会報バックナンバーVol196.2007.10

 


レッスン概要

■LESSON

○優先順位

名盤は、私に聴かせるだけでなく、私から人に聴かせようとさせる力というのがあったのです。けれど、今のものはあまり私に働きかけない。その違いを知ることからスタートです。ヴォーカルがいいというより、選んだ曲というのが、そうなることです。ただ、それは特別な曲ではない。たとえばジャズでも、そうなっているはずです。ほとんど全部がそのはずです。そうでなければ、日本で売られたりすることもなければ、誰かが残そうとするわけでもない。そういう基準をはっきりつけていくことだと思うのです。

○焦点を知る

お笑いの人が何でうまくなってしまうかというと、ステージに課題が丸々、転がっているのですね。自分のビデオを見たら、ここが悪い、ここも基本ができていないとわかってしまうのです。その期間は絶対に上達します。
ところが歌い手というのは、声にエコーをかけ、バンドがうまいから、お客さんから「よかった」と言われたら、止まる。何か足りないと思うけれど、どう変えたらいいのかと、そこが見えないのです。当然、上達はそこで止まるわけですね。少なくともめちゃくちゃ言われるよりもね。
失敗したというのは、音を外したとか歌詞を忘れたとか、そんな問題ではないです。音が外れようが歌詞を忘れようが、そんなものでお客さんは感動しなくなったりするわけではない。問題の焦点そのものがずれている場合が多いですね。

○立ち上げる

ここにくる人はトレーニングを目的にします。トレーニングというのは何かわかりやすいものですね。ヴォーカルにとってはすぐにうまくなるとか、やり方があるとか考える。しかし、目的やプロセス、それから何が足りないのかが見えないのです。だからこそ、逆に課題をたくさんつくっていくとよい。そちらのほうが先決だと思うのですね。
少なくとも一流のヴォーカリストというのは、3分くらい歌っているうちの、最初の2秒から5秒でその世界を立ち上げて、それをきちんと展開させて見せて終わらせる。

○トレーナーの使い方

我々は、お手伝いはできるのですが、それをどう使うのかを決めるのは、本人です。
本人がこれをどう感じるかということなのです。だから、トレーナーに今までついて、いろいろな場所で勉強されている場合も、それをどう生かすのかということからです。
トレーナーがよくなかったから、ここに来ましたという人も少なくない。そうではなくて、そのトレーナーを使って勉強できた人もいる。だから、それは使い方の問題で、使い方が悪かったらどこでも、伸びない。
トレーナーは天才ではないですから、同じような結果になってしまうということをよく言っています。本人の問題なのです。それをやさしく全て引き受けて教えるというようなトレーナーは、もっとも大切なことに気づかせない。いや、そのトレーナーも気づいていないのです。だから、自信をもってやっているのに、人は育っていない。実践したら、結果を検証しなくては何にもなりません。

○答えでなく、問いを与える

漫画家なんかでいうと、「これから漫画家になりたいんですけれど、どういうふうに書けばいいでしょうか」と、そういうのに誰も答えられないわけです。ペンの使い方といってもパソコンでもできる。「こう書いてきましたけれど、どこが悪いですか、だめですか」というのなら、「やっぱりつまんないから、こういうものを読んだらいい」とかいえるでしょう。
オリジナルデッサンをつくる分には、そこには他人を入れるべきではないと思うのです。どんな優れたトレーナーや、プロデューサーであろうが、チェックの基準としては、自分が実感したものをやっていく。
歌の世界があったり、曲があったりするのではない。ステージであなたが本当に心から伝えたいことを、きちんとやる。そのときに、伝わるものが曲のかたちをとっているのか、言葉なのか、メロディなのかであり、多くは総合されたものです。よくわからないが、深めたら魅力になりそうな何かがある、から始まる☆。

○感覚の深さ

歌を間違えたとかそんなこともおきない。要はどれだけ深い感覚で、認知しているかということなのです。音がそれたって、プロでもそれているものがいくらでもあるけれど、客が全然気づいていないといったらそれでいい。それでも面白いという客も出てくればいいでしょう。そこには信用関係がある。
ところが客のほうが、あれ10個くらいそれているよといって、歌い手が3つくらいしかそれているのを気づかなかったら、客の耳のほうがいいということになって、これはステージには立てないわけですね。しかし、間違いとか正しいということではなく、深さの世界だと思うのです。

○何も言わさない力

そうやってたった一つの声を出すのに、5年も10年もこだわっている人の作品に対して、客は何も言えない。それだけの迫力や説得力はステージにあらわれてきます。好き嫌いというのはあるとは思いますけれど、それは気にする必要はないのです。
日本で気をつけなければいけないのは、安易に認められてしまうこと。これを非常に用心しなければいけないですね。
認められてしまうことを、ある意味では、その程度のことかと思わなければいけないのが、日本です。
海外はシビアです。認められたらOK、認められなければ、ずっと何にもならないから、徹底して自分を探っていきます。日本の場合は、そこを言えないというか、まだまだ成り立っていないのが実際だと思います。

○イベント、内輪を離れて見る

日本のステージの多くは、イベントなのです。イベントというのは、それを見てそれで終わってしまう。消費されてしまうものです。客が集まって、そこで踊ったり歌ったりするのならまだいい。今のピンクレディのコンサートなど、意図的にそうやっている。
それを見て、充実したけれど疲れて帰るというような、レジャーです。本来は、何かを気づかせたり明日からのパワーをみなぎらせたりするようなものであるのです。
私が、今の自分の立場として認めないのは、内輪の世界でしか通用しないものですね。その人を知っている人とか、そのジャンルを知っている人とかでだけやっているもの。もちろん、私もこの立場を離れられるところでは、楽しませてもらいます。私にトレーニングの基準を求めるなら、ということです。その人の先に別の人の世界を見ているような人では、本当は成立していない。
美空ひばりさんの物まねではないですが、それを思い出して、ようやく聞いてもらえる。何かしらクッションが置かれているものが多い。ストレートなものではない。それは、のど自慢の二番、三番の人くらいの歌です。ストレートなものは理屈なしにいいわけです。

○セッティング

本当にいい音楽はたくさんあるし、いい歌い手はたくさんいる。でもなかなかそういうセッティングが、日本の場合はできていない。クラシックのコンサートでも、素直に見ればいい。
間合いのところで咳をしなくても、つまらなかったら席を立てばいい。途中で帰ればいい。それができない。
今のコンサートは入ってしまったら、そこで待たされる。並ばされて待たされて、入ったら最後まで帰れない。映画でも、自分の気分に応じて、時間くらいは選べるでしょう。
外国にいくと、街に出て、どこかに入って、聞きたい時間だけ自由な聞き方ができるわけですね。そういう意味でも、だんだんライブを聞くのは、大変になってきますね。何月何日の何時と予約をしなければいけない。その日に音楽を聞きたい気分か、全然わからない。行くと疲れるし、結構高い。最後まで見たら得したくらいのもの、本物が少なくなったのです。

勉強としては、いろいろな場で何が成り立っているかを見ればいいと思います。アマチュアのときに学ぶことはたくさんある。売れている人には何かあるのです。本当に何かある。何かないと人は来ません。リピートさせていかなければいけない。
その見方が、昔よりは難しくなってきたというのがありますね。昔は皆、流れで動いたのです。そういうところに集まった。そういう怖いものみたさがあった。今はそうでなくて、テレビに出ているから見ようとか、友達につきあってとそんな感じになった。動機が弱いし、客も体力がなくなってきています。

○世界観

自分の気持ちではもう少し、ここを粘りたいと思っても、パッと切って、次に編集してしまう。どう見えるのかということを、ポイントで見ていく。
たとえば、2フレーズ目で入ってみる。前の歌い方では、2フレーズ目で終わって、3フレーズ目はこうやって入り、4フレーズ目はこうやって終わる。今こういうふうに上がるようになったとしたら、こう上がったものを次の時点から捉えるのか、それともこの時点で捉えるのか、それともここでためて、こう出していくのか、いろいろな答えがあるのです。

私が聞くのは、歌い手がそこそこで思いつきで毎回やっているのではないところです。頭からそういう世界があって、この歌い手はここで切り、次はここで出るというようなことをルールとしてつくってやっているとみます。サビのところで、ここから来てここに来るなとか、ここでやってしまった面白いとか、そういう一つの世界の兼ね合いみたいなものです。
それは作曲家も作詞家もやっていることですが、歌い手だけが、日本の場合はあまりやっていない。自分勝手に歌ってくずして、くずれていく。
素人の歌のスタイルは、よくは見えない。それをつくっていくのが一番面白いことです。なるだけ歌わないのだけれど、伝わったというのが、本当はいい。というのを、どこかで持っておいてください。

○テンポの決め方

この歌は、本当にいろいろな歌い方をなされている。どれが正解かはよくわかりません。自分の歌い方を見つけていく。もっと詰めてみたり、もっと速い速度でやってみたり、もっと巻いてみたり、もっと盛り上げてみて、ゆっくり落としてみたりする。このテンポでやる必要はない。昔のテンポのままの、古い歌い方ではダメ。だからといってめちゃくちゃにして持ってこられても、何もいえなくなってしまう。
そういう実験をたくさんやった上で、このテンポでやったときと最初からこのテンポで歌うのとは、まったく違ってくると思います。
動かし方がわかってきたら、その動きの中でもっと急に盛り上げてみたり、そこから入るのは決まっているけれど、3つくらい溜めておいて、じっくり入っていく。そのときに成り立ったとか、みていく。これはちょっと開けすぎたとかいうように。
こういう曲のいいのは、自分の呼吸でとれるからです。そんな勉強を、この曲でも他の曲でもやってみてください。本当に自分の声を生かすためにはどうすればいいか、あなたにしかできないデッサンとか生かし方が見つかってくると思います。

○可能性のある試み

この歌い方では、声楽家が歌ってみたら負けるというようなもの、そこで勝負することはしないほうがいいです。
ミュージカルを受けに行くのなら、それもひとつのベースだと思います。そうできてもいいのですが、自分にしかできないような、私が考えもしないと、でも考えもしないことは大体おかしいことだから、そこでもし成り立たせることができるのなら、すごい作品になる可能性があるわけです☆。だから、そういう試みをやっていく。
こんな歌は本当に一生使えます。そこで足りないものはアレンジを入れてみたり、テンポを変えてみる。もっとゆっくりとかもっと速くとか、あるいは部分的に速く、部分的にゆっくりしてみたりとか、試みます。すべてを自由にして、自分が書いた曲のように歌ってみてください。
「これがこの歌?」と言われるくらいでいい。新しいものをつくってみるようなことをやってみてください。
声やフレーズのこと、解釈に関して、方向性としては、それを発展させたところで、もっと動かして実験をしてくださいということです。

○模様の絞り込み方

昔はかなりストレートに歌ったでしょう。そこの高いところで、クラシックをやってきた人にはコピーできそうですが、独自の部分の才能で、絶対にコピーできないところがあります。しっかり歌っているのではないところに、ある意味では韓流と同じように、逃がしている部分に魅力があるでしょう。元々の声は、そんなにいいわけではない。ただ、声がいいといわれます。
鍛えているだけで、あの使い方はできそうでできない。何かを伝えられるように絞り込めるかといったら、難しい。そこが才能ですね。
ワンパターンにはまってきているのが、ちょっと見えてしまうときがあります。ど真ん中で歌っていないでしょう。黒人はもう少し柔軟です。もっと中心から幅というか、広くとる。もっと自由です。

○向こうっぽい作品の力

これは、歌い手だけの問題ではない。プロデュースや音作り全体の力不足です。周りのスタッフの力もあるから、歌い手だけにいうのは酷ですね。どこでも周りがいろいろなアドバイスを与えてつくってきた。
日本では、こういうふうに歌われてしまったら、プロデューサーは何もいえない。訳がわからない。
彼がやっているレベルのことのほうが高いから、外国にスタッフを求めたほうがいい。日本でそういうふうな耳で聞く人はいないから。理解がないのはサウンド的にもいえます。
日本に来る外国人は、元々、日本が好きだから、あまり悪い評価にはならない。特に声のやわらかさやバランスのよい動きのところで評価しますね。でもこれらは独自の日本の音楽ではないので、コピーになりがちです。いかにうまく日本語に代えたかというだけです。英語で歌ったからといって、向こうでは通用しない。

日本人にとっては、それで充分すぎるくらいに向こうっぽいのでしょうね。
根っこが日本人で感覚が全部向こうに浸ろうと努力をしても、そのアンギャップみたいなところは、ダサくなるのです。私は好きではないのですけれど、惹かれる人がたくさんいるのはわかる。そんなこと当人にいってなくてもよいし、いっちゃいけない部分もある。それでいいのです。

○体に入れる

日本人が英語で歌って、日本語訛りでいいというのと同じなのです。日本語訛りの英語のほうが、日本人にもわかりやすいし、アメリカ人もそれがオリジナリティのように、いわゆるシュワちゃんのオーストラリア訛りの英語のようなもので、意図的なアプローチを含みます。あるいは、シカゴ訛り、テキサス訛りのほうが味もある。

最近は、私もそこまでつっこまなくなりました。やっていこうとする人には、今の日本のポップスなら、声楽から入ったほうがスムーズでしょう。今のはそこまで声が強くない。本当にはわからない。そんな基準はないというか、日本の場合は、トレーナーもわかっていない。
私は手に取るようにわかる。彼がどう歌っているのか、自分の声帯で感じるくらいによくわかる。ああやって出てしまったから、あれもどきで、それっぽく皆なってしまう。体の共鳴の部分を感じる耳があまりないのです。
洋画でよいから、外人の英語を聞いて、特に黒人の低音を体に入れたら、もう少しわかるのです。そういうのを出した経験がないのでしょう。上で歌ってファルセットをかけているようなだけでは、他の歌い手とそんなに変わらないのです。

○体のベース感

一番違うのは、一番上の音でも感情を込められることです。日本の歌い手はそこは音をとるだけでエコーでつなぐしかできない。その歌い方が逃げだとまでいわないが、全面的に出てきてしまったら、通じない。なのに、今、トレーニングのど真ん中に来てしまいましたね。ベースはそのままのストレートなものですね。
周りが勘違いする。うまくみせることはいろいろできる。しかし、下手だけれど通じるところで歌われたほうが、ありがたい。みせるところというのがわからなくなってきたのでしょう。かつて、カンツォーネやシャンソンで入れていた感覚自体を、今の若い子はとれない人もいます。カンツォーネの曲自体をやることが苦しい子もいる。分厚い、濃いから、生理的に受け付けないのです。

○歌の対価

日本も作詞作曲の部分がメインで、アーティスト印税や歌唱印税は少ない。しかし、声優や役者はもっともたない。自分が若いときに出たひどいものが、販売されて、売れても、入ってこない。世界中でヒットしても、自分たちの収入には関わってこない。いまだにそんな前時代的なシステムだから、JASRACのほうがまだ守られている。

ミュージックビジネスのことも勉強してください。そういうことを勉強して、どんどん儲かるほうへやっていくというのは、違いますけれど。
労働者の権利は、契約とその実効力です。俳優は、日本の場合は、ひとつ引き受けたら24時間拘束されるみたいなものですが、向こうは8時間、家から出る時間から含まれるから、働く時間は実働2、3時間です。全部コストの計算ができていて、それでも儲かるようにやる。

買い取り制みたいなものでしょう。作詞作曲している場合は、恵まれている。
でも、興行というか、舞台も、新しいものを発掘して育てようと思って、足しげく通うような体力がなくなってきている。その方が難しい。
カラオケもそうでしょうね。才能のあるショーとして見られるもの以外に関しては低流。他人の歌を聞くくらいなら、自分で歌いに行った方が楽しいということで、そのレベルの歌い手しか出なかったこともある。元々出る土俵がない。基礎がないのだから。
いわゆるタレントを、歌手にデビューさせて、タレント業にしていたのが、今は逆になっている。歌って売れないから、映画に先に出してしまう。脇役として名が出てから、CDを出さないとだめ。CDで単発に最初に出しても、アイドルも今は売れないのです。映画のほうがまだましになってきた。
計算してアイドルがつくられる時代ではなくなってきた。アイドルも大変です。

○10年の修養

お笑いというのは、修行ができる。今、出てきている人は、皆30歳後です。10年下積みをやっています。客を集めることから、会場を沸かすことまで、舞台裏から見てきた。ところがアーティストは、10代くらいで出るのだけれど、10年経っても下積みもなく、違う曲同じレベルのことを歌わされているだけでしょう。よっぽど影で努力しているとか、こういうところに通うとか、やらないと。郷ひろみさんじゃないけれど、アメリカに行って、毎年勉強しているとか、そんなことでもないかぎり、力つけろといっても無理ですね。

○真の音楽性を

勉強も、これじゃダメだと思わないと始まらないでしょう。音楽のベーシックな部分での才能はなくても、音楽の表面的なところの効果を使ってもらえば、よりきれいに見える。衣装みたいなもの。
そうでない人はいるし、そうでない活動をしている人はいる。日本の場合はどうしても、そこに余計なものがつく。ストーリーや地域性とか、その人が体が悪いとか、目が悪いとか、育ちに苦労したとか、ストーリーがないと、人がこない。
純粋に音楽の中の価値で判断できるようなコミュニティがあればいいのですが。ど真ん中のところで生きていない。
日本のジャズ歌手も、何かしら向こうっぽいことをするのが好きなレベルで留まっている。楽器の人のほうが、よっぽどストレートですね。

本来、声楽も、ポップスも向こうのものだから、もっと日本らしいものを入れなければいけない。日本らしいものを、神社とか雅楽くらいにしか、若い人たちの育ちに入っていない。血の中に入っていても、育ちに入っていないと、受けつけないでしょう。海外においてのポップスというのは、言葉というところでこなせる。

○呼吸より言語の問題

日本人の歌のファンも、呼吸と体のことは中心に考えている。そこで欠けているのが、言語の部分での声です。これは、日本人のオペラ歌手もすごく弱い。喋っていたら、喉がかすれてしまったり、演奏に差し支えたりする。
ところが向こうのオペラ歌手は、ロックを歌ってもいいくらい、結構タフな声を持っている。
元々日本でいうと、バリトンやアルトになったような人が持っている声帯の人が、徹底して鍛えて、ソプラノやテノールの域までいっているように思える例が多い。日本の場合は、元々そういうタイプが少ないから、ソプラノかテノールタイプで、高いところが出る人がどうしてもそのままいってしまう。けれど、あまり鍛えられない。

○歌の演奏力

ポップスの場合は、メッセージも中心です。役者のせりふでないけれど、日本においては音楽的な演奏力というのが厳しく問われないから、昔よりはましになったのだけれど、そういう部分では見られない。どちらかというと、言葉の裏にあるメッセージ性に負う。そうなると、作詞家の世界になってしまうのです。あとは自分たちで曲をつくって、バンドと歌の声とキャラクターが合っているということです。これは自分でやらないと、人に教えられて、どうこうというのは難しいですね。

○日本のオペラとミュージカル

金をとっているなという感じで1回は見られる。ストーリーや言葉でもっている。
本当に楽器の音色のすばらしさとか、声のよさや歌のうまさで見せていたら、何回も見たくなりますよね。そうでもないところで、歌い切ってもいないのに、ブラボーが飛んだり、拍手する。そのような日本のお客さんでは、音楽のところでは成り立たないのですね。イベントとしては成り立っている。でも、私はあまり行かなくなりました。

○どこまでが歌の力なのか。

ときには、仮装大賞を見ているみたいなものですね。音大の普段は偉い先生がマントをかぶってきたから、仮装が面白いという興味。昔からあまり変わらないというのを見せて、決してよくなっていっているわけではない。慣れていっている分だけ、安心して貫禄がついてきたとしても、本来そんなものではない。それはもうオペラ、クラシックでも、ジャズでも同じです。
お客さんを呼べる人は、日本語を入れている。ゴスペルも、童謡や唱歌も、年配の人が聞きにくるものは、それが一番受けてしまう。お客さんのサービスではないが、誰でも知っている歌を聴きたい。
本当のことでいうと、演奏を聴きにきているわけではないのですね。昔聞いたり、自分たちが歌った歌を、いわゆる物まねが出るというようなものが、懐かしいと。
それは本当は、演奏家としては妥協みたいなもので、名曲の力や誰かが歌ったという力を借りている。人間の力で感動させるのだったら、何を歌おうがどこの国のものを歌おうが、新しいものを紹介するほうが、筋です。
ただ、日本人はどうも評価の定まったものでないと、聞きたがらない。
ジャズ歌手は、何を練習しているかというと「ミスティ」などのスタンダードなものです。これが私のオリジナルと思ってやっても、受けないのです。お客さんというのは、ジャズで自分の知っているナンバーを求めます。誰でも知っているようなものがくると、拍手がくる。

○シンプルに

昔から、もうアレサ・フランクリンでもマヘリア・ジャクソンでもいいのですが、評価の変わらない人たちがいます。そこをピークに、60年代、70年代を超えていないのではないでしょうか。50年経っても聞き続ける人がいると、紹介したいと思う。その当時の人なら、誰でも聞いています。好みの問題を超えているのでしょう。
楽器関係でも何でも、わかりやすいといったらわかりやすい。複雑じゃないと、シンプル。マイルス・デイビスになってくると、わからなくてもすごくはまる人がいるというのは、それだけの力がある。
昔のように日本人も背伸びして聞かなくなってきた分、背伸びして聞かなくなってきた。声楽家も厳しくなっている。それは他の分野もそうだと思います。

歌え上げられたものを聞くということに、どういう意味があるのかということに段階がきています。昔はラジオで耳が肥え、そういうものを聞き分けたりする人がいた。
結局そこでは、これはすばらしいとかこれはいいとか、何かしらそういう評価基準がある中では、オペラでも声楽家でもやれた。それは今、内輪の評価はなるのでしょう。だからこの世離れしています。
合唱団も、日本に入ってしまうと、コンクールの賞狙いになってしまう。結局、賞をとらないとやっていかれない。それが第一目的になってしまう。技術点で稼ぐことになってしまうのです。

○音楽の楽しみ

音楽を楽しみましょう、心から開放しましょうというのですが、それは自己啓発、自分たちが癒されたいからやるようになってしまう。
私はまったく逆で、やるほうはお金をとるのだから、どんなに苦しくてもやる。客が癒されないと意味がない。
ポップスがおかしくなったのは、「演奏する人たちが自分たちで楽しんでいると、客も楽しむ」と思いだしたことです。自分たちが楽しいことをやろうと考え出した。
それは違う。お客さんが癒されたり、楽しんだり、元気を出したりすることをやらなければいけない。
そうでなければ、聞いているよりはカラオケで、自分たちが歌ったほうがいいとなる。歌もそこまで身近になっているから、よっぽど驚くものでもやってもらわなければ、見る意味がないですね。そのような観点で見たら、別に声楽だからといって、やり方を変える必要はないと思います。少なくともその人が、できるだけ長くやっていけるように考えています。

○歌の学び方

音楽を5年10年続けたときに、たとえば、明日歌がうまくならなくたって、来年、再来年、効果が出なくても、5年後、10年後にそういうことがわかればいい。わからなくても、やってきたことを問うていって欲しいのです。
オペラやジャズを聞いて、これは何かいいものだなということが、少しでも自分の体を通じてわかれば、それで充分です。それ以上のことはできない。
高い声を出したいからどうこうしてくださいといわれて、出せるようになったからといって、人には通用しません。でも、それがわかるのも大切なことです。
自分の中の自己満足ではいい。しかし、本来は、漫才の人たちが10年苦労するくらいの苦労を、経験することです。ポップスはそれを与えられない。声楽のほうが与えられるから、お勧めしています。
コンコーネを50曲、全部やりなさいといったら、1年でできる人は誰もいない。10年たっても完全にはできない。20年たって、1音から1音につなげることやれたら、よっぽどの人です。そういうものもあるということがわかるだけでも、目標にはなる。それだけが目標になっても困りますが。

-----------------------------------------------------------
〔レッスン録〕

<Q>.つっぱり過ぎている原因はないですか。

A.バランスはそんなに悪くないと思います。前はやたらと余計なものがついていた。まだ少し多いけれど、もう2つくらいは抜いていかないと、という気はする。
それは原因ではないと思います。歌詞の処理が原因です。それをつけているところは、そこで忙しいから、声の状態を回復させる休む時間がない。次のフレーズになったところでは、おさまっているように、このフレーズの中での処理の問題です。

<Q>.変化をつけたい。

A.あまりスキャットやフェイクを入れないほうが、楽にはなるかもしれません。それを入れていることの音楽的効果は、ピークを考えて、遠慮なくたくさんやっていけばいいと思います。ただ、当てていくだけではもちません。
アカペラだけでなく、バンドの音の入れ方と見ていく。ピアノ一本なら、そこまで入れる必要はないでしょう。

声そのものがよいヴォーカルもいっぱいいるわけです。動かしというのは、いろいろと入れていったほうが、勉強にはなります。ステージでもつかめることになりますね。
だから、狭くならないことです。むしろ、トレーニングでは、逆のことをやらなければいけない。他のところよりここに関しては広くならなければいけない。こうなってこう入れていくというようなかたちでとるとか、レゲエみたいな開かれた感じで。感覚的には、やわらかい感じです。そうでないと、声自体が硬くなってしまう。

力のところで出しているから、そこまでのところで、力半分で響き半分できていたのが、力7割、8割になって、響きが失われてしまっています。それを響きの部分を1、2割、強さをおさえて響くようにします。

<Q>.余韻がないといわれるが。

A.余韻はあったほうがいい部分に効かせます。余韻がなくていい部分もあるし、3つくらいあれば2つくらいはなくてもいいと思うのです。1つは必要です。あとの2つはやわらかく歌ったほうがいいのかもしれません。今の力で持っていくのなら、その辺がポイントです。あとの2つは繰り返しだから、きれいに収まる。どう見せていくかということですね。この1箇所の部分を中心にします。

<Q>.歌の中で速いと思って歌っていて、慣れてきたのですが、やっぱり急いでしまう。

A.実際に忙しく入れているわけですから、慣れて忙しくないという感覚になればいいのです。心身が伴っていかないと、まだ無理が働いているからです。速さには慣れてきたのでしょうけれど、置いていくということの神経のところでは、欠けていますね。
低いところやゆっくり歌えているところや、チャチャが入らないところは、きちんと置いていっている部分があり、響きの調整もできているのでしょう。語尾に関しては、その操作が雑では困ります。全て雑に歌っているのなら、あまり気にならないのですが。よくすることで、さらに歌は難しくなるのです。結局はバランスなのですから、どこかをすごく繊細にきれいに歌えると、他のところが下手に聞こえてしまう。だから低いところや強いところはすごく難しくなる。

<Q>.丁寧に歌おうとすると、動かしにくくなるのですが。

A.下手な人のほうが簡単なのです。強く出ているだけでも成り立ったりする。他のところをあまり繊細にやりすぎてしまうと止まる。バランスを考えないで、最初から叩きつけるように歌っていたら、いい。
逆にバランスのとれるという歌い方もありますね。最初からやるのは、あまり好ましくないかもしれません。かといって、頭からこういう歌い方で切り捨てていく、バンバンと力で押しまくっていくのは、声の状態からいうと、あまりよくない。

用心しなければいけないのは、違う曲なら、あまり問題にならないようなことが、この曲はどこかでふわーっと上げたら、どこかできちんと落としてやるということをやってこそ、良さが伝わってくる。そのところで単に切り込んでいるだけとか、上げたまま落ちてきても受け止めないで、次のところで歌っていくと、聞いている人は、そこで置き去りにされてしまいます。それを戻してやる、といったら変ですが、そういう意味でいうと、難しい曲ですね。
そういうベースの部分をそらせてはいけない。若干はみ出したり重くなったり、ブレーキをかけてしまっています。ブレーキならブレーキでもいいのです。けれど、片方でアクセルかけて、逆にブレーキをかけているような、そういうきしみみたいなのが出てしまうのはよくありません。

<Q>.フレーズがつながっていないというのは。

A.ここの間をつなげないで、次のこちら側につなげているという形になっています。落とし込みの部分でしょう。

<Q>.コーラスの部分と無理なコネクトとなるのは。

A>コーラスに振ってやらせたほうがよいということですね。曲の中においては、ある時期、分けたほうが楽なのかもしれませんね。

<Q>.音源がよい方が、うまくいきますか。

A.それは理想ですね。演奏と同じように声が使えたら理想なのです。ほとんどの問題はないのではないでしょうか。


[一般のQA]

<Q&A>

Q.連続して歌うと、どんどん声が浅くなる。

A.そのために歌の場合は間奏があったり、休めるところがある。そういうことが起きるのだったら、普通だったら伸ばすところを短めに切っておいて、ゆっくり回復させて次のところにフレーズを入るとか、編曲してインストルメンタルと間に入れる、そういう方が直接的な解決ですね。
声が出なかったら、どこを聞かせればいいのかということです。たとえ一箇所でもいいし、頭で踏み込んでみるなど、変じてみてください。

Q.歌が本当にすぐれている人というのは、何が違うのですか。

A.歌は言葉で言っている以上のものが大切ですね。言葉で言っているのも強くしてみたら、そこに何か艶が出てきたり、やわらかさやインパクトが出てきたりする。そういう総合的なものです。
それは、音楽性と結びついた表現力で、歌い手でうまい人はたくさんいる中で、特に優れているような人が持っているひとつの要素です。
そういうものがなければ、言葉とメロディだけになってしまう。楽器も、誰でもトランペットが吹ける、でもすぐれた人のは、何かひとつ伸ばしたところとか、パッと短く切ってみてつなげても、何かしらそこでニュアンスを置いていきます。そういう楽器的な意味合いでの声の艶といってもいいでしょう。

Q.強く出すとつまったり、かすれたりします。

A.強拍をつけたときにつまってしまうのが、状態がよければスッと入る。それと同時に、上も響く。プロはそのときに上の響きだけでも歌えるし、それでつまらなくなってきたらまた入れたり、そういうことが自由にできる。
ところが日本人の場合は、下に入らないままに上を響かせているから、すると、そこから逃げられなくなって、響かすだけで終わってしまうことが多い。それしかやっていないことも少なくありません。その辺は声が太くなってくると、融通がきいてきます。年配になると、女性もようやく語るように歌えるようになります。メロディで、自分がやわらかくバランスを持っていけばよいでしょう。

Q.声楽が必修なのですか。

A.段階によります。ただ10代の場合は、基本を入れておかなければいけない。早すぎることはない。基本はわかりにくいから、クラシックの基本として長期的にやって、後々何かが積み重なってくる可能性を広げておきます。

Q.トレーナーやメソッドの適不適について。

A.ポップスはその辺でうまく組み立てていないと成立しません。どこでもやり方が合う人も合わない人もいるでしょう。いろいろなやり方があって、いろいろな先生が必要とも思うのですね。
自分の責任でメソッドを選び、やっていくうちに、自分の体で合っているかいないかがわかる。人間関係でなく、メソッド中心に判断します。日本人の場合は、人に頼ることが多いですからね。
そういう意味で、自分の体にできるということを過信して、間違ったトレーニングで声を痛めてしまう人もいる。メソッドでなく、その使い方で間違えないことは難しいものです。

Q.一生一人のトレーナーにつくのがよいのか。

A.その選択の多様性を残しておきたい。といったら変ですが、ここのようなやり方は他のところはとっていない。先生が合わなければ、他の先生につくのもよい。
最初から複数の先生につく人もいます。どんなに大きな学校でも、日本の場合、発声は一人の先生なのです。その先生でうまくいっているのかいっていないのかは、誰も判断できない。それどころか、その先生が判断できないのです。
私の場合は、最初から他のトレーナーと組んでやっていた。私につかなくても伸びている人がいるのは、本当の意味でトレーニングの効果といえました。こういう体制はなかなかとりにくいですね。
日本でも外国でも、トレーナーというのは、自分が唯一、正しく全部を自分の色に染めたいのでしょう。他の先生を一緒に受けているのは、嫌なわけです。確かにやりにくいというのはあります。他のトレーナーとやっていると、責任が持てないなどと言い出すようになるのです。

グループは、全員で見ているけれど、誰も見ていないということで、初心者やレベルの低い人には向きません。担当が誰かというのも、問題だからです。レッスンを全部生かせる生徒はいいのです。ごく一部の人が、全ての先生を使いこなして、いいところだけをとっている。その先生に注意されたら応用して、正します。褒められてというようなことも、どうしようもなくなってしまいます。難しいです。自分がそういう能力があるのかもわからない。
声に関しては、自分のことがわかっているトレーナーはいるけれど、人のことに関しては、検証のしようがない。何年やっていても、前にこういうパターンがあったということを、参考にするだけです。新しいパターンの人はいくらでもいる。

私はどこよりも誰よりも、数と長い時間(年数)だけは見てきている。年月だけは他のところのように1、2年で辞める人はなくて、5年10年続けていたからです。10年後どうなっているか、結果としては出てきているわけです。そうやって見てきたら、必ずしも全てが正しくありません。一番難しいのは、声と音楽をきちんとおさめた人が、日本であまり評価されない部分です。
でも、切り出さないとわからない。
日本の場合は、自分の曲を作詞作曲できるとか、演奏能力があるかということが前提となります。音楽を使わなくてもステージができる人はいくらでもいるわけで、そこに音楽がついていたら、すごく強いというふうに考えればいい。

Q.自分が何をやりたいのかわかっていない。

A.それは簡単にわからない。やっていかないと、突きつけられない。やりたいことから、つくっていくしかない。何かやりたい人は大体わかっている。それは、自分に聞くしかないのです。

Q.やりたいものと、世の中の求めていることが、矛盾するのですが。

A.どっちもできなければいけないといったら変ですが、歌は人前に出ないと成り立たない。作家や画家なら、書き溜めて、そのとき世の中で認められなくてもよい。後世に、一作が認められたら、変わる。もちろん、誰も読まなかったら本は存在しない。もちろん、それを存在すると思う人もいる。絵や本は、発掘されて価値づけられることもある。しかし、歌はリアルで勝負することが多いということです。

Q.完成してから、活動したいのですが。

A.演奏家の場合は、作曲作詞でできる。シューベルトみたいに死んでも、シンフォニーが残っている。
作家の先生が死んで、その後にベストセラーになる。それは残っているから、歌でステージで、パフォーマーだったらそこに残らない。
歌い手は、CDやDVDで死んでから発掘されたとしても、その時代を他の人々と混じあわないでやった人が、その作品だけで売れることはないでしょう。楽器よりもさらに難しいです。楽器は評価基準が、シンプルです。その人がどうであれ、聞こえてくる音楽がよければいい。その人の顔が見えなくても、CD一枚でもすごい。歌い手の場合は、うまいとわかっても、そのファンになるかといったら厳しい。一発屋でも、その時代の時流にのったもので、仕留めといたほうがよいともいえます。

同じバンドの人が、もうひとりの人が友達にぼそっと漏らしたのだけど、あのときにもう一作、ヒットしていれば、今はまったく働かなくてよかったと。今まで何度もヒットしたのだけれど、1曲だけ足りなかったって。
 日本も昔はそんなものです。ただ日本の場合は、歌唱の才能でいけないというか、それ以上の必要性もない。ドラマにいってタレントになる。これで世に出たというきっかけが歌だったケースが多いのです。

Q.発声をするより、コンコーネのほうが苦しいのですが。

A.流れがあるから、それにのれたら楽です。歌ったら歌えるのに、何で発声でこんなにひっかからなければいけないのかというと、逆です。
ポップスほどに慣れていないから、逆に曲がついていないと、やりにくいのです。
使う前に読んでおく。使うとひっかかってしまうのでは、発声練習にならない。歌でも、声が出にくいなら、しゃべったり、好きな歌を歌ったほうがよい。テキストから入るのが、苦手なだけでしょうから。

Q.声楽やオペラをやっても、学校の試験があるからオペラを歌わなきゃというのが先でした。歌を楽しめていたのではなかった。日本人だから限界があるんじゃないかというところで、日本の歌曲に興味があったのですが。

A.最近、声楽の人も、日本の歌曲に入ってきましたね。いまだにクラシックやオペラの人は、向こうのものをあがめる。イタリアやドイツでも、崇高しなければ、その道にはすすめない。
ただ、日本人のお客さんでも、向こうからきたオペラとか演劇とか、サーカスとかに、昔ほど盲目的に動かされなくなってきています。

Q.音楽は世の中をよくするのか。

A.昔のほうが、影響は大きかった。それはポップスでも同じ、音楽自体の持っている力も弱くなっている。マドンナやマイケル・ジャクソンの頃の時代までは、政治的な動きや社会的な動きも関わっていました。人権運動も音楽やスポーツを通して、変わった。クラシック歌手にも黒人歌手が出てきた。歌と同時に世界が動いていた。
けれど、今はアメリカの音楽に何が入っているのか、ほとんどわからない。ヨーロッパも近くて遠い。日本人は日本の中で、いいものをつくってきている部分はある。そういう分野でやっていた人は迷いますね。

昔は上の人のを受け継いでいけばよかった。今、元気なのは歌舞伎、漫才や落語と、お笑いは生きている。柔軟に声を出しているということでみれば、お笑いの人たちのほうが、音楽的に声のことを使い、間のことも使い、表現ということもやっています。
元々、向こうのうわべを真似てきている。それはオペラもですが。
ただ、最初の人は、真似るといっても精神がなければ真似れないので、とことん日本のものがあったからこそ、真似ていても融合していったのでしょう。
ところが音大で教育になって、プロダクションも似てきて、音楽自体が、その人たちの生活のリアリティや表現したいことから生まれてこなくなった。
ポップスは本来、詩の朗読みたいなものからはじまった。アメリカでは朗読会もあれば、スピーチやディベート、ディスカッションも盛んです。そういうものの延長上にフォークソングがあった。

Q.ポップスでの声の表現としての基準がわかりません。

A.日本もフォークソングは、それなりにリアリティはあるし、実感もある。ただ、演歌にしろオペラにしろ、シャンソン、カンツォーネも歌っていること自体が、それてきた。人もそれている。
昔、ナポリターナを歌っていた人は、そういうものにひかれて、好きでやっていた。そこで優れているものだと思っていたようなものが、形だけで実体がなくなっている。

だからこそ、逆にポップスの中途半端なものよりは、声楽に学ぶとよい。ポップスはそれ自体が頭が痛くなる、重いという人もいる。それは分かるのです。そうしたらいっそうのこと、とことん重い、声楽のほうに行くとよい。なまじ自分が歌いたいポップスがあると、それとからんできたときに、音楽性の違いが出てしまうからです。
どう歌うかといったら、今聞いているものを歌いたいのだから、それをやるか、それと全然関わらないものをやるかでしょうね。

Q.クラシックの声は、ポップスで使えるのか。

A.声を体からしっかり出すこと自体が、もしかすると、もう今の時代で違和感があるのかもしれない。ステージに立つと、なおさら違ってきています。
私でも講演会でさえ、自分の声が昔ほど出さなくなってきた。年齢や日本の文化のこともある。けれど、たぶんここ10年から20年で、日本人自体がそんなに声のことを聞きたくなくなっている。
クラシックということを声楽やオペラでとらえると、難しくなる。
基本的なとらえ方では、人間の体というのをベースにして、ひとつの方向性をそこにみるのです。ポップスはそこまで煮詰めません。言葉やメッセージが言えていたら通じる。
音域はそんなに頑張らなくてもよい。クラシックでとっているのは、無理をしている。無理な人が無理をしようとしている。ほとんどの人たちはそうなのです。中には楽々とれている人もいる。パバロッティを見ていたら、どうやって出すかではなく、ああ生まれなければだめだとも思う。
しかし、そういうものをひとつの基準として、人間がどこまで一体楽器として声というものを、扱えるかという部分でみていくのです。

Q.ポップスのために声を鍛えたい。

A.ポップスはそういう観点はない。生まれ持っての声のよさでやっていた時代はある。でも、だんだん発声のよさから、今になると、本当に楽器というより装飾音的な扱いです。全体の音楽の中でどのくらいそこに人間性を加えるかくらいのもの。音楽を邪魔するくらいの役割でしかない。日本人だからこそ、ヴォイストレーニングで鍛えるという観点も必要と思うのです。

Q.ポップスにおける声楽の役割とは何ですか。

A.こういう時代において、声楽の最終的な目的は2つです。一つはタップダンス、ヒップホップをやりたいという人でも、体の管理を考えたときにクラシックバレエをやっておくと、それだけ間接を柔らかくし、しなやかに保てる。そこまでの動きはコンテンポラリーには必要がないのです。でも180度足を開くことに、2開脚を基本としておくクラシックをやっておけば楽でしょう。そういう意味で、体自体を管理しておくという意味の部分で声楽がある。
長期にやるときにはいろいろな問題が起きてくるから、それを元に声のことを知っておくのは、よいということです。

Q.役者の人は、よくミュージカルなどで声を壊してしまいます。なぜですか。

A.演出家が「もっと声を出せ」というと、そのまま出してしまう人が多いように見受けられます。クラシックを勉強してきた人は、そんなことをしたら声がダメになるのを知っているのです。音大で高音までやってきたからです。
役者は、同じハードなことをやっても、声がかすれようが何をしようが通じたのです。役柄を演じるのに、高音を響かすことはないからです。練習して、声がかすれても喋れたら、味があって、通じる。
だけどクラシック歌手はそれができない。音大のときに音をとりにいくのに、皆、苦労をしています。そこで、クラシックのベースができている人は、高音をもっと出せといったときに、出さないけれど出しているように聞こえるようなことはやれるわけです。ある程度のべテランになってくると、それだけ自分の体を歌の音域において知っているということでしょう。

Q.声を守るために鍛えないといけませんか。

A.どこでも声は守れるということですね。公演が重なってくる。ポップスやミュージカルの劇団にとって一番きついのは、クラシック歌手ほど休みがとれないし、ハードです。昼、夜、また次の日にやる。そういうクラシック歌手もいるが、大体、日本だったら、間に充分とれるわけです。
月に30回の公演を半年やらなければいけないときに、どれだけ絶好調の声を保てるかということです。最悪、ここ以上落ちたら、歌えないとならないように声を守るということです。
声楽というのはベースとしてそこに使えます。私がプロのレベルの人にカンツォーネを使っていたのは、2オクターブにわたる派手な歌を使って鍛えるためです。ここまでの目的やレベルで問うから、時間もかかるのです。

Q.日本人男性の最近の抜き声について、どう考えますか。

A.トレーナーで向こうにずっと住んでいる人に会ってきました。この声の中で何が起きているのでしょうか。プロはそれなりに鍛えられた声で、非常に微妙な感覚の調整をしています。
日本人がとって聞いてみたら、抜いて歌っているくらいに聞こえる。実際に正面では歌っていないでうまく抜いている。
その技術では高音のところでも感情移入できたり、声を扱えるというものではない。今のポップスの人は、上は当てるだけだから、エコーをかけないともたない。

クラシックの歌手ならまだわかるのです。テノールの人が見たら、真似てみてわかる。ポップスの人はわかりにくい。
そういう体に振動している声の欠如、米山先生は体壁振動と言っているのですが、要は、ロシア人のバスみたいなところ、あるいは演劇でいういわゆる芯のあるイン・ペットヴォイス。そういう部分で上の響きみたいなところで感じられないと通じません。
そういうものがわからないで、声の世界の10分の1もわからないでやるのだから、喉も壊します。壊したくないから抜いた声を発声技術のように思いますが、これは個人の素質にふりまわされます。

Q.日本人の声の感性

A.ポップスでは、今の日本の歌い手は、20歳くらいから24、25歳くらいが、一番声が出ています。30、40歳になると、まったくパワーダウンします。オペラも、4、50代になると、けっこう落ちる。最近は、ドイツリートのようなものを、日本人が好むでしょうか。イタリアのようにドラマチックに聞かせるのをあきらめたのか、勉強して差がわかったのか、皆やらなくなってしまいました。
日本人にとってみたら、シューベルトあたりのものが生活実感としては合うような気がしますね。カンツォーネ系でも、暗い曲のほうが流行ります。まったくテカテカに明るいものや、いわゆるベルカントみたいなものは、目指すのですが、やらない。できないというのもあるのですけれど、でもお客さんがそこで、違和感を感じるようなところがありますね。歌い手だけが無理に歌っているようなところに、ついていけないです。

昔はそれをオペラやクラシックという形式でやるというふうにしていた。
最近の人のほうが、建前なしに見られるようになってきた。イタリア語で歌われてもわからないというのが本当のところでしょう。楽器音としてトランペットのように聴ける。そこにお客さんがいて、それに値する演奏家がいたら成り立つと思う。オペラでもミュージカルでも、一瞬1フレーズでもそれがあったらいいと思うのです。

Q.同じ感覚にしたら、抑揚が伝わらなくなってしまうのではないですか。

A.ほとんどの日本人はそういう処理をしています。センスのある人ほど、同じパワーバランスで出そうとするから、高いところが弱くなって、それでつくったような声になってしまう。本来は入れるべきなのに、それでは伝わらなくなってしまうのも仕方ないのではないでしょうか。
本当は、ストレートに入れているものの響きのやわらかさをとって、支えをきちんとしていきます。徐々に感覚を自分の中で磨いて、待っていくしかないものですね。
処理の仕方でも聞かせることができるからです。そこをやわらかく歌いましょうとやれば済む。頭と同じような歌い方にしましょうというのなら、半分くらいの声量でやれば、処理だけはできます。ただ、処理はできるけれど、それは流れをつくれなくなる。
流れには乗るし、バンドには乗るけれど、声の味がなくなってしまう。そこの2つの間の中で、自分で試みることですね。できるのは、やわらかい半面、音量はなくなる。ストレートにやると、その後、バランス崩れとかいろいろなことが起きる。その間に正解があるわけではないのですが、つくるのです。

Q.歌のデッサンの仕上げとは。

A.頭のところと同じように自然にクリアになるところ、一つひとつの音を確認して、この音はまだ自由に動く、この音は突っ張って動きにくい、この音も固まってしまっているというような見方で判断します。
この固まっている音が自由に動く音にして、持っていけないと、自然にはならないですね。それは音域が広くなったり、動きが速くなれば、至難の業になります。そんなことが自由にできるのなら、トレーニングをやる必要は全然ない。ほとんど無意識にすごいことができてしまう。
そういう歌い手が世の中にはいるから、それを目指してやることでしょう。

Q.展開について知りたい。

A.声の方だけに浸ってしまうのは、よくありません。昔の歌い手はそうなりがちでした。それと音楽の構成や走り方はまた別です。音楽にはリズムや音の兼ね合い、こういったらこう落ちてきてほしいとか、こう落ちてきたら少しねばって、そこで待っていてこう出てほしいというような、それぞれの音楽の聞き方や流れがあります。それを流れをみて組み立ててやることです。
たとえば、4つのフレーズがあったら、2つめから3つめに対しては、気持ちを切り替えられる。それから3つめから4つめに対しても、まだ気持ちを切り替えられますね。そういう切り替えをどんどん起こしながらも、流れとしては、体がつながっている、息がつながっている、一つの歌の中として保つという、その両方のことをやらなければいけなくなって、作品としては成り立たなくなってきますね。

Q.歌唱表現力をつけるためのレッスンとは。

A.声のある人が、すごく声をおさえて歌うと伝わるわけです。どうしてかというと、余裕があるからです。必ずしも歌は大らかに明るく歌うというものではないですね。流れが自然で、自分の世界や動きみたいなものが出てくると、これで1曲を通していくことができます。
そればかりやっていると、せまくなって、気持ちの一人よがりになる。だから、あるときは1行1行しっかり歌っていくとか、声をしっかり出して、張っていく。
ヴォイストレーニングとしては、フレーズをどんどんと分けていくことです。トレーニングとしては、体のこと息のこと、声の響き、それからメロディとか言葉をしっかりとつなげて歌うことがねらいです。ところが歌の場合は、そんなものが見えないくらい、崩してしまうといったら変ですが、そういうものが表に出ないように、気持ちの上で持っていく。音楽の構成の上で持っていくということです。


■チーフトレーナーの一言アドバイス 
自分にあてはまるものをチェックしてみましょう。

<発声>

○普段からしゃべる習慣を身につけていくこと。その中で、発声のことや、しゃべり方などが、具体的に見えてくる。

○体を鍛えることの大切さ。そしてストイックに生活していくことの重要さを話す。基本の生活を正したうえで、いい声作りをしていくこと。

○息を吐ききること。吐ききるから、その後、息が入ってくる。息を続かせようとしすぎて、逆に力が入ってしまって、続かない。吐ききることに集中していくこと。

○歌い込んでいくうちに、ひびきも深くなってくる。低いキーで、しっかり体を使って声を出していくこと。基本は体。

○鼻に声を集めすぎる。もっと声を、体から話していくこと。遠くへ送っていくこと。声を伸ばしている時、力みすぎないこと。

○息を流し続けて、なめらかに。口を縦に開け、あごを引きすぎない。下半身は踏ん張ること。音楽的な内容に入っていきたい。

○あごを出さない。胸の力を抜いていく。お腹に息を取り込んでいく。いい声が出ているので、上半身で頑張りすぎないこと。

○もっと体を使っていくこと。体から声を出していくこと。呼吸の段階では、うまく体が使えているので、その使い方を、歌っている時に生かしていくこと。

○発声練習等の基礎練習を日々することで、ピッチの問題も解決できる。またテンション、体をしっかり使っていくことで、音程も安定してくる。

○腹筋を固めすぎてしまう。もう少しリラックスをして、下半身で歌っていくこと。声を出そうとしすぎないで、息の流れを感じていくこと。

○レッスンに対しての取り組み方に問題がある。続けていくことはいいことだが、上達はしないであろう。芸事に対する真剣さがもっとほしい。

○姿勢を正すこと。視線を大切にしていくこと。伏せ目がちなので、声も飛ばない。遠くを見て、そこに声を送っていくこと。

○しゃべり声ができていない。この状態で地声のいい声を目指していてもダメ。まずはしゃべり声を鍛えていくこと。普段のしゃべり声も意識して深く出していくこと。

○重心を感じてはいるが、気持ちがのってこない。気持ちもしっかり出していくこと。それでいて重心は下に。


<せりふ>

○キャラクターの違いを、声色ではなくて、気持ちの違いで出していくこと。もっと役の切り替えをはっきりと。恥ずかしがらずに、どんどん気持ちを出していくこと。

○いろいろな声が出ることはいいことであるが、まずは幹になる声を作っていくこと。大きく感じ、大きく表現し、声に気持ちを乗せていくこと。

○表面的な表現をしないこと。なんとなくや、雰囲気ではなく、リアルな思いを大切にしていくこと。リアルな気持ちの変化を大事にしていくこと。

○極端に口が開かないので、口を縦に開ける練習をする。開けようとして、力が入ってしまう。声を出さない状態で、口の開け閉めの練習をしていくこと。

○鋭く息を吐くことと、深いポジションから声を出していくことのバランスを取っていくこと。リズムに乗って、文章を次へ次へ読んでいくこと。

○体にもっと集中していくこと。聞こえてくる声ではなく、体から出ている声を聞いていくこと。小さな声でもテンションの高い声は出せる。

○力みすぎて、ことばがはっきりしない。読みにくい文ほど、口やあごの力を抜いていくこと。練習不足。もう一度、練習し直していくこと。

○ひと声出すために、必要以上に準備をしすぎないこと。もっとリズムよく、次の文章へ次の文章へ進んでいくこと。そのリズムの中で、バランスを取っていくこと。

○気持ちの入った声が出ている。声も深くなっている。ことばのアクセント、読み方等、気になるが、あまり表面的な技術的なことにこだわらないでいきたい。

○本番で緊張しないためには、もっと場数を踏むことと、そして集中力。集中力の欠如は否めない。そして体の支えからくる安定した声を出すように努力していくこと。

○リズムに乗って、ゆっくりゆったり声を出していくこと。あわてなくていい。歌詞読みも気持ちが出てきている。まじめなので、ゆっくりだが上達していくだろう。

○リラックスした上で、「遠く」「深く」というイメージを持って、声を出していくこと。朗読では、声を出しすぎないで、繊細な表現に挑戦していくこと。

○のどで頑張りすぎる。必要以上にテンションを上げない。内容にそったテンションにしていくこと。理性的に歌っていくこと。

○歌うことの先へ行ってほしい。ただ歌っているだけ。声も浅い。下半身を意識して、しっかり息を流し続けること。


<日本語曲>

○クラシック的な発声も、体を作るということで大切。身につけていくこと。フレーズの入りが弱い。もっとテンション高く歌い出していくこと。

○淡々と歌いすぎる。もっと感情の起伏を作っていくこと。サビも思っている以上に理性的でつまらない。思い切って声を出していくこと。

○高音時、もっと力を抜いていい。のどで押さないこと。そしてひびきを明るく出していくこと。

○自分の歌いやすい感覚で歌うのではなく、体を使い、しっかり息を吐き続けていくこと。これはセリフにも生きてくるはず。

○高い音が続き、のどで歌ってしまう。声を出すことよりも、ブレスに集中して、深くブレスをしていくこと。また重心も下にしていくこと。

○最後のレッスン。しばらくお休み。声は少し疲れ気味だが、歌っていくうちに、いい声が出てくる。なんとか続けていってほしい。

○気持ちが入ってくると、フレーズが点々になってしまう。テンションをキープしていくこと。ブレス等で、テンションが下がらないようにすること。

○息を流し続けて、なめらかに歌っていくこと。意味を考えて、もっとイメージを働かせていくこと。

○子音をはっきりさせようとしすぎて、フレーズが点々になる。もっと息を吐き続けること。思っている以上に点々であることを自覚すること。

○意志のある声を出していくこと。ボリュームのある、なしではなく、声に意志があるのかで、声の聞こえ方も違ってくる。遠くへ意志を伸ばしていくこと。

○のどの力が抜けている時は、いい声が出ている。常にお腹を中心に声を出していくこと。発声や呼吸をかためていきたい。

○声を出すだけなら、いい声も出てきている。ただ声を出すだけではなく、自分の気持ちも出せたらいい。心が開くときが来るのか。

○フレーズの中で、気が抜けてしまう部分がある。テンションを切らすことなく、上げていくつもりで、歌っていくこと。テンションを積み上げていくこと。

○もっと内容に入ってから、歌い出すこと。無意識に歌い出さないこと。低音部の声がひびいてきている。この声をもっと鍛えていくこと。

○取り組み方が甘い。やってこいと言われたことが、一ヶ月でできない。発声なら発声と、何か一つでもいいので、腰をすえて、じっくり練習していくこと。

○キーが低いせいもあるが、頑張らずに歌えている。その余裕の中で、歌の内容に入って歌っていくこと。力む必要はない。

○体が使えていない。息ももっとしっかり吐いていくこと。息が長く続かないことを気にしすぎないこと。体が使えてくれば、解決すること。

○レコーディングにおいては、ライヴとは違う感覚になる。ライヴでの外向きのテンションと違い内向きになる。繊細に丁寧に歌っていくこと。

○日々のモチベーションをいかに維持していくか、体力作りや睡眠等を含めて、もう一度見直してみること。努力の過程を楽しんでいくこと。
歌いすぎる。表情はいいのに、声が表情に合っていない。もっと抑えて歌うことで、気持ちも出てくる。

○点々になる。もっと流れがほしい。メロディーの高低に影響されることなく、息の流れでつなげていくこと。

○抜けてきている。このぐらいの力加減でいい。のどで頑張りすぎないこと。

○音楽性がない。もっと音楽を聞くこと。なんのために歌っているのか、自分と歌との関係をもっと真剣に考えて、悩むこと。

○ソフトに声を出していても、気持ちが入った声を出していくこと。また気持ちが入ったからといって、ボリュームが上がらないようにしていくこと。

○以前より、気持ちは前に出てきている。テンションをしっかりキープしていくこと。テンションの変化で音程が狂わないように。

○もっと単純に、技術練習をしていくこと。息を流し続けることのみを意識して何度も歌ってみる。気持ちが入った時に、歌が乱れないようにしていくこと。そのための技術練習。

○歌の歌い出しをもっと丁寧に繊細に。そして誰に歌っているのか?対象を考えて優しく歌っていくこと。それだけでも、内容に近づいていける。

○サビへのテンションの持っていきかたを研究すること。フレーズがうねる。もっとシンプルに。

○雰囲気で歌わないこと。主観的、具体的に歌っていくこと、歌詞の読み込みが甘い。自分自身を歌の世界の主人公にしていくこと。

○いい声をしているが、のどオンリーで歌ってしまう。一音一音ではなく、もっとなめらかな流れがほしい。


<英語曲・ジャズ>

○息を流し続けること。テンションの積み重ねができていない。自分が思っている以上に、テンションを上げて歌っていくこと。

○フレーズを丁寧に処理していくこと。しかし消極的な歌い方にならないように。息を腹から吐き続けること。

○高音を頑張りすぎないこと。いい形で声は出ているので、リラックスして伸ばしていくこと。内容に入って、楽しく歌っていくこと。

○すべての単語をはっきり発音しなくていい。もっと息の流れでなめらかにフレーズを作っていくこと。腹から同じひびきの声を出し続けていくこと。

○勢いよく、声を出していくこと。きれいにまとめようとして、音が定まらない。低音の声を出そうとしすぎないこと。息の流れをつなげていくだけでいい。

○音が不安定になるのは、もちろん音程のせいもあるが、声にどれだけ意志が入っているのかも問われる。役作りをして歌う練習をしていくこと。

○体が鳴ってきている。キーを低くして、その中で安定した声を出す練習をしていくこと。キーを上げるのはその後でいい。


<課題曲>

○高音になると抜いてしまう。もっと芯のある声で出していくこと。芯のある声をなめらかにつなげていくこと。

○フレーズの最後まで、神経を行き届かせていくこと。息の流れも量も増やしていっていい。そういう練習をしていくうちに、クセもなくなってくる。

○まとまっている。雰囲気ではなく、具体的にリアルな気持ち作りを、もっと大切にしていくこと。大きなフレーズで感じていくこと。

○声を出そうとしすぎるのではなく、遠くへ息を送り続けるイメージを持つこと。声のボリュームに関わらず、意志のある、気持ちの乗った声を出せるようにしていくこと。

○高音を抜いてしまう。芯のある声で、リラックスして声を出していくこと。今まで頑張って声を出していたので、少しづつバランスよく声を出せるようにしていきたい。

○発声は落ちついてきて、安定感が出てきた。まずはイタリア語をなめらかにしゃべれるようにしていくこと。そのなめらかさが歌に生きてくる。

○姿勢よく。歌い方がフワフワしてしまうので、重心は下に感じていくこと。次へ次へフレーズを進めていくこと。

○日本語ではあるが、ひびきを優先させていくこと。上半身に力が入ってしまうので、重心をしっかり感じて歌っていくこと。

○高音時の口を縦に広げていくこと。それによりひびきを深くして、のどへの負担も軽くしていく。

○大きくフレーズを作っていくこと。一つ一つの音ではなく、文としてフレーズとしてつなげていくこと。常にテンションを保つこと。

○一つ一つの音を深く取ろうとしすぎて、流れが切れてしまい、ひびきがつながらない。縦のひびきをつなげていくことに集中していくこと。

○声を効率よく集めて出していくこと。極端にやりすぎないこと。日々練習していき、その中で徐々にいい方向に変えていくこと。

○体がなまっている。体が使えていない。日々の練習の成果がレッスンで現れてくる。もっとレッスンに向けての練習を充実させていくこと。

○常に息を吐き続けること。今は頭ではわかっているので、しっかり練習を積み重ねていき、体に覚えこませていくこと。

○上半身の力が抜けてきている。たっぷり息を取り込めるように、もっとお腹まわりを意識していくこと。

○のどの力は抜きたいが、ゼロにはならない。のど以上に体を使ったり、イメージを大切にしたりして、力を分散させていくこと。

○フレーズとフレーズを丁寧につなげていくこと。いいものを持ているのだから、雑にならないように、もっと繊細に歌っていくこと。

○ワンフレーズは一つの流れとしてとらえていくこと。その上で重くならないように、先へ先へ進めていくこと。

○遠くをイメージして、息を流し続けること。その際、大きな声を出す必要はない。声よりもイメージを優先させていくこと。流れを大切にしていくこと。

○歌詞で歌うと、リズムがずれてくる。もっとリズムの基礎を積んでいくこと。体で感じることも大切。ピアノから聞こえてくる音をしっかり聞くこと。

○のどで頑張りすぎる。頑張らなくても声は出ている。必要以上に出さなくてもいいんだという感覚を、本人がつかんでいくしかない。流れをつかむこと。

○ひとつひとつの音を深く取りすぎないで、平らに、息を流し続けて歌っていくこと。レッスンに対する集中力は素晴らしい。

○のど中心から、体中心にしていくこと。のど中心では、体調、心境などに影響されてしまう。そのためにも体を使った歌の練習を積み重ねていくこと。

○ひびきを統一させて、なめらかに歌っていくこと。点でとらえがちなので、線でとらえていくこと。

○今の課題を次に持ち越さないこと。声を出すことよりも、息をしっかり取り込むことに、集中していくこと。

○フレーズが単調になる。のどを頑張ることではなく、流れ作りを頑張ること。

○体を使って息を流し、ひびきをつなげていくこと。テンションの作り方、テンションの入り方、もっと研究していくこと。

○フレーズの最後を丁寧に扱っていくこと。声を出そうとして、歌い方が雑になってしまう。もっと繊細に丁寧に歌っていくこと。

○「マ」でフレーズを歌う時、なめらかさが出てきている。ひびきの統一感も出てきている。それらのことを、イタリア語で歌う時に、生かしていくこと。

○イタリア語を歌っている時につかんだ、息の流れの変化や、ひびきをつなげていくことなど、日本語時にも生かしていくこと。日本語が雑にならないように。

○下半身は意識できている。その分上半身の力をもっと抜いていくこと。重心を下に感じながらの練習をさらに続けていくこと。

○なめらかにつなげていくこと。自分が思っている以上に頑張りすぎなくていい。もっと普通でいい。声を出すことより、息の流れに集中していくこと。

○普段考えていることが、声となり、歌となる。今は悩めるだけ悩んで、淡々と努力をしていくこと。

○息は流し続けること。その上で、息の流れの変化をつけること。そして歌詞がついても、その流れを意識して歌っていくこと。

○フレーズはなめらかになってきている。次に、そのフレーズの流れを変化させていくこと。流れの変化でフレーズを作っていくこと。

○口、あごをリラックスさせていくこと。ブレスや間奏等の間を、白間にしないこと。テンションを持続させたり、上げたする場所にしていくこと。

○自分が思っている以上に、平らに歌っていい。そのかわり、しっかり息は流し続けていくこと。そうすることでフレーズも生き生きと、なめらかになってくる。

○母音だけで歌ったり、イタリア語で歌う際は、音楽的な観点を重視して、息の流れを作っていくこと。そしてフレーズを組み立てていくこと。

○のどの力が抜けてきているので、この状態から徐々に、バランスのいい力の入れ具合を研究していくこと。

○低音が出にくい。出そうとしなくていい。息の流れでつなげていくことに集中していくこと。深いポジションから声を出しているというイメージを持つこと。

○息継ぎのためだけのブレスにならないこと。イタリア語をなめらかに歌えるように、もっと読み込んでおくこと。なめらかに読むことも、なめらかに歌うことも同じ。

○日本語で歌うよりも、イタリア語で歌っている時のほうが、音楽的なニュアンスは出てくる。原語で歌う機会をもっと増やしていきたい。

○一音一音重くなりすぎる。流れが止まってしまう。先のフレーズをしっかり見て歌っていくこと。

○原曲のCDをよく聞きこむこと。ひびきは完全にはまねできないが、体で感じること。そしてなめらかな息の流れをまねしていくこと。

○体を使った声の出し方を、もっと体で覚えていくこと。あわてずにしっかりブレスをしていくこと。ブレスひとつで、声も変わってくる。

○下半身を意識していくこと。リズムをもっと感じるためにも、重心を感じ、支えを下にしていくこと。

○お腹を引き上げてしまうクセがあるため、ブレス時に力が抜けない。徐々に歌の場合には、引き上げなくてもいい感覚をつかんでいくこと。

○単調なメロディーだけに、体をしっかり使っていくこと。ひびきでつなげていくこと。コンスタントに練習ができるように、体力作りもしていくこと。

○一音を深く取りすぎないこと。流れの中でひびきを作っていくこと。流れをつなげることで、ひびきもつながってくる。

○音の高低差が、ひびきの違いで出てくる。息の流れで、ひびきをつなげていくこと。その違いを、自分の耳でしっかり聞くこと。

○息は口で吸わないで、腹で取り込んでいくこと。腹を中心に歌っていくこと。ゆったりしたメロディーなので、しっかり息を流し続けて、つなげていくこと。

○フレーズのつなぎが雑。もっと丁寧に繊細につなげていくこと。ブレスも丁寧に取り込んでいくこと。

○低音から高音へのひびきを統一させていくこと。声を出そうとしすぎて、のどに力が入り、息も足りなくなってしまう。日々の発声練習の時間を確保していくこと。

○テンションを積み重ねていくこと。テンションのつながりがなく、単調になってしまう。テンションを切らさず、上げて次につなげていくこと。

○深いひびきで高音をとらえていくこと。それを支えるためにも、下半身をしっかり使っていくこと。日々の練習を充実させていくこと。

○ブレスを口で吸ってしまうので、リズムに遅れてしまう。お腹で取り込むようにしていくこと。イタリア語の読みをしっかりやっておくこと。声に出して読んでおくこと。

○あごの力を抜くこと。声が分散してしまうので、集めていくこと。頑張りすぎない息吐きのトレーニングを日々行っていくこと。

○のどに力が入ってしまうことを気にしているのだが、もう少し積極的に声を出していっていい。バランスの取れた、いいポジションが見つかるはず。

○なめらかに大きなフレーズを作っていくこと。伸ばしている音ほど、流れを意識すること。音楽的な構成、流れをつかむこと。

○高音を抜かない。体を使ってしっかり出していけば出るのだから、消極的な歌い方をしないこと。

○のどで頑張りすぎないこと。少しひびきのある声が出せるようになってきている。基本は、のどはリラックス。

○少し力が抜けてきている。のども体もリラックスして、前に前に進んでいくこと。日本語時のことばの息の流れを大切にしていくこと。

○歌っている時だけではなく、フレーズの切れる瞬間、ブレスの時の集中力を切らさないこと。集中力の持続が必要。

○歌いすぎてしまう。今のボリュームの半分でいい。それでもかなりひびいでいる。ひびきではなく、ことばに集中していい。


<オリジナル曲>

○声も一通りではない。曲によって変化していく。だからこそその前に、体力作りも含めて、安定した自分の声を作っていきたい。

○ライブシュミレーションを行う。曲によってテンションが変わってしまう。内容に則って変わるのならいいのだが、好き嫌いが出てしまう。歌い出しのテンション高く。


■トレーナーズ アドバイス
レッスンの中での概要です。これらのメニュが必ずしも誰にでもあてはまるものとは限りません。参考にとどめておくようにしてください。

○生で見よう。
演劇やミュージカル歌手を目指している人たちは年間どれくらい生の舞台を見に行くでしょうか?東宝ミュージカル、劇団四季などの大手のほかにも小さな団体は山ほどあり日本全国毎日どこかで公演が行われているのではないかと思うほど多岐にわたっています。
しかし劇団四季や宝塚、東宝ミュージカルなどは、チケットを入手するのも困難な上に値段が高く、とても気軽に見にいこうとはちょっと思えないことが多いです。
そこで生の素晴らしい本物の舞台を格安で見れる方法をお教えしようと思います。
初台の駅にある「新国立劇場」ここでは世界中の一流の歌い手、バレリーナ、日本を代表する舞台人がオペラ、バレエ、演劇などを素晴らしい舞台でお客様に見せてくれます。
ここのチケットもけして安いものではありませんが、この劇場では必ず一番安い席を20枚ほど当日券として確保してあります。
そこで朝から並んで運よくチケットが手に入ると、1500円で本物の舞台を見に行く事ができるのです。
朝から並ぶのは大変ですが、ぜひ一度並んで本物を体験してみてください。(♭Σ) 

○体格がいいと声が出る?(2)
2、3年前まで世界中の歌劇場を席巻したソプラノ、ステファン・ボンファデッリは舞台に立っていたときから明らかに舞台上の誰よりも細く、どのソプラノを見ても彼女より細い人はいないと思います。
その彼女をあまり舞台の上で見なくなりました。
2、3年前に拒食症となった彼女はさらに痩せてしまい、オペラ歌手としての声が出ず舞台から遠ざかっていました。
その彼女が昨年ボローニャ歌劇場引越し公演で、ドニゼッティの歌劇「連隊の娘」で久々に舞台上に帰ってきました。私もその舞台を聴きに行きましたが、それまで聞いてきた彼女の声ではありませんでした。
軽々とだしていた高音も、昔の彼女からでは信じられないような叫びになっていました。
それでも舞台に復帰できた事は喜ぶべきことですが、昔の声を知っている者ならば残念で仕方ないと思います。
声は決して体格だけで決まるものではないと思っていますが、ボンファデッリのように不自然に痩せていったり、太りすぎた体格では声はベストの状態ではないという事です。そして一度失った声はなかなか取り戻せません。(♭Σ) 


<トレーナーのお勧めアーティスト>

○中 孝介(あたり こうすけ)の歌
いま是非、聴いてもらいたいアーティストである。元ちとせと同じ、鹿児島県奄美大島出身の27歳。彼女の影響を受けて、独学でシマ唄を始めたそうだ。彼の凄いところは、何でも歌いこなせるところである。クラシックを歌えれば何でも歌えるというところに共通している。彼のテクニックは、シマ唄でしっかりつくられている。基礎がしっかりしているから、何でも歌えるわけで、しかもスタイル・ジャンルが変わると決してシマ唄のまま歌うわけではないところが、また素晴らしい点である。たとえば、シマ唄のこぶし?が必要でないような曲では、ほとんどまわしていない。元ちとせの方が、シマ唄のまま何でも歌おうとするというか、土臭さが出てしまうというか、バリエーションがきかないと思う。FMの番組も持っているようだから、是非一度聴いてみることをお勧めする。(♯Θ)

○オペラのススメ
あなたは、今までオペラを劇場で観たことがありますか?テレビやDVDでなら観たことがあるという人も、今度は是非劇場に足を運んでほしいと思います。
オペラをすすめる理由とは?オペラは声の最高芸術だからです。声の勉強、歌の勉強をする者にとっては、その勉強の行き着くところにオペラが存在します。声と体を最大限に使って表現する芸術。もしあなたが、自分の声・歌をよくしたいと思うなら、一度は観た方がいいのではないでしょうか。
決して、難しい演目を選ぶ必要はないでしょう。メジャーな演目、たとえば「フィガロの結婚」、「蝶々夫人」、「ボエーム」、「カルメン」などは、よく上演されるだけあって、やはり傑作で名曲揃いですから、観たあと絶対にオペラ嫌いになることはないでしょう。そして、字幕が必ずあると思いますが、より楽しむコツは、事前に予習をしておくこと(CDを聴いたり、ストーリーを頭に入れておいたり)です。(♯Θ) 

○浅田次郎 短編集「姫椿」「見知らぬ妻へ」「月のしずく」・・等
作家としてのキャリアを極道系エッセイ(「勇気凛々ルリの色」/これも音楽とは関係ありませんが裏のドンパチ世界が垣間見えてとても面白い!お勧めです。)でスタートさせ、「鉄道員」で一気にその名が広まった氏ではありますが、特に短編集では非常に情感豊かな作品が多く、その豊かな描写で人物・背景・色彩をまるですぐそこで手にしたように立ち昇らせ、読み手の想像をかき立て、心動かす・・・良い題材になるかと思います。(♯Ψ)

○今、小澤征爾指揮のオペラ「カルメン」の稽古に参加しています。改めて、フランス語の発音は、口の形、開け方が大切だと感じました。やはり美しい発音が、良い発声につながるのだと思いながら練習しています。(♭Φ)


■トレーナーとのQ&A
研究所内外の質問とトレーナーの回答です。
これも相手やその目的によって、あるいはやトレーナーによって、回答が異なることもあります。参考までにしてください。

Q.本番やオーディションになると、声が震えてしまいます。直す方法はありますか?

A.まずは体で声を出すことを安定させていくことです。のどでコントロールしていては、緊張や体調に左右されてしまいます。緊張はしても、体から声を出していれば、表面的には問題はありません。 あとはイメージトレーニングなどをして、緊張感に耐えられるように精神を鍛えていくことです。(♭∞)

Q.句読点で息の流れを止めてしまうので、息の流れ、間の取り方を教えてください。

A.句読点はあまり意識しないでください。意味のつながりがあるところはつなげていき、意味の切れるところでは間を取っていきましょう。またブレスをしたり、句読点で間ができてしまうところも、テンションを切らさないでつなげていってください。
(♭∞)

Q.ピッチ調整できるシーケンスソフトでボーカル取りをすると、かなりピッチが悪いのですが、発声を含めてどのような取り組みをしていったらいいのでしょうか?

A.あまり気にせず、発声に関しては、もっとのどの力を抜いて、体で歌えるようにしていくことです。(rf)(♭∞)

Q.軟口蓋に声を当てると響きがよくなると聞いたのですが、口を縦にあけるとしぜんと軟口蓋に当たるから響きがよくなるのでしょうか。

A.軟口蓋に声を当てると響きがよくなると言っても、具体的に軟口蓋に声が当っているのか、わかりませんよね。軟口蓋を意識することで、口の奥が開き、そのためにひびきが良くなります。口を縦にあけて、ひびきのいい状態で練習を重ねていきましょう。
(♭∞)

Q.喉の調子が悪いときの発声、歌い方について教えてほしい。

A.基本的には休ませることです。使うのにも無理は禁物です。
普段から、体から声を出すということを意識して、トレーニングしていくことです。止むを得なく声を出す場合もあるかと思いますが、そういう場合も、体から声を出すことで、カバーできます。調子のいい状態でトレーニングしていくことが大切です。
そのために体調管理も重要です。(♭∞)

Q.口で息継ぎ(ブレス)すると、浅い声になってしまう。
歌いながらも鼻で息をした方がわき腹に空気が入るようなので、そうするくせをつけ直すべきか。
口で息継ぎしても腹式ができていれば、深く吸いこめるのか。

A.どちらでも構いません。
鼻で吸う、口で吸うという意識ではなく、お腹で取り込むという意識にしていくことです。(♭∞)

Q.レッスンでは、トレーナーが自分の声を正してもらえるが、バンドで歌うときなど、 自分の声も聞こえず、必死に出すばかりで、変なところに力が入っている気がするが、自分で直せない。そういう状況で自分の声の調子を正せる方法があれば、教えてほしい。

A.まずはそういう状況になる前に、しっかり体で歌うことを身につけることです。
聞こえてくる声を基準にするのではなく、体の深いポジションから声を出す体の使い方を覚えることです。
自分の声しか聞こえないアカペラの状態で何度も練習をし、その感覚を覚えていくことです。
そうすればバンドで歌う時も、またはあまり自分の声が聞こえない時でも、体を基準にして、ベストな声が出せるようになってきます。基準は体の使い方です。(♭∞)

Q.ライブで曲を歌っていると、一番と二番と感覚的に同じだなと思ったり、どの曲でも同じような意識で声を出していっているなと感じます。(気持ちはイメージするものの)歌詞がけっこうはっきりしてきたので、言葉で違いは出せるのですが、雰囲気の違いみたいなものを出すにはどうしたらよいですか。

A.歌詞の裏にあるリアルな気持ちを考えてみたらいいと思います。
一番と二番が感覚的に同じだなと感じたりすることもあるかと思いますが、裏にあるリアルな気持ちを考えてみると、必ず気持ちに違いが出てくるはずです。歌詞を丁寧に読み込んでいって、自分自身のリアルな気持ちを作り出していきましょう。(♭∞)

Q.歌詞を覚えるときの秘訣を教えてください。

A.ことば自体を覚えることも大切ですが、ことばからイメージする場面、状況、そしてそこから感じるリアルな気持ちを関連づけて覚えていけば歌詞を忘れることもありませんし、しっかりと覚えられます。
後は単純なことですが、覚えるまで何度も読み込むこと。また書き出してみること。
また覚えられていないということは、その歌の世界に入り切れていないということ。
だから覚えるように努力していくということは、歌を理解することにもなります。(♭∞)

Q.歌い方がしつこいので、もっとしぜんに歌えるようになりたいのですが、どうすれば癖のないしぜんな表現ができるようになるのでしょうか。

A.多くの場合、しつこいとは思えません。どちらかというと、もっと、しつこくねばっこくと言いたいほどさっぱりしすぎる人ばかりです。
自然に歌うためには、もっと練習をして、もっと体を鍛えて、もっと歌の内容を深めていくことです。(♭∞)

Q.口角をあげるというのが、口をとじる「u」や「o」の時、よくわかりません。

A.口角をあげるというよりも、ホッペタをあげる、「ウフフ」と笑う感覚と思うと分かりやすいです!。(♯Ω)

Q.ソルフェージュとは何ですか。

A.音を聴いて、音符を書いたり、楽譜をみて、歌う事です。(♯Ω)

●Q.3拍の時は指は薬指から人差し指まで?8分が入るとどうなりますか?

A.3拍の時は、中指から親指です。
四分の三であれば、四分音符が一拍なので八分音符は、一つ指で数えるうちの、二つ分になります。(♯Ω)

Q.日常、何気なく出来る、リズムトレーニング、ピッチトレーニングを教えて下さい。 

A.日常で流れている音楽や音を、どんなリズムなのか、という視点から聴くとよいと思います。(♯Ω)

Q.リズム感を養うのにいい音楽のジャンルはありますか?

A.ジャズなど、世界各国の音楽、ラテン中心に何でもよいでしょう。(♯Ω)

Q.笑って歌うようにすると音程が上がるのですが、暗い曲でピッチをしっかり高く保つ時はどうすればよいか?

A.笑顔は歌の基本です。暗い曲を暗い顔をして歌うと、自分の世界に入ってしまい、かえってお客さんに伝わりません。
般若の顔を、思いうかべて下さい。怒っているようにも、泣いているようにも、はてまた、笑っているようにも見えます。
暗い歌でも、気持ちはこめても、笑顔が良いと思います。(♯Ω)

Q.出だしの音をしっかりとるコツとか練習法はありますか?

A.歌う前に、よく準備をして、歌ってください。鼻からいい匂いをかぐように息を吸うと、お腹に息が入ります。それを、確認してから、歌ってください。(♯Ω)

Q.こういう練習をしておいたらよいというものはありますか?

A.もし、電子ピアノなどの鍵盤楽器で、テキストの曲を録音して、聴くようにすると、音感が身につくと思います。(♯Ω)

●Q.ピッチと発声とは関連している気がしますが、レッスンでは分けて考えてよいのでしょうか?

A.関連があると考えて、レッスンは受けたほうがいいです。(♯Ω)

Q.歌を歌うことにおいて、一番大事なことは何ですか。

A.イメージすることだと思います。
歌は、楽器と違って、体が楽器です。
いろんな筋肉を使って、声が発せられますので、それができるようになるには、イメージすること、そして、頭であれこれ考えるより、感覚を大事にしていただければと思います。一つの歌を、どんなふうに歌いたいか、イメージしてください。
イメージのとおりに歌うのを目標に、技術的な面を、鍛えていきます。(♯Ω)

Q.歌う時に大事なことは、何ですか。

A.どこにも力が入っていないことです。
一度、体を脱力させます。足を、肩幅ぐらいに開き、まずは、みぞおちから上だけ、そして腰から上、の順で脱力します。
そして、少し、ひざを曲げて背骨の骨が一つづつ、乗るようにゆっくり、体を起こしていきます。
最後に、足を閉じて、少し背伸びして、上に引っ張られている感覚でかかとを少しつけます。
これが、自然な体の状態です。歌う前に必ず、試してみてください。(♯Ω) 

Q.階名によって、響きが変わってしまうのが、おそらく原因で、音が低くなることがあります。

A.「ウ」などの母音で歌うと、響きが統一されてよいと思います。
口はたてにあけると、響きが統一されて、音程も保つと思います。(♯Ω)

Q.音程はどういうときに、下がりますか。

A.休符のあとは、音の高さが下がることが多いので、高めを意識するようにしてください。
下降する音は、音の高さが下がりやすいので、思っているよりも、高めを意識してください。
「ミ」、「ファ」の音の感覚が、そこは、半音になりますので、正しい音をとるために、2音とも、高めを意識して歌うとよいと思いました。
「ソ」「ラ」「ソ」など、反復して同じ音を歌う場合は、だいたい、かえって来た音が低くなることが多いです。
かえってきた音は、高めを意識して歌うようにしてください。(♯Ω)

Q.リズムを正しく歌うには、どうすればよいですか。

A.拍の数え方が重要になってきます。
自分がどこをうたっているのかを、自覚できる数え方をしてください。
いちばんおすすめなのは、左手で、4拍子の場合、薬指を一拍として左から右に数えるのかおすすめです。(♯Ω) 

Q.下降する音型が、下がりやすいのは

A.高い音は、自然に気をつけられるのですが、どうしても低い音は、高い音よりも出しやすいイメージがあるからだと思います。
下がる音は、上昇する音以上に気をつけて音をとることが大事だと思います。
上昇する音は、思い切り高めにとって、下降する音は、緊張感を持って、下がってください。(♯Ω)

Q.階名で歌うと、母音によって、音程が不安定になることがあるのですが。

A.特にファなど、口を開きすぎて、音程が下がることがあります。
ウなど、あまり、口を開かず、響きを保てる母音で練習するとよいと思います。
また、ミ、ファの音の間隔は、他の音程と異なり、半音なので、ほぼ、音が変わらないくらいの気持ちで歌うとよいと思います。
(♯Ω)

Q.2分の2拍子のとり方を知りたい。

A.まず、4拍子で歌います。
曲の流れがつかめたら、それを2拍で大きくとると、2分の2拍子で歌うことができます。
長くのばす音の、音程を保つためには、母音を何回か言うと、その音程を保つことができます。
また、拍を数えるときに、左手の指で、数えると、今、自分がどこを歌っているか、といことがわかります。
例えば4拍子でしたら、薬指から順に数えるといいです。(♯Ω) 

Q.出だしの音は強くするのですが、とても重要な音です。

A.鼻から息を吸って、良く準備して出すようにしてください。
アクセントは、一般的に、その音を強くという意味がありますが、強くする理由としては、その音が大事だからだと思います。
ですので、ただ強くするのではなく、大事に歌うとよいと思います。
(♯Ω)

Q.ドレミで歌うと、音程にも影響が出てきますが。

A.母音よって響きが変わりやすいため、特に、ファや、ソ、レの音は、口が開きやすいので、響きが散って、音程が下がりやすくなります。
「う」など、響きが集まりやすい、母音で歌うのが効果的です。
(♯Ω)

Q.休符の後の音を、正しい音程で歌うには。

A.休符をとって、休符の前の音を伸ばして歌うと、正しい音程で歌えます。(♯Ω)

Q.最後の音の長さを正しく歌うには

A.必ず、その音符の拍いっぱいまで伸ばしてください。
例えば、全音符でしたら、1、2,3,4,1の最後の1の頭で切るようにしてください。(♯Ω)

Q.4分の4拍子のとり方は?

A.はじめは、4分の4拍子で数えるとよいと思います。
そして、慣れてきたら、2拍で歌うとよいと思います。
これから、リズムが複雑になりますので、よく拍を数えるようにしてください。(♯Ω)

Q.レッスンの録音はできますか

A.いつもレッスンの録音をしていますか?中には、その場で理解してほしいからなどの理由で録音を許さない先生もいますが、私はできるだけ録音してほしいと思ってます。もし、録音したまま聴き返す時間がないとしても、とりあえず録音しておけば形として残ります。
もちろん、その場でなるべく理解し、体得することはもっと大事なことです。もしかしたら、手違いで録音されてないことだってあるかもしれないし。
私は録音の1番のメリットは、生徒のためというより、生徒と先生両者の信頼関係を助けることだと思っています。歌というのは、ピアノなどの楽器と違って、体(のどちらかといえば中)のことであり、目にみえないものですから、生徒が先生を信頼していないとはじまりません。そして、最初のうちは特に自分で感じている声と外に聞こえる声が違うことが多々あります。
なので、先生が良いという声と自分が良いと感じる声を、録音を通して段々と一致させていってもらいたいので、私は録音をおすすめします。できれば、なるべく性能の良い機材で。(♯Θ) 

Q.レッスン以外での勉強・準備とは

A.早く上手くなりたい気持ちはよくわかります。中には、あとどのくらいレッスンを受ければ大丈夫ですか?などと聞く人もいます。全体的に世の中の人の持久力・忍耐力がなくなってきているのも、理由でしょう。しかし、歌の道はテクニックの習得と同時に、体が楽器であり、その楽器を自分でつくっていかなければいけません。そこが、音楽においても他の楽器とちがう点です。
たとえば、ギターなら、ギターを買ってきて調律すればOKですよね?加えて、その人の人間性・人生というものが歌にはよく表れます。ですから、精神的成長も必要なのです。つまりは、武道と同じで長〜い修行の道。数回・数ヶ月のレッスンでうまくなれるなんて思っても、はっきりいって無理なのです。大事なことはレッスンの時間だけで上手くなれると思わないことです。
レッスンの予習・復習はもちろんのこと、普段の生活から良い呼吸で過ごし、良いポジションで話したりしましょう。そのためにはヨガや気功、太極拳などに行って、呼吸を整えながら体力づくりもしたらいいと思います。(♯Θ) 

Q.ささやくように歌うべきところが高音域だと、なかなかリラックスできません。どう心掛ければよいでしょう。

A.高い音こそ深い声を出すイメージをもって下さい。ないしょ話をするような声で練習するのも効果的です。(rf)(♭Σ)

Q.複数のことを同時に練習しようとすると注意がそれるのですが、一つひとつ(喉を開くならそれだけ)練習した方がよいでしょうか。

A.体は一つの事を集中して行うだけでもとても大変です。色んな事をやろうとすると中途半端になり、かえって変な癖がついてしまい治すのにかなりの時間がかかってしまいます。地道に勉強する方が結果として早道なのです。(♭Σ)

Q.「歌う」ところと「しゃべる」ところがあっていいということに気づきました。
もっと「しゃべる」ように歌えるようにするのが課題です。
このために、歌う前にまず声に出して読んでみる、ということをやっていますが、その他によい練習法はありますか。

A.ゆっくりしゃべる練習や、早口言葉のようにしゃべるのもよい練習になるでしょう。(rf)(♭Σ)

Q.広いスタジオか狭いスタジオかによって聞こえる自分の声が違う気がするのですが、それは反響の違いでしょうか。それとも発声が不安定なためでしょうか。

A.広い部屋と狭い部屋ではもちろん響き方は異なります。また音響のよい部屋悪い部屋でも聞こえ方は違います。壁や床が板張りか布張りでも大きく違います。しかしある程度発声がしっかりしてくるとあまり関係なくなってくるでしょう。(♭Σ)

Q.メッザ・ディ・ヴォーチェについて知りたい。

A.この発声法は18世紀ごろから特に重要視され、現在でもイタリアのベルカント唱法などを教える教師のレッスンでは特に重要視されています。
実際、私のレッスンでも取り扱っているメニュです。
直訳すると、メッザ=半分。ヴォーチェ=声。つまり半分の声という意味になりますが半分の声というといかにも腑抜けた声を想像する人が多いので、私は「抑制された声」と言っています。
体はフォルテ(強い)のとき以上に支えねばならず声量を落とすわけですから大変、不安定になり、なれるまでとても難しいです。練習法として
1.pp<ff>pp     メッザ・ディ・ヴォーチェ
2.ff<pp>ff      エクスラマツィオヴィーヴァ
3.p<f>p<ff     エクスラマツィオランギーダ
などがあり、弱くから少しずつ大きくしてまた弱くするなどの練習を単音で行ったり音階で行ったりします。どの場合も息を吸ったら完全に歌いきるまで10秒以上掛けて訓練してほしいものです。
マンチーニという往年の名歌手の言葉です。
「エクスラマツィオの練習の際に胸声を抑えて次第に頭声を響かせて歌うこと。そしてゆっくりクレシェンドしなければならない。」
この言葉から分かるのは決してフォルテ(強く)する方法が声をただ大きくすることではなく響きを膨らませていくことだということです。
この訓練は地道ですがとても効果的な訓練だと思います。(♭Σ) 

Q.台詞の練習の方法でよいもがあったら教えてください。

A.演劇やミュージカル、オペレッタなどには歌のほかに台詞が存在します。他の出演者と言葉を交わすシーンがあると思いますが。その会話のシーンなどどのように練習していますか?
ただ読んだり丸覚えしたりされる方が多いと思います。
それでは実際稽古に入ったときに自分のことで精一杯になってしまい相手のことなど構っていられなくなることが多々あるのではないでしょうか?
会話の場面、自分の台詞だけではなく相手の台詞まで覚え相手の言葉や行動にリアクションをとらなければいけません。
このための練習法ですが、一人で全ての役になりきり一人で演じてみるのです。
キャラクター一人一人に体格、性格、容姿、年齢、性別などを細かく当てはめそれにそった言い回し、間を作っていき立ち稽古にのぞむのです。
そうすることで初めて相手との間が生まれ見ていても面白い舞台になっていくと思います。自分がしゃべることだけ覚えればよいということは絶対にありえません。一人でほかの役を演じてみる事でそのキャラクターに対する新たな発見があり本役になってもその経験が生かされてくると思います。(♭Σ) 

Q.腹筋運動は必要なのでしょうか?

A.歌い手は体が楽器なので自分の肉体、精神の状態が直接、音となってでてきます。健康体である事が一番なのですから健康を維持するため、体力をつけるために運動をするのはとてもいいことだと思います。
しかし腹筋を必要以上に鍛え上げることが声に直接よい結果をもたらすとは考えにくいです。
必要なときに必要な分だけ動いてくれる筋肉を作るべきであって、ただ単純に硬いだけの筋肉は不必要であり、ただの力みにすぎません。むしろ柔軟に動く柔らかい筋肉をめざすべきでしょう。
私自身10代の頃は声のためと思い毎日腹筋運動や様々な筋トレを行っていましたが、往年の名テノールK氏のレッスンで腹筋など絶対やるなと怒られました。単純に息の流れで歌うものであって力みで歌うものではないということです。
横隔膜は息を流すポンプでありそれが錆付いてて(固まっていては)は、息を送り出せないだろうという説明でした。
砲丸投げや槍投げの選手などをみても体は凄いですが、決してボディビルダーのような体ではありません。砲丸投げや槍投げに適した体です。ボディビルダーの体は見せる競技だから、あれでいいのです。
歌い手は声を聞かせる職業であり必要な筋肉は歌うことで身についていきます。
確かに割れた腹筋などは見た目にはカッコいいですが必要以上の筋肉は本来必要ないと思います。(♭Σ) 

Q.眉間にしわがよったり、口の周りが強張ってきたり、アゴが前に出てきたりなど不自然な顔で歌う歌手がとても多いのですが、よいのでしょうか。

A.普段の家族や友人との会話で眉間にしわがよることは、険悪な雰囲気にでもならないかぎり、あまりないと思います。
歌は会話の延長にあります。
そう考えると顔が不自然に動くという事はどこかに凄いストレスがかかっているということではないでしょうか?
バラードを歌っているのに、顔に眉間がよってアゴが出ていたら、それだけで雰囲気はぶち壊しになると思います。歌詞は会話であり言葉です。その歌詞にそった顔で歌わなければ言っていることが嘘になってしまいます。
発声の面で言っても、どこかに力みあるのでしょうし、決してノドの為にも声のためにもよい訳がないのです。(♭Σ) 

●Q.発声時の息もれがなかなか直りません。なにか、アドバイスをいただけませんでしょうか?

A.声帯に異常があるようなら、耳鼻咽喉科で診てもらいましょう。発声の仕方に関しては、レッスンで言っていることを、まずしっかり練習してください。7月号会報P15にある『スペインの曲(1)(2)』がとても参考になるので読んでください。(♭Π)

●Q.最近のポップス、ロックなどの歌手、グループで、発声の面で参考になる人というと、誰なのでしょうか。

A.たとえば、クリスタルケイは、共鳴のポジションも安定し、声に深みもあります。のど声でなく自然な発声だと思います。(♭Π)

Q.何度も繰り返すことで正しく深い発声は自分のものになっていくのだと思いますが、通常の話言葉の時にも深い発声を使う方がいいのでしょうか

A.歌も話言葉も発声の仕方は変わりありません。ただ息の量、音量が違うだけです。
息の使い方、共鳴のさせ方なども変わりません。歌い方がしっかりしてくれば、おのずと話言葉も立派になってくるはずです。
そうならないというのは、どちらかが作ったような不自然な状態になっていると考えていいでしょう。(♭Π)

Q.鼻に響かせようとすると音程が上がってしまいます。胸に落ちた重い声と、鼻に響く声と、音程の上がり下がりの関係がわかりません。音程は一定のまま鼻くう共鳴で発声するには、どういうことに気をつけたらよいのでしょうか。

A.ハミングをしっかり行って下さい。その際ハミングも軽く出す意識をもって、決して喉で重たくしないようにしましょう。ハミングの感覚がつかめたら、そのポジションのまま『ア』の母音で声を出すようにしましょう。ハミングと発声で違ったポジションにならないよう注意してください。(♭Π)

Q.「胸がかたい、はと胸になっている」と注意を受けました。発声の本に、はと胸でっちりがよいと書かれてありますが、それとはどう違うのでしょうか。(♭Π)

A.鳩胸はよい姿勢の状態。猫背に対して使われる表現と思って下さい。ただ、『ハイチェスト』と言って、横隔膜が上がって胸が上がってきている状態になっているのは、よくありません。呼吸は常に丹田を意識し、胸式呼吸で胸が上がらないようにしましょう。重心を下に向けるようにしてください。(♭Π)

Q.声域を拡げるときに高音域を伸ばすか、低音域を伸ばすか、どう考えたらよいでしょうか。

A.低音域を伸ばすには限界があるため高音域を伸ばすほうがはるかに効率が良いです。
まずは自分が出せる音の高さを知ることです。
声区別では低声区:1オクターブ、中音域:1オクターブ、高音域ではジラーレ:5音、ファルセット:それ以上という具合にします。初めに自分が一番出しやすい1オクターブを中音域とし、これを基準にします。その後、低音域に進んでいきます。
この低音域はおのずと限界があるので、どの音が自分にとって最低音なのか確認しましょう。次に、中音域の最後の音からハミングで音を上に上げていきます。この音域がジラーレです。しかし、これはトレーナーと一緒にやらないと間違った方向に進んでしまうので注意が必要です。このジラーレでも出せなくなったらファルセットに移行すればよいのです。声域を拡げたいときには、共鳴部位を変化させることです。(♭Π) 

Q.高音はどう出ても出ればよいのですか。

A.声楽家は音色を追求します。よって、雑でも高音が出ればいいという考えは存在しません。そのために、テクニックを身につけ心地よく聴いてもらえる音作りをしていきます。まずはどんなハイトーンを出したいかイメージを持ちましょう。それによって発声の仕方が変わります。どうせ出すなら好まれる音を出したいものです。(♭Π) 

Q.裏声とファルセットとは、どう違うのですか。

A.「ファルセット」、「裏声」、「仮声」と定義があいまいで、人によって説明も違っているようです。
ここでは『うたうこと 発声器官の肉体的特質』(フレデリック・フースラー/イヴォンヌ・マーリング著)を参考にします。
「仮声」は声区のなかで呼ばれる名称で、音質の声のことを指します。その音質は更にふたつに分けられます。つまり、「ファルセット」と「裏声」です。以下、特徴をまとめます。

「ファルセット」・・・うその、誤りの、という意味。きわめて細かい音質で、張りがなく、声の通りが悪く、音量の変化性にも乏しい。ジラーレや中音域の充実した声に移行できない。虚脱した声と呼ぶ。(例:ひっくり返った声、ものまねで高音の声を出すときに用いられる声)
 
「裏声」・・・ファルセットとは逆に、本質的にもっと張りがあり、より強く、より通る音質の声。また、ある程度音量に変化をさせることができる。また、この声は充実した声に持っていくことができる。虚脱した声に対し、支えのある声と呼ぶ。(例:もののけ姫の米良さんの声) (♭Π) 

Q.声区について知りたい。

A.歌を歌う際に意識をしなくてはいけないのが声区の問題です。音楽には音域というものがあり、多くの歌の場合、地声の一辺倒で歌いこなすことは難しいでしょう。声区には一般的には2声区と3声区に分ける考え方があります。
2声区・・・「胸声区」と「頭声区(仮声区も含む)」
3声区・・・「胸声区」と「頭声区」、「中声区」
声区は低声区・中声区・高声区と捉えると分かりやすいと思います。つまり、音域によって声の当てる(共鳴させる)部位を変えるのです。声区と声区の間では分裂(音色の不一致)が起こるので、歌手はそれを融合させ、音色を統一させなければなりません。単に個々に声区だけ取り上げ独立させていては意味を持たず、それぞれがスムーズに自由に移行しながら歌えるようにしなければなりません。自分はどの音域で声区の融合をさせなくてはいけないか知りましょう。
原語では発声時(声帯の使い方)での区別ですが、歌い手は現実として、起きてくる声質の変化からとらえれば充分でしょう。(♭Π) 
Q.声区の溝を埋めるには

A.「優れた歌手は誰でも、その声を声区に分けることができる。つまり、ある声区のときに主として働く筋肉を、それぞれ別々に働かせることができるのである。そして、それらの機能の個々についてもまた、コントロールすることを知っていなければならない(自分のやり方、耳を通じて)。」とある本にあります。
具体的な方法は、胸声で最低音域を動かします。すると、必然的に喉頭(のど仏)が下方へ引き下げられます。これより、一音ずつ音を上げていき、喉頭が上がってくる辺りまでを胸声とします。その後、中音域では鼻腔を意識します。ハミングのポジションです。さらに高音域に入ると、鼻腔より上のポジション、「マスケラ」や「プント」と呼ばれる位置を意識します。これがジラーレと呼ばれる高音を出すテクニックです。そして、ジラーレでも限界が来ると、頭の天辺から声を出す仮声区になります。
このように声区から声区に移行する間に、声帯の状態・筋肉の収縮など生理学的にさまざまな動きがありますが、それは置いといて、トレーナーと一緒に進めながら、音や体の使い方に意識を向けて体得するよう心がけてください。(♭Π) 

Q.マスケラについて教えてください。

A.イタリア語で「顔」という意味です。英語ならマスクです。具体的には、顔の頬や軟膏蓋を意識してください。これも、共鳴を意識させるときに使われる言葉で、頭部共鳴とひとつです。鼻腔共鳴とも共通しており、鼻根部に声を当て「マスクの中へ歌う」といわれます。
この声の当て方の本格的なやり方は、声帯の中にある筋肉の本体、つまり緊張筋を働かせることです。このときは声帯は伸展させ全長にわたって声門が閉じ、振動しています。また、鼻腔は開かれており、甲状軟骨は前下方に引かれ、いわゆる発声器官が「開いた」状態になっています。
しかし、このマスケラばかり意識をしてしまうと、声帯内筋の慢性的な強調過度から、過度に「金属性」あるいは「鼻にかかった」音色の狭い声になってしまうことがあります。ただ、地声発声よりははるかに喉に負担は少ないので、ハミングから感覚をつかみ、「顔」に響かせる感覚を持つようにしてください。(♭Π) 

Q.ミックスヴォイスとは何ですか。どう出せばよいのですか。

A.この言葉も人によって使い方が違うようです。和訳をするなら、「混声」と呼ばれます。この混声という概念は、「中声・中声区」と同じものだとみなされていることがありますが、正しくは、「全声区の融合」という意味です。声区の融合の必要性は、歌い手にとって声区の分離をしたまま歌うことはありえません。声区の分離場所は、声帯内部の質量(すなわち厚さと長さの変化)関係と緊張(すなわち伸展・収縮)関係の内部的変換を実際にやりとげるのが難しいため生じます。
喉頭ないし全発声器官のあらゆる機能は、歌唱中のどの瞬間にもほとんどが同時に働いています。歌おうとする高さ、強さ、音色などを出すために、このときはこの筋肉を使い、次にはこの筋肉を使うというふうに、筋肉の機能がそれぞれの目的のために移行する、ということが行われています。
単に地声のみで歌うのではなく、それぞれ意図した音を出すために、声帯の使い方・共鳴のさせ方など、どうしなくてはいけないのか考えながら歌っていきましょう。(♭Π) 

Q.呼吸の練習をしていると、自分の肺活量の少なさを感じます。
腹式呼吸にはなっていますが、少ししか腰まわりが膨らまないのです。
力んで体が緊張しないように、吸気時はなるべくリラックスするように心がけていますが、吸い終わりは横隔膜や内臓の圧迫感を感じて苦しいです。
こつこつ練習してゆけば、肺活量は増えてきますか?
あまり無理して肺活量を増やそうとしない方がいいのですか?

A.トレーニングを始めた頃というのは慣れるまで身体に力が入りがちで、ゆっくり息を深く吸うという余裕が中々なく、お腹が前に出る、ウエストの横が広がっていくなどの実感がつかめないかも知れません。
また普段話している言語による発音、発声の意識も大きいと思います。
イタリアで学んで改めて感じたのは、日常会話をしっかり相手に伝わるように話すためだけでも、お腹から声を出さないとイタリア語は通じないんですね。レストランでも少しオーバーなくらい大きな声で注文しないとウエイターの耳まで届かないという経験もしました(!)
そういった環境の中で声が鍛えられたと思っています。
ですから急には息が身体に入っていく感覚はつかめないかもしれませんが、しっかり息を吐ききっていく、そして無理に肺活量を増やすというより(肺活量そのものは増えないので)、今の状態をしっかり見つめつつ、レッスンの中で少しずつ自然さを持って実践していきましょう。(♭Φ)

Q.地声を出した方がよいのか、地声じゃない方がよいのか、どちらがよいのでしょうか。 

A.地声が良いです。ただ、地声=太く低く割れた声というワケではありません。しゃべっている時の声、と思って下さい。また、レッスンではいろいろなトレーニングをしているので、声もいろいろ出てしまうと思いますが、だんだんと自分の声が出せるよう、がんばりましょう。(♯§)

Q.側筋、背筋、に意識して息を入れようとすると、腰が痛くなったり重くなったりするのですが、どうすれば痛くなくなりますか?
丹田を意識して、そのポイントを中心に響きを全身で捉えていく感じでは、なかなか丹田で響かせることができません。喉で響いてしまいます。たまに丹田を響かせられても、喉でも響いてしまいます。どうしたら丹田に響かせられるのでしょうか?

A.丹田に意識を集中するのはよいのですが、実際声が出るのは喉です。
丹田は支えに使い、響くのはもっと全身をイメージしたり、頭から声を響かせるイメージを持ちましょう。 (♯§)

Q.レッスンの受け方、アドヴァイスの取り入れ方を知りたい。注意することなどありますか。

A.レッスンのとき、本当はもっとちゃんと声がでるのに、レッスンの受け方がもったいないと思うことがあります。トレーナーの言うとおり、(言葉のとおり)やろうとしすぎていませんか?例えば、トレーナーに「もっと息を流して歌いなさい」と言われたりします。それで、ただ言葉のとおり「息を流す」って言われたから、と、息をたくさん吐きながら歌ったら、呼吸が苦しくなったり、のどが疲れてしまうと思います。発声自体も、苦しくなったり、崩れると思います。トレーナーが「流す」と言ったのは、他の言葉で言えば、「レガートに」とか「呼吸を止めないで」とか「勢いをもって」とかでも表現できるかもしれません。
もし、その言葉にあまりに囚われると、トレーナーと生徒の間で誤解を招くことがあります。生徒は、トレーナーの言葉をそのまんま受け止めて、言葉に忠実にやろうとしすぎてはいけません。一度、言葉から開放されて、「つまり、こんなことをやればいいのかな」となんとなく想像してみましょう。歌とは、目に見えないものだけど、それを勉強する方法で必要なのは、<感じる>ということです。トレーナーの言っている事がどんなことかを感じ、それを、自分が受け入れやすく変換して、やってみる。そうすると、言葉だけでは分からないけれど、トレーナーの言ってる意味を<感じて>いれば、うまくアドヴァイスを受け入れられてるのです。ぜひ、言葉一つ一つに過敏になりすぎず、言葉からは開放されてトレーナーの言ってる意味を感じ、それをやってみましょう。(♯§)

                            
■レッスン受講生、研究生などの声
研究生、通信生などのレッスンに関するレポート選です。


<福島英のレッスンに>

○表現という面が自分の中から消えかかっているということ。技術、歌い方、強弱の跳ね方の気持ちだけでもっていってしまっている。創造という面がない。ロボットのような歌い方であり、感情からくる声を出せていないのだ。メロディーの流れから感じられる感情をイメージして出すことが本物の思いがでるのか?といわれたら、曖昧な思いであろう。ただ外国のプロだったら60〜100%のもの世界観をだせるものを持っているはず。経験、日々の生活の中でだしている感情が歌に出ていると思うけれど、僕の場合は表現というものを日々の生活の中でだしていなかった。表現、伝えるってことさえ子供の頃は考えていなかったし、しゃべれば通じることだろうけれど、心の中にグッとくるものではない。メロディーから即興でだしている感情の歌は、たぶん子供の時にしゃべっていたことと同じなんだなってレベルの低さを感じざるを得ない。感情って自分の中に入っているものしかほとんどでてこない。心の中からだしていくことを日々やっていかないと、歌としては出せない。だからこそF先生の言うイメージが一番大切だと言っているのだろう。自分が歌う曲に関しては(発表する曲、決められたもの、CDのように同じのを歌うには)、1フレーズごとに決めた感情でだせばいいけど。毎回その日の状態・思いによって心が違うのが当たり前。(MA)

○サビを"消えた恋 すぎていった 私のあの恋"だけで歌う。サビの構成は起承転結。イタリア語?フランス語の原曲から日本語をあてはめていくと、まず、構成が同じ語で歌っているのでわかりやすくなる。あとは自分でどうしたら人に伝わるかを創りだす。これがおもしろいことだが、自分だけの独りよがりに終わっていることが多い。伝えるっていうアプローチの中でどうすれば良いか考えればでてくる。1.巻き込んで流れをつくる。2.言葉の意味からイメージを声にする。これらがあわされば成り立つ。しかし、実際僕がだしているものは、1があったとしても2でイメージしておらずメロディの音に合わせているだけなのだ。感情なしの泣き声は使っている。しかし、表情、イメージされていない。メロディーに置いていくのは当然としてしなければ当たり前のを創りだすだけでなく、冒険をするようにとんでもない言葉の置き方を探すためにイメージの限界を越えて創らなきゃいけない。枠の中からでなく、枠越えをコードの中で自由に動かすこと。(MA)

○「バルバラ」という曲を鑑賞。この曲、4年前くらいになるのかな、レッスンで使われて、「なんだこの曲、何回聴いても何処の部分が流れているのかわからない。」と、構成が全く見えずに手も足もでなかった曲だと思う。(もしかしたら記憶違いでこの曲ではなかったかもしれないが。)さて、今日は…。見える!構成は見える!!ただ、見えたのは、だいたいのブロック分けぐらいだ。こことここが同じメロディで繰り返されて、ここで新しいメロディが出てきてるなという大まかな流れだけ。覚える、自分に入るには他の曲に比べて、やはり数倍以上の時間がかかるだろう。しかし手も足もでなかったものが約4年後ぐらいに聴いてみて、曲として聞こえてきたのはポジティブに成長としようか。でもきっとこの曲でフレーズ回しをしたら玉砕すると思う。「音楽的に優れた曲だな、歌いたい!」と思えるぐらいじゃないとこの曲で自分を出すのは難しいのかなと感じた。それに比べて今日のレッスンではランダムに曲を流されていたのだが、合間に少し流されていた「枯れ葉」は、自分のレパートリーにしようとしてる途中段階にある事もあり、すごく体に入ってきた。しかしなんて自然に表現されているのだろう。自分の家で歌っている枯れ葉がものすごく幼く感じた。でも、だからといってあの感じは真似しようとしても出来ない。だからこそ価値があるのだろうけど。自分はどちらかと言うとピアフの歌う枯れ葉から盗って、抜かずに張った感じのスタイルからアプローチしていたのだが、語るように歌うアプローチもやるべきだと感じた。と言ってもどちらも真似できないしする必要もないだろうから自分の枯れ葉を完成させなければならないのだが。(YK)

○「タンゴイタリアーノ」という曲。スキット部分と最後の「タンゴ〜イタリアーノ〜♪」と叫ぶ部分をフレーズ回し。「ランラララ〜ラララララララ、ランラララ〜♪」という中にも絶妙な溜めが含まれてニュアンスが出ている。しかも声質も解放された雰囲気の音色だ。自分が出したものはなんか機械的というか何もこもっていない「ランラララ」というか。こういうスキャト部分こそ声の楽器的扱いが求められるのだという事であろう。この曲の最後の部分、「タンゴイタリアーノ〜♪」では「アー」の部分が♭しそうになった。集中力とテンションが落ちて♭する場合が多いので要注意だ。(YK)

○「氷雨」と「雪国」。氷雨ではリズムが頭打ちで均等すぎるのがおもしろくないので微妙にずらしたりフェィクを試みた。一番目立って動かしたのは「帰りたくない」の部分。「タータターターターターター」と一文字ずつ均等になっているのを、「タタタータタッ、タター」に。このことによって良い意味で言葉を飲み込む感覚、溜め、ニュアンスが生まれてくれた感じだが、あまりやりすぎるとこれはこれで「ベタ」になったり、そこだけ突出した違和感のあるものになったりするので今後もいかに自然に動かし、収めるかがテーマだ。雪国では体の必要性を体感。音源のように統一された音声で高音も体から太い音色で発するには体も響きも感覚もまだまだ足りない。自分はどうもまだまだ高低感覚で出しているような音声になっている。耳と体、両方磨いていかなければならないと感じた。(YK)

○「失われし恋」という曲を使ってフレーズ回し。最初に日本人が日本語で歌っているものを聴き、つぎに原曲を聴いて比べてみる。情感は日本語で歌われているものの方が伝わってくるが、自分は日本人なのでこれは当たり前だな。それに対し原曲の方はシンプルなのに深さを感じるというか、技術を感じさせないのに(日本人の方はどうしても技術を感じてしまう)高度というか、言葉にするのは難しいが、音楽の一部としての歌声が同化しているような感じだった。(YK)

○この曲は我々があまり体に入っていない3拍子の曲。メロディをおいかけてラインをなぞりにいかずに、いかに高低を息の強弱、アクセントで流動させ、そこにメロディがついてくるという感覚を打ち出せるかどうかがテーマでもある。聴き比べた後、原曲を中心に聴いて、まずは構成をつかむ。覚えられた、覚えられていないは別として、構成が見えた、とらえられたのはいつもより早く、一回目でとれた気がする。歌詞を書き留めたのと、聴き比べたのを換算すると3、4回流れてはいるが。
この原曲に対し、日本語をつけていくのだが、まずはこの3拍子のリズムにうまく乗せていかなければならない。Aメロ部分は2回繰り返しで後半ラストの部分が変化。特に二回目のラストが次のフレーズを決める重要なポイントになる。自分はおもいっきり次のフレーズを予感させるようにファルセット気味に真空の「気」を前に送り、次の「消えた恋」の入りは、「さあここからクライマックスに向かいますよ」というような少し計算と、感情を込めて歌の役柄に入り込めた感覚と両方起こった。しかし同じ歌詞を違うメロディにつけるという事をした時に、やはりどちらか片方のメロディに引っ張られてしまったり、まだまだ音楽として捉らえられていない事が浮き彫りになったりもした。(YK)

○部分的に聴いてのフレーズ回し。これをする事によってなんとか体に入れる事ができた。これでようやく全体像を考える段階まできたのだが、まだまだその先の「では自分は何を出すのだ」という段階までは遠かったように思う。ただ、今日の曲の解釈にもよると思うのだが、声を押して出しまくるパワータイプの自分としては(これも自分の枠だけで決め付けない方がよいのだが。あと自分の好みで自分を制限してしまうのもよくない)、曲調にあった柔らかくても芯は通っている声の使い方ができた感覚があった。
いや、どういう声でいこうなんて使い方なんぞ考えてはいなかったが、曲に合わせてそういうような音色が自然と出てきたのは収穫だったと思う。さんざんどう日本語を乗せて尚且つ自分の表現も、かもし出せるかという格闘をした後、最後にもう一度、日本語での音源を聴いたのだが、レッスン始めに聴き比べた時と全く聞こえ方がちがった。(YK)

○今日自分の出したものの幼さをものすごく感じた。なんと言おうか、「うたうたしすぎる」のだ。分析するとおそらくいらぬ所まで伸ばしすぎている事や、声を見せすぎている事、やろうとしている構成の意図などがあからさまに見えすぎてる事等があげられると思う。これは素直に「幼いな〜」と実感した。それに対し音源の方は「あ〜、なんか大人だな」と感じた。つまり声なんか見せてないのに成り立っている、無駄に伸ばしてないのにブツギレ感はない、言葉を繊細に丁寧に扱っている感覚が違う、等なのかな、と感じたが、多分当人はそんな意識なくそうなっているのだろうからやはり音楽が入りまくっているからなのかな?とかいろいろ考えさせられた。
そして、自分がいろいろやってみて創ろうと格闘した後に元の音源をもう一度聴くと最初に聴いた時に比べて聞こえ方が全然ちがってくるのはものすごくおもしろいな!と感じた。こういった「耳の開き方もあるのか!」と。「喉の開き方」がわかってきた今、次は「耳の開き方」だ!!やってやる!!(YK)

○声としてはソフトだが「動く」というか「力」が見えるように腹をすえる感じでやる。(NI) 

○音色、構成、曲の本質、よく解らない…。
「音色」という認識が最近ちょっと出来るようになりましたが、
曲の本質って…。はたして、いつの日か。(NI)

○1.昭和初期ソング聴く 
高校生の時よく聴いたので懐かしい。
あの頃はただ古いのを面白がっているだけで、細かい事は全然氣にしてませんでしたが、どの曲も凄く「力強い声」そんで基本的に「ウマ〜」。
2.最近のヤマハ系の人聴く
3.ベコーと日本人のカバー聴く
4.「キサス」の日本モノと外モノ聴く
外モノの、この何とも言えないリズムのズレが心地よろしいのです。
このノリは特にこういう楽曲だと見える。
「夏」に差があるのかしらという氣にもなってしまうほど。
いつもこの曲を聴くと「金鳥の夏、日本の夏」というコピーが、あの花火の音と共に浮かびます…。
5.「失われた恋」
時空ー自由度=そこに何を置くか?
圧縮して流れを作って、それに乗って進む。
「言葉」と「音楽」のバランス。
これはズラすとズレすぎる。
それに注意すると、地味になりすぎる…。
調度いいようにいかない。
んー。
たぶん聴かれてもちっともおもしろくない。
おもしろいって難しい、です。(NI)

○「エモチオーニ」原曲聴く(想像と違うなあ)
「美しい恋の物語」宝塚の人の版聴く
「さくらんぼの実る頃」日本の聴く、原曲聴く、原曲でやる。
3行あって、2行目をどう勝負するか?
4番までの組み立てどう作っていくか?
バッサリと切る所は切る! どうつなげていくか。
どうも上手い事踏み込めないし、膨らまない(パーツのことですが)。
全体を考えると増々、集中できない。
曲ってでもこういう仕組みだなあ。この曲は典型が見えやすい。
ブルースと一緒だな。
基本だな。
シンプルだな。
それが出来ないんだな。
困ったな。(NI)

○自然体=自分の生理→ここより無理すると癖に
自然界は全て効率よく(楽な方へ)ピントが合うように出来ている
自然をあえてぶち壊してする「表現」もある。
でも、自然がベース。(NI)

○1曲目、前半はまあよし、3つ音色。
文頭がパッと入れていない。引きずりがち。
音色の組み立て置き方を、飽きさせないように保たせる事。
2曲目、ビブラートの不安定さは微妙。
今でギリギリのところ。
調子良くない時には安全牌になるやり方が出来る曲。
3曲目、やりやすいキーでやる。
4曲目、何かもう少し入れないと成り立ちにくい曲。
4つのうち、2つ目3つ目は変える。
どっちつかずだと厳しい曲。スタンスを決める。(役者的にもっていくとか、リズムテンポUPとか)
ある程度「どわっと」出した方がやり易いかも。
1曲目の音色の動かし方を引き出しにしていって他の曲にも使えるようにする。
3曲目4曲目はモノトーン過ぎ。
それを続けていくと、飽きられるし底を見られる。超NG。
4曲が違って聴こえるように。
喉の調子が悪い日だったので、いつもより「出さなかった」のですが、それについては全く問題なく、むしろ出さない分つっぱらなかったので良かった程でした。(NI)

○平野レミさん
「歌う人」って知りませんでした。
やたらハイテンションな「料理の人」なのだと思っていた。
すごいちゃんとしてるではないか…。
やっぱ出来る人はテンション高いんだな基本的に。
「エモチオーニ」聴く 日本語&原曲
「さくらんぼ実る頃」聴く 日本語&原曲
「美しい恋の物語」聴く
先生トーク
「エモチオーニ」を即興の歌詞でやる。
ろくなもんは出てきませんでした。
何にも出てこないのだな、ショックです。
「サクランボ実る頃」を原語の耳コピで適当に歌う。
コレも悲しい結果に…。
スキャットでゴンゴン音楽になってゆく世界もあるというのに、なんて不自由な私。
メロディに対して「ニュアンス」を置いてゆく為の歌詞。
たいした言葉はいらない、当たり前のシンプルなものでいい、はず…。(NI)

○ミルバ「タンゴイタリアーノ」
「調度いい具合に動かす」というのは「当たり前の条件」なのかもしれませんが、とてもじゃないが出来ないのだった。
「正確にやる」こととは次元が違う話。
正確にだったら何度もやってたら、そのうちそこそこ合う。
そういうんと違う。
例えばこの感じ。
一番最後の「イタリアーノ〜」の「ノ」の尻の切り具合。
出来ない。
上等の人というのはココが私の感覚より、いつも何ともいえずちょっと早い。
ほんの少しだけ、のめって切り上がる。
そこが凄くいい!のです。
コレをただ時間にしてちょっと削ってみても、ちっともそんな風にはならない。
マネにもならん。
楽器をやるととてもこの感覚が増幅されて目立ちます。
私は楽器が苦手で何をやってもヘタクソなんですが、それもコレが全然ダメだからです。(他にも理由はありますが)
上手い人はジャストよりも実に上手くズラす。
もちろん計算通りにです。
何かしらんがカッコ良く出来る人はサラッとやる。
「洋楽好き」って人が多かったな今思えば。
何故か「ピアノやってる人」はダサイ目の事する人が多かったよな氣もしますが、それはジャスト過ぎだったのでしょうか。
どちらにしろ私はいつもダサダサでした。
ああ、ダメだ…と、とても落ち込むところの差です。
ガックシくる。
だから私は楽器はやらないのです。
歌も同じ、なんでしょうけれども…
その差の出方は多少マシなんだと思いたい。
だって、今更またガックシしてみても始まらないのですもの。
なんとかしよう。(NI)

〇今までライブ等で何度も歌ってきた曲の為、展開やフレージングも全体的に安定しているが、言葉を聞かせたほうがよいところなのに流れてしまっていたり、所々改善すべき点がある。次のライブに向けて、さらに細かいところをチェックする必要を感じた。
(HR)

〇一番のサビの前半ぐらいまではボリュームも抑えて繊細に歌い、その後少しずつ強い表現になっていき、ボリュームも大きくなっていくのだが、完成度としては最初の静かな部分の方が断然優れている。この曲の中で、その優れた部分の割合を増やす為に、不自然にならないような構成や編曲を考える必要がある。(HR)

○“昭和ひとり旅”を歌う時の感覚で感情を込めて歌ったが、サビ以外の状況説明の部分のボリュームが上がってしまい、全体的に一本調子になってしまった。Aメロは歌わず語り、サビは伸びやかに歌う、というメリハリを意識しなければいけない。小さい所に目が行くと全体が見えなくなり、全体を見ているだけでは細部が疎かになる。だが、全体が見えているほうがまだ間が持つはずだ。(HR)

〇“捨てた/故郷と/あの人の/甘く/酸っぱい/懐かしさ”といった風に、気持ちを込めやすい単語が続く為、感情表現のトレーニングに良いと思い、選んだ。また、できる限り演歌っぽさを抜こうとも思った。
感情表現に関しては、曲が壊れない範囲でそこそこ出来ていると思う。ただそれが今の限界でもあるので、壊れるところまでやって、最終的に収めるという流れにしなければいけない。
演歌っぽさを抜くという点については、シンプルなフレージングを心掛けたものの、歌詞やメロディーの特性上、それだけでは演歌ぽっさは抜けないと分かった。やるならば、抜くというより、壊さないといけない。(HR)


<トレーナーのレッスンに>

○「パ」行と「マ」行のトレーニングで破裂音になると声があさくなるので注意が必要。
・唇をブルブルしてから声をだすと、引っ掛かりがなく前に出て行きやすい。声が固まりになってでていく感じです。
・長い文章を読んで、無声音になるところが多く、母音がなっていない抜けるところが多いと指摘を受けました。いつも注意されることで、文章がながくなると言葉一つ一つに向ける意識が薄くなるのか、弱点がより浮き彫りになってしまいます。
・ゆっくり母音を鳴らす練習ともっと早口で口先だけで唇より前で、ペチャペチャと浅い声も出していく練習をやっていかないとバランスがとれない。
読み間違いがちょっと多いので文章の先の方も目に入れておくようにして読むように気をつけたいと思います。 (IZ) 

○最初は、息の量を大きくしたり小さくしたりすることで、声の大小を作るトレーニング。
自分にとってはかなり難しく、なかなかできるようになりませんでした。
ただお腹をへこませるだけになってしまったり、ノドで無理矢理声を絞り出したりするだけになってしまったりで上手くいきません。

なぜ、息でコントロールするのか?
声帯を動かすためには息が必要。息を送るということは声帯の振動数を多くすること。
だからただお腹を凹ませるだけでは息を送ることにならず、声帯の振動数も変わらない。
結局、長く息を吐きながら息の量を変えることができず、まずは最大の息の量を一度だけ瞬発的に出す訓練をすることになりました。
それでも、なかなかできるようになりませんでした。

なぜできないかというと、呼吸・声帯・共鳴の3要素のうち、声帯がまったくダメだからだと指摘されました。
ベースである3要素ができていることが基本条件だがまだ揃っていない。
また、「鳴った声を共鳴させる」。これもまだきちんとできていない。

その後、様々な方法で試しましたが、何度か「今のはOK!」と言って頂けただけでした。
これも偶然にできただけで、まだ身体できちんと理解してできたものではないため、的確なレポートになりません。(NR)

○ハミングで「ン〜」と声を出し、息の量を変えることで声の大きさに変化を付けるトレーニングから。
次に、ハミングの「ン〜」に続けて声で「あー」と出し、息の量と声の大きさに変化を付けるトレーニング。
「息が回転するように。円を描くように。押すのではない。息漏れがある。ムダな息を使わないこと。
 喉仏を下げる。息を飲み込むように。前に出すと言うより中に入れるように。後ろに引っぱる。」
次はハミングなしで、「あーえーいーおーうー」。
「いー」は口で「い」と言ってはダメ。奥で言う。声帯を使う。「いー」で横に広がらない。
まだ、どうしても「ハァー」と息もれがある。
もっとハッキリと発音する。
自分の最大のフォルテを決めたら、そこを基準にする。(NR)

○とにかく、先生の発声される音を自分で真似て作るのは、私には非常に難しく、どうしたら良いのかほとんど分からずに終わりました。
まだ息の量が少なく、長時間、息を均一に吐き続けられないなど、基本的な能力が足りないので普段から基本のトレーニングを積み重ねないとダメなようです。(NR)

○声優入門 P.159「結婚披露宴 両親への手紙を紹介する」「結婚披露宴 両家代表の謝辞」の朗読。

次に早口で同じ文章を朗読。
『本を見ながら読んでいるからか、目線も声の行き先も全て本に向かってしまっている。
本を見ながらでも、声は外に出ているという意識を持たなくては行けない。』

先生の発声を真似して、「何も考えずに大きな声を、外に出す」という訓練をしました。→『ノドが痛くなるかもしれないが、一回そういう状態を作らなくてはダメ。
ノドを痛めたり壊すことを恐れながらトレーニングを受けてはダメ。
なぜかというと、ノドを壊したことのない人にノドを壊すなと言っても、それは無理。壊したからこそ、壊さなくすることを考えるようになる。長持ちする発声を考えるようになる。』

喉仏を下げる練習。
喉仏を下げて息を吸うと「ゴォ〜ッ」という音がする。
また喉仏を下げて発声することについて教えていただきました。(NR)

○声優入門 P.158〜159「結婚披露宴のスピーチ」の朗読。
長文を読みましが、だいぶノドに負担がかからなくなってきました。
「フォルテで発声することが苦手なようなので、それを克服する訓練をします。
 声が裏返っても気にしないでよい。
 歩き回りながら大きな声で読んでください。現在、身体に力が入っている。
 歩き回ることで、力が抜ける。」

「朗読をしているとき、顔の筋肉が固い。
 口の周りを大きく動かすようにして、早口で読んでください。」
「だいぶクチャクチャ感が減ってきました。
 でも、もっと大袈裟に顔を動かしていいです。」

声優入門 P.70 言葉のトレーニング <2音>
「早く、フォルテで、顔をしっかり動かして読んでください。」
「犬の散歩の後の呼吸で発声。発声の瞬間、腹の下の方をきちんと凹ませる」

レッスン後の感想。
100%の音量で発声すると、まだ、しばらく声がかすれます。
だいぶ声を出すことに慣れてきたようなのですが、最近、停滞感を感じています。(NR)

○「50音口慣らしのトレーニング」 (「ハ」行と「ザ」行)では、ひとつひとつのフレーズ(かたまり)はもちろんのこと、最初から最後まで声が均等で、乱れないこと、を意識して読んでみた。1回目のときは、良い声云々よりも、とにかく、この均等で、乱れないこと、を優先した。先生からは「喉が上がり気味」とご指摘をいただく。歌を歌うときの感覚を意識しつつ2回目。1回目よりも、なめらか、というか、無駄がない感じで声が出た。
・イの母音で、喉が上がり気味になって、声が浅くなりがちとご指摘いただく。変に良い声を出そうとして、余計なことをせず、普通に出してみると良い声が出る場合も多い、とのこと。
・「競馬さつき賞」。まず、このレッスンで録音したものを後で聴いてみると、タドタドしいのは仕方がないとしても、声そのものが何となくイヤな感じであった(少なくとも、実況として聴いていたい声ではない)。
1.喉を下げて深く
2.語尾をていねいに扱う、ようご指導頂く。実際、意識してもう一度読んでみると、かなり、なめらかで、喉への負担も少なくなっていることが実感できた。(SD)

○イメージを変えるためにため息を混ぜたりして大きな変化を試し、直していかないと難しい。喉に少なからず力が入っているのが何もできない原因。だからまずそこを直していく。Mumのエクササイズでひたすらさらに息声で喉を下げた状態での絶対下げるための補助。自分の声がどうなっているのか?改めて聞いて確認をしていく。違和感がないか?しゃべりのままなのか、それとも別物になっているのか?違いをわかる耳を手に入れなければならない。音程が高くなるにつれ、しゃべりの声のままなのかがわからなくなる。だから、ハイの1オクターヴ上げでマスターしていくことだ。(MA)

○声帯が蓋をして声は出る。高い所は蓋に圧力がかかり易い。
「ぷるぷる」「たらららら」「ヴー」「ズー」などは声帯が半開き状態になる。
この負担が少ない状態(声帯が自由な状態)を使って「真っ直ぐ」の練習をする。
声帯に圧力をかけすぎると無駄にまわりの筋肉を使う。
まわりの筋肉も手伝わしてしまう事になる=押す、閉める
この力はいらない、外す。(主役の声帯が伸びない原因にもなる)
物足りないかもだが外す。
「喉声」に聞こえる声も「息を逃がしている声」だったりする。
だから痛めないのですね。(NI)

○3種類のハミングを連続で。mとnとng。hをつけてham〜、han〜、hang〜で発声。mでは鼻から眉間、nでは深い背中から後頭部へのライン、ngではnとmの時の両方の要素を感覚した。しばらく連続で行ったのだが、続けていくにつれてmの時とnの時の区別がつかず同じ状態になってしまったのでまだまだどちらの感覚も体に定着していないのかと思う。ハミングは力むことなく体の空間、響きのポイントを感じやすいのでもっとクオリティをあげてハミングだけでもシンガーと思わせるような高密度なものを出せるよう深めなければならない。次に唇を震わす「プルプル」と巻き舌の「ドゥルルル」。ある高さまでくると自然に頭声からファルセットに切り替わる。この二つのエクセサイズでは力技では成り立たないので声の柔軟性を養うのによい。
これを腰をまげて、また起こすという一連の運動の中でやる。頭だけや肩だけ曲げないよう、しっかり腰から前屈するように意識。一番腰を曲げている状態の時に最高音がくるようにして、腰を起こしながら低音にもどる。これをすることでより喉の意識を外す事ができた。いつもは「プルプル…」が発声の途中で途切れてしまう事があったのだが、今日はしっかり最後まで呼吸が流れてとぎれなかった。フォームがきちっと定まってきたくれたのだと思う。引き続き、柔軟性を養うための基礎としてやっていこう。(YK)

○個人で歌唱。意識として出だしは語るように入り、サビでは感情を爆発させるような意識。出たものはスタンスに近いものが出た感覚はあったが、こういうスタンスで陥りやすい、「雑さ」も目立った感覚も。語尾で収めきれない等はもはや技術ではなく、意識レベル、集中力の問題。コメントでは「情熱的に歌い上げるのはいいのだが、『声の押し出し』も見えてしまう。」という事を。そこで今日のレッスンの課題として声量や感情的に声を出したという自己満足的な要素を捨て、いかにスマートに成り立たせて聞き手の耳に入りやすいかという事をテーマに。こう歌えという事ではなく、課題として。いざやってみるとやはり不自由さを感じて難しい。
逆に言えばいかに普段、表現力の無さを声量や勢いまかせに負っていたかという事。著書にもあるように音響が発達してマイクを前提としている時代。今日のレッスンでは声にたよっている自分が浮き彫りに。しかし今日のようにピンポイントの声立てのままトークレベルでの自然さをねらう歌唱でも体の支えと集中力は必須である事を確認。また、高音を声量を落として出すにはよほど基礎がないと無理で、呼吸レベルでのコントールと響きの柔軟性が求められる事も体感できた。後々もっと自由になれる為にも今日のような不自由なスタイルをやる事によってキャパシティを広げていく事が大切なのだと感じた。本当に追求していくと底が無い世界。このようにキャパシティを広げていく事と、逆にスタンスを定める、決めてしまう、今のキャパシティの制限の中でベストパフォーマンスを出す事の両方が必要であり、混乱しそうになるが、最終、「オレはオレ」という境地に辿りつけるよう頑張りたい。(YK)

○レッスンで特に感じたことに歌詞の内容を深く読むと言うことと詩の内容を色々な角度から読んでみる。そのときの自分の心の変化に注意する。
詞の世界に入った自分の気持ちをずっと維持する。これがとても難しく集中力を少しでも抜くとすぐに歌にでてしまう。集中力、緊張感を保つのも体力で歌い疲れてくると歌ってしまう。息を流しながら言葉(特に自分が伝えたい言葉)を大切にする。福島先生からは言葉を超えて一文字の大切さに気付かせてもらいました。
一曲を歌うとき、気を入れて大事に歌う箇所と集中はしているが流すところがある。私の場合、大事に言葉を言いすぎると先に進まなくなるので、話し言葉感覚。息を流し続けることをわすれてはいけない。(UT) 

○まず最初に、発声で「ま」と「め」を近い形で出せるように、「め」を「ま」に近い形で発声できるかの確認をしていただきましたが、「め」が浅くなってしまうのが顕著に現われてしまいました。なるべく全ての母音を「あ」と同じような形で発声したいのになかなかうまくいきませんでした。普段から積極的にレッスンに取り入れ、どんな母音でも深い感じで発声できるようにしたいと思います。
(SH)
 
○とにかく滑らかさがないと指摘され、今回のレッスンまでひたすら息の流れを意識しながら練習して来ましたが、練習の甲斐あり、だいぶ滑らかになったと言っていただきました。今回のレッスンで、良い意味でもっと適当に歌って良いと指示されました。外国人歌手も、言いたい、伝えたい言葉をしっかり歌い、あとは流すように歌う人は多いとの事でした。確かにその方がメリハリがあり、聞いている人にも気持ちが、伝わりやすいと思いますが、良い意味で適当に歌うというのは、力まず、意識し過ぎないことが最重要だと思うので、実感できるようになるまでかなり練習を必要とすると思いました。(SH)

○一つ一つの言葉をはっきり発音しすぎて流れがないような感じになってしまっている、さらに言葉を大事には歌っているけれども逆に聞きづらい歌になってしまっていると指摘されました。もう少しサラッと歌う感覚がほしいと指導されました。この歌はメッセージ的要素が強いので、変に力が入り過ぎていた事を自覚させられたレッスンでした。特にガンガンに歌ってない時(サビ以外の時)に力が入り、極端に流れが悪くなる事が自覚できて良かったです。
(SH)
 
○毎年、今時期から夏頃は湿気も多く、私としては声が出しやすい時期であります。高い声も安定して出る感じです。しかし、高い声が出やすいからと高さばかり追求してしまうと、どうしても浅い声になってしまいます。私の場合、力を抜いて声を出すように心掛けているので余計にそうなるのかもしれません。しかし、やはり基本は下から声を出すという事なんで、高い声を出す時でも力は抜きつつ、常に下から声を出すイメージを持ち続ける事が大切なんだと最近改めて実感しております。(SH)

○深くとっていく所と、サラッといく所の「メリハリ」が必要。
まきこみってやつだな。
言葉の(音符の)全部の点を深くしていかないこと。
なんにしてもバランスを常に頭にイメージしなきゃダメです。
いろいろいっぺんにセット出来るようにならんとなあと思います。(NI)

○身体を使った上でボリュームを抑える=ソフトに深い声
高い所がテンション低いので、意図的にしっとり歌っていても、気持ち的にはアゲアゲで行く。
テンションは高めた上でソフトに高く歌う。
「高い所歌ってるな」と客に思わせない。
「簡単な曲歌ってるやーん」と思わせる。
そしたら後は内容を聴いてくれる。
「難しいのかしら」と余計な心配をさせない事。はい…。(NI)

○現在の最も大きな課題は感情表現であり、今回は感情表現の強烈な歌手の曲を使って、その感覚を少しでも取り入れようと思った。結果的に、今までレッスンで歌った中で、最も素直に感情表現が出来た。
ひばりさんの「昭和ひとり旅」は、本人のライブ映像を何度も見て、毎回泣いてしまうほど感動させられたため、そこで吸収したことを元に、他の曲よりも豊かな感情表現をすることができた。「恋はコメディー」の方は、美輪さんがやってるように演劇的に大きく表現しないと全く意味が無い曲のため、どう感情を表現するかということに迷う必要が無かった。
今回はフレーズではなく、感情表現をコピーした形になったが、この感覚を他の曲を歌うときにも保つ必要がある。(HR)

○自作曲の方が、簡単な曲の為、テンションを維持して歌い通せた。「昭和ひとり旅」の方は言葉が少なく、伸ばすフレーズも多いため、余裕が無くなり、歌の世界に入ったり出たりしてしまう。一流の人の歌を聴いて、自分も歌いたくなるような曲ほどに、気をつけなければならないということだろう。明らかに難しい歌は歌おうとは
思わないのだが、表面的に簡単そうな歌ほど、真似しようの無い巧さが隠れている。
この「昭和ひとり旅」も、自分のライブで歌ってみようと決めて練習すればするほど、カラオケ的なものから抜けることの難しさを感じる。ただ、自分の作品として本当に出せるものになる気はしないが、自分なりに歌おうとする過程で学ぶことは多い。何より、ひばりさんがそう歌った意味が聴くだけより良く学べるし、一流との差
が身に沁みる。(HR)

○2日後のライブで歌う曲を歌ったが、本番が近いことで、まとめようとし過ぎてしまっていることに気付いた。もっと生々しくてパワーがあり、インパクトのあるものをやらなくては意味が無いのだが、それとは逆の方向に行ってしまっている。まだ時間はあるので、これらの歌で伝えなければいけないことをもう一度思い出し、表面的に歌ってしまわないようにしたい。(HR)

○久しぶりに歌ってみて感じたのは、以前より気持ちが込められるようになり、音楽的なうねりをイメージしながら歌えるようになったが、一つのフレーズの中で息をプツプツ切ってしまっている。特に、“送られてきた/あの日よ”“それが/あなたの花
““赤いバラは/愛の花”等のフレーズを、詞を聞き取りやすくしようと毎回斜線部分で切ってしまうと、それこそ聞き取れるだけの曲になってしまう。
息を流し続けながら、もっと内面的な変化によって、詞の内容を聞き取りやすくするべきなのだろう。(HR)

○最近歌っている自作曲や日本語の曲に比べて、フレーズが長く、普通に歌っては息が続かないため、ボリュームをかなり落として歌った。キーも低いため、サビに入ってもボリュームを上げられず、「こんなんでええんかな・・」と思いながら歌ったが、ふと成り立ちそうな瞬間を感じて驚いた。ボリュームを変えれば展開するものではないと頭では分かっていたが、体感したのは初めてかもしれない。考えてみれば、メロディーの優れた一流の曲を歌うのだから、素人の自分が下手に加工しようとすると質が落ちるのは目に見えている。
だが、そう感じたのはサビの1フレーズ目だけで、次のフレーズに入ってからはそう感じられなかった。フレーズの間でテンションを落とさないことが必要だが、そのために力んで息が浅くなってしまってはいけない。結局、力まなくてもできるよう、体で覚えるしかないということだ。(HR)

○テンションを保ちながらフレーズを次に繋げていくことを意識していたが、全体的に重い。今までは気持ちを込めるために、フレーズの頭にアクセントを置いて、その後を巻き込んでいくようなフレージングで歌うことが多かった。そのため、テンションを上げると頭にアクセントを置いてしまうが、この曲はフレーズが長いため、それではうまく次に向かって高められない。また、キーが低いため、ボリュームがある程度以上上がらないことで、さらに単調になってしまっている。
録音したものを聴いてみると、自分で練習していた時より最初からボリュームを出してしまっている。必要なのは、より繊細にフレーズを描く感覚と、ボリュームが小さくてもダイナミックさを保てるような躍動感。もっと曲を体で捉えなければいけない。(HR)

○以前レッスンやライブで歌った時は、とにかく感情を込めることを目標にし、意図せず声が震えることも良しとしたが、今回は感情を込めることに加えて呼吸を常に深く保ち、音楽的な躍動感を失わないことを心がけた。最も大きな課題は、出だしのテンション。歌いだした時ではなく、歌う前に世界に入っておかなければいけないが、歌が進むにつれ徐々に歌の世界に入っていくというような状態だ。「どう歌うか」というイメージは大体できているので、歌いだせば迷わず最後までいけるが、「どう歌い始めるか」ということに対するイメージも忘れてはいけない。(HR)

○フレーズ間のテンションの切り替わりを指摘されました。
曲の場面や構成は考えてきましたが、それをさらに深めて表現していくことが必要だと思います。
テンションを上げるのが重要なので、表面的な歌い方の部分だけにならないよう気をつけたいです。
小さなところほど感情をこめて、テンションが高まったからといって、安易に大きな声にいかない。
場面の転換に向けてテンションを高める。
歌詞の解釈をもっと深くすることも課題です。
詞の裏側にある心情を理解できるようにしていきたいです。
そういった感性を高めるということで、少しずつ小説などを読んでいます。
感性を磨くものをどんどん取り入れていきたいです。
そして、もっとプロ意識を高めて音楽をしたいと思います。
振り返ってみると甘い部分が多々あるので、もっと真剣に取り組みたいです。(IY)

○前回のWの息を吐きすぎない歌い方で行う。
keyをAに落とした時は、余分な力が入らずいい感じだった。B、Cに上げると喉に力が入ってしまう。
サビでは特にそうで、息を吐かない様にって思うと、喉だけで頑張ってしまう。
高い音域では、今まで通りある程度勢いで、余計な事は考えずやった方がいいかもしれない。
Aの母音、Fの子音、Hiが息もれする。Uも吹いてしまう事が多い。(HY)

○まず地べたに座り、足を広げて柔軟体操の状態での呼吸。まず感じたのは「体固っ!!俺ってこんなに体固かったかな?」と。もう少し若い時はもっと柔らかかった気がする。そういえば息トレ、筋トレはずっと続けているが、柔軟はやってないな。体が凝り固まっているなら毎日少しづつでもやるべきかなと感じた。今日はその柔軟体操の状態で右足に前屈した時に息を吐き続け、真ん中にもどした時に息を吸う、そして左足に前屈した時に息を吐き続けるという事を繰り返した。きつい。体が固い事もありすごく体に負荷がかかる。ポイントはやはり吸う時に上半身で意識的に吸い込むような意識にならない事。カパッと下腹部内部が開き、入ってくるような感じ。次に四つん這いになり、息を吐く時に徐々に背中〜腰を上げていき、吐ききったら、吸うと同時にストンッと腰を落とす。これも同じようにポイントは「吸う」という行為が「瞬時に入ってくる」という状態になるようにする事。ひき続き体に覚えこませなければならない。これが意図的ではなく、ステージでハードに動き回っている時や、言葉の詰まっているようなフレーズ、一瞬で息継ぎしないとリズムが崩れるようなフレーズの時に自然に行われるようになるためだ。それが声の安定性、コントール力にも繋がると感じる。(YK)

○ちあきなおみさんの「喝采」という曲。題名はなにか見覚えがあるのにメロディを聴いても知らない曲だった。出だしからかなり低音なので、声でもっていこうとすると、失敗する。いや、低すぎてそれは出来ない。なのでいかに感情移入し、テンションをそこまで高め表現レベルまでもっていけるかが勝負だ。(キーを変えればいいのでしょうけど、今日は与えられたキーでやったのでその中で自分の呼吸に合わせてベストなものを出すしかない)スタンスとして、「言葉を抱きしめるように」、「本当にしゃべっている中で感情が出ているように」という事を試みた。結果として自然に語れたような部分と、芝居がかったような目に見えすぎたような部分が半々ぐらいだったように思う。その芝居がかった部分というのは歌詞の内容、言葉に馬鹿正直にもっていかれたとでもいいましょうか、例えるなら「苦しい」という言葉をそのまま苦しんでいるような感じで出すみたいに。いや、それはそれでわかりやすいので伝わる事もあるかもしれないが、安直に感じてしまうというか。(YK)

○今回は言い方、言葉のアクセントよりも声のトーン、音色で伝わるようなものを出したかったという事です。なんにせよごまかしや飾りのつけにくい低音での歌唱は良い課題になる。今日は低音歌唱でメリハリをつける事の難しさ、声でもっていけない分、繊細に表現する事がいつも以上に求められるという事、極度のテンション、集中力が必要であるという事、こういう部分は特に当人の「声そのもの」の魅力があればかなりの強みになるという事を実感した。力まかせに雑になりがちなスタイルの自分にとってどこまで突き詰めていけるかがこれからの課題だ。(YK)

○今日はかなり久しぶりのレッスンで、発声も歌もボロボロだったけれど、終わった後、来て良かったという気持ちになることが出来て、本当に良かった。もう一度初めから、発声と呼吸を中心にやり直していきたいと思う。(SA)

○発声練習の時、先生に「声を遠くに」「重心を少し下に」「臍のした辺りから声が出ているイメージで」「遠く遠くに」とアドバイスを頂いたのだけれど、トレーニング不足で、アドバイスを意識するだけでも息を吐くことやお腹まわりが苦しくなってしまった。呼吸のトレーニングは種類もたくさんあり、いつもトレーニング前から、
「ロングトーンのメニュが良いか」「普通に息を吐く方が良いか」「腹式呼吸の回数をこなそうか・・」と、あれこれ迷ってしまうのだけれど、先生が会報でおっしゃっていた様に、いろいろと試していく中で一番自分に合っているものを見つけて、それをトレーニングしていくようにしていきたいと思う。(SA)

○ずっと同じテンション・メリハリ・テンポで最後まで歌っている様な感じがあり、気になって良く聴いていたら、だんだんと船酔いした様に気分が悪くなってきてしまった。なので、「声を遠くに」ということを意識しながら、メリハリを心がけて歌うようにしたのだけれど、やはりなかなかフレーズごとに気持ちに変化をつけることが出来ず、ボリュームを意識しすぎたためか、今度は「一
人 朝まで 歩く〜」の「く」、「愛しても 思い知らされる」の知らされるの「ら」、「あの人 何も 知らない だけど〜」の「ど〜」など、大きくしたら言葉が伝わらなくなってしまう所ばかり、大きくなってしまった。歌詞は、たった一文字でも言葉の大きさが変わることにより、言葉の意味が変化したり、伝わらなくなってしまうことがあるので、声は大きく保ちつつも、繊細に扱っていけるように、息や声のコントロールもしっかり出来るようにしていきたいと思う。(SA)

○まだまだリズムが遅れてしまう所があったり、(「幸せの 世界に 縁などない」の所など)初めの「一人でも二人だわ」の「だわ」の音程が不安定で、外れない様に意識しているのがフレーズに出てしまったりすることがあるので、音程やリズムの不安定さも、取り除いていくようにしたい。
後半は、重心を意識する為、足を前後に少し開いた形で歌うことをやった。
息が長く続かず、すぐに浅い声に戻ってしまい、先生からも「声が浅くなるので、深い所から出す」、「ふんばりが効いていない」と指摘を頂いたので、レッスンでアドバイス頂いたことや、足を前後に開いて重心を意識する歌い方を練習に取り入れて、時間をかけて少しずつ、深い声を歌の中で保てるようにしていきたいと思う。(SA)

○全部「ズー」で歌ってみる。
半分くらいしか声にはなってないが「この状態」が「真っ直ぐ感」。
「ズー」を「子音」に置き換える。
これ以上リキまない所で全部やる。
「通り道」「真っ直ぐ感」を優先で。
「子音」=「息声ちっく」を使って真っ直ぐ感を作って行く。
音楽を壊さないように。
泣いている音も混ぜる (NI)

○重要な箇所へ息をおくる。流れの変化。
一拍目に強い流れが来る事が多いので、その変を意識してみるとまとまりやすい。
日本語で歌う場合も身体には音楽的な流れのアクセント(リズム)を入れておいた上で、日本語に集中する。
フレーズの山の部分だけじゃなくて、その「山に入る前」からの流れ を意識できるように。
ボリュームを減らしても流れは減らさないように。(NI)

○どうしても、引っぱったり押したりしている。
知らぬ間に、無意識に力が働く。とっても根深い…。
あくまでも「喋っている所」を忘れずにいる事。
今はひとつひとつフレーズを細かい単位でバラして、修正していかないと出来ないですが、いつかもっと身体に馴染んだら、もうちょっと自然に出来るんだろうか。歩みはのろいです。(NI)

○はじめの発声の音色が前に比べて統一されてきたようだ。
低いところから高いところまで、前は音色が変わっていたが、今は一本でいけてる感じ。
今度は、それでフレーズの後半に息を強くしていくイメージでやる。
後半のヴォリュームを上げたいわけではなく、単に後半のほうが息がなくなっていくわけだから、少しずつ頑張っていって丁度フレーズ全体に芯が通るということだ。
そのイメージでフレーズを、曲でも言葉でもおなじようにつくっていく。
発声ではそれは結構良い感じだといわれたが、「愛は限りなく」を日本語でやってみるとやっぱり自分がやりたいようにやってしまっているということだ。
母音でやったその後半のイメージを、言葉でやっても変わらないようにする。
また、姿勢が揺れる癖があるのできをつける。
後ろに重心を置くと支えがなくなるから、前で踏ん張る。(KA)

○「息もれしない様に」顔の前にティッシュを下げて、息でティッシュが揺れない様に行う。
これがなかなか難しい。最初は、吹き飛ぶ位の息が出ていた。吐かない様にすると、どうしても喉で息を止めたり、コントロールしようとしてしまう。あくまでおなかでコントロールする様にしていくこと。
やっていて、喉の内圧が上がるというかなんか変な感じだった。
自分では出している声も変な感じに思えたが、聞いている側からはそんな感じしないらしい。
後で録音を聞いてみると、多少の違いはあったが自分で感じていた程の差はなかった。
今やっていることでそのままやるのは難しいので、少し簡単なものをゆっくりやるところから始めたい。(HY)

○拍の数え方(左手薬指から親指)
・音が下がってまた上がる時は、その音より少し高めにとる。
・休符の後は、音が下がりやすいので、気持ち高めにとる
・出た瞬間の音を自信もってしっかり出す。(迷わない)
・(低いド)上に出す感じ(鼻の上辺り)。
(よかった事)
・やってる時にフラットしたのが解ってなかったが、録音したものを聴いてみて、指摘されたところの違いを聴いて理解できたので何とかついていけそうです。
・自分的には初回から細かいピッチを指摘してくれたので、やりがいを感じました。(楽しめそうです。)
・思ったよりスローペースだった。(自分の問題だが・・・)今日のレッスンを踏まえて、予習の仕方を工夫してしっかりやっていきたい。 (NZ)

○声は割と出てた方だったと思う。スタジオの響きが良かったせいかもしれないが、響きにはまってた感覚はあった。
音もずれる事は少なめだったが、音階を間違える事が多かった。
リラックスしすぎて集中力に欠けていた。
また、音がピアノと少しずれているとき、歌っているときに気付かない事が何度かあった。
録音を聞き返してみるとはまっていないのが分かるが、歌っているときに気付けるように神経を集中させたい。
ただ、はまっていない音とはまっている音の差が、わずかなんだけどすごく違って聴こえたのは成長かもしれない。
以前は全体的にどこか気持ち悪いという感じだったが、今日のは、はまっている音は、はまっている。
だからはまっていない音が結構はっきりしていて、少し油断するとこんなにもまずいことになってしまうのかという厳しさを感じた。
あごはひく。下半身はただ思い切り良く息を送る。口元や喉で音をとろうとすることが減ってきたので流れも普段より良かったように思う。(KA)

○イエアオウオアエイ→そんなに口を開ける必要ない。
母音を統一させるためにやる。
・自分の声を聞こうとすると声がこもるので前に出す。(クセ)
・音が高くなるほどノドは下げるイメージ。
・高い音はノドを絞めて出すのではなくノドを開いてお腹で支えて出す。
・アゴ周りを柔らかくする→アゴ回し。
・お腹も硬いからストレッチ。
声が自分の声を聞こうとするとこもるので気をつける。前に出す。
高い声を出そうとするとノドが締まるのでハミングで低い音から練習していこうと思う。土台を作る。
ノドを開く練習をしようと思った。(SO) 

○インテンポで歌うとぶつ切りになりにくい。
・3メートル深くイメージを持つ事
・喉仏が下がった状態=しゃべっているのと同じポジション。
・抱いている赤ちゃんに聞かせるように歌うという感覚。
・音域が上がるほど支えは低い位置に。
・ささやくくらい、無声音になるくらい歌に表現をつけることを他の曲でもやっていこうと思いました。
・ 繰り返し歌って頭で考えなくてもポイントポイントを抑えられるように。(AD)

○ローソクの火を吹き消すイメージをしながら、息を吐くトレーニングで体の中に一本のパイプが通っていて、そこを空気が通っている、ということを感じられるようになった。
今まではノドから声を出す事しかしていなくて、苦しいと感じることがあったが、ノドの奥にさらにバックボーンがあると思うと、心強く思え、歌うことが更に楽しくなった。
体の中に一本パイプが通っていて、そこを空気が通っていることを感じられるようになった。鼻の奥を開けて声をだすことも意識できるようになってきた。(YD) 

○スーッと息を吐きながら、首の後ろを伸ばすストレッチ。
・姿勢をよくするストレッチ(胸の前で手を合わせ、開いておろす)
・肩をブラブラ、リラックス。前屈して、1、2、で吸って吐きながら戻る。
・吸うときは腰の後ろに息が入っているかチェック。
・声を出すとき、頬と鼻腔に響かせる。そこから音が前に出すイメージ。
・声を出すときのイメージ...サッカーのスローイングのイメージ
・ハミングをやる(口を閉じながらUで)
・スーとやるのは息に声を乗せるための準備。
ノドの管理をしっかりしようと思った。
息を少し深く吐けるようになったけどそれを声に出来ない。そして息を無駄にだしている。
スーと息を吐くとノドに力が入っているような感じになる(ノドが痛いからそのせいかも)
課題→ノドを使わない!→そのためにリラックス。(SO) 

○「イ」は口笛を吹く感じの口にする。
「ウ」は浅くなりがちなので「オ」にして歌う。
歌詞の意味を確認しながら歌う。 
新しい発声法。オ→ホッ→オ→ホッ。
鼻で息を吸いお腹に落とす。
お腹のたての筋肉を使う意識。(MR) 

○無意識に悪い姿勢になって首が前に出てきてました。
これは普段から気をつけないと治らないと思いました。
仕事でパソコンを注視するとき、また歩くときなど、気をつけていこうと思います。(OA)

○発声練習の時、語尾の処理が弱いことを指摘していただきました。
特に「い」「え」母音は息が漏れて弱くなりやすい事に気づきました。
呼吸が浅いと指摘を受けました。そういえば吸気をあまり意識して歌っていませんでした。
ブレス時、背中までしっかり吸うと、フレーズ最後までしっかり歌えました。
またスタッカートでのスケール練習でも、しっかり吸うことで高音も強く発声できました。
課題は、姿勢の矯正と、口のフォームを横開きにしないよう気をつけることです。
また、日々呼吸の練習をし、吸気を深くしてゆきたいです。(OA)

○首の骨格が前に出ていて、姿勢が悪くなりやすいのですが、気をつけることでじょじょに治ってきたようです。
ブレスの時首が出ることは指摘していだだくまで気が付きませんでした。
発声練習の時、やはり肩や首に力が入りますが、リップロールをしてから発声すると、力が抜けて発声できました。
レガートで、しっかり母音を出せるようになってきたかなと思います。まだまだかもしれませんが。
スタッカートは、一つ一つの音をしっかりとることがまだ難しいです。
ピッチはとれているつもりでしたが、高音が♭していると指摘があり、気が付かなかったことに少し驚きました。
もっと集中しないといけないと感じました。
あとは、発声のイメージが「縦に広がっている」との指摘をいただき、確かにそうだったなと納得しました。
横に広げない事ばかり意識していたので…。
声はもっと一点に集めるべきなのですね。
また、「頬骨のあたり・眉間のあたりに響かせるイメージ」というのも、これからもっと意識していきたいです。 (OA)

○強い声を出すために喉、体を振動させること。
体をリラックスさせた状態で深い発声をすること。
余計な意識と力は、あくまで余計なものだ。
のど近辺に力が入り難くなってしまうくせが解消されてきた。
音が高くなると前屈気味になるなどまだ余計な力が多くかかっていることが自覚できる。体を大きく使うこと(振動させ、共鳴させること)がうまくできていない。
高音に近くなるとすぐに響きを軽く当てて逃げてしまうのでしっかりと響く声作りを意識していきたい。(AR)

○辛い音域の高音の時は、もっと高い音を出すイメージで。
キーやボリュームなどを喉で調整すると、喉に負担がかかり、声も細くなる。もっと息を出し、息の流れを上下に感じて出す。無理に一般的に良いと言われる声を出そうとしない。まねしない。
私は多分、音楽をボーカル中心で聴いてるのではなく、全体を聴いてる気がする。だからきっと、自分で歌う時も、この曲に合う音色などを考えて、声を無理に変えて歌っていたのだと思う。歌ものボーカリストなら、きっと曲に合う声でなく、どんな曲であろうが曲なんかねじ伏せて、自分の声を出すものなのだ。。。(歌曲であっても、楽器やコードやリズム・アレンジの方が重要なものは別)(OK)

○今までにならった発声前の準備をした後、ピアノで「あああああ」と音階を上げていく発声練習、片足立ちで同様の発声練習。
その後、「あ(ド)ーぁ(ソ)ー、あ(ド)ーぁ(ソ)ー、あ(ド)ーぁ(ソ)ー」と幅のある音での発声練習をしました。
幅のある音での発声練習の時に音がなかなか合いませんでした。
音を出すので精一杯になって音が聞き取れなかったり、音が聞き取れていても狙った音が出なかったりと、自分の音感と声の音のコントロール力の無さを露呈した結果となりました。
先生からはピアノで音感を鍛えるのがいいと教えて頂いたので、今現在通っているピアノ教室が音感を鍛えるのに丁度よかったのにほっとしました。
今後はもっとピアノの練習にも力を入れていって音感を鍛えていきます。(OT)

○舌の奥を固くしない。ひっかかる素になる。
喉は全くスルー。「息を送る事」に集中する。
高くなるほど、下から出発する力が強まる。
「背骨で歌う」
自分の声を最低3メートルは先に見る。(内に見ない)
口の奥開けて&肋骨開いて「息の道」を準備して、後は送るだけ。
息の補給をしっかりやる。
「緩める」けど「落ちないで」やる。
ポジションは変えない、マシーンのようになる事。
いろんなアーティストを聴いて「声の引き出し」を増やす。
自分の出したい声のイメージや色を明確に。
聴くお客さんを自分に引き寄せてくるには持続力&集中力が必要。
喉に(自分に)手応えがある時は、実際にはパワーは出ていない。
身体が使えている時は自分的には不足気味な体感であることが多い。
「いい状態」の身体の記憶のストックを増やしていく。
いつでもベストに戻れるようにする。
「戻るべき所」を早く見つけて行く。
客を読み込む余裕が必要。(NI)

○最後の音がだらしなくダレる。
下がる音の時も、息は上がるように出しきる。
高い所は「高い」とこから出さない。
高低は「上下」では無く「前後」で作る。
空気が回転するような感じ=響き
上に行く程、もっと下から。ポンプ圧が上がる。
「m」の発声に癖をつけない。
掘らない事、スッとそのまま出す。
歌う時はいいけれど、発声はあくまで癖をつけずに出せるようにする事。(NI)

○不自由になる所に入ってしまわないように注意する。
「い〜」に入ったら「違う!」と気づく事。
他の母音に比べて「あ」が浅い。
口の中を前後に伸びる(奥)イメージで。
自然な所=ちゃんと響いている所
ただリラックスしている時という事ではない
「う」止めない事。先まで出し切る。
常に出発点は「下」から始める。
鼻の奥を開けて、肋骨を開け、身体を通す。
(準備をしっかりしておく)
鼻を閉じない、「鼻の脇の窓」からも出る。
後ろと繋がるイメージで開く。
いい匂いを嗅ぐ感じで頭蓋骨まで満たす感じ。
「鼻うがい」が良い。
歌っている時は、鼻は常に通す。
上にいくほど「顔中開ける」こと。
声帯を閉じる為に「あくび」=後ろへ向かうのび=吸いながら吐く感じ。
のど仏を柔らかくする。息を使って下げる。
柔らかい「息のピンポン球」が落ちてゆく感じ。
それで喉をマッサージしているように声を出す。
口を縦に開ける事を忘れない。
下の音は肋骨にひっかける感じ。
母音の切り替えをスムーズに丁寧にする事。
チェンジの場所を意識できる位には音感トレーニングもやりましょう。(NI)

○口周りをリラックス、口をもう少したてに開ける。
・単発だと上のシまで出るが、ソやシなどは本来地声で出すべきではなく、ミックスさせた声で出すべき。
・ボイトレは基本的な出しやすい声をつくる。応用したものから基本に帰れる場所作り。
・知識は持っていてもいいが、考えすぎない事。それによって力が入る。
・目線をちゃんと前へ。
・胸、肩、背中、首に力が入ったら、終わりと考えた方が良い。
・小田和正、槇原則之はいいお手本。
・力を入れる事が呼吸や支えではない。
・テキストは読まない。
・先生を疑う事と信じる事。
・響きが悪いところで歌うとのどを痛める(響かない所ではマイクを使用)
・頭で考えるより体で感じる事が大事。
・歌い手はスポーツ選手と同じ。自然と体が動く事が大事。
・実践してそれを続ける事が一番効率のいい事。
・(声を出せない所での練習法)ささやき声で体をしっかり使って歌う練習。
・発声練習はアではなくイかオでやる。
・レッスンでは常にフォルテで出す。(大は小をかねる)
・壁にもたれて空気椅子での発声で、上半身の力が抜けるとのどにかからないいい声が出た。
今までのどにばかり意識がいってたので、上半身の力を抜く事によってのどがしまらない事を学んだ。
・声を張りたい時に上手く出せなかったので、フォルテで力を抜いた発声練習した後に変化が出るのが楽しみです。
・支える事、体のどの部分に力が入っているかがまだ掴みきれていない。
尾てい骨あたりで支えてる感じは少しした。(NZ)

○はじめの発声、たまに高音を軽く響かせるだけにしてしまう。
全部通して太く声帯で鳴らすようにする。だけどその時に重くしない。あくまで身体のみ使う。
ところどころ軽く響かせて逃げる感じになっているので、そこをしっかりと声帯で鳴らせるように身体を使う。
そうするとけっこうしんどい。
伸ばすときの音も、太くしようとしてただ重くしてるだけになってしまう。
前に出していくから押しちゃう感じになる。声をすっと飲み込む。そうしないとビブラートがかからない。
ラはいつもフラットする。特に気を配って、ラは上のポジションで入れて、それからしっかり鳴らす。
ポジションだけ入れると、薄っぺらくなってしまう。
とにかく、油断すると響きににげたり軽く済ませてしまう癖を直す。
フレーズを小さく捉えてしまってうねうねさせるのもやめる。
指摘されて何回か試すと出来るのだが、一回で出来るようにする。
そのために違いを自分で自覚できないといけない。さらに、それを安定してできるようにしていく。
発声に関してはそこまで問題はないということだが、あとは曲想だったり感情表現だったり、自分がどうしたいかなどを考えていかなくてはならない。(KA)

○今まで声を出すとき、背中を意識していなかったが、体の前側だけでなく、後ろ側も意識することが必要と聞き、声を出すとは、本当に全身を使うのだな、と思った。
・これからは下半身を使えるようにすべきだと感じた。上半身は、「広げるように、ふわり」というイメージで、下半身は「根を張る」ような強固なイメージで、と使い分けることが重要だと知った。
・「上手」っぽく歌えていても、声に芯がなく浮ついていたり、ただ言葉をなぞるだけだったりする。もっと深くから響き、聴き手に影響を与えるには、全身を使って声を出さなくてはならない、と思った。
・鼻の奥を開いて歌う、ということが自然にできるようになってきている。
・下半身で腹の一番下の皮が地面に向かって引っ張られることを意識して歌ったら、確かに声がちがうことを実感した。しっかり定まった声になった。
課題は、上記2点をより自然にできるようになること。高い音を響かせられるようにすること。高い音を正しく出せるようにすること。背中へ意識をいかせるフラフープのトレーニングを行うこと。
(YD)

○発声の時に限らず、歌う時も、いつも声を前へ出すことだけ張り切っていた。
そうではなく、前だけじゃなく後ろ、自分のまわりに声を響かせること、上下へも伸ばすことが必要だと分かった。これは、指摘されなければ、全く気づかないことだ。
・高い声を出すとき、いかに自分を制限しているかが実感できた。屈伸や、ボール投げのように反動をつけると高音が出しやすい。高音を出すには結構エネルギーが要ることが分かった。
・背伸びして腹筋を使って歌うことで、それまでよりも芯のある頑丈な声を出すことができた。それまでは、きれいでも弱々しい声で歌っていた。腹筋はこれからもどんどん使って歌うことにする。(YD)

○先生が言った「歌の空気をつくる」という言葉にすごくハッとした。
ちょうど今読んでいる本(「指揮者の領分」)のある一節とつながった。
オーケストラで正確に演奏するために大事なことは、下拍の指示そのものの瞬間ではなく、この下拍の指示をする正確さや鋭さでもなく、指揮者がこの下拍を指示しようとする準備なのだ…。
歌、音楽、絵画の表現にあるのは、空間だけじゃなく時間も意識しないと広がらないのだろう。(OD)

○<低・胸> ド <中声区> ド <高・ジラーレ(強弱がきく)>
ジラーレを知らないと、地声のままいってしまって、ひっくりかえってしまう。
ファルセット:声帯を全く使わない(強弱をつけられない)
意識すること:軽く、軽く。細く、細く。
マスケラ、両方のこめかみと額のちょっと先(プント)の3点で三角形をつくる。プントに声を集める。花のにおいをかぐように、細さは蚊が飛ぶとき聞こえるような細さで。またはプントに針の穴があってそれに糸をとおすように。
軟口蓋をガバッとあけるイメージ。
地声とジラーレの区別がつかない。ジラーレをやっているつもりでも先生に地声だと指摘されてしまう。たぶん、感覚と言葉が合わないから区別できないのだと思う。まずは、これがジラーレだといわれたときの感覚を覚えて、何度も反復する必要があると思った。高いソがけっこう楽に出せた気がするので、1曲の完成度が高まると思う。あと「マイウエイ」の最初の4小節でフレーズの処理の練習をしようと思う。(RY)

○事務所のライブで、指摘された事柄。
・マイクワークが下手。変なとこで吹く。
・コンセプトが分からない。どこを武器にしてるのか、何を最も伝えたいのか分からない。
・暗い曲が多い。
・自分自身どうしようか迷っている感じがする。
・低音が不安定で揺れる。
・ライブ全体を通して一貫性がない。
・バンドをつけたほうが良いのか?アコギ一本でやってる理由が分からない。

マイクワークに関しては、マイクを離す。そして離した状態で全ての声がしっかり入るように出す。
まだ、入る声と入らない声があるから、入らないときに近づけてしまうと、入るはずの声は吹いてしまう。
先生の場合は、もう初めからマイクをかなり離して、もはやマイクに向かって歌っていないということだ。
確かにマイクを意識すると声も遠くへ飛ばなくなるし、この方法は真似しようと思った。
また、言葉とフレーズがきちんと頭に入っていれば、不自然なところで吹いてしまうこともないはずだということだ。
だから結局フレーズごとに大きく歌うこと、言葉の意味と流れを叩き込んで歌うことが、滑らかにつなげるための手段なのだ。
低音が不安定なのは、しかし最近のレッスンではそうでもないので、それをライブでも出せればそんなに悪くないはずだという事だ。
原因として考えられるのは、やはりライブだとテンションも上がっていて頑張りすぎてしまうので、低音で不必要にヴォリュームが上がってしまうということだ。
その辺のコントロールは慣れていく。今までやってきたクセはなかなか抜けず、緊張すればやはりそっちに逃げてしまうから、そうならないまで良いほうの感覚を引っ張り出す。
コンセプトが分からない、一貫性がないという点については、レッスンでも言われているテンションの格差に問題があるのではと指摘された。
フレーズ間でも途切れてしまっているので、曲間はおそらくもっと途切れていて、見ている側もどっちなんだという風に、曲に入っていけない。
1曲でも、伝えたい曲の世界があって、その1曲の間ずっとその世界にいないと引き込めない。
そしてそれを30分持たせる。MCとかも原因のひとつかもしれない。等身大過ぎるといわれたが、もっと曲との流れを考えて演出する。
暗い曲が多いというのは、テンションの問題もあるだろうし、演奏形態もあるだろうが、メロディーがややこしいのも理由ではないかといわれた。
わかりづらくて、その部分ばかり印象に残ってしまいやすいのではという事で、もっとシンプルに作る。
そうしないと伝えたい事もシンプルに伝わらない。
とりあえず、最近のレッスンで出来ている事をライブで確実に出せれば、指摘された事のほとんどは解消されるはずだといわれた。
根本的な問題は共通していて、その根っこを克服できればもう少しマシになるということで、まずは、1曲中1割くらいしか出せていないまともな部分を、全曲通して出せるように、良い部分を気をつけて取り出す。最近のレッスンを繰り返し聴く。
もっと自分の声に関心を持って、気分や環境によるムラをなくし、常に最良の声を身体で感じられるようにする。
後は、これがとても難しいが、毎回のトレーニングをライブと同じテンションでやる。出来るはずだといわれたが難しい。
広いところでも狭い部屋でも同じ。同じに出来ないということは集中力がないということ。(KA)

○ライブ反省
1曲目・・・ガチガチというわけではないが、緊張で集中しきれず、不安定な部分が目立つ。もっと繊細に弱く始めたかったが、そうであれば1曲目に持ってくるべきではなかったか。強弱、ボリュームという点では、Aメロ、Bメロ、サビ、大サビの構成は大体出来ているが、情感、フレージングという点では、全然展開できていない。
もっと感覚を繊細にして練習しなければいけない。

2曲目・・・1曲目よりは安定していて集中している。声も自然で気持ちも入っていて、今までライブで歌った中でも良い方に入るが、さらに豊かな表現しなければ、何度も聴きたいというものにはならない。まだ悪い意味での余裕がある。最終的には肉体的にも精神的にも余裕を残した状態で集中して歌うのが良いのかも知れないが、
今の自分には「伝わらなければ終わり」という精神的な切迫感が必要だ。そしてなにより、この曲にはもっと詰め込められるものがあるのに、勿体無い。Bメロからサビへの展開も強引になっているが、それらも歌と内面が一致することで解決されるはずだ。

MC・・・小さなライブハウスなので、自然と観客の小さな反応にもツッこんだりしてしまうのだが、拾うべき反応と流すべき反応の見極める力をつけなければいけない。拾いすぎて話の流れが散漫になる時がある。また、どうつまづこうが、話の内容だけでそこそこ受けを取れると思っていたのであまり練習をしなかったが、状況説明
の部分だけは練習して分かりやすく伝わるようにしなければならないと思った。

3曲目・・・気持ちはこもっているが、まだ歌いすぎている。特にこの曲に関しては、ボリュームを極力抑え、もっと隙間を作って聴いている側の想像力を引き出すような歌い方が必要ではないか。単調になってしまっていて、勿体無い。

4曲目・・・いつも歌っている曲なので、他の曲に比べると、やはり迷いが無いというのが出ている。無意識にいつもより楽なフレージングをしていて、サビのフレーズが短めだ。今までより良くなった部分と、落ちた部分がある。今までの良いところと今回の良いところを組み合わせれば、基本形としての歌い方のイメージはほぼ完成できるだろう。

5曲目・・・歌詞や演奏を直前で変えたので、それらに不安があったのだが、それがそのまま出てしまった。不安がある時は思い切って選曲から外すことも考えなければならない。

MC・・・テンションと勢いでもっていけたところはあるが、もう少しゆっくりしゃべった方が面白かった。もっと練習してそれなりに仕上げておくべきだった。

6曲目・・・もともと歌詞の暗記に不安があった上に、5曲目のミスで少し緊張してしまい、テンポが上がってしまっている。曲は最後に相応しく明るい曲なのに、それを充分に出せなかったのが悔やまれる。(HR)


<メニュ>

○ヴィーエーアーの発声
・ヴァーーーーイの発声
・セレナーーータの発声
・ホッホッホッホッホッホッホッホッホーの発声
・下からぼやけて出ているクセ
・お腹の横に空気を入れる
・発声をやる
・針に糸を通すイメージで声を出す
・上から声を出すイメージ (SO)

○50音口慣らしのトレーニング(ハ行とナ行)。前回のKレッスンの際のことを思い出しつつ(喉・下げるなど)、声を出してみる。小林トレーナーからは、「エ行が喉にきている。浅い」とご指摘を頂く。自分で声を出しているときには気付かなかった。後で録音を聞きながら、丹念にチェックしてみた。
・壁に手をついて、相撲の四股、鉄砲のような体勢で、声を出してみると滑らかに出た。「支える」とはどういうことか。イメージが持てて勉強になった。
長文練習「司会進行」。後で録音を聞いてみたところ、まず単純に前回のレッスンの「さつき賞」よりは、はるかに聞き取りやすく、耳に心地が悪くなかった。息の流れとやや低めの声を意識したつもりであった。
1.新宿駅まで届かせる・・・自分としては深いところからひびきを飛ばすようなイメージで発声した。ただし、録音を聞いたところ、徒にバカでかいという感じで、あまりよくない。トレーナーからは、子音の不鮮明さの指摘。
2.「sotto voce」で新宿駅まで届かせる・・・体は大変に疲れたが、その後で出す声がきわめて滑らかであることに驚いた。息の流れ、母音、声立て・・・課題がより鮮明となってきた。(SD)

○背中に息がまわったまま修正できずにレッスンに臨んだ。平林さんが助言してくれたとおり、走ることにした。少しづつ息が下腹に戻ってくるのがわかった。息が浅くなる元が大体わかっているのに修正の仕方がわからない。色々と試し、それでも駄目なら走るといいかもね。また一つ、一つ一つ。
自分では、深くに息を入れているつもりでも指摘してもらい、もっと深くに入るということがわかった。毎日繰り返して固定してしまいそうなところを、またみてもらうこと。有難いこと。
ハンマー投げを例にだして話をしてもらった。今の自分は、声といっしょに体もとんでいっている状態。アルバイト中に感じた。それじゃ、出した後、とても不安になる。
そのため次のように→体の中に気持ち、そこを通して声を外に出す
(アドヴァイス)
・つま先立ち
・腹の底まで息を取り込むことだけに集中する
・腹の底を気持ちの中心に、息のスタート地点にもしたい
・重心が下にあることを感じつつ出せるといい
・単純に、想いも、声も「下から」とイメージするだけでちがう
・日本語の曲、自分が書いた詞だと錯覚するくらい、リアルに感じさせる(HN)

○ストレッチをていねいに行う
・復横筋を使う
・「スー」「スー」「スー」・・・の息出しは、均等に充分に出しきる
(体があつくなる位に感じる)
・姿勢が前かがみ、目線が下がってる
・「レイ」・・・発音が不安全
・「ウイ」「ウイ」「ウイ」・・・口を動かす
・「ラリ」「ラリ」「ラリ」・・・「ラレ」「ラレ」「ラレ」・・・舌の動きを軽く(ST)