまる気持ち作り、曲の掘り下げなど、メンタル的な部分をトレーニングする。
結局お客さんはそこを聴きに来る。こえをただききにくるわけではないし、歌えて当たり前。
その部分を深くするために、ひたすら悩んで模索する。(KA)

○まず最初に、喉のためによい方法等の話をお伺いしました。コーチもこれまで喉の乾燥を防ぐ方法等を試行錯誤されたようでした。私もこれまで色々と試したりして来ましたが、今はあまり気にしないようにしています。これまでの経験上、変に喉を保護し過ぎると逆に調子を崩しやすいように思います。コーチもその点に関しては同じお考えのようでした。
 次に発声に移りました。何度か発声しているうちに、コーチから、胸で息を吸っていると指摘されました。確かにこれまで私は早いテンポの曲を歌うことが多く、なるべく息継ぎを短くと思い、お腹で吸ってやるのをおろそかになっていました。息を吐いたら、あとは自然に空気が入る感じをしっかり身に付けたいと思います。(SH)

○メロディーの部分が切れて聞こえるとの事でしたので、自分なりに流れを意識しながら練習して来ました。しかし、流れ流れとそればかり意識してしまうとだんだん自信がなくなってきてしまい、結果、勢いのない歌になってしまいました。コーチから息を遠くへ飛ばすようにとアドバイスいただき、おもきって歌ってみたところ、お褒めの言葉をいただきました。あまり神経質にならず、考え過ぎにならないようにし、歌の基本を見失わないようにしたいと思いました。(SH)

○全体的に流れがない感じになっているとコーチから指摘され、練習をして来ましたが、流れを意識過ぎたため、軽い歌になってしまいました。特に本来しっかりと出さなければならない最初の音が弱くなってしまっていた歌い方でした。コーチから、まずはフレーズの最初の言葉をハッキリと強く出し、その勢いで次からの言葉を繋げていってとアドバイスいただきました。そうしてみると、自分でも流れを意識できるようになってきましたので良かったです。(SH)

○最近、自分の中で、無意識で歌うことの難しさを痛感しております。本来、良い歌とは無意識の中に生まれるものだと思っていますが、その無意識も、十分にトレーニングを積んだ上での無意識でないと話になりません。歌っている最中に、息は下からとか、お腹を膨らませてとか、余計な力を入れないで…なんて事を考えては良い歌は歌えないと思います。呼吸とか力まないとかテンションあげるとかは、練習の段階で十分に行う。そして十分に練習したその先に初めて無意識での良い歌があるのだと思います。今私の目標は、もちろん基本をマスターした上でですが、無意識で歌うことです。歌う時に常時、無意識でいられるようにはなれないかもしれませんが、頑張りたいと思います。(SH)

○音が下がっていく時は思っているより高めにとる。
・休符の後は、高めにとる。
・NO.2-10 2小節目、3拍目のソの響きが落ちる。ほっぺたを上げる感じで。笑顔で。
・笑って歌うようにすると音程が上がる。
・全体的に、顔が下向かないように、目線より上辺りに音を当てるように意識したらしっかりとれた気がする。
・テキストの課題が下に行くにつれ、目線と一緒にピッチが下がらないようにするのと、指で拍を数えるのと、音符を読む事を同時にやるのが難しい。拍と音符は自然に出来るようにしっかり予習しておきたい。
・レッスン開始時からすぐ音に入れていない。(緊張?気負い?)
・30分間、音に集中しきれていない。
・出だしの音をしっかりとれるようにしたい。
・響きが落ちてる時にピッチも下がっている気がした。
・後半になるにつれのどに、負担がきた。呼吸が不自然になった。(NZ)

○ようやくというか、体調、気分共に回復し、意識を持って臨めました。これを維持出来るようにしないといけないですね。特にこれからの季節は乾燥が恐いですし。
ここのところの不調続きの時と比べると断然、今日はイメージ通りに音が出せました。これは我ながら安心しました。多少フレーズの馴染みにくさに戸惑った部分はありましたが、それをおいても音を良く動かせました。
今回、フレーズの馴染みにくさ、という点では4がダントツでした。2/2の上、休符が頻繁に挟まり、正直かなり一杯一杯でした。こういったフレーズを楽に出来るようになれば自信にはなるんですが…。慣れるしかないですね。他には6〜8のような初っ
端が休符で始まるようなものもやっていて中々流れを掴みにくく、一部消化不良な感もあったりします。3分とか4分とかの「一曲」の中でのアクセント的な休符はむしろ好きな部類ですが、この四小節の中での休符は掴みにくいものがあります。リズム感を鍛える意味でも、休符に対して余り構え無い方が良いのかもしれないとは思います。
9で出て来た「シレファ」ですが、ファが中々思うように上がってくれませんでした。自分で分かってたんですが、「シ」位に下から入ってしまうと、そのままの声のポジションでは「ファ」以降は出せず、ポジションを上げる必要があります。なんですが、そこのポジションチェンジが上手く行きませんでした。出していても「低いな」と実感する位ですから、低い方がいかに慣れてないか良く分かります。声のポジションは無意識でももっと綺麗に変えられるようになりたいです。(ST)

○こもってる、少し低くなってるという指摘が多かった。
始めはまだ気持ちが歌うモードじゃなくて喉にかかった。
楽に、支えを意識せずに、特に低い音はほとんど息だけ位のつもりでもちゃんと声はでるっぽいので、その辺の調節をやっておく。喉の辺りで音をとらない。
休符とか語尾の長さとか基本的なところをなんとなく伸ばす癖がある。楽譜どおりやる。
下降フレーズでどんどん音程が低めになっていく。気をつける。
レッスン後半のほうは、やっと楽に力を抜いて腰より下から息が出るような感じに出せてきた気はした。
ヴォリューム感がまだつかめない。息と声の丁度良いバランスに第一声でいけない。
毎回毎回しばらく時間がかかるし、声を出す場所でも変わってしまう。
こもってる感じも、おそらくその前半のスイッチ入ってないときの状態のせいなのでそれをなくす。
気持ちの切り替えはまだ難しい。
自分に絶対の動機とか信念のようなものを作っていかないと駄目な気がする。(KA)

○自分に向かった声、怒鳴り声は飛ばない。”わぁー”叫んだら終わり。
・遠くの人に声を飛ばす感じ。(いかに一番後ろのお客さんに声を届かせるか。)
・ホースをしめたら遠くへ飛ぶといった感じ。
(自分のは広げた感じで飛ばない。無駄な息の量が多い。)
・肩を胸より後ろに入れる。
・口をたてに開ける。(あけすぎると喉が絞まる。自然な状態で。)
・ブレス(ドッグブレス)の練習_テンポ60で1拍で全、2分、3連、4分を息でとる。
(横隔膜で息を扱えるようになると非日常的なくしゃみなどをすると痛くなる。)
・スタッカートの練習_しっかり、最後の音まで横隔膜で支える。
お腹だけに集中して声を意識しない。レガートへ繋げる為の、線を作るための点作り。
・レガートの練習_(叫ばずに)一番高いところを大きく出す。喉の位置を変えない。喉が動くと負担がくる。
・高い音は自然と大きくなる。低い音は小さくなる。⇒自然の摂理
・自分のは高くなると、支えられなかったり、フラットしたりしている。
・喉の位置を変えない練習_すっぱい口をして、息を吸って、喉を”ヴォー”と鳴らす。
喉が動かない感覚を体になじませる。
・腹筋はNG。お腹はポンプ、硬くしたらダメ。バネをつける。
・声、喉を意識してない方がいい声が出ていた。
・喉が動かないと自然な声が出る事を初めて知った。
・録音したのを聴いて、自分もいい声が出てると思った。それを常に自然に出来るように、高めていきたい。(NZ)

○1. 唇ブルブルで腹式呼吸のチェック(ドミド↑ファラファ↓ドミド)半音ずつ
口の周りが硬くなってますよ。

2. 舌ブルブル(ドミド↑ファ♯ラ♯ファ♯↓ドミド)半音ずつ
高い音にいくと、ちょっと逃げちゃう。
以前にやった5秒間で横隔膜を下げる練習を何度かやる。
(5秒間で息を吸って、5秒間で息を止めて、5秒間で細く息を吐く)
細く吐くのは、これ以上、細く出来ないイメージで。

3. (a)ハミング ( ドレミド↑ミ♯ファソ♯ミ♯↓ドレミド)半音ずつ
一番高い音の時に「んー!」って押し出さない。
一番低い音と響きを変えないように。 
(b)んーなーんーなーんー  一音ずつ
(口閉)(開)(閉)(開)(閉)
( c) ハッハッハッ (スタッカートで)(ドレミファソファミレド↑途中まで)
( ドミソミド↑)
(d) 「あ」 (レガートで)(ドミソミド↑からの続き)
「息に乗る」ということは、息と声が一致している状態をいいます。
息の量というよりも、余分や息を作らない。全て声の響きに変換する。
咽喉の力みなく、下からの息の支えがあった上で吐く。深いところからの息を沢山出してね。

4. トスティNo.8
「う」で一回通して歌う
低いところは、良くなったので、高いところもハッハッハッ…の息が出来て、 息漏れがなくなれば、出来ると思います。
(NR)

○1. 唇ブルブルで腹式呼吸のチェック(ドミド↑ソシソ↓ドミド)半音ずつ
力が入っているので、抜いて。背中が伸びるように。
2. 舌ブルブル(ドミド↑ソシソ↓ドミド)半音ずつ
口のまわりも楽に。あまり「い」の口にしなくてよい。
(口角をあまり横に引っ張らなくてよい)
3. (a)ハミング(ドレミド↑ミファソミ↓ドレミド)
高い音にいくほど声が引っ込んじゃうので、お腹の支えと鼻から細く出して響かせて。
(b) んーなーんーなーんー                 一音ずつ(口閉)(開)(閉)(開)(閉)
「な」で口を開けたときに、開けすぎない。響きを変えないで。
( c)「な」で発声(ドレミファソファミレド↑ド♯〜ド♯↓途中まで)半音ずつ               
高い音にいくにしたがって、ブレスする時に、深くブレスすることと、響きを変えないで、お腹の状態も一定に保つ。
(d) 「う」で発声(途中から↓ドレミファソファミレド)半音ずつ
音(声)が引っ込んじゃうので、前へ。

4. トスティNo.8
「う」で一回通して歌う
全体的にp.なので、出すところはもっと出していい。
最後のソシレと上がっていくところの響きが変わっているので、気を付けて。
もっと、響きを細く出来るといいな。

最初から「う」で、止まりながら歌う。
響きが奥に入っちゃう。
鼻をつまんでハミング⇔鼻をつまんで「う」で歌う。
響きが集まっている。いいですよ。
同じフレーズを、ハミング→「う」→ハミング→「う」で練習すると、響きを変えないで
歌えるようになると思うので、いいかもしれない。(NR)

○1. 唇ブルブルで腹式呼吸のチェック (ドミド↑ソシソ↓ドミド)半音ずつ
2. 舌ブルブル(ドミド↑ファラファ↓ドミド)半音ずつ
3. (a)ハミング           (ドレミド↑ミファソミ↓ドレミド)半音ずつ
(b) んーなーんーなーんー                 一音ずつ(口閉)(開)(閉)(開)(閉)
鼻から吸いましょう(口でついつい吸ってしまったので)。
気づいたこと: 鼻から吸うのと、口から吸うのでは、響きが変わる。鼻から吸ったほうが意識が鼻に行きやすいからか?
(c) 「な」で発声(ドレミファソファミレド↑オクターブ上
ミ♭ファソ♭ラ♭シ♭ラ♭ソ♭ファミ ↓ドレミファソファミレド)
ちょっと奥へ入るので、もうちょっと前へ。
最後の音だけ引いちゃうので、行きっぱなしにして。
(d) 「う」でcres. → dim. (ラソファミレドシラソファミレド)発声はラのままで
上に細く。頑張らなくていいですよ。鼻の軸は保って。音程も保つ。
(ラ♯ 〜 ラ♯)→(シ 〜 シ)→(ド 〜 ド)→(ド♯ 〜 ド♯)
(e) ハッハッハッ(ドミソミド↑オクターブ上レ♯ソラ♯ソレ♯↓ド 〜 ド)
口は固定して。高いところの響きが良いので、その響きのまま下の音も発声して。

4. トスティNo.8
「う」で一回通して歌う
響きはすごく良いので。奥に入っちゃうかな?!
口の中で篭っちゃっている響きになっているので尖らせて。
あと、強弱をもっと付けてもいい気がします。
ブレスは緩めるなり、鼻から吸うなり、あまり(息を吸う音が)聴こえない方が良い(私が口から思いっきり吸ってしまったので)。
p. のところも、弱くするにしても、芯があった上で弱くして。
p. だから大事って思って。あまり弱々しくしないように。

暗譜で仕上げ
最後は、ゆっくり、自由に。
次回は、9番いきましょう。(NR)

○1. 唇ブルブルで腹式呼吸のチェック (ドミド↑ソシソ↓ドミド)半音ずつ
後ろに重心がいっているので、前に重心をかけて。
2. 舌ブルブル(ドミド↑ソシソ↓ドミド)半音ずつ
3. (a)ハミング
(b) んーなーんーなーんー                 一音ずつ(口閉)(開)(閉)(開)(閉)
(c)「う」でcres. → dim. (ラソファミレドシラソファミレド)発声はラのままで(ラ♯    〜    ラ♯)〃 ラ♯ 〃
cres. すると音程が上になっちゃうので、気を付けて。
音程は全部お腹で!
(シ       〜     シ) 〃 シ  〃
(ド       〜     ド) 〃 ド  〃
(d) ハッハッハッ (スタッカートで)(ドレミファソファミレド↑シドレミファミレドシ)
「あー」で  (レガートで)(ド  〜  ド↑ド  〜  ド)

4. トスティNo.8
「う」で一回通して歌う
全体的に口の中で、ボヤ〜って拡がっているから細く響かせたいな。
響いているんでしょうけれども、もっと響かせられる気がする。
息が漏れているのかな?

5秒間で横隔膜を下げる練習をしてみましょう!(立って → 浅く座って)
・5秒で息をゆっくり吸って
・5秒で息を止めて
・5秒でこれ以上細く出せないくらい細く吹いて
 5秒では、息を吐き出しきれないので、5秒経ったら息を全部吐き出す。

吐き方はすごくいいけど、吸い方がぎこちないので、リラックスしてゆっくり。
毎日10分やると、段々お腹で歌えるようになる。
もともと響きは持っているので、お腹の支えが出来ると、散っちゃってる響きが集まる歌い方が出来るようになると思います。(NR)

○ようやくマシな声に戻った状態でレッスン出来た気がします。ここのところ忙しい上、これから乾燥する時期に入るので気をつけて行きたいです。
 体調自体はさほど悪くもなかったんですが、いきなり気温が寒くなった為か、今日は最初調子が上がりませんでした。体の感覚が遠い…まではいかないんですが、何か熱が回り切らないというか、力の加減が上手くないというか。音を上げて行こうとす
ると固くなってしまって、自分でも違和感ある声が出てしまっていました。楽に、軽く、スムーズに、を心がけます。
 それでも、発声の途中で何とか出るようにはなりました。が、用いるフレーズによって左右される部分が大きく、どうにも安定しないのは事実です。ここのところ、「ドミソミド」のような音の飛ぶフレーズが決まりにくい感があります。戻りは勿論なんですが、頂点を意識し過ぎて固くなってしまう事も多々あります。ただ、今日は全てではないにしろ、「上に行く程軽く、柔らかく」というのを意識してやれたので、自分的にはまあ及第点かな、という気はします。
コンコーネは8番に入りました。つくづく痛感しましたが、変拍子は苦手です…。
厳密には、変拍子そのものより、それにシンコペーションが入って来るともう冷や汗が出ます。タイによって、小節の頭の音がなくなってたりすると、まず一回では歌えませんし。リズム取りで精一杯になって、流れも何もなくなってます。慣れしかないんでしょうね…。今日は途中までしか出来なかったので、とにかく次回、きっちり練習して臨みます。
ようやくスタジオに入れそうです。それはともかく、ベースを弾きながら歌う事になりそうです。…練習あるのみ。(ST)

○課題が増えていくが、意識しすぎるとどうしても体に力が入ってしまう。
一つ一つ、解決していくべき。最近トレーニングを怠っていたことを悔やんだ。今は、「森公美子になったつもりで歌う」(上下左右前後に響かせる)練習中。
あと、体の部分部分(肩、胸、顔など)に変に力を入れず、歌ったりしゃべったりすることを心がけている。
・私はついつい体に力が入りすぎてしまい、体に響く余裕がないことを知った。人としゃべるときも余裕がない。上半身に力を入れないように生活しよう。
・森公美子になるには、体に余計な力が入ってないことが大事。
今は、首から肩にかけて力が入っていて、うまく抜けない。
・自分の声の出し方、人への伝え方に問題があることに気づいた。
ただ歌えばいい、ただしゃべればいいではなく、相手に伝わるように歌う、しゃべることが大切。それを心がけて生活すべきだし、トレーニングでも、なにか対象物(ぬいぐるみや人形など)をひとつ決め、それに向かって投げかけるように歌ったり話しかけたりするのがよいのでは?と思った。 (YD)

○あくびをして、その息の上に声が乗っているイメージ。
下半身はどしっと安定を持ち、上半身が乗って、頭が真ん中に、息が通る。
高音でピッチが危ない時は、もっと上のポジションで出す。(OK)

○ペコっと引っ込まないように(横隔膜が上がらないように)
逆の方向(外側へゴム引っぱるような感じ)へと、イメージする。
発声の時、ブレスごとに一回毎に意識しながらやる。
「下げて、息吸って、アタック!」
腰を入れて立つ。(NI)

○1)オで発声練習をする時、口をあけてと何度も指摘されたので、気をつけようと思いました。口先だけで発音するのではなく、口の中を開け響かせるアルファベットのオーを出すことを意識したいです。

2)ドレミファソファミレドと発声していく練習で、息が続かなくて最後まで出せなかった。歌いだす前の息の出し方を考えていなかった、また鼻からゆっくり吸ってごらんと教えて頂いたので、家で練習してみます。

3)発声の練習で、最初全く体が使えていないし、声に勢いがなくとても小さいやる気のない声を出していました。先生にもっと出ると言われまくり、後のほうは声量がでてきました。最初から勢い、声量、響く声が出るよう普段から最大の音量で練習し、またトレーニングの当日のコンディションを整え質の高いレッスンになるようにしたいです。

4)発声のとき、低いとこと高いとこにいくまでの間の音もしっかり取ること。

5)コンコーネ1曲目。息を続かないとこや、音程が高くて声が出にくいとこも、出そうという意志を見せること。あと引かないで前に出すこと。

6)コンコーネ。声が段々にならないよう、レガートで出す。あと、音程がかわる時、お腹の位置は全部同じ、音色も同じにすること。

7)最後に、息とお腹を結びつけるための息吐き練習方法を教えて頂きました。毎日続けます。(IM)

○「頭部の感覚」をもっと自覚する。知覚する。
目では見られないから、感覚で見られるようにする。
・目の後ろら辺に色々やるところ響くところがある。
・耳、鼻、など触ってもっと知覚する。
・「出だし」と「最後」をもっときっちり
・準備を万全に整えた上で、歌い始める事
・「上からの↓」と「下からの↑」が常に働いている。
上から↓=細い息の針 下からの↑=歯を付け根から上げる&頬上げる。(NI)

○「高音の注意事項」
・同じ音質で出るように努力する。
(その為にはよく支えられていないとダメ)
・音は細く身体は太く使う
・細い息の針をチュイーッっとホースから水を飛ばすように作って
それをノドチンコ後ろらへんに↓の方向に向ける。
・表情筋をもっと使う(眉とか顔全部意識して使う)
・スタッカート時、舌の上にトントン落とす
(喉のピッキングをするように)
・ハミングの時、息は出し切る。そのまま進む事。
上からと下からの矢印のイメージはちょっと解りそうな氣がするのでもっと使っていこうと思いました。
頭部を自覚するのももっと必要だなと思います。
課題てんこもり。(NI)

○・顔に力が入っているから、力を抜くこと。
・鼻の上のほうに響きをもっていく。(イの発音で)
・イ→エ→オ→アにしていく。
・口の中の空間を徐々に広げていくこと。(ON)

○はじめにストレッチ。だいぶ胸動く感覚がつかめてきた。今日は新しいストレッチを1つ。息を吸う時に真ん中の力は抜く。そうすれば、横筋や背中に空気が入る。これからそれを意識すること。発声。息が混じりすぎたり、われたりする。それをなくそうとすると、声が後ろにいく。「アウアウアウアウアー」(ドミソドソド(上)ソミド(下))途中で地声から裏声へとコロッと声帯がかわってしまう。ずっと地声でいくらしいが、私にはまだできない。途中で変えずにいこうとすると、はじめから声を後ろの方向へ出してしまう。それとは違うらしい。難しい。(KW)

○声を一つに集めること
声を出すポジションを一定の場所に保つこと
声を一つに集めることを意識して歌ってみます(FS)

○体の力の抜き方
息を入れる場所
背筋の方の意識があまりなかったので、吸いこむ時にしっかり吸い、うまく使えるようにする。力が入りすぎてるので、それを直そうと思います。 (FS)

○自分は高い声を出すとき、無意識のうちに声を制限していたことに気がついた。
顔をタテにのばすように口を開くと、思い切って声を出しやすい。
・ヘソの下にバネを感じ、それを上だけでなく、下へものばしていく。
上半身はのびやかに、解放するように、下半身は対照的に、地に根を張るように、下へ重心を感じながら、しっかり固定する。
・上半身ばかりに意識が向いていたときよりも、下半身を意識しながら声を出したとき、より安定した説得力のある?声になることを実感した。
・腹筋を鍛えることが課題。(YD)

○20分ほどヨガ風の体操。
これを授業前にやるとよいと言われました。
その後発声。
久々に発声練習をしました。
ハミングの練習もしました。
ハミングは喉を痛めないので、発声練習によいのだそうです。
ハミングの意味がやっとわかりました。
高音も低音も無理に出させない練習でした。(HT)