会報バックナンバーVol.187/2007.01


レッスン概要[051027]


○自分の歌の判断の難しさ

私は最初から、彼の歌の7割は大嫌いで、あとの3割は大好きです。その3割のことを全部やってくれたらいいのにということを常に思っていました。今でも、わからない。7割の部分の彼の歌い方、なぜそう歌うのだろう、同じ感覚と声があったら、その3割で全部固めたほうがいいのにと思う。
それは茶目っ気でも色気でもないし、彼の中でわかっていることです。当然こういうことでやれている人は皆、前提として、私より長く生き才能も経験もありということで、実質そうですから、そこで考える。つまり、自分を見ることの難しさ、日本の歌手の場合は特に思います。なかなかわからない。

○脱依存症

だからトレーナーにつきなさいとか、先生につきなさいということではない。むしろ逆だと思います。ここも夏になるごとに、合宿、昔の記事を会報に載せている。合宿や発表会はいい。やりたいと思います。3日間かためて18曲くらいやったほうが、こちらはやりやすい。ただ、同じことになってしまうだろう。
忘れてはいけないことは、あなたの問う相手が誰なのかということです。それは私ではないし、研究所の仲間ではない。そういうところに日本人は価値観を持ちはじめます。所属して依存しまうのです。
それは繰り返し、この研究所で経験し脱皮していることです。とうとう嫌になって、個人レッスンにしてしまった。発表の場も限った。半年から1年に1回、発表の場があってもいいと考えます。しかし、歌う力とは、どこかで歌わせてもらうのでなくまさに、歌という場をつくりあげ成立させる力だと思うのです。☆☆

歌を楽しめる方にはそれはあってもいいと思うのです。ただ、歌い手は他の職業もそうですけれど、特に知られなければどうしようもないのですね。だから、彼は3割の部分で、知られる歌い手になるはずだった。でも7割の部分で知られないほうの工夫をしてしまった。その3割が10割くらいだったら、たぶん私は、他の人をどんどん連れて行った。
ところが、3割は3割にしかすぎず、7割、下手するとそのステージが全部、私の嫌いなほうの曲処理でなされてしまうこともあるわけですね。すると、知り合いをあまり連れていきたくないとなります。だから、共通して持っている価値観は、ある。若くやり始め、そういう才能はあったと思います。その共通の分野における価値観が、どうも邪魔している。

○肩書き

日本の場合は、ジャズ歌手、シャンソン歌手と、肩書きをつけなければいけない。つけた瞬間に、それは肩書きにはなる。その中での価値観になってしまいます。演歌歌手はああいうふうに歌うと。世界の歌姫を見て、そういうふうにはなっていないですね。美空ひばりは演歌の女王とは言われています。演歌歌手なのかというと、本人が演歌といったら、演歌なのですが、そこを外したいというのがあります。

○他分野のプロの第三者に判断させる

知られるための努力をする。誰が評価するのか、相手をきちんと知らなければいけない。それは皆さんにとっては、私ではないのです。むしろその世界を、ぶつけていきます。たとえばTさんと話したようなことは、公やけにするのを許可を得ようとすると、ああいう方はペンを入れざるを得なくなります。そこまで手間をかけさせるわけにはいかない。そこで全てを、匿名というかたちで会報などは外に出していないのです。記事がないのではなくて、結局、そこで話しているようなことが、バックグラウンドなんだよと。
たとえば皆さんの歌は、私に認められなくてもいいから、Tさんに認められたらいいということです。別にTさんが、詩人ということでも、声のことをよく知っていらっしゃるからではない。ひとつの分野で、非常にすぐれたことをやられている方ならわかるということ。Tさんより、もっと遠い人のほうがいいですね。建築家の第一人者とか。その人がもし認めるとしたら、それは第三者に対して、通用することで、非常にわかりやすい。ただ歌に関してはけっこう難しい。

○それでも歌の判断は難しい

昔、ファッションモデルの偉い方の、歌の吹き込みを付き合ったのですが、とんでもない。自分でやられているからだと思いますが、すごく誤解がある。
他のものだったら、ファッションモデルの人が建築の設計をしても、そこまで変なものをつくらない。ということを、歌の場合は、格好よくつくったり飾り付けたり、向こうのようにというふうに、何でもやれてしまう。
根本的な部分が何もないから、すごくまがいものになってしまう。センスがある人でも、歌に関しては間違うんだなということは、いまだに強烈な思い出としてあります。

○力のつけ方と出し方

身内の中の価値観で左右されることは、日本の場合はなりやすいのです。最初の一歩はやりやすい。ただ、それが一般に公開され通じるかというと、難しいですね。そこで力をつけるのはいいのですが、力のつけ方と出し方というのは、全然違います。そこを間違えないことです。
今日でもひとつのフレーズが、自分の家族とはいいませんけれど、第三者に通用するかしないかがすべてですね。その第三者というのが、何だかよくわからないから、他の分野の第一人者を立てておくのは、ひとつの見方ですね。
というのは、さすがに20年以上、こういう分野で生きてくると、その人はいなくなってしまったり、あるいは出世したり、結果が出る。だいたい人生が見えてきます。自分だけではなくて、他の人たちも。すると、やれていた人は、まったく関係のない人たちと、よく付き合っていますね。同じ分野の中にはいない。特に日本の場合は、そうじゃないと、派閥じゃないけれど、そこの価値観の中で、一喜一憂して終わってしまうことが多い。特に音楽はコラボレートするものでしょう。

○コラボレーション

TさんとNさんのものを、今日はかけました。Nさんはずいぶんかんでいましたけれど、Tさんは、自分の詩を読むことに、さすがに言い間違いをしていない。彼はアメリカの影響を受けて、1950年代くらいから、詩をつくるのと同時に、それを朗読する会を続けています。それとコラボレートして、歌っていたのです。それがいい悪いではなくて、それを楽しみにして、全国で待っている人がいる。Tさんのファン層は非常に広い。でも、作品というのは、さっき言ったものですね。でも、Tさんにも、いろいろな発声がある。
その発声の制限もある。コーラスやオペラが嫌い、フォークがいい。結局、自然なものがいいのです。
考えてみたら、昔の役者や歌手やアナウンサーは、音響の機器が弱くて、大勢の人に伝えるために、マイクが絶対だったのです。そのマイクに対しての発声ということを考えていくようになった。オペラは別として、音響がこれだけ技術が高くなっていく。

○あいまいさをましていく日本の歌

私はこの研究所をはじめたころは、どんどんアコースティックになっていくと思っていた。
個性が言われるとともに、人間の体からの声の復帰になっていくだろうと思ったのです。けれど、逆に体からの声が磨かれた声ではなく、日常の中で、コミュニケーションをとる声、それがはっきり言うと音楽も、ラップもそうです。そのまま使われるようになった。何を言っているのかよく聞こえない。日本人の中でも、日常の声が何を言っているのか、よくわからないし、論理もめちゃめちゃ。言い方もきちんと主張を持っているわけではないでしょう。

だから腹式呼吸でも、海外に行くとよくわかると思います。彼らは一気にまくし立てなくてはいけないのです。私もなぜこんなにしゃべれるかというと、海外に行くと、自分が言い切るまで、相手は待つのです。基本的に間に入らない。すると毎回2分くらいの内容を考えて、言い切るわけでしょう。すると体の準備が必要です。息が出なければ2分言い切れないのです。
日本の場合は、考えないで喋り出す。ちょっと喋ったところで、相手がつっこんで、引き受けてくれる。そこで黙ったら、誰かが入ってきてくれますね。

一人でずっと喋っていると、たとえば皆さんと喋っているときに、場があるから、これだけ喋っていることが許されるけれど、喫茶店でだったら、うざいだけですね。そろそろ俺が喋りたいから、やめてくれと言いたいわけです。それは、日本人の感覚です。
先を考えることも、どう言いきるかも、何を話の目的にして、相手をどう動かすかも考えないで、我々は話し始めるのです。体を使ってはいないし、言い切ってはいないのです。いや、いけないのです。角が立つから。その辺の根本的なことが、日本の場合は、欠けています。「会話はできるけれど、対話はできない」。対話は第三者が聞いていても、成り立つ舞台のようなものです。

○日本人の詩の朗読は、読み方まで

「詩のボクシング」は、テレビでも会場でも、第三者に詩を朗読することを、身内でないところでやっています。詩の朗読を、身内でやっている人は多いのです。句会や歌会とも同じです。天皇陛下もやっています。すると、読み方になってしまうのです。
速く読んでみたり、ゆっくり読んでみたり、言葉遊びであったりするのが、誰に対してなされているかなのです。
本当でいうと、音声の芸術の世界は、詩を何回も繰り返しているうちに、生の声に楽器音が加わったものです。
そこの中に表れる人生が詩というのは、一つの考え方です。
小説家や詩人の人生から作品として本になったものを、読者が好きに読んでもらえればいい。よく学校の先生が、詩の意味を尋ねてくる。子供たちに聞きなさいといって、いるのでしょうか。子供たちから手紙が来る。「ここはどういう気持ちで書かれたのですか」と。Tさんの場合は、忘れたという。

それは、その言葉があるから、失礼なことでしょう。その言葉が伝えていることで、本人が考えればいい。詩人の立場がどうであろうが、そのときにどういう感じで、どういうことで、できたとしても、その事情を超えるから作品なのです。☆
まして、日本の国語の問題みたいに、「ここは何を意味しているのでしょう」と。小説にもありますね。作者に聞いてみたら、本人も間違っていたというような。笑い話ではなくて、そこの作品の独立性ということがある。
歌い手や朗読をする人は、実在の人として存在して、一緒になっているから、わかりにくい。
ギターやドラムは自分の体からちょっと離れているから、客観視しやすい。

○ヴォイストレーニング私的論

ここでも私はいろいろな仕事をしています。トレーナーだから歌がうまいのかとか、CDを出しているのかというと、それは歌い手だろうということです。声を出すのは相手に出させるのであって、自分で出すのではない。
最近、トレーナーの混乱が多い。習いにではなく見にくる。体験が目的ならトレーナーのショーです。そういう質問が最近多いので、どう対応しようかと思っている。

私が代表して答えるわけにはいかない。私はそんな肩書きを、使いたくはなかったのです。ただ、いろいろな人がいろいろなことを言って、ヴォイストレーニングというのが何なのかよくわからないと。 この前の本に書きましたが、覚えておいてほしいのは、歌をうまくするとか、声をよくするとか一言でいえるほど、そんなものではないのです。

一つは、人生ということを考えたときに、10、20年経っても、きちんと使える声を維持しようという意味でしょう。
クラシックバレエと例えましたが、歌はいつも、そのときそこで歌わなければいけないのです。声やヴォイストレーニングを考えるということではない。それからもう一つ、過度に使ったときに、守る手段として、つぶれてしまったら終わりだから、守るために知っていなければいけない。その2つが本質的なことだと思います。

たしかに巷では、声を大きくするとかきれいにするとか、わかりやすく言っています。けれど、そんなものではない。それはそれでやれてしまう。
昔のように、声が大きくなければ、とか、音域がなければ歌えなかったとかいう時代は、そういう条件があったと思うのですね。
ところが今のように、普通にしゃべれるようなところで、マイクを入れて、ステージの場を持たすというのは、芸人のパフォーマンスにはかなわないわけです。

だから、トレーニングで、本当は音楽的なことも問いたい。そのフレーズをパッとやったときに、第三者に対して、価値がつくかどうかです。
そこで考えてみると、声を出しすぎていたり、何か歌いすぎていたり、どこの何がカンツォーネなんだという、そういう疑問がお客さんから出てしまうと、よくないのではないかと思います。
かつてはよかったかもしれません。サラリーマンやOLが疲れて、たどり着いて曲を聞くというような店があったのです。ただ、今はそういうお客さんがいない。お客さんのほうが体力がいるわけでしょう。弱っているから歌を聞きにいこうとは、ならない。歌を聞きにいけたら、大丈夫ですよね。家から出られたら、大丈夫。弱くなった。そうなると、余計なものがつきすぎている。

○声も余計だ

声も余計だと、私は前から考えているのです。本当にうまい人は、声を出していない。声が押し付けになってしまうとまずい。その声までが余分なんだと。ただ、それは声を出すなということではありません。ここほど声を出すことをやっているところはないと思います。
しかし、その辺を間違えてしまうと、周りの人は、声が出ていたり、声がよかったり音域があったり、歌がうまかったりしたら、評価してくれます。そのことと、相手が本当にお金を払ってくれたり、それを楽しみに来てくれることとは、距離があるのですね。
現実に私たちは、学ばなければいけない。いろいろなところに行って、いろいろな作品を見る。優れた作品に接して、どういうふうに見るか。
もう一つは、音楽そのものの問題、実際の客の動きの問題ですね。今日言ったものに値するくらいの問題を、人生として体験しているとよいのですが。体験を得ることです。
気持ちの問題の上で、どういう曲が歌えるかということになります。それは、自分が選曲しなければいい。ただシミュレーションとしては、曲のつくり方や展開に対して、どういうふうに感じ、どういうふうに声を置いていくのかというようなことです。大きな歌から学ぶのはそのためです。
それが単に歌っているだけとか、メロディをコピーするだけにならないようにします。

○自分の能力をもっと生かす

昔は18人くらいのレッスンで、何が一番勉強になるかというと、他の人がやれることはやらない、自分しかやれないところで磨いていくということです。それはどの世界もそうです。ここでも、私ができないものは、他の人がやってくれている。自分に能力のないものは、退いたほうがいい。能力のあるところに関してもっと突き詰めていかないといけない。ステージから考えるということです。ステージをお客さんの前に立てることさえ、今は疑わなければいけないような気がします。長くいたら、どこを聞いていけばいいのか、そこにどういうふうに変えていけばいいのかくらいはわかってくる。けれど、今の客に対して、どう接点をつけるかでしょう。

それこそ、小泉さんが何であんなに人気があるのかというようなことがわからないといけない。歌を聞きにくる人は、一般の人たちでしょう。
だから、自分に置き換えてみればいい。あのときに自民党を離れたか離れていないか。小沢さんも糸を引いているみたいです。結局、選挙もひとつの心の動きです。
今日やってほしいのは、ちゃんと伝わるように歌ってほしい。これを歌わなくていいから、これになったときも伝わるものを失わないようにしてほしいということです。詩の朗読は参考までに聞かせましたが、いろいろなものを聞くといいと思います。歌舞伎でも何でも、ファンがいる。おじさんでもおばさんでも、そこに集まるということは、何かがある。だから、とにかく人が集まっているところに顔を出し、味わうことです。

○レッスン室の魔

声の問題も同じで、レッスン室は、ここは恵まれていますが、狭いところで、先生と向き合ったところで緊張するわけですね。私は、緊張させたら悪いと思って、他の先生をつける場合もあります。普通の状態で声が出るのに、レッスン室に持ってくることによって、状態を悪くしてしまう場合が多いですね。
たとえば、今歌ってくださいと言って、最高のものは出ないですね。かなりひどいものが出ると思います。話を聞いて、体が固まっている。せめて15分くらいリラックスしてもらわないと出るものも出ない。でもレッスンはそういう場でやられているから、マイナスにしては、元に戻している。マイナスのところを最初のレッスンと思っているから、伸びたみたいに思う人も多い。

笑い転げているときには、魅力的な声が、全身から出ている。私は、トレーニングはそこを最低ラインにとるべきだと思います。
自分で最高にできることを最低にして、そこからできることを伸ばしていかないと意味がない。ただ、実際の現場では、トレーナーの責任だけではありませんが、本当の意味でくつろげないし、リラックスもできない。悪い状態にして、何とか普通の状態に戻して、何年も経っているとしたら、レッスン室の悪いところです。
レッスンで緊張してしまうのは仕方がない。そういった意味でも、精神的なことは、大切な部分です。役者は監督がどなりつけたり、演出家がぼろぼろに言って、そこからタフになっていく。音楽や歌の世界では、それをやると萎縮して、何も出てこなくなる。まず声が出てこなくなる。感覚が全部ふさがってしまう。プロデューサーは、褒めて伸ばせというのですが、褒めてばかりでは、自分のレベルもわからない。

○やりながら自分を知る

自分のことを知ること。知るということは、自分のできないことも知ることです。自分で勝負しなくていいことも知ることです。☆
トレーニングというのは、限界を伸ばしていくというのもありますが、限界を見て、その中で、最高のことができるようにしていくことです。それを歌や音楽の場合は、非常に複雑です。
アカペラで声だけでやっているという一線から、全体の中に、器楽音的に入れているものもあります。
一人ひとりは全然歌えないのに、音楽としては、高質のものにできるようにするのも、ひとつの使い方です。自分たちの才能を知り尽くした上で、最高のものをつくろうとしたときに、あまり歌わないほうがいいということになる。それは当たり前だと思います。音楽の場合は、正にそうです。

自分で歌うということは、自分でしかできないことをやるべきだと思います。音楽で、世界を平和にしたいとか、人々に幸せを与えたいといったら、世界中を探して、うまい歌手を見つけて、その人に自分の代わりに歌わせたほうが、音楽としてはいいのです。それでダメなのかと言ったら、そんなこともないのです。人を育てたり人に歌わせてみて成功することのほうが、難しいですね。歌手をやめてプロデューサーになった人もたくさんいますが、本当に成功しているのは、一握りです。どっちも厳しい。
自分の才能が何にあるのか、人を見出すことにあるとか、育てることにある、あるいは人を使って何か作品を上げていくことにあるのなら、それもいい。自分にしかできないことがあれば、自分のところは自分でやればいい。そういったこともやってみないとわからないのです。最初からわかってやっているわけではありません。やっているうちに、まわりに優れた人が出てくると、あいつのことはあいつにまかせてとなって、だんだん決まってくるようなものです。とにかく目の前のことを一生懸命やればいいのではないかというふうに思います。

○体づくり

息だけでやらなければいけないようなところのほうが、よほど難しいわけです。大きくやるところは、もうひとつ音楽が大きく、いろいろな意味でかぶせられます。音にギターとかいろいろなものがかぶさってきます。ごまかせるといったらどうにもできます。
発声の問題は、音域と声量のことばかり、音程やリズムのことばかり言われるのですが、全部同じことです。それを目指してトレーニングをするのではなくて、自分の一番ベーシックなものをきちんとやってみたところで、できるところまでできればいい。あとは使い方の問題です。
鍛えてもいないし、やるだけやっていないのだから、その部分でやったほうがいいというのは確かなのです。

テニスをやるのに、テニスの技法ばかり勉強してもよくないでしょう。まず体力づくりや柔軟をやっていないから、そういうことをやることによってよくなります。テニスに使う筋肉を強化することによって、全然違ってくると思うのですね。

それからフォームを知るということはあります。ただ、そういったことは4,5,6年とやっていくと、限界がくるけれど、体はそこまでは確実につきます。アスリート並みにはつかなくとも、そこまではやっておくべきと思います。
それをして、自分の中に持っているものを、今度はどういうふうに音楽に、あるいは歌に使っていくのかという、使い方の問題ですね。

○声の使い方を知る

プロは決してすごくいい声の人ではありません。生まれつき、すごくよかった声の人というわけではない。ポップスの場合はあまりそんなことを問われない。だからポップスなのです。
でも、その声をどう使っているかというと、歌唱の技術とは言いませんが、自分のことを知り尽くして、その作品が生きるように、徹底して研究して使っている。だからそういう勉強をしましょうということです。

声はわかりやすいと思います。息だけで呼吸をやったりするよりは、レベルの高いものにあわせて、声を出していく。それだけで、体や呼吸がなじんでくれば、声が出やすくなってくる。続けてやることによって、そういうものを支える筋肉とか喉とか、鍛えられていくと思います。
正しくやることも大切かもしれませんが、やれていく人は、正しいとか間違いとか、関係なく量をやっています。集中してやっています。そういう中で何かしら得てきたものが、その人の声になっていく。
特殊な分野ではないので、日ごろ使っているものを、少し意識を変えてみたり、もう少し余計に使うことで、かなり変わってくる。

それから、もう一つは修行ではないけれど、日常の中で声をよくしようといくほかに、オペラとか限られた、切り離された空間の中で、徹底して集中して、そのことに感覚を磨きます。感覚の問題です。
感覚を研ぎ澄まさせること。自分の声をコントロールするということをやるのと、2つが大切ではないかと思います。

○話し声からでなく、密度から。

よく、話し声から直したいという人がいますが、逆に難しいですね。話し声のときは、体から、声や息を出していくにも、相手がいるわけです。相手が、何をしているんだろう、変な感じに思うトレーニングは、普通ではないわけです。
だから、歌や台詞の読み、一人芝居の読みとか、あるいは落語とかから、それをきちんとまくしたててみる。それには、今の口の動きではだめだ、体の動きではだめだ、小さくしたときには聞こえなくなってしまうとか、いろいろなことをつかんで、それでやればいいと思うのです。
歌の場合は、音楽をどう聞くかというところで、指導者がいたほうがいいとは思うのです。けれど、声だけの問題だと、現場にいる人のほうが強いですね。漫才もずいぶんトレーニングをしたのですが、あまり関係なく現場で鍛えられています。現場で声が出ていないと、結局、笑いがとれない。あるいは終わりきれない。そこで、覚えてしまうのです。

だから、「アエイオウ」というような一般のヴォイストレーニングでは、逆に甘くなってしまいますね。歌もそうだと思います。ヴォイストレーニングを発声練習で考えるのではなくて、こういうものをパッとかけて、自分の一番いいキーに置き換えて、どこまで近づけるか。
というより、同じだけの密度のものをつくれるのかということから入っていったほうがいいと思います。☆
世界で、売れているヴォーカリストのどれを手本にしてみても、真似の仕方さえ間違わなければ、どれでも勉強になると思います。

○大きめに学ぶ

比較的、大きな声で聞いてみることで、声とか息の世界で、何となく見えたりわかる。錯覚のようでも、何か感じられたとしたら、そういう感覚をずっと持って、家でも聞いてみる。そのときに、声の表面を聞くのではない。それを支えている声や呼吸の部分を聞けるようになってくれば、自然に体も変わってきます。

だから、映画で外国人の役者や俳優さんの台詞を真似してみたりするのも、ひとつのポジションを獲得できます。イタリア語会話を、真似して、テキストを見なくても正確でなくともいいから、テレビやラジオで聞いて、そのとおりに言ってみる。 そういうことでも変わっていく。
日ごろ使っていることばの方が難しいですね。歌でも、よく中間音域が一番難しいといわれます。勝手にできてしまいますから雑になる。会話で変えていこうといっても、もう喋ってきているわけです。そうしたら、少し外国語や訳のわからない言語、ポルトガル語やイタリア語をやってみる。

英語は頭が働いて、聞き取れてしまうから、必ずしもよくない。多言語で、そうすると、声のほうには、意識があまりいかなくなる。本当にわからなくていいから、耳で聞いてみて、出してみる。それをどこまで体で結びつけて聞けるかというのは、わからなかったら、体の状態をすごくよくして、声の状態をよくして、それでやってみればいいと思います。大きく声を出すだけが取り柄ではありません。量というのは、非常に大きいような気がします。
それをやった上でチェックをトレーナーにしてもらうということが、よいのではないかと思います。

○歌というジャンルで考えない

舞台に立っているわけですから、ジャンルは分けなくてよい。お笑い芸人でも、紅白に出て、オリコンでもチャートにのぼっているので、分ける必要がない。ドリフターズも音楽バンド、さだまさしは噺家になろうと思って上京してきた。中島みゆきやユーミンも、歌いたいわけではなくて、詞の世界をつくっていたら、音楽ということになった。

だから、歌唱力がどうこうと他からいわれても、歌唱力をつけたかったわけではない。そういうことでいうと、ジャンルは別にないと思うのです。
今の時代になってしまうと、アーティストをやって映画監督をやって、俳優をやってと同じでしょう。タレントと歌手の仕切りがなくなってきた。お笑いも、タレントもコメディを当たり前のようにやります。それは一つの表現のスタイルにすぎない。
歌というものが、前よりも特別なものではなくなってきました。逆にいうとお笑いの人も、トークだけで終わって、ネタをやらせてもらえないときもある。でも、ギャグくらいはやらせてもらえる。
ところが歌い手のほうは、タレント化して、歌も歌わせてもらえない場合がほとんどですね。今、歌手の誰々さんが来ていますから、歌を1曲歌ってもらいましょうというのがないですね。ほとんどトークだけです。

そういうことからすると、全部タレントみたいに思ってもいい。昔みたいに、その1曲だけの歌を歌うステージもなくなった。今、それをやってしまったら、ほとんどの人がチャンネルを回してしまうでしょう。それから、ヒット曲もあるわけではない。
昔は歌い手がゲストなら、必ず1曲、テレビでも当然のことながら歌っていたわけです。今はそういう意味でいうと、残念なことながら、テレビで歌1曲、持たせられなくなってきています。見る人のテンポも早くなって、チャンネルも変えてしまいます。

○今の歌い手の評価

Q.持たせられる人というのは、どういう人ですか。J−POPSの中で評価されている人はいますか。

テレビというメディアの一つの限界でもありますね。私が評価しているというのは、やれている人は皆、よい。芸人ということになれば、歌唱力や、歌をどうこうといってもしかたがない。たとえば昔なら尾崎紀世彦さんなど歌が上手というのは、ひとつのスケールだったのでしょう。
そういうものは、今はそれほど意味がないですね。結局、その時代に対して、どういうメッセージを投げかけているのかということだからです。
今でいうと、サンボマスターのようなものです。あれが声がいい悪いということではない。今までのものを壊してやっているのが、ある意味ではロックなわけです。発声をどうしようかということではないですね。

ただ、それがもし世界のレベルを意識して、もっと格好よくやりたいとなったときに、声の問題にくるかもしれない。日本語の問題も、ずいぶん探求している。いろいろな形をつくってきた。
でも、お笑いではなく、役者ではなく、歌手というよりは、やっぱりロックですよね。ひとつの音楽の力を使って、今を歌っているわけです。
あれだけの壊し方が、今の歌い手はできなくなってきてしまっているのですね。昔のものにのっかってしまっている。
やれている人は、やっぱり新しいものをつくっています。長くやれている人がいいとしかいいようがない。その長くやれている人たちの基本の音声の力どうこうというのは、結果OKですよね。

サザンの桑田さんの歌い方がああだから、あれは間違っているというようなことに意味は全然ない。あれでやれているというところで、何も比べる必要はない。あそこに発声練習をして、何かを変えてみたら、たぶん悪くなってしまうでしょう。
声は一つの道具でしかない。だから、彼が出てきた頃に、いろいろなことを言っていた人たちは、時代が読めなかっただけの話でしょう。
曲の力も大きい。バンドとしてのパフォーマンスも大きいのは確かですけれど、その辺が分けられない。
自分がつくった曲をどう歌おうが、そのアーティストのひとつの勝手です。それが嫌だったら、違うアーティストに供給すればいい。だから、何をつくっているかというのが一番大切です。

昔は、声だけの技術が本当にあった。この人は声がいいとか歌がうまいからということで、歌い手という職業につけたわけです。地方に住んでいても、プロデューサーが、本当にいい子がいるなら訪ねた。
今は、それはアイドルでも厳しくなってきていますね。今のアイドルは先に映画の準主役にでも突っ込まないと、とても歌だけではやっていけないですね。だから、タレントとして、歌も歌えるという形です。でも歌がなくなることはないでしょう。むしろ若い人たちからどういう動きが出てくるかということですね。

団塊の世代や、上の世代は、また頑張って、青春のころのビートルズなどをやりだした。いまいちだと思うのですが、日本の場合、どうしても、自分でがんばったと思った時代や、夢を諦めた時代に、すごく思い込みがあるので、そこに群れてしまうのです。
一回引退した人がやるのはいいのですけれど、本来、新しいことをやってほしい。昔のことを、昔の曲を歌って、昔のファンたちとというのは、60歳すぎたらいいですが、若くしてやることでもないような気が、します。

ただ、若い子で新しい音楽が回らない。業界は、確実に売れるものがほしい。どうしてもそういうことになってしまいます。
日本の歌というのは、元々メッセージや革命的なことをやろうというような、反体制的なところから、生まれてない。団塊の世代のころは、まだそういう役割があったのでしょう。大体お上から降りてきたもので、内輪の歌です。同窓会で歌って、一番歌っていて幸せだと思うのは、70,80歳くらいで、戦争の生き残り、同期の桜、ああいうのは不幸転じて幸せだと思います。歌があるから、本当にいいという。そこまでの感激を味わえている歌というのは、あまりないような気がします。

○打ち出す、そして見る

結局、打ち出すしかない。それは毎回毎回試みるしかないのです。体が足りない分は体で補うか、そうでなければ、解釈を変えて、体がなくても体があるように見せる。そういうことは、いくらでもできるわけです。
曲の背景については、この分野をどうやっていくかということです。この分野の人の前で歌うのであれば、当然やらなければいけない。
この曲は、背景を調べて、こうやったほうがいいという演出的なことはあまりやらない。ただフレーズのつながりや全体というのは、センスどうこうではなくて、慣れですね。見てきていなかったのだから、そう見えなかったのがあたりまえの話です。
フレーズ一つひとつの中身があって、その全体のつながりができていたら、何の文句もないわけです。そうしたら、それは習わなくても、自分で全部できるわけです。程度問題の話です。

完成形というのはないのですが、高いレベルでやっている人、そういうものを私たちではなくても、普通の人が聞いて、うまいねと言う。そうしたら、皆がうまいねと言うことが自分に来たときに、皆がそういう人に対して、うまいと言うように、うまいと言ってくれないとしたら、そこには何かしら欠けているわけです。そこを埋めていけばいいだけの話です。
それは真似するということよりも、プロがやっている神経よりも細かいレベルで曲を見ていくことを、繰り返す。
これは、発声よりよほど難しい問題ですね。発声は自分で判断するのは簡単です。出たとか出ていないとか、届いたとか届いていないとか。

ところが、すごく歌えたと思っても、外れていたり、全然だめだと思っていても、案外いいといわれる。もっと客観的に見るのが、難しいことですね。だから、歌ってしまったら、歌える歌であっても、それをよりよくするときに、どこにどれだけの冒険ができるか、はみ出すことができるか。悪い言葉で言うと、崩すこと。
崩して崩れないということです。崩さなかったら何もしていないということになってしまうし、でも崩してしまったら、それは崩れたことになってしまう。そのギリギリのところで、微妙に崩す見せ方というのはあります。それを探っていくしかない。

○ニュアンスとデフォルメ

自分が結局、この曲がいいと思ったら、そのひとつのニュアンスを、本来はデフォルメして、少し拡張して伝える。それで、自分が感じたように、お客さんが感じてくれるように、伝えるという意味では、最低限のことだと思うのです。
何で選曲したのか、なぜこの曲がいいのかということを示す。
本当はあまりいい曲ではないように聞こえたけれど、ここをこう変えたら、こんなにいい曲になるというのを見せられたら、もっといいことです。
その辺は何ともいえない。私たちが言っているのは、あくまでもひとつの見方です。今日言ったような直し方をすればいいということではない。ただ、そういうことをやってみて、それでよくなることもあるし、そうやったがために悪くなることもあります。ただ何かやって、そういうことをつかんでみることが大切なことです。

お客さんが聞いて、心地よかったと思うのと、なんか心地悪かったと思うのを知る。この箇所といっても、そこだけではないわけです。ただ、それが顕著に、出ているところ、それを自分の中で知る。顔色で表すことはなくとも、ここのところは完成度が落ちたなとか、ちょっと外れたなとか、チェックする。そのこととこっちが言うことが一致してくれば、言う必要がなくなってくる。ひとつの見方ですね。
だから、それがいい悪いのではなくて、こちらとしては鏡で映し出してみるから、そこのところを見てる。それでも自分がいいと思えば、その方がよくなってくるときもあります。変えなさいということではない。そこにポイントが何かあるのではないかということです。

できたということで、1年くらい経って聞いてみると、まだこれだけ距離があるとわかる。そうなってくるといい。細かく見ることができるようになってくればいいのです。ギャップを感じていればいい。
そのギャップがわからない曲では、何か同じようにできている気がする。何が何だか、どこが違うのかよくわからないとなると、指摘しても、言われた意味がわからないという場合は、その曲はしばらく使わない。
それが自分で距離が見えているときは、近づけるところまで近づく。飽きたりテンションが低くなってきたら一時、捨てる。思い出したり、気持ちがいいときにたまにやってみたりすると、案外と近づけたりする。
一回抜かなければだめですね。集中してやっているときには、歌はできない。何かそんな気分がして、ちょっと歌いたいなと、2,3年経ってやったときに、似たようなことができたり、楽にできたりします。でも、こうやって詰めておかないと、いきなり2,3年経って歌えるということでもない。

歌は、一番わかるのです。結局ずらさなければいけないのです。それがずれてしまったらダメです。本当に微妙です。
そのとおりに、音符どおりに、歌っていたらつまらないから、必ずずらすのですが。いい曲ほど、ずらしてしまうと曲がおかしくなってしまう。
ところがすぐれた歌い手というのは、本当にそこを、微妙にずらすことによって、こんなのもありかとか、こんなにずらしても大丈夫なんだというような驚きを与える。うまくおさめる。当然、おさめなければいけないのだけれど。
これをやるためには、これを4行で捉えなければ、だめですね。大変でも、1行の中で、勝負していく。ブレスはしても、かまわない。声量を弱めて、ていねいに、マイクのニュアンスでやっているから、通じない。

最終的にはこうやって歌えばいいと思うのです。練習でそれをやると、口先のなかでその音を、伸ばすことにして、体の感覚が離れてしまう。今の段階では体は常に確認しておいたほうがいいですね。ステージになったら、鼻歌みたいなところで歌ってもいいと思います。ただ、そちらばかりをやっていると、どんどんいやらしくなってしまう。結局、小手先でやっているようないやらしさが出てしまう。プロはそういうふうに歌っているように見えて、一応、全身でコントロールしているところの感覚は持っている。 それは長年歌っていかないと身につきません。
よく5,60代になって、声量もなくなったように、すごく小さく歌っていてもうまい人、そういうのは若いときに結構歌っていないと、ムリ、そう簡単におじさんが、同じように歌って、歌えるかというと、そうはいかない。

○年齢と歌

Q.そのときに体は、フォームがしっかりできていて、小さい声でも歌えるのでしょうか。

歳をとったら、技術とその人の魅力にはなって、本当は若いときの体の使い方とは違うのに、出てくる音とか違う部分で、コントロールして、それっぽく聞こえたり、それよりよく聞こえたりする。そのかわり、パワーやストレートさは、若いときの声のメリハリのほうがよかったりする。
曲だけで聞いたら、歳をとった顔とか、全身にもそういうものからくるものが大きい。特にこういう歌というのは、説得力が大きいから、そこは純粋には比較できない。けれど、必ずしも若いときと同じように、全身で歌っているのではない。全身でないのに、それに近いような音の出し方というのは、知っている。そこは、歳とともにそうなっていくのだから、そこを勉強するとよくないと思います。年齢相応の歌い方がある。

一つの大きな呼吸で歌っていくのがいいと思います。これは今のように歌うことをして、より強くしてみたり詰めてみたりしながら、ステージのときには、全部をひとつに捉えるくらいの、バランス、声量も半分くらいで歌ってみていいと思うのです。半分くらいの声で歌ってみると、自分で付け足したり、おかしな動きをとってみたりするから、いくらでも変えられてしまいます。ところが、体をつけて歌っているものは、そんなに変には変えられない。

そこに戻してやることです。ダンスと同じです。どんなに器用に、おかしな踊りでもできるけれど、全体が動いているものでなくては、人に対してのインパクトや、働きかけが弱くなってしまう。だから、トレーニングにおいては、その原理というかひとつの大きな流れの中で歌っていくというのが、ベースです。ステージの場合は、違うニュアンスを出したいときがいくらでもあるわけです。 それはこの歌の雰囲気を出せればいいわけです。

Q.ステージも、体を思い切り使って、一本でやるというのは、音楽にならないのですか。

今のあなただと、最初の2行で討ち死にしそうです。大きく歌うということで、下手さも拡大されてしまうのです。1行は持つと思うし、うまくいくと2行くらい持つと思うが、じゃあ、そのテンションで3,4行目、あるいは十何行持つことができるかというと、すごく厳しくなる。

Q.それはやるしかないのですか。

全ては必要ないと思うのですが、1コーラス分、これで言うと、4行から8行はやっておいたほうがいい。イメージとしては大きくとりたい。慣れてくればくるほど、イメージは大きくとるのです。しかし声は小さく使って大きなイメージは出せるようになるけれど、それができるまでの間は、大きな声で大きなイメージで出したほうが、わかりやすい。

Q.大きな声で大きなイメージというのは、大きく体を使うこととは違うのですか。

体というか呼吸だから、似てはいます。ただ、呼吸もいろいろな使い方がある。
大きく見せるということは、単に呼吸を大きく使うよりも、スピードを上げて、それからゆっくりと落としてみたり、そういうひとつのフレーズの動かし方で見せていく。それはいくつかあなたもやっている。今はそれでいいのではないかなと思います。
「ビフォー」「ユー」「ゴー」とこの3つをやって、その次にできたら「ビフォーユー」と「ゴー」とやるとか、「ビフォー」「ゴーユー」とやる。あるいは「ビフォー」を3つに分けてみる。いくらでも動かせます。

歌とは違うのですが、そういう中に、自分でこのデッサン、この動かし方がいいというのがある。ここだけで決まるのではありませんが、ここでやった後に次で、そんなにできないけれど、いろいろなおき方がある。
まして「スウィート アゲイン」というのは100人が100人、違うおき方ができるわけです。この曲のつくりとしては、「ビフォー」とか「グッナイ」とか高く上がるところは一つの特徴で、そこだけ気持ちよく聞かせられても持つような歌です。
だから、すごく単純にいうと、若いときは、高いところや強く出るところを、きちんと際ただせておいて、他のところはあまり目立たないようにする。変にあやをつけたり、ビブラートをつけたり伸ばしたりすると、そっちにお客さんの耳がいってしまう。すると、何かびっくりくるように終わらせられたらいいのですが、なまじ変にやってしまうと、全体が崩れてしまいます。
歌は見せ場のところに持ってくるのが、一番大変です。サビのほうがいい。サビ以外のところで見せられるのは、本当はもっといいことです。サビで失敗したときには、語尾で見せなければ仕方がないのです。

○響きと構成

ピアノを弾くと、この感覚で弾くのと、この後に「ドーォ」という感覚に、響きますね。この響きのところで音楽は成り立っている。体のところでは「エーェベーェロ」とやらないと出ないと思っていても、実際に響きが出ていたときには、体をさらに使うと、その響きを崩してしまうことになってしまう。あくまでもフレーズ、ひとつのつながりの中で捉えてみる。このつながりがなくなってきそうであったら、また息や声を送らなければいけない。しかし、つながりがこうなっているところに、さらに送りすぎてしまうと、逆にフラットしすぎてしまったり、変につっぱってしまったりしてしまう。

今、実際にそこの音まで、あなたは出るのに響きにすると、もう2,3音くらいまでは楽に出る。だから、こんなにがんばらない。逆にがんばることで壊してしまう。動きを利用して、体の呼吸と、耳と聴音できる発声の器官を磨こうとしている。だから、つっかかるようだったら、そこを抜かしてしまえばいい。
とにかく声をつかまえてうまく動かして、ひとつの音楽にする。音楽は音楽で勉強しなければいけない。
ヴォイストレーニングでは、声の動かし方をマンネリにならないようにする。ちゃんと、響きでも終わるときにはきちんと終わり切って、それで次の動きをきちんと予期して出す。 あ、終わった、始まったというのなら、歌を聞いていても、そのようになってしまう。だから、全体の流れと部分の流れをどう生かしていくのかというのが、一番大切なことです。こもったり、太くなったり重くなったりしても、それで歌うのではないということがわかっていたら、問題ないと思います。

○トレーニングの期限

トレーニングをやっている時期というのが、たとえば2年であって、その後に2年発声をやって、次に2年歌うということであれば区切っていく。けれど、現実的にはトレーニングはずっと続いていく。そう考えたときには、トレーニングで最初にやるところは基礎体力づくりだったり、腕立てや腹筋だったりする。
そのことと同じで、そんなことを気にかけて、試合というのはできません。そこは完全に切り替えるしかないですね。
だから、トレーニングをやったままの声で歌うというのは、トレーニングによっては無理があります。トレーニングで考えた、体からの発声の条件づくりですね。その声をつかまえて、動かそうとすることで、体が強くなったり支えができたり、確実に戻せたり、それから機能が衰えず、強化されていく。
そこのところで歌おうとしてみても、音域がとれないし、それから響きもよくないし、歌としても柔軟性がないということが起きてしまいます。
トレーニングと表現とその距離をどのくらいとるか、です。歌とトレーニングをかなり近いところでやる人もいるし、遠くで完全に使いわけてやる人もいる。
トレーニングをやっていることが、トレーニングにベースがあると、歌はどうしても輝きを失ってしまう部分があります。それが一番難しいですね。
歌の練習が難しいのではない。ステージはもうやるしかない。歌の練習をトレーニングのほうから持ってくるのか、ステージということを考えてやるかで違ってきます。ステージのことからやるのであれば、軽くて明るくて、ひらめいて艶っぽいみたいな、調整ということではないけれど、聞く人がどう聞くかということから考えなくてはいけないです。
ヴォイストレーニングをやるなり、声が出にくくなったり、歌が歌いにくくなることが、現実的にはおきてしまう。スポーツも、誰かの指導のもとで、今までやっていたことができなくなってしまう。だからといって、すぐに何かが得られるわけではない。
その時期というのは、現実面、ずっとマイナスです。歌は自信を持って、自分が一番うまいと思ってやるのが、今の自分なら一番うまく聞こえます。
しかし、そんなところに疑問をはさんだら、分けるしかないです。結果的には、重いこととか負担があることとかはよくないわけです。
ただ、結果的に、喉に負担がなく、重くないように聞こえるために、トレーニングとしてそういう部分を重ねていくような考え方をとるのです。

○声楽での声

Q.声楽を習っていたときに、そういう声で歌わないでといわれた。誰かの真似をしていたのだと思うのですが、軽い、かわいらしい感じの声と言われてから方向づけて声を出すことが怖くなっています。

声楽というのは、体を使うわけですから、体から離れたところでいくらやっていても、それは状態を変えているだけのことで、条件が変わらない。たとえば今日はうまく出たねとか、明日はダメだったねといわれ、仮にうまく出たねというところで覚えても、しょせん今の体の、今の感覚でしかできない。
そのこと自体が、レベルに達していないという見方をするので、甘えた声とかかわいらしく歌っても、通じにくいですね。
基本的には威厳を持ってとか、もっと堂々と立派に歌いなさいという感覚です。問われているステージもそういうものです。
それはステージが問われているということより、声自体がそういう声でないと、声楽の場合は、結果的には通用しないです。

その先生の本意のところでいうと、条件が変わることをやりなさいということです。歌をどう歌いなさいということより、軽い、甘えたようなことを何回も、根本的な条件は何も変わらないからということです。それがトレーニングということです。
ポップスは、逆に歌い方のほうばかりやっていくから、歌い方でうまくなるところの限度が、見えてしまうのですね。それが見えないということは、その人にバックグラウンドとしての体や感覚があるわけです。トレーニングは、そこの部分こそ、やるべきなのですね。☆

○トレーニングの目的

よく言うのですが、今やれることや、今の状態でやれることは、自分で追求して、自分の体をよくし、リラックスし、思い切って歌えばいい。そんなことではやれないことというのは、長くやるということ。長期的な意味で、条件を整えるということです。もう一つは、調子が崩れたりしたとき、あるいはすごくハードに使ったりしたときに、壊れない、守れるということですね。
だから、ヴォイストレーニングは今、効果が出るとか出ないとか、今日の歌がいいか悪いかではなくて、5年10年ごしに考えたときに、そこで今と違う体や感覚を持てるかどうかということと、もう一つは、ハードにやったときに、守れるかどうかです。
攻めの部分は、歌は直接歌えばいいのであって、それ以上のことをやれといってもできません。それ以上になってしまったら、見せ方とか、振りとか、音楽のアレンジに頼んでしまったほうが、声を変えることよりも楽というか、効果的ですね。だからこそ、逆につぶれないということが大切です。それから将来的に何かが変わっていくということです。

●ミルバの感覚

甘さというのが、違います。あれで相当甘く、なめらかに、彼らの耳に聞くと、そうなるのです。けれど、我々にとったら、しっかりと、全うに歌っているように、聞こえます。

それはミルバの他の作品と比べてみると、わかります。かなり浮かせてみたり、やわらかくしている部分が、リズムをとって動いています。「ドルチェ」と言っているようなところは、すごく甘く言っている。その甘さは、我々が考える甘さとは違う。

彼らが聞いたら、甘美な感じですけれど、我々が聞いてもしっかり歌っているだけとなる。それは文化の違いですからいいのです。発声から考えると、ああいうふうに歌ったほうが、よい。そんな簡単に歌えるわけではないですが。

真ん中のあたりが、あわただしいですね。それはイタリア語が読めていないということではない。そこのところで、あわただしくなってしまう。ここの4行だと、その4行の全部最後の、4つくらいにわけたら、4行を16個と仮に考えたら、その4番目のところ、4,8,16次のところもそうですが、そこのところのやわらかさとか、そこのなめらかさがないときついです。

「グアルディ」のところも、できればやりたい。どこでまけるかといったときに、次の「ブッダビア」のところで、大きくまけますね。ここでまけるということは、ここが9番目のフレーズですから、その1番目、5番目のフレーズ、この2番目もまけるわけですね。そこの入り方を、同じに、本来は、1,5番目の「ラビアジャ」というところは同じにする。

それをさらに効果が上げたのが、次の9番目のところです。その流れのほうが出ればいい。ここからこういったとしたら、またこう流れていくか、あるいはこの延長上につくるという感じ、ここは4回繰り返されて、最後は形が違うとなる。

この「ノンセルビエビュー」の位置づけが、結局まだどういうつもりでやっているのかが見えない。ここに書いてあるとおりに、4番目のところにこれを持ってきて、「ノンセルビエビュー」というのを2回繰り返して、それで次のところに持っていくかたちの歌い方もあると思うのです。
後半はていねいになってきましたね。「ブル」と「トゥ」というのが韻を踏んでいる。最後の「ピゥ」とか「トゥ」も全部ウで終わるようになっていますから。その辺が安定するというのが大きいです。

○気持ちよく聞けるか

音楽的な意味の流れにのらないと、難しくなります。日本語のほうが、音楽に持っていきにくいのですが、言葉の力のところでごまかしがきいてしまう部分もあります。お客さんは、言葉が聞こえたら、構成はどうでもいいのです。ただ、本来であれば、言葉よりも構成が立っていないと、音楽とはいえないから、わかる人にはわかるのです。
こういうものでやったほうが、はっきりはしますね。何語を言っているのかわからないかもしれないけれど、それが気持ちよく聞こえるのか聞けないのか、きちんと流れにのっているのか、それから流れから外れたら、そこで何をしているのか。

こういうものになると何を言っているのかわからない。心地よく「ブル」や「トゥ」が働きかけてこないと。でも本来はそこを持っていた上で、歌詞がわかるというのが、音楽としての完成度を持ったものです。
そんなことをいうと、今の日本の音楽はまだまだです。雑であっても、メッセージ性というのがひとつのインパクトがあれば、それでひきつけられて、言葉を聞こうというふうになります。
ただ、原語で歌うものに関しては、ほとんどの人が意味がわからないわけです。すると本当に、声の力とか、音楽の流れと声のコラボレーションのようなものが、面白くなければもたない。

そういうことを難しいというのですが、たとえばトランペットの人は、皆そういうことをやっているわけです。バイオリンでもそうです。言葉がない。それで何で、人が心地よくなるのかといったら、楽器の音がいいといっても、弾いただけでは、騒音以外の何でもない。
トランペットでもバイオリンでも音は出るのだけれど、音が出るのが心地よくなるのは、彼らの演奏力です。楽器のほうがごまかしはきかないわけです。まずきちんと音が出なければいけない。それが音楽として動きをとっていなければいけない。だから、楽譜を弾いて音を出しても、中学生や高校生がやっているようなものです。
それがスムーズに流れるような線上において、声が使えなければいけない。最初はあまり発音とか意味とかは、考えなくてもいい。その上でそれがうまくいくのであれば、それに越したことはない。日本人のお客さんには、音楽の流れを捨てて、言葉で言ったほうがいい場合もあります。

●聞き方

今入ったのが、2回目の「ラピオージャ」の「ノンステイ」のところ、あと「ケノンセイ」、4行目のところ。それが最低です。たとえば2つ入った、その流れのほかに、クリアしたら、16個入ればいい。頭やしっぽのところはそんなに問題がない。16個のところの1,4,5,8と9はちょっとあやしい。けれど、このくらい入っていて、今は2番目だから、6くらいのところに何かしら置ける要素、あるいは「ケ」のところの部分に、3の後半、4でもいいのですけれど、何か「ケ」が出せそうな感じが入ったのかといったら、これで6つくらい入った。そんな感じで最低16個もたせたい。
もっと優秀な歌い手になると、1の中に2,3個置くのですね。ところが40,50個となって、これは同じ置き方となったら、曲が全然わからなくなる。
大きな意味でいうと、4つが通っていて、4つの中でも起承転結があるから、16個くらいが最低だと思うのです。だから、歌としては、今のフレーズの中でいうと、何となく1,2に対して3という変化が見えて、4のところで次につながる動きが出せて、その上で1の中で後半の部分が置けている。2の中で後半の部分が置けている。
何回も繰り返していると、自分の中でここは入ったとか、ここは単に歌っているだけとか、ここは動かせたとかわかってきます。
だから、まず、音楽的どうこうというより、動かせることが大切ですね。ピアノでいうと指が動くこと、バイオリンでいうと、その音がきちんと引っ張れること、それがどういう音楽になるというのは、もう次の段階です。
声の場合はいろいろなことができます。結局、自分でそれに気づいていくしかない。我々もこうやりなさいといってばかりでは、そこでダメになってしまいます。それは自分で発見している。

○ニュアンスをおく

Q.置けた置けていないというのは、やっているうちにわかるようになるのですか。

テープを聞いたりすると、わかるかもしれない。そこのところに、その人の色気やニュアンスが出てきたり、何かしらそこで気持ちを引くのが出てくる部分です。こういう会話は意味があるのですが、何か読んでみて、何も働きかけない。それがひとつ「ただ」というところで、何かが聞こえてきたら、ちょっとは意味がある。それがいいのか悪いのかは、別です。いくら、たとえば「悲しい」と読んでやろうと思っても、つくっているわけですから、本当の意味では伝わらない。

日本の場合は、つくりが非常に多くて不自然、朗読でもそうです。今のような形で読んでいく。読むほうは楽なのです。でも、楽ということはそれだけ心を使っていないからよくない。そういう意味でいうと、疲れてもちょっとでも動かせる可能性のところに、確実においていくということです。
単純なことでいうと、この4行は4つ置けたらいいのです。そうしたら、持つことは持ちますよね。
うまい歌い手は、それをいくつということではないのですが、たくさんのことを置いていっている。もっと大きな意味で置いています。その違いを見ていく。
若くて歌っているだけで、そんなに考えて歌っているわけではないけれど、結果としてそういうことを起こしていっている。起こしていなければ天才とはいわれません。

やった後で、今のここはやれていたんじゃないかという確認でやっていく。やろうと思ってやると、必ず外れていってしまう。でも何かしら余地というか、ここはこういうことができそうだとかいうことは持っていないと、単に歌うだけで終わってしまいます。
急いでいるように聞こえたというのは、やっぱり急いでいるように歌っている。ここで盛り上げようと歌っていると、盛り上げようとしていると見えてしまう。それではダメなのです。
だから、自然に歌いなさいと。そんな自然に歌ったからできるようになるかというと、結局、体の感覚が鋭い人が自然に歌ったら、そういうふうになる。けれど、そこが鈍かったり、用意ができていない人が歌うとダメだから、何かやらなければもたない。そこで、何かやることは悪くはないのです。しかし、やっていることでできたと思わないで、課題を残すことです。
やっていることで本当に残ったものは何だったと、今みたいなことで試し試しやっていく。
100個くらい気づいて、厳しい目で見たら、90個使えないと、声と同じです。なのに、その90をその場しのぎのテクニックとして、プロは覚えてしまう。☆☆

○自分の歌の判断

音楽的な基準で見るのか、声で見るのか全部違ってきます。流れで見るというのは、一番のベースですね。要は、歌詞も声も聞いていない、その声が、自分に心地よかったり、嫌だったりと、そういうことなのです。
自分の声は結構、慣れるから、自分では判断しにくいです。自分より優れた人の中のに、自分のをパッと入れてみて、それでそのときに嫌だと思うところ、ここは何となくいいのではないかと思うところ、パッと思うようなところが結構正しいですね。
ただ、人間は、2,3時間聞いていると、自分の声のほうが気持ちよくなって、麻痺してきます。

これは悪いのだけど、いいのではないか、そのうち全部すごいというふうになる。また3日くらい空けて聞いてみると、愕然としてみたりする。
自分の感覚で出しているから、自分の感覚で出たものは正しいと思い込みたいわけですね。そこはしかたがないと思うし、それでいいと思うのです。
より正しいと思う感覚が磨かれていくしかない。自分の感覚に反した歌い方のところで、先生がすごいと言っても、腑に落ちないと思う。ただ、自分の気持ちが入ったから、全部OKといってしまったら、そんなことは絶対にない。そうしたら、世の中に天才的な人ばかりになってしまいます。

そこをどの厳しさで見るかというのは、すぐれた作品をどこまで入れて、そこに自分が心地いいとか、思えるものにできるか。すぐれた人たちでも、結構ぽしゃっているところがあります。ここはこの人のこの曲の部分は絶対にだめとか、そういうかたちでどう見ていくかですよね。
厳しく聞かないとわからないですね。私は、ここでも鍛えられてました。いい悪いではない。
歌をどう判断するのかと聞かれ、同じ歌を70人が2曲ずつ歌ったら、そこで聞けるものがいいと。ほとんど嫌になってしまいますね。
下手なのではなくても、忍耐して聞いている。それをお金を払ってでも聞きたい、すっきりしたというのは、誰でもわかる体験です。
その辺のライブハウスに行っても、ほとんど聞きたくない。そんなによければ、すごい。日本の場合、結構、ひどいわけです。でもそうじゃないことを起こしている人や、そうでない瞬間というのは、誰かがどこかで一箇所くらいは出しています。それを厳しく見ていけばいいだけの話であって、理屈ではない。

○ニュアンスと体の支え

確実に、ニュアンスを入れておかないと、ポイントをゲットするところを失ってしまいます。歌えた歌えていないではないのです。けれど、流れはできてきているし、感情ものっているし、それから、ちゃんと落とし込みもできている。けれど、そこできちんと言ってくれたらいいなと思うところでフワッとなってしまったり、ぐらついたりしてしまう。それは仕方がない。そうやってつくっていくしかないですね。
だから、これをもう少しゆっくりだったり、もう少し張ったり、長くすると、すごく難しくなる。今の時点では、歌には基準があって、一つひとつクリアしつつ、学んでいく。

難しくなったり複雑になったりしないように、シンプルに体で支えて歌うことをやっておくことですね。これなんかは、構成的にはうまくとれていると思います。まだ生かせるところはたくさんあるのです。けれど、生かしきっていない部分があります。全部歌う必要はないわけです。何か、盛り上げの部分、キープしている部分、それから、落ちてきたところ、最後、こういう部分をすごくていねいに扱えるように、計算をしなければいけない。今は、こっちをがんばってしまうと、こちらがぐちゃぐちゃになってしまう。こっちをやろうとすると、こっちがうまく動かない。そういう課題がある分には、いいのです。課題が見えなくなってしまうと、上達も止まってしまいます。この辺をちょっとやってみてください。

日本語のはかえって流れがとりにくいですね。言葉で持っていって、歌えてしまっているような感じになっているのです。ここは、音楽的なニュアンスがどう入るのか、言葉のニュアンスがどう入るのか、それも結構同じに聞こえてしまいます。この2曲も同じに聞こえてしまう。しかし、この2曲の中でも、いろいろなことが、メロディが変わったり起きたりする可能性のところも歌って、その歌っていくだけのスタイルもあるので、それはそれでいいのです。でも、まだ何かできそうな気もします。


■トレーナーアドバイス〔06.10〕

レッスンの中での概要です。これらのメニュが、必しも誰にでもあてはまるものとは限りません。参考にとどめておくようにしてください。

○拍子記号
拍子記号は、その曲を仕切っている重要なものです。
分母・・・音符の種類=基準になる音符
分子・・・分母の音符が1小節に何拍はいるか
をあらわしています。
4分の3拍子で考えると、分母が4ですから、4分音符が・・・分子が3ですから、1小節に3拍はいる拍子ということになります。

もうひとつ、1小節中に数えられる数字は、分子になっている数字までということを覚えましょう。
難しく聞こえるかもしれませんが、拍子「1・2・3・4・・・」と拍子を数えながら歌うことがあると思います。
この場合に小節も何も関係なく、「1・2・3・4・5・6・7・8・・」と並べて数えるのではなく、4分の3拍子でしたら、「1・2・3」までしか数えられません。もし、リズムがわからなくて8分音符の長さで、細かく拍子をとりたい場合は「1ト2ト3ト」と6拍分を感じてください。

2分の2拍子だったら・・・2分音符が2つ入る拍子です。
基準になる音符は2分音符ですから、もし、4分音符に細かくして考えたい時は、「1ト2ト」と感じなければいけないことになります。

○拍の長さ
レッスンをしていると、休符や長い音符(2分音符・全音符など)の長さを守れていない人が非常に多いです。
1拍の長さは、次の拍に入るまでです。
4分音符が続いている曲だと、気づかないうちにちゃんと歌えています。
どこで次の音符に変えて歌っているかというと、拍の頭です。
ですから、休符も長い音符も、拍の頭にはいるところできちんと切り替えなくてはいけません。

拍の頭というのは、わかりにくいのですが、手拍子をしてみると手を叩いてパン!と鳴った瞬間が拍の頭です。
逆にいうと、パン!と鳴るまでが、前の拍です。
1−−−2−−−3−−−4−−−1−−−

ですから、音を延ばす時は、次の拍をパン!と叩くと同時に切るのが正しいのです。
言い換えれば手を叩いて鳴る瞬間までが、前の拍の範囲だと覚えておきましょう。
例えば、4拍子の4拍目は、次の小節の1拍目がパン!と鳴るまでがその範囲です。

それよりも、長くても短くても違います。
理論上からいえば、こういうことですが、実際歌詞がついた歌になると言葉がつくことによって、変わってきます。
しかし、基本的なこととして覚えておいてください。
「本来の音の長さはこうだけど、こんな言葉がついているから、私はもっと音を延ばしたい、軽く切って歌いたい」などと説明できるといいですね。 

○譜面からの読み取り
譜面は、作曲者からこの曲をこう歌って欲しいというアドバイスが書かれているものです。これは、どんな譜面でも同じであり、たった4小節の課題からでも、たくさんのことが読み取れます。それを、忠実に再現していくことがとても大事です。

譜面の読み取り方を覚えましょう。
まず、新しい譜面を見たら、次の3つをチェックしてください。
1.小節数・繰り返しなどはあるか 曲の構造を知ることです。
できれば、同じフレーズが再現されているといったようなこともわかるといいですね。
2.拍子記号 非常に重要です。拍子がわからないと歌えません。
3.テンポ表示 テンポの目安になるようなものが書いていないか見ます。よく、拍子記号の上のスペースにリズムの名前(ワルツ・ボサノヴァな ど)や楽語(Andanteなど)が書かれているので見てください。これがない場合は、拍子記号も目安になります。
(BB)

○音程
音楽は二つの音の連なりで成り立っています。
空気中に振動すればすべてが音となります。しかし、皆さんが歌などで扱っている音は西洋音楽で生み出された平均律の音階(いわゆるドレミファソ)です。その音はその音以外に存在しないのです。ドの音はドでしかありえず、それを決めたところから少しでも高かったり、少しでも低かったら、それはすべて間違えなのです。これができていないと音痴となってしまうわけです。
何となく歌っていても決して正しい音程は身につきません。ピアノでもキーボードでもよいですから、音が固定されている楽器で音を確かめながら合わせていきましょう。ギターのような撥弦楽器では指の押さえる位置によって微妙に音程が変わってくるので、ピアノのような鍵盤楽器がよいでしょう。
声は楽器ですから、最終的には自分で使いこなさなくてはいけません。ピアノは叩けば音が出ますが、声は自分で音程を作り出さなければなりません。そのためにも、発声の時から正確な音程を出せるよう心がけてください。(KD) 

○5度音程、休符、連符
5度の音程はかなり難しいですが、その5度の音程のところだけとりあげて、反復して、繰り返し、練習してみてください。
伸ばす音も多いので、必ず、母音を言いなおすようにしてください。

さらに、進むと、減5度が出てきます。これは、普通の5度よりも半音少ない音程のことを言います。
普通の5度よりも、難しいので、繰り返し練習が必要です。

また、休符も多くでてきます。
休符の後は音が下がりやすいので、休符をなくして、休符の前の音で次の休符をううめるやり方で、練習してみてください。
その後は、3連符の練習が出てきます。はじめから音をつけないで、リズム読みをたくさんしてください。
2分の2拍子は、1拍に3つ音符を入れればいいですが、4分の4拍子は、2拍の中に、3つ音を入れなくてはなりません。そこの部分だけ、取り出して練習してみてください。休符の入った3連符は、はじめは、どの音でもいいので、休符に音を組み入れて練習してみて、慣れたら、その感覚を忘れずに、楽譜どうりに歌ってみてください。

○拍子
小拍子は、裏拍を感じられるようになるといいと思います。
裏拍で手拍子を打って練習するのが、一番有効だと思います。
その後は、シンコペーションの練習をしましょう。
シンコペーションとは、小拍子(裏拍)が強調されているところのことを言います。
リズムでいうと「タターンタ」ということですが、はぎれよく、歌うのがポイントです。
また、ここでの練習にタイでつながった音とシンコペーションが、合わさったものがあります。
音をつける前に、リズム読みをすると、すぐに歌えるようになります。
しかし、アクセントは強拍にありますので、気をつけて歌うようにしてください。
いろいろな拍子のパターンで、シンコペーションの練習が出てきますので、拍子に気をつけて、どこが1拍なのかを考えて歌うようにしてください。
中でも、8分の6拍子と4分の3拍子で、同じメロディーであれば、拍子が違うだけなので、気をつけて歌わないと、同じものに聴こえてしまいます。
アクセントをはっきり歌うように、心がけてください。
はじめはテンポをゆっくりして歌うと、早く、慣れると思います。

○ピッチ、音感、リズム
一つひとつの音を大切に歌うようにすると、ピッチがよくなると思います。
例えば、のばしている音の母音をもう一度言い直すやりかた、また、テンポを遅くして歌ってみるといいと思います。
体の支えがしっかりしていない、というのも原因ひとつではないかと思われます。

拍の数え方も、どこが一拍なのかをきちんと数えられるようにするために、指で数えるようにしてください。
音感は、集中力の問題もあります。
「ドレミ」で歌うと音の響きは散りやすいので、「ウ」、「オ」「イ」など、母音と統一して歌うと、もっと定まるかと思います。
リズムに関しては、複雑なときは、必ず、音をとる前に、リズム読みをしてください。
そのときも、必ず、ポンポンと漠然に拍をとらえるのではなくて、指で数えるようにしてください。
跳躍する音は大変に難しいですが、どうしても取れないときは、楽譜の終わりから歌うのを、何回かやると、スムーズにできます。

○拍の数え方
これから、複雑なリズム、音型がたくさん出てきます。
その対策として、まず、拍を指で数えるようにして、どこが1拍目なのかを把握できるようにできるとよいと思います。
一番わかりやすい方法としては、左手で拍を数えます。楽譜は左から右に読みますね。だから、同じように左から右に数えます。
4拍子だったら、薬指が1拍、中指が2拍、人指し指が3拍、親指が4拍というように数えるのです。
楽譜に、左手を置いてみてください。そうして、一拍、二拍と薬指から数えると、楽譜と同じ方向に拍を数えることができます。
跳躍する音程も、とても難しいです。どうしても、うまく歌えないときは、そこだけとり上げて練習します。楽譜どおりに歌うだけでなく、楽譜の終わりから(つまり逆から)歌うと、その音型になれて、スムーズに音がとれるようになると思います。

○ピッチが下がる(1)
微妙にピッチが下がってしまう。
その原因は、支えがしっかりしていないこと、また、音程が変わって響きが変わってしまうこと、集中力が欠けてしまっていることに原因があります。
支えに関しては、中腰になって歌ってみるのが、有効です。
一度、息を入れて、お腹をその状態を保つようにしてみてください。
響きを統一するのには、「リ」や「ウ」で歌うのが有効です。
そして、どうしてもうまく歌えないところは、集中して練習して、十分に気をつけて歌うことがいいと思います。
どうしてもとれない音程は、どれない音のところで、止めて、音を確認してみてください。

複雑なリズムで、音程がうまくとれない場合は、そのリズムをいろんなリズムに変化して歌ってみるとよいと思います。
たとえば、付点のリズム、16分音符などに変化してみるとよいと思います。
最初から、早いテンポで歌わず、ゆっくりの速さで歌うことをすすめます。
また、息がしっかりと流れていないのも、音程が下がる原因にもなります。
よくブレスをして、歌ってください。

○ピッチが下がる(2)
だいぶ、音の感覚がつかめてきたように思います。
全体的に低い感じがするときは、高めを意識してみてください。
「ファソファ」、「ミファミ」など、上がって下がる音は、もとの音よりも高めの音程を意識してください。
長い音符は、音の高さを維持するのが大変です。
「ファア」、「ソオ」、など母音をもう一度言い直すようにすると、音の高さが維持できると思います。
「ラ」、「ソ」など、高い音は、思い切り、声を出してみてください。それで、正しい音で歌えます。

リズムに関しては、だんだん複雑な課題が出てきます。
もし、難しかったら、歌う前に、音をつけないで、音符だけ読んでみてください。
すると、リズムがスムーズに理解でき、歌いやすくなります。

どうしても音程がとれないところは、その音のところで止めて、音を確認してください。
楽譜の終わりから歌ってみるも効果的です。
あるいは、母音を統一して歌ってみると、響きが統一され、音程がよくなります。(KW)

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★全員に
「ヴォイストレーニングがわかるQ&A100」
「ヴォーカルの学び方」
かなりの質問が網羅されているので、各自読んでおいてほしい。
レッスン等では、質の高いQができるように。

★歌手志望
「ヴォイストレーニング基本講座」
「ヴォイストレーニング実践講座」
ある程度、理解し、並行してレッスンも受けていければ、自分でのトレーニングメニュも作れる本。

★声優・俳優志望
「声優入門トレーニング」
「ヴォイストレーニング基本講座」
「声がよくなる簡単トレーニング(CD付)」
「声がみるみるよくなる本(CD付)」
CD付については、各自、自主練に使えます。

★趣味・一般
「声がみるみるよくなる本(CD付)」(HR)

○発声編
発声パターン1 ハミング
音を鳴らす前に留意するのが、口先だけでハミングするのではなく、鼻啌の上から音声を発するイメージを持つことです。しっかりとハミングしてください。低音部では人によっては鼻の骨が振動してビリビリとした感覚が鼻にくることもあります。
このハミングを用いてドレミレドやドミレミドやドミソミドやドレミファソファミレド等を用いて喉のウォーミングアップを始めます。
各々の発声パターンの一番高い音を山の頂上と考えましょう。確実に到達するようにはどうしたらよいのか。息の流れ、低・高音部を出しているときの身体の変化、ポジションの違い、必要とする勢いを自身の身体に向き合い体感している感覚を分析し、「自分を知る」ことも必要です。
なぜ「知る」ことが必要なのか。それは「知った」上でできるだけしぜんに発声を行おうと努めることと、無意識なまま、ただ何となく発声を行なうのとでは、大きな違いがあるのです。

○N音を使う
ドレミレドやドレミファソファミレドを「NO(ノ)」「NA(ナ)」「MO(モ)」「MA(マ)」で発声します。
始めの音のみ子音をつけて、あとはO(オ)やA(ア)で歌ってもよいでしょう。すべての音を子音つき(ノノノノノ、マママママなど)で歌ってもかまいません。
N子音を用いて発声する際は、このNをしっかり鼻にかけるあんばいで声を出してください。鼻や鼻筋にかける(声を通す)イメージと、意識的に持って行なうのが効果的です。
文字にすると「んのー」となりますが、この子音のNがダブルN(NNO)であるかのごとく発語して感覚を取り入れてみてください。高音部よりは低音部の方が、上記に関してはつかみやすいと思われます。
N子音を用いるのが、まだ慣れない場合(鼻声のようなかんじがして、違和感があるなど)は、先にM子音を用いる方にトライしてみてください。ただし、意識的にM子音をしっかりと発語することは、NMに関わらず、共通するポイントになります。(IN)

○声帯への負担のかけすぎに注意
この練習をしていると、歌うときにはこのようなフォームをしないと考える方がいると思います。それは全く検討違いです。この練習はあくまでも、体で感じるために、大げさにやっているのであって、この「声帯が鳴っている」という実感がつかめれば、実際に歌う時になっても、しぜんと音源が声帯から発するようになります。この音源がしっかりしていれば、それだけで十分に声の響きが生まれるのです。
ただ、30分以上もこの練習のみを行うと、声帯が疲れてしまいます。声帯が振動することが分かったら、今までだしていた声の半分(メッツア・ヴォーチェ)にするのです。

○メッツァ・ヴォーチェ
このメッツァ・ヴォーチェは、口の開け方・舌の状態はそのままで、声帯の振動を変えず、音量だけを減らすのです。しかし、ここで、音量を減らすことだけを意識して、振動をなくし、息を抜いてただ小声にるすことではありません。音源である声帯の振動はそのままに保ちながら、メッツァ・ヴォーチェにすることです。
次のような表現をされた声楽家の先生がいます。
「pは弱く、fは強くではなく、pは緻密に、fは拡がりをもって。」
まさにこの表現のごとく、舌を出して振動していた状態をそのままに、その響きを残したまま音量、つまり、息の量を減らすだけなのです。そして、その息の良の変化がpからfを作りだすのです。

○音階を正確にとる
始めのうちはメッツァ・ヴォーチェではなく、しっかりとした音量で音階をとりましょう。
鼻歌のように何となく音程をとるのではなく、しっかりと発音し、音階を正確にとることを目的としています。スケール(音階)の練習メニューをいくつかあげるので、解説を基にできるようにしていきましょう。

声は楽器といわれます。ヴァイオリンなどと同様、まずは楽器自体(ヴァイオリンなら弦、ピアノも弦、声ならば声帯)鳴らし、音階を自ら自由に弾ける(歌える)ようにし、さらには、様々なテンポ・リズムにも対応できるようにしていきましょう。この音階の練習は、ピアノの「ハノン」という教材と同様、基礎となるのでしっかりと身につけましょう。

●「声帯を使う」という表現について
発声や歌(ヴォーカル)などの関して書かれている本の中での表現は、実に抽象的なものが多いです。
私の実際のレッスンにおいても、発声の基礎中の基礎は「声帯で発音・発声をする」ことと言っています。この「声帯を使う」という表現で、ピンとこない方も多くいると思います。
これらのことばは指導者の経験・見識によりニュアンスが様々で、受講者にとっては理解しにくく、また困惑することも多々あると思います。
理屈なしに口伝のように体で覚えてもらうのが一番よいと思います。
しかし、限られたレッスンの中で自宅でも意識しながらトレーニングができるようにと言葉で表現せざる得ないのです。
そこで先に述べたような「声帯を使う」という表現を、他の発声の本で書かれているいくつかの表現をあげますので、照らし合わせて、自分が納得しえる表現を見つけてもらいたいと思います。

「声帯を使う」
「声帯を鳴らす」
「声帯を振動させる」
「のどを開ける(あくびをした状態で)」
「卵を丸呑みにしたように(のど仏を下げた状態)」(KD)

○クレッシェンドをする
音量はメッツァ・ヴォーチェ(半分の声で)で、これをmpとすると、さらにその半分の声、つまり普段会話をしている時の4分の1の音量をppとしましょう。
この時も、ただささやくのではなく、「pは緻密をもって」に対し、ppはさらに細心の緻密さを意識してください。
ppでもピッチをとった上で、息の量を増やし、クレッシェンドしていくのです。この時、息の流れを速くするだけであって、決して力で押したり、息がもれるようなことがあってはなりません。
音量を上げる、つまりクレッシェンドしてfにもっていくということは、ppの音から拡がりをもつということで、単に強く出すということではないのです。

例えるならば、ステレオの原理と同じです。声帯は音源であり、息の流れ(量)が電流でです。音源にスイッチが入っていない状態(声帯が振動していない状態)でいくら電流を流しても(息を吐いても)音はなりません。その逆も同じで、音を上げたい時は電流を流してあげてください。

ここで重要になるのが脱力感です。お腹に力が入っていたり、首に力が入って喉が閉まっていたりすると、息の流れの妨げとなり、自由が効かず、音が拡がっていきません。お腹は常に柔かくしてください。(KD)

○フォームの見直しを
発声の時でも、姿勢・力のバランス・脱力感などは普段歩いている時のフォームが理想です。
声を出そう、歌おうとすると、アゴがでてきたり、肩に力が入ってしまう人をよくみます。歩きながら鼻歌を歌っている姿を思い浮かべてください。
歩いている時は実に自然な状態で、声の支えのみがあって、他はすべて脱力しています。いきがってアゴが出ていたり、肩をはっている人はいないのではないでしょうか。その状態では不自然というより、そもそも歩く動作に無理が生じると思います。歩く動作が自然なのは、無駄な力がないのであって、歌う時も同様に無駄な力は禁物です。
歌おうとせず、呼吸の延長を重い、脱力をしましょう。(脱力するという意識よりも、力んでいないか確認するくらいでよいでしょう)

○音の高低差をなくす
今まで音程をとるということに重点をおいてきた人は、少し音に動きをつけてみましょう。
ド→ミ→レ→ドというフレーズを母音で歌いましょう。始めのうちは「エ」で行い、安定してきたらすべての母音でできるようにしてください。
この練習の目的は、ド→ミ(長3度)という音の跳躍の際、同じラインで歌えるようにすることです。無意識に普通に歌うと、音が上がる(ド→ミ)と共に喉仏も上がってしまい、喉が閉まってしまいます。この練習では口先で楽に歌うのではありません。

○「ド」のポジションのまま「ミ」を発声する
同じポジションとは、舌も平らでこめかみも開け、喉仏も下げた状態にあることです。気をゆるめると、音が上がるにつれ喉仏が上がってしまい、ラインから外れてしまい音色が変わってしまいます。
喉仏が上がっている時の声は、浅く薄っぺらい声になっています。どの音域を歌おうが均一の太さを保ち、音色の価値をすべて同じにして欲しいのです。言い換えれば、低音の深い響きを高音でも変わることなくだせるようにしていきます。
これも前文同様、一音づつ上がっていき、まずは1オクターブをしっかりとできるようにしてください。無理に高音までだそうとしなくて結構です。実際に歌おうとすると大変難しいことです。しかし、これができるととても深く安定した声になります。
この母音でラインを崩さず歌えるようになったら、次は応用として「マリア」という言葉を用いて練習してみましょう。

○母音唱法「マリア」
ド→ミ→レ→ドの音程に合わせて、マ→リ→イ→アと言葉をつけて歌ってみましょう。
この練習は言葉の仕組みと深く関わっています。言葉は子音+母音で成り立っています。基礎となる母音(a・e・i・o・u)の連なりなのです。
まずは母音のみで、ア→イ→イ→アと音程をつけてください。この時も前記と同じように、ド→ミ、つまりア→イの音が跳ぶ際、喉仏も上がって響き(ライン)を変えないように注意してください。

次にこの母音唱法ができたら、子音をつけてM(マ)・R(リ)ください。
言葉からイメージできると思いますが、マリアのMはダブルMのように息を溜めて破裂させる発音はしないでください。常に呼吸の延長です。
この音の跳躍ができたら今度は音の下降線に注意をしてください。ミ→レ→ドと音が下降する時は緊張感が緩み、ラインが響きが落ちている場合があります。マリアの「マ」の入りと終わりの「ア」はポジションも響きも同じになるようにしてください。頭でっかちになったり、尻すぼみになることがないように注意しましょう。これも低音から始め高いドの辺りまでとし、無理に高音を出そうとしないでください。

○ド→ソ(完全5度)の跳躍
いよいよ普段よく耳にする発声法に近づいてきました。しかし、ここにくるまでは相当の辛抱と毎日のトレーニングが必要だったと思います。単に声を出すだけなら、これまでのトレーンングなんかは無視し、これから行う発声にとびつきたくなるでしょう。しかし、それはただの真似ごとに過ぎず、何の意味も持ちません。しいていえばやったつもりの満足感を得られるくらいでしょうか。ここから始める人と、前過程を一つひとつ、きちんと身につけた人では、これからの伸びに数段の差がつくことは明らかでしょう。それでは、そのトレーニングに進んでみましょう。

ここからの練習のキーワードは、「完全5度」です。詳しい説明は避けますが、要するにド→ソの間の関係です。
このド→ソ(完全5度)は人の耳に快く聴こえ、また安心感を与えます。
例えるなら、音階における大黒柱のようなものでしょう。主和音(ド・ミ・ソ)が柱であり、その間にレとファが経過音と呼ばれるものです。特にドとソがしっかりと音程が固定されていないと、そこへ向かおうとするときにすべてが迷ってしまいます。道しるべがなくなり、とても不安定になって、音としては低くなったり高くなったりと、聴いている人達を不快にさせてしまうことになります。

○完全5度を安定して歌えるようにする
1.ド→レ→ミ→ファ→ソ→ミ→ド
2.ド→ミ→ソ→ファ→ミ→レ→ド
3.ド→ミ→ソ→ミ→ド
4.ド→ソ→ファ→ミ→レ→ド
5.ソ→ド→ソ→ファ→ミ→レ→ド

このように、いくつかの音を、5度音程をレガート(なめらかに)で発声をします。最終的には4や5で、スムーズに5度をとれるようにしてください。この時、単に音程をとるのではなく、毛筆の一筆書きのように、始めはなめらかに入り、除々にスピードを上げます。終りまでライン・色を変えずに一つのまとまりを作り上げてください。

歌い手は声を発することが職業です。同じく、文筆家は文字を書き、政治家は弁論を持って、何かを伝えようとします。その文字でも言葉でも、何かを相手に発せられた瞬間、人の耳・人の目に入るものに関して、責任をもたなければなりません。同様に歌い手も、単に声を発するのではなく、常に責任を持つ意識を忘れないでください。

○完全5度から完全8度へ
これまで長3度(ド→ミ)と完全5度(ド→ソ)の跳躍を練習してきました。今回は完全8度(ド→ド・)、つまりオクターブの練習です。普段、歌われる曲では、オクターブの跳躍はあまりみられません。それゆえ、オクターブがある時は、歌の聴かせどころであり、技術の見せどころとなるでしょう。
この時、今まで行ってきたように、クレッシェンドをもって、音色を変えず、このオクターブを歌いこなした際には、とても魅力的なものになるでしょう。
しかし、その練習とは前課程の跳躍練習と何ら変わりません。
喉仏を上げず、力で押さないことです。

横隔膜は肺と内臓部位を分ける境目にあります。息を吸うと横隔膜は下がり、息を吐くと上がってきて元の位置に戻ろうとします。
具体的な感覚としては、しゃっくりをしている時を思い出してみてください。鳩尾(みぞおち)辺りが動く感覚を覚えると思います。これは横隔膜の痙攣によるもので、しゃっくりが出る(息を吐く)時に、もち上がるのです。普段の呼吸はもちろん、歌の時でも、ブレスをして下がった横隔膜は歌っている最中に、どうしても上がってきて、除々に浅い声になってしまいます。

○横隔膜を下げる
腹式呼吸でたっぷり吸って、お腹の中に空気で満たされている状態を、歌っている時も保ちましょう。通常のフレーズの時は、丹田を意識して、息の流れに合わせて、お腹もへっこませていきます。(ただし、無理やりではなく、あくまでも自然な状態で)
しかし、ここの課題であるオクターブの跳躍などの時は、息の勢いが必要です。
そのため、その踏み台となるものが横隔膜です。音を上げる=息の量を増やすわけですから、必然的に横隔膜も上がってしまいます。しかし、その原理に逆行して、横隔膜の位置はそのままで、音を上げる時は山の裾のごとく、下に広がっていくイメージをもってください。

○オクターブの練習法
1.ド→ミ→ソ→ド・→ド
2.ド→ソ→ド・→ド
3.ド→ソ→ド→ド・
4.ド→ド・→シ→ラ→ソ→ファ→ミ→レ→ド

完全5度の跳躍練習と同様に、いくつかのステップを踏んで、最終的には、オクターブの跳躍を出来るようにしましょう。
単に声を前に出すのではなく、前記の横隔膜の意識を大切にして、自分の体を通り、足元に広がっていくようにしてください。
そこで注意することは、横隔膜を下げることに意識して、ポジションまで下げて、音色まで変えてしまわないように心がけてください。同じラインで飛躍することが条件です。
この横隔膜を下げる意識は、声に深みをもたせ、張りのある安定した音程をつくることが狙いです。跳躍の練習すべてに言えることですが、一つのことに固執しすぎて本末転倒にならないように気をつけてください。すべて一つひとつの積み重ねです。

●声は背中から出す
9月号の会報にとてもよい感想があった。長渕剛の「声は腹から出せといわれるが、背中なんですよ」というひとこと。私はこの番組を見ていないので、氏がどの場面についてこのひとことを言ったのかは知らないが、発声についての極みの発言であるように感じる。
私もレッスンで初回の導入として呼吸法のさわりを行なう。お腹に空気を入れるというのは皆行なっていることだろう。私はそこで、背中にも空気を入れるようにしてもらう。医学的に背中に入れるという表現は間違っているかも知れないが、その感覚を身につけてもらう。
呼吸法に関しては、レッスン時間を費やして呼吸法だけマスターしたとしても、歌のときに活かせなければ意味はない。その場でできたとしても、じっくりと時間をかけて毎日続けなければならない。
そして、いつの日か歌を呼吸がしぜんと結びつき(テクニックとして)、腹式呼吸を終え最後の一息を背中で支えられるようにする。これは歌いこんだ人でないと得られない感覚である。決して筋トレを頑張るのではなく、呼吸と歌声が結びつくよう歌いこんでいってほしい。(KD) 

<Q&A>

Q.「平井堅のように歌いたい」

A.ものまね番組が今も続いていることは、視聴者を楽しませる要素がそこに含まれているのでしょう。しかし、私はどうも好きになれないのです。というのも、今は亡き方のものまねをされるならまだしも、現在いる方のものものまねを見るのであれば、本人を見た方がよっぽどよいと思ってしまうからです。ただ、番組はエンターティメントであるわけで、それなりの意図(視聴者を笑わせるなど)があるのでしょう。
しかし、一般の方が誰がしのように歌いたいとするのは、とても危険だと思います。あこがれるのはよいのですが、人それぞれ持っている声帯、体型など違うのです。矯正してまでまねていくより、まず自分の持っているものを生かし、作り上げていくことがより魅力的なことだと考えます。それこそ、まさに個性だと思っています。もし、誰かのように歌いたいと思うならば、その方のよい部分、技術、音楽的センスをまねてください。しかし、多くはくせのある部分を個性と思い、そこにあこがれてしまうのですが、本質を見抜く力をもちましょう。

Q.「正しい発声がわからない」

A.声はどんな出し方でも音が鳴れば、声を出したことになります。要はその出す音の質の問題なのです。
私の場合、その質とは「声帯がしっかりと振動した深い声」と認識しています。誰のまねでもなく、その方にしか作り出せない声質を知って欲しいのです。
第一に「声帯を振動させる」ということですが、人それぞれ太さも、長さも、違う声帯という楽器をもっているわけですから、それを充分に鳴らすのです。ここが個性なのです。皆、顔を違うように声帯も違うので、まず自分の声帯はどんな音を出すか知り、それを受け止めてください。出したい声と出せる声とは違います。
次に「深い声」です。喉仏は常に下げた状態で、音が上がってもキープしてください。ファルセットでは例外ですが、それ以外の低音、中音、高音(ある程度のところまで)はポジションを一定にし、音のラインが崩れないよう低音時の深い声を保ってください。深い声とポジションが落ちた低い声とは全く違うものです。
この辺りは第三者に聞いてもらわないと誤った方向に進んでしまうので注意が必要です。
「声帯の振動」と「深い声」は、重要なテーマなので常に頭に入れておいてください。

Q.「レッスン時の声の出し方の良し悪しの判断基準について」

A.声はたった一声でも、口の形、ポジション、響かせ方など、様々な条件下でいろいろな音質をつくり出させてしまいます。そのため、どの音色が正しいのかと判断に迷ってしまうものです。
クラシックの声楽の場合は、伝統芸能のため、型があり判断の基準は一定なのでわかりやすいところもあるでしょう。ポピュラーの場合、ある種のくせが個性と捉えられることがあります。そのため、「あの人はああいう発声をして、ああいう歌い方をしているから」などと、一定の歌い手を基準にするのはとても危険です。
しかし、発声、つまり声の出し方については、まったく変わりようがないのです。音楽表現の違いこそはあるでしょうが、基本は喉を開くこと(喉声ではない声帯を使った声)(喉仏を下げたままにする)による深いポジションと深い声、またそれらを支える腹式呼吸です。
その三点は、クラシックもポピュラーも変わらないわけで、それを歌にどう生かすかが問題なのです。私はそれらに基準をもっています。(KD)

Q.「発音の仕方が低音部や高音部など場所によって変わってしまうのですが。」

A.発声の仕方や方法が、音の高さによって少しずつ変わっていったり、微妙に変化するというのは当然です。むしろ、どのような音であってもいかに「無理なく無駄なく」よい音が出せるのかが重要ではないかと思います。
低音部のポジションのままで高音が綺麗に出せるわけではありません。
音が上がるにつれて、また下がるにつれて、声を出している自分はどういった状態にあるのか、支えはどう変化しているのか、口内の空間は、息はどう保っていっているのかなど、自分自身の状態を細かいところまで感じとり、知り、分析して活用していくことこそが必要です。

Q.「高音になると声が引いてしまって音量が小さくなってしまいます。高音を声量を落とさずに発声するのにはどうしたらよいでしょうか。」

A.声を引いている感覚があるのであれば、声と息を前に流す方向にしていきましょう。ただし、声を前に出す=喉で押す、ではないので注意してください。自分の得意な母音を用いて(注:どんな母音でも縦に発語するのを忘れずに)、2点ハ音近くから単音づつロングトーンで伸ばします。
5,6拍をめどに行なってみてください。この時、音量は減衰させずにクレッシェンドする様に徐々に膨らませていきます。喉だけで音量アップしないようにすることが注意です。しっかりと横隔膜や丹田で支えて、息を身体の芯から流すことで、自分の声を膨らませてください。
声量を身につけることはある程度の時間、年月を要することす。無理せず少しづつ、継続して練習していきましょう。ボリュームが増してきたら、さまざまな発声練習と組み合わせた時に、その高音がボリュームダウンしない様に連結させていきましょう。
ひいては各人が目指している分野の曲に活かしていければよいです。どんな分野であれ、響きある豊かな高音は、人々の心を動かすものだと思いませんか。

Q.「発声の時に、音階が下降していくと音程も下がってしまう。不安定になってしまうのですが。」

A.音自体が下がっていくのですから、ちょうどよい高さの音程を保つのは難しいことです。慣れましょう。
音が下がる時には逆に身体のポジションや気持ち(ピッチが下がらないようにする、という意思)は、上に昇る、昇っていくというイメージを持つことです。イメージを持つだけでは、と思われるかも知れませんが、意識的に音が下がらないようにと、思うことで身体はそれに必要な体制をとるべくして近づき、動くのです。無意識ではなく意識的に、意図して行うことが効率的です。これを繰り返し、いつしかしぜんと無意識でできるようになってはじめて、身についたと言えるのではないでしょうか。

Q.「苦手意識のある音を歌う時、きちんと出そうとすると躊躇して遅れてしまうし、勢い出そうとすると乱暴になってしまいますが、どうしたらよいでしょうか。」

A.その苦手な音やその音の周辺を一音一音取り出して、ピアノ・キーボード等に合わせて歌います。
自分の得意な母音で練習するのが良いでしょう。丹念にピアノ・キーボード等の音程と合うまで繰り返しましょう。
内容(=声の中身)はどうであれ、まずは音程の正しい声を出して、自分ののどから「ダイヤの原石」を取り出すのが大切です。そうしたら次は原石を磨きにかけましょう。
勢いや思い切りのよさだけでなくソフトに、またはメッツァ・ヴォーチェ(半分の声)でも使いものになる声を目指して、子音を混ぜ(N・M・P・L等)母音と組み合わせたり、周辺音域を取り込んで徐々に範囲を広げていきます。発声でその苦手意識のある音の違和感が消え、自然に流れて声が出たならば、様々な歌にも応用できることでしょう。

Q.「低い音域を発声したり、歌ったりする時に、声として『鳴って』いるか不安で声が落ちてしまうのですが。」

A.低音部を歌っているという感覚が強かったり、のどが楽器のように鳴っているという感覚を得やすいというのは、胸声(いわゆる地声)という方も多いと思います。胸声が悪いのではなく、歌の中やセリフの中等で、むしろ胸声を使った方が、表現にメリハリ・濃淡がでる場合もあるでしょう。
ただし、発声というのは、自分の声をまず「プレーンに整える場」で自分の「基礎・土台作り」となる場です。そこでは、頭声で低音を充実させていくことも重要なのです。
頭声で密度ある低音を出せたり、使えたりした上で、表現の1つとして、胸声をあえて用いるのと、低音域は胸声しか使えないのでは、大きな差があるからです。普通に一連の発声を行い、一度高音部まで声のポジションを上げてから(発声を)降りていくと、比較的スムーズに頭声で低音が出る感覚も得やすいので、その感覚と糸口に声の芯をつくり、声全体を徐々に(一気には無理です)充実させていく方向に持っていきましょう。

Q.「のどが開く、というのはどのような感覚のことなのでしょうか。」

A.人の感覚は個々違うので、万人にピタリと合う解答は難しいのですが、つかみやすいのは、思いきり大きなあくびした時の状態ではないでしょうか。日本人の場合、あくびをこらえつつ、する方が多いと思いますが、この場合は顔中クシャクシャにして、大きく口を開けてあくびをしてください。舌や舌の付け根もしぜんに下がり、呼吸の流れもダイレクトにのどを通ります。
発声や歌の練習をしていて、ふしぜんな力が入ってしまって、自分でとれない時なども、何どかこの「あくび」をすることで状態をリセットしやすく、また余計な力お抜けていきやすくなります。同時に肺を広げる感覚をイメージしつつ、呼吸も加えると、なお効果的でしょう。のどは声を奏でるパイプとして、常に無理なく開いていますように。

Q.「歌のために睡眠が大切と聞いたことがあるのですが、どういうことでしょうか。」

A.歌は身体が楽器と言われるように、身体の調子は少なからず声や歌に影響すると考えてよいでしょう。年齢が若ければ多少のことは「若さ」でカバーできることもあります。しかし、明らかな睡眠不足では如実に声や歌に反映してしまいます。睡眠によって、喉や声帯にエンジンがかかるまでの時間も違えば、声の鳴り、そのレッスンや練習時間に対する集中力や成果まで違ってきてしまう場合もあるのです。

Q.「声をだしている時、自分の声が正しいのかわからない場合があるのですが。」

A.練習の際はテープやMD等に録音して、自分の声を確認し矯正していきましょう。これは可能ですし、必要なことです。なぜなら自分の耳(内耳)に聞こえる声と、実際に発して外(空間)にでている声の感じは異なるからです。そこで、自分の声を聞こうとしてしまうと、声は内側に、奥に引っ込んでしまうからです。

Q.「日頃あまりトレーニングする時間がとれません。少しの時間でもできることは何かありますか。」

A.どこでもできる方法としては、ハミング(鼻にかける・あてるようにしっかりと)があります。入浴中、家事中、移動中など、いつも行っている発声パターンをハミングで、また練習中の曲の苦手な箇所をハミングで、繰り返しやってみましょう。この際、音量の大小は関係ありません。音が小さかろうと何であろうと、歌や声のこと、音楽のことを意識している、思い出して考えているという事実が大切なのです。

Q.「歌っているときに息もれしている場合があるのですが。」

A.過剰に息がでていれば当然、シャーシャーと息もれしてしまいます。声を息のバランスを同等にすること、そして声を拡散せず、「集めて」(のどで集めることではありません)、「集める」という意識を持った上で、再度、声にしたり、歌にしたりしてみてください。意識と無意識の差は大きいことも、同時にわかると思われます。

Q.「アエイオウという5つの母音の中で声に乗せやすい母音と乗せがたい母音があるが、どのようにしたらよいか。」

A.まず一人ひとりに得意な母音と不得意な母音があると思います。どれが得意でどれが不得意なのかも異なるものです。
「苦手だ」と思っていると、その意識を取り除くのは、結構難しいことです。まず声を出すとき、声を整えるときは、自身が出しやすい母音、できるだけしぜんな状態で声を鳴らせる母音をチョイスしてみてください。
次にその得意な母音を歌った状態・ポジションのまま、不得意な(苦手意識のある)母音を当てはめて声を出してみてください。
ただ、普通に苦手な母音を練習するよりかは、幾分感覚が違うのです。得意と不得意を交互に繰り返すことで、身体や喉、声のどういう部分が得意な母音と不得意な母音とで違うのかという分析もできます。そこから、改良、改善していくヒントを自分で見出しやすいとよいと思います。

Q.「高音になると声が小さくなってしまいます。無理やり出そうとすると喉が痛くなってしまいます。どのようにすればよいのでしょうか。」

A.高い音が苦手という意識があると、歌っているときに高音に差しかかれば、萎縮したり、心や身体の中で上記のような意識が出てしまいます。それだけでしぜんな状態ではなく、何かを意識した状態になるわけですから、声に少なからず影響が出ます。
苦手、萎縮などの感情が、気後れを引き起こすと、通常のように声が前へ流れないことと思います。そのため自分の苦手因子を取り除くことです。
これは歌、発声の場合、決して容易なことではないと思います。自分の声の悪い箇所を矯正し、更に高めていくには、無理やり知からづくでやるのは論外です。継続された長い間の訓練が大切です。ゆっくりと、しかし確実に声を磨いていきましょう。

Q.「声量を大きくしていきたいのですが、大きくしようとすると息がもれてしまっている感覚があります。」

A.恐らく声の容量より息の容量の方が上回ってしまっているためでしょう。「シャー」と息もれしてしまい、声に息が反映せず、声が思ったほどには鳴らないという状態ないのではないでしょうか。息がもれそうと思ったり、感じたときは、声を集めてみてください。集めるというのは、喉をつめるのではありません。イメージとして水道のホースを軽く押さえると水は勢いよく飛んでいく。この場合、ホースは身体〜喉〜体、水は声と置き換えて考えられるでしょう。少し調節をしてあげるのが、大事なことです。
生の声は短時間で、いきなり声量が増えたり、グンと格段に大きくなるわけではありません。少しづつ自分の可能性を広げるつもりで、正しい方法を用いて、ゆっくりと、しかし確実に、豊かな声に育てあげるようにしていってください。

Q.「高音を出すときに、喉がつまってしまう感覚があります。下の音と歌うときと同じように無理なく楽に出せるようにするにはどうたらよいのでしょうか。」

A.音の高低に関わらず、喉がつまるというのは余計な力が働いてしまっていることなので、できるだけどそうならないようにしていく必要があります。
発声、曲の練習など声を出す前に、一つの方法として、「あくび」をしてみましょう。日本人には多いのですが、こらえて「あくび」をするのではなく、できる限り大げさに、オーバーに、顔中をくしゃくしゃにするくらいの勢いで、意識的に「大あくび」をしてください。
そうすると、口の中が広がっていくだけでなく、軟膏蓋も縦、そして上にあがり、たっぷりと息(空気)を含むことで、喉周辺や顔の筋肉もほぐれていきます。ほぐれるということは、余分な力が抜けるということですですから、一度リラックスさせてから、再度チャレンジしてみてください。「あくび」一つでも変化していきます。

Q.「低音部になると声が上手く定まりません。どのようにしたらよいでしょうか?」

A.声が定まり難い原因のひとつに、「声が拡散気味」であることが考えられます。       
どういう時に声が拡散するかといえば、口が必要以上に開いている・息を多く吐いてしまっている…などが挙げられ、また拡散ではありませんが、腹筋や横隔膜の支えがふらついたり、無い場合だと声が揺れて定まり難くなってしまいます。
低音部と高音部を出す際に、はっきりと区別した様に口の大きさを変える必要はないですが、全て同じ大きさの口では低音部・高音部どちらかに支障をきたすのは目に見えています。(例:高音部を出している口の状態そのままで低音部を出そうとすると、出し難い・フワフワする…などの声になる。)
音の高低に関わらず、口は「必要な分」だけ開いていればよい訳ですし、低音部の場合は、その音に焦点を合わせ(=狙いを定めて)、声を出す為のエネルギーを注ぐ。これが「集める」ということです。集めてあげることで低音部には変化が出てくると思います。 但し「集める」と「詰める」は決して違うものです。混同しないよう、気を付けて訓練していって下さい。

Q.「発声を続けて練習していると、合っているのか、とわからなくなる時があります。迷った時はどうすればよいですか。」

A.レッスンの時は、発声の事で「できた」「つかんだ」と思ったり感じたりしても自宅やスタジオで改めてやってみると、その良かった時の感覚や身体の状態に近づけなかったり、「せっかくあの時わかったと思ったのに」と、まるで獲物がスルリと逃げてしまったかのような気持ちになることはあると思います。
まず声を出したり、発声練習をしていて「ん?何か違う。何か変だ。」と違和感を憶えた時には、一旦ストップしてみましょう。(注:違和感を憶えたまま続けても、それは逆に間違った方向に声を連れていってしまいかねません。 無理して喉を痛める事だけは避けたいものです。)
そして、改めて理想の状態や、思い描いていた声に近づくにはどうしたら良いか、冷静に自身の状態を【分析】しながら、再度声を出していって下さい。
”じっくりと”時間をかけてかまいません。むしろじっくり行う事で確実に各々の理想に届くようになっていくことのほうが近道です。
ただし言葉は悪いですが、どつぼにはまった時、こうなったら、次回レッスン時にその状態をできるだけ詳しくトレーナーに話し共に解決していくのが望ましいと思います。(IN)

Q.「音域はどのくらい拡がりますか。」

A.音域は正直、一概にここまで拡がるとは言い切れません。しかし、音域の捉え方はしっかりと持つようにしてください。
音声学には「低声区」「中声区」「高声区」に分かれます。基本的に低声区は持って生まれた声帯で決まってしまい、下にはあまり拡げることはできません。その代わり高声区で音域を拡げてあげるのです。
低声区と中声区は声帯を振動させた、いわゆる地声(喉声ではない)で音を作ります。しかし、そこには限界が出てきます。その音より上を高声区と捉えてください。このあとはすぐにファルセット、裏声といく方が多いですが、その前にジラーレという一種の鼻空共鳴があります。このテクニックを身につけると、4度くらいは出るようになります。その後、声帯の振動に限界が来たとき、ファルセット、裏声に移るようにするのです。
ですから、低声区から中声区で2オクターブほど、高声区のジラーレで4度ほど、ファルセット、裏声で1オクターブほど、と考えればおおよそ3オクターブ半くらいは出るわけです。これだけ出れば届かない曲はないわけです。しかし、届けばよいというものではありません。音色に統一感を持たせることが必要です。(KD)

Q.「どうしても喉声になっていまします。どうすれば、腹式呼吸ができるようになりますか。」

A.喉声であるという自覚があるということは、発声に疑問を持っているということですね。疑問を持てたことで問題は解決の方向へ大きく前進しています。普段の話し方、言葉の発音から変えていきましょう。どうしても「歌う」ことを意識して歌いだすと、ふしぜんな声になりがちですが、「A」「I」「U」「E」「O」をはっきりと遠くに届くように、繰り返し、山びこのように発声してみましょう。普段使わない腹筋や、あごの部分が痛くなると思います。声を出すのには、これだけ「体を使う」ことを実感するでしょう。この感覚をしっかりつかんでレッスンにのぞんでください。
次に、腰に両手を当てて側面が横に広がるように、鼻からゆっくり空気を吸ってみてください。
寝た状態でやると、より効果的です。そして、またゆっくりと口笛を吹く感じで、8秒、12秒、16秒と息を吐く時間を伸ばしていきます。すると、声が息にのってしぜんに、やわらかく、のどに無理なく出るようになります。

Q.「レッスン前に自分で準備できることはありますか。」

A.レッスン時間は限りがあります。レッスンにきて、その日に、初めて声を出すというのではなく、できるだけ前回レッスン中に習得した発声練習法、呼吸法、コンコーネなどを復習して、レッスンにのぞむようにしてください。
忘れないように復習して覚えるというのは、とても大切なことです。毎回、毎回、同じことを指摘されないように、箇条書きにしておく。いつもそれらを持ち歩いて、時間のあるときにトレーニングをしてみるといった工夫もできると思います。自分の中でクリアーできるまでチェックしてください。
楽器と違って歌は歩きながらでも、呼吸と腰の支えの意識、待ち時間でハミングの練習、駅の階段で腹筋トレーニングなど、体を使ってできます。工夫してみましょう。レッスンを受身になるだけでなく、自分でトレーニング法を考えたり、オリジナルの個性を発揮するためにも、レッスンの時間以外にどのような生活を送るのかを研究しましょう。

Q.「自分では気づかなかったのですが、歌っているときの姿勢が片方に偏っているようです。歌に影響があるのでしょうか。またどうすれば直りますか。」

A.レッスンの始めにいつもストレッチを軽くやるようにしていますが、これは体の力を抜いてリラックスしながら体から声が出やすくするための準備です。それと同時にスタジオの鏡を使って姿勢をチェックする時間でもあります。姿勢が悪いと本来ならば息が体をまっすぐ一本通り抜けるところが息の線が曲がってしまい思うように声が出ない、出している割には声が遠くに飛ばない、喉が疲れやすいなどという実感が出てくるようです。
実際姿勢が悪いと体の違う箇所に力が入り、力んで声を出した結果、喉が痛くなるという悪循環がよく見受けられます。体の支えの中心がずれてしまうんですね。
原因としては普段から重いかばんなどをいつも同じほうの手で持って移動していると、気づかないうちに体がどちらかに偏る、座って書き物をしているときの姿勢が悪い、頬杖をつく癖があるなど日常の生活の中で心がければ直ることが多いです。
まずしっかりと両足に均等に体重のウエイトをかけ、鏡を見て体が左右対称になっているかどうか観察しましょう。トレーナーに見てもらうのが一番よいです。

Q.「発声していて声がひっくり返ったり、引っかかった感じになることがよくあります。どうすればトレーナーの先生のようにまっすぐ声が出るようになりますか。」

A.何も準備をしないでいきなり声を出して「歌おう」とすると誰でも体がついていきません。まず自分のペースで軽くストレッチをして体を起こしていきます。これは朝でも夕方でもまずトレーニングの前の習慣として心がけていきます。睡眠はしっかり取れているでしょうか。前の日にたくさん声を使えば、次の日の朝は声が出にくいことがあると思いますが、レッスンの前にはコンディションを十分に整えて臨みましょう。ストレッチをすると声が弾んできます。体が少し汗ばむ、階段を上り下りしたときのような感覚を思い出してトレーニングに取り入れてみてください。

 次にハミングを喉のまわりを優しく潤す感覚で軽く出していきます。この時点で引っかかるようでしたら、トレーナーに質問してみてください。ストレッチをして体と喉の周りがほぐれてきた状態で発声して声が引っかかるというのは、「息の流れ」が止まっている、もしくは足りないのが大きな原因と考えられます。
長距離を走った後や登山をしたとき、自然と話し声が大きくなる経験をしたことがあると思います。これは普段使う以上に肺に空気が入り勢いよく息が「ハァハァ」というより「ハッハッ」と出るからです。息と一緒に声も大きくなります。この時は特別意識していなくても体から声が出ているので喉は痛くなりませんね。ただ結構体の筋肉を使って疲れた!という実感が残ると思います。ヴォイス・トレーニングでも普段からこれくらい集中して体から声が出たという実感をつかみたいところです。イタリアではCantare sul fiato.という言い方があります。日本語に訳すと「息の上で歌う」ということです。常に声が息に乗って前方遠くに運ばれるように歌ってみましょう。

Q.「息の流れを実感するための特別なトレーニングはありますか。」

A.普段話している中で「今息を使って話しているな」とはあまり意識しないかもしれません。歌う前のストレッチと組み合わせてみると効果的です。まず椅子に座っておなかの横に両手を軽くあて、そこに息がたまるように「いち、に」と2秒間で深く吸います。この時よく言われるのが横隔膜を横に広げる感覚を覚えることです。最初は2秒間で息を深く吸うのは難しくコツがいるかもしれませんが、少しずつトレーナーのアドヴァイスに従って慣れていきましょう。次に8秒間かけて均等に息を吐いていきます。この時「均等に」というのがとても大切で、配分を考えてすぐに息がなくなってしまわないように。そのときの姿勢も背中、背骨をまっすぐに肩が上がらないように自然に、を心がけます。
 何回かやってみて慣れてきたら息を吐く時間を12秒、16秒…と増やしていきます。
1分も持ったらブレスの達人といえるでしょう。このようにブレスを自分で自由にコントロールできるように繰り返し繰り返し研究してみましょう。必ず歌声が変わってきます。

Q.「フレーズの最後になると音程が低くなってしまいます。どうすればきれいにまとめられますか。」

A.音程に関する問題、悩みは多くの人から聞かれますが答えはひとつに限られるとはいえません。音階練習でピアノの音をしっかり聞きながら、感じ取りながら発声する、自分でも鍵盤を弾いて一つ一つ丁寧に確かめる、MDレコーダーなどで録って確認する、など改善策はたくさんありますが、録音しても音程が低いことがわかる(気づく)だけでトレーニングとはまた違いますね。やはりレッスンでトレーナーに直接聴いてもらい直していくべきです。結構根気がいります。
原因のひとつは体が出したい声に(またその反対)追いついていないのではないでしょうか。声量があるようでもただ声を出しているだけではおのずと程は下がり気味になりますし、どこか一点に意識を集中させて「真実味」のある声を表出させることが大切です。フレーズも最初は気合を入れて正確に歌っても最後までそれを持続させなければ聴いていて「あれ、テンションが落ちてる。」と受け止められがちです。日々のコンディションもあると思いますがメンタル面と声のバランスを良く保ってレッスンに臨んでください。

Q.「声の調子があまりよくない時に限って練習したくなります。そういう時はやはり声を休めたほうがよいでしょうか。」

A.そうですね、基本的に日々よいコンディションを保つ、ベストを尽くすというのが大切ですが季節の変わり目や、電車に乗っていてたまたま風邪が移った気がする、などふとした環境の変化によって体調は変わります。特に声帯はとてもデリケートで腫れたり炎症を起こしたときは安静が一番です。無理に声を出して、次の日に練習したかったのにできないのでは2日休む事になって、結局我慢して大事をとったほうがよかったのに、という話もよく聞きます。

ですからそのような時は発想を変えて、普段の自分の練習を振り返ってみて文章に書き留めてみたり、トレーニングのポイントをまとめる、発声の本、楽譜などを静かにじっくり読んでみたりという時間に当ててみるのはどうでしょうか。どうしてもレッスンで歌ったら歌いっぱなしで次に同じことを指摘、注意されてしまうパターンがとても多いです。よい声が出てくると嬉しくなってもっと頑張ろうという気持ちは誰でもありますが「あれ、ちょっと声が無理をしている。」と気づいたら、声のためにも早めにトレーナーに相談してください。

Q.「発声していて調子は良いはずなのに声が引っかかる気がします。歌う前に熱い飲み物を飲んだ後、そのようになったのですが、どうしてでしょうか。」

A.よく発声練習のときは冷たい飲み物などは喉を冷やすからよくないといわれます。
確かに身体や声帯が温まってきているのにそこに冷水をかけてしまうのは、アクセルを踏みながらブレーキをかけてエンジンを駄目にしてしまうようなものです。しかし今度は熱すぎる飲み物も声帯を驚かせてしまって、スケール練習などで声がかすれる、カサカサするなど気をつけたほうがよいようです。水分を補給しながら練習するのはスポーツと同じでよいと思いますが、常温かぬるい程度で潤すぐらいにして、「あれ、声がでにくいな」と思ったら、思い切って少し休んで呼吸やハミングの練習に切り替えましょう。どうしても練習したくなって無理をしがちです。腹式呼吸の仕組みなど、本を読んだりしてイメージすることにすると気持ちが楽になります。

Q.「低音域は地声で歌えるのですが、高いド、レ、ミあたりからきつくなり、身体が突っ張って力が入ってしまいます。どうすれば上手く歌えますか。」

A.いわゆる声には「声区」というのがあって高音に行くに従って地声から頭声に移行させチェンジさせる箇所が必ず出てきます。美しいフレーズを歌うためには喉の奥を良く開ける、息と声を柔らかく混ぜ合わせるのですが、最初はコツをつかむのが難しいようです。
しかし最初からできている人もいるんですね。小、中学校のときに合唱をやっていたなど、まわりの人と歌う環境に合わせて自然と身体で歌う習慣がついている人などです。大人になってからはじめようとなると、楽器もそうですが頭を使って理解しようとするので、自分はなんて不器用なんだと思い込んで苦手意識を持ちがちですが、基本から忍耐強く始めて、ブレスつまり呼吸にポイントを置いたトレーニングを行えば必ず声は伸びます。
トレーナーのレッスンを一度受けてみて自分の声ってこんなに変わるのかと実感するところから始めてみてください。

Q.「この間オペラのコンサートを観ました。歌詞や言葉は良くわからなかったのですが、迫力というか声量にびっくりして感動しました。歌手たちはどんな内容の歌を歌っているのでしょうか。」

A.その声の感じは今まで耳にした事のない種類の声質だったかもしれませんね。どこか別世界みたいな、歌詞が分かったらなあという気持ちはよく分かります。大体オペラはセリア(悲劇)とブッファ(喜劇)に分かれていて登場人物の心情を歌うシーンが見所、聴き所としてストーリーの中に何箇所か出てきます。日本語では朗唱、イタリア語ではアリアといいます。歌詞の内容は恋愛や恋人への愛の気持ち、自己の悩み、苦しみから、世の中への風刺までとにかく喜怒哀楽に飛んだ内容が歌われていますね。
その気持ちがとてつもなく大きく激しいのでオペラの中でかなり大げさに、オーバーに歌い上げられます。日常を超えた非日常的と
もいえる舞台演出などが一度観た聴衆の心を捉えて離さないのかもしれません。オペラは、多くの解説書がでているので読んでみてください。(SM)

<アドバイス>

○シンガーソングライターのコピーについて
音楽の世界には大まかに分けると、作曲家・作詞家・演奏家・演出家(プロデューサー)に分かれます。しかし、ポピュラーの世界では売れてナンボのところがあり、これらが厳格に分かれていません。そして、それに加えシンガーソングライターの存在があります。
曲を書く、ということは、それ自体稀有な才能です。しかし、それを歌いこなすかどうかはまた違う次元の問題です。あまりにもよい曲のため、曲が先行しすぎ癖のある歌い方で世に出た場合、その歌い方がよいとされてしまうのです。
その曲を書いたのは本人ですから、どんな歌い方で歌おうとその人に文句はつけられません。しかし、それはそれで、自分が歌うときにどう歌うかは自分自身で決めることです。コピーではいけません。
そういった点で、作曲家と歌手の才能は別で捉えてほしいと思います。結局、歌い手は曲を提供されない限り歌うことはできない存在です。しかし、いざ歌う時に自分の歌声を確立しておけば、それはあなたの作品となりうるのです。

○耳を鍛える
音楽は音の集団です。音は発した瞬間消えてしまいます。音は一瞬の響きのため、自分の出している音に注意深く耳を傾けなくてはいけません。それゆえ、とても神経を使います。
レッスンで音階練習(スケール)をしていて、私はよく「音色を統一して下さい」と言っています。音が高くなるにつれて、低音の響きが失われ薄っぺらくなってしまうのです。それはポジションが浅くなっていることが原因ですが、それを音で理解してほしいのです。もちろん大前提は、体で覚えていくことですが、そこに余裕が出てきたら、自分の出している声(音)に意識をもっていってほしいです。
それはわずかな違いかも知れませんが、よいと言われたときの音が、それ以前とどう違ったか自分の体と耳で敏感に感じてください。一番よくないのは、歌いっぱなしで自分の発した声に責任を持たないことです。そんな音を聞かせられる周りは迷惑となってしまいます。
まずは、自分の発している音程・音色・音質に責任を持つことです。そのためには、自分の耳をもっと研ぎ澄ませることが必要です。

○アンサンブルと参考教材「ポッツォーリ(Pozzori)」
音楽はグループで行なうと厚みが出て、ソロと違った味わいが生まれ楽しいものです。しかし、そこにはある一定のルールが必要となります。好き勝手に歌っては成り立ちません。
そのルールとは音楽の基本である、音程、リズム、テンポです。これらをきちっと合わせることは、至難の技です。そこでユニットなど二人もしくは、それ以上でハモリをしたいときや、ゴスペルなど歌いたいときは、次の教材を使ってみてください。
「ポッツォーリ(Pozzori)」という2声で書かれたものがあります。この教材は2つのメロディが書かれており、うまく歌うとそれぞれ相手の歌が引き立つように考えて作曲されています。日本の音楽文化はユニゾン(一旋律を皆で歌う=単旋律の動き)が主だったため、ハーモニー(いろいろな音を同じに鳴らす=和音の動き)を苦手としています。相手を引き立たせる技術をもつと、よりまとまったものになるでしょう。
ハモリをしたい方は是非参考にしてください。ただし、とても難しい教材で、使用には注意を要します。

○行間を読む
詩の朗読でも、舞台の台詞にしても、間については必ず言われることです。水墨画についても同じです。黒一色に塗りつぶしては何も見えなくなってしまいます。あの、白い余白があってこそ浮き出てくるのです。歌の場合、呼吸・ブレスがこれにあたります。フレーズとフレーズの間は単なる息つぎの休符ではありません。行間なのです。その瞬間にもリズムを感じて下さい。
発声の時も同じです。1フレーズを歌って、半音上がる時の間、ただ呼吸をするだけでなく、その瞬間も時間は流れているわけですから、それを感じ、次のフレーズがゼロから始まるのではなく、すべてが前のフレーズのつながりをもって流れるように歌ってください。発声の時は同じフレーズの繰り返しですから、ブレスの長さはすべて同じ長さで取ってください。たっぷり取ったり、浅く取ったり、と毎度異なるのではなく統一させるのです。そのため前のフレーズが大事になるのわけです。故にすべてのフレーズが同じく、すべてのブレスが同じに歌うということです。違うのは音程(旋律)が変化していくだけのことです。

○型を崩す
ピカソの絵をご覧になられていない方はおそらくいないでしょう。そして、そのほとんどは「ゲルニカ」や「泣く女」など抽象絵画であると思います。しかし、ピカソの初期のスケッチや絵画は実に正確に描写されているものばかりです。天才ピカソはいきなり抽象的な作品を作ったのではなく、そこには絵画の基本が礎としてあるのです。
そこから型にはまらず独自の世界を構築したからピカソは独創的なのです。また、それだけでなく、芯が感じとられるのです。
音楽の世界に話を戻しますと、クラシックの世界でも現代音楽として作品が作り出されています。それは理解不能のものが多いのですが、すべて理にかなった作り方をしています。音楽も基本がそこにあるのです。
歌に関しても同様です。なんとなく歌っているものは、そこに芯を感じられなく、風が吹けば飛んでいってしまうような安易なものです。しっかりとした基本を身につけ、自分の中で芯を構築してください。それから型を崩していくのです。まずはリズム・音程・音楽的記号を正しく歌うことが大事です。そこから、自分はこうしたいと、確固たる芯を通しながら崩していきましょう。なんとなくこう思うから、ではいけません。
  
○マイペースで
時折、「今やっていることは、他の生徒さんはどのくらいの期間でできるようになっていますか?」と尋ねられることがあります。ここは学校ではないですから、いつ試験があって、それまでにできていなかったらダメです、ということはありません。そもそも音楽は時間の芸術ですから時間に敏感になってください。自分で自分の時間を持てばいいと思います。
(福島先生の「Q&A100の108ページ」にあるように、)信じて、待つという真の指導を目指していくのであれば、一つひとつ着実にできる間まで待ち、それから前に進んでいきます。何度も何度もやらせている時はできていないから、別なメニューに進んで違うことをやり始めたらできていると思ってください。
人にはそれぞれ人のペースというものがあるので、学校のように時間割を先に決めてしまい、一律にできるようにさせようとは考えていません。しかし、自分で自分の力量を決めつけてしまい、のらりくらりとやってはいつまでたってもできるようになりません。できる限りの練習はしてきてください。(KD)

○レッスンへのボルテージ
レッスンの限りある時間を皆様は、「自身のため」に充実させて活用していらっしゃいますか?
ようやくレッスンが終わる頃にボルテージが上がってきたということはありませんか?
せっかくボルテージが上がっても、その後、歌えなければ、自身のもっともよい状態、輝きのパワーがある状態を見せたり、聞かせたり、そしてその状態を基とした上でのレッスンを受けることができなくなってしまいます。
自分が1週間ないし、2週間、練習、訓練した最大限の成果に対して、レッスンを受けることで、更なる進歩や効果が期待できるのです。ただ、漫然とレッスンにきて、ただ、講師のいっていることを享受していればどうにかなる、いったものではないということを今一度確認して欲しいと思います。

これはプロを目指しているのか、趣味として学んでいるのかという目的とは関係ありません。何かを習う、学ぶ上での最低限の姿勢として、考えて頂ければと思うのです。
レッスン開始時刻にすでにボルテージを上げた状態にする、つまり自分で自分を「喚起する」といったことは、慣れないうちは確かに骨の折れる作業ですし、慣れたところで自分の健康、精神状態によっては、容易でない時もあるでしょう。しかし、どんな状態でもその時にできる限りのベストコンディションを作ることが、自分を、また自分の能力を高めることにつながっていくのを、いつも忘れないで欲しいと思うのです。(IN)

○声の分析
民放のニュースで、娘を橋から突き落としたとして、再逮捕された女性の「声」について、鈴木松美氏の調査コメントが放映されていた。事件もさることながら、その「人」の「声」の高低による感情や、人格の表れを研究している実態にとても興味を持った。
人間の声には、人を癒す成分を持つ周波数があると、以前テレビで特集していたが、例えば「美空ひばり」の歌声は、他の人には真似できない、科学的に見ても稀有な声紋を持ち合わせていたそうだ。
また、驚いたことに、あの小泉純一郎首相の声には、なんと除夜の鐘と同じ響きを持つ周波数成分があり、あの声を聞いた人の心を不思議な力で癒すらしい。ちなみに、田中真紀子氏の声には全くそのような成分は含まれていないとか。それは、田中角栄の声のDNAからしてみて明らかである。
日本は、声に関しては後進国と言われているが、まず、日本のリーダーが本気で「声」のことに関心を持ち、子供達の教育に当たってほしいと願う。

○イタリアの強さ
2006年はイタリアにとって大イベント当たり年であった。まず、3月に行われたトリノオリンピック。雪に囲まれた開会式で世界3大テノールの1人、L・パヴァロッティが歌ったオペラ「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」は芸術の国イタリアが世界にその芸術性のレベルの高さを知らしめた。
そしてドイツWカップでは、フランスを最後PKで沈め、技術を超えたセンス、能力をまたもや世界にアピールしたのであった。
イタリア人はよく「働かない国民性」と先進国の間でも揶揄されるが、彼らは決して働かないのではなく、自分達の好きなことのために、力を充電しているのではないか。そこには日本の通勤ラッシュの背広姿のおじさん達とは、何か次元の違う「価値観」の質に思いをはせざるを得ない。
氷の上をすさまじいエンジン音と共に、真赤なフェラーリを走らせてしまう様な、アイディア、独創性、おもい切りの良さが今の日本には必要に思えてならない。(SM)


■The message of トレーナー

○日々の練習を大切に
日々の練習の中で見えてくるものがある。
日々の練習の中でなければ見えないものがある。
自分で工夫をして、毎日続けられるメニュを作っていくこと。

日々の練習の中に必ず答えがあります。
また歌うだけが練習ではありません。

あらゆることを自分の中に取り込んでいく努力をすること。
そういう中で感性が磨かれていきます。

思うように歌えないのは
感性を鍛えていないからなのかもしれません。

自問自答してみてください。(HR)

○これから先 歌うのか?
やめてしまうのか? 迷っているきみ。
悩む前に歌おう。
悩んでいる時間があったら歌おう。

なぜ歌おうと思ったのか?
原点を思い出してほしい。

とにかく何があっても歌い続けていくこと。
これに尽きる。

歌が味方してくれるときもあれば
悩みの原因になり敵になることもある。

でも歌を捨てないこと。
歌をきみを成長させてくれる。
歌と共に成長していってほしい。(HR)

○日頃から音がとれないと思っていたりするなら、まず「聞く」ことをできるようにしましょう。
何の音(ドレミの名前)がわからなくてもかまわないので、「何の音が鳴っているだろう?」と気にするようにしてください。
レッスンの時だけではなく、テレビを見ていても、街を歩いていても音楽はたくさん流れてきます。電車の発車の際のメロディをドレミで言えますか?(BB)

○腹式呼吸と鼻の響き、これをなくして歌は歌えません。逆に、このことは、どの歌のジャンルにおいても、不可欠なことです。腹に水がたまるイメージで口から細かく息を吸ってみてください。そして、お腹の底から吐きだす。また、ハミングの練習もしてみてください。(KW)

○音程をしっかりとるくせをつけてください。特に2度音程(長2度、短2度)いいかげんな人が多いです。
Wでは音程を気をつけるけれど、Yでは気をそれほどつけていない人が多いように感じます。
普段から気をつけていると、本番に出ますし、逆に本番だけ気をつけても絶対うまくいきませんよ。(YS)

○これからの季節は歌を歌う人、声を使う人にとっては、とても体調管理が大変な時期に入ります。日頃の練習ができるのも健康な身体あってのことです。各自、自分の「楽器」である喉を大切にしてください。

自分の声・声の状態を常に意識して間違った方に声をかたむけてしまわないよう、トレーナーとともに頑張っていきましょう。(IN)

○人間は人それぞれクセを持っています。声も同様にクセを持っています。体が固くなる、舌、唇が固くなる、低音を力むあどは、その代表でしょう。
それを正しい方向へよい意味でクセをつけるためには、右利きを左利きにするくらいに大変なことです。自分ではなく人(トレーナー)に客観的に指導してもらうのが一番です。(KB)

○生徒が上達しているときに、鏡のように本人を客観的に写し、今どのような状態なのか。
そして、この先にどう変化していくのかを、イメージを明確にもって示していく必要があると思います。

短時間に集中してやるわけですから、レッスン以外の時間を各自、どのように「声」について考えるか。人によって毎日考える人もいれば、週2回くらいだったりする。するとそこに同じトレーニングをやっても大きく差がでてきます。

ですから、各自レポートを書いて問題意識をもたせ、考える力を養い、よい声となって上達していける環境づくりをしていくのが、トレーナーの役目だと思っています。(SM)

○楽器の世界だと理解しやすいのですが、いきなり有名な曲を弾くことはなく、まずは奏法など基本を身につけます。しかし、歌はある程度歌えてしまう故、基本を蔑ろにしてしまう傾向があります。一発屋でよいなら喉を壊す勢いで歌ってもさまになるでしょうが、どうせなら一生魅力的な声で歌い続けたくありませんか?そのためには基礎をしっかりと体得することが先決です。好きなように歌えないという耐え難い思いもするでしょうが、辛抱して身につけて欲しいです。(KD)


〔トレーナー一言アドバイス〕

<発声>

○口、あごに力が入りすぎる。もっとリラックスして、鋭く息を吐けるように。
フリートークでの自然な語り口でしゃべれるといい。
徐々に慣れてきているかな。

○リラックスした状態で強い息を吐けるように。
いい声が出ている。その間での会話のやり取りでもしっかり話せている。この状態を慣れさせていきたい。

○歌について発声について話す。
技術的なことをもう少しじっくりやってほしい。
いい形で続けてほしい。

○声はとてもいい。音感が悪い。
ピアノに合わせて何度も歌う。息の流れで歌えるように。
腹式呼吸を日々練習していくこと。

○流れを作ってから話すことばを考えていく。
以前より体は響いてきている。
ソフトに歌いつつも、テンションの高い状態を作り出していきたい。
フレーズを大きくとらえていきたい。
自分から積極的に取り組む姿勢がほしい。

<セリフ>

○とにかく声を出すことばかりに意識が行き過ぎて無表情な声になってしまう。
意思が伝わってこない。そのワンクッションを外すようにしていきたい。普段から声を出すこと自体にとらわれすぎないこと。

○いつも声を出すことのみに気をとられてしまう。
内容を把握しつつ読めるように。日々の練習量が足りない。
もっともっとやるべきことはたくさんあるはず。
映画や舞台はよく観に行っている様子。

○具体的な気持ち作り、中途半端ではだめ。
集中力、イメージ力、正しい発声、深いひびきも同時に身につけていきたい。

○ある程度声を大きく出して読んでいく。その体の使い方で小さくも出せるように。
りアルな思いでしゃべれるように。集中力の欠如。形ばかり気にしすぎる。
表面的はしゃべりではなく、もっと思いを込められるように。

○気持ちを込めるとしゃべりが早くなってしまう。
もう少し落ち着いて読んでいきたい。
内容、イメージ、ビジョンをもっと描くこと。
以前に比べて力づくではなくなってきているが、緊張すると喉に力が入りだす。

○声を出すことだけに集中しすぎる。リアルな思いがない。
必ずそこを作っていくこと。状況、設定、誰に対して話しているのか、そういった細かいことも、常に考えてしゃべれるように。

○力入りすぎる。あご、のどリラックス。
リラックスした状態で、効率のいい声を出す感覚をつかんでいく。
あわてず、丁寧に。文末に向けての集中力、テンションを大切に。

○台本の読み方をレッスンする。
役の気持ちをすべてのセリフに対して考えてくること。その上でセリフ練習をしていく。まず考えること。

○集中力グット。いい声が出ている。この声をさらに鍛えていけばいい。胸に力が入り、腹筋も使いすぎる。
もっとリラックスしたい。自然な呼吸を。
やわらかく腹を使い、強く息を吐けるように。
発声の基本、もしくは歌をやったほうが将来のためになる。

○状況設定、気持ちを考えてきてもらう。
具体的にもっと考えてくること。まだ浅い。
舞台で声を出しているという空間イメージも持つこと。

○「間」の中にどれだけのドラマ、気持ちの変化を込められるか。
イメージして想像して、忠実に気持ちを流してゆくこと。
その状況設定にもっと集中すること。

○少しずつ地声に近づいてきている。
深いポジションから声を出していくこと。
セリフを一息で読む練習をする。点や丸で流れを切ることのないように。
声も深くリアルになる。このかたちで読んでいってほしい。

<洋楽・ジャズ>

○歌うこと自体に集中しすぎないこと。
雰囲気ではなく、内容をしっかり把握すること。
曲作りをしているようだが、それさえもなかなか進んでいない。
歌に対しては期待しているが、本人のやる気次第。

○伸ばす音が止まって聞こえてしまう。
伸ばす音に入っていく時のテンションと、伸ばす音から出てゆくフレーズの終わりのテンションを大事にすること。
流れを常に意識して、次のフレーズへと向かっていけるように。
そして流れの変化をつけること。

○浅くなる。英語は特に腹から声を出していくこと。
息の流れでもっていくこと。空間イメージが足りない。
ソフトに歌っている時でも、遠くに向けて息を送り続ける
イメージを忘れないように。

○ストーリーをしっかり作ること。日本語の対訳で勉強してきてもらう。少しはイメージが湧いてきた様子。
サビへの流れ、テンションのもっていきかた。
内容に集中していくこと。

○なめらかになってきている。もう少し深い響きがほしい。
繊細に歌うこともさることながら、空間としては
広いところで歌っているイメージで息を吐いていきたい。
このほうが体が使えている。

○ブレスをしっかり意識するにはいい。イメージが浅いので言葉の意味がぼやける。しっかり考えて読んでいくこと。
恥ずかしがらずに読んでいくこと。歌でもここが足りないところ。
体も痛めることのないように、走る、歩くなどのトレーニングもしていくこと。

<日本語曲>

○何回か歌ってきているので慣れてきた。
低い声が響いてきているので、この声を全体に生かしていきたい。
次回からは細かいところの表現もできたらと思う。

○かなり歌いこんでいるが、前半少し頑張りすぎて、テンポに乗り切れていない。毎回一回は歌っていきたい。
まず母音だけで歌う。そのひびき生かして英語にしていきたい。
しばらく母音で歌おう。

○以前よりは気持ちが入っている。
まず自分に合ったキーで歌うこと。今回は高すぎ。もっと低いキーでいい。
話し声は深いのに歌いだすと軽くなる。中、低音域を鍛えていきたい。

○メロディーラインがぼやける。原曲が正確に聞き取れていないのか。フレーズの積み上げ。
息の流れの変化で、次へ次へ歌っていけるように。
体の支えがある状態でソフトな声を出していきたい。

○ことばがぼやける。鋭く、ひとつひとつにアタックをするように歌っていく。ことばもはっきりしてくる。何度も練習してみること。
すべてにおいて、あいまいさをなくしてゆくこと。

○言葉をもっと大切に。
そこから視覚的なイメージも作っていくこと。
歌いすぎる。ヴォリュームを半分程度にしてみて、その中で自由に動かしてみる。
フレーズの歌い出しのテンション、サビへのもっていきかたを
もっと研究していくこと。

○ことばに集中して、繊細に歌っていくこと。
テンションでつなげていくこと。
まだ大きくフレーズをとらえられていない。
気を抜かずに、先へ先へ思いをつなげていくこと。

○もっとなめらかに歌っていくこと。
息の流れ、イメージ、気持ち、体、ことばとやるべきことはたくさんある。
「ことば」に集中すると流れも良くなるようだ。
サビへのもっていきかたをもっと研究すること。

○発声ではなかなか声が聞こえてこない。
力みすぎてしまう。日本語は声になる。
フレーズの最後まで気を抜かず歌うこと。

○日本語は声が聞こえるので、イタリア語はやりづらい。
プツプツ切れてしまうのでもっとテンションで、フレーズをつなげていくこと。
大きなフレーズを一息で歌っているつもりで、ブレスをすること。
集中力。体の力を抜く。

○声を大きく出しているところはなんとか成り立つ。
サビに行くまでのソフトに歌う部分が、気まで抜けてしまう。支えもなくなる。
気持ち200%で目いっぱい歌っていくこと。
今は細かい表現にこだわりすぎないこと。

○日本語のアクセントをもっと意識していくこと。
それだけでフレーズの流れも良くなる。ことばのかたまりを大切に。
アカペラで練習していくこともするように。
歌は歌で安定させていきたい。
言葉からのイメージをもっと持つこと。流れてしまう。丁寧に扱っていくこと。
自分自身の気持ちがわからない。
言葉ひとつひとつに力が入るので、もっとストレートに歌っていくこと。息の流れで歌っていくこと。

<カンツォーネ・シャンソン>

○胸の力を抜いていくこと。息は強く吐いていくこと。
本人でいろいろなことを考えているので、その方向でまじめにやっていく。一回の練習量よりも、日々の練習回数を増やす方向で。

○フレーズを先取り先取りして歌えるように。
気が抜けると点々になってしまう。
息の流れを切らないように。声も安定している。
感覚が戻りつつある。

○伸ばす声に息の流れの変化をつける。
次のフレーズに向かって気持ちを高めてゆく。
何度も歌う。とにかく歌う。
フレーズを息の流れとして体に入れてゆく。
機械的でもいい。息の流れの変化、強弱をつけてゆく。
シンプルでとても良くなる。

○息をしっかり吐き切ること。
喉で押してしまうが、以前よりは声は出ている。
イタリア語もことばはあいまいでもいいので、ひびきを大切にしていくこと。

○フレーズごと気持ちを作り歌っていく。
気持ちを作ってから歌い出していくこと。
気持ちの流れで歌っていけるように。

○日本語にとらわれすぎる。
流れでつなげていくこと。ひびきでつなげていくこと。
多少ことばがあいまいになってしまってもいいので、今は流れを大切に。話し声と歌声を同じひびきにすることを目標にする。

○言葉がぼやける。息の流れを意識しすぎるとそうなるし、言葉をはっきり言おうとしすぎるとかたくなってしまう。バランスが大事。
次のフレーズに向かって歌っていけるように。
テンションを積み上げてゆく。
全体的にぼやけている。言葉が点々になる。

○ボリュームに関係なく、フレーズの頭を鋭く入っていく。
その流れでフレーズを作っていくこと。
以前よりはクリアーになってきている。

○正確に歌おうとしすぎて、16符音符が逆に早くなってしまう。
もっと落ち着いて、ゆったり歌うこと。
安定した体の使い方、安定した声にしていきたい。
声に気持ちやテンションが乗ってくるのは、まだまだ時間がかかりそうだ。

○息は鋭く、喉はリラックス。いいかんじになってきている。

○基本に戻って音楽的なことを中心にやっていく。
各フレーズの後半まで、しっかりテンションを保つこと。

○口をもう少し開けること。
腹を意識して、ヴォリュームを出していくこと。
言葉がつくと響きが浅くなる。常に腹から声を出すことを意識する。
のどではなく、体から声を出す感覚をつかんでいきたい。

○後半を盛り上げていく。体がしっかり使えてきて、いい感じ。
出てくる声はなめらかで力が抜けているので、この声をこれから出していけるといい。一日10分でもいいので練習していくこと。

○息の流れは意識できているので、この流れのなかで変化をつけていくこと。
伸ばしているときの流れ、サビに向かっていくときの流れ。
必ず変化があるはず。3連符をなめらかに。

○低音部の地声に近い声をもっと生かしていきたい。
曲の中でも低い箇所があるので、そこを基準に合わせていけたらと思う。息を鋭く、強く出していくこと。
「遠くへ」というイメージを持つ。

○そつなくこなしているが、裏声に近い声になってしまう。
セリフをしゃべっている時のような低く、太い声も出していきたい。
キーを下げて地声で歌う練習もしていきたい。
口に力が入りすぎる。もっと効率よくしたい。
自分の声をもっと聞くこと。歌いだしのテンションが弱い。
集中して思いが高まってから歌い出すこと。
セリフもやっていこう。自分を変えていけるように。

○あごが出てしまい姿勢が良くない。重心を下で下半身を意識していくこと。のどの力はいいかんじで抜けてくる。
全体の流れをつかんでいく。サビへのテンションの積み上げ。

○フレーズを次へ次へつなげていくこと。意識が足りない。
フレーズの後半も気が抜ける。
フレーズを積み重ねてゆくという意識を持つこと。
いろいろ考えて歌う練習をすること。

○気持ちを込めようとして、引いた歌い方をしてしまう。
とにかく前へ前へ。
小さな声のときも大きな声のときも、前へ出していくイメージで。

○息の流れはあるが変化がない。
テンションの変化で息の流れを作っていくこと。
次のフレーズ次のフレーズへ進んでいくこと。

○ことばをはっきり。
あいまいすぎて息がもれる。丁寧に日本語を扱ってゆく。
言語で歌うと息もれが激しい。のどはリラックス。

○まずセリフとしてはっきり読んでいくこと。
その声、発音のまま歌えるように。
いつも息が足りなくなり、言葉もぼけるが、良くなった。
細く、鋭く息を扱っていくこと。

○本人の自覚はないが、声は安定してきている。
フレーズの息の流れの変化をつけていきたい。
この流れの変化をいつも意識していくこと。

○下半身の支えが感じられたため、のどの力も抜けていた。
のどを使いすぎないで、レッスンできるように工夫していくこと。

○声より息の流れに集中していくこと。
腹から声が出せていないため、浅い声、リアルさがなくなる。
つくり声になってしまう。
なぜそこを強調するのか、もっと考えること。理由を見つけること。

○思い切り声が出せていない。口が硬い。口を縦に開けていくこと。
子音がつくと声にならない。まずは母音でいいひびきで歌っていきたい。音に対してもっと敏感になってほしい。

○だいぶ力は抜けてきている。高音も効率よく声になっている。
歌うためのテンションをいつも高く。
やりすぎぐらいでちょうどいい。
ブレスが不自然。一連の流れの中でできるようにしていきたい。

○なめらかになってきている。声も効率よくなってきている。
息の流れの変化がほしい。それを積み上げて大きな流れに。
フレーズ間のつなぎ。
声の大小に関らずテンションでつなげていくこと。集中力。

○テンポに遅れる。先に先に進んでいくこと。
全体を通して歌う。フレーズ内での流れがよくない。
次の言葉に向けてテンションをもっていくこと。
ひとつひとつの言葉で簡潔ではなく、次へ次へとつなげていくこと。
息の流れを意識して、フレーズ内ではゆったりと歌っていくこと。

○力も抜けてきてまとまってきている。
ブレスを含めた息の流れで、円を描くように歌っていくこと。
シンプルに歌う。気持ちに偏りすぎると流れが悪くなる。

○のどの力は抜けてきている。フレーズの後半、大切に。
気が抜ける。もっと丁寧に。

○声も良くなってきている。姿勢が悪い。下半身を意識。
「からだ」「気持ち」をバランスよくしていくこと。
かたよりすぎないこと。

○なめらかには歌えている。息の流れの変化を作っていくこと。
もっと音楽の聴き込みが必要。
声だけではなく、音楽性を身につけていきたい。

○以前よりは力むことなく歌えている。
日本語の意味まで考えてというところまでいっていないので
もっと歌いこみ、練りこみが必要。歌いだす前のテンション作りができていない。集中して作っていくこと。

○気持ちをこめて歌うということをやっていきたい。
セリフの練習もやっていきたい。

○自分のしゃべり声に近い声を、耳でしっかり聞いて出していくこと。太く、低い声で。
慣れないかもしれないが、その声を出していくこと。
作り声ではなく、自分の声に近づけていくこと。

○「い」「う」の音が喉につまる。
伸ばしている間は、「い」→「え」に「う」→「お」に近づけて歌っていっていい。
日本語もイタリア語だと思って歌っていくこと。今はひびき重視で。

○フレーズのつなぎを注意したい。
うまくできているところもある。
その際、喉に力が入ってしまうので、もう少しリラックス。
力で押さず、息の流れの変化をつけていきたい。

○徐々に力は抜けてきている。
腹から力で出すのではなく、息が遠くへ伸びていってるイメージを持つこと。このイメージがいい効果として出ている。

○息の流れを感じて。
今の段階ではいいのかもしれないが、のどで押しすぎる。
腹筋に力を入れすぎる。横腹にふわっと息を入れるイメージで。
声は良く出るが、音楽的なものが足りない。

○後半への盛り上がりをもっと意識していくこと。
フレーズごとにテンションを上げて、それを積み重ねていくこと。気持ちをつなげていく。
低音が出にくいが、息でなめらかにつなげていけばいい。

○フレーズが点々になる。もっと息を流し続けること。
言葉の意味の中で処理していくこと。
セリフの延長であることをイメージして、歌っていくこと。
この2つを注意してなめらかに歌っていきたい。

○この前よりなめらかに歌えている。
多少のどに力が入っているが、いい声は出ている。
徐々に力が抜けるのを待つしかない。フレーズの扱いが雑。

○声はストレートに出てきている。胸の力をリラックスして。
フレーズの切り方が雑。点々フレーズをなめらかにしていくこと。
イタリア語も慣れてきたらなめらかになるはず。

○2つを1つのフレーズとして歌えるように。
つなぎのテンションが良くない。
多少大きく声を出しているときの方が、この感覚はつかみやすそう。
なめらかに歌えるようにしていきたい。
のどに力が入りすぎる。もっと落ち着いて腹から声を出していくこと。内容に対してまったく意識がいっていない。
もっと考えて凝縮した人生を一曲に込めていくこと。

○息の流れの変化をつけてゆく。それにより多少喉に力は入るが今はいい。以前に比べて流れが良くなっている。母音を統一させていきたい。

○ボリュームのある状態で、まずは歌っていくこと。
ことばが点々になってしまうので、もっとなめらかにしていくこと。
基本はなめらかに歌っていくこと。

<オリジナル曲>

○歌い方はいい方向に変わってきている。流れが出てきている。
ことばがぼやけるので、しっかり声にしていくこと。息と意味。
フレーズを強い息で歌っていくこと。抜かないこと。

○日々声を出す時間が取れている様子で、声もこなれている。
この調子で練習していくこと。
ただ声を出すことだけではなく、ボリュームが小さくても
テンション高く歌えるようにしていくこと。

                                  
■VOICE OF LESSON  by members

<Lesson>

○あくびの状態から胸声、エッジボイスへ。ファルセットと地声への境目が目立ちすぎていることの指摘を受け、もう少し奥深く後頭部の空間を意識したあくびからエッジまで一本に通すと境目がはじめよりはなめらかになって目立ちにくくなり、歌の中でもこれを使う意識なくできるようになれば音色の幅も広がる感じがした。そしていつもの唇を使う『ぷるぷる』と巻き舌のまま息を吐く『るるる』で下の支えを確認。ただし下に力で押し込むのではなくあくまで下で支えて吊り上げられている感覚。その後『Z』の「ズズズズ」で「ZU」とするのではなく、あくまで子音のままで。こちらも「下の支えと背骨の感覚がなければ難しいな」と感じた。体づくりをする器の拡大と、響きを体感する柔軟さ、どちらもひき続きトレーニングして体得しなければならない。いづれ歌に生きるようにだ。技術として先に身につけるというのではなく、自分の表現世界を出そうと格闘してる中で自然に使われるのが本当だと思うので頑張ろう!次に個人レッスンでは「エッヘッヘッヘッヘッヘッ」と、アニメの悪者のじいさんの妖怪のような感じの発声。始めうまくいかなかったが、舌を上にあてる感じでとアドバイスを受けて、感じをつかめた。まず「俺ってこんな声も出るんだ!」という驚きと、一見、喉声のように聞こえるのに喉の奥は開放されていて喉に負担はかかっていない。こんなに歪んだ音色なのに喉にかかっていないのが不思議だったし、けっこう感動的だった。笑う時特有の体の理にかなった状態だからだろうか?舌を上にあげて喉の奥が開いているからだろうか?

なんにせよ笑う状態という事でお腹は使うわ、悪者声という事で鼻空や眉間の空間の響きは使うわで、この「エッヘッヘッヘッヘッ」はトレーニングとしてかなり使える!!と心の中で「しめしめ」みたいにほくそ笑んでしまった。次はその状態の声立てから「イェーイ」。悪者笑いの効果か、いつもより前に飛ばしやすい感覚。そしてその声立ての状態のままクレッシェンドで地声にしてボリュームをあげる。体をつけるのだが下に押し込んでボリューム感を出すのではなくあくまでリラックス状態で。先生がみせてくれたのは「どこにも邪魔されていなくて艶やか」だった。自分のはどうもしっくりこない。しかしアドバイスを受け、前歯から出てる「イェーイ」の声立てのスジを見失わないよう意識を一点集中して徐々にボリュームアップしていくと「来た!これ!」という感覚。結局何回もやったなかでこの感覚は3回だけだったが、体得できるようトレーニングだ。今日のレッスンは声における柔軟性、繊細に扱う感覚を意識できたのがなによりよかった。基礎あっての応用、表現あっての使い方だと思うのでしっかり自分のバックグラウンドも見つめる事も忘れずにしたい。(YK)

○初め、音を中途半端にとってしまいがちなので、声帯でしっかり響かせて入る。
息をふーっとはいた時の流れで発声もやる。高音で音が飛び出るのは不自然という事になる。
テンポを上げたときに、音を滑らせてしまわないように、一音一音つかまえる。
クレッシェンドとデクレシェンドでは、なんとなく強めて弱めるのではなく、しっかり計算して、はじめのpにしっかり戻る。
付点が流れてしまいがちで、それでテンポも遅れてしまう。腹を使ってリズム良くすばやく切る。
同様に八分音符を伸ばしすぎるところもしっかり切ってさっと次のフレーズに行く。
下降するフレーズでは、響きをいっしょに落としてしまわない。前から言われている事だが、
音は下がっても気持ちは上がっていく感じでやる。
今日はいつもよりは力が抜けていたようで、オクターブも力で押す感じにならなかった。
あとは高音で鼻の細いところに通すのと同様に、低音も響かせる事で広がっている音をまとめていきたい。
次回は23番で、伸ばす音をたっぷり歌うようにする。
「たっぷり歌う」という表現はすごくぴったり来る。それを意識すると、声は喉にはあんまり行かない。
そして声のスケールが少し大きくなる。ライブで声を保つために、この発声を言葉でもできるように徹底する。(KA)

○基本的な腹式呼吸の確認からやった。
出来ていないわけではないようだが、歌になるとどうしても支えようとするあまり腹が固くなってしまう。
上下スケールでも音が滑らないように、一音一音腹を使って出す練習をする。
そして最高音では、さらにしっかり腹を使って、喉での操作はしない。
次に歌い方の問題で、どこか細かい事を気にしているようなスケールの小さい歌い方に聞こえてしまうという事で、もっとたっぷりと、次から次へ湧き出てくるように朗々と歌ったほうが人間性も大きく見せられるという事だ。
常に同じ響きで色んな音程やヴォリュームに変えたりするときは、とにかく全て腹で変えていかないといけない。
疲れてくるとだんだん喉声になってきてしまうので気をつける。
ここではどのくらいのヴォリュームで行く、次がアクセントだからその前は少し押さえ気味に行く、一回目と二回目のAでヴォリュームを変える、といった事をしっかり計算しながら腹でコントロールする。
その時、しっかり吸おうとするとどんどん固まってきてしまうから、頑張り過ぎない。
アクセントを意識しすぎて流れを止めてしまわない。
難しいけど、感覚はつかめてきているので繰り返し確認する。(KA)

○レッスンで勉強したことは「文章を読んでいるときの注意点」です。
まず、文章を一読する時には書いてある文章の「内容把握」に努めると同時に自分がその文章から受けた印象などを頭に留めておく。
次に読むときは、作者がどんな気持ちでこの文章を書いたかを考える。
出来れば、これらは一回目読んだときに把握しておきたいことである。
レッスンで学んだことを、実行するには日頃から練習をしておかなくてはならない。
練習方法としては、小説などだったら1ページ程度、新聞だったら社説などを読み、即座に内容、その文から受ける印象などを考える。(MI)

○レッスンに出なかった1ヶ月で、耳の退化、技術面の退化、体の退化など失ったものは多い。
しかしながら、ゼロから始めようと決意したので、落ち込みはしたが問題ない。
レッスンを受けながら感じた。
いい意味で、歌と自分の間に距離ができた。
これまでの私は真剣だった。
そして、エネルギーを向ける方向を間違えて変に自分を追い詰めていた。
(先生が言われている、入りすぎて見えなくなるということなのだろう)

正直、今日はレッスンに行くのが怖かった。
でも、パワーをもらって帰ることができた。
何かを始める前に色々な不安が浮かび、行動に移せないことが多い。
でも実際にやってみると、意外とたいしたことないのかもしれない。
そんなノリを大切に行動すれば、私はどんどん伸びていくと思う。(TU)

○今回のレッスンでは、まず前々回よりレッスンしていただいています、尾崎豊の卒業のレッスンから始まりました。コーチからは、とにかく気持ちを込めて歌ってみてと指示され、自分の中で息の流れを注意しながら、気持ちを込めて歌ってみました。原曲キーよりかなり高くなってしまいました(自分の気持ちの中では、キーを上げようなどとは微塵も思っていませんでしたが、自然に高くなってしまいました)が、それなりに形になってきた感がありました。コーチからは今までで一番良いとは言っていただいて、練習の成果が少しは表れた思いますが、まだまだぎこちない感じがしますので、滑らかに歌えるようにしていく努力をする必要があります。このレッスンにあたり、コーチから、歌はとにかく気持ちである、もちろん声が良いに越したことはないが、気持ちが一番大切、大事であるとの言葉を聞いて、改めて歌の難しさと素晴らしさを知ることができて良かったと思います。(SU)

○今回は「息をしっかりと続かせる」事と、「下降のフレーズで上へ意識を保つ」ことを意識して望みました。結果、それなりに上手くいったと思います。
ただ、音が連続して4つと5つ続くようなフレーズの場合、最後まで意識が保たない、というのは自分でも感じ取れました。どうしても途中で集中が切れてしまい、同時に身体の方も辛くなってくるのが分かってしまいました。特に、上から下がっていってまた上がる、譜面がV字を描くようなフレーズの場合、上がって来る時にかなり神経を使って声を出していましたが、それでも不十分で、自分でイメージしている声に到達していない感じがあったのがあり、それが悔しかったです。思っている以上に意識の壁は厚く感じました。
コンコーネは、段々と順応してきてはいるものの、指摘を受ける箇所、内容に関しては、毎回大きく変わっている訳ではないので、やはり弱い所というのはそこなんだろうと思います。休符後の音、階段状のフレーズといった物に関してはWでもしょっちゅう指摘されるので、もっと音の芯を捉えるようになりたいです。後、個人的にはもっと音のツブを揃えたかったりしますが、とりあえずは力まないように歌うことを目標にします。(ST)

○今日のフレーズ回しでは前回と同じ曲だったので音楽を入れる段階まではスムースだったと思う。(それでも落としてる音や要素はまだまだあると思う。特にリズムがかなり甘いのは大問題だ。もっと厳しい規準を自分に叩きこまなければならない。)いつもはまず覚えるという段階でいっぱいいっぱいになるのだが、前回のが体に残っていてくれたおかげで、前回の教訓をいかしながらフレーズを出すというスタンスを決める事ができた。前回は覚えきれない未熟さの中でわからなくなったら勝手につなげてごまかした感じだが、それはやはり「創った」のではなく「ごまかした」のです。しかし、今回は違った。今日も止まらずに続けて2回ずつ回したのだが一回目はできるだけ原曲に忠実に、かつ物真似ではなく原曲の歌い手の呼吸をとりながらも自分の体の寸法までひきよせて自分の呼吸と融合させるというスタンス。その中で自然にフレーズが動き出すようにする。二回目はそれを受けて「じゃあ自分ならこの曲をどうするのだ」という冒険(暴走!?)で「いかに自分なりのものを創れるか」というスタンス。前回の「ごまかし」で好き勝手変えたのと、今回の原曲をふまえた上で意識的にわざと変えたのは全く違う感覚があった。ただ一回目のスタンスで出したものと二回目のスタンスで出したものとどちらが良いのか(マシなのかというレベルかな…)という判断が自分ではつきかねる。まさにテーマである「自分を知りながら、なお客観視する力」が必要な所だが…。もちろん自分の中で気持ち良いのは後者であるが、これは当たり前だ。自分の好みメインで変えているのだから。大切なのは、自分の好きなように思い切りやるのはよいが、それが一人よがりではなく音楽的作品という所まで到達しているかという事だ。歌い手の好き嫌い、聞き手の好き嫌いは別問題として、作品と呼べる所まで到達できるよう深めていかなければならない。自分の世界を創り、示し、惹きつけさせるレベルまで。

PS.毎日の地道なトレーニングの効果、体、息、声、耳 等がリンクして結び付いてきているような感覚がある。なにもやれてないのだから「だから何?」て話だがトレーニングという見地から見ると効果が体感できるのは素直にうれしいものだ。しかし規準ができてきたという体感というのは、一流の歌い手との次元の違いをまざまざと体感する事と同義であるので、課題や、やる事が増えていく一方だ。しかも今の状態を上げるどころか、落とさないだけでもけっこう大変な気がする。さらなる努力が必要だろう。多分今感じているのはただの「上達」。この京都市内だけでも、へたしたら音楽やってない人でもゴロゴロいるレベル。だから次の自分の段階として次元が変わらなければならない。世界が変わらなければならない。なにかをつかみかけている感じはあるから、(なにとは言えないが)ペースダウンすることなく、慢心することなく、やっていこうと思う。ちなみに技術的うまさを身につけて表現が落ちるというのは最悪のパターンだ。いつも「自分らしさ」や「味」、人間本来がもっている、「感情を伴った時の声が訴えかけてくるもの」、「世界観」を考えていかなければならない。意識していなければならない。無意識でそういうものが出るようになるためだ。これからも気合い入れてやっていこう!!(YK)

○今日は村上進さんの曲をフレーズ回ししたのだが、音源の発声にひきづられすぎてる面を察して早い段階で自分の呼吸までフレーズを引っ張ってきたのはよいが、今度は音楽をとばした一人よがり的な面も出てしまった気がする。まだまだ短時間で音楽をすぐにとれない未熟さもあり覚えきれていない所はコード内で作ったつもりだったが全然音楽たらしめてなかったようだ。あとキーも音源と同じでいったのだが、「まだまだ体も感覚も全然たりないな」と実感した。なら自分の寸法でやれよって事だが足りない事を実感するにはよかった。話で印象に残ったのはフェイクするにしても音楽を成りたたしている原型をふまえた上で動かしていくのが大切でただ好き勝手やっただけではやはりでてきたものも違和感なり、心地良くなかったりしてしまうということ。やはりほんっとうに毎回感じることだがもっとたくさん量を入れて色々なパターンを叩きこまなければならない。もちろん一曲からたくさんの事を学ぶ「質」の聞き方も大切なのは言うまでもない。一流の人が10本の線で感じているとすれば自分はせいぜい3本くらいだと思う。体の器官の状態、フレーズの目にみやすい出し入れ部分、フレーズの前後の関係性。これらがもっと細分化して見えるようになるのだろうか?よく解らないが一流と言われるアーティストにくらいついて盗んでいくしかない。時間はたっぷりとかかるだろうが、次元をひきあげてもらうしかない。頑張ろう!(YK)

○三橋美智也さんの「知床〜♪」の出だしの部分は、軽く聞こえてしまう部分でも実際やってみると音程差があり、かなり集中してサビ並みの力を入れないとできないなと感じました。発声、音程から入るとダメだなと。難しかったです。
「はるこうろうの はなのえん」は「はるこうろう」と「はなのえん」に差があるということはわかっていましたが、実際やると、あまり差がなかったような気がしました。先生から「8:2」もしくは「9:1」くらいのつもりでというコメントで、それくらいの意識をして、はじめて差が出せるかどうかというくらいなんだろうなと思いました。

弘田さんの「あたしに めばえた あなたへの あい」はやった後に聞いて「めばえーーた」「あなたへーーのあい」というフレーズ内での「間」の取り方が芽生えた!あなたへの!というニュアンス、思いを出してました。
特に「あなたへのあい」は、口先だけの言葉でなく、心も体も伸ばしながら「あなたへ〜〜〜」と矢印が向かう方向がわかるように聞こえました。
気持ちを出すことと同時に、技術的にニュアンスを出せるとわかりやすいし、伝わりやすくなるのかなと感じました。
大・中・小と三分割のバランスの組み合わせ。9割と1割(くらいの)バランスのつけ方。

前半から中盤にかけては、頭が先で、身体はガチガチでした。
徐々に感覚が開いてきたと思いますが…。
前半のフレーズは小手先で真似ていたなと。それっぽく、表面的に。
やっていてフレーズに実がないような感覚がありました。
中盤、感情に重きを置いた時には音が狂ったような…。
どちらにしても、何かしよう・何か出そうとする前段階の状態を抜け出せない状態でした…。
後半、少し冷静にできるようになりました。
でも、後半息切れ…。フレーズ末まで集中が持たず。

あと、先生もおっしゃってましたが、今日は長く感じました。
嫌な長さではなかったので良かったですが、盛りだくさんだったという印象です。(MA)

○感情とつなぎのバランス大切 
感情でもっていってつなぎに戻る
うまく戻ったら→感情にもってって→止まらんようにまたつなぐ

つっぱると動かない→出したら休む
つっぱる必要のない所では、つっぱらないこと
「落とし所」をのがすと雑になる→この小さくやる所をキマるようにする。使えるようになる。

大きさをそう落とす→次の流れはどうする→間はどうする

フレーズ頭のアタックが強い(息の吐きすぎ)→声帯の状態が雑になる。
使ってもいいけど、その後マメに休ませないと、強くでしか歌えなくなる→6割で歌えない状態、力まかせでしかできない状態(NI)

<Menu>

○カンツォーネ数曲聴く(日本語含む)
「聞かせてよ 愛の言葉」をやる。
美輪さん、オーケストラ、原曲をそれぞれ使用。(060518)

○いろいろ聴く
「若草の恋」原曲と木の実ナナバージョン比べる
3人のプシレコ聴き比べ
「プレシコの漁師」一通りフレーズまわす
「フニクラ」聴く
村上さんの「地中海」を聴く
ミルバの「地中海」でやる
村上さんでやる(061007)

○最近のテノールの人聴く
先生トーク
「地中海」の2番をやる
「この愛の日々〜」曲を聴く
村上さんバージョン、イバ・ザニッキバージョン(061012)

○準備体操 お腹・胸を中心として360度平行に回す。
鼻の後ろの空洞をあける。
地声と裏声のチェンジをする時には、ミックスの位置を使う。
高音を大きくロングトーンを出す時、出した時に止まってしまっているので、出した後も伸びる様に、腹筋のところの力を出し続ける様に、腰を下げたり、ボールを投げる様なイメージで出す。
音を出す直前(同時ではない)に丹田に力を入れて、出す用意をしておく。(OK)

○スヌーピーたちの心の相談室/チャールズ・M・シュルツ
楽天家になる法
小さい頃からスヌーピーのキャラクター達は好きであったが、漫画をちゃんと読んだことがなかったので、気になって買ってみた。
臨床心理士の岩宮恵子女史がタイトル毎に解説序文をつけて短編マンガの分類をしている。
チャーリー・ブラウンと愛犬のスヌーピーたちを取り巻く子供たちが登場人物でほのぼの感があるが、子供向けの教育マンガという訳ではなく、大人が読んでも含蓄のある内容である。

例えば、PART2 ひとりよりがりすぎで、
ルーシー「まぁ、こう言ってみましょう…」
「人生はね、チャーリー・ブラウン、フリーウェイを運転しているようなもんよ…」
「高速車線が好きな人もいるし」
「追い越し車線を走らずにはいられない人もいるけど」
「ずっと低速車線で満足って人もいるわ」
「人生のフリーウェイのね、チャーリー・ブラウン、あたなはどこを走ってる?」
チャーリー「出口を10マイルばかり過ぎちゃったってとこかな…」
(NA)

○拳児/原作 松田隆智 作画 藤原芳秀
私の太極拳のバイブルとなった本(全12巻)。
松田氏の豊富な知識に感銘を受け、ノートに言葉や知識を書き出し、何度も読み返した。それをしたおかげで言葉や知識がある程度定着し、動作の中での理解や他の本を詳しく読む気が促がされた。

「学ぶのには上達と下達がある。
上達とは小技にとらわれずに、物事の根本を理解すること。
下達とは小手先の技ばかり集めることに執着して、根本を理解しないことだ。根本をつかむのだ!」とあった。

「本当の練習とは、多くの技を身につけるのではなく、不必要なものを捨て去って“絶対なるー”を身につけることにある。」

「八極門には多くの技法や套路が伝えられているが、小技を集めても実践の役に立たん。
万を以って一に当たるのではなく、一を以って万に当たるのだ。修練とは無駄を捨て去り“絶対なるー”を得ることだ。」

太極拳も音楽も“絶対なるー”を見つけた先には、更に「無形」の境地に至る、或いは目指して近づくのが私の目標です。
決ったパターンを機械的に出すのではなく、相手の反応に応じて、無意識に体が最適の反応をするように反射神経と動作を練り上げることを指します。
太極拳での目指す人は楊家架式太極拳の第7代伝人の蘇老師。音楽では、天才アーティストBobby Mcferrinです。
目標とする人が高すぎるので、一生いかけて精進しようと思っているのです。
自分がどの程度の高みまでたどりつくことができるのか、楽しみです。でも、それは死ぬ間際にならないと知ることができないのかもしれませんね。(NA)