会報バックナンバーVol.188/2007.2

 


レッスン概要[0508]


○呼吸法

芸事の先生が、現場で実際にどう伝えたらいいかと悩む。それは我々もです。本というものには、だいぶ慣れてきた。けれど、10分の1も100分の1も、伝わらない。同じようにすればできそうですけれど、やってみたからといってもできようもない。禅と同じで、誰でもそこでやってみたらできなくはないのです。けれど、できているのかというと、そうではない。歌や発声の場合は、結果が問われます。それで、そういう声になってきたとか、そういう歌がうまくなってきたということは、呼吸ができてきているんだろうとみます。

呼吸法だけの先生というのは、かなりやりにくい。見ていて見えない。本来は空手みたいに、レベルの高い人ほど瓦が割れるというような、目で見えるようなかたちだといい。こればかりは、本当に、ノウハウや方法というより、何かしら共通したものがある。何かやっていらっしゃる方は、経営者など呼吸法に関係なさそうな人でも、そういうものをうまく使っています。健康で生きていること自体が、呼吸をきちんと使っているということです。ですからレベルの問題です。オペラや声楽というと、基準があります。その作品がお客さんに上演できるレベルまでに、必要な呼吸ということになります。日常のものでは、とても足りない。

●お寺の修業

芸術畑というのは、お寺さんと関係があるところが多い。オペラ歌手も普通の人では留学できませんでした。
当時の音楽留学は、男性にとってはうしろ指さされるようなもので、放蕩息子でないかぎり、出にくかった。女性でいうと、お金持ちのお嬢さんはいるのでしょう。でも海外に出すのは勇気がいりました。お寺の息子は将来的にはあまり心配がなかったり、好きなことをやりたいと。それと宗教に結びついているところが音楽にはあります。そういう意味だと、そういう出身の方も、何人か来られています。別に、歌と何かが結びつくというわけではありませんが、体のことをきちんとやっていこうとすると、そうなる。声明も使っていました。日本の中でちゃんとヴォイストレーニングができているというところは、お寺です。
毎日、習慣的に声を出すから、10年20年経つと、それなりにいい声になる。しかも信心、厳粛な場面において、読み上げなければいけない。群読のようなこともある。それだけ日常と声と、ヴォイストレーニングが、修行のようなことが結びついている場というのは、なかなかありませんね。毎日大きな声を出す時間や場というのが、あまりもちません。

○売れること

ヴォイストレーニングということばだけ一人歩きしています。よい声、よい歌にしていくということ。
業界でよく言われるのは、よい声が出るようにしていくが、よい歌が歌えないということ。よい声やよい歌は、何なのでしょう。売れないというのは、やはりよい歌ではないともいえる。そういうことを言ってしまうと、商業主義のように思われる。ですが、やれている人は売れているわけだから、売れる声や売れる歌がいいとは言わなくても、まったく見向きもされない、売れもしないものを、よい声やよい歌というのは、どうかなという気がします。その何かを上達して、売ろうとするのが目的というのは、本来、ヴォイストレーニングではないわけですよね。

ヴォイストレーニングによった声で何かをしていくとは考えない。ヴォイストレーニングで声はよくなる。でもそれが、活動に結びつかないとしたら、ヴォイストレーニングをやれば歌がうまくなって、活動に結びつくと、短絡的に考えてしまっていることが誤りです。やえもすると、ヴォイストレーニング自体が逃げになってしまうのですね。現実に向き合わないがためにです。何でもそうですけれども、やれば、少しは上達します。でも、絵や小節ならまだしも、声というのは、人を介してはじめて価値がつくものです。絵なら誰にも生前に評価されなくても、後になって評価を得て、急に価格が上がったりというようなことがあります。その人の人生にとっては、幸せなことでもないのでしょう。けれど、声や歌の場合は、これまでなら、それがおきなかったでしょう。

○ホットなメディア

20年前の作品だということで、出てきて、その人がその作品で、ヒットチャートで1位になったり、バカ売れするというのは、たぶんありえない。生前、その人が何かの活動をしていて、名を残していたら、そういう名作があったということはありえるかもしれませんが。
同時代の中で声が伝わるということ。その時代で評価されたからこそ、また次の時代に、あるいは国を越えて伝わることがあっても、伝わっていく。絵や書なら、ずっとこもっていて、人と交流を絶っていても、作品がよければ、あるいは、まだ、ピアノやバイオリンだったら、そういうことがあるのでしょうけれど、声や歌の世界は相手があって、そこに描いていかないと成り立たないような部分があります。ホットなメディアなのです。ところがヴォイストレーニングも、それをクローズにして、自分の中だけの判断で行きかねない。

○呼吸と悩み

現実としてやれるということが前提としてありつつも、理想を何か持っていなければ、高まるとか深まることもない。不安定になってしまいます。その距離をどうとっていくか。そうなってくると、精神論になってしまいます。呼吸は正にそうですね。呼吸法がよくできなくてということで、くること自体が、ある意味では悩みになってしまう。悩むことによって呼吸がうまくできないという。

歌も同じです。だからといって、自然にやっていたら、本当にできるようになるのかというと、それはそれで難しい。
その必要性をどう感じるかということだと思います。必要が本当にその人にあれば、大体のものは身につくし、大体、そういうふうに世の中で動いていけるのではないかと、いろいろな人を見ていると思うのです。

Q.何からやればいいのかというのが、わからない状況です。

順番としては、編曲や作曲は歳より。体のほうを先にやったほうがいい。歌よりも、ダンスや体を使うようなこともやるとよいでしょう。
作曲家や作詞家になるとしても、自分がステージに出て歌った経験があるかないかというのは、大きいと思います。
プロデューサーになるとしても、相手にどう歌ってほしいかを言うときに、自分がそこまで歌えないとしても、声や歌のことについてどのくらい知っているのか。まして自分が本業で歌をやっていくのだったら、なおさらです。ヴォイストレーニングというのは、補強みたいなものです。それで自分で曲をつくり、プロになるということは、何かを作品にするわけです。一番わかりやすい例でいうと、曲や詞をつくる、これは作品です。

本来はヴォーカルは歌を歌唱するということで作品になるのです。けれど、誰でもできてしまうようなところがあって、どこで差をつけようかとなると、実際にはファッションやダンス、あるいはルックスで動いてしまう場合があります。ただ、ステージとしてみたら、トータルとして大きな作品です。そういうことでいうと、声や体のことはすごく時間がかかるので、早くはじめる分にはすごくよいと思うのです。それが、どういうことであれ、5年10年たってから、何か気づくことのきっかけになってくる。全部見ないで、後から入ったときに、どちらのほうから理解できるかというと、最初に少しかじっておいて、後でそれをメインに動かす動かさないというのは別にします。

○詞と曲

詞や作曲の世界というのは、訳のわからないところがあります。昔は詞を見ると、才能がそこに一曲でわかった。今のものになってくると、作詞作曲で判断しにくい。それでも、私の仕事としては、やらなければいけないときがあります。向こうのものに訳詞をつけたり、訳詞がひどいから、それを自分のことばにしたりと、やらざるをえない。
曲の場合は、キーを変えたりしなければいけないから、何となく入ってくる。通信では、昔、詞についての読解をやっていた。短歌や俳句と同じで、こういうふうに構成されていて、こういう落とし込みがあるというのを、分解して、ここにこう来ていて、ここでこう言い換えて高い完成度があると。

教えるということはそういうことなのですね。相手がパッと読んで、いい詞だと思う程度のものを、こちらがこういう見方をしたら、もっとこういうふうになっているだろうと。これはこういう意味でついているというので、「へーぇ」というものがないと、教えたことにならない。
ところが今の詞は、順番を入れ替えても、歌詞を言い換えても成り立ってしまう。あなたが読んでいるのと私が読んでいるのと、ほぼ同じ程度にしか理解できないなら、教えることができないのです。

完成度があるかないかわからない、でもヒットしているからいいとなりかねない。まだ曲のほうが、こういう変わった入れ替えをしているとか、これはあれをパクッて、こういうふうにしているというのはいえるのです。
ここはこういう音がついているから、わざわざこういう音を持ってきたんだという意味で、詞としての完成度はありますが、詞はことばとして完成ではなくて、曲もついて効果が上がるようにしている。詞だけで完成させて終わらせてしまわず、コラボレーションを考えてつくっています。

○詞の背景

そういうところは昔のものは、説明しやすかった。時代背景からも語れた。今も流行っている言葉は使われているけれど、社会的な動きと、あまり結びついていない。といっても、詞がその社会を象徴しているのは、確かなのです。
昔は女性が独り立ちして、新しい仕事で人生を切り開いていくというなら、そういうふうなことをにおわすような歌が出てきた。そこで、共感を得たような、大きな意味で、転機もわかりやすかった。 田舎と都会の感覚も違って、そういうものが色濃く出ていた。映画と同じで解説をつけようと思ったら、いくらでも解説がつけられた。今の詞は難しいですね。そのアーティストがどんな気分でつくったとか、何を見ているときにつくったとか、そんな程度のことも、そのアーティスト抜きにして、語れなくなってきてしまっている。

昔は、詞というのも、個人と独立して、作品としての価値を持っていました。アーティストが誰であろうが何であろうが、その人の作品ではあるのですけれど、そのアーティストの生き方から、独立して、詞だけが完成度を持っていた。新しい解釈を加えられたり、それだけが主張しだしたようなことがあった。だからいろいろと言えることがあったのですけれどね。今の詞に感動しなくなった私に語る資格はないのかもしれません。

○勘どころ

歌も同じで、実際は、勉強なんかしないほうがいい。勘でやればよい。ただ勘でやれている人はやっているから、世の中の99パーセント以上は、そこから見るとやれない。その辺をどう捉えるかです。20歳になったときに、これからだと見るのか、これまでにやれていないから、相当、考え方を変えたり、違う方向をとらなければいけないと思うかです。それを10代くらいで、感じられてしまう人は、運や勘でやれてしまうのですね。それは続かないが、それはそれでいいのです。大切なことは、そういうものはあればあったほうがいい。

作詞作曲も、勘やセンスがないとダメです。でも勘やセンスがダメなとき、あるいは、それがダメになっていくときも、あるわけです。そればかりに頼っていると、怖いというか何が何だかわからなくなる。実際に自分が作品をつくってみたり、やっていてもこれでいいのかとか、いろいろと左右されてしまう。周りが優秀な人しかいなくなって、いろいろなことを言われるようになってくると、どちらが正しいかとか、迷う。そういうときに、自分がこうなんだと、迷わないで積み重ねていくための、何かしらの核というのは、必要です。

○基本とは

ヴォイストレーニングの、今の私にとっての定義というのは、その場ですぐに役立つものとしてではなく、それをやりなさいということです。たとえば、今、フリは現場でつけるのです。即戦力でとられる人は、自分でやっている。タップもなんでも、そこの振り付けにあわせてやれる。そこでやれない人は、落ちてしまうのですから、そこでやれる人しか残っていないわけです。そこで考えることは何もないのです。ただ、やるだけです。

しかし、長くやれる人はそのことを続けていくことを考える。怪我をしたり、うまく体が動かなくなったり、対応できなくなったりすることも、力が落ちてくることもある。よりレベルが上がってくるわけです。優秀な人が下からどんどん入ってきますから。
すると、そのためにクラシックバレエをする。クラシックを踊るためにやるのではない。そういう、いわゆる基本ということなのですね。そこのところで開脚や柔軟がきちんとできるようにしておくとか、体を大きく動かすことを知っておく。ていねいに体を動かすことを知っておくことが、そういうタップやコンテンポラリーをパッとやれといわれたときに対応できるだけでなく、壊れないで続ける力となります。

スポーツ選手と同じで、いかに怪我をしないようにするかというのが、プロの条件です。どちらかというと、どんな状態になっていようが、客が一応、評価するものよりは下がらないということが絶対条件です。

確かに才能でやっているのですが、才能の大部分は、常にそれを再現できるタフな力で支えられます。うまい下手ではなくて、ずっとそれをやっていけて、精神的にも肉体的にも落ちていかないという底力なのです。
トレーニングの多くは、そちらのほうが目的とされます。だから、ヴォイストレーニングも、トレーニングという考え方でいうのであれば、即戦的なことでやることではないのです。そんなのだったら、そこでやれということで、トレーニングでやらなくてもいいわけです。音響さんがやったほうが、よほどいい。

ヴォイストレーニングをやることとは、自分の生涯の中で長くやるためということです。年齢を重ねても、その道で、長くやるためには、衰えてきます。体力もそうでしょう。そうすると、何かしら技術なり、しっかりした基本で支えられていなければ続きません。
若いときは、高い声を何かをパッとやれといったら、何となく感覚でやれてしまうものです。そこで、ごまかしてしまったり、周りもそんなに厳しい目で見ていないので、気づかないが、歳をとるとともに、そういうことがうまくできなくなってしまう。そこで、基本があるかないかというのは、大きなことです。

もうひとつは過度なスケジュールで、本当に活動が始まったときに、声を守るためです。要は、いろいろな冒険をやれるようにしておく。昼も夜も、何日も続けて舞台をやったというときに、もとに戻れるところをもちます。
ステージというのは、応用ですから、その応用ばかりをやっていくことで、乱れていく。どんどん疲れやロスがたまってきたりします。それを、リセットというか、クリアにする。自分の体の本来の動きのところに、声の本来の動きのところに戻して、また声が出るようにする。その意味が一番大きいような気がしますね。声楽でやることは、正にそういうことです。

○神経をふやす

明日歌えるようになどということで考えたら、呼吸法も発声もやっていないということです。まったくやっていないという人も、まったく歌っていないということはない。ヴォイストレーニングに対して、本当の初心者という人はいないわけです。要は、ヴォイストレーナーについたことがないとか、お金を出して通ったことがないということだけです。実際には、歌えないから、何回も繰り返し練習しているのは、ヴォイストレーニングと同じことです。

そう考えてくると、同じように、20年30年、生きてきた人の中で、すごくうまく歌えるような場合も、あまりうまくならない場合もある。
それはヴォイストレーニングをやっていないから、歌えないのではなくて、元々、そういうふうにうまく歌えるような人たちが受け止めているような、音楽の捉え方や声の調整の仕方に対して、欠けているです。☆
変な言い方ですが、神経が普通の人が1,2本なのに、優れている人は、20本とか100本とか、持っているようなものです。それを何とか意図的に増やしていくようなことを、論理的に考えていくとよいでしょう。それが無理にでもトレーニングを意識することで、やるべきことではないかと思います。

○メニュの限界

どのくらいの声の大きさで歌うのが正しいのかということ、これもトレーニングを絶対視してしまうと、決まっているように思うのですが、状況や個別差があります。本来であれば、一番コントロールできる声量で、人によって違います。それでやればいい。
ただ、トレーニングは調整をする、声のコントロールをすることですが、声量をつけることや音域を広げることも必要となります。
声域を広げるトレーニングで、自分が出しやすい声で歌っていたら、ステージのときだけすごい声量が出るということはありえません。 難しい部分がそこです。いろいろなトレーニングのメニュをまとめても、メニュだけでは使えないのです。

歌に関してのヴォイストレーニングというのは、それだけでもいろいろあるのです。単純にわけると、声楽ですね。これはオペラ歌手で、クラシックといわれる分野です。もうひとつは役者畑からきている人のトレーニングがあります。それから、アナウンサーの滑舌トレーニング。
それから普通ののどの状態でない人を普通の状態にするのは、医者です。ポップスのヴォイストレーニングをいうのは、比較的、声楽から来ていました。というのは、ポップスの歌い手自体が必要とされる要素が、声、しかも声域。声量がメインでした。

たとえば合唱、これは元々声楽曲のようなものをやることが多いので、合唱団にいるような人は、声楽の先生がいい。それから、アカペラ、ハモネプ、高校生や大学生で流行っています。ヴォイスパーカションになると少し違ってくる。それからミュージカル、これは、声楽というわけではありませんが、日本の場合は、声楽出身者中心だったと思います。今は、役者畑から出ている人もいます。
その演目が、いわゆるクラシックの歌い手が合うようなものはいいのです。ところがロックオペラ、アフリカンリズムが出てきたり、ロックっぽい発声になってくると、声楽出身の歌い手がいいわけではありません。民族的なものになると、役者のほうが、いい。
同じミュージカルで、これがはっきり見て分かれてとれるのが、日本のミュージカルの特徴ですね。

○個性と共鳴

役者出身の人というのは、高音の出し方がわからない。でも、声量は役者がある。太い声やパワフルな声、個性などもです。こういった意味でのオリジナリティ、それがなければ役者はできませんから、この部分は持っています。本来、この部分は、歌い手にとっても、大切なことなのです。声楽の人がロックを歌ってもうまくいかないのは、リズムのことやグルーブのこと、シャウトが歌唱法のこともありますが、そんなことよりも、声自体の問題です。母音を共鳴させる。響かせてとっていく。

日本語が正にこういう言葉ですね。母音を共鳴させていきやすい言葉です。英語というのは、元々ロックが生まれたり、民族音楽もそうですけれど、必ずしも共鳴中心ではない。オペラも、共鳴させることは響いている音でないとできませんから、その辺がややこしい。
共鳴は日本語よりはイタリア語のほうが向いています。日本語の中でも、関西の言葉のほうが近いです。根本的に違うのは、声のポジション、最初に出すところです。彼らの場合は、のど仏がおちて、のどの奥の空間が結構開くわけです。

顔の形にもよります。声楽の矯正の仕方というのは、だいたい決まっている。あごを引かせて口内を空けて、この中でできるだけ深く響かせる。このポジションは、役者ももっていることが多い。役者ができないのは、無理な高音の共鳴をまとめることです。日本人なら、ほお骨をあげるようにする。それ以外は、声楽家より、声楽の条件をカバーしている場合もあります。というのは、声の出し方にそんなに違いがあるわけではない。結局どこまでの必要性を表現にもっているかだからです。今、J-POPSやラップでは、あまり深い声に関心がいかないことです。かつては共通して必要だったのは、声を大きく出すということでした。舞台だと日常の声では、通用しない。音響技術がひどくて、マイクにうまく入らなければいけなかった。

だから、アナウンサーでも、あごが張っていて、太く聞こえるような人、しかも前に響くような人でないと、なかなかそういう職につけなかった。
ところが今は、音響がすごく発達していますから、日常でしゃべっていることで、そのままでいいだろうとなる。DJ出身のヴォーカルがでてきました。☆☆そうするとすべてが変わってきています。たとえば、役者に対して、ナレーターでアナウンサーぽいのが声優です。声優や朗読の世界も、昔は声が必要だったのです。

○日本のジャンル分けと声の弱さ

外国ではそういうことがあまりないのですけれど、日本の場合は、声楽というと、ひとつの独特のイメージがあります。役者もひとつのイメージ、歌も、です。どれも日常ではなくて、何か不自然ですね。アナウンサーもそうです。そこでアナウンサー自身がジレンマに陥っているわけです。海外にいくと、役者も歌い手も、ミュージカルの人も、アナウンサーをやっている人も、日常で喋っている声で、その程度でやっている。
日常の日本人の声自体が、対話として成り立たないレベルでしか使われていない。そこまで日常の中で体を使ったり、大きく使えることをやったり、声に対して神経を届かせて、それで伝えるような訓練を、ヴォイトレでやっていく。ヴォイストレーニングには、いろいろな使い方があるが、とりあえずベーシックなところに声を扱えるようにしようということです。それなら、相手を選ばない。

声優やアナウンサーや役者さんも来ているのは、歌のためのヴォイストレーニングということで、限定していないからです。だから、それを声明に使おうが民謡や長唄に使おうがよい。最近多いのが、エスニックの関係の人です。フラメンコやバリ舞踊をやっている人、そういう人は、いやおうなしに声の違いに気づいてしまうのです。本場では教会で生のアカペラの声を、すごく大きな声を出している。それに自分たちがやったらのどを痛めてしまう。これは技術の差ではなくて、日常のところの差です。

日本人が選挙運動を手伝ったり、Jリーグを応援に行って、たかだか1時間くらい声を出して、声がガラガラになってしまう。これは当たり前のようで、海外では特異なことなのです。応援に行ったくらいで声を枯らせて、何て弱い声か。学校の先生でも授業をやって声をガラガラになっているとか、エアロビクスのインストラクターでも、声を痛めています。それは日常の中で、鍛えられたのか、どれだけたくさん声を使ってきたか、あるいは強く大きく使ってきたかという差にしかすぎないのですね。

○なぜ深くするのか

本来、エアロビクスをやっていたら、体をあれだけ動かして、柔軟で息も深く、深い声をとれる条件が全部整っているのです。
ただ、残念なことながら、息と発声器官のところの声を深くするところが結びつかないで、強く出してしまうから、体を使っている分だけのどを潰してしまうのです。
昔、何人か教えたことがあるのですが、日本では、本格的にきちんとやっているところは、マイクを使わないそうです。
校長先生から相談がきて、先生の声が伝わらないと言われたので、マイクを使えばいいと言ったのですが、「それでは人間的な教育が」と、そんな問題ではないのです。

確かに選挙の質の悪いスピーカーで聞かされるよりは、生の声がいいのです。でも、音響の使い方が雑だからです。聞こえないほうがつらい。何を言っているのかわからなければ、授業にならない。集中力も、落ちてしまいます。
そういうことでいうと、エアロビクスでも、マイクを使えばいい。そうしたら、教える方も楽だし、聞いているほうも楽です。かすれた声でがんばっているところを見たら、周りが気を使います。そういう問題が日本の中にあります。

○高音化傾向☆

ヴォーカルのあたりは、音響のほうで、ヴォイストレーニングからいうと逃げてきたということです。解決の手段を別のところに見つけている。生でだらしなくしゃべっているのを、音楽にして、そのままで日常的な音楽になってくる。すると、差別化ができなくなってしまうので、どうしても高音に音を伸ばしてとっていくとか、歌い上げていく。☆そこでの実感というのが、特に高音だけというのが目立ちます。
それにはいろいろなやり方があります。声楽でもミュージカルでも、キーは下げられないから、元々日本人が無理なところを無理に出してきたわけですね。そういうやり方をとればいい。ということで、声楽のやり方をやらせています。まったくヴォイストレーニングをやったことがないというのなら、とりあえず声域や声量が出たほうがいい。

○ポップスのヴォイトレ

ポップスはやり方よりも、何年か経ったときに何が成果だったのかというのが、見えにくいのです。いろいろなスクールのトレーナーにも接していますが、3年たって4年たって、生徒がどう変わったか、あまりみていません。たしかにやらないよりはやったのだから、歌もうまくなっているのは確かなのです。けれど、声は変わっていない。
声楽を4,5年やると、何もやっていない人よりも声楽っぽくなる、ぽくですが。役者でも長唄でもそうです。“ぽく”にしかすぎないけれど、一応キャリアでしょう。ところがポップスの場合、何十年やろうが、今、プロでやっている人を見ても、素人とどう違うのか、全然わからない声の場合が多い。

わざわざ、時間をかけて、修得しようといったときに、何がその対価なのでしょうか。声楽は、歴史的な意味あいで、人種にかかわらず、全世界の国民に、ある程度の成果を上げてきています。確かに民謡でも長唄でもノウハウはあるのです。けれど、世界の人たちに試したわけでもないし、日常の人に使っているわけでもない。声楽といっても、ピンからキリまであります。先生によって教え方も価値観も違う。

ヴォイストレーニングをどう使うか。ほとんどの場合は、何となくそこしか行かないから、一人の先生について、それがヴォイストレーニングと思っています。何年か経って、違う先生についたとき、まったく違う判断をされたり、違うことを言われたりする。それがあるから、どうしてもヴォイストレーナーやヴォイストレーニングは信頼されていない部分もある。
役者や歌い手には、行かないほうがいいという人もいます。こういうものは自分でやらなければだめだと、いう。それには反論はしませんが、私は使えるものは何でも使えばいいと思っています。使えるところで使えばいいと思っています。いい先生がいたら、受けなさいと。
ところが巷の多くのトレーナーはそういうことを嫌うのです。

自分が教えている期間は、誰にも手をふれさせたくないという。確かに当人にしかわからないプロセスというのがあるのです。
ここの場合、最初から私ひとりでは限界だと思って、共同でやっています。ひとりの人に、複数のトレーナーをつけると、最初からその問題は起きるのです。誰につけるのか、つけた後にどうなったのか。変わったときに、わかります。
生徒にも好みがあるのです。だからといって、生徒の好みで選ぶのが一番いいわけではありません。ある意味では本人の欲求に答えているわけですから、この先生がいいといわれていたら、当人のほうを優先する場合もあります。絶対にこうだよともいえない。本人がどこまで信じるかみたいなところがあるわけです。

本でも先生でも、そこに疑いを持ってしまうと、効果は上がらなくなります。何かしら、自分の中に信じる心があって、それが他の先生でも、他のやり方でもいいのですが、そこのところで何かしら実感があって、続けられるのであれば、それが一番効果が出ているのは、確かです。
私もきちんと知らなければ、と思いました。自分に関してはいいのですが、他の人に対して、自分と同じやり方とか、価値観が通用するとは思いません。そうなったときは、科学的な見地を入れます。そんなものを入れてもなぐさみにしかならない。結果的には思い込みでいってしまうというのを知ってはいますが。

●ヴォイトレ仮説

福島先生のやったやり方で習いたいといわれる。紹介しないのは、紹介しても、私自身がぐちゃぐちゃで、どこで何で得たのかよくわからない。この前、合唱コンクールの審査員の先生とお話をした。そのときもひとつ思い切って仮説を言ってみたのです。「正しいトレーニングは声を鍛えないのではないか」と。間違ったトレーニングで、のどを痛めたほうが、のどは強くなることもあると言ったら、その先生が、そのとおりですと、あまりにはっきり言われてしまった。トレーナーがこれをやってはいけない、これをしたら危ないとか、こうやったらいいよと言えば言うほど、正しくトレーニングをするものです。日本の声楽家は、どちらかというと、のどが弱い。外国は、声楽家がロックを歌おうが、しゃべりっぱなしであろうが、演奏になったら、がらりと変わって、いい声を出す。

日本の先生は会っても、しゃべるのはのどを大切にしなければいけないから、15分もしゃべれませんとか、公演と実習をやってくださいというと、1時間しゃべったら演奏ができなくなります。のどを大切にしているというのならいいのですけれど、そんなに柔なのかというところもあるのです。
私はポップスですから、声楽の先生のように恵まれた環境ではやっていない。2時間しか寝ていなかろうが、3日間の合宿でやらなければいけないのです。そういうことで、あまりに正しく、覚えすぎたがために、そんなふうになっているのではないかという気もします。

実際のアーティストにあってみたら、ヴォイストレーニングをやっているやっているのではなくて、どこでどうなって、何が得られたのかわからないままに、やれているという結果だけくるということです。ここでもそうです。迷うようなことをいうのも何ですが、本当にその人でよかったのか、その先生でよかったのかどうか、あるいは他の先生でよかったのかというのは、試しようがないですね。
5年やって成果が出たとか、2,3年経って、感謝してやめる人がいるのですけれど、もしかすると他の先生や他のやり方だったら、もっと短くその人をもっと伸ばせたかもしれないという仮定は、常にあるのです。10年20年経っても、だめなのはだめなのです。

最近くる人は、声楽の先生や相当偉い人についています。そういう先生についてもだめなのだから、それは当人の問題と思います。
ここで得られたのは、ひとりの人を10年以上の期間でたくさん見たという経験です。研究所以外で、それだけの期間を見ているという人はあまりいないのです。

3年半くらいが平均滞在年数でした。ヴォーカルスクールは、入り口が広いところは、たくさん入る。でも、やめるのが早い。楽器の人と根性が違い、1,2ヶ月でけっこう、やめてしまいます。本当に決心が固まって、あるいは他のところでやって、それから入ってくれても、ここはいい。やめない人を長くみてきているから、3年5年以上のデータがたくさんあります。同じ先生についていながら、すごく伸びる人伸びない人がいる。そこは今でも試行錯誤です。
トレーナーは自分の方法を正しいと思っている。信じなければトレーナーはやれないです。自分の方法が間違っているのではないかと思うと、相手にも教えようがない。ジレンマがそこにあります。☆

○応用の仕方

研究や情報を公開し、一番相手が伸びるためのセレクトをしていく。オペラでも、ある先生についた後に、また違う先生に紹介でいく場合もあります。学校はそれができないが、ここではへっちゃらです。「他に行くのなら、自分のところはやめなさい」とはいいません。
考え方はわかるのですけれど、ある意味ではその先生と成り立っていくという、こわい世界になってしまいます。その先生を離れてしまうと、やれないということは、やれない。

本当に力がついたということは、その先生を離れてやれることです。私はどんどん追い出します。他のところに行って、やり方が違って、価値観が違ったとしても、もしその先生が何かを要求したら、それに対応できるのが、本当の実力です。対応する気もないのなら、その先生につくことはない。

そういう意味でいうと、応用力がつくことが、基本の力ですね。歌う力も、応用力のひとつですね。だから、基本のことをきちんとやりましょう。
基本は何かということに入ります。ここもいろいろな人が来ます。基本というのは、全員に対して与えられることは、足らないことに気づくことです。日本人として生まれて日本語を使ってきて、日本という環境で生きてきた。
そこでは音声のコミュニケーション力はあまり強くない。耳とそれを調整する声が強くない、この2つです。これを並みにすればいい。
世界の普通の人にもう一度戻して考えてみればいい。20年経って、あまりレベルの高くない国にいるのだから、小さい頃からリズムがあふれているようなところに行けば変わる。留学みたいなものですね。

ヴォイストレーニングの教室は、こういう環境が与えられたら、いいのではないかと思います。
この“場を与える”ということは、私がいくら言っても聞きません。いつも、プロは同じことを言っている。わかりきったことなら、誰も聞かない。
何かしらちょっと違うということのちょっとした差を、どこまで見ていかれるかということが勉強です。☆
だから、こういうシステム、研究所もひとつのシステムだと思うのです。それを自分の中でつくっていく。
いわゆる声がよくなる、歌がうまくなるという、ならざるをえないようにしていけばいい。

海外にいくと、住んで生活していること自体で、歌声がよくなったり、歌がうまくならざるを得ない。日本人ほど、苦労して声を出したり、歌を歌っているところはあまりありません。それならそっちのほうが大切ということです。
それとともに、もっと難しいのが、つくるということです。いわゆる日本においての歌唱は、こなされてきたのです。☆あまりつくられていません。

○形を借りず、捨てる

基本に戻ったときには、どうして深い声が外されてきたのか、なぜ生じてきたのか、そこからやるべきです。生じて形になって、作品になっているようなものをどんどん真似てみても、それは歌を歌っているにしか聞こえないわけです。歌を歌っているところで終わっている歌というのは、そこまでです。☆他人の歌を、聞きたいわけではないです。自分で歌っているほうが皆、楽しいのです。それでも人に対して聞かれる歌というのは、何かを与えていなければいけない。歌というかたちが見えてはいけないのです。

どの分野もそうです。演歌っぽい演歌だったら、シャンソンぽいシャンソンだったら、古くなってしまう。いわゆるもどきです。
何かしらやろうと思ったときに、あまり考えず、自分で深めず、その辺にあるかたちを借りる。最初は何でもありです。日本の場合は、それでも世界にある流行ものを、舶来品好きな人がいますから、ぱっとやれてしまうのですね。ほとんどが、それで終わってしまいます。
「Be Cool」という、スティーブン・タイラーが出ている映画、ヒップホップが入っている。黒人のデブが、格好いいわけですね。ただのデブではない。日本の場合、デブではなくて、格好いい人がやる。

音との動きという面では、デブなのに、何であんなに早く動けるのだろうというような感じです。あれが自分たちのストリートに根ざしているようなところに、強さです。あの完成度は、日本ではもてない。それはゼロからつくっていかないといけない。
歌の問題は、歌を教えようとも思わないし、歌だけでやれないと思います。でも、そこの中に、その何がつくられているのか、つくられていないのか。歌の中ではなくて、歌そのものをつくる。ということであれば、やれる。そういったものは、すごく新鮮に感じる。

いい例でいうと、お笑いです。歌がお笑いに全部奪われていると、いうプロデューサーがいた。私はそれは違うと、あれが今の歌なんだと。
お笑いと歌は元々区分けがあったわけではありません。バンドはほとんどコミカルバンドでもあったし、噺家になりたい人が歌手になったりしていた。人前で音と声で楽しませる演芸というかたちでは同じなのです。ただ、歌手がぼけている間に、お笑いの人は、下積みをやって、のし上がった。

お笑いでも上の2,30組が面白いだけで、その下は歌手よりもひどい。歌手はまわりの演奏やリズム楽器が入ると、ごまかせます。お笑いのひどいのはどうしようもない。でも、ネタだけがそんなにひどいわけではないのです。
ネタは面白いけれど、声の力とかステージのテンションの高さがないのです。テンションだけというのも困りますが、今、一線でやれている人は、自虐的なネタの人をのぞけば、声の力、があります。歌い手よりも、よっぽど声の入れるタイミングやリアクション、に敏感です。歌手が声でつくるということなら、彼らを見習うべきですね。4分45秒くらいで、ひとつのネタで、歌と同じくらいの時間です。その中で、どのタイミングでどういう声を出すか、ひとつ間違えたらもう終わりです。今は、歌手のほうが甘い。

2回か3回かんだら、客に飽きられます。せいぜい1回です。歌い手は、エコーで楽な勝負をしています。音楽がかかっていたら、できがよかろうが悪かろうが、拍手がきます。
お笑いはそんなことはないです。ベテランであっても、前にすごく盛り上がった後にやったりすると、しらけてしまったり、場が持たなくなったりすることがある。真剣勝負の環境の違いですね。それと歌い手の場合は頼るようになりました。オーディションとかライブも、前の人たちがつくってきたようなシステム。インディーズでゼロからやっているような人たちも一部おりますが。

お笑いの場合は、一から客を集めなければいけない。500円の日給で1000人集めさる。親戚や身内は入れない。ぴあか露店ではかなければいけない。一方、歌い手が1000人集めるような努力をしているかということですね。
そこから立ち上がってくると、それなりに舞台としても迫力を持つ。

○コストをかけない

歌い手の場合は、全部やってもらっています。1回そこに戻らないと、本当に、だんだん歌うステージがなくなっている。ライブハウスはありますが、動きにならないのです。一つのムーブメントにならないと、食べてはいけないのです。
ライブをやるにも、日本の場合は、借りるのにお金がかかります。何百人集めても、プラスマイナスゼロですね。そういう人でやれているのは、主としてCDの作詞作曲の印税、CDが売れているからやれている。ライブで実益が上がっているわけではない。
だから、おかしな話ですが、ストリートでギター抱えて行って、そこで500円1000円、と1日1万円稼げたら、そのほうが実入りとしては大きいです。30日で、30万の手取り。業界にいても、なかなかとれないですね。

300人400人のところをいっぱいにしたといっても、2000円とって、60万、準備とスタジオ代で消えてしまいますね。メンバーで分けたら、ひとり一万円こない。赤にならなければまし。実のところ、8000円くらいでチケットが売れないと無理です。今、8000円で売るといったら、並大抵ではありませんね。本来はコストがかからない仕事なのです。楽器ひとつと自分だけがいればいいというくらいのものなのです。
だんだん大掛かりになってきました。面白いかすごいかということでいうのであれば、それだけ作品が練られていないのも確かです。やるだけのことをやれば、私は食えると思うのです。そういう意味ではお笑いを見習う。ああいうところから、シビアにいろいろなものが見ることです。

○呼吸の現場

呼吸のことから入ります。基本というと体、それから呼吸から発声に入っていくのが流れです。いろいろな呼吸法がありますが、訳のわからないようになってきますから、実際は2つ、で判断しましょう。
ヴォイストレーニングを考えるときに、現場と現実、これをきちんと見るということだと思うのです。現実というのは、実際にそれを身につけているアーティストが、どういうふうになっているかということです。
ヴォイストレーニングの本を読むと、あごをひいて、胸の位置を上げてと書いてある。でも、アーティストはそんな格好では歌っていない。
しかし、そのときに、現場の感覚はきちんと入れておかなければいけない。呼吸法は正にそうです。何が正しいかよくわからない、できたかできないかよくわからないというときになったときは、歌い手として、判断する。

自分の憧れるものが自分の理想目標にはならないということが歌い手の難しいところです。が、ひとつの感覚として、そういう人たちが、皆共有して持っているもので、自分が持っていないものがあったとしたら、それを身につけていくということです。
それが何なのか、呼吸の場合は、どんなに分解してみても見えない。人間の体としてしかわかりません。そうすると、息の音からとっていくしかないのですね。今、かけてみます。なぜこういう勉強を、ここでやる必要があるのかということです。
日本人だから聞いていないこと、は何でしょうか。日本語は息で聞く必要が全然ない。日常の会話は、強く吐かない言葉でやっています。

これは当たり前のように我々には思えるのです。しかし、かなり異質なものです。強弱アクセントの言語は、息の強さで全部判断していくわけです。常に自分が息を吐くということは、どこを強く吐くかということを無意識に用意しています。聞いているときも、発音を聞いているようで、実際は息の強さで聞いて判断している場合が多いです。どちらが息が強いかによって、品詞が変わったり、意味が変わったりすることがありますね。※

プロの中に含まれているような息が、自分が5年10年後に歌ったときに、表れてくるようであれば、どんなトレーニングをやったかはともかくとして、成り立ってきている、というような見方がわかりやすいのです。☆参考にするヴォーカリストはひとつ特長があって、有名とかどうこうということではありません。

あまりマイクの加工の操作を入れていない。マイクを使わなくても、音響を使わなくても、そういうふうに聞こえるという人にするのです。
ヴォイストレーニングの場合は、マイクをつけてやるわけではありません。自分の体と、体で向き合えるヴォーカリストのほうがわかりやすいということです。彼女たちの歌がいいとかそれを目指せということではありません。あくまでトレーニングとして、プロの体や息を想定したときに、見やすい、わかりやすいということです。息を聞いてみてください。こういう歌がかかると、どこまで高い声が出るのかとか、あれだけ大きな声が出せるのかなとか、そこにいってしまいます。もっと他に、聞くべきことがあります。

○地力と読譜

深い息と表現していますが、本当は音のしない息です。「HA−」、体と結びついている息です。たとえば走っても深い息になります。そのときには腹式だけでは間に合わないから、急激に酸素を入れるため胸式も伴うようになります。
歌の場合はそこまでなってしまうといきすぎです。そういう状態は、喉がカラカラになっていて、声帯に対して、微妙なコントロールができないからよくないのです。体と結びついている咳なんかがわかりやすいです。出すのはのどによくないのですが、おじいさんの咳は、腰に来るようになります。体は全部呼吸と結びついています。

そういう意味で、こういう切り方ができる。彼らの場合は、言語の中にこういう切り方があるのです。ところが日本語の場合は、最後のところに「ね」、こんなふうに入れて切るということはありません。若い人は、語尾の処理はあいまいに浮かしてしまったり、しり上がり調にしたりして、言い切りません。そういうところの差があります。彼らの場合は、息を吐いて言い切らないと、言語として通用しないから、日ごろから息を深いところで吐くことをやって、その延長上に歌がある。だから、我々が考えている歌とちょっと違うのです。

洋楽は聞いていると思いますが、そのように歌おうとしていて、違うように歌ってしまうのです。わかりにくいかもしれませんが、音楽というかたちをとってしまって、その音程をことばでたどっていくようなかたちになってしまうのですね。ところがこういう歌い方は、体から息が流れていて、それに対して言葉がついていく。言葉を言うことに対して、体がつねに結びついていて、どこかを歌っているという感じではないのですね。☆
実際に聞いたら歌ですけれど、日本人が音符から音符にとんで、それをエコーでつないでいるようなそういう感覚ではありません。

音符があって楽譜の世界を歌っているのではない。我々の場合は楽譜が先にきてしまうことが多いのです。彼らの場合は、自分の音楽があったものが単に楽譜に書かれている。楽譜は情報の一部分です。音の流れにそれないように声を使っているし、声を使ったところに既に感覚の中に音楽が入っている。それを称して歌というかたちであって、あまり歌っているという感覚ではありません。

日本のように、一緒に歌いましょうとかリズムをとって歌いましょうとか、音を外さないようにとか、そんなものは一切ないですね。向こうのつくっていく世界に対して、それは当てていくとかいうようなものです。発声も、あまりきちんと捉えてしまうと、応用性のつかないものに、固めてしまいます。というのは、発声で一番わかりやすいやり方は、固めてしまうことです。必ずその音がとれるようにとか、届くようにとか、それは自分の中で決めなければいけないでしょう。一時、固定させなければいけないときもあります。

たとえばアイドルなんかは声量が1オクターブしかないから、使いかたは決まってくるわけですね。あとは音響さんと相談すればいいから、楽なのです。ところが声が自由に出る人というのは、自由であるがために、どの大きさで出すのか、どこからどこまでどうつなぐのか、あまりに選択が大きいから、よほどセンスがあり、音楽がわかっていないと、今度は使えなくなってしまうのです。

○似せない

ヴォイストレーナーもレベルの低いところでいうと、出せないところをみる。次に出せる、ではまた次のところと、それだけです。当たったら、もうその音がとれたら、後はカラオケのエコーが助けてくれる。だから、固定していくことが上達だと思ってしまいます。
上達というのは、自分が判断できるわけではないから、周りの人が判断する。周りの人は、その人の上達なんか見ていないです。誰に似ているか、プロの誰かに似てくるとよくなったという評価なのです。ところが誰かに似させたら、プロの世界でいうと、それは自殺行為、やっていけないほうにいっているということです。誰かから離れていかなければいけない。

好きな歌い手がいて、ああいうふうに歌いたいというので、似てくるのは悪いことではありません。でも全て似てくるのだったら、それは自分の世界がなくなってしまうことになります。絶対に持っている世界が違ってくる、つくりたい。世界は違ってこなければいけない。その辺を固めてしまうと限界となります。初心者やちょっとうまくなりたい人にとっては、そういうやり方のほうが、受けます。カラオケで間違えないように歌うというようなためにはいいのです。声を固めてしまったほうが楽なのです。

のど声にしてしまったほうが音もとりやすいし、感情移入しやすい。本当に自由にすると、かえって難しくなってしまうのは確かなのです。呼吸法でも何でもそうです。腹式呼吸を覚えてようと、大変なことになってしまうわけです。そんなものが使えないところで調整するほうがいいのです。

今の自分の感覚と体を是とした考え方では、すぐに行き詰まります。あなたがそのまま出せれば、それは個性なんだからという、それはそれで、素人が歌うぶんにはいいのです。それでプロになれるのか、あるいはプロになりたくて、ここに来るような人では、その個性は、一人ひとり顔が違う、声が違うという程度の個性です。

ところが歌の場合は、声が違うことで、個性っぽいし、言葉という働きかけが強いから、音楽が入っていなくても、説得力が出てしまう。その2つによって、いい加減に扱われてしまっている場合が多いのですね。
そのいい加減さを利用しているから、昨日まで高校生だった子をデビューさせたりできるわけです。そこで一緒に考えてしまうと、そういう恵まれた人はいいのですけれど、そうじゃないほとんどの人はやっていかれません。

ヴォイストレーニング自体が誤解を与えてしまっている部分は、大きいですね。すぐうまくなれるとか、すぐ高い声が出せるようになるとか、すぐ大きな声が出せるとか。嘘ではありませんが、ただ、それが何のためかと考えると、つけ焼刃でそんなことができてしまってもあまりよくないのです。
音域も広ければ広いほうが、声量もあればあるほどいいというわけではありません。歌を本当に歌うのだったら、むしろそういうものは限定されていたほうがいいのです。限定されていると、使い方を考えるようになります。
昔の考え方というのは、声は出るほど、歌としてもそのまま比例してうまくなるというようなものですね。でも、実際、歌といわれているものは、声ではなく、声の使い方とか、音楽の中にどういうふうにデッサンしていくかということです。あるいは、声自体も楽器音として扱って、音楽としての使い方ですね。

たとえば、声が響きすぎるがために使いにくいとかいうことが、現実にあります。声楽出身の人が本当にうまいのであれば、J-POPSでシングルカットしてみて、どのくらい売れるのか、買わないですね。それだけずれているのです。私からいうと、古い歌い方です。
ただ、家族連れで来たときに、小さな子供も日本語で理解できるようにということなら、よくわかるし、ミュージカルは、音の世界で全てではない。私の思うミュージカルは、音の世界にストーリーがついているのですが、日本でいうミュージカルは踊りの中にことばがついているようなもので、ビジュアルの世界ですね。それをCDで聞いてみて、どうこうと評価することではありませんね。

○日本語と外国語

日本語は実際に「飴」か「雨」か、高低アクセントをつけなければいけない。ということは発音しなければいけない。響かせなければいけない。消しこんではいけない。音にしなければいけない。高低アクセントは、音程アクセントですから、メロディアクセントです。どうしても日本人は、音の高さに敏感です。メロディと言葉を聞く。
英語はHで「HA−」と、こういう中にひとつの拍がうまれてる。息を吐くのは、構造的にいうと、肺があって、声帯のところで喉頭原音になって、口、鼻までに共鳴する声道で音が出る。母音になります。ここまでは楽器と同じです。

息のエネルギー源で、リートで声にする。共鳴するところがあって、この3つの段階を経ます。
ところが人間の場合は、さらに歯や唇とか、舌で邪魔して子音をつくります。いわゆる言葉を発音します。
母音までは楽器と同じです。口の中で調節して、アイウエオができます。彼らの場合は、子音のほうが中心です。

要は強い息を吐いて、その息を妨げたという音。それは息を妨げますから、さまざまな音色として表れます。
日本人の音色はそんなにないです。しゃべっていても同じ、歌の中でもだいたい一色でしょう。
ところが彼らの場合は、子音、音色のほうが中心です。息を強く吐く、強弱リズム、リズムが中心です。リズムと音色中心に、大きな役割を果たしています。リズム中心のラップとか、音色中心のスキャットでも、歌というわけですね。
日本人の場合は、そういうものがあまりない。とり入れてもカットしてきた。音色の違いは、非常にわかりにくいところですね。
発声練習も「ドレミレド」「ラララララ」、メロディスケールしかないと思っています。
実際は「ラララ」こういう音色もある。音色の太さのようなものです。これでもオクターブ下なわけではないのです。音色が太くなっただけです。
こういう聞き方をやらないから、我々の場合は、そういうかたちで使いわけることはあまりないです。口の中で声をつくって、変えている人は若干います。その違いを比べてください。

○基準のあることのよしあし

これはミュージカル劇団のトップレベルでの日本語の歌唱です。かなりのレベルです。オペラにいっても通用するし、声楽でもやれる人です。そこまでクラシックの基本があって、さらに4年で8年くらい学び、それを投げ捨てて、ポップスに入ってきた。シャウトをしたり言葉をはっきりいっている。高さもとれる。わかりやすいことでいうと、ポップスのヴォイストレーナーなんかが、ひとつの目標としているような形だと思ってもらっていいです。何となく声楽もポップスも歌えそうです。

ただ、私から言わせてみると、これは声楽の基準と同じです。恵まれた声を持っていなければ、なかなかこうはなれないということですね。こういう人は、トレーナーに向いているのですが、あまりいないです。音大に入るときに、すでに素質があると思われるタイプですね。
逆にトレーニングでいうと、そうでない人をこうするのは一番難しいのです。こういうのが目標であれば、ヴォイストレーナーは皆、オーディションして、生徒をとらなければいけない。この人がこうなれるのかなれないのか。ある程度のトレーナーなら分かります。
こういうタイプの人が10人くらいいると、誰がうまいのかがすぐにわかります。順位を10番まで、理由をつけて、言えます。それとともに、この人が3回歌ったとしたら、その3回で、どれがよかったかもはっきりわかります。それが基準です。要は基準がある。

それがいい意味でも悪い意味でも、問題を含んでいる。本来は基準はないほうがいいのです。基準があるということは、昨日は今日よりも、よかったというふうに言われるし、あなたよりもこっちの人のほうがいいといわれてしまう。ただ日本の場合、どうしてもそうなりがちです。それはその基準で人をとって、コンクールみたいに優劣をつけるからです。ヴォイストレーニング自体がそうしないと成り立たない部分もあるのです。上達させるのだから、何か基準がなければいけない。前の人に近づいてくることが、本人もトレーナーも上達していると思う。

しかし、それがプロとしてやれるとかオリジナリティと違うというところに、気づかなければいけない。☆
ひとつの条件にはなります。何もない人にとっては、こういうものがあるのは、可能性としてあります。ただ、順番がついてしまうというところに組み込まれ、そこが第一義になることは問題があります。私はこういうふうなものは理想にしていないのです。だから、わかってもらいにくい。
ミュージカル劇団に入りたいという人や合唱団でやりたいとか、昔の唱歌を歌いたいとか、長唄などという方ならよい。とにかく、こういった基本があるのは確かですから。そうしたら声楽をやりなさいということです。それに対して、欧米プロの歌い方は、そういう見方でみません。

○音楽としての歌

私は自由なほうがいいという考え方です。3回歌ったといっても、どれがいいのかわからない。結構いい加減なのに、それなりにまとまっているし盛り上がっている。その方が、レベルが高いのです。他の人がきても、この人にはこの役があるという意味で強い個性があります。

何よりも大切なのは、音楽の力です。歌というのは、あるひとつの高揚感に向かって進んでいき、そこにサビなり何かしら、あって、すっきりする。ひとつのカタルシスを与える。そうすると2,3番に対して、またお客さんはそれを期待して聞き、そこが来たらやったあとという感じで、その繰り返しで高まっていきます。そうなってくると、成り立ちますから、何回聞いても聞けるわけです。
特徴的に違うところというのは、車のドライブで、1時間かけて飽きるかどうかです。普通の人なら、2,3回聞いたら、嫌になると思います。
それは歌い方が悪いのではなくて、ストーリーで聞くからです。ミュージカルで、こういう物語とわかってから、また聞くでしょうか。しばらくは聞かないですね。

ところが音楽は、実際にストーリーで聞かれるものではない。声やリズムの快感と、そういうひとつのピークに対し働きかけ、落ちていく。これを1時間かけっぱなしにしていても、似た曲をかけてみても、そんなに差がないわけです。英語がわかったとしても、英語で聞いて、頭に入れている人はそんなにいないはずです。日本人であれば、意味がわからなくても、これがほしい人はほしい。という意味で、言葉を越える。だからこそ音楽として、世界中でヒットしたり、意味のわからない他の国の人も買うわけです。

基本的には、感覚の違いです。日本の場合は、言葉として見せて、その詞の情感みたいなものをお客さんのほうに伝える。それは今の時代も変わらない。リズムがよくなったとか、高音の発声がきれいになったといわれても、根本的にお客さんが聞いているのは、そこから聞こえてくる詞の裏側の感情です。

昔は英語で歌わないと、日本のロックもだめだといわれましたけれど、結局、歌っていないですね。英語を効果音として使っています。音楽らしくするための工夫なんでしょうけれどね。音色の部分という意味でいうのなら、リズムと音色を中心にしているむこうと、言葉とメロディを中心にしている日本との違いですね。
日本人の高音は声楽らしくつなげないと、スタッカート気味に切れてしまう。母音が中心で、必ずひとつの音に母音がつきます。すると、どうしても1拍を越えて動かせなくなってしまいますね。のどにも負担が、大きくなってしまいます。彼らの場合は、子音で高いところが出せます。子音というのは、高い周波数です。周波数というのは、音の高さです。ことばですでに高いところをとれます。

だから日本人のほうが苦労をして、高いところを歌っているのです。音楽的な面でいうと、その流れからはうまくのらなくなってしまいます。
日本語をはっきり言おうとして、母音のところに負担をかけます。その辺はなかなか日本語がロックになりにくいという部分です。
今のものは、それを崩しています。ひとつの音に日本語をたくさんつけたりしている。でも、それをやっても、3つつけたら3連符になって、5つつけたら5連符になっているだけ。その5つつけたものの中に、1つの強弱やメリハリをつけないかぎりは、早く口先でいっているだけなのです。本当の意味では音楽として成り立っていない。

だから、外国人が聞いたら、何かやたらと高いところで、早い歌に聞こえます。体に合わない高いところで、体に合わない速さで歌っているということになります。ただ、日本人にとっては向こうのものが格好いいから、その格好いいものの上に日本語がのっているということで何となく流行しています。本質的なところに根付いたものでは、ないのですね。

そういう試みがあるのはいいと思います。どんなものでも時代とともに新しくなってきます。そういうものを取り入れるのは、それを取り入れた後にどのくらいのレベルでこなすかということです。日本人の場合は、だいたい真似をした後に、本家本元に追いつき、越えていくのですが、残念ながら歌や音楽の中ではまだです。どうしても民族性があるから、そういう生活がないところで、格好よさだけでは通じません。日本の若い男の子が、ダブダブのものを、同じデブが着てみても、むこうは格好いいけれど、日本人の場合は、真似ているもので限界があるという感じがします。それから、つくっていったら別ですが。やることはいいと思います。若さの特権です。

○トレーニングの意味

ヴォイストレーニングもロングスタンスで考えることと、ひとつの守りということで、過度なスケジュールのためにやる。根本的なところでいうと、精神的なところでは、自分の声をどういうふうに理解し、動かしていくかということです。なるべく繊細でていねいな感覚で捉えていく。だから、クラシックと変わらないのです。

クラシックのベースはレガートですね。声を転がすのに3年くらい、レガートには10年くらいかかります。レガートというのは、ひとつの音からひとつの音へ、本当にていねいにつなげていく。切れ目がないように、という技術です。ポップスには音響効果があるのでそこまで必要がないのですが、でも同じことです。ひとつの音をていねいに扱うということは、大切です。
ただそのときに本当に全身が使えたり、呼吸が使えなければ、本当にていねいには扱えない。見かけていねいには扱えるのです。感情を入れたり、真剣に思い込んだり、心を入れてみたりすると。でも、そんなことでうまく弾けるのなら、ピアノでもバイオリンでも、私たちも弾けるというレベルです。

感情移入のしかたくらいはわかるからといって、演奏に反映するかというと、演奏には反映しないです。それは指先がはじいた、あるいは腰先から入ってきている、ひとつのリズムがはじいた音の響きとして、物理的な現象としてあらわれない限り、どんなにこっちが力をいれてみても、聞く人には働きかけないのです。声もその面があるのは確かなのです。ただ、その音楽的な面よりも、言葉的な働きかけとか、声そのものの持つ、独自のものが、けっこう強いものです。だから音楽的にあまり見られない。それが日本ですね。
外国でそこまで音楽が抜けているのに、歌になっているものはあまりないですからね。それはそれでしかたがない。それ以上のことをやっていけばいいということです。

その感覚の違い、音の認識の違いがわかってきたら、今度は具体的にそれをどういうふうに詰めていくかということです。今は耳の問題をやっています。けれど、耳の問題=体の問題になります。むこうの作品をもとに、この感覚、認識の差を今度は詰めていきます。まず徹底した、聞き取りをしようということです。

○ことばの処理の違い

たとえば我々が、「つめたい」という言葉を言ったとする。「つめたい ことば きいても」、今、全部頭を強調しました。ここをはっきりさせないと、日本語の場合、わからなくなります。

私も日ごろ、そんなしゃべり方をしませんけれど、吹き込みとかアナウンサーのしゃべりをしなければいけないときには、そうします。
日本語は頭をしっかりと言われなければ、何を言っているのか、わからなくなります。高出しといいます。
それとともに、高低アクセントが、上から下に下がるようにはついているのです。下がったところが上がるようにはついていないから、最初に高めに切り出しておかないと、どんどん語尾が下がってきてしまうのですね。それがアナウンサーの独自のしゃべり方です。そういうのがあまり好きではない人は、役者のしゃべり方、これは落語家、ラジオのパーソナリティ、あるいはテレビでもキャスター的な喋り方の人ですね。

要は自分の個性を出すことが認められる人です。
日本のアナウンサーはあまり個人の感情を出してしまうとまずいですね。ニュースのしゃべり方が人によって違うということになってしまうと、伝わるものが違うということになって、ニュースの価値が変わってしまいます。個性や思い込みを入れないで、伝えるというのが、アナウンサーの仕事です。

「つめたい」というのが、外国人だったらどうなるのかというと、日本語のうまい外国人が多くなりましたが、普通の外国人だったら、「つめたーい」というふうになります。後ろから2番目か3番目にアクセントがつきます。「ふくしーま」という感じです。
これは彼らの言語が、最初が冠詞などあまりアクセントが置かれないで、第2、第3音節におかれるからです。これに音がついたときにどうなるか。ここから感覚で優先順位が違ってきます。

「レミファミ」、これを我々日本人の場合は、音程で「低い 高い 低い」ととります。すると「つめたーい」、となり、高いところが伸びます。
このときに表現から考えない。「つめたい」と言っていたものを「つめたーい」、とメロディにのせ、冷たく感じないのに、そこでおかしいと思わないのです。そういう感覚は私たちにあまりないです。その辺の判断が、歌に対する鈍さです。外国人のコピーで根本的な判断をせず、似ているのを第一にしてきたからです。きれいな声で歌っていると、きれいに伝わると思っていて、表現が消えてしまっても気づかないようになる。日本人の場合、元々、表現をしようと思っていません。

彼らの場合は、どうなるかというと「弱い 強い 弱い」と聞こえます。「ダダンダー」、こういうかたちに聞こえます。そうなると、言っているときに「つめたい」ということばに対して、「つめたい」となり、このときにメロディ「レミファミ」が伴っているのです。
「つめたいことばきいても」、これを慣れない人に歌わせてみると、「レミファミミレレドドシシ」、こういうふうに聞いてしまう。一語一語わかれてしまうし、「低い 高い 低い」というふうになってしまうのです。
ところが欧米人の中にはそういう感覚がないですね。「tumetai」と言っているときに、「レミファミ」とはとりにいかないです。それは感覚の違いです。

我々の場合は「レミファミミレレドドシシ」と正しくコピーしなさいとメロディを聞くのです。
「弱い 強い 強い 弱い」と聞こえるようになってくると、はじめて切り替わってくるということです。
簡単なように思いますが、これに4年くらいはかかります。今まで日本語を使っている以上に、外国語を使わないと、そうならないという感じがします。

後ろのベース音がついているから、そこをやると「 マ ケ プレ 」、「プレシ」は少しずらしています。その辺がリズムをつくるとか、リズムとの掛け合いです。実際にこういうふうにとっている中で、歌い手がこれに対してどういうちょっとしたずらしを当てているか、それが個性だったり歌い方となるのです。
日本の場合のように、音がついていたら、そのまま音をとっていくような考え方は、しない。音をとろうと思わないのです。このことばを、言おうといったときに、こういうメロディが結果としてついたというかたちになります。私たちにこういう発想があまりないのですね。こういう音の処理の発想がない。でも、やっている人もいます。

○音域より音色

ここで約1オクターブ。たとえば今の歌い手に「ラドソファファミミレレ」の「ソ」に対して、普通は抜きますね。抜くかやわらかく当てることで、音を変えてしまいます。ところが、海外やクラシックではあまりそういうことをしません。

聞いていたら、こういうもので1オクターブも開いているとは見えないのです。だから、私たちが外国の歌を聞いて、それで、彼らが低いところで歌っていると思ったら、高かったりします。あるいは、音が、今の「ラミャソリ」というところも、狭いところでしゃべっているように歌っていると思ったら、1オクターブ近くも上である。というのは、音色の違いなのです。
私たちの音色は変わってしまうのです。上にいくと、細く弱くなってしまう。今は、そんなに高くないところにもファルセットをかけて、さらに複雑にしています。

昔は体でキープしていました。1オクターブくらい持っているのは役者さんとか声楽をやっている人くらいで同じように出します。
ただ今のJ-POPSは何でもありですから、自分ができないと思ったらすぐに、違う発声で固めていってしまいます。☆
それが高いところを出すことだと思っています。
結局、体を使ってやらなければいけないとか、発声に基づいてやらなければいけないというのは、どこまで再現性がきくかということ、が肝心だからです。

声がかすれていようが、固めたやり方で、完全に同じレベルのことが100パーセントできていたら、問題ない。ただ、多くの場合は、現場にいくと、全然できていないのです。レコーディングのとおりにライブでも歌えないわけです。本人たちが一番苦労をしているわけです。
本当の作品にするためには、すごくていねいに細かく、声を扱わなければいけない。声に当てたとか無理に力で体を使って、上をとったというようなものは、ぶれるのは当たり前ですよね。
プロのを見ていたら、バスケットのフリースローで指先だけでボールがポトッと落ちるだけでも、それは必ず、膝から全部入っているわけです。体で覚えるというのは、そういうところです。それも歌も同じです。

○全身を写しとる

耳で聞いて、部分的なところで加工して終わってしまう。全身で捉えられるのだったら、全身が変わってくる。そのために見本としては、できるだけ全身を使って歌っている人を聞いたほうがいい。☆
でもそういうふうに歌いたくないというなら、歌わなければいいのです。両方できた上で歌わなければいいのです。たとえば声楽をやって、声楽のような歌い方をしたくない。でも声楽をやらなくていいとか、やったら害になるということではないのです。声楽やヴォイストレーニングで応用がきくように、何でもできるようにした上で、自分が選べばいい。

感覚でもそうです。あまりに日本人の感覚でやってきているから、いろいろな問題がおきたり、うまくできなくなっている。なら、一回それを開放してみて、何でもできるように広くしておいて、もう一度、日本人だから、高低アクセントに忠実に歌いたいというのだったら、それを選べばいいのです。そうしたら丁寧さが違ってきます。だから、一回、体まで入れておいて、その上でまた喉で歌いたいといったら、喉で歌ってもかまわないのです。そのほうが、喉は痛めない。

実際、役者のほとんどが喉を痛めてしまいます。声楽の人は相当無理なところや高いところを出してきているから、そうするとどこまでやると自分の声がつぶれるのかがわかるのです。ところが役者は案外と無理にやってきているでしょう。思い切りどなって、次の日にガラガラでも、演技でできる。そういう経験だけでやるから、たとえばディレクターがもう少し声を大きくというと、正直に大きくしてしまうのです。声楽出身の人は声を上げないけれど、声を上げたように見せることを知っています。要はあげてしまうと自分の声が壊れてしまいます。でも、上げろというから、上げたようなふりで見せてしまうわけです。すると声は守れる。

ところが役者は、バカ正直にそこで声をあげて、壊れてしまうというよりは、高い声を出せなくなります。ドスを聞いたせりふは、のどがガラガラなろうが、状態が悪かろうが、そのほうがよかったりするのです。ところが歌になったときには、音をとりにいかなければいけません。どうしても高い音を出さなければいけないから、そうなると、のどを壊してしまいます。これも、基本があるかということです。
役者は言葉に対して感情を入れるとか役者の基本があるのですが、その音を1オクターブ以上にわたって、扱うという基本がない。好きな音の高さを使えてきたからです。

でも逆に表現中心にやってきたから、声に個性が出たり、音色をつけたりすることを覚えたことも確かです。役者をやっているほうが、5年10年と、声はよくなりますね。声楽でも間違えながらやると、案外とそういうふうになるかもしれません。
私は両方のいい要素を生かしていくのが、ポップスとしては望ましいと思います。だから、声楽のトレーニングや役者のトレーニングをやるということではなくて、両方の部分で、もっとも効率よくならないかということで考えています。感覚の部分からこういうものを聞いて、変えていけないかということです。

○息音

息があるから表現になっている。この息があることを今は、格好いいと思って、J-POPSでは、ムリにつくっています。でもそれでは体でコントロールされていないから、だらしのない息になってしまう。むこうの音楽的な雰囲気にはなっているかもしれないけれど、音楽として使える息ではありません。こういう息を使うためには、体が強くないとしぜんにはならないのです。

○声評

多くのポップスのヴォーカルは、声自体がいいわけではない。日本人が思っているような美声ではない。それから発声もそんなによくない。ただ音楽に対して、声をどう使うかということに対しては、徹底して知っているということです。
それから自分の限界を知っている。どういうふうにやれば、自分の最低限の武器で、最大にみせられるかということ。
これが日本の場合、声楽家も弱いです。武器はたくさんもっているのに、作品にしたときに使いきれない。意欲やトータル的なセンスが必要なのだと思います。

体や呼吸からは真似ても、プロのは、その発声をそのまま真似していくと、のどを壊してしまうのもあります。真似ないほうがいい。
彼らの場合、こういう歌は単に歌っているだけですが、声が説得力の違いになるし、作品のレベルの違いにもなってきます。
今の「ドシド」で、ほとんど1音と同じです。それで4フレーズくらい。このレベルのことをできるのに4年でできたら、トップクラスです。
呼吸と声の強さと息の支え、それにリズム感と音楽的なものが入っていないとおさまりません。体をきたえたり養ったりするときの、ひとつの基準にはなります。こうやってきちんと体をつくっていったり、息を吐けたりできるようになると、こういう歌ではないけれど、声が変わってくるという意味あいです。

○目標のとり方

歌というのは、本当にうまい下手ということではなければ、誰でも歌えます。トレーニングするなら何が違うのかということを見ていかないと、上達しようにも変わらないのです。歌えてしまうものは歌える、歌えないものは歌えない。
私は真似をさせないようにしています。自分の真似をさせないようにしているのと同時に、歌い手の真似もさせないようにします。盗むことは、真似することは違います。

こういうものを聞いたときに心地いいと思って、それが心地よく歌えたら、2,3時間もレッスンをしたら、1曲できてしまうのです。それはその人が偉いのではなくて、クラスに40人いたら、10人くらいはできます。だから、あまり意味はありません。それを目標にしてはいけない。
デモテープが送られてきます。そういうものばっかりです。歌えて、できたと思う。
それは考えてみたら、その人のお姉さんでもお母さんでもできるのではないかと。それよりもう少し歌がうまいくらいです。こういうものを心地よく聞いてみてもダメで、自分のデッサンをそこにきちんと表さなければいけないということなのです。

この独創性、誰かのを写して、これが自分の曲ですといってもしかたがない。
デッサンはいろいろな動かし方をする。そのときの線がフレーズで、色が音色です。
よくわからなかったら、拡大して聞いてみればいい。拡大して聞くというのは、たとえば何回も繰り返すとか、ゆっくりにして聞いてみる。分かりやすい例でいうと、音を大きくするということでもだいぶ違ってきます。心地よく聞こえるものがよくわかる。

大切なことはそこまでのところのわずか1秒でも2秒でも、同じことができたら、5年10年のキャリアを与えてもいいということです。同じように歌わなければいけないということではない。けれど、拡大して聞いてみたら、このわずか一瞬でも、どれだけ集中して、どれだけ体の状態をリラックスしておいて、きちんと声を使わないとできないのかを知っておいたほうがいいということです。

何も難しいことをやるのではない。逆に簡単なことの方が目標がわからなくなってしまいます。SMAPみたいに歌いたい。あれ以上に歌えてしまったらどうするのということになりかねないでしょう。高校生くらいでもそうなれる。でも、仲居くんは巨人軍の開幕式に東京ドームで歌わせてもらえる。その男の子は歌わせてはもらえない。それは違うところで差がついているわけです。
だから、それをトレーニングの目標にしてしまったら、残念なことながら、目標がわからなくなってしまいます。
プロで歌えている人と同じ以上に歌っているのに、自分はそのようになれないなど、変なことで悩まなければならない。

一流のプロにレベルをとっておいたら、一生そう悩むことははないです。苦労するというのは、できないから苦労するのはいいのです。目標になる。できているのに苦労するほうがかわいそうです。歌い手はそうでしょう。

漫才の人は30代くらいで出てきます。10年くらいの修行、落語も二ツ目になるのに10年くらいかかります。ところが歌い手は2年くらい、あるいは1年もレッスンをしないのに、デビューできてしまったりするのです。だから、その後の10年が、修行がつめないのです。何が目的でどうなればいいのか、確かに憧れの外国人のアーティストはいるのですけれど、何が一体違うのか。生まれつき違うとしかいえないのです。
でも、私から見ると、あきらかに音楽的なセンス、体が違う、息が違う。音の処理のしかたや声のポジションが違うという部分は、やれば克服できる部分です。それは日本人も声楽家でおります。どこまでいけるかということになると、これからですが。
そうやって、すぐれた人が、10年勉強できないで、きてしまったのかというと、そのままでとってしまうからです。これを目的にして、このままでやろうとするとダメですね。演技もスポーツも皆そうです。こういう演技をしようと思ったときに、できると思っていたけれど、全然手が出ない。

○感覚の盗り方

どういうことをトレーニングしなければいけないかというと、このことをやりたければ、このくらいの大きめのことをやっておくのです。このくらいのことを何回かやっておいたら、これに対して、2倍のスピードど2倍の筋力がつきます。すると、このくらいはできるということです。
トレーニングはこういうものを見たときに、感覚のほうをとらなければいけない。この人がこう歌っていたのを見て、こう歌おうとすると、このくらいしかできないわけです。ところがこの人がこう歌っていたのは、きっと、こう歌いたかったから、それが結果としてこう出ているとみます。すると、自分でもこのイメージや体をとろうというふうに動いてくるわけです。

だから、1曲全部は誰でもできますが、1箇所を本当に全部同じにするというのは、すごく難しい。ということは1曲の中でどれだけごまかしているかということなのです。それをトレーニングは、絶対に許してはいけないのです。だから逆に厳しくなってしまう。
4年5年経ってもできないというのは、トレーニングがのってきたみたいなものです。最低で3年4年、できたらとっとと出て行く。いる人はまだ接点がついているからいいのです。訳がわからないと、当然やめてしまう。諦めてしまう人もそんなものは必要ないと思ってしまう人もいます。それも自由です。絶対に、それを修得しなければいけないということでもない。そんなものができたところで、歌からいうとせいぜい10分の1、でも確実にできる10分の1というのは、強いものになるのです。

体が変わるということは、そんなに難しいことではない。時間さえかければすごく変わります。たとえば私がマラソンに出るというなら大変だけれども、5キロくらいまで走るということは、体力があれば、半年かからないで、できるようになる。それはやっておけばいいという話です。
こういうものも耳から入れて、体を変えていく。耳を変えていくには、音の世界が第一です。呼吸も同じです。どんなに呼吸法の本を見るよりも、一流の呼吸を見て、オペラ歌手でも見本に、それと同じような呼吸をとっていこうとすると、相当、体を使わなければいけなくなってくるはずです。

出だしの瞬間にダメですね。ことばと同じでいいのです。歌になってしまうと、本当に形になってしまいます。声で伸ばしてしまうと、そこで音楽ではなくなってしまう。プロは独自のデッサンのやり方を持っているわけです。

○役者の声

これは役者さんの声です。この当時の人は、役者声を持っていたということです。こういう役者声は、少なくなりました。当時の人たち、黒沢映画に出ていた人たち、山城新吾さん、中尾彬さんとか、江守徹さんのあたりになってしまいます。
あきらかにああいう声は鍛えられています。役者をやっている中でできてきたものなのですね。元々、中高生から、その声だったということではない。

これは体に入れるということをやるのです。役者が外に声を出すために「はい」と、こういう声、のどにかけるのではなく、のどを外して、のどよりも深いところで声にする。どすのきいた声や悪役の声は、少しのどにかけて嫌な感じを出します。
二流の人たちは全部を声にしてしまう。うまい人になると、こういうところに息をいれて、感情を移入していく。
そういう意味では外国も日本も同じです。息が聞こえている部分が生きている。ところが日本人のヴォーカルの場合は、息をどんどんカットしてきました。☆

戦後はしばらく息が、聞こえていたのですが。体から聞こえていたことが一番大きい。それから高い音を出すときに、ぶつけるようなとり方ではなくて、抜くようなとり方を覚えてきた。日本だけの現象かと思っていたら、平井堅やゴスペラーズの延長のように、最近は韓国の歌手も、やわらかいというか、抜いた声を出していますね。あの辺になってくると、持って生まれたものにしかおえない部分がどうしても出てきます。
皆やればできるのですが、やってみてあれで持つ人は、少ない。あそこまでのトーンの感じになってしまうと、トレーニングとしては、対応ができなくなってしまいます。そういう人を見つけて、そういうふうに歌わせるしかない。

そういう部分はあまりトレーニングにならないということです。のどが鍛えられるとか、息が鍛えられるとか、強くなることによって、コントロールできる部分はいいのです。そういうことをやることによって、やわらかくできるようにもなります。
生まれつきの声そのものの性質の部分は、そんなに変えられるものではありません。実際に、その差をふまえたうえでどういうふうにやるか、が問題です。

○外国語と日本語でやる

だいたい2つのアプローチをしています。一つは、日本語をはずして、イタリア語で入って、それから発声でフレーズをやっています。イタリア語、ポルトガル語、いろいろと使っています。しかし、いくら、イタリア語や英語で言ってみても、伝わっているかいないかは、本人にはわからないですね。日本語だったら、何か言ったら、それが伝わったか伝わっていないかが、何となくわかる。そこで、必ず日本語にします。それは役者の入り方と同じですね。表現の成立をみます。

この人は、オペラ歌手出身だからこういうとり方をしています。ことばと言ってみて、そこにミミミミソファファ、そのままですね。「ながいあいだ」と、これ以上何もしない。「ながいーあいだー」とやってしまう瞬間に歌っぽさが出てきてしまいます。「長い間」と自分で入れて、「ながいあいだ」と、これだけの最少のもので、音をつくっていく。メロディ処理ということばで、私は言っています。

それともうひとつは音楽の面から、入ります。役者はそういうやり方をとるのが、早いのです。音楽が入っていないから、言わせておいてから、やると、役者は歌になるのです。音楽的ではないのですが、彼らは、体から言葉を切れる。音楽的というのはその逆で、どちらかというと、音の流れでの世界を重視する。この中で「ミミミミミソファファ」と聞こえるのですが、それを音でとるというよりは流れでのせていくのですね。

たとえば、「長い間ひとりでひとりっきりでいたから…さびしくて」。ここまでは「ダダダ ダダダ ダダダ ダダダ」、これだけの音楽です。それを、ひとつずつ自分のデッサンに変えていくのです。自分のイメージが、音楽にするときには必要になってきます。そのイメージをもって、自分のデッサンをつくっていく。そこにことばが最終的につけばいいという、その2通りのアプローチですね。

そういう必要性があれば、そのイメージがあれば、それにどういう声が必要か、その声をつくるというよりも見出していかなければいけないということで、ヴォイストレーニングが結びついてくる。
言語から入ってくるところは、伝えたい思いとか、気持ちとか、言葉のほうから入るのです。いわば役者型のほうです。音楽の方からいうと、音の動きをどう捉えるかということです。個性です。つくり方がその人によって変わってきます。

役者は体と声とが必ず結びついています。これは1オクターブ半くらいの歌で、そこで、結びつけようとすると、かなりつらいです。要は条件です。まったく同じところの発声において、体を伴わせます。声というのは、普通にはパッと出せるのですが、その声を本当にきちんとつかまえて、きちんと動かそうとすると、そのために呼吸とか体がすごく要るのです。

○クラシック=人間の楽器声

声楽っぽくなるわけではなく、体の一番深いところから声を取り出したのを、声の輝きで評価するのが、クラシックの世界です。今はルックスも含めていろいろな表現も評価に入れているようです。昔は、人間を楽器として考えた声でした。
そこに一瞬行くのです。体と結びつかないので、リズムから遅れているし、声も扱いきれないでいるのです。過度に体を使って、いきましょう。普通、声にならなければ、体は使えない。体だけが空回りしてしまう。そして声が空回りしてしまう。体を使った分だけ声になり、声を使った分だけ体が動くという結びつきをつけていくための時期が必要なのです。ここが一番苦しい時期です。もう少し経つと、今度はリズム、リズムに対して、体をつけなければいけなくなってきます。もっと大変になります。今度は呼吸を回さないと、リズムが動かない。これがそういう時期です。

呼吸とともに声がまわらないと、こういうリズムのグルーブが出ないのです。いわゆる楽譜通りに進められるけれど、そこで動かして、客を巻き込んでいくことは声がないと、できないところです。こういう踏み込みと離しで、踏み込みは、普通の声だとできないです。演奏はこれで6割決まるのです。これは1曲の2分半で、失神しそうになります。

息も体も足りない。それは体や息をつけることが、メインだから、実際にこんなのでステージで歌わせるわけではありません。こんなのではだらしなくてしかたない。そこの部分を応用と基本でしっかりわけて、やっていかなければいけない。そうでないと、歌っていても体は変わっていかない。歌っていくとトレーニングができていくというのはよほど恵まれた人ではないと。ほとんどの人は歌って、応用なので、かなりの無理もいい加減なところも出てきます。

○早くやれるものなどない

そこに試合と基本練習の違いというものがあります。試合だけでうまくなる人も、中にはいるかもしれません。日本の場合は、ほとんど試合だけ。試合で成績が落ちてきても、観客が気づかないし、同じだけ拍手をくれます。ショービジネスの世界の甘さです。幸い、ここには、そういう世界にさらされている人が、けっこうたくさんきていますから、こういう基準がまだ当てはまるのですが、こんなきびしい基準でやってみても、評価してくれる人がいないといわれてしまう。でも、海外はこれで当たり前、これで10歳12歳の子はたくさんいます。そういうことでいうと、あまり迷わない。

けれど、日本の音楽の現状や歌、トレーナー、学校、そういうところが10年の課題を与えていないで、1年か2年で見ているから、習いたい人も1年か2年で、体が変わってくるわけがない。人前でやって飯が食えるもので1年2年でやれるものを私は知りません。どんな商売でも、それだけ変わってくるには時間がかかる。

ただ、体、声というのは、はじめたときが1年目ではない。このレベルになるのに、8年くらいかかっているのです。
だから、8年かかって8年やったなというものが出ているのならいいのです。けれど、このレベルに到底いっていない人もいます。 それを何とかこちらはサジェストはしていかなければいけないのですけれど、結局、当人の頭に、どれだけ問題意識やアンテナが立てられるか、音楽が徹底して入っていないから、入っていないものは、出てくることはないのです。

呼吸の問題に戻りますと、私としては、何をやってもいい。何をやってもいいのですが、けっこうその世界は深く広い。
ステージの世界の場合ですと、声に使えるだけの息があればいいというだけです。いろいろな精神的なことや健康のことでいうのなら、呼吸は呼吸だけの専門家がいて、ワークショップもずいぶんいろいろなところでやられています。

ただ、日本の、向こうのほうから持ち帰られたようなヒーリングめいたものの中で、非常にわかりにくいものがあります。ストレスがたまっていたら、簡単にいうと、呼吸をすれば落ち着くわけで、それで効果が出たといってしまうと、そんなものでしかない。本当に死にそうな人を死なないためにやることは、私は必要だと思いますが、そうではない人でもそういう形に決めてしまって、それで普通の状態に戻すようなことをしているだけのように思えてならないのです。


■トレーナーアドバイス〔06.11〕 
レッスンの中での概要です。これらのメニュが必しも誰にでもあたはまるものとは限りません。参考にとどめておくようにしてください。

<Fのレッスンメモ>

リズム
質感 音色声色
流れ-デッサン
ことば
呼吸
発声

ヴォイトレ発声法
A.歌唱 歌い手のフレーズ プロ 日本人 イタリア人
B.1.発声 2.曲 ことば メロディ リズム      
日本語 クラシック イタリア語
C.オリジナリティ 自分

1.暗譜、暗記力、歌詞力、パターン力、基礎基本、発声力、流れ
2.舞台力、即興力、ことば表現力、アレンジ力、フレージング、
編集力、構成力、予知力、声
3.オジリナリティ、強味、個性、変化、底力、地力
他人のヒント つなぐブレス チェンジ フェイク


<Lesson>

○大は小を兼ねる

はじめのうちは、荒削りからはじめましょう。小さいこと(表現も含め)ばかりに意識を捉われるのではなく、まずは朗々と歌ってみてください。もちろん、力まかせで歌うということではないですよ。しばしば例えられるのが、彫刻の世界です。粘土の塊から作品を作りあげる際、はじめから細部を意識してこまごまと削り進める人はいません。イメージをもったら、まずは余計な部分をそぎ落としていくのです。そして、徐々に形つくられたら細部に取り掛かればよいのです。
声は性格が出ます。雄大に歌う方もいれば、神経質に歌う方もいらっしゃるでしょう。しかし、大は小を兼ねるといわれるように、朗々と歌える方は、時にP(ピアノ)の表現を求められた際、基本が出来ていれば歌えます。しかし、その逆は不可能です。いつも細々と歌っていると、いざシャウトを要求されたら歌えません。細部の調整に関しては、また別の才能・神経が必要になってきてテクニックは必要ですが、はじめは気負わず、声を出しましょう。

○レッスンに望む姿勢として

こんなことは言われてするものではないのですが、改めて知っておいて欲しいので述べます。
レッスンは正味25分です。時間的に見れば短いと思うでしょう。しかし、この25分間に自分ができうる最大限の集中をしていますか?この集中力がないような気がしています。これは緊張してこわばらせるとか言ってるのではなく、一音一音慎重に出し、自分の出している音に耳を傾けていますかということです。
ともすれば、この25分の前半をウォーミングアップのための声慣らしで、後半を集中してみようと捉えてはいませんか?それではまったくダメですよ。
レッスンに入った瞬間、音楽が始まったと思ってください。自分の中で、スイッチが変わったと感じて下さい。極端な話をしてしまえば、自分自身で自分を演じてください。モデルは常に人に見られている、という意識を絶やしません。同様に歌い手は常に声を聞かれている、という意識を持ってください。

○技術の向上と共に声を出して歌うこと

楽しさも感じて欲しいです。
ほとんどの生徒が、先生から言われてすべてを消化しようとするあまり、力みにつながるのが一番の問題だと思います。どんなによい声でも力んだ時には、声帯に負担がかかっているということを忘れないで欲しいです。

○歌う前に身体をほぐす重要性について

レッスンの前に柔軟をしっかりしてこない生徒さんが多いのですが、レッスン時間を有効につかうために、レッスン前に十分柔軟するようにしてください。
ピアニストは気温の低いところで、手が冷たいまま曲を弾いてしまうと、確実に手を壊してしまうでしょうし、スポーツ選手も本番前には、充分なストレッチをしないと危険です。歌手は体が楽器ですので、なおさらですね。待合場所で声を出すのは無理だと思うので、体だけでも柔軟しておきましょう。足首をまわす、ひざの屈伸、股関節を広げる、前屈、上体を反らす、首、肩、手首を回す。最低でもこれぐらいはやっておきましょう。更に時間があれば呼吸の練習など、声を出さずにできる練習もたくさんあるので、声を出せない時間も有効に使ってください。


<Menu>

○のどを痛めている場合、音域を広げずに中音域を中心とした発声練習をする。
ハミングと格母音でのスケールが中心。
低音、高音で力む癖がある人は、明るい声でしぜんに出すように指示。音程間の移動がスムーズになる。
自宅でできる発声練習としては、唇を振るわせるスケールとRの発音でのスケールなどをやりましょう。

○舌根が奥に引っ込んでいるために、声が奥まったように聞こえる場合、顎、舌根の力を抜く訓練を行なう。顎を引きながらのスケールをとります。

○声が暗い場合、明るくしぜんにを中心とした屈伸運動を加えての訓練。
かなり高音まで良い声がでます。

○声を持っている人で喉が生まれつき強い場合、低音を鳴らす癖があるので、力まずスケールをやりましょう。
高音で顎が出てくるので顎を引くことです。


<Q&A> 

Q.リズム感がよくありません。歌の基礎練習で、課題で考えるべきことは何でしょうか。

A.歌いだしの前に、どのくらいのテンポで歌いたいのか、自分でテンポを決めなければいけません。
そこで、歌う前に、1小節分、カウントをとりましょう。手拍子でしっかり確認してください。そのまま手拍子をしながら、歌ってもよいでしょう。
手拍子をすると、歌につられてうまく均等に叩けなかったり、逆に拍子をとることに気をとられて、うまく歌えなかったりします。音符の長さの確認もできます。
手拍子をしながら歌うことは、すぐにできるようになるものでもないので、繰り返し練習することが大事です。
その際、ひとつの課題を繰り返しやって、できるようになったら次に進みます。
ゆっくりでもいいので、しっかり止まらずにできるようにしましょう。もし、手拍子が均等に叩けなければ、メトロノームをかけてやってください。
手拍子だけの練習も必要かもしれません。メトロノームがなければ、時計の秒針に合わせてやるのもいいでしょう。
手拍子に慣れておけば、シンコペーションなどの複雑なリズムが出てきたときに、大変役立ちます。

Q.音符の呼び方について知りたい。

A.国によって違いますが、クラシックでは、イタリア語を使うことが多いです。他に、ドイツ語もでてきます。
ドレミファソラシという、呼び名はイタリア語です。
クラシックでは、音符の名前はドイツ語で呼ぶことが多いです。
ドはC(ツェー)、ドのシャープはCis(チス)。英語だと、シー、シーシャープといいますね。
では、日本語は?
ドレミ…は、ハニホヘトイロハです。(イロハニホヘトとごっちゃになる人が多いです)
シャープは嬰(えい)、フラットは変(へん)といいます。
ハ長調という言い方はよく聞きますね。
シーシャープは、嬰ハ(えいハ)といいます。
豆知識として憶えておきましょう。

Q.息と声が、別々になってしまうときがあるのですが、どうしたらよいのでしょうか。

A.息、ハミング、声の順で発声して、息の上にのった声を意識してみてください。
息ももちろん大事ですが、流れる息に抵抗するものがなければ、長いフレーズを歌いきることができません。また、ある程度の音量も出すこともできません。
それが、横隔膜の働きですが、それを鍛えるには、息をお腹にためる練習や、息を止める練習、または、思い切り、息を吐ききることが大事です。
お腹に息をためる練習をする時は、蛇口から水が出るのをイメージしてください。蛇口にビニール袋の口をつけると、下から水がたまります。そのイメージで、お腹に息をためてみてください。また、息が出るときの緊張と、息が入ってくるときの、弛緩の違いをはっきりさせるのがコツです。
また、それと同時に背筋も鍛えることが大事です。故本田美奈子さんは、華奢な身体から出る、あの声量は、背筋の強さからだったそうです。
背筋を鍛えるには、腕をあげて、発声をすると、とても効果的だと思います。また、背中を反る練習も効果的だと思います。

Q.口を大きく開くと歌いにくいのですが、どうしたらよいでしょうか。

A.口を開きすぎると、ひびきが変わって、音程が下がりやすいので、あまり、口を開かないことです。また、ウやオなどの口をあまり開かない母音で歌ってみることが大事です。

Q.歌の基礎練習で気をつけることは何でしょうか。

A.表情も大事です。笑って歌うだけでも、いい響きで歌え、音程がよくなることがあります。
ミとファは半音ですので、音程の幅が狭くなるので、注意して歌ってください。
どうしても、リズムや音程がとれない場合は、楽譜の最後から、歌ってみると、スムーズに音程がとれます。
アクセントのつけ方は、ただ単に、強くするというより、大事に歌うようにしてください。
のどで押さないで、お腹から声を出してみてください。

2分の2拍子は、最初は、4分の4拍子に数えて、練習すると、スムーズに歌えます。
リズムが難しいときは、音をつけずに、リズムだけ読むようにしてください。
シンコペーションは、通常のアクセントの位置とは変わってきてしまいます。
どこに、アクセントがついているか、よく確認して歌ってください。
歌い始めは音程がとれていても、少し、伸ばしていると、音程がさがることがあります。
さがらないように、母音をもう一度言うようにしてみてください。
どうしても、音程がとれないところは、一度、その音符を歌ったときに停止して、音を確認するようにしてください。

Q.息のコントロールについて知りたい。

A.『声量は変化量』(「ヴォイストレーニング基本講座」P80)とあります。変化量とは息の量です。音量に変化(ピアノ〜フォルテ)をつけたいときは、息の吐き出す量・勢いをコントロールするのです。
フォルテだからといって、やみくもに声をあらげるのではなく、まずは自分の中の息の量を知り、そのバランスに見合った息の量を出してください。当然ながら息の量とは物理的な数値ではなく、自分しかわからない感覚のことです。細かく見れば1レーズごと、最終的には曲全体の構成を考え、どこでどのくらいの息を出すかという、息の量の配分・コントロールをしてください。出だしからフォルテで歌い、サビも終盤もすべて同じで、なんの変化もない歌は、ただの大声選手権で味気のない自己満足の世界です。どうせ聞いてもらうならば、構成力のあるものにしましょう。しかし、聞いている人には悟られないよう、ごく自然に歌うのです。

Q.練習場所はどこですればいいですか?

A.音楽の世界はこれが一番の悩みですよね。絵画や文学は部屋があれば活動ができますが、音楽はそうはいきません。名曲を、いくらすばらしい声で歌っても、ほかの人からすれば騒音と捉えられてしまうことがあるくらいです。
具体的な練習場所としては、スタジオか楽器可能なマンション、もしくは個人用防音部屋(1.5〜2畳ほど)の購入でしょう。スタジオは時間貸しなので、毎日練習できない人にとってはいいと思います。
それに対して毎日練習をしたい方にとっては、環境を変えて、楽器可能な物件に住むということがよいでしょう。しかし、家賃が高いのがネックです。
なかには、音が聞こえてもお互い我慢しましょう、という単なる楽器可能という物件もあります。
一方、一人暮らしではない人は、個人用防音部屋になるでしょう。楽器のための練習室なは、音を吸い取ってしまうためひびきがありません。お値段も、ウン十万円です。
とにかく、音楽はお金のかかる活動です。どれだけ、自分にお金を費やせるかも、鍵となるでしょう。

●Q.呼吸の練習をするときに口の形を、唇を丸めるようにしてやってきましたが、このようなやり方は弊害となるものでしょうか。

A.呼吸法の目的は、息を楽に出させることではなく、息を吐いている時に丹田の意識を持つことと、息の流れをつかむためです。ですから、ラジオ体操の深呼吸とは全く別ものです。唇を丸めるようにすることはなんら問題はありません。
ろうそくの火を一息で消そうとするときは、深呼吸のように息を全部出してしまうのではなく、唇を狭め息の流れを細くし、効率よく息を使うでしょう。その感覚を持ってください。一点に集中し、周りに余計な息を出さないようにしましょう。そして、これ以上吐き出せないという最後のところまで使い切ってください。すると、おへその下3cmくらいが痛くなると思います。これが丹田です。そして、出し切ったら、この丹田が膨らむイメージで息を『鼻から』吸ってください。そうすれば胸に息が入ることはありません。このとき注意しなくてはいけないのは、欲張って息を吸ってしまうことです。吐いた分だけ吸うことを心がけましょう。

Q.発声や音階の練習に少しずつ慣れて自分の声がどんな感じかわかってきました。これからどんな練習曲をやっていけばいいですか?

A.低いドから高いミぐらいまで声楽の発声で体から声を出せるようになってきたら、コンコーネ50番に進んでみましょう。どれも最初はゆっくりから中くらいのテンポなのでピアノで伴奏部分も確かめながら、一音一音丁寧に練習していきます。最初はどうしてもドより高い音が突っ張ってしまうかもしれません。トレーナーと一緒に練習して下さい。低音から高音に移る時のコツ、テクニックを教えてくれるはずです。さらにイタリア古典歌曲を使って実践していきましょう。イタリア語は基本的にローマ字読みで歌え、母音と息の流れの訓練にとても適していますので、お勧めです。曲としてはCaro mio benが、始めやすいと思われます。

Q.「アー」や「オー」でコンコーネなどの練習をやるとスムーズに行くのですが、ドレミで歌うと声が何となく前に出たり後ろに引っ込んだりします。どうしてでしょうか。

A.「ドレミファー」の言葉と音程を組み合わせるとかなりの組み合わせになります。初めての人にはメロディーまで付けて歌うのは難しいかもしれません。子音を取って母音だけで歌ってみるとシンプルになり、歌いやすくなります。「ドミソミド」を母音だけで発音すると「オイオイオ」と2つの母音だけになるわけです。このように練習曲を「アー」や「オー」で繰り返し練習してみましょう。高音の声をチェンジするところや長く伸ばすロングトーンの練習にとても効果的です。普段話している日本語の「アー」はやや浅い発声になりがちなので「オー」に近い感じで口のあけ方を縦目にイメージして歌ってみましょう。

Q.冬になって声を出していて、かすれたり、乾燥しているように感じるのですが、どうしたらよいのでしょうか。

A.日本の冬はいわゆる空っ風の影響で、空気が乾燥しがちで声にはあまりよくありません。逆にヨーロッパでは、この時期、霧が出るくらい空気が湿っている環境で日本とちょうど逆の気象状況になります。その代わり日本の雨季の時期は、向こうはカラッと乾燥しているので過ごしやすいといわれています。このような環境の中でヴォイストレーニングするには練習する部屋や、レッスン室に加湿器を用意するのがよいと思います。発声していても声が柔らかく、また出しやすくなるはずです。
乾燥した空気というのは風邪のウイルスなどを運んだり、増やしたりする原因にもなりますから、できるだけ部屋の換気をよくして、空気をきれいに保つ。そして適度な室温と湿度の中で思いっきりトレーニングできるようにがんばりましょう。

Q.顎が十分に開けることができず、発声のひびきが浅くなってしまいます。どうすればよいでしょうか。

A.のどの奥をしっかり開けて発声するのが基本です。そのためには、あくびをしたときの状態、つまり顎、顔全体、唇の力が抜けてリラックスした状態で歌います。顎が普通の人より縦に大きく開かないなら、無理をせず毎日少しずつ耳の前のくぼみができるくらいまで開けるように訓練していきましょう。スピーカーと同じで口の中にできるだけ多くの空間を作っていきます。
始めは「ア」より「オ」の母音のほうがのど仏が上がらず声がひびいているのを実感できると思います。すると今度は舌が奥に入ってしまうかも知れません。できるだけ舌を歯の裏に付くくらい前へ持って行って、舌が発声していて平らになるように心がけましょう。声に丸みが出て柔らかくこなれてきます。

●Q.仕事で声を使いすぎているせいか、発声をしていても力ばかり入ってしまい、声がハスキーになりがちです。睡眠も足りていないかもしれません。

A.確かに声を使わない仕事はない、といってよいほど現代はコミュニケーションが重要な時代になってきています。いつどこで声を休めるかというのも課題ですね。普段の仕事のときに、発声法を活用してみたらどうでしょうか。つまり日ごろからひびく楽なポジションで声を「使う」というより、「鳴らしていく」という考え方です。何となく声を出しているのではなく、ここは言いたいというころにアクセントを付けてみたり、リズムを付けてみる感覚で「語る」のです。欧米の人の会話をよく聞いていると、皆ペチャクチャ「話す」というより朗々と「語る」ように聞こえてくるでしょう。姿勢もしぜんとまっすぐよくなってきますね。声を出すときに外国人になってください。映画を観たりしてイメージをつかんでみてください。周りの人も声の変化に気が付くはずです。

Q.歌っていて音程が悪いと「ピアノをよく聞いて」とよく言われます。
また、先生が音程の悪かったフレーズを歌ってくれることもあります。

A.聞いてと言われても、何の音が鳴っているのかもわからないし…と考えてしまうかもしれませんが、わからなくてもこの「聞く」という気持ちがとても重要なのです。注意深く耳を傾けることです。例えば歌詞やリズムなど、他のことに気をとられていませんか。
声を発する瞬間、頭と体は、同時にたくさんのことをやっています。
今、歌っている箇所の音程、リズム、更には次の歌詞やリズムを思い出し、体の支え、声帯の使い方など、さまざまなことに気を配っています。
何か気をとられた瞬間、他のことがおざなりになり、音程もわからなくなってしまったりするのです。
ですから、できることは、よりしっかりやって、間違えが起こらないよう、完璧に近づけておくことも大事です。
アンテナをいつも張っておくことを忘れないようにしてください。わからなくても、「聞こう」とすることが、いい音程で歌える秘訣です。


<アドバイス>

○日本語と外国語

現在、日本人の多くのジャンルの歌手が外国語を歌われ、英語の題名、英語の歌詞があたりまえに使われています。しかし正しい発音をできている歌手はどれ程いるのでしょうか。ここでは発音の位置という観点のみを書きます。
まず日本語というのは、外国語と比べアクセントがとても少ないです。外国語は単語一つひとつにアクセントがあります。日本でも地方にいって発音がおかしく聞こえるのは、地方独特のアクセントがあるからおかしくきこえるのです。外国人が日本語を話してもおかしく聞こえるのは単語一つ一つにアクセントをつけるからです。

次に日本語というのは、他の言語に比べ発音がかなり浅いです。口先だけで発音します。ペチャペチャした発音なのです。
外国人が日本語を話すと、口がよく開きはっきりと発音します。特にウ(U)の母音は日本語は外国語に比べ浅すぎます。アルファベットのUはOの母音を閉じていって発音します。しかし日本語のウはイに近い発音です。外国人にウと言っても通じないことでしょう。
日本人がよく歌う英語というのは、元来、歌には向いていません。なぜなら日本人の発音が浅すぎるのに対し、英語は深すぎるのです。英語のRの発音など、まさに典型的な深い発音でしょう。深い言語を発音するためには努力が必要です。ですから歌を勉強し始めた人、訓練を受けていない人には英語というのは、危険な言語でもあるわけです。仮に他国の言葉で歌を歌うなら、その国の人にも通じる発音を目指しましょう。

○より上質を求めて

オペラの世界では海外公演の席が5〜6万円の高値で売られています。一公演の座席数に限りがあるため、高騰するのでしょうが、それでも見たいという観客はいるのです。器にしても百円均一のものから人間国宝級のものまであり選択幅は広いでしょう。これと同様ポピュラーのライブでも、さまざまなものがあると思います。その中で最終的にどれを選ぶかは本人が決めることです。
しかし、観た瞬間、質の違いを感じるのは間違いないでしょう。質のよさをもとめるならば、やはりよいものをたくさん観て下さい。知らないうちに目(耳)が肥えていくはずです。
高いもの=上質なものと断言できませんが、世間一般でよいものとされてるものは、大体よいものです。3千円のライブを年十本行くのであれば、1万5千円のライブを年2回行って下さい。違いが感じられると思いますし、自分の肥やしになることでしょう。

○よいものとは

「上質」ということを述べましたが、「上質」を言い換えれば「よいもの」と解釈できるでしょう。では、更に掘り下げて「よいもの」とは何かと言うと、「語り継がれ後世に残るもの」のことをいうと思います。
クラシックの起源は歌であり、それは西暦800年頃とされています。(西洋音楽史において)それが1200年も続いて、今もなお演奏されています。その間、数え切れない作品数が生まれているにもかかわらず、それが演奏されるのには、人を引き付けるエネルギーがそこにあるからです。
ポピュラー音楽とて同じだと思います。歴史が浅い分、年数こそ違いますが、名曲と言われる作品は、たとえその歌手が亡くなったとしても、語り継がれているのです。ですので、よいものを知りたいと思ったときは、過去にさかのぼって、名曲を聴いてください。「温故知新」、そこから新たな発見が見出されることと思います。

○話し声と歌声について

歌は言葉の延長ですから、話し声と歌声を変えないのが理想です。例えるなら、ミュージカル役者のように台詞の時と歌唱の時の声色を変えないようにするのです。そうするためには普段から声帯で話すようにしているのがよいでしょう。
しかし、例外もありました。それは歌手の「中島みゆき」さんでした。ラジオを聴いていたとき「ぶりっ子の変な声の人がしゃべっているなぁ〜」と思っていたら、何とその方が中島みゆきさんでした。
初めて歌声を聴いたのは、ドラマ「家なき子」が流行し主題歌があちこちで流れていた時でした。今でも「地上の星」などがよく流れていて低音のイメージが強かったので、話し声を聞いた時には大変驚きました。ああいった大物歌手でさえ、話し声と歌声が違うのですから、「こうしなくてはいけない」と一概に申しあげられません。しかしおそらく(予想でしかありませんが)彼女の中で、話し声と歌声のポジションは意識して変えているのでしょう。言い換えるならば、使いわけをしているのです。
音色を変えないのがよいのですが、もし話し声を変えたくないのであれば、使いわけするのもよいでしょう。その際は、歌の時は話し声よりも低い(深い)ポジションにすることを進めます。ぜひ一度、普段の話し声を意識してみてください。


○<よく聞いたアルバム>
「エンゲルベルト・フンパーディング」
いろいろ買ったが、特に声のために聞き込んだのがこれだった。

<フェイバリット・アルバム>
「パヴァロッティ&フレンズU」
1992年9月27日イタリアはモデナのチャリティ・コンサート。
スティング、ズッケロ、ブライアン・メイ、ボブ・ゲルドフ、パトリシア・カース、ジョルジアなど。
フレディ・マーキュリーのカバリエとのデュエットアルバムと迷ったが。

<今、聞いているアルバム>
「Amore-貴方に贈る愛の歌」 アンドレア・ボチェッリ 
夏川りみとクリスティーナ・アギレラの同曲でソモス・ノビオスが入っている。これは、1968年メキシコのアルマンド・マンサネーロの「私達は恋人同士」で、70年ペリー・コモが「イッツ・インポシブル」として歌った。
ちなみにエンゲルベルト・フンパーディングのヒットさせた「愛の花 咲くとき」もある。
ボチェッリも、この手の曲はこうなるという意味で気に入って聞いている。

<座右の本>
「悠久の流れの中に」 平山郁夫
「哲学する心」 梅原猛 (F)


○歌う場所をもっともっと作っていくことです。人前で歌っていくことです。ライブをやってもいい。路上で歌ってもいい。
その場でしか得られない感覚を体で感じていくことです。

そしてレッスンや練習でも人前で歌っているんだという意識を忘れることなく
高いテンション、高い集中力で臨んでいくことです。

そういった練習をひとつひとつ積み重ねていくことで、
また人前で歌っていくための胆力、度胸、精神が鍛えられていきます。(HR)

○レッスンを休みがちの人と、休まずコンスタントにレッスンを受けている人の上達度の差が開いてきているということです。やむを得ず休まなければならない場合は仕方ありませんが、その場合は今トレーニングしていてどういう点に力を入れているかのレポートをしっかり詳しく書いて提出してください。一年を振り返ってみてでもよいです。30分という短いレッスンであっても1週間、2週間と時が開いてしまうと、体もイメージも「歌のための」声が脳から忘れられてしまいます。ヴォーカリストとして志を高く持って頑張りましょう。(SM)

○発声をこの場で学ぶにあたって、発声がよくなるということは、聞いている人が心地よい声であったり、音域が広がったり、楽に響かせるという技術を得ることと、自分を守る技術を得て身につけることだと思います。
プロになってライブやリサイタルを一人で行なうと、約2時間で15〜20曲を歌わなければならず、1曲目からアンコールまで、よい声でいなければいけません。そのために人に声を発する技術と、2時間歌いつづけることができる守る技術を身につけてください。(KB)

○全体的に音程の低い方が多いと思います。音程が低いのには、いろいろな原因があると思いますが、ひびきの問題が一番、影響しているのではないかと思います。ひびきを統一させるには、笑顔で歌うだけでも、かなり変わってきます。それだけで、音程がよくなることが多々あります。
「もっと前に」とか「後ろをあけて」など、抽象的な表現で言われても、どうしたらいいかわからない生徒さんが多いと思います。
それに比べたら、「笑顔で歌う」ということは、考えなくても、すぐにできることのように思いますが、あれもこれもしなきゃと思うと、だんだん、真剣な顔になってしまうのです。まずは、なにも考えずに、鏡にむかって笑顔で歌うようにしてみては、いかがでしょうか。
笑顔で歌うだけで、かなり、楽に歌えると思うし、聞いている側も、かなり気持ちよく聞けます。そして、口をあけすぎないこと、この2点を心がけて、練習されると、とてもよいひびきになり、音程だけでなく、声もとてもよくなります。ぜひ、試してみてください。(KW)

○年明けは、大学受験のシーズンですが、もちろん音楽大学の入試も始まります。国立大学は、センター入試で2科目の受験があります。さらに、音楽の知識を問う試験から、実技試験まで、4−5科目ある場合もあります。日程も、だいたい1週間ほどあり、その中で5日前後通わなければなりません。1日だけというところは少ないです。そして、各大学とも試験期間をぶつけてくるので、沢山の大学を受けることができません。

そして、高校生なら制服で受験するのが、一番無難でいいのですが、制服がなかったり浪人生だと、服装にも気を使います。
やはり、試験とはいえ、大勢の先生の前で、大学によってはホールのような大きな場所で、演奏をするのですから、カジュアルではないものを選びます。演奏会ではないので、さすがにフォーマルな装いではありませんが。私の先生は、パッとした色の方がいいからとピンクのセーターを貸してくださいました…。

声楽の場合、試験の時に一度も合わせたことのない伴奏者と演奏しなければいけないので、自分の意思が弱かったり、思い通りに歌おうとする気持ちがないと、伴奏のテンポが違ってもそれをかえていくことができずに、いい結果が出せないことがあるので、意思の強さ、度胸のよさが必要です。もうここから、プロになるために、いろいろと試されているのだと思います。(BB)

○レッスンを受ける際、譜面台を使いますが、譜面台を長くのばして、わざわざ顔の直前まで持ってくる必要はありません。そうすると、トレーナーに自分の顔が見えず、コミュニケーションがとりずらくなるし、口や顔の動きが見えないので損をしてしまいます。
また、譜面の下の方を見ているせいで、あごが下がってしまい、歌うためにはよくない位置になりがちです。どうしてもしっかり譜面台がみたいときは、譜面をのせている部分を床と水平になるようにポジションをかえていってください。基本的に譜面はレッスンでは、穴のあくほど見つめなくていいよう、頭にいれておくようにしましょう。(BB)

○今さらという感じですが、ここ一年ほどバランスボールを愛用しています。歌仲間から座りながら発声すると勧められたのがきっかけです。確かに、バランスボールに座って歌おうとすると、安定して重心が下がらないと歌えず、かといって、力んで無理に固定させようとしてもだめなのです。毎回使用して、上達への近道ということではありませんが、ときにはいつもと違う姿勢での練習も悪くはないものです。(HS)

○声は非常に繊細で、奥深いものであります。はじめから自分の声に固定観念を持ち、自分の声の質・限界を決め付けてしまわないでください。はじめから小さくまとまらず、まずはありのままの声を出していきましょう。魅力的な声は生まれ持つものではなく、作り上げるものです。それは長い年月のなかで、努力・経験などすべてが交じり合って形成されていくと思います。あせらず、しかし着実に進んでいきましょう。(KD)

○音楽が成り立つための基本の構成ってわかりますか?つくる・聞く・演奏する、です。このどれかが欠けても音楽は成り立ちません。その中で皆さんは、演奏する人になりたいわけですが、だからといって演奏に専念すればいいわけでもありません。つまり、独りよがりの演奏になると、聞く側は全然面白くないのです。それは聞く側が好むように演奏するということではなく、聞く人とコミュニケイトしながら演奏できるようになってほしいなと思います。(MR)

○季節柄、風邪などで、体調を崩している人が多かったです。コンディションが悪い時には、もちろん無理をしないように休んで早く治すことが大事ですが、もし、本番に風邪をひいたり、コンディションを崩してしまったら、どうしますか?風邪の時は、風邪をひいているときの歌い方(ある意味ではごまかし方)を、考えて練習してみてください。万が一、本番に体調を崩してしまったときに、それまで調子のいい時にしか、練習してなかった人と、そういう場合を想定して練習していた人とでは、雲泥の差がついてきます。でも、あくまでも無理しすぎず、自分ののど、体と向き合って、可能な範囲での練習をしてみましょう。(YS)

○皆様、この1年本当にお疲れ様でした!少しでも皆様の中に「変化」が生まれていってくれれば…と願っています。
今年も1レッスン1レッスンを大切に全力で色々なことを吸収していって下さい。私もよいサポートが出来るよう頑張ります。
どうぞ体調にはくれぐれも気をつけて下さいね!今年もどうぞよろしくお願いいたします。(IN)


〔トレーナー一言アドバイス〕

<発声>

○よい声が出ている。内容のある、意志のある声を出していきたい。
体をリラックスさせていくこと。必要以上に声を使わなくても
よい声が出ていることをわかってほしい。

○もっと息のイメージを持つこと。息が強く吐けるトレーンングをしていくこと。表現として前に出てこないので、気持ち作りを大切にしていきたい。普段から気持ちも声も前向きに。

○イメージを大きくして練習していく。力ではなく、息を遠くへというイメージが、のどの力を抜くためにはいい。

○普段話している声、コメントを話している時の声、発声練習の時の声、この3つの声があるので、すべてを一つにしていきたい。
普段の声が少し出てきた気がする。

○深いポジションから息を吐いていくこと。のどはリラックスさせたい。

○呼吸法を行う。腹から声を出すことを意識できると声も変わってくる。体を使って声を出していきたい。中音域の充実。

○もっと地声を鍛えていきたい。声をもっと出していくこと。
その体の感覚に慣れていくこと。

○呼吸法をする。まずはリラックスした状態から呼吸を始めていくこと。そして強い息が吐けるようにしていくこと。

○リラックスした状態(寝ている姿勢)で呼吸を繰り返す。
息だけを吐いている時は体の力も抜けている。
この状態から声を出していく。体の力を入れすぎなくても
強い息は吐けるということを体で感じていってほしい。


<セリフ>

○気持ちを込めてしゃべる練習。リアルな気持ち、リアルなイメージを持つこと。声は大きいが内容が伝わってこない。しゃべれないのではなくてイメージできていないだけ。もっと単純に気持ちに忠実に。

○声のボリュームではなく内容のある声を出していくこと。またしっかり相手に向けて、意識が向いた状態で話しているのかどうか普段から意識していくこと。相手に対して話していくこと。

○流れはスムーズ。気持ちの変化をつけていくこと。その文になってからその気持ちになるのではなく、前の文から気持ちの変化が始まる。気持ちの流れでしゃべれるように。

○体の動きをつけようとせず、まずは心の動きを作ること。
動きをつけるのはその後。細かい表現をしないこと。こんな感じでしゃべらないこと。シンプルにリアルに。

○細かく表現しすぎるので、もっとワンフレーズを言い切っていくこと。句読点等は無いものとして読んでいくこと。
また2つ3つの文も一息でしゃべっていくこと。気持ちのかたまりで読んでゆく。シンプルに力強く息を流していくこと。

○リアルでいいけれども、ことばがあいまいでぼやけてしまう。
ここからの課題としては、客観的な視点を持っていくこと。丁寧にことばを扱っていくこと。

○役に対しての研究が足りない。そしてもっとテンション高く。セリフをしゃべるように歌っていくこと。強く強く声を出していくこと。体から歌っていきたい。

○役の気持ちが理解できていない。歌詞をただ歌っているだけ。
テンションを上げること。すぐにその状態にできるように、イメージトレーニングをしておくこと。

○表現が細かい。もっとシンプルにストレートに。一音一音に対してではなく一文一文に対して気持ちや表現をもっていくこと。
日々の練習で一息でしゃべれるようにしていくこと。

○怒り、悲しみなどマイナスの思いはやりやすい。
喜びやうれしさなど普段の自分にないものはやりにくいようだ。
もっと練習が必要。常に相手を意識して読むこと。一人で完結しないこと。

○常に相手を意識してしゃべること。気持ちを自分から出して、その気持ちを受け取ってくれる対象をいつもイメージできるように。声優では特にそれは大事。落語、お笑いからも学んでいくこと。

○声が浅い。セリフになると少し深くなる。地声とセリフ声を一緒にしていきたい。気持ちのこもったセリフにしていきたい。
それによりひびきも深くなる。気持ちをもっと出していくこと。体から表現していくこと。

○今はとにかく慣れること。質より量。日々、読み込んでしゃべりこんで歌いこんでいくこと。まずは声を出す機会をたくさん作っていくこと。いずれ歌もやっていこうと思う。

○声を大きく出そうとしすぎて、逆にのどをつめてしまい、ひびきが悪くなり、小さな声になる。あわてずに、落ち着いて丁寧に読んでいくこと。読み方にこだわりすぎないこと。リアルな気持ちでしゃべること。

○シンプルに読めるように。表面的な読み方ではなく、ストレートなしゃべり。場面の変化をもっとイメージすること。その場面の映像を思い描き気持ちの変化をつけていくこと。動詞を丁寧に扱うこと。

○ボリュームの強弱だけではなく、気持ちの強弱、息の強弱で表現していくこと。なぜそのことばをしゃべるのかしっかり考えてからセリフとしてしゃべっていくこと。日々の練習を充実させていくこと。

○テンションが上がるとトーンも上がってしまう。持ち声が低いので自分の声を生かしていきたい。トーンを低くテンション高い状態でもしゃべれるようにしていきたい。

○時間はかかるがやればできる。気持ち作り。表面的だけではなく、体までもが反応するようにしゃべっていくこと。

○ゆっくり読んでいくこと。シンプルに読んでいくこと。
一音一音ではなくひとつの息のかたまりで読んでいくこと。

○設定や気持ちは考えてきているが、まだ体に落ちていない。もっとリアルに話せるはず。もっと体でも感じていくこと。
今は一文で練習しているが、この一文を大切に練習していくこと。

○気持ちを込めて話す。すぐ気持ちが作れない。もっと集中してその気持ちになれるように。いろいろなことをを気にしすぎる。
読むことよりもイメージ練習をもっとしていくこと。

○体から声を出していく。強く息を吐いていく。楽器としての体を作っていきたい。お腹をしめてしまい、ゆったりと扱えていない。
呼吸法もやっていきたい。

○息の流れがない。点々になってしまう。セリフでも同じことが言えるので意識していくこと。腹式呼吸で声を出す。のどだけではなく腹筋を固めることなく息を吐けるように。

○雰囲気で読んでしまう。ストレートに読んでいくこと。
動詞から気持ちを理解していく。その気持ちで文全体を把握していく。表面的な言い方ではなく、深く内容のある声を目指してほしい。

○ただ読んでいてはだめ。ビジョンを描きつつ読み始め、ビジョンを描きつつ読み進めていくこと。
もっとリラックスして息の流れで文をとらえていくこと。流れの中で読んでいくこと。

○今は自分の声を作るとき。テンションが上がったり、大きな声でしゃべってもトーンをできるだけ低くして話していくこと。
普段に近い、小さな声でトーンを低く話す練習をしていくこと。

○ただ読んでいるだけ。イメージをもっと持って。
歌の場合はメロディーに隠れてしまっているが、しゃべりは誤魔化しがきかない。もっと練りこみが必要。考える勉強をすること。


<洋楽・ジャズ>

○フレーズの中で息の流れの変化をつけていくこと。2つのフレーズでも大きく一つのフレーズとして捉えていくこと。徐々にのどの力も抜けリラックスできてきている。

○流れを意識して次へ次へ進んでいくこと。腹から声を出していくこと。なめらかに音と音をつなげていくこと。そういった観点で音楽を聴いていくこと。

○伸ばす音をもっと息の流れを意識できるようにしていきたい。歌い出しが重くなるので、もう少し軽くてよい。以前より、よい声になってきている。

○鼻や口で吸うというイメージではなくお腹で取り込むというイメージで。腹から声を出していくこと。まずはある程度声を出して、その中で修正したり、よいところは伸ばしていくこと。

○発音にこだわりすぎてひびきが浅くなる。あいまいでいいのでつなげていくこと。一音一音を深く取るのではなく流れでつなげていくこと。今までになく、のどの力の抜けた声が出てきている。今はこれでいい。徐々にことばははっきりさせていく。

○気を抜くと点々になる。息のかたまりで捉えていくこと。
下半身で歌っていくこと。腹から声を出すこと。特に高音がのどに頼りすぎる。高音こそ下半身の支えで歌いたい。

○リラックスできていていい。息の流れを丁寧につなげていくこと。
繊細に歌いつつ、息の流れを感じて。日々発声練習をしているとのこと。声が安定してきて自信がついてきた様子。

○もっと体から声を出したら、ひびきはよくなってくるはず。腹からもっと声を出していくこと。ボリュ-−ムも大きめで。鋭く遠くへ息を流していくイメージで。

○体を使って声を出していくこと。ある程度ボリュームのある声で練習していくこと。体が慣れていないので違和感があるかも知れないがよい声が出ている。

○深い声になってきているが、もう少し力を抜いていくこと。もっと前に前に進んでいくこと。内容にそって気持ちをだしていくこと。


<日本語曲>

○のどで頑張りすぎる。すべて母音で歌ってみる。多少流れもひびきもよくなる。この感覚を体に覚えさせていくこと。遠くに向けて息を流し続けるイメージで。

○フレーズをつなげていくこと。息が弱い。発声練習ではある程度声も出てきているので、そのボリューム感で歌えるといい。テンションアップ。ボリュームアップ。

○キーを下げて歌う。ことばに集中。あいまいに流れてしまわないように。ブレスが浅い。もっとゆっくりたっぷりとってよい。深くとることで次のフレーズにつながっていく。

○もっと自分の歌にしていくこと。曲全体としてのテーマ、フレーズごとの気持ち、大切なことば。いろいろ試行錯誤して歌ってみて体に入れていくこと。もっとリアルな思いが出てくるはず。

○歌いだしのテンションが甘い。気持ちをしっかり作り歌いだすこと。内容へのテンション。歌の世界にもっと入ること。体でリズムを感じ息の流れをもっとなめらかに。

○重い。もっと軽くていい。イメージ弱い、テンション高く。歌い出し鋭く。気持ちを作って歌い出すこと。全般にテンションが低い。歌うだけではなく何を伝えたいのか、どんな気持ちなのか伝えてほしい。

○もっと気持ちを出していく。思いを一つの方向に合わせて集中していくこと。表情も出していっていい。ライブでの気持ち作りを思い起こしてみて、いつでもそのテンションにもっていけるようにすること。

○テンションが低い。集中できるまで時間がかかる。すっと世界に入れるように。普段から感性を磨いていくこと。小説を読んだり映画を観たり、やれることはたくさんある。

○口先になる。腹から声を出していくこと。もっとなめらかに、息でつなげていくこと。テンション高く。

○声を出しているだけ。それではなにも伝わってこないし、歌う意味があるのか?発声にこだわってもいいが、それは練習でやっておくこと。

○体から声を出していくこと。詩を読む声が小さすぎる。地声はいい声をしているのだから、もっと腹から声を出していくこと。今はボリュームのある声を出していきたい。

○リアルな気持ちで歌うこと。世界に入りきれていない。具体的イメージをもっと持って。体から出てくるパワー、訴えかけてくるものエナジーが足りない。外向けのパワーがほしい。

○発声では声が出ず。日本語は少し出てくる。しゃべるように歌っていくこと。しゃべっていると思って歌っていくこと。このほうが確実に声になる。内容に則したテンションも作っていくこと。

○シンプルに歌っていくこと。今は細かい表現はいらない。大きくとらえて大きく歌っていくこと。フレーズのつなぎが甘い。もっと集中してつなげていきたい。鼻で息を吸うことを意識しすぎている。もっと自然に。

○集中力。内容が把握できていない。どんなことを思い、どんな気持ちで歌っているのかもっと考えておくこと。ボリュームを上げて歌っていくこと。気持ちも出てくる。

○パフォーマンスをしていくこと。どうしても頑張ってしまって上半身中心になってしまう。中心を腹、下半身にして歌っていくこと。音としてではなくことばの意味のかたまりとして、フレーズをとらえていくこと。

○ことばのイメージを大切に。こぶしがはいっても、メロディーラインは大切になめらかに。主人公の気持ちをもっと理解してみること。研究する。

○少し気持ちが出てきている。体で感じ、体で歌うこと。もっとさらけ出していい。テンションと気持ちを次に次につなげていくこと。

○アカペラになると音程が不安定になる。声を出すこと、歌うことにとらわれすぎる。歌の世界にしっかり入って歌っているときのほうが音程も定まり、息も流れている。


<カンツォーネ・シャンソン>

○曲の1フレーズを使い練習する。サビのテンションのつなげ方。
なめらかでありつつもパワーのある声を出していきたい。
パワーのある声を出していても力で押さない声は出せるはず。研究していってほしい。

○流れはよくなっている。のどの力も外れてきている。次はことばをはっきり出していきたい。リラックスした状態から息を鋭く扱えるように。

○一つのかたまりとして捉えていくこと。その延長でフレーズも歌っていく。歌うことだけに集中しすぎる。それは練習の段階でやり込んでおくこと。常に集中して歌の世界に入ること。

○言葉がぼやける。息の流れを意識しすぎるとそうなるし、言葉をはっきり言おうとしすぎるとかたくなってしまう。バランスが大事。
次のフレーズに向かって歌っていけるように、テンションを積み上げてゆく。

○歌い続けていき、後半がテンション上がっていかない。テンションの積み上げがほしい。フレーズの入りが甘いので、鋭く入ること。イタリア語になると浅くなる。

○ブレスが甘い。たっぷり吸えるように。落ち着いて吸い、落ち着いて歌えるように。日々息を強く吐く練習をするように。
与えられてするのではなく、自分で考えて練習していくこと。声も少し強めに出していくこと。

○息の流れが意識できなくなると、極端に音程も悪くなり、まとまらない。いつも気を抜かずにしっかり息を流し続けること。

○息がこもる。鋭く吐き言葉も鋭く出していくこと。引かないこと。前へ前へ出していくこと。

○体がしっかり使えてきて、よい感じ。出てくる声はなめらかで力が抜けているので、この声をこれから出していけるとよい。

○のどが不調の時こそ、息の流れを意識していくこと。力が入らないのでひびきはよい。頑張りすぎないこと。

○低音のひびきを高音にもっていきたい。イタリア語で歌った方が声に芯が出てくる。声も強めに出していくこと。

○息もれを気にしている。技術的に直していくこともできるが、気持ちの問題もある。リアルな思いで歌えていないこと。
声を出すことばかりに意識がいきすぎていること。ここにも原因がある。内容に入って歌うこと。映画などを観て、感動できる心を養っていくこと。

○のどのことを気にしすぎる。もっと考えるべきことはある。内容に入っていけるように。

○息を遠くへのばしていくイメージをもっと持つこと。気のない声を出さない。自分の中だけで完結させないこと。聞いている人に息、声、気持ちをしっかり届けるイメージを持つこと。

○腹から声を出していくこと。意識すればできる、集中力。
発声時にできていたことが、歌になるとできなくなる。自分の声をもっとよく聞くこと。普段のモチベーションをあげていくこと。

○イタリア語を何度も読む練習をする。歌のテンションで読んでいくこと。ワンフレーズをひとかたまりで読んでいくこと。

○日本語で歌う。ことばをはっきり、意志をはっきり。
1フレーズごと歌っていく。一つ一つの音を深く取りすぎるので流れでひとまとまりで歌えるように。

○イタリア語に慣れること。間違えてもいいので、遠くをイメージして歌うことに集中していくこと。
練習時のテンションを、本番テンションでいつも臨めるように。

○フレーズを先取りして、次へ次へつなげていくこと。
ブレスした時にテンションがさがるので、キープしてつなげていくこと。

○なめらかに歌えている。このままイタリア語に慣れていってほしい。英語のように先入観がないので、いい形で進めていけそう。
ふわっと軽くなってしまうので強く鋭く出していくこと。地声を鍛えていきたい。

○高音を抜く癖がある。支えたままでもっと深い声を出していくこと。もっと腹から声を出していることを意識していくこと。
イタリア語になると浅くなってしまう。これからの課題。

○フレーズの入りが甘い。ブレスを含めて準備が遅い。
準備してテンションの高い状態で、フレーズを歌い出せるようにしていくこと。イタリア語を何度も読む。流れのかたまりで読んでいくこと。

○声は出てきている。歌えば歌うほどテンションが下がってくる。
集中して歌い続けていくこと。イタリア語に慣れていってほしい。音楽をたくさん聴くこと。

○久しぶりで体の鳴りがない。低音と高音の音のひびきを合わせていくこと。無意識に息の流れが切れてしまうので、切れないようにつなげていくこと。弱い息でも流れをしっかり作っていくこと。

○基本をもっとやっていこう。徐々には安定してくるかと思う。
自分の声に対しての意識、集中力がもっと必要。フレーズの中で細かく動かすのではなく、流れでもっていくこと。
繊細に歌う出し繊細にフレーズを次につなげていくこと。

○フレーズのお尻が切れる。もっと丁寧に処理すること。テンションをキープしていくこと。フレーズの後半を伸ばしてみて、次のフレーズにつなげてゆく。その過程で息の流れを増やしていくことで感覚をつかむ練習をする。

○胸の力を抜いていくこと。頑張りすぎない。高音の支えがなくなる。中音域は安定してきているので、そのひびき、支えに合わせていくこと。少し冷静さがほしい。

○流れはよくなってきている。ことばのイメージ、気持ち作りが弱い。リアルな思いで歌っている時はのどの力も抜けている。そのことをもっと自覚すること。

○ことばに対してのイメージをもっと持つ。声を出すことに集中しすぎる。ことばや気持ちに集中してもいい。そういう時の声はスムースで、のどの力も少なくなっている。内容に即した声にしていきたい。

○ひびきが浅くなる。フレーズからフレーズへのテンション。気持ち作り。ひびきを縦に意識して。この3つを同時にできるように。

○息の流れのイメージをもっと持つこと。このイメージがない時は、ひびきも悪くなる。集中力。高音を出す時、もっと体の支えで歌うこと。その使い方を練習の中で体に覚え込ませていくこと。

○息を遠くになめらかに流していくこと。リラックスしつつ、自由な息の流れがほしい。しぜんなビブラートがかかってきている。

○のどの力を抜いて息の流れに集中していくこと。ボリュームを落とすぐらいでちょうどいい。ソフトに歌ってもひびいている。発音を気にしすぎないで、イタリア語に取り組んでいってほしい。

○自分の声をよく聞くこと。のどにかかりすぎて、音程が不安定になることがある。一音一音はいい声が出ているので、音楽的につなげていきたい。息でつなげていくこと。もっとそれを意識していくこと。

○声を細く集めて歌っていくこと。声を鳴らしすぎないこと。
声は出るがなめらかさが足りない。フレーズをひとかたまりとして捉えていくこと。日本語の場合は、ことばのアクセントも考えていくこと。強く出さなくてもいいところは出さなくてもいい。

○胸を広げて気持ちも広げて声を出していくこと。声を張っていない時の息の流れをもっと繊細に丁寧につなげていくこと。

○縦のひびきにしていくこと。口も横に広げすぎないこと。バランスよくなってきているがフレーズの扱いが雑。低音から高音にいく時、流れでつなげていくこと。

○ひびきを統一させていきたい。歌で伴奏を引っ張っていけるように。自分で前へ前へ進んでいくこと。歌い続けているとのどが枯れてくる。一音一音深く取りすぎないこと。

○もう少しリラックス。ヴォリュームを落としてみるが、逆にひびきはよくなりヴォリュームも上がる。頑張りすぎないこと。停滞させないこと。前へ前へ進んでいくこと。

○ことばを粒立てることを意識しすぎて、息の流れが悪くなり点々になってしまう。ことばの意味のかたまりでとらえていけるように。曲に合わせるのではなく、自分の歌い方ができるようにしていきたい。

○ことばを大切にしているのはわかるが、もっと息の流れの中で処理していかないと逆にことばが伝わりにくくなる。
もっともっと先のフレーズをイメージして歌っていくこと。伴奏に乗り切れないのではなく、歌がもたついてしまっている。リズムの中でもゆったり歌えるはず。

○まとまってきている。もう少しボリューム感がほしい。
声の基準をいま、カンツォーネを歌っている時の声にしていくこと。

○頑張りすぎて声がスカスカになるので、リラックスして歌うこと。
効率のいい声にしていきたい。自分の耳でこの声の違いをしっかり聞き分けていくこと。

○姿勢が悪くなる。胸を広げて。だいぶリラックスできている。
のどはよい感じなので、気持ちや息の流れをもっと意識していくこと。テンションのつながりがほしい。

○パワーが落ちてきている。日々の練習、モチベーションのキープが大事。歌い込んでいってほしい。体は歌い込みで鍛えていき、のどはリラックスしていってほしい。このほうが力強い声になる。

○軽く抜いてしまうので強く出していくこと。地声と裏声が混ざっている声なので、地声にパワーがない。もっと意識して出していっていい。

○フレーズをなめらかに。深くブレスをして、次のフレーズにつなげていくこと。次へ次へ進んでいくこと。こちらの言っていることが理解できないのか空回りする。

○歌うことだけに集中しすぎないこと。リラックスしたほうが、声も集まりやすい。力を抜いて、でも気持ちは込めて歌っていくこと。

○フレーズの流れが止まってしまう。息が流れていないのではなく、次へ次への意識が薄い。テンションの積み重ねで、前へ前へ進めていくこと。常に課題を持って取り組んでいるので徐々によくなってきている。

○音を深く取りすぎる。停滞して聞こえてしまうのでもっとさらっと歌っていい。気持ちは込めるが歌い方でそれを出しすぎないこと。フレーズのかたまりでなめらかに歌っていくこと。

○音感が悪い。もっとたくさんの音楽を聞くこと。鋭く息を扱えている時はフレーズの流れもいい。集中して声を出していくこと。自分の声をもっとよく聞くこと。

○テンションでつなげていくこと。もっとそれを意識していかないとテンションが下がっていくように聞こえる。テンションの積み上げで歌っていくこと。ひびきの統一。低音と高音を合わせていくこと。

○声を張り上げないフレーズこそ、神経を使いテンションを高めて歌うこと。気持ち作り、テンションなど表現として大切なことをもっと意識して練習していくこと。

○ことばがあいまいにならないようにはっきり出していくこと。
意識しないと点々になってしまうので、なめらかにフレーズをつなげていくこと。

○丁寧に歌いすぎて停滞してしまう。息の流れでもっていくこと。
頭の感覚と体の感覚が一致してくるようにもっと練習を積み重ねていくこと。その中に答えはある。

○丁寧に歌っているがリズムに乗り切れない。リズムをもっと感じること。その中でなめらかに歌っていくこと。

○気持ち作りを大切に。そしてもっと歌詞を読み込んでおくこと。淡々と歌いすぎる。感情を出していっていい。

○雰囲気はすぐつかめるので、言葉に慣れてくればもっと息が流れてくるはず。口を閉じすぎるので気持ち縦に開けていくこと。そのほうがひびきも良くなる。

○メロディーにとらわれすぎずに積極的に歌っていくこと。歌っていくうちに胸に力が入ってくる。深いポジションから腹の奥深くから声を出していくイメージを持つこと。

○だいぶのどの力が抜けてきている。もっと深いポジションから歌いだすイメージがほしい。縦のひびき。

○歌い続けていくのどにくる。丁寧に丁寧にしっかりブレスをしていくこと。また息の流れの変化を意識していると、息も自然に流れてきてのどの力も抜けてくる。

○息を一つの流れとして捉えること。意識が足りない。息の流れ。
フレーズを進めていくこと。気持ち200パーセント。この3つを常に意識すること。


<オリジナル曲>

○歌える場所を増やしていけるように、積極的にイベントに参加していく。ことばがすこしぼやける。息の流れも良くない。
ソフトに歌ったときにひびきが浅く、のどにかからないようにしたい。

○バンド活動でも大変なことがあるかと思うけれども、ソロでもやっていける意気込みで練習も活動もやっていくこと。歌ももっと貪欲にやっていくこと。体を使い、気持ちもたくさん出していけるように自分を変えていくこと。

○地声はいい。のどに力が入りすぎる。これにより余分な音が多くなる。胸の力、腹の力を抜き、リラックスする方向にもっていきたい。内容にもしっかり入るように。

○MCのテンションはいいのだが、歌のテンションが低い。
MCから歌への流れでテンションを上げていけるように。今すぐに役立たないことでもじっくりやっていくこと。5年後10年後のために努力をしていくこと。


■Q&A

Q.声が固いと言われるのですが、声の固い柔らかいは、どのようにしてそうなるのでしょうか。もともとの声質のものなのでしょうか、また改善できるものでしょうか。

A.声楽でも胸が固いなどといわれ、一長一短があります。また発声で柔らかくもできますが、声としては両方が伴っていて、柔軟に使い分けられるのが理想です。

Q.アーティストのベストアルバムを買いましたが、一番驚いたのは、若いときの歌声と今の歌声が明白に違うことでした。年齢によって自分も声の持ち味も変わるのでしょうか。

A.声の違いをどのレベルで判別するかは難しい問題で、同じとも違うとも言いがたいこともあります。年齢でも使い勝手や年月にもよって変わるのは確かです。

Q.口を開けたり閉めたり丸めたり伸ばしたりしているうちに、柔らかくなってきました。歌う人は頭部が横から見ても丸い(奥行きが深い)人が多いのですが、ひびきの点からみると、最適なのでしょうか。

A.変えられるものは変えて、変えられないものは限度を知って対処することです。


<ルール>いろいろやってみてください。

Q.「ハイ」を一人でやるときの注意すべきポイントは何でしょうか。

A.のど声はさけること。集中し呼吸にのせることです。(メニュ100を参照のこと)

Q.中音域の地声でのひびかせ方と声のまとめ方、息を無駄にしない方法はありますか。

A.せりふから入るのも一つです。低く入るのが苦手なら高めから入りましょう。

Q.その人の体から出た声が地声としてあり、その上で音色はイメージとして加えていけばよいのでしょうか。

A.音色のことは、微妙に人によって答えが違います。

Q.息を体がとらえているということは、常にコントロールできている状態のことでしょうか。

A.息でコントロールすることが、結果として声でコントロールすることとなっていればよいのです。

Q.子音によってはのどにいってしまうのですが、どうしたらよいのでしょうか。

A.子音は、口内の開け方、舌の位置の違う母音の差に加えて、いろんな構音器官を変えて使います。まずは、苦手な音をさけ、うまくいく音でやりましょう。

Q.自分の歌はどこまで音楽的なのでしょうか。話しているものは、節のようなものをくっつけただけではないでしょうか。強弱長短大小だけでも音楽的に聞こえるものでしょうか。

A.トレーニングのときにはそれぞれに取り組み、歌においてはその人と音楽とそして、その二者の接点でどう演じるかから入ります。いずれ、考えなくとも音楽となって声がでる日までやりましょう。

●Q.トレーナーの普段の声が非常に魅力的なのですが、どのようにすればそのような声になりますか。最初のうちはどんなことに気をつけたのでしょうか。

A.私自身は、先に発声、歌声で深まり、普段の声が深まったのはかなり後のことです。トレーニングのみ集中していました。

Q.倍音について。声の中に倍音を含める練習、または有効な方法はありますか。

A.ストレートに息が流れる、喉に負担がかからない状態で歌えれば、ひびきもよくなり、倍音も聞こえてくるかと思います。
しかし、倍音が出ているからといって、歌のよさとは関係ありません。倍音を考えるより、共鳴を感度よく捉えてみてください。もちろんひびきがよくなり、のどに負担がかからないという意味ではいいのですが。ひびきよりも人に伝わる歌を目指しましょう。

Q.ベース、ドラムの中で歌うと声がフラットしやすくなるものですか?

A.バンドの大音量の中で歌っているため、自分の声がしっかりと聞けていないのではないでしょうか。耳から聞こえてくる自分の声ではなく、いつも体の使い方で覚えていきましょう。低音と聞いて、安心してしまうのかもしれません。周りの音響に左右されることなく、体で歌っていくことです。

Q.一番、二番と歌っていく中で最初は割りと楽に出る音が、だんだん苦しくなってくるのは発声が悪いせいでしょうか。

A.のどで歌いすぎるせいですね。もっと力が抜けてくれば安定してくると思います。歌い続けていくと、力がだんだん入ってくるということもありますが、曲の歌い出しから力が入ってしまっていると思います。今は力を抜く方向で練習していってください。体はリラックス、そして強い息を吐けるようにトレーニングしていくことです。

Q.心肺機能は高いにこしたことはないと思うのですが、それなりにハードにトレーニング(ランニング、水泳など)に時間を費やしたほうがよいのでしょうか。

A.体を鍛えることはしてください。歌うためには体力は絶対必要です。しかし歌う際に直接その鍛えた筋肉を使うわけではありません。鍛えて鍛えて、歌う際はそれを意識しないことです。体を鍛えることは別に並行してやっていくことです。偏ってはいけません。バランスよく、トータルで鍛えていってください。

Q.海外アーティストの出すハイトーンは鍛え込んだ結果によるものでしょうか。日本人でも鍛えれば可能ですか。

A.もちろん鍛え込んだ結果もあるでしょうが、英語をしゃべっているという環境もあると思います。幼い頃から英語をしゃべっているという意味では鍛えているとも言えます。時間はかかるかと思いますが、日本人でも鍛えればある程度までは可能だと思います。体を楽器としてとらえて、体全体で歌っていくことです。また海外アーティストの声をしっかり聞くことです。その深いひびきを体に覚えさせていくことです。

Q.息吐きトレーニングのとき、強く手でお腹を押して練習していますが、これは正しいやり方なのでしょうか。

A.息を吸って3秒で少しずつ息を吐いてください。このとき、お腹が少し張った状態で、じょじょにへこんでいくと思います。息吐きトレーニングの際も、同様にその張った状態でやってみてください。意識的に手を使って押さえたり、内側にお腹をしめていくことは、正しい使い方ではありません。 

Q.歌を歌っていると途中で息苦しくなり、中断して深呼吸しないと歌い続けることができません。どうしたらよいのでしょうか。

A.声を出す前にしっかり息を取り込むようブレスをしてください。また、気持ちを入れようとしすぎて、力が上半身にいってしまい、支えが上がっています。もっと下半身で支え、深いブレスを心がけてください。上っ面で表現しようとせず、体の中から表現していくイメージです。

Q.寝ているときと、立ったときの呼吸の仕方が変わってしまうのですが、どうしたらよいのでしょうか。

A.寝ているときは上半身の力も抜け、お腹のみが意識できているはずです。立ったときにその状態を作るためには、もっと寝ているときに意識をしてトレーニングをすることです。そして、無意識にできる状態にまでなれば、立ったときでもいきてくるはずです。 

Q.ライブで上がらないためには、どうしたらよいのでしょうか。

A.まずは本番に向けてくいの残らないように練習することです。不安な要素を本番に持ち込まないように、練習の仲で日々解決していくことです。練習量が本番での緊張を和らげてくれます。また、歌い出す前にしっかり息を吐ける体の状態をつくることです。緊張しているときは、息がとまってしまいます。息をしっかり吐いて、体に空気を取り込んでください。息ができるとリラックスしてきます。

Q.息吐きトレーニングでは問題ないのですが、言葉をのせると息が足りなくなってしまいます。どうしたらよいのでしょうか。

A.まだ効率よく息が言葉(声)になっていないからだと思います。言葉を話すときにのどに力が入りすぎていませんか。のどの力が抜けてきて、体からストレートに声をだせるようになってくれば、息も長く続くようになってきます。あせらずコツコツとトレーニングしていくことです。 

Q.どうしたら外国人のような太い声になるのでしょうか。

A.のどで作った太い声とは違います。のどの力が抜けて、体からしっかり声が出るようになると、楽器としての体がひびき、声が太くなります。イメージとしては、太いというより深い声です。 

Q.バンドで歌う際に、よく歌のリズムをもっとよくしろといわれるのですが(特にシャッフルなど)、これは現在教わっているフレーズで大きく捉える、息を流れを意識するなどの延長に解消法があるのでしょうか。

A.歌のリズムは息の流れの中で作っていきます。もっとのどがリラックスできて、息の流れの中で自由に動けるようになればリズムもよくなるはずです。
またトレーニングは処方箋ではありません。いつまでによくなる、いつまでに身につくとか言えないものなのです。日々の練習の中で変わっていく自分というものを発見していってください。そこに敏感になることです。そこに気づく感性を身につけていくことです。

●Q.セリフのワンフレーズのおわりがふわっと抜けたようになりがちなのを、最後までいいきるように、まだ先まで続いているようにしようと練習しているところですが、しっくりするイメージがわきません。イメージに対するアドバイスや参考例をお願いします。

A.最後までいいきるように、まだ先まで続いているようにしようと練習しているということですが、そのイメージで練習をし続けていくうちに、つかめてくると思います。いまは頭でわかっていても体がついてきていないんだと思います。体に覚え込ませるには時間がかかります。だからこそ、そのイメージで練習をし続けていくことです。技術的には最後息を吐き切る。もしくは息を強くしていく。またしゃべっている、そのことばや文を全部相手に伝えるイメージ。丁寧に最後まで伝えるイメージです。録音をしてみて、実際に聞いてみるのもいいかもしれません。

Q.感情を声に出して表現しようとするとビブラートが必要になってくるのですが、何かポイントはありますか。それとも現段階ではテクニック的には早いですか。普段は自己流でやっているのですが、なかなかコントロールできていないのが現状です。

A.感情が入ったらビブラートがかかってしまうのは、のどでコントロールしすぎだからだと思います。感情を込めても、影響を受けない声、しっかりとした支えのある体を作っていきましょう。またビブラートは自然な形でついてきます。あまりそれを意識しすぎないことです。ビブラートで気持ちを表現するのではなく、本当に心の底から歌えているのかを自問自答してください。

Q.腹式呼吸を日頃から意識しているが、吸うときの筋肉より、吐くときの筋肉の使い方を重視していますが、それで合っていますか。

A.まずは吐くことです。そして直接筋肉を意識するというよりイメージを大切にしていってください。息の流れを意識することです。体をリラックスさせて、息を強く吐けるような体の使い方を覚えていきましょう。

Q.三連符のリズムのとり方が、いまひとつわかりません。

A.三連符を一つのかたまりとして捉えていきましょう。一つの息の流れで捉えていきます。三つに分かれている三つの点ではなく一つです。(タタタ)(タタタ)(タタタ)…と。このひとかたまりの捉え方の延長でフレーズも歌っていきます。

Q.歌の中でのテンションの作り方がわかりません。

A.集中した状態で歌いだすようにしてみてください。さらに内容に則した気持ち、テンションに合わせて歌っていくのです。歌えば歌うほどテンションも気持ちも上がっていく。テンションを積み重ねていくこと。テンションを上げていくことは集中を増していくことです。何か別に自分が集中したことがあれば、そこからその状態を応用してください。

Q.「ハ」とか「あ」とかの発声がきちんと出ないことが多いので、腹式呼吸で声を出す練習をしてみました。声を出すときにお腹をへこますのをさわりながらやってみました。もっと鍛えないと、発声が不安定なのは直らないのでしょうか。

A.腹式呼吸や支えを意識するのは大切ですが、スタッカートの練習のときに勢いが強すぎて息が過剰にならないよう気をつけてください。

Q.深く吸うということを意識すると、息は続くようになりますが、リズムがくずれてしまうのですが、どうしたらよいのでしょうか。

A.ある1フレーズを歌うのに適した量の分だけ息を吸うことです。(必要以上には吸いすぎないようにする)フレーズとフレーズの間をつなぐ役割としてブレスを吸ってみてください。

Q.音がうわずりがちなのですが、どうしたらよいのでしょうか。

A.顔をあごを前にだして声を支えるのではなく、前に出すときは、上に持ち上げるイメージをもち、声をだすようにしてください。常に顔も体もまっすぐを基本とするようにしてください。

Q.声優の学校から「腹筋をつけるように」といわれ、ガチガチに割れている状態ですが、よいのでしょうか。

A.腹筋は伸縮する、使える筋肉ならよいのですが、そうではない筋力は力みを生むだけだと思います。

Q.正しい発声練習をすると、姿勢を正しくするための筋肉が上手く発達すると、どこかで聞いたのですが、本当でしょうか。私は逆に姿勢を正しくして初めて発声が正しくできると思っていたのですが。

A.どちらも間違いではありません。確かに正しい姿勢でなければ正しい発声にはなりません。しかし舞台や演出家に、座って寝ころんで歌ってくれと注文されることは多々あります。この時に「正しい姿勢じゃないので歌えません」では仕事になりません。そのために声を出す行為自体に、筋肉が働く体にしなければいけません。条件反射と同じです。これは自ら筋トレをしても身につきません。長年の毎日の練習や先生の指導によってのみ身に付きます。これが身につかねば毎日正しいフォームで歌うことは不可能です。ですから先生によいと言われた声、フォームを毎日の自分の練習でも身につけようとすることが大事です。

結果として正しい声を出していく事で内蔵レベルでの筋肉の使い方が条件反射として身についていくと思います。ですから短期間で声がよくなることはないです。長期的にレッスンをうけ、正しい声やフォームをクセにしてしまいましょう。自分に正しい姿勢とは条件反射として体が使えることだと私はおもいます。(KB)

●Q.地声、鼻腔、裏声の違いがまだよく解っていません。裏声を知ることでわかっていくものでしょうか。

A.簡単な説明としては福島先生の『ヴォイストレーニング基礎講座』P112〜113にありますので参考にしてください。これは理屈的に説明できるようになっても、自分ができるようにならなければ何の意味もありません。

Q.根本的な質問なのですが、以前のレッスンで舌を出し、こめかみを開いて、のど仏を下げて発声し、ピアニッシモからフォルテすることをやったのですが、今回のレッスンでやった同様のことは目的が違うのですか?以前はのどが開くことに重点を置いていたと思うのですが。今回は違うことに重点をおいていたのであれば、そのポイントを確認したいです。

A.以前見られた息もれと力で押す様子が見られなかったので、すでにのどを開くことを体で身についるなと感じ、舌を出さなくてものどを開けると思ったので、次の段階として普通の状態に戻したのです。ただ、こめかみとのど仏の位置は決して変えないで下さい。その状態のまま舌を出さなくてもいいだけですから、注意してください。

Q.発声時に舌の先を前歯の裏に着けて、舌の両側はサイドの奥歯に着けて、舌に力が入らないようにせよと習いました。初回にやってみた時は、逆に力がはいりまくってしまいましたが、練習を繰り返すうちに少しづつですが、力を入れずにできるようになりました。 ところで、以前から、呼吸の練習をする時に口の形を、唇を丸めるようにして、やってきましたがこのようなやり方は弊害となるものなのでしょうか。これは息の流れを感じやすくするため、といって知人から教えてもらったやりかたです。私としては、息を吐く時に、より力が抜ける方を選びたいので、参考までにと教えてください。

A.まず確認として、舌の位置についてですが、前歯の裏ではなく軽く下唇に乗せる程度です。また、舌の両側はサイドの奥歯に着けるのではなく、舌根が上がらないように平らにするということです。これの意図することは、のどを開き、力を入れずにしぜんな状態で声を出すことです。これはとても重要なので、体得して欲しいことです。
次に、呼吸法の目的は息を楽に出させることではなく、息を吐いているとき丹田の意識と息の流れを掴むためです。ですから、ラジオ体操の深呼吸とはまったく別です。呼吸法をするときは、唇を筒にして息の流れを細くすることはよいと思います。

●Q.「息を吐く時に、体内から出てゆく息の流れを感じるべし」と福島先生が本でかかれていましたが、なかなかはっきりと実感することができません。息を吐いているときに、腹部や肋骨などを触ってみても微妙に振動している、というのがよくわかりません。これはほんとに微妙な振動であるために、よく感じられないということでしょうか。それとも他に何かおかしな点があるからなのでしょうか。

A.おそらく、この表現は物理的な振動ではなく、感覚のことを言っているのではないかと思います。

Q.のどを開くこと意識した際、音階が上がるにつれて息の量、もしくは声を大きく出してもいいものなのですか。同じポジションを維持しようと思うと声がある程度大きくなってしまいます。

A.高い音にいくに連れ、音量が大きくなるのはしぜんな原理です。ですが、無意識ではいけません。やはり、歌い手ならば息の量をはじめ、音量や表現においてすべてコントロールできなければなりません。レッスンでも、音階練習をする際、クレッシェンド・デクレッシェンドをしているのはそのためです。はじめは同じ音量で音階練習をしてみて下さい。その時しぜんと音量を出したくなってしまいますが、まずは我慢をして下さい。それができたあとクレッシェンド・デクレッシェンドを意識的に行いましょう。

Q.のどを下げようとすると、のどに力が入ってしまいます。

A.一音一音ゆっくり丁寧に音を上げていってください。力が入ってしまうなら、ハミングをしながらやる方法もあります。

Q.風邪は、声の出し方や響かせ方を発見するチャンスなのでしょうか。

A.無理には声を出さないで、早く直した方がよいと思います。声を出さないトレーニング(イメージトレーニングなど)はしておいた方がよいです。

Q.これから空気が乾燥してくる季節なので、水分はこまめに摂った方がよいとは思うのですが、歌う前後は摂り過ぎも気になります。のどを冷やさず、かといって乾燥させない摂り方の目安みたいなものがあったら知りたいです。

A.常温の水を、例えばコップ一杯を歌う前後に補給したらいいと思います。冷たすぎず、熱すぎず、何事も「すぎない」のがよいとおもいます。

Q.乾燥からのどを守るにはどうすればよいですか。

A.たとえば、
・寝る時、マスクを水に少し湿らせて寝る
・のどあめを常備する
・うがいをする

Q.横隔膜の支えの力がつくにつれて、息というのは「重み」を増してくるものでしょうか。

A.増してきます。豊かな声になります。

Q.アーティストの感覚をつかぬたいが、技術や技巧しか耳に入ってきません。感覚を聞くというのはどういうことでしょうか。

A.スタイルというのものは、誰かしらの影響を受けることが多いです。ですが、その人自身から発せられるものが、あるレベルを超えていれば、スタイルは何でもよくなります。

Q.出だしで静かなところを薄まらないよう、また体が動くようにするには、どうすればよいのでしょうか。

A.声をひっぱるくせをなくすことです。声のひびきや余韻を感じることです。

Q.日本語以外の歌詞でカタカナ読みをしているようにジグザクにならないためには、どうしたらよいのでしょうか。のどが固くなってしまわない、棒のようにならないようにするには、どうしたらよいのでしょうか。

A.すべて方法ではなく訓練です。音楽的訓練は、発声とは別に必要です。

Q.発声レッスン時に舌を下の歯の列の裏に付けるように言われましたが、これはどうしてなのでしょうか。舌と下あごの力を抜くことなのでしょうか。

A.歌う前に舌の位置を出来るだけ見えるくらい前に持って来て、平らにすることでのど仏をさげ、口の中を広く開けて母音をよくひびかせるためです。また舌が奥に入ると舌根(舌の根っこ)が硬くなってのど声になりがちです。感覚としては舌の真ん中辺りでのど飴を転がすような感覚ですね。

●Q.日本語の発声では、よくないのでしょうか。

A.普段日本語で話していると、どうしても口先だけで発音しがちです。それは日本語が欧米語に比べて、口の中を広く開けてひびかせなくても、発音できてしまうからです。ですからどうしても声全体のひびきが浅くなり、そのまま歌うための発声をすると、いわゆる「のど声」になります。これはこれで日本の伝統芸能的発声です。オリジナル性はあるのですが、ヨーロッパの声楽、オペラ、またワールドワイドな面でのロック、ポップスの一流歌手を聴くと、まず声におけるスケールの大きさの違いに驚かされます。ですから一歩でも近づくために、できるだけ口のあけ方、のどの位置、深い呼吸を研究して、実践するよう心がけてください。

                                  
■VOICE OF LESSON  (by members)

<Lesson>

○「相手との距離感」についてを学びました。私は相手との距離を延ばすと仮定すると声が大きくなり、距離が近いと声が小さくなってしまっていました。そうではなく、相手の位置をちゃんと明確に決めそこに向かって声を出していくという意識が重要だということがわかりました。それと、気持ちが動くと体も動く、つまり心と体はイコールだという事を学びました。まだ、設定、気持ちの作りが甘いので再点検する。

○ナレーションを読む時も台本のセリフなどを読むとき同様に、聞く人がいるということを前提に読み進まなければなりません。ですので読むときはテンションを高く保って読み進むことが重要である。まだまだ文に慣れておらず、短いセンテンスでもつっかえつっかえです。日頃から文を読むという事に慣れていくようなトレーニングが必要です。黙読でも構わないが、その時は「今、声を出して読んでいる」ということを念頭に読み進んでいくことが重要です。

○「文を読むときには先を観ながら読み進む」ということは教わりましたが、今回はその「先を観ながら」という意味をさらに詳しく教わりました。それは、この「観る」とは文をパッと観て(5行くらい先)大体何が書かれているかを把握しておくということです。
黙読して先を読むにしてもある程度時間がかかってしまい読むときに変な間を作ってしまいます。それを無くすためには、このパッと観て内容を把握する力が必要となってきます。今読んでいる文の次の文を観ながら読み進むということも有効です。
こういう技術が身につくようにトレーニングを続けていく。それと平行して、滑舌よくハッキリと話せるトレーニングも続けていく。(MK)

○「乾杯」時間を頂けたことによって、スタンスを決めることができた。いつも急にふられるとアタフタしたまま曲に入りきらず中途半端になるのだが(もしかしたらこのときの方が計算無しの丸裸の自分がでておもしろいのかもしれないが、煮詰めるという意味ではスタンスは大切だ)スタンスが決まったことによってやろうとしたことに近い感じではいけた気がする。
今日の自分で決めたテーマは「しぜんさ」と「客目線」。というのも、先週、他のレッスンで、聞き手の感覚は考えずにとことん自分をさらけ出し全身で表現をぶつけるということをやったところなので、その逆もやらなければならないだろうという視点から。

レッスンでの沸点を越えた感じの時も極度のテンションが必要だったが、今日むしろ難しいのは「しぜんさ」「客目線」をテーマにするというのは、楽なテンションで軽くいけるということではなく、前者の時と同等のテンションが必要であるということ。しかも前者の場合は、体を入れて全面的に外に爆発させる感じでいきやすいのだが、今回のはその極度のテンションを持ちながらも内に秘め、繊細にコントロールさせるという超能力的なものが必要だ。こうやって頭で考えだしてる段階で、テーマの「ナチュラル」から遠ざかっていってる気がするし、かといって楽〜ぅにやってしまうと確かに自然だろうけど引き締まらない、だらけたものになるだろうしで矛盾もおこってくる。しかしこの点に関しては、時間がかかる別問題としてひとまず置いておく。さてスタンスが決まり歌唱だ。

もし今日のスタンスを自分で設定していなければ、おそらく出だしから体をいれまくったくどいほどのビブラートで「声」を見せようとする、重苦しい「乾杯」になったことだろう。歌い終わった感覚としては言葉の延長としてのメロディ、投げ掛け、語りかけるように、等の要素がいつもよりバランスよくいけた感覚。結果一曲とおしてのトータルとしてのメリハリ、起承転結までは完成できなかったかもしれないが、1フレーズ〜次のフレーズぐらいは思惑どおりの気がした。これが最終的に一曲とおして成り立つようなセンスを音楽をいれて集中力を磨き、養わなければならない!今日よかった事は違う先生のレッスンどうしをリンクさせて二つのレッスンを一つに結び付けて活かせた点だ。

結局、自分なりにその日ごとによって変わってもいいから、「テーマ」や「スタンス」をもってレッスンに望むことによってレッスンへの取り組み、姿勢、活用度等が本当に大きく変わってくるということだと思う。「学び方」をも学んでいる気がして少しうれしい感じがした。そして自分のレベルがあがるにつれてますますレッスンを活かせる、先生方を活用できるのだと実感した。うぬぼれることなく慢心することなく、ただし自信を持ってやっていこう。なんせ今の何もやれてない自分が「現実」なのだから。

○やはりボロボロになる。というのも、女性の歌い手のフレーズ回しになると、キーをかえなければならないわけだが、それがうまくいかないということは、やはり音のインターバルをきちんと認識できていないということだ。男性の歌い手の時は、音源になぞって歌うことによって覚えやすかっただけであり、曲をしっかり解釈してコード感や構成をミュージシャンレベルで認識できてたわけではないのだとはっきりつきつけられた。本当に音楽が入っていたら、すぐにでもいろんなキーに持っていけるはずだ。まだまだ自分に入っている音楽の絶対量がたりなさすぎるということ。これはどうにもならない現実だから、意図的に入れていくしかない。どうしても好き嫌いで聴く音楽も偏ってしまうものだ。もっと自分の理解できないもの、嫌いなものなども聴いていかなければならない。自分に入ってないからよく思わないだけで、もしかしたら聴いていくうちにものすごくよくなっていく音楽もあるかもしれない。とにかく引き出しが少なすぎる。一日のトレーニングの中でもっと聴く時間をとろう。

ちなみに今日は60年代の日本の曲を中心に聴いたのだが、みんなすごく素直に歌っているな〜と感じた。素直に歌っている印象なのだが芯はあり、強いのに柔らかいというような感覚。体が見やすかったように思う。やはり自分の呼吸の合うところでやる大切さなんだと思う。特に自分は好きなスタイルがエモーショナルな表現、声の使い方なだけであり、無理に歪ませたり、張り上げたり等、しぜんからは程遠い気がする。危機迫る感じをだしたかったり、悲愴感をだしたかったり、「非日常的な世界」をだそうとした時に、どうしてもテンションと共に、キーまで自分の呼吸を越えた高さにまで一気に飛んでしまっているのだろう。まずそういう表現=ハイトーンという幼稚な感覚から正さなければ、何もかわっていかないかもしれないという気がした。弱くだしたところの方がリアルに感じたり、エモーショナルに感じたりすることもあるかもしれない。例えば大声で「殺すぞ!!」と怒鳴られるのと、トーンを落とした声で「殺すぞ…」と言われたら、絶対後者の方がリアルで怖いし。まずエモーショナル=声を張るという固定概念から疑っていかなければならない。体を使っている感覚が大きいから、エモーショナルな気分という錯覚もあるだろう。きっちり声をつかめていてのハイトーン、シャウトなら再現もきくだろうが気分だけの一人よがりが通用するわけもない。自分の出したい世界とできることを格闘させた中で、これは自分の武器だという絶対的なものをみつけていかなければならない。

○テンション。本当にステージを左右する。今日はステージのつもりで、照明をスポット一つにして一人づつ前で歌った。曲は各自、自由曲で僕は「愛の賛歌」。一回目は曲としてのまとまり、フレーズの完成度をめざしたいという思いと、エモーショナルにたたみかけていきたいという思いが両方あり、定まらないまま歌に入ってしまったと思う。結果両方とれる力はまだついてなく、中途半端なものに。いつも歌い終わってから気付くこと。なぜ歌う前に気付けないのか。

コメントではやはり、「歌の途中からやっと世界に入ってくる感じで出だしの抑えて入るところから歌の世界に入ってこなければならない。集中力、テンションの問題である」ということ。歌ってる中でノってきて歌の世界に入ってくるのは当たり前であり、ほんとに自分はそのへんが特に素人的だなと思う。急に「何か歌って」とふられた時に、歌い出す前から瞬時にチャンネルが切り替わり、顔付きも変わるくらいでないと誰にも認められない気がした。普段のトレーニングに精神集中的なものも何か自分で考えていかなければならない。そして「もっと全身で表現をぶつけてこい」というようなスタンスを設定して頂けて、2回目では集中力をもって出だしから臨めた感覚。テンションと共に一回目よりキー設定もあがった。これはキーをあげる意識はなかったが、全身全霊でやろうとすることによってしぜんに上がったのだと思う。感情や想いを前に飛ばしやすい高めのキーを自然に選んだということだろう。フレーズを成り立たせなければとか、どこをどうしようかという頭のごちゃごちゃがなくなり、無我の境地とまではいかないけど少しそれに近いような感じで、演劇をしてるような感じにも一瞬なったり、いつもと違う瞬間を経験したことは大切にしたい。ただ、このスタンスでは雑になったり、フレーズが言葉になりすぎたり、内に入りすぎたり、聞き手が音楽として聴くには疲れる感じかと思う。ただ、何かを出した感覚。いや、これは主観のみかもしれないのだが、さらけだす感覚を体感したことはよかった。そしてこの雑さがしぜんと自分に入ってる音楽によって正され(そのためにもよい音楽をたくさん入れることの必要性)、正されるために普段やっている発声が生かされ、技術が助けてくれた時に「自分の歌」と呼べるような作品になるのかもしれない。

結局、こうしたい、こう表現したい、すごいものを出したい、という表現欲、テンションが沸点を越えて初めて自分の声の限界や、制限にぶつかりトレーニングが成り立つのだと再確認できたレッスンだった。これはべつにエモーショナルな歌唱を好む自分にだけあてはまるだけではなく、シットリとした歌唱スタイルや、柔らかく歌いたいスタイルの人でも同じことだというコメントにも大いに賛同できた。まずとことん表現欲みたいなものをテンションだけでも伝えられるようになってからソフトにも歌えるというように、表現したい世界によって、具体的には曲の自分なりの解釈によって選べる方が強いと感じる。速く走れる人は場所によっては歩くこともできる。でも走れない人はどの場所でも歩くことしかできないみたいな感じ。「歩く」にだけとことん徹底して深めまくって「すごい歩き」がでてくる可能性もあるかもしれないが、僕のタイプ的にはまず怪我しまくってもいいから、全力疾走しまくった方が最終的に「よい歩き」もできるようになると思う。(これはトレーニングで体を越えた無理な高さで雑にやるという意味ではなく、表現方法的なニュアンス)

やはり必要性を感じて初めてトレーニングの意味がでてきて、それによって自分でメニューを組んでいける。さもないと「声だけ手に入れてその後どうするの?」となる。まあそんな心配する前に生半可では本物の声は手に入らないが。とにかくまず今日のようにさらけ出す、オーバーアクション的なものになったとしてもまわりが「今日はどうしちゃったんだろう?」ぐらいに何かを出す意識!小さくまとまる前にもっとやっておこう。

PS.今日のようなスタンスの反面、聞き手を意識した「こうやったら評価するんだろ?」「こうやったら喜ぶんだよな〜」みたいなどこか冷めた部分も持っているのが、ヴォーカルの特徴だとも思うので(暴言ですかね?)歌い手って不思議だとも感じた。(YK)

○休符とアクセントに思いっきり振り回されました。そのせいで全体的に自信がなく、不安定な感じになっています。調子のよい時と比べると、音に乗れていません。リズムの問題もあるのかもしれませんが、音のツブも揃っていなくてバラバラです。テープに録ったものを聞く分にはそこまで難しく聞こえる訳ではないんですが、リアルタイムですぐに処理仕切れない辺りが、今の自分の実力ということでしょう。どうも、自分のことながら、思い切りに欠ける部分がままある気がします。それはフレーズの慣れ不慣れもあるとは思うんですが、それ以上に、自信の無いところ、分からないところを自然と引っ込めてしまっているせいと感じます。間違ってもよいから、もっとガツンとぶつかって行きたいとは思うんですが…。性格から直さないとダメかもしれません。(ST)

○今日のレッスンで、声は大分深くなってきたと先生に言われました。ただ、気持ちが全然はいってないといわれました。英語の歌を歌っていた時、『歌詞の意味は?』と聞かれ、答えられませんでした。歌を歌うよりは、演劇の感覚に近いという確認がとれました。演技はやった事ありますけれども、ただ、それが歌となると難しいと思いました。それは歌の練習というよりは、イメージトレーニングが先決だな、という気もします。結局またそこに戻ってくるんだな〜。(OH)

〇日本語で歌うと、感情は込もっているが、息が不安定になってフレーズが弱々しくなったりしてしまう。イタリア語で歌うと、息は流れるが、感情面が薄れてしまう。まずは詞の感情を自分の中にしっかりとつくり、それを元にフレーズをつなげる練習を行うことで、徐々に両立できていくのではないかと思う。

○声を強く出しすぎて内容が伝わってこないので、軽く歌うことを心掛け、不必要に強く歌わないこと。歌の内容が、表情、歌に表れていないので、感情表現を分かりやすくはっきりとすること。そこまで思いを込めずにさらっと作った曲もあったのだが、例えそういう曲だとしても聴く側からすれば何らかの表現を期待しているので、膨らませて表現することも必要だと学ぶことができた。

〇音楽的な面は以前よりまとまりが付いてきている。自分の中でも、一音一音よりも、フレーズとしての聴こえ方に意識が向くようになってきている。
1.サビの部分で音程の高いフレーズが続く時に、徐々に呼吸が浅くなってしまい、息が続かなくなってしまう。自然、かつ深い呼吸を心掛ける必要がある。
2.感情的な入り込みが弱いので、歌詞のイメージを広げ、その世界を自分の中に作ってくる。
3.瞬時に歌う為のテンションに切り替える力が必要。
体の力が抜けて無いのもあり、フレーズが滑らかでなくなってしまい、全体的に重たい印象になっている。また、一つ一つのフレーズは以前よりまとまってきたが、フレーズとフレーズの間でテンションが落ちてしまい、展開していかない。

〇Aメロ、Bメロ、サビの全てで感情面を表現しようとして重たくなってしまい、音楽的に展開していかなかった。サビはメロディーを最優先した歌い方の方が良いように思った。今後は、気持ちの面だけでなく、どう聴こえるかということも考えていきたい。

〇1.「感情表現」…色々とストーリーを設定して、気持ちを込めようとはしたが、自作曲に比べると、まだ気持ちの入り方が小さい。改めてなぜ出来ないかを具体的に考えてみると、自作曲は主人公が自分であり、自分から見える映像をイメージとして持ちながら歌える。また、今までで一番気持ちの入った“島唄”は、実際に沖縄の戦地跡を訪れた時の記憶や、目に焼き付いている戦時の写真等を、各フレーズ毎にイメージを切り替えながら歌えた。また、第三者として歌いながらも、「あれほど非道なことをされた挙句に敗北したにも関わらず、その時の悲しみや悔しさはすでに忘れられている」という憤りのようなものが自分の中にあった。一つは、実際に自分が体験したかのような具体的なイメージあれば、他作曲でも気持ちは込められる。その為の作業が必要。もう一つは、「どんな誰がどんな誰にどんな歌を、なぜ歌うか」、という動機付けがしっかりしている必要があるということ。
2.「フレーズのつながり・展開(テンションの維持・高揚)」…メロディーなどが体に入っている反面、一つ一つの単語が軽く流れてしまっている時がある。フレーズとして線を描きながらも言葉を大切に扱わなければならない。

〇フレーズの最後などで喉を締めているところがあり、その歌が休みなく2番、3番と続いた時に苦しくなってくると思われる。自分でトレーニングしている時も、ある程度以上のキーを続けて歌っていると、喉を痛めるほどの危険は感じなくとも、喉が疲れるという感覚はある。最近は行ってないが、昔からカラオケで無理に高い声を出したりしていたことの影響ではないかと思う。高い声が苦しいなら低いキーで歌おうと、あまり深く考えずに思っていたが、ある程度の高さで歌ったほうが活きる曲もあると改めて思うようになってきた。
また、自覚はできていないが、キーを少し変えて歌うと、響くところが色々と変わっている。自分に起きる変化を知ることと、歌う曲に対して、ベストのキーを決め、そこであれば何度歌っても狂わないという基本形を作らなければならない。今まで、特に発声の練習はしていなかったが、自分の状態を知るためにも、取り組むべきメニューがあると感じた。

〇スサーナの出しているグルーブ、うねりを自分でも出してみることを目標に、フレージングをコピーして歌ってみる。スサーナの線を辿っているだけなので、イメージ力を抜きにしたコントロール力の不足がよく分かった。また、何度もスサーナのを聞いていると分からなくなるが、4回の“アドロ”の置き方や、サビへの離陸地点など、スサーナの特殊な部分というのを認識しておいた方が良いと思った。(HR)


<Menu>

○声を出す時に背伸び、意識を下にも持っていき、上下にひっぱられるイメージ。プラスして、背伸びする時に鳥が羽ばたくように、両手を上下させる。ロングトーンを出し続ける時は、胴の周りを外に広げるイメージ。ロングトーンを揺れないようにさせる練習:1秒吸って、その後14秒ゆれないでキープしたまま、出し続ける。ロングトーンは、イメージを外に広げるイメージ。喉を絞らず、意識が喉・内側に戻ってこないイメージ。(OK)