会報バックナンバーVol.191/2007.5


レッスン概要

■レッスン録
福島英の講演やレッスンのリライトからダイジェストしています。

○レベルの高さは自由度

誰をどの役にするのかは個性の切り分けになる。この歌い手が3回歌うと3回のうちどれが一番よかったかはっきり解ります。高いところの共鳴の度合い、言葉の持っていきかた、歌のノリ、そういったものでどれかが落ちてくる。その先になにかしら、こちらに目的としたものが見えてしまう。それと比べているわけです。例えばこれが声楽家だったらきっとこう歌うであろうと。それに対してこの部分の響きが足らないなど、あるいはもっていきかたが甘いなど、いうふうなど。

ところが欧米のロックなどは最初から適当、言葉も適当。まちがえてもよくわからない。日本語と外国語という部分がもちろんありますが、もともと自由で、いい加減。その自由さというのがレベルの高い音楽なのです。日本の場合はそうでなく、歌を歌おうとする人自身が不自由なところへ入っていく。使えない声、うまくいかない音程、のれないリズム、それを必死にこなそうとする。その時点で、むこうのところに合わせようとすることで、無理がある。本来であれば、その歌い手が基本を勉強してみて、そういったものが自由になったときに音楽にもっていくべきです。役者が歌を歌う声も一つのベースの部分です。役者はなかなか音楽の耳がなく、言葉でもってきてしまう。日本人が言葉とメロディーで聞いているからさらにそうなります。音楽性では聞いていないので、そこで悪い加減になってしまう。

○上達と個性

楽器と違って上達しない理由が二つあります。一つは何よりもひとりひとりの声が違うということです。楽器の場合は、上達をめざせばその速度と等しく弾けるようになります。それに5,6年かかる。その速度で相手が弾いているということですが、実演より速く弾けるから演奏は成り立つ。

最高の速度で飛ばしていたら事故になる。コントロールができません。あれより速く弾けなくてはいけないのであったら更に何年もかかります。それとともに、同じ速さで弾けたときに気付くのが、自分が一生懸命弾いていて、向こうは楽に弾いているということと質の違いです。向こうには音色が聞こえてきたり音楽が聞こえてくる。自分は弾いているだけだと。その音色の世界に入れる。同じ楽器をもっているからです。

ところが声の場合は一人ひとり違う。だからそこで個性が成り立っていると思ってしまう。要は、商品化できる個性か、それともそうじゃない個性かという判断が、しにくい。それともう一つの大きな要因は言葉です。楽器の場合、どんなに美しく弾いてみても、その人がどんな顔であり、思想であり、どうでもよい、その人が隠れていてもレベルの高い音が聞こえてきたら感動する。

ところがヴォーカルの場合、歌の場合、そういう音楽性や音色よりも、言葉がひとつ入ってしまうことで、人の心にもっとストレートに働く。皆さんの中で誰かがちょっと一言言ったら皆そっちの方へ耳がいってしまう。人間にとってその言葉の威力というのは非常に強い。だからそこで本当の価値判断がしにくくなってしまう。音楽的要素がぜんぜん成り立っていなくても、言葉で言ったら人が泣いてしまったり、感動したりするわけです。だからステージングもそれだけ多彩になってくる。逆を言えば、何を自分の強みに持つかということで、それはそれぞれです。自分の強みを見つけ、形にまでしたものが切り拓いていけるのです。

一番難しいのは、自分の強みがなにかということを徹底して知っていくこと。自分の声もそうですが、その武器がなんなのかということを最初から考えていく。声域とか声量とか発声ができるとか誰よりもすぐれた声が出せるそういうことを考える必要はない。何を自分はもっていてそれを磨いていけばものになるのかというのをきちんと見ていくということです。

○似たようなうまさはいらない

全部をやれる必要がないのです。むしろやれないし、やる必要がないということです。それを見ずに全てを整えようとするトレーニングは、プロになるのに不要なものをばかり求め、一般的に歌がへたではないことに終始するだけでよくありません。ここも以前はそういう形で声を大きく作ったり、声が誰より大きくだせたり音域が広くとれたりするようにしてきました。それは、基礎づくりの結果としての効果です。しかしそれとヴォーカルになる資質とは全然違います。むしろヴォーカルになることを考えたところから、足らないものを補った方がよいでしょう。足らない部分の音域までと声量まででよい。音域も声量もなくても今は機材によってカバーできるわけです。

アイドル歌手も含め、下手な歌い手などはいなくなったわけです。それがいいのか悪いのか、個性や表現から見たりするのであればよくないことです。私たちの頃は下手なアイドルも非常に印象に残っています。今のアイドルというのはみんな上手いから何も残らない。同じような歌い方になっている。その程度の判断でやっているわけです。下手より上手い方がよいということではないのです。つまり手っ取り早く、下手ではないように歌わせるやり方というのがあり、それに添って教えられているから、皆、ワンパターンになるのです。まさにうまいカラオケなのです。こういう人と同じタイプの人を増産していて何の疑問ももたないのです。本当でいうのであれば、その人のものとして、示せているから初めてファンがつく。離れない。似たような上手さだったら、皆また次の人が来たらそっちに移ってしまう。印象に残らないし。その辺を自分自身で考えていく。

○広がりよりも深み

声のことをやるということは、自分のことを知っていくことだと思ってください。私が声のことをやってきてよかったと思うのは、自分の気分、体調がとても良くわかります。他の人よりもずいぶんと敏感です。風邪をひくから用心した方がいいとか、今日は疲れているとか、そういうことも含めて徹底して自分を知っていく。そのことがあって初めて声が使えるようになってくるのです。だからできないことばかりがでてきてもいいのです。できることが絞られてくる。

すると、その世界が使えるようになってくる。使い方がわかってくるのです。それが理想的なことです。そのためにトレーナーにつくのです。ところが今の問題を解決することくらいでトレーナーを使っていると、先に述べた人並みのレベルで終わるのです。その人の見えない問題を正せてこそ意味があるのです。

一般的にいうのであれば、体力も精神力も集中力もなんでも人一倍あったほうがいいのです。でも、もし体力がないのであればヴォーカルになれないのかといったらそうではない。なにもヴォーカルというのはステージで叫び走り回るだけではない。レコーディングでCDだけをつくっていくだけという方法もあるわけです。

なんでもやってみるのはいいのですが、そうやりながら絞りこんでいくという作業を目的とする。
声も同じです。どんな声でも使えたらいいわけではない。本当に使える声をひとつみつけて、それが通じるのであれば、それでその周辺のものをカバーしていけばよい。

○人まねは通じない 

日本でプロでやっている人は誰よりも高い声がだせるとか、大きな声がだせるというのではない。違いますか。そういう部分はよりすぐれた人に、バンドやアレンジャーに任せている。曲を書きかえたり、キーを下げてもいい。それよりももっと大切なところは、自分がどこで勝負できるのかをよく知るということです。そこは日本ではプロの人でも、プロでやれた人でもあまり見ていない。ここにレッスンでくる人にも、本当にそのキーでいいのか、そのテンポでよいのかと聞くと、自信をもてない。こんなにあげたところでは歌ったところがなかったという人も多い。本来であれば全部やってみてそれを絞り込んでいくのです。テンポでも全てのテンポで歌ってみる。

ところが日本の場合、勉強にいくと、最初からテンポを与えられている。誰かが歌ったテンポ、曲集に書かれたテンポでやる。ものまねなのです。その歌を自分が作ったというつもりで人に聞かせようと思ったところで皆呼吸が違います。問いたいものも違うはずです。そしたらテンポもキーも全て違ってくるはずです。声という楽器は一人ひとり違うのです。向こうでは皆、キーを自分のものに変えている。レベルの高いところで、人まねは通じない。

日本の場合、むこうはこの調でやっているので、合わせなさいとなります。全員でやる分にはしかたがないが、一人で歌う場合は半音でも、一音でも自分でいちばん歌いやすいところに変えるべきでしょう。そういう部分の配慮がない。お客さんもそういう部分では見ていない。ビジュアル面に感動して帰っていく。そういう中でやっていくのは結構大変なことです。声のことよりも、ステージでは身振り手振りや表情でお客さんが拍手をしたり、感動したり泣いてくれたら、そうなってしまう。しっかりした声で伝えるということよりも非常に弱い声でやさしくやるので皆がほろっと泣く。ステージを成り立たせるのがプロのやることですから、そこへ寄っかかっていきます。そういうことはステージとしてはやってもいいのですが、そのために基本のことや応用力がどんどんなくなって、結局、声量やパワーがなくなったり、長続きしなくなってしまう。そのことが、非常に残念なことです。そういうことでお客さんの耳から鍛えなくてはならないので、今は一般の人への声の啓発にもかなり力をいれております。

○歌のよしあし

歌のよしあしをどうやって判断するのですか、と聞かれたことがあります。私の経験では、同じ歌を七十人の人が連続して歌っていたら、本当にいい歌しか耳が生理的に受け付けなくなくなります。1曲か2曲であれば人間だれでも聞きたいし、聞けるのです。例えば、田舎でつまらないサーカスがきたとしても皆集まり感動します。ところがそういったものが50も70も100も来て、選べなくなってしまったときにはどうでしょう。その時に自分が聞きたいのは、非常に少ない。

比較するのもわかりやすい。非常にすぐれたものを隣にもってきたときに、他の歌はとんでしまう。そういう歌というのは、やはりそれだけの価値でしかない。比較されないものというのが、すぐれているかどうかは別にして個性的とはいえます。そのレベルに耐えているものは、歴史に残っているのか、あるいは国を超えて他の国へいく。歌もそうです。日本の若い人は日本のオールディーズをあまり聞きません、しかし向こうのもの、クイーン、ビートルズの頃のものを聞いている人はいます。それが時代を超えて、国を超えている。

音楽というのはリピートすることで効果をあげていくのです。一番で聞いていい曲だなと思ったら、二番もそれを期待してまたああいうサビがくるなとサビが気持ちいいな、あっサビがきたというようなことです。だから聞いていけば聞いていくほど好きになるし、ずっとそれを聞いていても本当に好きな曲であれば飽きないですね。ところが日本の歌の多くは基本的にストーリー、歌詞を聞いています。歌詞を聞いてわかって飽きてしまうものはそこまでなのです。それで明日も客が来るのかと、同じ曲を何回できるのかと問うてみればよいのです。昔は同じ曲を一つのステージで何回も歌うこともありました。今では考えられません。しかしその方が本当であったのではないかという気がします。

○イベントとライヴ

一ヶ月に一回、一年に一回、それはイベントであって本当の意味の表現というものではない。前と違うものをただ並べているだけです。本当の表現をそこでしたのなら、次の日にその人はまた来たくなるし、そこにずっといたくなるし、友達も呼んできたくなるものです。そこまでのものはあまりないですね。私も日本のをたまに行きますが、一回行ったらよくてもまた半年くらい空けて行こうというくらいのものが大半です。時間が決まっている、途中で立ってはあまりよくなく、最後まで聞いていなくてはならないなどみえない縛りがあります、その日に聞きたいかどうかわからないものを3ヶ月も前から予約するのが面倒です。

海外ではホテルなどのラウンジでたまたま聞いていたものがなんだかいいと、思わずエンディングまでいてしまったというのも数多くあるわけです。歌というよりも、その人に合っている、その人の世界をみているという自然な感じなのです。そういうところで比べてみたら比較的優劣というものがはっきりしてくると思います。本当にそれを必要とするのか。何かしら元気がありあまって、そういうものを見ないといけないなと客が思うのでしょうか。日本の場合は、結構義務的に居る場合が多い。内輪のもの、身内芸としての歌であり、クラシックなどもそうです。

そのレベルを超えることを目指してトレーニングを始めるというと歌の勉強もするという意味もあると思います。それはプロだからということではないです。アマチュアでも人の時間を奪います。もっと喜んでもらったほうがよいからです。その努力をできるかどうかということではないかと思います。

○一つの音声から考える

メロディーや歌詞が複雑だから母音だけで、できるだけ音程も飛ばさずに、同じように少しずつ下からとって声をならしていく。そして高音域ができて声量ができるようになってから、その中で歌ってみましょうというのが発声練習なのです。発声練習ではひっかかっているのに、自分でカラオケで歌ってみたら高いところが楽にとれたとしたらどうでしょう。発声練習よりも、その音を大事にすればよいということなのです。の辺が日本人の真面目なところです。そこに生徒が気付かない、まして先生が気付かないというのはとんでもないことです。

その音がでていればそれでよい、本当のところは、その音を大切にして、そのまま、音域をやってみましょうというふうにすればいい。そこを無視してしまっては本来転倒です。歌ったら案外と高い音域まで出る人がポップスの場合は多いです。発声練習をするとピアノを聞いて楽譜を読んで歌うという慣れないことをするので、声がでなくなってしまう。それがだめなことではないのです。早く慣れることでしょう。音感やリズム感が勘だけでは無理な人は、教本を使って一つずつを丁寧に扱うという勉強をやっていけばよいのです。自分でパッと聞いてパッとやるというときは雑だが、楽譜を見て、テープを開いたらチェックできるということで、目で見えるようにしてやっていくということは一理あります。

そのために、ここでも楽譜を入れての練習を取り入れています。本来は楽譜なしで感覚的にとれるようにしていく。それは快感か不快かという問題なのです。楽譜にあっているとか曲にあわさっているということではなくて、自分の体から出てきている音が心地いいように変化しているのかしていないのかということです。そこに敏感になるというところを優先して伸ばしていきましょう。そうでないと、どんなに正しく音が取れるようになったところで、使えません。

○基本の力は、聴くに見る

他の所では、トレーナーと同じような歌い方にみんながなってしまっているケースをよくみます。とてもつまらないです。それは先生にも生徒にも責任があります。もちろん、そういうふうにやりたい人が集まっているならいいのです。しかし、それでソロのヴォーカルになれるとかプロになれると考えていたら大きな間違いです。それならば、巷で上手い人はたくさんいます。だから何をもって基本の力ということです。ここでやることは、野球に例えると、松井とかイチローのレベルでできなくてもいいのです。彼らがもしバッティングセンターに来たら、確実に打てる。そのような力は我々もつけておこうということです。

他の部分は勘、予知力や記憶力にも支えられ、よくわからないのです。そうなるかもしれないし、ならないかもしれない。ただ中田なら、リフティングが私たちよりはできると。そうしたら同じ数までやってできるようになろうというのは、一つの目標です。それはプロになろうというのではないのですが、プロのレベルの人というのは皆そういうことができるのですから一つの努力目標となります。そこだけはきちっと固めておこうというのが基本です。それは応用するために必要なことであるのです。シュート練習は、我々もできるし、シュートもできる。しかしボールのくるところにどうやって走っていけばいいとか、どうやってボールを受け止めればよいのかということができない。そこで試合にでてもまったく活躍できないということが分かっていることが重要なわけです。

スポーツはそうやって分析できるからいいのです。歌も分析ができるのですが、それが音の世界ですからみえにくい。我々日本人も向こうでスポーツですぐれてきたのは、外国人を入れて、目で差が見えたからです。自分がここにいる時に相手はここにいると。自分は3秒かかるのに相手は1秒でやっているということなど。全部、目で視覚で捉えられる。日本人は眼の能力が非常に高い。ヴォーカルの場合も振りつけとかは真似れる。体のキレとかは違いますが。ところが音の世界の中をなかなか読みとれない。日頃から勉強しておかないととても難しい。

○必要性を知ること

おそらく日本人ほど、声に無関心で生きてきたという人種はあまりいないと思います。
腹式呼吸にしても欧米人からしてみたら、トレーニングで言われることはない。なぜなら日常で、こうしたことは高校生レベルでやっている。3分しゃべる、あるいは日常の会話でしゃべるにも連続して言わなくてはならない。自分がしゃべる、そして相手が言う。長い時間をしゃべる。腹式を使わないと息が足りなくなってしまう。

一貫性が必要になります。テンションや集中力も必要です。こういったものを家でラジカセくらいで聞いてコピーしているとなかなかそうはなりません。バランスも必要、全体の統一感も必要です。

○大きくつくっておく

役者などは高度なレベルになると、目で泣いて、目で笑うことができます。若手は、いくら目を動かしてもそうはならない。そうするには思いっきり笑って目の状態を覚えておくとか、思いっきり泣いてみてその時の目というのを覚えておいて、それをつねにだせるようにするトレーニングを積み重ねていくわけです。単純にいうのであれば、大きめ大きめに器をつくっていくのだということです。これぐらいの演技がしたいというのであれば、それの二倍ぐらいの演技をしておくのです。同じ事をやろうとしても、実際にはそこまででてこない。最初はそれが見えないのです。音の世界であればなおさらです。

なので、二倍くらいの感覚にしてやっておくとよいのです。二倍のスピードと二倍の筋力があってこそ、このぐらいが自然とでてくるわけなのです。だから皆さんがよく使われる自然な声というのもそれに近いニュアンスです。皆さんが持っている感覚と体の中の自然なものというのはそのままでは使えないです。もっと大きな器をもっていて、その7割くらいが自然です。そうしたら今50しか力がなくて、その7割というと35です。ところが100ある人の7割というと70です。どんなに自然に使ってみて35とかでやったところで100持っている人の70のところにはかなわないのです。それを皆がやろうとしたら50ではみだしてしまう。そうすると崩れてしまう。それこそが基本の力の差なのです。

歌の中でも同じです。音程とかリズムとか崩れてはいけないので、100の器を持っていてそういうものが自然にでていくため、こなしていくためのベースをつくっていかなくてはなりません。皆に感情表現をやってみましょうと振ります。「悲しい」のを伝えるようにやってみてくれと言ったら必ず皆声が小さくなります。大きな声で「悲しい」と言ってみても伝わらないです。

ところが役者は大きな声で悲しいと言って伝えることができる。それは更に大きな声が出せるから自然な声が出せるのです。そういうところの違いです。大きな声がよいというのではなく、あくまで一例です。こういったものを勉強するときに何回も繰り返し聞いてみるとか、テープ速度を落としてゆっくり聞いてみるとか、あるいはでかくして聞いてみます。要は盗めということです。歌としてでなくベースとしてやっていくという意味で、です。自分のどういう音のどういう置き方のどういうニュアンスの呼吸が人に対して徹底して知っているのがポップスです。

○認識の力

声楽は人間から取り出された体としての理想という声というひとつの理念に向かって鍛えていきます。それはそれで伝わるものがあります。ただこういったものを感性だけでできるといったら、体の支え、呼吸、コントロール力がなければ同じようにはだせません。きちっと毎回はできないのです。
海外のプロは3回まったく同じように歌える。日本のプロは3回とも違うように歌う。これでは、こちらが細かいことを言っていても、分からない。1回目と2回目が違ったと言っても、そうでしたか?と自分のやったことを認識していない。ということは、それ以上に上達しない。絵でもそうですが、絶対にこの線だとか、ここにこの線を加えるとよりよくなるとか決まる。レッスンはそういう共通の基盤で成り立つのです。それが「同じように歌ったのですが」と3回ともばらばらというのでは素人のレベルです。ほとんどが、そうです。自分の絶対の強みのところの声とその動かし方の声をやっていないのです。そのために器づくりが必要です。

○応用していくオリジナリティ

音楽として声をどう組み合わせてどう使うのか、今の時代はとくにそれが問われています。エリッククラプトンやサンタナは数あるヴォーカリストの中で、必ずしもいい声であるわけでも発声がすごいいわけでもない。声をどういう風に組み合わせて、どう作品に盛り込みあわせていくのかで聞かせている。そういう人たちはどちらかというと歌に味のある人たちです。そういうヴォーカリストは日本にもいます。癖声であったり、かなりのど声や変な声であったりする。そこに関しては発声を除いてみてもよいのです。

ポップスの場合は自由です。ただ、基礎力というのは応用する力です。同じように歌ってくださいといったら、再現力のあるかどうかが、はっきりとわかります。再現ができなかったら伸びないのです。「何で日本人は自分の歌に比べて人の歌を歌うとあんなに下手なのですか」と聞かれたことがあります。これも本当の基礎力がないということです。プロでも人の歌を歌うと素人なみになってしまう人が結構多いのです。
自分の歌というのは愛着があって何百回何千回と歌っている。ヒット曲ついてはうまいものです。しかしそうでないものは結構下手です。
特に1番はうまいです。しかし2番3番となってくると下手になるというのがあります。集中力がもたないというのもあるのでしょう。

ヴォイストレーニングというのはあいまいなものです。歌もまたあいまいなものですから、何かしらトレーニングをやるときにしていくときにそれに対して自分のアプローチとか自分の声とか体とかいろんな使い方を知っていくということが求められます。応用性をつけて基本を固めていくことで、歌が自然とかわっていく。発声と歌は別のものです。歌は結果です。歌を歌うときに発声とかヴォイストレーニングとかを考えてはいけません。歌うのがきつかったものが、すっきりと歌えると結果として歌の中にその効果が現れてくるわけです。意識せざるをえなかったものが無意識になってこそ使えるのです。

その声が何をもたらせてくるのかをお客さんは聞きたいのです。それに対して、その時に歌い手が声を意識していたら声が聞こえてくる。それは音程を意識していたら音程が聞こえてくる。それでは、いい歌でないです。

○音への追求

ところが自分にしか出せない音、これはあの人の演奏だという、自分の音を必死になって追求することを歌い手がなかなかいない。作曲家がメロディを、作詞家が言葉を求めるように、歌い手は自分の音色を求めるべきです。その人自身の声で言葉がついているため、自分の声を楽器的な使い方の努力をしないものです。例えば自分の声がサックスであったとしたら、必ずそういうことをする。イメージをし、それに対してどういうことをするか。その中で自分の声で動くところ動かないところ、楽器として完成しているため、双方と音色に自ずと入っていきます。

高いところ、低いところ、あるレベル以上の大きさの声は動かないところと、自分の限界も知っていきます。ヴォイストレーニングとはなんでもやれるようになることは自分が他の人よりこういうところが劣っていることを知ることが、自分の勝負どころを知るきっかけとなります。ここはやれないとか、こういう限界があると知った中でどういうふうに作っていくかということです。使い方にそこから入っていくわけです。

最初はできるだけ器を広げようとします。自分の限界だと思ったことであっても場合によっては破れることもあります。音域や声量を広げるのもそうです。そういうことが必要かどうかも疑ってみるのもよい。なんでもどんどん伸びていくわけではない。10年もみていくと、彼にはできるけど、自分にはできないという部分がでてくるのです。そうしたら今度は使い方になってくるのです。今もっている自分のものをどうやればステージに最大限に使えるかという勉強です。同時にやっていければ理想です。

○自分の声感覚を磨く

プロの歌い手というのは、日本では、声で鍛えているとかすごいレベルで発声をもっているというよりは、声の使い方です。表現で相手に伝えようというのが本当にわかってくると、できてきます。桑田さんも、ユーミンや中島みゆきさんも出たての頃は、歌も声もいろいろと批判されました。それこそが何かしら働きかけている証拠でもあるのです。結局続けることでカリスマ性を帯びて彼らの世界を確立しました。今は真似られる世界ではないです。もっと声楽や歌をきっちり勉強をと言ってもあれ以上はならない。そういう意味ではひとつの声の世界を作れている。10年20年続いているのが実績です。それが海外でどう評価されるかは別の問題ですが、日本の中でやれていくことは実績です。

最近は、やたらと‘抜く'傾向が多くなっています。韓国の歌手などもそうです。体がある程度あった上で彼らは抜いているのです。一般にはきちっと基本のところで維持しているわけではない。うちのトレーナーがやるともっとうまく歌えるのですが、平井健には彼にしかできない部分というのがあるのです。あの感覚は普通の人には出せないという強みをもっている。それの出ている作品においてすぐれたヴォーカリストでしょう。そういう部分を見つけていくのがプラスアルファの部分、やれるかやれないかの部分です。あとは時代に受け入れられるかどうかです。そこにはいろんな発想力や曲との出会いも必要です。バンドのアレンジも必要です。

声のことはずいぶんと補えるようになりました。今では高いところはギターでかぶせてみたり、音響でなんとでもなるでしょう。そういうところだけを目標にしているのはトレーニングしている人達だけのようになってきています。中学生、高校生でそのような声が楽にだせている人達をトレーニングで必死にやって、ぎりぎりにでるかでないかわからないリスクを犯しながら歌っていたら負けてしまうのです。それはトータルの能力ではないからです。生まれもったときに女性だったか男性だったかみたいな違いでしょう。男性なのに女性より高い部分を出したいと目標にしても一生をふいにしてしまう可能性のほうが高いわけです。

トレーニングで補充するのはよいでしょう。しかしそのまえに、自分の生まれ持った部分をきちんとみなくてはならない。しかし米良さんや岡本さんみたいな声を使う人も世の中にはいます。一生かけてそのことをやりたいというのであれば、別に夢とは言えない。やってみないとわからない分野ではあるのです。ただ、自分がもって生まれたものが楽器としての声のベースとなっています。楽器を買って取りかえるようなことはできない。そこは限界があるということを知っておいたほうがいい。なんでもできるようになるわけではないのです。

ヴォイストレーニングを受けると誰でも歌がうまくなるように思われがちですが、それはきちんと自分を見続けたときのことです。音域とか声量が伸びなくても一つの世界として確立していますが、人に対して説得のある表現をできればいくらでもやることはあるのです。勝負の方法はたくさんあるのです。

日本人と外国人のいちばんの違いというのは、国を越えるか越えられないのかというレベルで問われます。アニメなどは世界に普及して、向こうでは原曲もかかっています。そこでもっとヒットしてもよさそうなのですが、力不足なのでしょう。パフィーのようなかたちで人気者になっていくところまでなのでしょうか。

○声の使い方と鍛え方

ヴォイストレーニングにおいて、私の考える一番大きな違いというのは、声の使い方か、声の鍛えるのかということです。日本では、役者や声楽家というのは声を鍛えてきたと思うのです。ポップスのヴォーカリストには、鍛え方という概念はな異様に思うでしょう。そこでヴォイストレーニングといっても、使い方だったと思うのです。

今のヴォイストレーニング、ヴォーカルトレーニングは、いろいろなノウハウを生み出していますが、ある意味では、発音練習に近い使い方です。発声練習とは違ってきます。ロングトーンやビブラートなども、表面的すぎます。その声の中でどう差をつくっていくかどうかになってきます。まとめたいと思うのなら、声という楽器までいってしまったらうまくはいきません。楽器を与えられたところでその楽器の精度に応じてつくりなさいということになってきます。

世界のいろんな民族を見てきますと、古いところでその音楽だけしかやってきていないところでは、すごいレベルを楽にクリアします。ネパールなども、いわゆるカースト制度があって、結局、音楽を死ぬまでしなくてはならない。生まれたら、そうだったというところでは、バイオリンのような貧弱な楽器、非常に美しい音色、おそらく世界のバイオリニスト、日本のトップのバイオリニストが弾いてみても、その音がでないものをもっています。身分制度は差別で撤廃はされていきますが、芸能の部分だけでいうと悪いことではないのです。芸の高さだけをみると、小さい頃からそれを定められていて、それだけをしていたら、学校へ行って習っている人たちよりも上のレベルにいくのは当たり前だと思うのです。そういうところで聞こえてくるようなものと、学校で勉強していくものとの間には、大きなギャップがあります。

そういうところがきっと音色であったりする。そこで、楽器まで変えてしまって音色まで追求する。例えば日本でピアノを勉強する人は、まずピアノを変えようなんて考えないわけです。ところがそういうものを作った国では変えていくのです。巻上さんと対談したときに、日本というのはその当時、その当時の古いものをそのまま守って保存していると、伝統保存協会のような人たちが多い。当の国へ行ったら改良に改良を重ねられて全部変わっていた。日本は電気製品などは一年どころかシーズンごとに変えていくというのに。

ここでは、声の楽器というのを見ていきます。器を大きくしようと考えたときにどういうことが起きるかということです。きちんと感情表現をし、体をつかっていっぱいやったものを引っ張っていくというのには、さらにテンションと体力も気力も必要になります。だからアスリート並みのことをやっているのが、世界のロックアーティストなのです。日本の場合、例えばひとつの言葉をしっかり歌ったら、力尽きかねない。それを16回歌えとなったならば、底切れになってしまうわけです。その時に16回通そうとエネルギーが向かうのか、それなら、16回のうち、15回を捨ててみて、1つを生かしてみましょうというふうにいくのかが、大きな違いです。

ここでレッスンするとき、昔は16回生かすテンションと力を持ちなさいといっていたのです。実際にプロが来たら1つも生きていないので、まずその1つを生かしましょうと。そうではないと、ばらばらになってしまいますと。どちらを取りなさいということではなく、結果としてどうだすかということです。

どんな方法をどう使ったとしてもいいではないかと、結果がでるように使えばいいのです。それに結果がでなかったから、その方法がだめだったといっていたのでは、きりがないのです。要は、一般的な正解などはいらないのです。自分にとってどういう組み立てとか、どういう方法がよいのか。どのトレーナーにつこうが、そこから何を得ようが、とにかく自分が結果を出せればいいのです。そこで見てしまうから、日本人はもっといい先生がいるのでは、もっといいやり方があるのでは、となる。しかし、要はあるものをどこまで使えるのかで勝負しようということなのです。

○限界と才能

歌もひとつひとつの限界をはずしていくものではあると思うのです。これもできない、あれもできない、すべてできないのであれば、そこで何ができるのか、と見ていけば、やるべきことははっきりするのです。ただ、そのやるべきことと、やりたいこととが一致するかは難しいところです。

いろんな社長さんや、アーティストに会っても本当にやりたかったことをやっているのですかと聞くと、案外そうでもないのです。9割くらいの人は、もっとやりたかったことがあったのですが、こっちのほうが性に合っているとか、こっちのほうが楽だからといいます。楽というのも、才能かもしれません。他の人が苦労してやらなくてはいけないのを、気楽にできるとしたら、それも才能だと思います。

中田選手のように才能がありすぎると、長くやりたいと思っても、引退となります。彼の中では、サッカーはたまたま選んだものであって、やり尽くし燃えつくしてしまったら次のステップに、結構早く見据えていたのでしょうか。普通のサッカー選手はそこまで見ないのです。サッカーのことだけで、その先のことを考えていない。

音色ということを考えたときにそれをどう動かすかということになれば楽器の演奏などと同じです。そういう面では、ピアフなども参考になるわけです。この声をまねしよう、こういう歌い方にしようというふうには、考えないほうがいいと思います。サッチモを真似して、白人たちが皆声をつぶしたというように、たぶんピアフを真似をすると、ひどくなる。シャンソン歌手など多かったと思うのですが、越路吹雪は、そこまでしかやれなかった、だからこそ日本でやり通せた。

そういうことを考えてみても、日本人で、100人がやって99人が自滅するよりは、日本人がどこまでやれたかということを見て、そこと彼らとの距離をみてどこまやるのかということを見たほうがいいと思います。現実の舞台では、喉が強い人が残っていること、喉が弱いから、とことんノウハウを入れていった、どこまでできるかを厳しい基準をもっているから生き残っているという人もいます。こういう歌い方をとってしまうと、危険は多いと思います。10人に1人くらいは大丈夫でしょうけれど。3人くらいはかなり喉に負担がくるし、あとの6人は悪い方向にいく。

そういう結果を踏まえたら、トレーナーは喉を使ってはいけないということです。軽く、やわらかく響かせなさいというのは、日本人に与えられた現実的処法であるという気がします。そこは個人差なので、私も答えが死ぬまでに見つけたいとは思います。多分、一般論はないのであり、自分の体をどこまで知っていて、声を知っていくかということだろうと思います。<P001>


〔学び方〕

○長期的に自分を軸に

ここに来て考えてほしいのは、習慣と環境をどうつくっていくのかということです。これをもっているか、もっていないかが大切なことで、それがない場合には、プロになるかどうか、問うにも難しい。なれたらやるけど、なれないのならやらない、という自分のスタンスが動いてしまうのです。すると、大体の場合やれないのです。

誰が認めようが、認めまいがそういったものをもっていて、それを持続しているということでしか、本当の意味で力としてついていきません。やはり、20歳の人のよりは、30歳の人のほうがやってきているわけです。ここでは、10代後半から20歳あたりの人に即デビューということではあまり見ていません。そこはもっとすぐれたプロデューサーというのがいますから、そういう人のところへやっています。10代をみて、この子はこうなるよと言える才能は、ここで問われることとはまた違う才能なのです。学校をいくつも集めて、そこで一番もてる子が勝つ世界です。そういう人たちは25歳すぎてしまうとほとんど消えてしまいます。

そういう特殊な部分があって、ここにも来る。業界から期待されることとは違う部分で自分がやりたいことがある。そこで自分が超えるのが、難しいのです。ヒロイン的にミュージカルなどで活躍している人が、ブルースをハードに歌いたいと言われたと。それはできなくはないかもしれませんが、そうやってそのキャラで認められ、その声の使い方で来た人がどうそのことをやってうまくやっていけるかというと、難しい。うまくやれたところで客や業界が望むかというと、多分無理でしょう。そうなったときに、仕事とやりたいことをどう区分けていくのかも現実的な問題です。

○気づくことと変えること

気づいてオンにしていくということは、逆に気づいていなくて、足らないことを入れていくということです。レッスンに来るということは、気づかないことがあり、足らないこと、入っていないこと、入れなくてはいけないことがあるのです。それがなんなのかということをつきつめることをベースにしたのが、この研究所です。ここにくる95パーセントの人は日本人、日本語を使い、日本に住んでいます。このことは我々にとっては当たり前なのですが、世界から見たら特殊なことです。

この条件をもっている人が声に対して優れているかというと、あまりにも優れていないのです。たとえば、カラオケなどへ行って、一晩でのどを痛めたり、Jリーグの応援で次の日、会社で声が出せないということは、ほかの国ではまず考えられないのです。音声に関して、日本人は、弱いのです。サッカーなどでは日本は強くなりましたが。クラシックバレエでさえ、世界にでています。それに対して声楽、ヴォーカルは、遠いです。欧米と争う必要はないのですが、役者や声優も違います。声を使うテクニックとか、表現力に対しては、まだまだ劣っています。

ただ欧米人が優れていて、日本人が劣っているのではありません。もしあなたがイタリアで生まれ、イタリアの家庭で育ったのであったら、仮に日本人であったとしても、相当、声楽の声はでるのです。留学するとそうなります。私なども実際そうです。ブラジルへ行ったときも、そこで一週間生活すると声が楽になりました。現地の言葉であれば、もっとのどにかからなくなります。

○体と連動した声

今まで日本人で日本語で日本人ペースでやっていたのですから、それをそうではない感覚を一度やってみましょう。結論としてどちらもできればいいのです。使うときに使えればよいのです。英語をネイティブ並みに話す必要はないし、向こうのような発音ができる必要はないのですが、体のフォームあたりから見ていきましょう。日本人として日本語を使って、生活をしていると、あまり入っていないものがあって、それは体と連動した強い息や音色です。あるいは強弱、リズムグルーヴのようなものです。

呼吸法も必ず聞かれるのです。腹式呼吸なども、すごい必要性があればあったほうがいい程度のことです。胸式と分かれているわけではないのです。腹式をマスターしましょうといっても、もともとできることでしょう。その人が日常で生きてきた中でやっていることを取り出しただけのことです。そうではない状態になってはいけないということです。ただ芝居とか、歌い手の場合は、かなりそのことについて大きめに身につけていかないと、歌一曲が保てなく、芝居が成立しないことになります。ただどのレベルで問うかが問題です。

○必要性と効果

トレーニングが効果を上げるのは、その人のやる気ですが、その前にその人の必要性です。ここのレッスンの中でやるべきことは、必要性を高めることです。そこを高めないとトレーニングが成り立ちません。私がカルチャーセンターや、カラオケ教室などの依頼を受けないのは、結局、それだけの必要性がない人が集まっているからです。最大の効果が出せないということです。あなた方の夢も大きくすればという話ではないのですが、とことん高いところにおいたほうが、体や感覚は早く、その必要性に合わせて変わってきます。

他の人と同じくらいよりちょっとできたほうがいいぐらいになってしまうと、いったい何がトレーニングで何が身についたのかがわかりません。例えばカラオケが少しうまくなるようにと言ったら、確かにうまくはなりますが、そんなことをしなくてもうまい人は他にもたくさんいるわけです。生きてきた中で、声がすごく出る人もいます。そこまででも結構、差があるわけです。

何かを伝えるというのは、その伝わったものが武器にならないといけないで、ここにも劇団の人がきています。そういう人は現場で声を使うのです。すぐわかるのです。365日ステージをやるわけです。それをできる声、一日に二回主役を張れるような声は、普通の人では耐えられないものです。うまい、へたではなく、その日程をのどがこなせないです。そのレベルになると初めてはっきりとトレーニングの効果がわかるのです。

○悪役声と大声

ここでも以前は来なかった劇団などから、毎年、二人くらい入っています。今、ここに来ているのは、プロの正会員、準会員です。彼らの演目が変わってきたからです。本来であれば声楽の応用でできていたのです。ところが、アフリカンリズムが入って、悪者声も必要などとなり、役者の要素が随分と必要になってきたのです。基本的には、歌で使う声というのは人を心地よくさせることなのです。ハードなロックもありますが、そこでは似ています。ところが役者の世界というのは、必ずしもそうではないのです。人を不快にさせたり、脅したりする声というのも使います。たとえば野獣の役などは、クラシック的な王様、お妃様の声では合わないです。声楽やオペラの世界ではそのノウハウはないのです。

悪声は自分の体を傷つけかねないわけです。ところが役者の世界にはあるわけです。悪役というのがいて、のどで悪い声をだすのです。それがその人の個性になっているわけです。声優にもあります。最近ここによく来られるのは外国人の吹き替えの人です。声量をたくさん使わされます。今の役者より、かなり大きな声を使います。すると若い人の場合、まずボリューム感で負けてしまいます。目的をどうとるかが難しいところです。目的とイメージが違ってしまうと、うまくいかなくなってしまいます。正しく声を育てて、応用していくことです。

○内部の感覚

耳が変わらないと、声も変わっていきません。耳が変わっていくことによって、中から直されていくのが理想です。
歌で音程が下がっている、そこを直したいと。その歌においてはこういうふうにピアノを弾いてそこを直したら直ります。その代わり、その人はまた別の曲になったときに同じ問題が出てきます。あるいは一年か、二年たったときに同じ問題が表れてきます。というのは、普通、器用で歌がうまかったら音程ははずさないものです。それが起きてしまうことのほうが問題なのです。

本来だったら、起きない。できないということで、表向きを直すのではありません。それをどう認識しどういうふうにそこに何が起きているのかを解決しないかぎり、根本的にも解決になりません。音程をまったく考えずやってみたことができているようにならないかぎり、解決しないのです。そのことを起こしてしまった自体、大きなギャップです。何度も練習していることであるほど大問題なわけです。

外国人の曲を取り上げて、それをぱっと振ってみて歌わせるというようなことをしたときに、すぐに取れる人と取れない人がいます。ポルトガル語、スペイン語の曲をかけたときにも、言語の発音どおり取れる人と、取れない人がいる。取れないよりは取れるほうが有利なわけです。そういう鍛え方をするのにはひとつの勉強になってきます。音楽にあったように、ことばで言えるのかも問いたいですね。

日本ではポップスで正式な勉強をしてプロになった人はあまりいません。私が単に高いだけの発声についても優先しないのは、確かにやれば誰でもでるのです。しかし高音を売りにしてやっているアーティストというほとんどは、16,17歳の声で苦労せずだせているのです。苦労をして何とかそこを出しているというのでは、楽にふっと出している気楽にその辺のカラオケで歌える人に勝てるのかということです。自分の音楽の才能として、どこで完成度を問うのかということでしょう。

そういう部分を得ることによってキャパを広げるのは、とてもよいことです。しかし勝負どころにはなかなかならないのです。それを勝負にしている人には勝てないのです。もって生まれたものがあるというのは声楽ではっきりしています。
オペラなどでやれるかどうか、いい歌い手になれるかなれないかくらいはわかります。それはオペラという舞台がひとつの土俵があるからです。
とことん違う形でダイナミックにでてくる人がいるかもしれません。しかし、きわめてその可能性は低い。上の人が認めていかないと、昇れない世界で、コンクールや外国での評価がものをいうのです。客が育てるのでなく、客に与えられるものといえます。

○補充する

ここに来る人に、ジャズの理論をやりたいという人もいます。私は楽器の人にはそれも必要だと思うのですが、ヴォーカルというのは一つの声、つまりメロディー一本です。ジャズ理論などふまえても、ふまえなくても自分の感覚が優れていたらセッションできてしまう。次の進み方がわからないというなら、理論でなく、それだけ聴いていない、入れ込んでいないということです。誰かが理論化したもの、体系化したものを勉強するのはいいと思います。体系的につかみやすくなります。

今まで雑に扱っていたもの、音程、音感、リズムということをやってみるのがいい。好きなものしか聞いていないと、必ず欠けている部分があるからです。実際に弱い部分というのがあります。たとえば、ここの音録教材ではすべての音程パターンが世界中の曲にこれ以外の音程がでてこないからです。実際には、コールユーブンゲンに欠けているものまですべて出ています。普通の曲でも500曲くらいやれば、ほぼすべてのパターンがでているはずです。リズムなども、好きなリズムばかり聞いていると、違うリズムに対応できない。しかし、自分のステージでは好きなものを好きなリズムでだしていくわけです。どのくらい必要かといったら別問題です。

○大切なこと

まず現実をみるということです。優れたアーティスト、役者というのはどうやってそうなったのかというのが現実です。皆が音大の基本の教科書をやって、和声、コールユーブンゲンを使っていたのであれば、それをやることです。ところが、彼らのほとんどはやっていません。それをただやることさえ、疑うことです。もっと大切なことがどこかに置き忘れているのではないかとみるのです。呼吸法でもそうです。呼吸法の本を読むことはいいことです。知ることです。ただそれを読んだからということで、自分の身になるとは限らないのです。きちんと呼吸ができて使えている人は、そういうものは大して読んでいないのです。そういう人は勘がよかったし、天才的だったというのであれば、その勘の良さは何から来たのか、天才的だったのは何から来たのかという方に着目するのです。

○トレーナーの効用

トレーニングというのは、トレーニングをやらないで、世界で一流になっている人がやらないですんだことを、やらないといけないこととして考え出されたわけです。それをやっていくとよい結果が当てはまったというものです。

私も15年前に書いた本を書き換えています。15年やって、結果がでたものとでないものがあります。例外が生じたものもあります。最初に書いたときは、自分に出た結果に基づいて書いたことです。今回のは、他人に出た結果で書いています。長くやってわかったことは、他人の体は自分の体とは違うということです。特殊というわけではありません。私に近い人も、まったくそうでない人もいる。それがわからないとトレーナーとしては失格です。そこに処方というものがでてきます。この人には合うが、この人には合わないようなこともあります。それは経験をつんでいくしかないのです。

○タイプ

ひとつの歌を聞いたときに一回で覚えられる人と、10回聞いても覚えられない人がいます。合宿をやっていたときに、大きな差が生じました。そこで一時間に15曲くらいをほとんど入れそれをできる人もいます。歌詞を覚えること以外は間違えない。片や、その一曲を3日経ってもまともに歌えない人もいます。そこの差を縮めることです。それには、優れた人は1回目でどのように聞いているのか、2回目でどういう風に聞いているのか。おそらく1回目でほとんど入ってしまうのです。すごいと思われるかもしれません。バンドの人であれば当たり前のことなのです。

例えばドラムであれば最初のテンポを聞くだけでやってしまう。ベースやギターの人であれば、コードをメモに書きとめてたらできます。ヴォーカルはどうでしょう。歌詞をなんとか覚えても、メロディーが不安定であったりします。リズムはどうでしょう。楽器的に聞いている人であればもう少し早くわかるのです。優れている人は1回で10個聞いているような世界です。その人にはアンテナが10本ある。すると、1本のアンテナで10回やっていても、かなわないのです。そのアンテナの数を増やさなくてはいけないということです。

そのときに、耳も強い人もいれば、目の強い人、体の強い人がいます。勉強でもそうです。書いたほうがいい人、聞いた人がいい人もいます。一人でやったほうがいい人、先生とやったほうがいい人、予備校でやったほうがいい人、家庭教師が向く人もいます。皆、タイプが違うのです。

○音声の勉強

日本では、書いて読んだほうが勉強方式としてはなじんでいるようです。皆さん自身が音声の勉強をしてきていない。役者の学校や声楽の学校に行って初めて早口言葉などを練習するわけです。しかし本来であれば、他の国のように小学校、中学校からそのことをするべきなのです。海外ではその結果、3分、の間にきちっと話すことができている。高校生でも15分は話せます。日本人の場合、高校生で3分スピーチをきちんとできる人は珍しい。

外国人は話すこと自体が論理的で、第三者に聞かれてきちっとわかります。そこで、伝える技術を覚えていくのです。日常でもそうです。兄弟げんか、口論します。家庭でも言葉使いを覚えます。学校でもそうです。日本の場合、就職前に敬語の勉強をし、会社に入ってからすごく苦労することがあります。パブリックな場での音声表現が磨かれていないからです。又、音声で表現すること自体に積極的でもなく、嫌がります。聞くのもです。それくらい海外と音声の感覚や距離が違うのです。

○呼吸法とメニュー

呼吸法も勉強するものでもないのです。ただ必要性があって強化しなくてはならないのであれば、何を見本にするかということです。それができた人は何をしたのか。トレーニングをして、その結果はどこで問うのか。それには、プロの人たちが出している息に自分が5年後、10年後なっているかどうかみるということです。どのメニューが正しい、何分すればよいのかということではないのです。結果的にそのような体に変わっていけばよいということです。それは、一日ではできません。

特に日本人の歌というのは、あまり息が聞こえません。これは母音が中心であるためもあります。そして息自体をノイズとしてカットしています。アナウンサーの場合、ノイズを出さないです。高出しと語尾のハッキリ言い切りスタイルです。私はラジオのアナウンスブースに入ったときに息を吐かないでくださいと言われました。日本人は息の音を嫌います。ただ役者の一流の人は息で勝負をしています。声優もその間くらいです。ナレーションになってくるとあまり息を出しません。日本人の歌というのは息を出しません。最近、若い人たちが、海外のものをまねてそれっぽく浅い息で色を入れていますが。本当の意味でいうと、音楽の中にでてきている息ではないので、非常に違和感があります。

○くせをつける くせをとる

徹底して聞くことです。音程は練習しない、リズムトレーニングもしていない、しかし徹底して聞いている人がいます。その聞き方が素人の聞き方と違うということです。量だけではないのです。むしろ質的なもののほうが大きいです。徹底して聞いている中で、見本があまりよい見本でないと、間違えることもあるのです。癖をつけてしまったりすることもあります。

○目標と課題

B’zや長渕さんのファンの方も来ます。まねるのは悪いことではないのですが、彼らのファンの方は、彼らの音楽しか聞いていないのです。すると、長渕さんしか聞いてこなかった人が、それ以外の歌い方をするということが難しくなってきます。まわりの人からうまいと言われても、自分の歌い方ではないのです。プロデューサーなどは、プロの現場では成り立たないと判断します。そして、無駄な方向に行ってしまいます。

ここで与える見本には、気をつかっています。何をどのレベルで課題曲とするのかが、最大のノウハウかもしれません。ある意味では、最初の一、二年はそのとおりまねていくと、体ができてくる人もいます。日本でも、始めにアレサフランクリンなどから入っていく人は結構すぐれているといえます。トレーニングとなってくると、歌い手の中の癖などをまねてしまうとあまりよくないことが多いのです。

○価値づけ

トレーナーは、自分に当てはまらないが、人に当てはまることは見逃してはならないのです。例えば、自分自身ができないところまでをやらせるのが、トレーナーの仕事だと思います。そこは私は日本のトレーナーと考え方とぜんぜん違います。どこにも優れたトレーナーたちがいます。そのトレーナーができないたった一つのことがあなたの価値なのです。ここに限らず世の中ではそうです。たしかに声優でも、なんでもできてつぶしが利くほうが使いやすいのです。最初は器用さもです。しかしそれだけでは生き残っていけない。そういう時間に自分しかできないものを深めて、そこを売りにしていく。

大山のぶよさん、渥美清さんより、もっと声のいい人、美しい人はたくさんいます。しかし安定して、個声でそのまま確実にやれること、他の人ができないものをやることは非常に強いのです。それが認めるかどうかは他力になります。オリジナリティーというのは、どうしても最初は認めにくいのです。日本の場合、優秀な人は、二通りの選択をとっています。市場には売れやすい歌を出して、仲間内やコアなファンの中では自分たちの本当にやりたいものをやっていることも多いです。

ジャズなどをみていると、マイナーな自分たちの中でしかわからないところをやり、それをレベルが高いと思いがちなのですが、しかし本当にレベルが高いというところは、ジャズを超えて、皆が共感するものが入っているものです。一人でやれば、独りよがりとしてわかるのに、チームでやるとわからなくなってしまう。そういう傾向が強いです。わかりやすい安易なテクニックだけになっています。楽しむという目的で音楽を使うのにはいいと思いますが、プロを目指す場合はきちんと区分けしないといけないのです。

○優れていること

日本人が区分けできないのは、好き嫌いのところです。優れている、優れていないと好き嫌いは違います。個性と個性的とは違います。トレーナーについてもその人が好き嫌いではなく、自分に必要か必要じゃないかで判断するのです。これがなかなか日本ではできません。

その人の一番優れたところを使うことが一番意味があるのです。自分とは違うタイプの人に学ぶことです。世の中で嫌われている人からも学ぶことができます。嫌われているのに、やっていける何かがある、そこに学ぶのです。すぐれた歌には違和感がありません。歌っているのに体から息が流れ息の上に声がのっています。

○プロセス

舞台とは非日常的な世界なのですが、そこには日常が圧縮されているのです。ドラマとして人の、一生が速いテンポ、わずか2時間で演じられています。日常の感覚から離れてしまったらそれはうわごとのようで、伝わらなくなってしまいます。本来、歌も音楽もそうなのです。日本の場合、海外の真似から入っています。悪いことではありませんが、大切なことは、形をやっている間に身が伴ってくるかどうかということです。なぜその形をとっているのか。その形になっていたら、かっこいいのはわかるのですが、なぜかっこいいと感じるのか、そのプロセスを全て無視してはなりません。

○ジャンルとマスター

本来はその人の個性でやっていくものです。ただ日本の場合はロック、演歌、カンツォーネ、シャンソンと、全て歌い方が違います。ミュージカルも声楽もです。しかし、いったいこの人はどの分野なのだろうと、そういう判断する必要がないのです。その人はその人自身の個性でやっているのです。大抵はどちらもできます。たとえば、お笑いの人が、声優やナレーションや役者をやってみてもそんなに違和感はないでしょう。ところが、アナウンサーが声優や、役者や歌手をやってみたら、おそらく成り立たないでしょう。アナウンスという技術が確立したために、それをマスターしたために偏ってしまった部分があるわけです。マスターすることが限定もするのです。

決まりきった形を始めにする。それは何のためにするのかというと、その形を壊すためにやるのです。形があったほうが、壊すのがわかりやすい。壊さない形のままを勉強してみても、そのままでは、所詮使えないのです。誰にもできることが自分にはできない。自分にしかできないことがある。それを作っていくのです。

○自由のためのツールとアイデンティティ

日本語はメロディーと言葉の処理、外国語は子音と音色中心です。歌は自由になるためにやるものだと思っています。その中で、発声、音楽、歌詞の世界、メロディーで不自由になるとはどうもわからないのです。日本のものは、すでに想定されている世界があり、どうもそれに合わせようとしているようです。

日本人が英語でどんなに真似ても、英語の発音がきれいすぎて何も個性がなくなってしまうのであれば、日本語訛りで売り出してみたほうがいいのではないでしょうか。向こうではシカゴ訛りや、テキサス訛りで歌っているのです。そう考えると、わざわざアイデンティティーを捨てる必要もないと思います。方言などもそうです。実際、今の芸人で生き残る人は、方言を強みにしています。自分が生まれたところ、育ったところというのが、いちばんのその人の味になる部分です。そこを崩してしまっているので、日本の芸能はおかしくなってしまっているのです。

○基本と応用の違い

声優でも、アニメ声から勉強に入ってしまうと、体から声を使うことはできなくなってしまいます。自分の中で他人に合わせた声では、自分にあった声ではないので癖がついてしまいます。仮にそれで認められたとしても、違う役ができなくなってしまいます。のども痛める危険性がとても高いのです。そこが応用と基本の違いなのです。基本をもった上で、それを応用していかないと、戻れなくなってしまうのです。戻れないと別のことができなくなり、自分ののどについてよくないのです。

柔道でも、「いち、に、さん、」で投げる練習をしますが、実際の試合では「いち、に、さん」でくる相手はいないわけです。絶対に崩れたような形でなくては決まりません。ただ決まるということは、その原理がうまく働いているのです。原理が働いていなければ、投げられない。そこが基本と応用の関係なのです。

○クラシック

ヴォイストレーニングは、長期的な目的のためにやっておくべきことなのです。すぐに効果をあげることに対してはやらないのです。タップダンサーやミュージカルの俳優は、クラシックバレエをやってきています。振り付け師が示したら、すぐに踊れなくてはならない。そこで対応できなくては、すでにそこにいないのです。そのようなレベルの人がクラシックバレエをやっているのは、クラシックがいちばん全身を軟らかく使うからです。もちろん無理をしてということですが。そうすることによって怪我をしない。怪我をしないということは、長くできる。それがプロとして最大の要因なのです。優秀な選手に、怪我してだめになってしまった人は少なくありません。優秀な人ほどつぶされます。そういう意味でも役者も歌い手も同じです。

優秀なことができても、それを再現させる力が必須です。連続して持続する力がなくてはなりません。トレーニングの目標というのはすぐに役立たないことをやることです。それができるかできないかなのです。逆に言うと、後で効いてくることをやるべきです。長くやりたいことが一つの目標です。第二に過度な時に対応する体と感覚を作ることです。

○目的のとり方

目的というのは、最高のところまでにセットすることです。トレーニングに対する環境ももっともハードなところにすることです。トレーニングの場で厳しくやっておかなければ、本番でリラックスして挑めません。プロはステージでその速さで演奏しているということは、実際はもっと速くできるのです。車でも、百パーセントの速度では事故になります。プロはもっと速く弾けるから、演奏として成り立つところでその速度になるのです。それより速く弾けてあたりまえにならなくてはなりません。同じ速度で弾けても音色から伝わってくるものがぜんぜん違うので、次に音色の問題に入るのです。見えているところ、聞こえていないところだけで判断してはなりません。

○消化と創造

相手を想定し、相手に何を伝えるかをきちっと考えましょう。それをイメージし、結果的に言えたか言えていないのかではなく、それが伝わったかを判断しなければなりません。誰よりも何かしら違う意味で、伝わるものがでてくるかが、必要な部分です。

最後まで歌えたのと、作品になっているのか、なっていないのかでは大きく違います。その基準になっているか、どうかで大きく違います。その基準に達してなくてはなりません。自分でできたと思うことがどの程度のことでできているのかは、うまくなればなるほどわからなくなってしまいます。とくに歌い手や、役者の場合、第三者が判断をするのです。自分では判断できないのです。たったひとつのせりふが伝わればいいというのが第一の勝負です。それがないことにはその先がないのです。

○拡大と過剰

プロのものを真似るときに、アンテナをわざと多くおいてみます。たとえば歌であれば、少し伸ばしたとすると、皆そのプロを真似してそこまで伸ばさないのです。少し強くしたところはそれよりも弱くなってしまう。プロが伸ばしたかったところは、すごく伸ばしたかったところです。結果的にはそうなったと思って、それ以上に思い切って過剰にやってみればいいのです。

せりふでも、やさしくしたところ、鋭くしたところと、わかると思います。そこをとことんそうしたと思って、自分の練習のときにそうしてみるのです。
役者は過剰の表現のトレーニングしますが、音楽ではメロディーや音程があるためにあまりされていません。その曲を聴いて、そのとおりに歌って、なんかインパクトがないままで終わります。一本調子、と思うのなら、はずしてやってみることです。そのことで曲にならなくなってもかまいません。音程やリズム、メロディーがとなるのですが、その問題ではないのです。

○クローズアップと全感覚

トレーニングでは全部いっぺんにはよくはできません。どこかを大きくクローズアップする。そのため、どこかが犠牲になります。ところが日本人の場合メロディーとか、言葉とかを犠牲にしないので、歌の中では本当の練習がほとんどできないのです。過剰にして表現してみることから入ってみてください。プロが伸ばしているところをもっと伸ばしてやってみると、もっと見えてくるものがあります。
最初にしなくてはならないのは、こうして全身、全感覚で覚えることです。これがないと、声優が役者に負け、役者がお笑い芸人に負けるのです。

○ショービジネスとしての厳しさの違い

日本の場合、好き嫌いが多く、トリビュートでも昔の思い出のある曲だからと入れますが、海外ではそういうことはないのです。選曲は自分の才能が問える曲だからということで考えます。この曲でなにをするのか、みせるのか、できるのかということをもって選んでいます。環境の違いもあるとは思います。日本ではそのままで何も意図しなくとも許されてしまうのです。一曲うまく歌えていると、ほかの曲はどうでも、なんとなくお客さんはもってしまいます。ブーイングもおきません。

日本の歌い手の多くはヒット曲以外はうまくなく、ほかの人の曲を歌ったものは聞けたものではありません。アマチュアのほうがうまいと思うプロもたくさんいます。どうしてそういう環境、習慣になるのだろうというのは、お客さんの責任でもあります。声のちょっとした変化よりも、照明やアクションのほうに拍手がくるお客さんであれば、そちらのほうに力を入れるでしょう。たとえば、ぱーっと声を張り上げて歌うより、そこで抑えて小さな声でエコーをかけてみたらお客さんが泣いてくれたのなら、ステージの才能があったらそっちにいきます。私たちはそういうところで見ません。ステージの中心にいるとわからなくなってきます。すると、声を使わなくなってくるのです。

○自然は、不自然の向こうに

自然な声、自然な演技とよく言われます。
私の考えでは、ハードにやらなくては、自然にはできないのです。いや、通用する自然さになりません。
要は100の器があって50のことができるのです。100のことを自然にやりなさいといわれたら、200の器をもたなくては無理なのです。
日本の場合はぎりぎりでやるのも伝わります。その辺はどうやって聞くのかから違ってきます。
英語であれば何回も聞けばいいです。せりふも何回も聞く。ゆっくりして聞く。速くして聞く。大きくして聞く。

体を変えるしかない。息も変えるしかない。発声も変えるしかない。そういうことによってトレーニングがわかりやすくなります。
レッスンでその日にできてしまうことは、習慣や環境や集中力で使えなかっただけのことでしかないのです。
トレーニングというのは、一生の中で自分が普通できたらここまでしかできなかったといった声よりもいい声をださないと意味がないと思います。

○トレーニング論

もちろん、トレーニングというのにも二つあって、普通だったら10年20年かかることを二年ででやれるようになることもトレーニングです。もう一つはスポーツもそういうトレーニングをしないかぎり、絶対にそういうプレーはできなかったというようなことができるようになるのがトレーニングです。それは精神論ではないのです。どんなにバレーボールで高いスパイクを打ちたいとしても、同じ練習だけではムリです。筋肉をジムで理想的に鍛えなくてはすぐに限界がきます。そこでどんなに自分で飛んでみても無理なのです。体が変わるところに感覚が入らないと本来は一つ上のものに手が入りません。

○聞かせられるということ

声域は1オクターブくらいしか出しせなくてもプロになれる人もいます。聞き手が聞いたら歌唱力があると思うのは、音楽の創造力をもっているからです。外国の曲は固くてよくなくても、日本の歌はうまいです。丁寧に言葉を伝えるようにしています。音楽が入っているから歌唱力があるのです。聞こえるのがすべてなのです。声量がある歌い手でも聞かせられる歌い手はほとんどいません。そういう意味では、音楽をいれることのほうが大切です。

表現のパターンをたくさん知ることです。そういう場合、声に恵まれていない人のほうが案外といいのです。日本で声がよく、うまかった人は大抵一発ヒットを出したか出さないかで終わってしまう。あとで伸びないです。役者もそうです。竹内敏晴さんが、「声のいい役者は後々だめになる」というようなことを話していました。日本人のお客さんやプロデューサーが声のいいのを聞いてしまうのでしょう。それでやれてしまうので、技術の向上にいかないのです。音響の悪かった時代は声が良く張りがないとマイクに入らなかった。今は音響が全部拾います。
むしろあなた方が電話で話していて、いい声だねといわれるような、好感度のもたれるようなレベルのことでいいわけです。トレーニングはそこから先の問題です。

○デッサン

私はフレーズ、デッサンを多くやらせます。絵でもそうですが、「先生できました、直してください」とは持っていかないように。自分でひたすらデッサンをしていって自分の線をみる。音の世界も同じです。トランペッターやサックスの人がやっているのは、この音楽に対する音はこうで、この音とこの音のつながりはこうであるからと。これがマイルスデイビス風だと言えるくらいにその人の独自のものがでてくるのです。ピアノでもそうです。これはブーニンだとか、これはホロヴィッツだと音の発見と創造の繰り返しです。同じピアノなのに音色としてわかる。それは、そこに独自のデッサンがあるからです。歌い手の場合、それが甘やかされてしまう。まず声が一人ひとり違うからです。その声で違いがわかってしまうので、そこを個性といってしまう。それをいっしょにしてはならないのです。

○何の個性か

他の人に対して通じる個性なのか、舞台として通じる個性ということでみる。皆平等でだれでも個性があります。それでは幼稚園と同じようなものです。一人3分ずつ、この人が主役をやったので、次はこの人にしましょうと。今、学校やスクールではそういう考えかたになってしまっています。みんなで2曲ずつ歌いましょうと。客はその時間を費やしてお金を払ってくるわけです。一般の人がくることを想定したら、うまい人が全部でて、あとの人は裏方をやる。悔しければ出てみなさいというのがプロの世界です。今はだんだんそういう風にならなくなってきています。

○表現力

自分のコストパフォーマンスを考えると短く歌ったほうが得だという考えがあります。短くやったほうが、レベルが高いものになります。本当のことを言えば、短い時間で稼げる、つまり、より大きな価値をだせる人がプロとしてのレベルが高いということです。大きな声というのはあまり使いません。大きく感じるようにします。伝えられる声は、イメージの世界になります。それを成り立たせるためには、小さな声を使えるようにしなくてはならないです。小さな声で大きく伝えるようにしなくてはなりません。大きな声とは、表現力の大きさの問題です。

○全てをはぐ

自分で基本をつかんでいくには、演出や付属したものをはずします。たとえばロックでバンドをやるのに4人必要だったとする。それはなぜなのかから疑います。ヴォーカルが高いところで厚みが足りないのでギターをかぶせた。リズムの力が足りないのでドラムの力を借りよう。下の音の響きがほしいのでベースをかぶせよう。そういうプロセスと役割を知っていないと、とんでもないアレンジをしてしまいます。

日本の場合、とくに向こうのものをそのまま取り入れがちです。メンバー集めよう、ロックバンドとなるとまず4人集める。しかし、まず一人でやってみたあとに考えることでしょう。カラオケと同じで、最初からマイクをつけて練習したらうまくならないです。エコーをはずし、マイクをはずし、できたらカラオケボックスもはずして外で、やってみる。すると下手になるのですが、その下手なのが自分なのです。そこの中で味が見つかってきたら、それがオリジナルになっていくのです。

○古くならない

根本的な問題は上達したいということと、オリジナリティーは相反します。ほんとうにオリジナルなものであれば、誰も認められないのです。それを深めて他の人間を巻き込んで納得させるまで突き詰めていくところで問わなくてはなりません。

ビートルズやクイーンを今聞いてもすごく古いとは感じないでしょう。むしろ若い人にも新しくファンになっている人もいます。芸術性、ある意味での普遍性、世界を超えて国を超えて伝わっていく、時代を超えているものとなっています。その人が死んでしまっても何十年たっても残っています。基本とはむしろそこの部分なのです。彼らに基本があったかは問う必要はありません。そういうものを獲得するためには基本がいるということです。

○イベントとライブの違い

先日、詩人の谷川俊太郎さんに「歌の良し悪しをどう判断するのですか?」と聞かれました。「100人の同じ歌をずっと聞いたなかで、自分を起こしてくれる歌です」と答えました。一曲しか聞かないと、皆いいところを見落とします。さすがに同じ歌を100人から聞くと、徹底して嫌になります。いやだな、いやだな、と続いて、あ、さわやかだな、え、これいいな、と思うのが一曲あるかないかです。歌が本当にやすらぎや救い、元気づけなどをもたらさないと、本来は成り立っていないのです。

○どこかに天才をみせる

漫才の人は、4分5分の一つのネタをやるのに、大体5,6日はかかります。毎日、精一杯練習をします。それからみると、ヴォーカルは一曲に、まだまだそこまでエネルギーを入れてないように思います。二人でネタをやらせるとすごいです。日本の場合、すぐ大御所になってネタをやらなくなってしまいます。昔のものをみてください。名の通った人は、どこかで天才的なことをしています。

演歌もデビュー作などを聞いてみるといいでしょう。北島三郎さんのデビューの頃の作品もすごい感覚で歌っています。「函館の女」など、すごくぎりぎりの感覚でつないで歌っているのか歌っていないのかわからないようなスピード感でやっています。当時まではそのくらいでないと人の心を動かせなかったのだろうと思います。そこまでに苦節何年というものでしょう。

○判断力

基準をもっていくことがいちばん大切な勉強だと思います。先生に聞いて、いい、悪いではありません。いったい本人がどのレベルでどう判断をしているのかということです。いろいろな音があります。必ずしも言葉がついたときに、その音のピッチが完全にあっていなくてはならないということではないのです。それが流れの中で、許されるところの音と、あまり許されないところがあります。つまり心地よいか悪くなるのか、ということで左右されます。すべての音をすべて均等で正しく歌っていたら、つまらない歌になってしまいます。それには自分のことを徹底して知る時期が必要です。どうすればどうなるのか。何事も一生懸命やれば自分のことがわかってきます。そして、良い方に変わってきます。

○セッション

むこうの場合、立て直すのが早いです。歌を思いっきり歌うとすると、そこまで伸ばしていいのかと思うくらいもう1拍くらい伸ばしたりするのですが、次のところで遅れて入るわけでもなく、きちんとつなげてやれています。次早く入りすぎたなと思っていても、どこかで合っています。
ところが日本の場合、ヴォーカルが今ひとつ頼りにならなくバンドで合わせているのです。本来はヴォーカルが動かす線にのっていくのですが、のれないのです。バンドがヴォーカルの線に従っていないのです。

バンドとしてセッティングしてヴォーカルがどういこうがバンドできちんといく。そのために、聞いていると、どうしてもヴォーカルが間違えたように聞こえてしまうのです。歌は微妙にテンポが違っていても、当然にテンポに戻らなくてはなりませんが、間ではいろんなことが起きていいのです。その戻すところ、引っ張るところのタイミングのような応用性は、日本の場合一小節ずつ歌っているので、出ないのです。8小節くらいでまとめれば、どこかで伸ばしたり下ろしたりできます。その辺りのふところの深さや感覚の違いは、日本の場合なおざりです。狭い道をきちんと走らさなくてはいけないという部分がどうしてもでてきます。

演奏をしているのですが、もっと歌詞を伝えようということや、言葉で言っていることを思いで伝えようというほうが強いため音楽が後づけになっています。テンポがとれていてキーがあっていればいいというところの中で、表現しているほうに神経がいっていない気がします。演歌もそうですが、音楽的なのに、演奏というよりは、歌として言葉としてその思いをどう伝えるのかというのが中心です。むこうでは、カンカンカンとリズムを叩いて、その上にカンカンカンと声をのせているような感じ、単純で、日本人からいえば音しか聞こえないような声でもいいのでしょう。日本人はおさえて歌っているところに何か裏にこういう悲しみを読みます。日本のは、複雑になってしまう。わかりやすいのが、共感を呼びます。どちらかというと明るい、メジャーなものでないと受け入れられないようです。

○資本力

昔のように小さな白黒テレビを見ていた時代と家にホームシアターがあって音響が良くて映画館でみている時代とは、作品に問われるものが違ってきます。本質的な部分があると、それなりにリアリティーがあるわけです。それを本当に実在のレベルでつくろうと思うと、ずいぶんとかかってしまう。すると素人はできないのです。しかし、それを何百万もでつくる技術があれば、それと同じもの以上のものができなくはないのです。100億円使っても大失敗しているものも、あるわけです。ただ見るほうがそれに慣れてしまうと、いくらコストをかりてつくってみても、ニセモノぽくなってしまいます。恐竜でも昔であれば人形みたいに見えていても、皆が恐竜と思ってみていてくれました。慣れというのは怖いものです。それだけ質が問われてくると、資本の助けがなければできないのです。

音楽はその狭間にあるかもしれません。本当にいいものは、オーケストラをいれて聴かなくてはならないのですが、音響がよくなってしまうと、CDで流してもお客さんにはわからなくなってしまいます。かつては、店で生のバンドが入るのと、有線やラジオが流れているのは、絶対にわかりました。今はクオリティーが高くなってしまい、場合によっては生よりもよくなってきてしまっています。本当にうまい人たちをよぶとなると、お金がかかるから呼ばないでやることもできます。CDやDVDが安くなったことによって、歌い手のステージが必要がなくなってしまった。作品をつくることはレコーディングでできるのです。しかし、そこで文化として成り立たせるためには、コミュニティーがあって、ライブの場があって、起きたことをきちんと組み上げていかなくてはならない。場こそがライブなのです。

○のどを守るクリアさと鍛えること

理想的にいうと、軽いところできちんとつなげておいて、一箇所、二箇所、あるいはキメの箇所に関してボリュームをつける形をとってみます。音色をだそう、しっかりそこを歌おうと思ってしまうと、声の状態がわるくなってしまいます。ただそこから鍛えられていくと、逆にあまり裏声とか声のきれいさに頼らずにできていく可能性もあります。表現ができるという条件のところで、のどの状態があまりクリアに保たれないということがあります。

日本人にとってみると、本当に表現しようと思ったら、一オクターブでも結構厳しくなることと、2,3分歌うのさえ厳しくなってしまいます。そのために皆そこを薄めて見せられる方向に、そしてのどもキープできる方向にいくわけです。ミュージカルなども連続して歌うことになった場合、まず守る方向に考えなくてはならなくなってしまいます。そうすると、そういう中でしかできないようになっていきます。まちがってはいけない部分は、声の状態が悪くなるからレッスンができているのではないということです。たまに悪くなることもあるのですが、できたらいい状態でやるのが当然よいのです。もっと厳しくなれば、本当に最低限でぎりぎりのところをみせ、後で回避していかなくてはいけない。かなり危ないぎりぎりの状態になってしまいます。それを踏み込んでも戻れるようなことで初めて表現力がついてくるのです。

その葛藤がない人は、らくにきれいに歌っています。その代わり説得力がなくなって、いつものかたちというものになっています。職業としては安定はしますが、二番手、三番手から抜け切れない部分になってしまいます。スポーツでいうと後でパワーアップしない、その人の持っている筋肉や感覚によっては裏目にでてしまうこともあります。

○イメージと形

訳がわからなくなっていたら、歌をやらないで声のことだけをやる。声のことがよくわからないと言ったら、歌だけやる。どっちかだけをやってみてもよいのです。あるレベルで歌える人というのは、どちらかだけしか見なくなってしまいます。力をつけていくために、両方同時にやれるのであれば、OKがでたところをきちんとやって覚えていきましょう。のどを痛めない、流れもうまくでている、音楽的にもはいりやすいところ、そこを確実にしていき、ほかの部分をそこに巻き込んでいくということが、いちばん無難な考え方です。

イメージ優先なのはよいのですが、形を優先になってはならないのです。歌は形で聞かれる部分が当然あります。とくに日本人の場合は形のところでみるので、形が崩れているところに評価が厳しいです。そして実態のところはいくらでもごまかせてしまいます。  たとえば、皆がもつイメージがあると、そのイメージにどれだけ近づくかという評価しかしていない。そういう意味でいえば、リズムやピッチ、メロディーをあまり崩さないというのは発表するという場になればそうしなくてはならない。ただ練習において、この中で行われている駆け引き、歌の転換とかをやってみる。

北島三郎さんのデビュー曲の吹き込みは最高級のものです。その後のステージでこのレベルで歌えていることはないかもしれません。ヴィブラートがついて演歌ぽくなってしまう。形がついて、歌うとその形に入ってしまうのです。軽やかにさっと動かしている部分の感覚に声が従うべきです。逆に声がでているから何か感覚があるのでは、まずいのです。絵でいえば、べたすぎるのです。白いところがもったいないと全部べたっと塗ってしまうとよくありません。線が死んでしまいます。

結局、描きたいことは音です。その人間がもっていることを描きたいのではないのです。それこそがもっている才能のレベルなのです。普通の人はそこまで考えずに描きます。幼い子であれば、それをそのまま写そうと考えるのです。音の温かさや色を出したい。ところが場の風景、息やレイアウトを見て、まちがえてしまいます。レイアウトがとれても、演奏がでてこない。

歌の中で、重さをかえてみる。流れを全体的につかむ。歌い方も部分的に濃くしていく歌い方を優先します。それを同時にはしません。部分的に濃くし、そこに表現を、音色をつけることで、一曲を通すと、今はのどを痛めます。それ以上に音色をいれるということで、全体がとまります。だから、短いフレーズでやります。どっちをとるかというと、歌の場合、全体をとらなくてはなりません。部分部分の完成度をこだわっていると、リズムや音がはずれてしまい、程度の低いものになってしまうのです。だからといって、全体に薄めてばかりいると、それが自分の歌だと思ってしまうのでしょうね。もったいないことです。<P002>


■「ボーカル上達100の裏ワザ」その1
(リットーミュージック刊)より、一部だけ抜粋紹介です。

「ボーカル上達100の裏ワザ」(リットーミュージック) 

002 実力を付ける方法

「実力」とは何でしょうか? 私が思うに、実力とは、自分の良いところを最大限アピールし、良くないところを最小限に抑えられることです。少なくとも、プロと言われる人たちは、周りと比べて自分のプラス面を伸ばし、その中にマイナス面を隠す、絶妙なバランス感覚を持っています。
 ではこれを、実際の歌の練習に落とし込んでみましょう。まず、あなたの一番よく歌える曲の、一番良いと思われるフレーズを選んでください(10秒くらい)。次に、元の歌から離れ、そのフレーズのキー(声の高さ)を半音ずつ高低させます。
 また、自由にテンポを速くしたり、遅くします。さらに、歌詞を最もあなたの発声しやすい言葉に変えたり[例「わたしの」→「ああいお」(母音読み)、「あなたを」(ことば変換)]などにしてみます。これらはすべての組み合わせの中で、自分のベストフレーズを決めます。このベストはよりベストに、他のベターはこのベストのレベルにしていく過程で、自分自身の声や歌に厳しい判断力を付けていきます。その判断力こそが、実力となるのです。

003 プロと比較

だれしも、何らかの解決すべき問題を抱えています。しかし、自分ではなかなか分かりにくいのも事実でしょう。それが明確でないと、上達はしようがありません。正しくでなく、感動させられるものに高めるには、一流のプロとの比較に学ぶことです。例えば、一流のボーカリストの歌が10曲並んでいる中に、1曲だけ自分の曲を入れ、プロが共通してもつところ(で自分にないところ)、プロがそれぞれ個性的なところ(で自分の個性)と、自分が学ぶべきところをチェックしていくのです。
 細かく区分けし、自分の歌がプロの歌と比べてどう聴こえるのかを見ていくのです。何が問題なのかが発見できれば、解決に向かいます。同じ曲で比べるとわかりやすいでしょう。また、プロ同士の比較を徹底してやりましょう。外国人と日本人のも同じ曲で比べてみます。今の自分でなく、声が好きなように出たら、どう歌いたいのかも考えておきましょう。日本のすぐれたプロと、海外のプロを比べるのは、とてもよい勉強になります。
 私は一秒や一音のなかにも、いくつもの問題をみています。もちろん、全体の流れや構成のなかで考えましょう。あなたも出だしの2音、サビの2音、エンディングの2音をしっかり比べるところからやってみてください。

チェックポイントの例
○1音程の正確さ
○2音の高さ/低さ
○3リズム
○4声質
○5メッセージ性
○6音楽性
○7個性
○8ハイトーン/ファルセット
○9スキャット/アドリブ
○10コーラス

004 一部分だけならプロに勝てる 
 
一曲全体になると、どうしても完成度も判断力も落ちるものです。そこで、まず1コーラスをAメロ、Bメロ、サビ……というふうに、2〜4分割します。そして、その分割したブロックごとに、自分の歌いやすいキーとテンポを決めます。それぞれ、半オクターブ程度の範囲内で、歌いやすいように高低させてください。例えば、低すぎる出だしはあげ、サビは下げるなど、自由に決めるのです。こうして、ブロックごとに自分の歌いやすいように作り替えて歌い込むのです。
 もちろん、1曲続けて歌うときは、この練習とは声質も流れも変わります。桁違いに難しくなりますので、そこではむしろ、バランス力やテクニックでのカバー力が問われます。だからこそ、そのまえに、この練習で、しっかりと伝えることの完成度を高めます。プロの歌唱との比較も、より厳密にできます。1コーラスでおよそ1オクターブ半1分間の歌では比べにくいことも、こうしてフレーズ単位に限定すると、ときにあなたが勝ることもあるでしょう。

010 奇跡は基礎の上に起こる

 トレーニングでできることは、そのための地道な基礎固めです。最初は今日も最低限、昨日(過去)と同じことができること(再現性)からです。声や歌は、良い状態と悪い状態に大きな差があります。しかし、トレーニングで悪い状態でも、できることが少しずつ底上げされていきます。やがて、最悪の心身状態でも、使える声に切り替えられるようになります。タフにもなるのです。
 そういった基礎固めによって、いつでもこれまでのよい状態を出せるようになってきます。すると、一つ次元が上の感覚にステップアップするのです。この繰り返しが真の上達です。
 そういうトレーニングを長く続けていると、あるとき、自分の発声や歌に奇跡が起こることがあります。これまで感じたことのない感覚で声や歌が出せる、あるいは、飛躍的にその人の魅力が出てくる瞬間があるのです。歌の天才とは、この声と歌の魔法を自在に操れる人です。毎日のトレーニングは、そのために欠かせないことを知ってください。

043 言葉からフレーズにする

 表現するとは、聴く人に歌の世界がちゃんと「伝わる」ということです。そのために、「言葉」を「フレーズ」にしていく練習をしましょう。これは、まず歌詞を言葉でしっかりと言ってみてから、それにメロディを付けて歌うトレーニングです。言葉は相手に向けて「伝える」ものですから、その時点では「伝わる」表現かどうかわかるはずです。伝わっている実感を持ったまま、しっかりと歌にできれば、言葉が流れたりせず、「伝わる」表現になっていくのです。
 例を挙げましょう。まず、「悲しいときには」という言葉を読んでください。しっかりと伝わるまで読み切る練習をしましょう。次に、言葉で読んだときの実感を残したまま、その高さでメロディ(ドファファド)をつけ、同じテンポで言い切ってください。(歌よりも多分、低く、早めです。)やりにくければ、少し高めにゆっくりにしていきます。フレーズになっても、言葉をしっかりと読み切れますか。
 言葉にメロディをつけ、繰り返し言ってみます。歌詞全てをやってみましょう。

023 イメージした声を出す

「イメージ通りの声が出ません」と言われることがよくあります。しかし、あなたがマライア・キャリーのように歌いたいと思っても、多くの場合、同じ声を出すことは不可能です。そもそも声帯が違います。他人の声をイメージしても、出る声は違うのです。それでも、イメージによって、近づけていくことはできます。
 考え方を180度変えて、自分の基本の声から少しずつ、そのイメージに近づくように変化させていってください。それをフレーズとともに覚えておきましょう。ただし、元にするのは、あくまでも自分の基本の声です。自分とかけ離れた、つくりすぎた声を出しても、練習にはよくありません。肝心の歌も声の寄せ木細工みたいになりかねません。イメージに合わせて声を出すというより、自分の出せる声をイメージで動かして変化させていくのです。
 イメージで声を変化させるのが難しければ、イメージがより強くなるシチュエーションを自分に与えましょう。歌う前に、イメージがわくような映画やミュージカル作品を観るのです。仮にあなたが「赤とんぼ」を歌うとしたら、部屋よりも、夕焼け空の下にいた方が歌いやすいでしょう。その場面のストーリーから、主役の心情に成り切りましょう。表面の声でなく、内面を置き換えるのです。


■声優入門トレーニングの使い方その2 by トレーナー
テキスト「声優入門トレーニング」使い方のアドバイスです。

○レッスンの取り組み方

準備、すぐ声が出せる状態にしておく
その日一日のスケジュールを立てる
予習復習 宿題  録音
次のレッスンまでの自分の課題を見つける
教えられる場所ではなく
発見する場所としてのレッスン
次のレッスンまでの体調管理
本番と同じテンションで何を感じるか、真剣勝負
質問、自分の中から答えを見つける
モチベーションをあげる

○質問すること

よくいろいろな質問をされます。その場で答えられるものや、専門的すぎてすぐに答えられないものまでさまざまです。
自分の声や体については、基本的にまず疑問がわいたら、考え、自分のトレーニングの中で試していくことです。試していっても、すぐには答えは見つかりませんが、そういった中で答えは徐々に見つかってくるはずです。答えを見つけようと努力していく中で、自然とわかってくるのです。自分の体と対話することで自分自身から返答があるのです。
質問をしたら答えを聞いて満足するのではなく、そこから自分自身と向き合うことが始まるのだと思ってください。頭でわかっても、結局体で理解できていないものは、自分のものにならないのです。だから質問をしたくなった時、自分自身に問いかけてください。この質問に対してどのぐらい悩み、どのぐらい練習をし、どのぐらい自分自身と対話をしたのかを。

○レッスンの取り組み方(1)

本番と同じテンションでレッスンに臨めるようにしていくこと。そのためにはまず、そのレッスンに向けて日々体調を整えていくこと、心境を安定させておくことです。本番に向けては必ず体調を整えていくはずです。そのように心身ともに万全な状態でレッスンに臨めるようにしていってください。体調がいいからこそ、集中もできるし、多くのことを感じることができるのです。しっかりとしたスケジュールを立てて、月に2回レッスンがあるのならば、2回本番があると思って、そのポイントとなるレッスンを受けるようにしていってください。
またレッスン当日の準備も大切です。そのレッスンで声を出すために、何時間前に起きなければいけないとか、何時間前に発声練習をしておくべきだとか、滑舌練習をしてしておかなければいけないとか、あらゆる準備を怠らないことです。レッスンの中で徐々に声を暖めていくとか、徐々にテンションを上げていこうと思っていたら、あっという間にレッスンは終わってしまいます。第一声を出す瞬間には、今の時点での自分の最高の体調、最高のテンション、最高の準備で臨めるように努力していってください。この積み重ねがプロとして活躍するための習慣を作っていくのです。 

○レッスンの取り組み方(2)

さきほども言いましたが本番のつもりでレッスンに臨むこと、真剣勝負だと思って臨んでほしいと思います。どれだけテンションの高い状態で臨めるか、どれだけ集中した自分でいられるか、ここは本当に大事なことです。その状態の上に、そのレッスンで得たものを積み上げていくのです。だからこそ真に自分のものとなっていくのです。集中していない状態でレッスンしても、砂上の楼閣なのです。なにも得ることはできません。そんな無駄な時間を費やさないように最高の自分でレッスンしていくことです。最高の自分であれば、あらゆることに神経がいき、敏感だからこそ、多くの発見があるのです。自分の中から新しい学びを得ることができるのです。
またトレーナーは教える立場ではありますが、レッスンを受ける側は教えられているだけではだめです。教えられたことに対して、自分というフィルターを通したならば、どういうことを言っているのか、どういうことになるのか、常に答えを自分の中から作り出していけるように努力していくことです。そして自分でレッスンを作っていくのです。 

○レッスンの取り組み方(3)

レッスンでは録音することを勧めています。もちろん集中していれば、実際のレッスンからたくさんのことを得ることができるのですが、冷静にレッスンを振り返ることも重要なのです。冷静にトレーナーのアドバイスを聞く。冷静に自分の声を聞いていく。その中から新たな発見が必ずあるはずです。その時に感じられなかったものが、新たに感じられたりもします。だから録音音源を何回も聞き返しましょう。毎回新しい発見があるはずです。一回のレッスンから数回のレッスンを作り出していけるのです。
そしてレッスンの中から自分の課題を見つけ出していくのです。この課題を見つけるためにレッスンがあるといっても過言ではありません。自分自身の問題点、改善点、伸ばしていくべきところを見つけ出していきましょう。そしてその課題が見つかったら、次のレッスンに向けて、自分なりのメニュを立てて、問題クリアーのためにトレーニングしていくのです。あくまで自分自身で課題を見つけて、それに向けて努力していくのです。

○レッスンの取り組み方(4)

与えられたことだけをやっていくのではなく、自分で発見したことを自分で改善していくからこそ、自分のものになっていくのです。もちろんトレーナーからの宿題も毎回あるかと思いますが、それについても次回レッスンまでにクリアーできるように、一日一日のスケジュールを立てて、取り組んでいきましょう。そうした取り組みをしていくからこそ、モチベーションも保てるのです。レッスンとレッスンの間のモチベーションキープをいかに保てるかで、自分の夢に向かっていくまでの長い時間を頑張っていくことができるのか、またはできないのかは、そのモチベーションキープで決まるのです。モチベーションキープすることはとても大切なことなのです。
もちろん何年後かに向かって努力していくことも大切ですが、その前に日々を充実させていくことが、日々トレーニングしていくことこそがモチベーションをキープさせ、未来につながっていくことになるのです。そのためにもレッスンを活用していってください。レッスンの中から日々の課題を見つけていってください。これには限りはありません。無限に努力していくことが見つかるはずです。

○日々のトレーニング(1)

日々どれだけモチベーション高く、自分の目標に向かって、コツコツと努力していけるかが勝負です。一日一日の積み重ねが重要なのです。もちろん時間が作れない方もいるでしょうから、まとめて時間を取って、トレーニングしなければならない時もあるかと思いますが、基本は毎日毎日の積み重ねです。一日のうちで、いくら忙しいからといっても、5分や10分の時間も取れないということはないと思います。たとえ10分でも、集中してやるべきことをやれば、それでいいのです。いかに集中してトレーニングできているのかということを大切にしていってください。だらだらと1時間やっても意味がありません。もちろん1時間集中してトレーニングできるのならば、それが理想であることはいうまでもありませんが。
その集中した時間を確保するために、いろいろな努力も必要になってくると思います。しっかり一日のスケジュールを管理するとか、忙しくても練習しようと思えるように、心境を整えたり、体力をつけたり。まずは自らで練習時間を確保する努力をしていってください。 

○日々のトレーニング(2)

レッスンを受けたり、トレーナーのアドバイスを聞いたりといったことも大切なのですが、一番大切なことは、それらを基にして、日々自分でトレーニングしていくことなのです。日々トレーニングしているからこそ、トレーナーのアドバイスも生きてくるし、本から知識として得たものも、体に入ってくるようになるのです。自分でトレーニングメニュを作って、日々練習していくからこそ、自分の中から答えが見つかったり、発見も大きなものになってくるのです。基本は日々のトレーニング。これしかありません。
またやり方が正しいのか、間違っているのか、不安になることもあるかと思いますが、まずは進んでいくことが大切なのです。少々間違っていても自信をもって進んでいくことです。間違っていてもレッスンなどで改善できます。そのための学校でもあるのです。方向を正してもらったり、アドバイスをもらうためにレッスンがあるのです。向上するためには日々自分で進んでいくしかありません。 

○日々のトレーニング(3)

なぜ日々のトレーニングが大切なのか。頭ではなく体に染み込ませていきたいからなのです。そのために慣れていくことがまずは大切になってきます。文を見ること、しゃべることに慣れていくこと。大きな声で、テンションの高い状態でしゃべることに慣れていくこと。とにかく慣れていくことです。新聞でも雑誌でも構いません。自分が決めた文章を集中して読んでいってください。毎日一度は声を出して読んでください。文章に慣れることです。これは根気よく続けていくしかありません。自分が今うまくしゃべれないのは慣れていないからだと思ってコツコツと習慣化させていってください。
文自体に慣れてくると、理解力もアップしますし、しゃべること自体も自然なものになってきます。何か特別なことをしているのではなくて、自然に自然に、文章を読めるようにしていきたいのです。最初は大変かもしれませんが、慣れてくるまで続けていくことです。そしてそこから本格的に声優・俳優への道が始まるのです。

○日々のトレーニング(4)

日々トレーニングするためには、日々のトレーニングメニュを作っていかなくてはなりません。先ほどの文で書いたように慣れることから始まって、自分なりのメニュを作っていくのです。慣れること、正しく読むこと、発声よく読むこと、それぞれに自分なりのメニュを作っていきましょう。
「慣れること」…新聞の社説を毎日読む。小説10ページを毎日読む。または電車の中の広告を読んでみるのもいいかもしれません。
「正しく読むこと」…滑舌練習。母音練習。テキストの練習文を使ってもいいし、教材は自分で選んでもいいです。この際、自分の声を必ず録音していきましょう。録音して何度も聞き返していきます。一定の時間しゃべったら、それを聞き返していきます。これを繰り返していくのです。正しくしゃべれているか、はっきりしゃべれているのか、厳しく聞いていきます。聞き取りにくい部分があったら、そこをピックアップして、また何度も繰り返ししゃべる練習をしていきます。 

○日々のトレーニング(5)

「発声よく読むこと」…滑舌をよくしていくとともに、いい声作りも同時にしていきます。(発声練習)(息吐きトレーニング)(体力作り)をしていくことで、楽器としての体を作っていきます。
(発声練習)…ひと声を腹の底から出してゆくトレーニング。「ハイッ」と体の奥から深く大きな声を出していきます。また「アイウエオ」等の母音練習。これはいろいろなやり方があります。テキスト等を参考にしてやっていきましょう。大切にしたいことは体から声を出していくということ。体を、そして声自体を鍛えていくのです。声を鍛えていくのは時間がかかります。なぜなら日々少しづつ形成されていくからです。こつこつと淡々と継続していくことを第一に考えていってください。
(息吐きトレーニング)…これもいろいろな種類のメニュがあります。毎日続けられるようにメニュを作っていきましょう。また歌うことによっても、息吐きのトレーニングになります。定期的に歌う習慣も身につけていってください。
(体力作り)…筋トレをしたり、スポーツをしたり、歩いたり走ったり。基礎体力はとても大切です。アスリートだと思って日々鍛えていくことです。 

○日々のトレーニング(6)

トータルで自分なりのメニュを作っていきます。これでなければだめだということはありません。細かい部分についてはメニュを変えていってもいいのです。自分にあったメニュ、毎日続けられるメニュを作っていきましょう。
たとえば定期的にレッスンを受けているのならば、レッスンの予習、復習をメニュに組み込んでいってもいいと思います。自分の課題とすること、改善していきたいことに対して、日々取り組んでいけるようにメニュを作っていきます。
また定期的に舞台や声の仕事があるのなら、その仕事に向けての練習や前回の問題点の改善等、やるべきことはたくさんあります。それらに対して日々どんな取り組みをしていったらいいのかを考えてメニュを作っていきます。
こうした短期的な現実的なことに対してのメニュと、長期的な視野にたっての基礎トレーニングを並行してやっていきましょう。

○読書(1)

多くの本を読んでいってください。これは意識的に、努力して取り組んでいってください。役者としての基礎はここから生まれます。また読書の習慣がないのなら、その習慣を作っていってください。読書の習慣がないのに、活字を扱う仕事(俳優、声優、ナレーター等)ができるはずもありません。厳しいようですが、ここから始まります。
まずは文に慣れていくこと。読書の習慣があれば、活字に対してスムーズに取り組んでいけるはずです。活字に対して目が慣れているということも大切なのです。またたくさんの文章を読んでいるということで、理解力もついてきます。こういう流れだから、このことばが次にくるとか、全体的な流れも掴めるようになってきます。そして多くの作者の考えから学ぶことで、自分自身の考える力もついてきます。自分の思想というものも生まれてきます。慣れて、理解して、考える力をつけて、人間的にも成長していくからこそ、その部分が声の味わいとなって出てくるのです。 

○読書(2)

伝記…ひとりの人間が一生のあいだに経験できることは限られています。自分だけの体験からしか、経験を得られないのであれば、ひとつの人生、一種類の経験しかすることができません。それでは役作りの際に、バラエティーに富んだ役作りができません。だからこそ自分以外の人、自分と違う職業の人の、自分と違う生き方の人の伝記を読んでほしいのです。その人物の人生が一冊の本から体験でき、その人物の人生を疑似体験できるのです。これはひとりでふたりの人生を生きたのと同じになります。こういう意味での経験も積んでいってほしいのです。
実際に多くの経験をし、人生観を磨き、人間的に成長していくことで、人間的な魅力も増していきます。その魅力が声となって出てくるのです。だからこそ伝記を読み、他人の人生を経験することで、自分自身の経験値を増やし、高めていってほしいのです。歴史上の人物、また現代の何かを成し遂げた有名人の生き方を追体験していきましょう。 

○読書(3)

小説…人の心の動きがストレートに学べます。登場人物それぞれがどのような心の動きをして、どんな人間関係を作っていくのか、気持ちの変化を追っていきましょう。作者の思い、登場人物の思い、そして読んでいる自分の思い、それらの思いすべてから、多くの人間の心理というものを学んでいきましょう。また自分が感動できたところ、心が動いたところ、共感できたところが多ければ多いほど、自分の心の内的空間も広がっていきます。感受性も高まっていきます。自分の中に柔軟な心、豊かな心を作っていきたいですね。
一冊まるごとでも、場面ごとでも構いません。自分なりにあらすじをまとめてみましょう。最初から、あらすじを書くつもりで読んでみるのも勉強になります。登場人物の気持ちの流れでストーリーを掴んでいきましょう。世界の、そして日本の名作と言われる作品は、一度は読んでおきたいものです。何十年も残ってきたその作品には、必ず人を感動させる人間模様が描かれているはずです。 

○読書(4)

戯曲…今は昔と違って、多くの戯曲を読むことができます。書店に行けば世界や日本の戯曲までも手に入ります。また劇団のお芝居を見に行ったときに、会場で売っていたりもします。このように環境は整っています。その中から貪欲に戯曲(台本)を読んでいきましょう。
戯曲を読むことで話し言葉に慣れていきましょう。セリフに慣れていきましょう。ひとつひとつのセリフを噛みしめて読んでいきましょう。小説などと違って話しことばが多いため、状況や人物の気持ち等、説明が少ないことも多いのです。だから文章として書かれていない、登場人物の気持ちまでをも想像しながら、読み進めていきましょう。またセリフの合間に書かれているト書き(場面説明)から、その場面の状況等も想像できます。すべての文、すべての間、すべてのト書きからイマジネーションを働かせて読んでいきましょう。
古典の名作といわれるシェイクスピアの作品は、何冊か読んでおきたいものです。 

○読書(5)

詩…短い文章の中から、多くのことを感じ、多くのことを想像していきましょう。限られたことばの中に凝縮された意味を味わっていきましょう。ひとつひとつのことば、その行間に込められた深い意味を読み取っていき、想像力をつけていきます。また暗記するぐらいに、ひとつの詩を読み込んで、それを元に、ひとり芝居の練習をしてみましょう。ことばの重み、行間を感じ、またその行間から自分自身の新たな気持ちを作り出して、動きに結びつけていきましょう。気負いすぎる必要はありません。行間のセリフのない部分こそを大切にして、感じるままに演じてみるのです。

哲学、宗教書…ソクラテス、プラトン、ブッダ、イエス等。偉大な人物のことばには人類の叡智がつまっています。哲学を難しいものだと思ったり、宗教を古臭いものだと思ったりしないで、偏見を捨てて学べるところは学んでいきましょう。人間性を高め、心が豊かになっていくはずです。 

○読書(6)

経営書、経営者…成功者たちのことばから多くのことが学べます。どういう努力をしてきたのか、どういう困難を乗り越えてきたのか、成功にいたるまでの道のりを知ることで、勇気が湧いてくるはずです。ジャンルは違えど、成功へ向かっていく姿から多くの学びがあるはずです。

スポーツ…アスリートの考え方、哲学、生き方はアーティストにも通じるところがあります。オリンピック選手、プロ選手、世界で活躍している選手は活躍するだけの理由があります。どんな考え方をしているのかを学んでいけば、一流の考え方が身についてくるはずです。一流を常に目指していきましょう。

読書をすることで自分から積極的に吸収していく、つかみとっていく精神が養われていきます。イマジネーション力もついてきます。

映画や舞台を観たり、テレビでドラマやドキュメンタリーを見たりすることも大切ですが、積極的な読書をもっともっと大切にしていってください。

○台本の読み方(1)

1.まず台本を渡されたら、作品全体を読んでいきます。台本の流れどおりに読んでいきます。例えば自分の役のセリフがあったとしても、その役をやらないつもりで読んでいきましょう。まずはそういったかたよった気持ちを持たずに、ひとつの作品として内容を理解していきます。内容が理解できたら、その作品の中での自分の役の役割を明確にとらえていきます。ここまでのことをしっかり理解できたうえで、自分の役のセリフ練習をしていくのです。

2.次にやることは自分の役のセリフ練習ではありません。声に出して自分のセリフの練習をしたいところなのですが、まずその前にセリフの気持ちを考えていきます。文の流れ、前後の相手のセリフ、役のキャラクターなどから判断して、それぞれのセりフに気持ちをつけていきます。リアルな気持ちを考えていくのです。またその役の気持ちの流れをつかんでいく過程で、自分と関わりのあるすべての役の気持ちの流れもつかんでいきましょう。

○台本の読み方(2)

3.自分の役のセリフ練習をしていきましょう。自分で考えた気持ちをもとに読む練習をしていきます。その気持ちになった上で読んでいきます。その気持ちになるまでに時間がかかるのなら、時間をかけて構いません。セリフをしゃべるための動機、つまり気持ちになった上で読んでいくことが大事なのです。その状態で何度も何度も読んでいき、そのセリフを覚えていきます。ただことばだけを覚えるのではなく、気持ちをつけて覚えていくのです。その気持ちになったら、自然にセリフが出てくるという状態になるまで読み込み、覚えていきます。またそれと同時に相手役のセリフがあるのなら、そのセリフも覚えていきましょう。

4.2と3を繰り返し、体に覚えこませていくのです。この状態で初読み合わせができたら理想です。最低立ち稽古までに、この状態にまでもっていきたいものです。

○台本の読み方(3)

5.セリフを覚えて、立ち稽古していく中で、新たな気持ちを発見することもあります。セリフだけで台本を見ていた時と違い、その空間(舞台)の中でリアルに考え、感じることで、より芝居が深まってきます。また一度考えた気持ちであっても、ストーリーの流れの中で、流動的に変えていってもいいのです。また相手役と話し合いをして、意思の疎通を計っておくことも大切です。そして自然にセリフが出てくるようになったら、その役として、また相手との関係において、リアルにストーリーを生きていこうとしていくことです。
 
6.その作品自体を研究していきましょう。どんな背景で書かれているのか、原作者は誰なのか、また関連資料を集めていきます。その資料を読み作品を研究していきましょう。

7.原作を読む。もし原作があるのなら読んでください。その中から、セリフに書かれていないセリフや登場人物の違った一面が発見できるはずです。また原作者の他の作品も読んでみましょう。

○深い意味を読む(1)

「はい、ぼくです」「いいえ、ちがいます」このセリフを使って表面的なことばとは反対の気持ちを考えてみましょう。
つまり「はい、ぼくです」のセリフの場合、イエスといっておきながら事実としてはノーの意味。「いいえ、ちがいます」はイエスの意味を考えてみましょう。もちろん、、まずは表面的なことば通りの設定でセリフを練習していってください。そのうえで反対の気持ちになるように、状況、設定を変えて気持ちを作ってみましょう。
例えば「はい、ぼくです」のセリフの場合、自分が生徒役、相手が先生役として、先生から「ここをきれいに掃除したのは誰なの?」と聞かれたとします。その答えとして掃除をしていない自分が「はい、ぼくです」と答えるのです。表面的にはイエスのことばでも、気持ちの中では嘘をついていてノーなのです。嘘をついていることがばれてしまわないかとか、やってもいないのに褒められたいとか、嘘をついている時って心も穏やかではないはずです。そのあたりの複雑な心境を表現していきたいのです。

○深い意味を読む(2)

「いいえ、ちがいます」の場合も考えてみましょう。自分が犯人役、相手が警官役で取調べ中「お前がやったのか?」と聞かれたとします。その答えとして「いいえ、ちがいます」と答えるのです。もちろん犯人ですから何か犯罪を犯しているわけですけど、この場合、本当に警官を騙せるくらいに「いいえ、ちがいます」というセリフを言う場合もあれば、動揺しながらだったり、自分が犯人ではなくても知り合いが犯人だったりして、その事実を隠そうと必死になってしまったり、いろいろ複雑な気持ちは作れます。
こういった練習をすることで、深く深くセリフの意味を考える習慣をつけていきたいのです。ひとつのセリフから何通りもの気持ちを作り出していきたいのです。このイメージ力と洞察力、思考力が身についてくれば、実際に状況設定が決まっていて、表面的なことば通りのセリフだとしても、より深みのある、意味のあるセリフが話せるようになれます。深く深く意味を読み取っていきましょう。

○映像を思い描く(1)朗読練習 P136「蜘蛛の糸」

まずは黙読します。2,3回読んでいきます。それでは読んでみましょう。
丁寧に読んでいることはわかりますが、流れが止まってしまっています。点や丸を意識しすぎないで読んでいきましょう。意味の流れを切らないように、テンションの流れを切らないように読み進めていきます。
少し慣れてきたら、今読んでいる文章だけではなく、次に読む文章も視界に入れつつ読んでいきましょう。先を先を見て読んでいくのです。今読んでいることだけに集中しすぎると余裕をもって聞こえてきません。先を見る余裕があれば、読むこと自体にも余裕が出てくるはずです。まずはこういった基本的なことを何度も練習していくことです。

次にこの文章を4つの場面に分けてみます。内容的に4つに分かれると思いますが、それが正解というわけではありません。自分自身でいろいろ考えてみて場面を分けてみましょう。今回は次の4場面に分けてみましょう。

○映像を思い描く(2)

次の4つの場面に分けてみます。
1.ある日のことでございます。〜お歩きになっていらっしゃいました。
2.池の中に咲いている蓮の花は〜朝なのでございましょう。
3.やがておしゃかさまは〜ふと下のようすをごらんになりました。
4.この極楽の蓮池の下は〜はっきりと見えるのでございます。
この4つの場面それぞれにしっかりとした映像をつけていきます。頭の中で映像を思い描きながら読んでいくのです。おしゃかさまがどんな歩き方をしているのか、蓮の花の色、地獄の様子等、具体的に思い描いていきます。
またこの映像を思い描くという作業を、一番最初の黙読の段階でやれたなら最高です。最初の段階で読むことではなく、いくつかの場面を決めて、その場面を思い描いていくのです。場面で分けて文を構成してしまうのです。
それではそれぞれの場面を思い描き読んでみましょう。 

○映像を思い描く(3)

この頭に思い描いてというイメージがわかりにくい人は、映画のような映像を見ながら読んでいるというイメージにしてみましょう。映像を見ながら、その映像に声をかぶせていくのです。具体的に見ながら読んでいるのだから、リアルな話し方になるはずです。こういったイメ−ジも使っていきましょう。
今の時点ではうまく読むことよりも、映像を思い描くことのほうに意識を集中させていきましょう。
また実際に映像を見ながらのナレーションはよくあることですが、今回は頭の中で思い描いて読めるようにしていきましょう。
次に場面ごとに変化がわかるように読んでいきましょう。場面が変わったんだということを聞き手にしっかりわからせなくてはいけません。読み手の気持ちの変化、頭の中の場面の変化、登場人物の気持ちの変化、この変化を感じて読み進めていくのです。 

○映像を思い描く(4)

慣れてきましたか?
今は読むことと、映像を思い描くことを同時にしていると思いますが、次は映像をしっかり思い描き、その映像を10秒ほど思い描いてから読んでみましょう。読む前に気持ちを作ってから読み始めることと同じで、充分に思い描いてから読んでいくのです。

いろいろなイメージの方法を書いてきましたが、自分なりのイメージの方法で構いません。一番イメージがわきやすく、映像が思い描ける方法で読んでいってください。

読み手がイメージした分だけ、聞き手に伝わっていくのです。このイメージ力が弱いと伝わるものも伝わらなくなってしまいます。どれだけ具体的にイメージできるのか、その世界に入っていけるのか、これが問われます。常にイメージを持って読んでいく習慣を身につけていきましょう。

○ナレーションの現場で(1)

ディレクターに求められることにいかに応えていけるか、ここが勝負です。もちろん自分の有能さをアピールしていくことも大切だが、有用さこそを求めたい。そのナレーションの内容、ディレクターの求めていくことを把握し、理解し、しゃべっていきます。
相手の指示の内容をまず自分の中で噛みくだき、それを自分流に表現してゆくことが大切。100パーセント聞きすぎて、余計に意図していることから離れていってしまうこともあるからです。
例えば「そこのフレーズを切ってください」という指示に対して、単純に切ってしまっては、文の流れ、テンションの流れが切れてしまうことになります。「切ってください」という意味は、次のことばをはっきり聞かせたいということなのか、気持ち間を空けてほしいということなのか、その場で判断していかなければならない。
ただ渡された台本を読めばいいということではなくて、その場での応用力が試されるのです。
イメージで、なんとなくこんな感じでという言い方をされることもあります。そう言われたら、そこから自分なりのイメージ、気持ちを即座に作りプレゼンしていくのです。それが違うものであったならば、また別のパターンを即座に作り直しプレゼンしていきます。だから現場では何通りもの表現を次から次へと生み出していかなければなりません。 

○ナレーションの現場で(2)

前もって原稿を渡されることはめったにないのですが、たまにそういうこともあります。軽く読んでおくときとしっかり読み込んでおくときと2パターンあります。軽く読んでおくときは、本当に軽く目を通し、大体の内容をつかんでおくだけです。本番でいろいろ応用を求められるため、表情をつけるのは現場で行います。ベテランになるとこのパターンです。事前に原稿をもらわないで、当日その場で読んでしまいます。最終的にはこうなりたいものですが、慣れるまでは事前にもらったほうがいいかもしれません。
もうひとつの読み込んでおくパターンでは、本当にじっくり読み込んでいきます。イメージ、内容、気持ち、文の流れ、間の取り方など。すべてを考え、何度も読んでいきます。原稿にどういう流れで読んでいきたいのか気持ちなどを書き込んでいきます。
ここで注意したいことは、本番では、ここで読み込み、練習したことを忘れて現場に行ってほしいということです。自分の中である程度作り上げておきつつつも、柔軟に応用をきかせるためです。いろいろ話してきましたが、実際は当日に原稿を渡されることが多いのが現実です。こういった経験を通して徐々に慣れていくことが大切です。

○ナレーションの現場で(3)

30秒のCM原稿を読んでみた時、字数が多くて40秒になってしまうことがあります。コメントもこれ以上カットできない状況で、30秒の中で収めるよう読んでいくことになります。10秒も縮めなくてはならないのです。もちろん読むスピードを上げるのですが、慌てた感じや余裕のない読み方にならないように注意しなくてはいけません。スピードを上げつつも、落ち着いてゆったりと読んでいきます。感覚的に30秒というものを感じて、縮めていくのです。またこの反対に短い文章を長くしなくてはならないこともあります。この際は間のびしないように気をつけ、メリハリのあることばで、ゆったりと読んでいきます。

どちらの場合も大事なことは時間の感覚を身につけるということです。いろいろな文章を時計で計りながら、15秒、30秒で読めるように練習していきましょう。慣れてくると同じ文章を15秒、30秒と読み分けることができるようになってくると思います。
また例えば2秒オーバーしてしまった時にも、次に読むときは2秒を縮める感覚で、ほぼぴったりに読むことができるようになってくると思います。時間の感覚をつかむことです。

○ラジオアナウンサーの仕事(1)

「AM 向きの声、FM 向きの声」
ラジオで活躍しているアナウンサーからこんな話を聞いたことがあります。

「声圧の強い声、押しの強い声はAMに向いている。FMは心地がいい声、雰囲気を持っている声が選ばれる。雰囲気を持った声は、AMの電波に乗ると声が曇ってしまって、その雰囲気がわかりにくくなる。」

確かにFMは電波がいいので、繊細な表現や息使いまで聞こえてくるので、大きなヴォリュームでなくとも、ニュアンス等よく伝わってくると思います。逆にAMは電波が悪いため、雰囲気よりも強い声が必要なんだと思います。AM、FM 関係なく魅力的な声にしていきたいですね。
このように場合によっては、強い声より、雰囲気のある声が求められることもありますが、まずはしっかりと強い声で話せるようにしていきましょう。その上でいろいろな応用として表現の幅を広げていくことです。しっかりと自分の声で強く話せることがまず大事です。 

○ラジオアナウンサーの仕事(2)

「気の感覚」
「放送中は、お子さんから高齢者の方まで、今までお会いしてきた方たちの顔を思い浮かべながらマイクに向かっています。不思議なことにリスナーの皆さんからのメールやハガキをいただかなくても、今聞いている皆さんがどう感じているのか、ある程度わかるんです。気の感覚ではかって進めているような感じです。リスナーの方の手ごたえのようなものを感じ、「もっと踏み込んでみようか」「もっと親しみを込めてみよう」など、自分の方からエネルギーを出しながら放送しているんです。」

見えない相手であっても、その存在を感じ、その存在に向かってエネルギーを発していく。イメージ力、想像力、そして研ぎ澄まされた感性が必要なんだと思います。スタジオの現場での雰囲気も感じ、そして電波の向こう側の気も感じる。ただしゃべればいいのではなく、感じる感性、伝える感性、すべてが鋭敏に繊細に働いている。とても繊細な仕事なんだと思います。
今テレビで「オーラの泉」等が流行っていますが、ラジオでのアナウンサーの仕事も、霊能者に近いような気がします。

○ラジオアナウンサーの仕事(3)

「自分を知ること」
「この仕事に必要なのは決して技量とか技術ではなく、自分を知るということ。「声は人なり」だと思います。特にラジオは声に人柄があらわれます。ビジュアルでごまかしがきかないぶん、本当に声に人柄が出てしまうんです。それこそポロッと出てきます。本当に自然体でいられるのは、自分の長所も短所も認めているから。自分のことを知り尽くすのはけっこう難しいですけど、知ろうとしているその姿勢が一番問われている気がします。自分を知った上で自分を出していく。そうしなければリスナーの方も聴き続けられない。ラジオはごまかしのきかないメディアなんです。」
もちろん技量や技術も大切です。しかしその部分を極めてきた人だからこそ、このように言えるのだと思います。
極める過程であらゆる経験をし、失敗や成功を繰り返し、自分が磨かれてゆく。そういった過程を経るからこそ、人柄や味わいが出てくるのです。技術を極めた先にある大切なものを目標に頑張っていきたいものです。

○セリフを覚えること

役者として舞台に立つためには必ずセリフを覚えなければなりません。
しかし声を使う仕事をしていて、セリフを覚えるようなことがないという方もいると思います。実際声優であれば渡された台本を読んでいくわけですから、覚える必要はありません。しかしセリフを覚えてしゃべったという経験はしておいてほしいのです。セリフを覚えて、頭の感覚ではなく、体の感覚でしゃべるということを経験してほしいのです。この経験がある人は原稿を読んでいても、セリフを覚えて読んでいるときの感覚でしゃべることができるのです。この感覚が深まれば深まるほど、自然でリアルで自由な表現ができるようになってきます。声を仕事としていきたいと思っているのであれば、この感覚をつかむためにも、一度は役者として舞台に立つことをお勧めします。
またそんな機会がないのであれば、ある文章を覚えるまで読み込んで、何度もセリフとしてしゃべる練習をしてください。
実際、ある声優の学校では、まずはじめに役者としてのトレーニングをして、舞台に立たせるというところもあります。
文章を覚えてしゃべったという経験は、これから声の仕事をしていく上で、とても大切な経験になってくると思います。

○人前であがらないために(1)

緊張してあがってしまうことはよくあります。あがってしまうというだけに、実際呼吸が上のほう(胸に)あがってしまっているのだと思います。人前でしゃべるのだから、当然あがります。緊張もします。そうした中でいかにあがらずにしゃべれるのか、考えてみましょう。
目の前の人を「石だと思え」ということを聞いたことがあります。石なのだから全然緊張するはずがないということでしょうか。ある意味緊張はしないかもしれませんが、相手に自分の伝えたいことが伝わるかどうかは疑問です。一方的にこちらの言いたいことを伝える形になってしまいます。これではコミュニケーションとしてはどうかなと思います。しっかりとコミュニケーションを取りながらも、緊張しないで落ち着いて話せる方法はないのでしょうか。
緊張していても、しっかりと体が動いてくれていれば、しっかりとした声が出せます。気持ちに関わらず、安定した声が出せるのです。そのためには呼吸そのものを変えていきましょう。 

○人前であがらないために(2)

あがってしまうと胸で呼吸をしてしまいます。この胸呼吸を腹式呼吸に変えていきましょう。もちろん胸(肺)に息は入るのですが、お腹を意識することで深くまで息を取り込むことができます。安定して息が取り込まれていれば、声も安定してきます。
もちろん人前で話すときだけ意識するのではなく、普段からこの呼吸は意識していきたいものです。どんな状況であっても常にお腹で呼吸をしているのだ、お腹から声を出しているのだという意識をしていきましょう。お腹を中心に呼吸をし、声を出していくのです。
例えば人前であがってしまっても、この呼吸が安定していれば、声が震えたりとか、裏返ったりすることはありません。気持ちとは関係なく体が働いてくれるのです。ここまでいくためには、かなり意識してトレーニングしていかなければなりません。普段からお腹を意識していくこと、また息吐きのトレーニングを定期的にやっていくこともお勧めします。とにかく自分の生活の中に取り入れていき、習慣化させていくことが大切です。 

○人前であがらないために(3)

イメージトレーニングも取り入れていきましょう。
フリーで自由に話しても、ある文章を読んでも構いません。人前で話しているんだというイメージのもと、話す練習をしていきましょう。最初はひとりに向かって。そのひとりに向かって丁寧に話しかけていきましょう。そして徐々に人数を増やしていきましょう。
明確に今、人前で話しているんだというイメージのもとやっていきます。もちろん緊張しても構いません。緊張感をもってやっていくことで、徐々にその緊張感にも慣れてくるはずです。とにかく慣れていくことです。
またイメージしながら、実際話してゆくトレーニングのほかに、イメージだけのトレーニングもしていきましょう。そのイメージの中では、とても積極的に、いい声で話している自分、とても流暢に話せている自分の姿を、ありありとイメージしていくのです。実際はそうでなくても全然構いません。このイメージを心に焼きつけていくのです。そうすることで実際に人前で話す時に、このイメージが現象化してきます。このトレーニングも何度も何度もやっていってください。



■トレーナーズ アドバイス〔2007〕 
レッスンの中での概要です。これらのメニュが必しも誰にでもあてはまるものとは限りません。参考にとどめておくようにしてください。

<Lesson>

○レッスンの習慣性

皆さんはほとんどの方が定期的にレッスンを受けています。しかし、体調やご家庭、仕事の都合上、レッスンを欠席されることもあると思います。人それぞれに生活があるので欠席されることも仕方ないのですが、なるべく定期的にレッスンには通われることを望みます。なぜかというと人間の筋肉というのは厄介なもので、悪い癖は一瞬で覚えてしまうのに、トレーナーに良いと言われた声は何もしないと約2日間で筋肉が忘れてしまうのです。声楽の先生の中には自分で練習して変な癖をつけるなら何もせず自分のレッスンの時だけ声を出しなさい、という先生もいらっしゃるくらいです。

現在のソフトバンクホークスの王監督は現役時代、バットの素振りを行うことが習慣になってしまい、バットを持たない日があると気持ちが悪いと言っていました。この習慣というのがとても大事でトレーナーに声を聴いてもらい、独りよがりな声になっていないかを確かめることが当たり前になっていって欲しいと思います。往年の名歌手、フランコ・コレッリは海外の劇場に歌いに行くと、必ず毎晩、自分のヴォイストレーナーに電話し、電話口で歌ってよし悪しや声の修正を行っていました。本当に声を考え大事にしている人ほど、レッスンの重要性を認識している気がします。(♭Σ)

○違いをわかる

『違いをわかる』ということについては、改めて重要性を認識して欲しいと思います。
最近、レッスンやアテンダンスの質問でいい時とダメな時の違いがよく分からないとういう質問を受けます。そもそも音に決まった用語があるわけではないので、この答えは私の主観的な表現でしか答えられません。つまり、感覚的なものでしか伝えられないのです。
ですから、よい時とダメな時の違いは音や体で感じるしかないのです。要は感覚が敏感か否か、感性が豊か否かの問題なのです。違いが分からないと言ってしまうことは、自分の感覚が鈍いと言っているのと同然なのです。
例えば料理を勉強している人が、産地の異なる食材を使い料理をして味比べをしたとき、味の違いが分からないと堂々と言うでしょうか?わからないなら、わかるよう五感を研ぎ澄ませてわかるよう努力するのです。受身ではなく、ぜひ音に対してどん欲になって欲しいです。(♭Π)

○芯のある声を

曲を歌っているとフレーズにあわせて音量の変化をつけなくてはいけません。つまり、クレッシェンドとデクレッシェンドです。音量はピアノからフォルテまであり、人それぞれ声量が違うため音の大きさは求めません。しかし、ピアノからフォルテまでの変化量は本人の中でしっかりと意識してください。
 曲の中でピアノの音が要求されていた場合には音を浮かして単に弱く歌うのではなく、常に芯のある声を持って欲しいのです。浮かした音も、芯のあるピアノの音も数字上の音量は変わらないのかも知れませんが、質がまったく違うのです。
 そういった歌い方ができるようになるためにはまず、芯のある声を作りやすいフォルテですべて歌いましょう。その後にピアノの部分を、芯のある声のまま音量を小さくしていくのです。ピアノだからといって単に音量だけを小さくするのではなく芯のある質の良い声で歌えるようにしましょう。(♭Π)


<声、せりふ、歌のアドバイス>

○楽器に学ぶ

いろいろな歌手を聞いて勉強するのはもちろん、それ以外に他の楽器の演奏からも学べるものがたくさんあります。(逆に、楽器の人のレッスンでも、必ずといっていいほど「そこのメロディーを歌ってみて」というアドバイスがされます。)歌と同じ息を使う管楽器(フルートやオーボエ、サックスなど)や、また、笙や横笛など邦楽器ではブレスの使いかたなど、直接活かせるポイントがたくさんあります。どんどん聞くようにしましょう。(♯∬) 

○硬くしない

歌うときに無意識のうちに体がこわばってしまう人がいます。丹田を意識して、肩が上がってないか、息を回して…など、いろいろ考えているうちに逆に体が硬くなってしまうのでしょう。
でも、これではよい響きの声は出ません。まずは歩きながらとか、屈伸しながら、両手を上げ下げしながら歌ってみるなど、体を動かしながら歌い始めることをお勧めします。(♯∬) 

○自分の持っている声

皆さんはそれぞれにあんな歌手になりたい、あんな歌が歌いたい、あんな声になりたいという希望をもっていらっしゃると思います。当然私にもありますし人間は皆生涯に一度は必ず考える事ではないでしょうか。
しかしここで考えて頂きたいのが、目指すものがモノマネでいいのかと言うことです。確かに「芸術は模倣から」といいますが性別、人種、年齢、体重、身長、骨格が違うならば同じ声にはならないのです。(意図して出しているモノマネ芸人は別)
声の高低は声帯の長さや太さによって決まりますが、それも身長などが大いに関係してきます。バリトンのような長くて太い声帯の人がテノールの真似をしても音域を下げれば可能でしょうが、同じ音域では不可能です。ましてや、それがプロを目指そうとするのであればなおさらです。人と同じ声をだしているなら、同じ声は二人は要らないわけです。モノマネ芸人の方達はあえて同じように声を出していますが。一般のミュージシャンとしては二人は要らないわけです。ですから最近では平原綾香、宇多田ヒカル、少し前ならGLAYやTMRなどの独特な声をもったミュージシャンが活躍しています。
また自分に合わない音域や曲を歌うために、のどを潰している歌手も多くみられます。私自身はデビュー当時ならともかく最近の安室奈美恵などのライブの歌などは聞くにたえません。これは彼女自身が悪いのではなく、歌手本人の声帯を守るためにキーを下げるなどの対策をとらない裏方の責任もあるかとは思います。まず自分自身の声と素直に向き合ってみて、自分はどこまでなら責任もって出せるキーなのか、自分の声はどのような声なのかなども客観的に聴いてみる必要があるでしょう。まずは自分の生まれ持った声をそのまま成長させましょう。(♭Σ)

○体の仕組みについて知る

声楽を勉強する人は必ず音声学の知識を身につけます。研究者のように詳しくならなくても結構ですが、知って損することは絶対にありません。この音声学はポピュラー音楽をしている方も、一般の方も知っていると大いに身になると思います。
難しい専門用語をたくさん覚えるというのではなく、解剖学的に発声器官を知ったり、共鳴の仕組みを勉強すれば、自分でいろいろ声の出し方を試しながら、自分の求める声により早く近づけるでしょう。是非、声の出る構造を知ることを積極的に勉強してみてください。そうすれば別の角度から自分の声を見つめ直すこともできます。参考になる本はたくさんあります。 (♭Π)

○体とのどのケア

体・のどのケアについてふれてみます。よりよい状態でレッスンを受けるために日頃から体調には気をつけてほしいです。特にレッスンの前日や、当日に上手くなりたいが余りに練習しすぎるのは、かえって逆効果であることもあります。たとえば、高音をはりあげてのどが疲労していて、いざレッスンに来ても声がでなければ、あまり意味がありません。こういうときは、ひどければ喉頭炎になっているかもしれません。
ほかに普段発声練習をするときの注意としては、体とのどがあたたまらないうちにフル・ヴォイスで歌おうとしないことです。運動選手だって柔軟体操をするでしょう。呼吸の練習をしたり、ハミングで歌ってみるとか、いきなり良い声をだそうと思わないことです。喫煙・飲酒・不摂生ももちろんお勧めしません。最悪なのは、お酒を飲んで仲間とカラオケに行きシャウトすることです。次の日は絶対声がでませんよ!(♯Θ)


<Menu>

○姿勢から発声まで

姿勢
・腰が少し反っているのでもう少し内側に丸め込む
・全体的に後ろに反っているので正す
・まずかかと重心にしてみてそのあとつま先に移した位置がどっしりと立てる
・下半身はどっしりとさせて、上半身は力を入れない
呼吸
・吸って吐くをくり返してみてもらう
・吐くときお腹がすぼまって固くなっていくのではなく、お腹はほぐしたりさすったりして常に柔らかく保つイメージ
・みぞおちが固くなりやすいのでほぐしたりしながら柔らかく使う
・いずれにしても腹筋(下腹の支え)は必要
発声
・ウ母音でドレミレドや他2パターン
・高めの音階になってくると息が多くなるので、普段話しているようなウでよいので、息というより声にする
・物を思い切り遠くになげるように出す
・緊張するとすぐ胸が固くなる、閉じる。顎の下の筋肉も固くなる
・のどをしめて音にするのは意味がない。のどをしめず体を使ったった発声をする。
・声量のあるタイプは、抑えたりせずだしてよい。


<音楽基礎Wのテキスト>

○強拍・弱拍について

強拍・弱拍は、基本的な音楽のルールです。
慣れないうちは、強拍部分をわざと、大げさに強く歌ってみます。
楽語ででてくるアクセントとは、違うものです。

手拍子も、強拍部分は、強く叩きます。反対に弱拍部分は、非常に弱く叩きます。ゆっくりと、この叩き分けもしっかりできるようにやってみてください。習得するには、かなり時間がかかるははずです。忘れがちなのは、小さく歌う・叩くということなので、気をつけましょう。
ある程度のテンポで両方できるようになったら、今度は、弱拍部分を強くしてみたり、いろいろ変化をつけてみましょう。これが自由自在になると、リズム感がすばらしくよくなります。

覚えておいてほしいのは、最初に言ったとおり、これは基本的なルールだということです。こういうものの上に、音楽は成り立っています。しかし、いつもいつも、歌う時にこれをやらないでください。もちろん、これをやると上手に聞こえる場合も多々ありますが…。
体の中に、これがしっかり入っていれば、しっとりした歌でも滑らかな曲でもとても上手に聞こえるはずです。ただべったり歌うということにはならないはずなのです。(♯Б)


<トレーナーRレポート>

○先日深夜にテレビをつけたら、アンジェラ・アキの特集を放送していた。その数日前には、トップランナーという番組でYUIをゲストにむかえ、演奏もしていた。一緒に観ていた母が、ふと「この人は全然アンジェラ・アキみたいな歌い方と違うね〜」と言った。YUIの歌い方はギターをガンガン弾きながら、メロディーというよりは語り?シャウト?という感じ。私が生徒に指導している方向と逆に近い。そんな会話から、それまで特に興味がなかった、アンジェラ・アキの名前が頭にインプットされたときに、出逢った特番だった。1声聴いて、母が言った通りだと思った。彼女の声、音楽は全身を抜けている、響いている、澄んでいる。私が色々言う前に、是非お手本として聴いてほしい。
次に聴くときはどんなふうに、どんなことを歌っているかに注意して聴いてほしい。そして、興味を持ったなら、彼女のバックボーンもリサーチしてみたら、きっと納得いくだろう。(♯Θ)

                          
<トレーナーのメッセージ>

○目標に向かってやっていくのですが、大切なことは毎日毎日の積み重ね、一瞬一瞬の積み重ねなのです。今が勝負なのです。今日一日が勝負なのです。その積み重ねがあってこそ、未来の目標につながっていくのです。さぁ今からなにをしますか?今日はなにをしますか?できることから始めていきましょう。(♭∞)

○今回は自身が音楽を学ぶに際して、常に心に留め置いている言葉を紹介させて頂きます。
「音楽家は日頃どんなに練習を積んでいようとも決められたその日・その時間・その場所において自分の力を最大限発揮出来なければ、何の意味もないんだよ」
皆様にとって”決められたその日・時間・場所”の1つが、ここでのレッスンでありますよう願っております。(♯Ψ)

○今できることをする
みなさんがこの研究所にこられているのは各人それぞれの目的があるからだと思います。その目的が違ったとしても、みなさんが共通してやらなくてはいけないことは、大きな目標を持ち、体当たり覚悟でやることです。しかしその前にやらなくてはいけない重要なことは、、『今の自分を知る』ことです。自分を過大評価してはいけませんし、過小評価してもいけません。自分のいいところを伸ばすも、潰すも自分次第です。自分を知ればおのずと今できること、今しなくてはいけないことが見えてきます。是非、今一度自分を省みてみてください。(♭Π)

○3月の上旬、イタリアにレッスンを受けに行ってきました。
レッスン以外でも街を歩いているだけで、イタリア語の美しい響きが耳に飛び込んできます。よく耳を傾けていると、もとの声は無理がなく決して大きな声ではないのですが、体全体から声がよく響いて、さらに石畳の通り道、石造りの建物によって、音が反射、反響して大きく増幅されて耳に届くように思われます。こういった西洋の環境は何百年、または千年単位で培われた物なので、声の出し方そのものの意識、感覚が僕たちとは大きく違うのではないでしょうか?
母音を例にとって見ると特に「ウ」が日本語よりも大分「オ」に近く深いポジションで発音されます。逆に西洋人が日本語の「ウ」を発音しにくいというのも興味深いと思いますが、できるだけ外国の映画を観たり、ライブを観たりして表情、口の開け方などを研究すると、普段のレッスンに新しい課題、目標が見えてくると思います。(♭Φ)

○新しい年になり、もうすでに四分の一が過ぎました。この四月がおわると、もう三分の一が過ぎることになるのです。新年に今年こそは、と何か目標を決めた方もいらっしゃるのではないでしょうか。そこで、ひとつよい方法をお伝えします。かつて、指揮者の小澤征爾さんがおっしゃっていたことですが、大きな目標はなるべく作らない、考えない、ということなのだそうです。大きなことは、なかなか達成できず、途中で挫折してしまうのです。なので小さなこと を少しでもいいから、毎日目標を作るのです。今日はこれをしよう、そうしたら明日はこれをしよう、と続けていくうちに、とても大きな結果が得られます。その後、イチロー選手もテレビでこんなお話をしていました。200本安打を達成したとき、僕はこのために特別なことをしたわけではありません。日々やることをやり続けてきただけです。全く同じですね。最後に、わたしの恩師の言葉です。才能は愛と継続でのみ成り立つ。どんなに好きなことでも努力を継続しなければ力はつかず、どれだけ継続しても好きでなければ力にはならないという意味です。(♯Λ)

○正しい音程で歌っていますか
音楽には必ず音程というものが存在します。この音程が繋ぎあってメロディーになり曲がなりたっているわけですが、最近の歌手の生のライブ映像がテレビに流れると、音程のよい歌手を見るほうが少なくなっています。音程が悪いと言うことはたまたまその音のみ低かったなどを除けば、ハッキリ言ってしまえば「音痴」です。勉強の途中で発声の都合上、音程が定まりにくかったり高かったり低かったりすることは実際ありますが、お金を払って見に来る公演やテレビに放映される公演で終止音痴というのはありえないことです。
ほとんどの場合が、発声から来る問題ではないでしょうか。何故ならその歌手の方達は、曲は知っているわけだし、レコーディングなどで歌っている以上、音が分からないということはないと思うからです。ならば、なぜあんなに音程が悪いのでしょうか?
一つは曲の高音化だと思います。最近の曲は(特に男性)の曲はキーが高すぎます。女性でも浜崎あゆみ、安室などの曲は、高い上に本来、頭声で歌うべき音域までも地声で張り上げて歌っているので、上がりきっていなかったり、単純に苦しそうという印象しか受けないのです。浜崎などはデビュー当時と今の声は全く違います。結果として私には単純に「音痴」にしか聞こえないのです。音痴にしか聞こえない歌手が、プロとしてまかり通ってはいけないと思っていますし、カリスマ性であれだけの支持をうけているのだからこそ、あのような音程の歌が正しいように歌って欲しくはないと思います。(♭Σ)

○跳躍した音程をとる練習について
跳躍音程が苦手な人は、練習する時に跳躍音程の間にある音もキーボードで弾いてみる、または歌ってみることをおすすめします。例えばド→ラという長6度音程の練習だと、その2つの音程の間のレ、ミ、ファ、ソも歌ってみて下さい。それが正しくできたら今度は間の音は、実際には音を出さないで頭の中で音をおうようにしてみて下さい。その課程がスムーズにできるようになるまで繰り返し練習して下さい。

○音程をよくするには、自分の声を、なるべく、客観的に聞けるようにしなければならないと思います。客観的に聞くことは難しいですが、テープなどにとって、もし、音程が外れていた場合、自分が正しい音程より、高い音を歌っているのか、低いのかを、自覚できれは、直すことができます。また、音型によっては、音程がとりずらい時があると思います。その時は、楽譜の終わりから、歌ってみたり、リズムを変形させて歌ってみると、正しい音程がとれます。
リズムに関しては、複雑なものは、音はつけないで、リズムだけ読む練習をするとよいと思います。
拍子に関しては、2分の2拍子が、慣れないかと思います。はじめは、4分の4拍子で歌って、慣れてきたら、2拍子で歌ってみるとよいと思います。拍子によって、強拍、弱拍の位置が変わってきます。その特徴を、つかむことも大事です。(♯Ω)

○音楽基礎のレッスンは、少しでも音楽の基礎知識がある人には、取り組みやすいものですが、わからない人には、全てがスムーズに進まず、非常にやりにくいものだと思います。どのようなことでも、一から取り組む際はなかなか進まなかったり、頭で理解できているのに、体がついてこないもどかしさなどがつきものです。大変ですが、最初のヤマを越えなければ、何事も楽しむことができません。
ジャンルは問わず、音楽自体を楽しむことができるようになるために、皆さんはここにレッスンを受けにきて、私達はその手助けをしています。上達するのは、皆さんであって、自分でやらなければ上達はしていきません。
月に数回、ここでレッスンをするだけでは、できるようにならないといってもいいと思います。初心者ほど、1日1回、課題を1題、あるいは5分、譜面と向き合ってみてください。1人でやってみてわからなかったところ、できなかったところについて、私達トレーナーと取り組んでみるというのが、上手なレッスンの受け方だと思います。仕事が忙しかったり、ここでレッスンを受けているのは趣味だから…といろいろ思うところはあるでしょうが、せっかくやっているのですから、頑張ってください。(♯Б)

○歌うということは、自分の体が楽器であるということ。その楽器を鳴らすためには、健康は勿論、心と脳ミソが必要になります。特に心は目に見えないからこそ、多くの人は精神状態に左右されがちです。でも、プロやこれからプロになりたいと思ってる人は特に、左右されるようではなりません。たとえば、長年の夢だった武道館ライブの当日に親が死んだとしたら?どうしますか?それでも歌う位の覚悟はできていますか?プロを目指していない人も、たとえば、レッスン前日に涙で目を腫らすような悲しい出来事があったとしたら?翌日レッスンに来ますか?来ても歌えますか?心と体のバランスがとれない人なら、来ても無意識のうちに声がでないことでしょう。体は正直です。心(意識)なしで歌おうとしても、楽器は鳴ってくれません。テクニックだけでなく、心も鍛えられるようなレッスンを是非心がけていってください。(♯Θ)


〔トレーナーの一言アドバイス〕

<発声>

○自分の声が出ていない。のどで歌うのではなく、体からしっかり声を出していけば、自分の本来の声が出てくる。スポーツでの重心、下半身の使い方を歌に生かしていくこと。

○中低音域でなめらかに安定した声を出せるようにしていきたい。体の中心から遠くに向けて息を流し続けていくイメージを持って、声を出していくこと。

○形やのど、ひびいているところなどにとらわれすぎる。意識することはいいことだが、もっとイメージを使ったり、感覚的な部分を持っていかないと、余計に力が入ってしまう。意識しすぎないで、上半身の力を抜いていきたい。それと下半身に重心を感じながら、声を出していくこと。

○息を流し続けることができている時は、のどの力も抜けてくる。この感覚をつかんでほしい。息の流れの上に音を乗せていくイメージで声を出していくこと。

○なめらかなラインを描けている。まずはリラックスした状態で息をつなげていくこと。体のパワーがあるのだから、のどに力を入れすぎないこと。もっと繊細なラインを描いていくこと。

○リラックスした状態で呼吸できるようにしていくこと。その延長で声を出していくこと。今は声を出すときに、体に力が入ってしまう。徐々に力を抜きつつ、息は強く吐けるようにしていくこと。

○のどの調子を保つためには、いろいろな要素があるが、まずは体力、そしてうがい、呼吸法。自分にあった形でいい方法を見つけていくこと。普段からの心がけやケアが大切。

○声楽的な要素も取り入れていくこと。のどの力を抜いて、でも息はしっかり吐いていくこと。ミュージカルを目指してはいるが、ある程度クラシック的なひびきもつけていくこと。

○のどを中心に歌いすぎる。同時に胸にも力が入っている。上半身ではなく、下半身を中心に歌っていくこと。まずは胸で息を吸わないこと。お腹で吸えば、胸は動かないはず。

○ブレスをリラックスした状態で取り込んでいく。この感覚に慣れていないので、体に入れていくこと。体はリラックスしつつも、テンションが下がらないようにしていくこと。

○まずは息を吐き続けること。点々になりすぎる。カラオケの影響かと思う。自分の体でしかっりひびかせて、息を流していくこと。徐々に体の力も抜けてきているので、いい方向にいってほしい。まずは考えすぎないで、日々練習していくこと。

○力が抜けてきている。なめらかにつなげていくこと。常にリラックスして息を流し続けていくこと。練習の段階でもっと意識的にやっていって体に覚えこませていくこと。

○息を吐き続けると、ブレスの際に切れてしまう。どうしたらいいのかということだが、ブレスも内側に向かって息が流れているというイメージを持っていくこと。流れは円を描くようにつながっている。円を描きながら、歌う練習をしてみる。

○ブレスの扱いが雑になる。ゆっくりたっぷり取り込んで、歌の流れの中でブレスしていくこと。歌い出す前に息を吐きながら声にしていく練習をしてみる。流れもよくなり、のどの力も抜けてくる。


<せりふ>

○声はよく出ている。声そのものよりも、内容、伝えたい思いのほうを大事にしていくこと。声自体のトレーニングもさることながら、意志力を高めていくことも意識していってほしいい。思いがあるから伝わっていく。思いがないから伝わらない。

○フリーなトークの中でも、声が通ってきている。自分の意見も自分から言えるようになってきている。積極的に自分の思ったことを素直にしゃべっていくことが大切。

○ことばがぼやける。息を混ぜようとしすぎて、息声になってしまっている。息は混ぜたいが、息声にはしたくない。もう少し効率のいい声にしていきたい。鋭くはっきり声を出していくこと。

○ストレートに声が出ている。このシンプルな流れを感じていくこと。気持ちとしては大きくうねっていっていいが、声としてはシンプルにストレートに出していくこと。表に出てくる表現もシンプルでいい。

○会場で話す際の視線について、ある一人を見つめすぎないで、俯瞰ですべての人を見ていくこと。多少視界はぼやけていていい。大きな視界で遠くの人に向かってしゃべっていけば、いずれいい感覚で見れ、話せるようになってくる。

○声を出すことだけではなく、気持ち作り、イメージ力、あらゆる要素を総合的に整えていくこと。モチベーションをキープできるように目標を持っていくこと。

○読み方にスピード感がない。自分で進めていく意識がほしい。今、声にしているフレーズに集中しすぎないで、先のフレーズを見て、前へ前へ進んでいくこと。

○息の流れを感じて、なめらかに歌っていくこと。力が入ってしまうので、もっとリラックスしていっていい。低音ものどで鳴らしてしまうので、もう少し抜いていくこと。

○相手役とのコミュニケーションもしっかり取っておくこと。話し合いを重ねて、その中から意見を合わせていき、気持ちを合わせていくこと。その上でセリフの練習、合わせをしていくこと。

○初見の文章でも落ち着いて読んでいけるようにしていくこと。集中力のある状態で練習していくこと。文に集中、文の内容に集中、そして自分の声に集中していくこと。

○アニメ声で高いトーンの声でしゃべることが主になってしまっている。この声も使っていいが、本来の自分の声を作っていくこと。体の深いポジションから声を出していく。レッスンの中では、深いいい声が出ている。この声を体に覚えこませていくこと。

○リアルな声、リアルな思い、この二つを大切にしていくこと。普段の自分の声と発声の時の声の接点を見つけていき、自然な声を作っていくこと。普段の声もよくしていく。

○生の舞台を見ること。小説をたくさん読むこと。これらのことをしていない。もっと積極的にしていくこと。そして心を磨いていくこと。最終的な武器はその部分になる。

○ひとつのセリフ、一行のセリフの中でも、気持ちの変化がある。その変化をいろいろ考えて、試していくこと。気持ちの振り幅をもっと大きくしていくこと。内側に気持ちを広げていくこと。


<日本語曲>

○表面的な表現をしないこと。もっとあふれ出る思いを、息の流れに乗せていくこと。それだけでいい。小さくまとめない。

○丁寧に歌いすぎて重くなってしまう。丁寧さを残しつつも、先へ先へ進んでいくこと。結果的にフレーズ自体としての丁寧さが出てくる。リズムも前のり前のりでいい。

○日本語歌詞だけではなく、英語の歌詞も出てくるが、その英語歌詞のなめらかな流れで、日本語を歌っていくこと。その流れを日本語に生かしていくこと。日本語を歌っている時も、英語を歌っているつもりで歌っていくこと。

○多少ボリュームを出して歌っていくこと。いずれ好きな形で歌っていっていいが、今は気持ちを外へ外へ出していきたいので、ボリュームがほしい。体の使い方を感じていくこと。

○歌い出しのテンションが低い。もっとテンションを上げてから歌い出だせるようにしていくこと。歌い出す前になにを考えているかが大切。集中力、気持ち作り、準備をもっと大切にしていくこと。

○抽象的なイメージのまま歌いすぎる。もっと具体的にイメージしていい。丁寧に歌っていることはとてもいいことなので、そのうえで内容のある丁寧さを出していってほしい。

○歌うこと自体の技術は大切です。それとともに、気持ちを作ったり、テンションをつなげていったり、先のフレーズをイメージしていったりする精神的なことも技術なので、そちらの技術も磨いていくこと。

○繊細に歌いつつ、パワーのある声にしていくこと。ことばやフレーズの流れは丁寧に繊細に、体の使い方や息の吐き方はパワーをともなって出していくこと。

○テンションは上げるが、歌自体を頑張らなくてもいいところもある。いつもいつも歌いすぎないこと。また歌うことが大変でも、そこは体でカバーしていき、気持ちを出していくこと。

○集中して一曲歌えるようにしていくこと。歌の世界に入っていくこと。その中で自分がどう生きたいのか、どう気持ちが変化していくのか、自分の人生を歌の中に作っていくこと。

○大きくフレーズをとらえていくこと。歌っているその瞬間のことばしかイメージできていない。ワンフレーズ、ブロックごと、1番2番、曲全体といろいろな観点から、歌詞を読み込んでおくこと。そしてその中で気持ちが変化していくことを感じていくこと。

○フレーズ終わりのテンションが下がってしまうので、一つ一つのフレーズを丁寧に繊細に歌っていくこと。一所懸命さは伝わってくるので、内容とこのテンションがつながってくるといい。

○その曲全体の思い、フレーズごとの思い、そして歌詞に対してのイメージをもっと描いていくこと。なぜその気持ちになるのか、なぜそのことばが出てくるのか、もっと考えること。考え方が浅い。

○歌詞の読み込みが足りない。もっと読んで自分の世界にしていくこと。フレーズごとでもイメージが作れるはず。イメージを持って歌っていくこと。


<英語曲・ジャズ>

○だんだん自分の声で歌えてきている。気持ちを込めた時に上半身に力が入りすぎないように、下半身に広がっていくイメージで歌っていくこと。気分で歌わないこと。雰囲気ではなく、リアルな思いがほしい。

○聞き込みが足りないので、どんどん聞いていってほしい。まずは体に音楽を入れていくこと。その上でリズムを感じていくこと。

○低い声はひびきがあっていい。力が抜けているこの低音に慣れていないので、この声に慣れていくこと。このリラックスした感覚を感じていくこと。

○息を流し続けていくこと。点々になってしまう。英語をしゃべる練習もしていくこと。何度もしゃべって流れをよくしていくこと。そのうえで歌っていくこと。

○練り込みが足りない。とにかく浅い。もっと考えてくること。考えた分だけ表現も豊かになってくる。うまく歌えないのは、考えていないから。もっと疑問を持つくらいに考え抜いていくこと。


<カンツォーネ・シャンソン>

○歌ったことのあるカンツォーネを歌う。流れはつかめている。ブレスを一所懸命取り込もうとしているが、体に力が入りすぎる。ゆっくりゆったり吸うこと。

○もっともっと興味のない音楽を聞いていくこと。今わからなくてもいいので、できるだけたくさんのジャンルの曲に接していくこと。音楽が体の中に入っていないのに表現することはできないし、ましてや作曲したいのなら、もっと聞くことが必要。

○母音だけで歌っている時は安定している。その流れとひびきでイタリア語を扱っていけるように。のどで押しすぎるので、もっとリラックスして歌っていくこと。

○しっかり声を出していっていい。その地声を鍛えていきたい。低い声が持ち味であることがわかっていないので、そのいい声をもっと伸ばしていきたい。低い声、低いひびきで歌っていくこと。

○日本語で歌う。意味がわかるので歌の世界に入っていくこと。自分が歌っている歌詞からもっとイメージを働かせて、自分の世界を作り出して歌っていくこと。

○歌い出す前にもっと準備をすること。気持ちの準備、体の準備(息を取り込んでおくこと)。次のフレーズを、今のフレーズを歌っている時から感じていくこと。

○声楽的で深くいい声が出ている。でもリズムに乗り切れない時があるので、少し軽く歌っていい。深く取りすぎることなく、横の流れとして、さらっと歌っていい。曲によって声の使い方を分けていくこと。

○もうひとつ先にレベルアップしていくこと。そのためには声を出すこと自体ではなく、内容に入っていくこと。その世界で生きていくこと。もっと歌詞を深く考えていくこと、等。やるべきことはたくさんある。

○低い時の声のひびきを、高いところに生かしていくこと。フレーズになめらかさが出てきているので、フレーズとフレーズのつなぎをもっと大切にしていくこと。

○常に目的を持って歌っていくこと。息のこと、声のこと、体のこと、音程のこと、等々。自分で何か課題を持って歌っていくこと。歌い出す前のすべての準備が足りない。

○拍を頭で取りすぎて、フレーズがうねってしまう。なめらかにならない。もちろん体ではテンポを刻んでいきたいが、刻んだ歌い方にならないように。頭ではなく裏で刻んでいくと、なめらかに歌えていた。この感覚を自分の中でつかんでいくこと。

○意識してなめらかさを出そうとしているので、実際なめらかになっている。この感覚を忘れないでほしい。意識して練習をしていくこと。そのうえでフレーズの動きをつけていくこと。

○イタリア語を歌った直後に、日本語を歌った時の、感覚がとてもいい。息の流れ、ひびきも安定していて、日本語の意味も聞こえてくる。このバランスを大切にしていってほしい。

○低音時のリラックスした歌い方で高音も歌っていくこと。意識すればできている。歌うこと自体に満足しないこと。アスリートとして鍛えてきた筋肉を使いすぎないこと。もっと力を抜いていってほしい。

○テンションが上がると、のどに力が入ってしまう。このバランスが大切。テンションはあくまで気持ちの部分なので、体はリラックスした状態で強い気持ちが出てくるといい。

○なめらかになってきている。イタリア語の読みはできなくても気にしないこと。流れを大切にしていけばいい。

○のどで歌いすぎる。もっとリラックスしていい。セリフで何度も読んでみて、そのしぜんな形から歌に入っていくこと。また寝た姿勢でも歌ってみること。息の流れは感じつつ、余分な力を抜いていくこと 。

○何回も歌っている曲なのだから、メロディーではなく、歌詞に集中していくこと。歌詞の流れで歌っていくこと。日本語の意味の流れを大切にしていくこと。

○音程が不安定になるので、音をひとつひとつ取っていかないこと。息の流れでメロディーの形を作っていくこと。作ったメロディーラインの上を歌っていくこと。

○フレーズを大きくとらえていくこと。集中してフレーズをつなげていくこと。集中が切れると音程も不安定になる。

○ことばはあいまいでいいので、もっとつなげていくこと。母音を伸ばして子音がないイメージで歌っていくこと。ひびきや息の流れに集中していき、体を作っていくこと。

○キーをできるだけ下げて歌っていく。この際普段の歌い方でなくてもいいので、とにかくリラックスして歌っていくこと。この感覚をつかんでいくこと。感じていくこと。

○低いキーで歌っていく。自分の声を音の大きさだけで聞いていかないこと。自分の声が聞こえないようなところで歌う時も、声ではなく、体の使い方や、息で聞いていけるようにしていくこと。自分の声が聞こえなくても、いつもどおりに歌えるようにしていくこと。体の感覚で覚えていくこと。

○パワーのある声と繊細な声のバランスが良くなってきている。パワーある声で歌っていても丁寧さを忘れないように。フレーズの入り方や切り方を丁寧にしていくこと。


<オリジナル>

○高いテンションで歌っても雑にならないように。突如サビでテンションが上がることが多い。サビに向けてのテンション、ストーリーの流れをしっかり考えて歌っていくこと。

○あらゆるものを吸収していくこと。技術として声を鍛えていくと同時に、心を豊かにさせていくものを吸収していくこと。両方大事。


■Q&A by トレーナーズ
研究所内外の質問とトレーナーの回答です。
これも相手や目的によって、回答が異なることもありますので、参考としてください。                      


Q.歌う時に特に上半身が力んでしまう場合、どうしたらよいのでしょうか。

A.1.まず深呼吸を行う。その時に肺・肋骨が横に広がっていく
 感覚を感じながら。両手を横に伸ばしながら行うのもよい。
2.比較的音が跳躍しているパターンの発声を選び
 落ち着いたテンポで、1の感覚を活かして行う。
 *ド−ファ−ド/ド−ソ−ド
 →2拍づつ、ファ・ソに音が上がる時に1の感覚を用いる
 *ド−レ−ミ−レ−ド/ド−ミ−ソ−ミ−ド
 →Moderato(中くらいの速さで)で、これもやはり
  頂点の音であるミ・ソに向かって1の広がりを用いる 

Q.モチベーション維持が予想以上に大変です。個人の意志(目標)に依存するものなのでしょうか?

A.ある程度目標は必要です。目標があるからモチベーションが保てるのですから。
またトレーニングといっても、ただ声を出すことだけがトレーニングではありません。表情であったり、話し方であったり、気持ちの持ち方、作り方、相手の気持ちを理解すること等、いろいろな要素をトレーニングしていくのです。もっともっと目標を高くして、自分自身を磨くつもりでトレーニングに取り組んでいきましょう。

Q.フレーズは自分のイメージで考えていってよいのでしょうか。

A.フレーズというのは、理論に基づいて、作曲家の意図のもとにある場合がほとんどです。(歌謡曲は必ずしもそうとは言えないが)
音楽にも決まりがいろいろあります。例えば、和音の構成や、和音同士の組み合わせなどにも基本的な法則というものがあります。
曲として見ても、様々な形式に則って作られています。ですから、大抵の場合、理論的に見ていくと、フレーズはしぜんに感じられます。
8〜9割方はわかるものですが、それにプラスして自分のエッセンスを加える隙間があることも多いです。「2種類フレーズが考えられるけれど、こういった理由で私はこっちだと思っています。」というようなことができるようになって欲しいのです。

フレーズを損なわないように、ブレスの位置を考えていくのが当然のことですが、わざと大きく間を取ってるということもできます。
そこが、その人らしさであり、同じ曲をいろんな人が歌っていても楽しく聞けるのです。(♯Б)

Q.低かったポジションを鼻にもってこようとしていますが、これは鼻声というものでしょうか。お腹から息を流し、鼻の辺りに響きを集めるということで間違いないでしょうか。

A.『鼻声』と『鼻控共鳴』とではまったく違います。息が流れているのが鼻控共鳴です。一方、鼻声はのどの奥で息の流れを止めて発音することです。この違いを自分で明確に出せるようにしましょう。
自分の声が共鳴する感覚を養い、どのポジションで共鳴させるか自分で選択し、共鳴声を発達させてください。
主な共鳴場所としては、頭部と胸部があります。頭部では『鼻控』がはっきり振動を得られます。この鼻控とは実際には咽頭鼻部といい。鼻控の奥からのどにかけての管を指します。いろいろ試して、表現によって使い分けられるのが理想ですが、まずは同じ共鳴部分で音色を統一させられるのが大事でしょう。(♭Π)

Q.高音域の地声、裏声に厚みがないのです。トレーニングを始めたばかりなので音域が狭く、音が高くなる程高い位置でせまい発声になりますが、どうしたらよいのでしょうか。

A.声には声区というものがあります。大きく分けて、「低声区」「中声区」「高声区」に分かれます。この高声区の中でも『ジラーレ』と『ファルセット』に分かれます。簡単に言ってしまうと、ジラーレは高音域の地声で、ファルセットはいわゆる裏声です。
 ジラーレは地声ですから声帯がしっかり振動しているので、音の強弱が付けられ、声に厚みも付けられます。しかし、ファルセットは、あまり音の強弱を付けられません。
よって、高音域で厚みのある声を出したいときには、この『ジラーレ』をしっかりマスターしなければいけません。しかし、これはテクニックのため体得するまでにはとても時間がかかります。地道な努力が必要ですので根気強くおこなってください。(♭Π)

Q.普段はストレッチと発声練習、ブレスコントロール程度の練習をしています。プロのボーカリストを目指すにあたって、普段のトレーニングは何をすればよいかわかりません。

A.プロもアマも普段やっているトレーニング内容はおそらく大差ないと思います。ただ、やりこなすレベルに違いがあるのです。アマがプロのしていることを見よう見まねやっても、ただやったつもりでいるだけで効果が伴うまでのことをしているのか疑問に思うこともあります。
基本的にはレッスンで行ったことをしっかり自宅で練習し続けることが大事です。あれもこれもと手を出しても、基本的なこと(例えば腹式呼吸)ができていないうちに、発声の難しいテクニックを身につけようとしても無駄です。物事には順番というものがあります。
また、ストレッチの方法などはレッスンではやりませんが、ストレッチ自体に意味があるのではなく、ストレッチをしているときの脱力感を感じ、歌のときに活かせるようにすることに意味があるのです。単にメニューをこなすのではなく、やっていることの内容の意図するところを知りましょう。(♭Π)

Q.トレーニングは何年くらいすればよいのでしょうか。

A.何年間レッスンを受けたから、ここで終わりなどというような義務教育のような考えでは意味がありません。トレーニングを受けようとしたときの意思が本人であったように、やめるときもまた本人の意思ではないでしょうか。
クラシックの世界では一人の先生に10年付きなさいと言われます。よいところだけでなく、先生の癖まですべて学び取るまで徹底的に技を習得するのです。それはあくまでも伝統芸能であるがゆえにそういう態勢をとりますが、ポピュラーの世界では伝統よりも、その時代の求める個性が重要になるわけです。技術の習得はクラシックほど徹底的なものは必要ないのかもしれません。
ですので、基礎・基盤が身に付き自分である程度判断基準が分かってきたら、自分の持ち味を生かしていけばよいのではないでしょうか。しかしどんな形にせよ、歌を続けていくならばトレーニングは一生行わなければならないと思います。トレーニングは自己との闘いなのです。(♭Π)

Q.練習していて、改めて息が足りていないことを痛感しています。高音がのどに詰まってしまいます。

A.息が足りていないというのは、ゆっくりお腹から呼吸しているでしょうか。立った状態だとなかなか実感でき何ないかもしれません。仰向けになって寝た状態で深呼吸してみてください。きっとお腹、ウエストの周りが楽に広がると思います。この感覚を歌っているときにも常に意識できるようにトレーニングしていきましょう。いつも脱力&リラックスを心がけてください。初めのうちは歌う前にウエストの周りが充分広がるまで息を深く吸い込んでから、ハミングまたは「ウ」と「オ」の真ん中の声で一音のロングトーンを歌ってみます。半音ずつ上に上げて行き、のどにかかりそうな高さになった所を繰り返しクリアーにできるようにトレーニングしていきましょう。(♭Φ)

Q.言葉、特に日本語の朗読で相手に伝わっているかどうか、自分ではよく分からず少し不安です。

A.話し言葉としての日本語を、舞台やステージで観客に伝えられる所まで持っていくには言葉一つ一つの持つイメージを明確にして内面的にならず相手に話しかけるように、語りかけるように朗読することをいつも心がけましょう。わかってはいても初見で読んだり、読みが足りないと呼吸も響きも浅くなってしまいます。前もって原稿が手元にある場合は、繰り返し繰り返しリハーサルして本番に臨んでください。歌う時も同じですが、下を向いていると内にこもったように見え、遠くまではっきりと言葉が聞き取れないことが多いです。表情を常に一定に上向き、笑顔を心がけると上手くいきます。当然演出、内容によって暗く、悲しいフレーズも出てくるでしょう。喜怒哀楽を上手に表現できるように、トレーナーと一緒にレッスンに励んでください。(♭Φ)

Q.発声練習をしていてのどにどうしても力が入り、声が詰まってしまう感じがします。何かよい解決策はありますか。

A.声を出すところをのどという場所から他の所に意識を持っていくのはどうでしょうか。
例えば頭の上に手を置いてみて、頭の天辺がびりびりっと響く感覚をつかめるでしょうか。
あまり響かないなと感じる人は、意識や目、眉毛をできるだけ上に持ち上げてハミングをして実感してみてください。そうするとしぜんと声のポジションがのどから上に高く移動していくと思います。響きは高く、支えは下に下にと縦の意識を持って低い声から高い声までバランスよく練習してください。一人では感覚が掴みにくいときはトレーナーと一緒に一音一音確認して先に進んで行きましょう。(♭Φ)

Q.音がひびくライブハウスやホールで歌うと音程が乱れるのはなぜですか。

A.ひびくスペースでは、自分の声が聞きにくいものです。
耳から入ってくる音を基準にするのではなく、体の使い方や息の吐き方、体の鳴り方を感じながら歌ってみてください。聞こえてくる声を基準にしないことです。練習の段階から、そのことを意識してやっていってください。本番で自分の声がひびいていようが、ひびいてなかろうが、そのことに左右されずに、体で歌っていくことです。(♭∞)

                                
■VOICE OF LESSON by メンバーズ
研究生、通信生などのレッスンに関するレポートです。

<Lesson>

○曲やテンポなど制約はあるが、あくまでも「自分」を基準にしている。自分のキーとテンポで、自分の言葉として、感じたリアルな気持ちで創っていく。大きく大きく動かし、はめて、詰め込んで、ずらして…と繰り返しながら少しずつ削って削って、シンプルにしていく。そこに、同じ曲を歌っても、その人の曲になっていくのだろうなと…。

集中した自然な状態の身体と感覚でいないと、本当の意味で対応できない。頭が先に働くと、機械的にリズムを追ってしまったり、機械的に合わせようとしてしまう。
「自由度」がどんどん狭まっていくし、息も声もイメージも「内」に向かってしまう。最初に聴いて感じたことがもう薄れてしまって、機械的に声を発しているだけになる。自分らしさが出にくくなるので、合わせようとして合うはずがない。仮に合ったとしても、「合っただけ」で何もないものになる。そうすると、何も見えなく(聴こえなく)なって崩れていく。その代わり、頭でなく感覚で取ろうとすれば流れが見えてくる。その流れを頭に持っていかず、身体と感覚で捕まえておけば、多少の乱れ(声、息、音程など)は生じましたが、無意識にフレーズを少し動かせた感がありました。
    
その後、この調子で!と思いながら、リズムを少し意識したところ、フレーズを歌い出した途端、リズムの意識が消えてました。しかし、ちゃんと身体に入っていないので途中で不安定になってきました。そこで「アレ?なんか違う?」と感じた瞬間…頭が動いたというか、現実に戻ってしまったというか、集中が切れてしまいました…。

練習やトレーニングでは、必要以上に意識的に取り組むことが多いですが、それだけではダメですね。レッスンの場や本番では、集中もテンションも「無意識」に高められるように、また、伝えたいこと、イメージ、構成、強弱なども「無意識」にやれていないといけないです。予期せぬことが起こるのが発表の場です。それに対応できず、ボロボロの状態なると自分も苦しくなりますし、本番だったらお客様にそれを見せてしまっては次がなくなります。きちんと歌えたとしても、次があるかわからない世界ですから…。
「無意識」の状態を普通に出せるようになるには、まず練習を重ねて、意識的に身体と感覚に染み込ませることが最初ですね。今更ではありますが、それを当たり前にすること。そこからがスタートなのかもしれません…。(MA)

○「Fly me to the moon」三昧の日

いろんなフライミーを聴いて歌う
テンポもノリも全く違う3タイプ
・ジョニーハートマン(150)
・トニ−ベネット(99)
・パティペイジ(150)
1.パティペイジの疾走感めちゃかっこいい。
2.トニ−ベネットでかい。
3.ジョニーやり切ったぜという感じ。
ゆっくりやるのは実に難しい。
ホントは早いのも難しいが「なんちゃって」が効く部分もあるので
素人耳にはゆっくりほどの差は無い感じがしちゃう。
しかし、ゆっくりにすると明らかにバレバレ。大変不様。私はボロボロ。
ゆっくりの時の方が、より深く自分の本体に音楽が流れてないと、
決して「のる」事はできない、のだろうな。とっても「でっかく」いないといけない。だからスローバラードなんかで人をトロトロに溶かそうなんて思ったら、めちゃくちゃどでかい釜が必要だという事です。

○いろんな人の「影を慕いて」聴く
「いそしぎ」 をやる。

「The shadow of your smile when you are gone.」と三回出てくるが、それぞれに役割をはたしていておもしろい。そこだけバラバラに取り出してみても分かる感じ。

出だしのは、さあこれから始まりますっつー感じだし、真ん中のは、ほれこれから盛り上がりまっせという感じ、エンディングのは、はいこれで終わります、という風になっている。微妙な違いが大きく世界を変えてしまうのでした。

○ちあきなおみで、カバー曲いろいろ聴く(以下)
♪氷の世界
♪小春おばさん
♪わかって下さい
♪五番街のマリー
♪恍惚のブルース
♪アカシアの雨がやむとき
ちあきなおみさん、情念の世界をやらしたら本当にピカイチだと思います。

「夜霧よ今夜もありがとう」は新鮮でした。
中島みゆきさんのカバーをするのは難しい事なのだなあ、と感じました。
ゴッドファーザーのテーマ聴く、尾崎紀世彦

○最後の二行がとても大切。
「はじめとおわりの二行」コレ共に最も肝心なところ。

そうなのです、これこの二つがイケてれば、何となく全体の印象がイケてる感じに思ってもらえる。

わかっちゃいるんですが…、集中力が切れるのだろうか、確かにいっつも最後まで保たない。
どこかで戻せればいいんだろうけども、いっかい駄目になるとなかなかそうはうまくいかないのだった。
戻るチャンスを逃さないようにしなきゃいけない。

だいたい性格的にも、そういうタイプ…。途中から挽回とか出来ないヘタレ人間なのでした。
「最初からぶっちぎって逃げ切る」という方法しか、何にしても勝ちパターンが無かった。
ぬー、人間的成長が必須の事なのかしら?これ?むむむむ。

○声が「うまく機能しない使えない」時にやる、もうひとつ別のやり方を考えておく。

どう、すればよいのだろう…考えよう。
で、咄嗟にそれが巧く切り替えて使えるだろうか…。
ま、やってみるしかありません。

何にしても、いろいろもっと覚えなきゃいけないこと、考えなきゃいけないこと、整理しなきゃいけないこと、いっぱいいっぱいあるです。ふんぎゃ。(NI)

○「呼吸」
壁を向き合って、指で壁に触れる程度で、かかとと上げて、膝を伸ばして、背筋を伸ばして、立ちながら呼吸。足の10本の指を地面に突き刺すようなイメージでバランスを取る。
バランスが取れるようになったら、指を触れないようにして立って呼吸。
・下半身を自然に意識できる姿勢だなと感じました。姿勢も良くなりますし、腹式呼吸が甘くなったり、どうもお腹に入りにくい場合にやると、感覚を取り戻せそうです。ふくらはぎや背筋に多少痛みがありました。最近使い方が甘かった箇所かもしれません。(一晩で回復する程度の痛みでしたが)

正座をしながら、鼻から息を吐くことだけに集中して息吐き。吐く時はお腹がへこむ。力が入ってると動きが逆になったり、ギクシャクした動きになるので注意。できない時は、1回1回をゆっくりと繰り返す。
・この動きはうまくできませんでした。どうしても逆の動きになってしまいます。力で動かしてるからかもしれません。腰周りと腹筋を柔らかく使えるようにする為ということで、できるようになると何かしろの応用が利くかなと思います。

・呼吸は回転。止まることなく回り続ける。というイメージを無意識にできるように。(MA)

○壁に軽く手をつき、爪先立ちで息を吐く。その状態からひざを少しまげて脱力すると同時に吸う。この時のポイントは「吸う」という意識ではなく「ぶわっ」と「入ってくる」感じで。またこのひざを曲げて脱力した状態から息を吐きながら上体をゆっくり徐々に起こしていき、爪先立ちの状態まで。この一連の動作を各自繰り返す。これだけでじんわり汗がにじむような感じだ。この動作をする事で下半身での呼吸の流動をバネのように実感できたのがよかったと思う。今度はこの動きを息ではなく実際に声を出して行った。すごくリラックスした状態なのにけっこう深くて芯のある声が自然ととりだせたのがよかった。上半身は脱力できているが下半身はしっかり使えているという状態ができたからであると考えられる。力んでガチガチに声も体も固くなってしまった時に元の状態に戻す為のエクセサイズとして使えそうだと直感した。

続いて今日の課題曲も、まったく知らない曲だったのだが先生が先に何度かピアノで弾いてくださっているのを聴いて、「いい曲だな」と感じた。このさみしげな感じ、焦燥感というのか、何か胸にくるものがあった。アメリカのフォークソングらしく、コードもシンプルなコード進行で成り立っているのだが、素直に「いい曲だな」と感じられたのは本当に久しぶり。しかも歌い手なしのピアノだけでそのように感じたのでよっぽどメロディも自分好みだったのだろうか。さて今日はこの曲を「MA」で歌唱。低音から高音までけっこう広い曲だ。今日はまずは歌詞を歌わないという事もあり、フレーズや自分の表現を創る前の段階、呼吸の流れを意識。その流れの中で音楽的に聞こえるようにする。始めはやはり息を流す事だけに意識がいきすぎた為に単調なものになってしまった。今回はピアノの伴奏と一緒に歌ったのだが、先生は知ってか知らずかはわからないがピアノのタッチに抑揚がついていたにもかかわらず、それと絡むような感じまで歌い手の方がいけなかった感じだ。しかしポイントをアドバイスして頂いたのと、自分も「このMAを奏でよう」という意識を出した事により、後半は少し音楽的になったかなと感じた。なにはともあれこの曲、ぜひとも自分のレパートリーになるよう、モノにしたい曲だ。聞くところによると、ちあきなおみさんもこの曲、歌っているらしい。でも今日の曲、僕はまだ誰の歌い手が歌っているのも聞いていない真っさらの状態なので自分で煮詰めてから他の人のものを聞いた方がよさそうだ。

プロの歌い手の音源を聞かずにとことん自分で煮詰めてみてから、プロの歌い手のを聞く事によって、「なるほど〜、こういうアプローチの仕方もあるのか!」という発見をする事によって勉強になると感じる。まずはとことん自分でやってみる事だ。ただ時折陥るのが、自分でいろいろなスタンス、アプローチで一曲に取り組んでいる時に、どれがいいかわからなくなったり、極端な話、どれも気に入らない場合や、結構簡単によく聞こえてきたりする場合がある事だ。こういう時は一旦時間を空けたり気分転換したり工夫するのだが、「あかん!はまってきた!」ていう事はままある。自己満足できてしかも客観的にも優れているという作品、絶えず自分の中にあるテーマだ。(YK)

○このレッスンでは前回に引き続き発声の練習を行った。前回のレッスンで表情がかたいなどの指摘があったので、体をやわらかくして声を出す練習を日々していたつもりだったが、実際に先生の前に立つと、声が出ない上に、相変わらず自分で聴いていて不快になるような声しか出せなかった。ただ、意識して正せるところは正そうと思い、口を大きく開けて声を出すようにこころがけた。先生は、新たに声帯のことや舌の位置のことを教えてくださった。また、もっと息を吐くようにと言われた。声を出すということはこんなにも難しいのかと自分の至らなさを実感すると共に、今回も新たにわかったことがたくさんあったので大変意味のあるレッスンであった。

レッスン終了後、相変わらず声も満足に出せないことを痛感した。
レッスン後、毎日なるだけ息を吐いて声を出すように心がけた。今まであまり息を出さずにしゃべったり歌ったりしていたことが分かった。単に発声するだけであれば、息を意識的にどんどん吐くというのは思ったよりも難しくないように感じられたのだが、いざ歌うとなると、慣れない歌い方であるので声を出すのが難しく、声にならない息が抜けているような感じがした。本当にこれが先生がおっしゃるところの「息を吐く」ということなのか、自分のやっていることに不安を感じた。しかし、いちいち不安がってはどうしようもないと思い、怖気づいて何もしないよりは間違っていようがトレーニングを続けるほうが何か分かるかもしれないと割り切って、そのまま色々なやり方で息を出してみることにした。(WY)

○レッスンでは前回に引き続き、喉声の矯正をやった。自分ではお腹から声を出しているつもりだったが、何回も指摘されたので、自分はまだまだ分かっていないのだろうと思った。先生の喉声とそうでない声の違いの例は(はっきり示してくださるからかもしれないが)わかるのに、自分の声は聴いていてもわからないときがある。また、重心を下げて声を出すように何度か言われた。何度かやっているうちに、腰から声を出しているという実感があるときがあった。「高い音は低くイメージする」ということに意識して声を出す練習を何回もやった。最後のほうで、お腹で音を切って低いラから高いレまで出すという練習をしたが、音が滑ってしまいうまくできなかった。先生が、音が滑る原因はお腹を使って声を出していないからだと教えてくださったので、腹筋を鍛えて支えをつくることは重要だと思った。

レッスン後からは、レッスン中にうまくできなかった練習を念頭においてお腹から声を出す練習をした。何度か息が苦しくなることがあり、どのタイミングで息をすればよいのだろうと思った。また、腹筋が強くないと声が自由にコントロールできないと思ったので、腹筋を強くすることと、重心を下げることを意識するようにした。特に高い音で声が抜けてしまうような気がしたので、「高い音を低くイメージ」というのを常に心がけるようにした。それから、脱力して声を出すということもできていないので、これも意識するようにした。こういったことの根本はすべて繋がっているように思った。(WY)

○声優入門27ページの「声の自己診断テスト」を行いました。
先生に診断していただいた結果とはズレがありましたが、いくつかは同じものがありました。
悪い点である、「聞き取りにくい声」「かすれる声」「押しつぶした声」「もごもごした声」を直すように努力していきたいと思います。

・41ページ
50音口慣らしのトレーニング。間違えないように読んでいくことに気を遣っていると、綺麗な音を出すことがおろそかになるようで、多少ペチャクチャした音になってしまいます。奥歯の上下の間隔をもっと開けるようにしないといけないのですが。

・レッスンでは、「大きな声は出さなくても良い」とのことでした。
「声を大きくするのも響かせるのも全て母音。声帯の正しい母音の位置をまず覚えて欲しい。先に大きな声を出すとごまかしてしまう。まず母音の位置を覚えて、それが確かなものになってから大きな声を出していくようにします」
「声帯が鳴ってくれる場所というのがある。これは自分で意識する問題でない。身体が覚えてくれる。しばらくトレーニングすると分かってくる。たとえば、"あ"がきちんと"あ"と発声できるようになるまで大きな声を出さないようにしましょう」とご説明をされました。
意味は良く分かったのですが、まだ、母音の位置がどこなのか、身体で理解ができていません。早く体感できるようになりたいです。

・158ページの「司会進行」を読むトレーニング
これもやはり、口がきちんと開いていなかったようで、「奥歯の間を1センチほど余計に開けて」「口よりも前で喋ろうと意識してください」と、ご指摘を受けました。
 
・138ページ「アニメのアテレコトレーニング」
喋っている声のトーンが低いため、暗い印象になってしまっている。
歯をしっかり開けて、声のポジションをもっと上げるように。少し明るい声を出すつもりで。そのほうが声が良く伝わるとのことでした。これは、普段からそうしていないと、すぐに戻ってしまいそうです。(NR)

○まだまだメロディに流されて歌わされている感じがあるというようなコメントを頂けた。原曲がそのまま頭に入っているからそれを脱却して自分のものとして出さなければいけない。もちろん作曲者も考えがあってそのようにメロディをつけているだろうから、音楽たらしめている所、曲の持つアピール所はきっちり踏まえた上で自分のものとして出さなければならない。さもなくば気まぐれで変えただけのものになってしまう。まず自分の問題として大きいのはなんでもかんでも伸ばしたり、解放すべき箇所でも内にひっぱりこんでしまったりする所だ。特に今日の曲はサビが声を張りながら伸ばして訴えかけるようなイメージのものなので、出だしのAメロから朗々と間延びしてやってしまうと幼いという事だ。

アドバイスをうけて、もっと自然に話している感じで。言葉になりすぎてぶつ切れしても駄目だし、理想は「言葉を発して、気付いたらその言葉に音階がついていた」という感じだ。このことによって一曲とおしての構成が聞き手にも伝わりやすくなる。つまり、サビ前の、サビを予感さして高揚していくような感じ、そしてサビで一気に解放していく感じ等、ドラマチックに構成させていくという事だ。むずかしく感じたのは、これがあまりにも「意図としてやったな」と見え見えすぎるとこれはこれでダサいという点。めざすは「結果としてそういう流れが自然にできている」という感じだ。出だしの「話すように歌う」という部分も「朗々と声を張ってメロディに流されている感覚を正せ」という意味で「テンションを落とせ」と言われているのではないという事だ。

一歩意味をはきちがえるとテンションまで下げて意志のない声でやってしまいそうになる。「テンションを高く保つ」という事と「話すように自然に」という要素が相反してしまいそうになるが、集中するという意味では同じだな。サビのフレーズで「聞こえる」という言葉があるのだが、「Ko」の部分の母音「o」がロングトーンになるのだが、自宅での練習の時点からこの部分がすこし詰まってくるような感じが気にはなっていた。しかしこの部分は自分的には一番外へ解放して伝えていきたい、聞かせ処のような箇所だ。先生はそれを即座に察知したのか(もしかしたら目に見えて詰まっていたのだろうか.汗)、普段たまに発声練習でつかっているカラスの鳴き声のような「カァ〜」に一度もどされ、発声した。これだとすごく自然に外に解放する感じで力むことなくいけた。

この状態のまま、「聞こえる」というフレーズの「Ko」を「Ka」にして「聞かえる」として歌唱。続けて「KaとKoの間くらい」で。ポイントは「Ka」の時の状態をできるだけ崩さずに「Ko」に近づけていくという事だ。これをした事によって最終的に「聞こえる」という一番解放したい箇所の詰まりがかなり減少さすことができ、自分の描きたいイメージに近づく事ができた。こういう事をアドバイスされる前に自分でできるようにならなければならない。会報か本だったか覚えていないが、「自分自身が自分の最良のボイストレーナーであるべき」。というような事が書いてあったのを思いだした。まだまだ言われてから同意、共感、気付き、発見を得る事ばかりだ。それだけ自分を見つめられていないし客観視する力が足りないという事だ。自分を知りつくす事と共に、外からの聞こえ方はどうか?というのをもっと問うていかなければならない。(YK)

○声のポジションを一定にする、と意識するとどうも下へこもりがち。「同じポジションでいる」ことと「押さえ込む」ことは違うこと!もちろん喉をあげてはいけないのだけれど、どうもその辺がうまく区別ついてないようです。
喋るままのところ=自然な低いポジション
その低いところのまんまで、しかし「響きは上」に!
下!下!と、ついつい意識し過ぎて変な力が働いてしまう。
響き上!と思うと、今度は喉が上がったみたいに、ういっとなるし。うまい具合がみつからない。(NI)

○何も考えずに歌うことが出来るまで「練り込む」「歌い込む」
本番では「無心で歌える」ように。
ライブの時「何かひとつテーマを決めて」やる
・声のストレッチいろいろ
(リラックスした環境でやるとよりよい)
・「わうわう」明るい軽い声
高音に行く程より明るく
・「ねいねい」
ゆるゆるでやる
・「Ah〜」 裏(弱)→表(強)
ぐわっと掴みにいくというよりも、響きにいく(NI)

○読むスピードが変わっても設定した感情を維持し続けるという事です。今の自分ではまだまだ出来ていませんが、出来れば演技の幅が広がってくるので早く身に付けたいと思います。
例えば、たいへん焦るという状況でもえんじる役がおっとりとしか喋れない等。
一度よんだ本でも、何回も読む事によって得られるものが多々あるとのことなので、その都度なにかテーマを決め吸収していきます。(MK)

○全身をつなげる
前回も言われたように、爪先立ちで発声してみた。イメージとしては、もっと全身で息を取り込んでいるイメージを持つ。背伸びしているから下半身に支えはいっているけど声はまだ浅いので、つま先から息が流れてそのまま身体を通って遠くへ飛んでいくように発声する。このイメージを言われてからせりふを4回ほどやってみて、3回目くらいに多少いい感じで鋭く息を吐けた。クセとして、息を混ぜようとして言葉がぼやけてしまう。感情を入れようとしてもおなじで、やはりただ曖昧になってしまう。変に息を多くしようとせず、効率の良い量で鋭く出せるバランスを掴む。
「最低限このくらい」と言われた鋭さをトレーニングで保つ。ぼやけてきたり支えが怪しくなったらさらに背伸びし、足が木の根のように地面に突き刺さっているイメージを持つ。この姿勢での発声になれて下半身で歌えるようになるために、1日30分時間をとってこの姿勢でトレーニングする。(KA)

○音程に自信がなく、発声もいまいちなので、とにかく出る音がたびたび外れているのが自分でもわかった。4小節を1つで歌いきることができず、発声は気持ちのこともあるので、先生にも注意された。
・高い音をあてにいきがち
・フレーズや最後の音符が雑。伸ばしきれていない、吐ききれていない。
・ひとつの音符があいまいにぶれる。ひとつの音はひとつの音。
最近注意力や、伝えようとする力が足りなかったように思う。そのことを変えるだけで出るものも少し変わった。(SH)

○コンコーネ、発声
・フレーズで低い音から高い音へ移ると、急に息が吐けなくなる。注意。息を吐く中でやる。
・低い音で頑張りすぎる傾向があり、大事な高い音の部分がいまいちになる。低い音で頑張りすぎず、高い音の部分をイメージしておき、高い音(ピーク)を表現する。
・女性は母音「オ」と「ア」でできればよい。曲を「オ」で通すとき、高い音が「ア」と広がってくるので注意。「オ」で通す。
・f→p→fで出す練習。pがpになっていないと注意された。もっとやわらかく息のレベルで...を注意してやってみた。(SH)

○・頭の響きを忘れない
高いところはちゃんと出る、大丈夫と思おう。
チェンジする辺りで、押さない事。(ごーってやらない事)
むしろ後ろへ引っ張るイメージ!
チェンジの辺りからは出だしから頭で行く。
ピーン、チーッ、ツーッ、てっぺん。

身体で自分の声を聴かない事。
「自分の声は周りの空間にある」ような感じ。
音階練習で高さが戻ってくる時に、声を身体に戻さない!
声は常に、前へ!前へ!と放つ。

音を探しながら出さない。
まず聴いて「その音に必要な身体を」先に準備する。
で、後はそこに息を流すだけ。(NI)


<Menu>

○1.唇ブルブルで複音発声(ドミド↑ファラファ↓ドミド)半音ずつ
2.舌      〃      (〃  ↑ソシソ↓〃   )
3.ハミング  〃   
んー         (ドレミド↑ミファソミ↓〃ド)〃
んーあああ(ドードレミレド↑レーレミファレ↓ドードレミド)〃
・高い音になったときに「あ”−−−−」って言わないでお腹は緊張させたまま(咽喉で強く発声しないように)
ま  (ドレミファソファミレド↑シ♯〜シ♯↓ド〜ド)半音ずつ
・息を吸ったときに「くっ!」と緊張しちゃう(必要以上に力が入ってしまう)ので緊張するよりも緩める意識で!
4.トスティ No.2
「あ」で一回通して歌う 
・Cresするところはどんどんやってください。後半のところはok!
1.小さい声でよいので、あっ、あっ、あっ、あっ、と早く言ってみる。
2.あ”−−−−−っと発声する。
1も2も声帯がくっついてないと出来ないはず。
私がやったら(ざらついた声・かさかさした声)に聞こえたので息が漏れているcheckになった。
・一番上の脊髄の出っ張りに手を当ててびりびり響けばok。
・上下の歯をくっつけて、ズーーーーっと息を吐く感じで歌ってみて。音が小さくなっても脊髄の出っ張りを響かせるのは変わらない。
5.トスティ NO.3
一回通して歌う。
・よく見てますよ。高い音になると脊髄の出っ張りがびりびりきてますか?咽喉が苦しいですか?
「ミ」にいってから「あ〜」と発音するのではなく「シ」のときから「ミ」にいく準備をして歌ってみて下さい。音が薄くなってしまうので「ラ」と同じ状態で「レ」も発声してください。逃げちゃう感じがする。
・高い音ほど下から支える意識を忘れずに!息の勢いをつけて歌う。逆にfermataのところはゆったりと歌えれば良い。同じ音の場合は(息の強弱で息を使って)lefatoに聞こえないように変化をつけて表現すべし。 

○1.唇ブルブルの複音発声(ドミド↑ソシソ↓ドミド)半音ずつ
2.舌         〃   (      〃      )
3.ハミング     〃
口を閉じて響きを集めて(ドレミド↑ミファソミ↓ドレミド)半音ずつ
んーあああ(ドードレミド↑ミーファソミ↓ドードレミド)  〃(口開)(口閉)
「な」で発声(ドレミファソファミレド↑ミ〜ミ↓ド〜ド)   〃
・下顎を動かさないで、口を少し空けた状態で舌を動かす事で発声すると響きを保つ事ができますよ。
4.トスティNO.4
・4−1「う」にすると高い音が出しずらいとおおうので「お」で歌ってみて下さい。
4−2「お」で最初の4barsまで歌う
4−3 ハミングで    〃
・ハミングでの一番高い音(ミ)がちゃんとだせていたので口を開けても発声の仕方を間違えなければちゃんと出せるはず。
ハミングして「い」の口を作って「う」と発声(独語のウムラウトの響き)この響きで!息が漏れちゃわないように無駄にはかないように高い音は下にいくイメージで(音を安定させる)
☆第一頚椎の出っ張りに手を当てて発声時にビリビリ振動が来るのか確かめつつ
・「う」で発声したらよくなった
・「お」で途中から歌う
まだ引いちゃう感じが若干あるけど、良くなった。
<ポイント>1.第一頚椎に手を当ててビリビリ響くか
      2.口角を上にキュッと上げて響きを保つ
・高音で逃げないで。ハミングを頼りに「う」で高音が無理なく出せるように練習してみて、それから「お」でもやってみてください。(「お」は「う」より音が散るので) 

○1.唇ブルブルで複音練習(ドミド↑ファラファ↓ドミド)半音ずつ
・高い音になったら逆に息を強く吹くぐらいで。
2.舌ブルブルで複音発声(      〃      )   〃
・高い音になっても響きは同じで。
3.ハミング
普通に(ドレミド↑ファソラファ↓ドレミド)半音ずつ
口を閉じて→口を空けて(ドードレミドレミ↑ミーミファソミ↓ド〜ド)半音ずつ
(んーー)   (なああああ)
口を閉じて→口を開けて)×2.5で単音発声(んーあーんーあーん)
・口を開けすぎちゃう。開けると響きが変わっちゃうので息だけで。
いきだけで  スースースースースー(ドードレミドに合わせて)
・下っ腹から出ている事をイメージした息で。
「な」で発声(ドレミファソファミレド↑ミファソラシラソファミ↓ド〜ド)半音ずつ
・高いところから降りてきた響きが良い(オクターブ上のド)ので、それを基準に。
4.トスティNO.5
一回通して「う」で歌う(ピアノ伴奏つき)
・跳躍するときは突然音は出ないので準備して歌う。高い音は苦しければ「お」で歌ってよい
途中止まりながら
・口を尖らせて口角を上げると奥に引っ込まない響きになると思う。
高い音(オクターブ上のミ)はでない音ではないので響きが変わらないように。
27bars〜
・強弱(sentitoやcresc、dim等)気をつける。
もう一回通して歌う
・息だけで練習してみるといいかも 

○1.唇ブルブルで複音発声(ドミド↑ファ♯ラ♯ファ♯↓ドミド)半音ずつ
・背が1cm伸びた感覚で、足の親指にちょっと重心を掛ける姿勢で前に。
2.舌ブルブル   〃   (  〃   〃   〃  ) 〃
・お腹の膨らんだ状態をなるべく保つ。息を吸う時に緩める意識で。
3.ハミング
口を閉じて    (ドレミド↑レミファレ↓ドレミド)半音ずつ
・息が浅いので下っ腹から背中を通って息が出ている意識で、息だけでやってみましょう。
息だけの練習
・無理に音を(息で)作ろうとしなくてよい。イメージだけ。下っ腹を引くってイメージ。
・息にも重さがあると思ってください。そうすると横隔膜が働いてくれる。例えばリンゴ1個分とかリンゴ2個分の息の量とかで考える。息の出す量を一定に。
一つの音で息だけの練習(ex、ドードードードードードードー)
・ずっと下に意識を置いて息が前に出て行く。
1音ずつ息だけの練習ドレミレド 
ハミングに戻る(
・最後の方に押しちゃうので常に息の量は一定で!
ドレミド↑ファソラファ↓ドレミド)半音ずつ
口を閉じた発声から開けて発声んーあああ(ドードレミド↑ファ〜ファ↓ド〜ド)半音ずつf、「ま」で練習(ドレミファソファミレド↑レ♯ーレ♯↓ド〜ド)半音ずつ(1オクターブ上)
4.トスティ(中声用)NO.4
1st「う」で歌う(自分で気付いた点:力んでいる。一番高い音が苦しそう。MD録音を聴き、ちゃんと音に声が乗り切っていない感じ。)
2ndハミングで(ラミレソドファレ)
・ハミングの感じで「う」でも出せると良い(自分気付いた点、1stよりは随分良い)
<ポイント>・1回ハミングでやって声を出す。
・準備して低い音〜高い音でも低い音の息の状態のままで発声するとよい。(NK)


<Words>

〇伊東浩二
現役時代、いつも一人でトレーニングを行う。そこにコーチの姿はない。常に独自の練習を模索する。
「(陸上競技は)何が正解かわからない。記録と順位が出た時が正解。」
30才を過ぎ現役。日本人初の9秒台の世界を狙うスプリンター。

「全て前例がない。10秒1までは、今までのトレーニング理論に上積みしてても記録は伸びた。
でも、この先9秒台となるとなかなか出来ない。自分で新しいものを探さないと。」(HY)

〇自己革新と徹底(鈴木敏文)
私は、1番確実なビジネスにおける成功の条件は、次の二つだと思う。それは、自己革新と徹底するという事だ。
自己革新とは、お客のわがままに対して自分を変える事によって、それを合理的に受け入れられる様にする事だ。

自己革新のためには、自分の何を変えねばならないかという問題の所在が明確でなければならない。
主観にどっぷりつかった自己満足や現状肯定からは自己革新は生まれない。「果たしてこれでいいのか」という、自ら自身に対して、第三者の目で厳しく問いかける自己客観の姿勢においてはじめて自己革新が生まれる。

ビジネスの原理からいえば、それは、お客の視点からでなければならい。「お客の立場に立って自身の有様をみる」という事である。(HY)


<Etc>

○バスを待っていた時、送電線の鉄塔が目に入りました。鉄塔の上部で数人の作業員の方々がなにやら作業をされてました。そんな中、どこからか何か声が聞こえました…。それはその鉄塔の上にいる作業員の方々の声でした。

何を言ってるかまではわかりませんが、聞こえました。一瞬「え?」と思いました。こっちから見れば、1cmくらいにしか見えないくらい離れているのに…。住宅街の一角、周りに騒音は少なく、風があったせいかもしれませんが聞こえてくるなんて思わなかったので…。

あんな高いところでの作業…足元に注意しながらの作業。慣れてらっしゃるとは言え、相当の集中力とそれを維持する力が必要ですからね。そんな緊張状態の中で発せられた声。何かを伝える最低かつ最高の伝達手段なんですよね…。

ああいう状況では、もちろん無意識の声。余計なことは何ひとつ考えてないはずですから。
地上で余計なことを考えながら発する声は、届きにくいのかもしれない。技術じゃない。伝えること…それが最初だったはず。コミュニケーション手段の一つですからね、声は…。声はすごいんだな…と改めて思った出来事でした。(MA)