会報バックナンバーVol.186/2006.12


レッスン概要(2005年)

○脱力

力が入った歌い方になってしまうようなときに、できるだけ力を抜いていくこと。力を抜きたくても緊張しているだけでも力が入る。
ましてや特別なことをしたら難しくなる。高いところを出そうとか、長く歌おうとするまえにやることがある。必ずそのバランスを自分なりに調整しましょう。

一番よくないのは、トレーニングで無理に負担をかけて、疲れさせることです。スポーツだったらまだしも、歌の場合は、その間を休めばいいのです。体をほぐしたり動かせばいい。ずっとつっぱって歌っていたら、体が固まります。
レッスンが30分だったら、5分か10分ごとに、大きく動かすだけでも、かなり疲れが違うと思います。疲れさせるだけの疲れは、本当に意味がない。結果としてすごくしっかりと歌ったがために、筋肉が疲れたというのならば、それはそれで仕方がない。その辺は微妙な問題です。 変に悪い癖がつかなければいい。

○癖と個性

個性というのは、自分の歌を歌うことに邪魔させない。その部分において、歌が下手であっても、個性が出るということもある。そうなっているときには、それは癖になっている。とはいえ癖声自体が魅力の人もいます。癖も癖でないものも、その人らしさが出てしまうものを、それを癖といいます。ただ、癖というのは、トレーニングにおいては、あまり言わない。

リピートがきかないとか、耐久性がないとか、何回も同じことができない、あるいは長くそれを続けられないみたいなものに関しては、注意を要します。癖で固めてしまえば、かえってそういうことが楽にできるわけですね。そこが難しいところです。要はこういうやり方といって、覚えてしまって、そこに高い音でも強く出して、当て方をいうのを覚えてしまうと、それでできるのです。本当に厳密な意味では再現できないし、長くできない。

でも、普通のやり方を何も持っていない場合には、それを持っていたほうが、何となく長くできるし、再現もできるから、そのレベルで留まるのですね。それが役者のように、歌声で問われるのでなければ許されます。ある程度癖がついていっている発声というのは、役者には多いですね。それで、求められる人に耐えられるのだったら、問題ない。

ただトレーニングの中だと、それまで認めてしまうと、歌もそうですけれど、何をもって上達とか、何をもっていいとかなくなってしまう。自分が思うように、気持ちよくやっていたらいいだろうということになってしまいます。
そこの部分では共通の、人間の体として、自分ではこういうふうにやりたいのだけれど、体としてもっている部分では、そうやるとあまりうまくいかないというところをみるのですね。

水泳でも好きに泳いでもいいのですが、速く泳ぎたいといったら、クロールならこういう原理にそった方が、今はともかく後で速く泳げるようになるというようなところで、正す。そういうのは一つの基準です。
芸術畑の場合は、微妙に皆が違う。スポーツでも考え方ががらっと変わってしまう場合があります。何年かに一度くらい、今まではこういうやり方がよかったけれど、それが絶対にだめだと言われるようになったりする。ルールさえ変わる。

○レッスンと感覚

それがよければ、その感覚を覚えておくようにというようなことは、トレーナーは言うと思います。何回もやっている中で、全部声も違うし、細かく見ていくと、よかったり悪かったりもする。けれど、だからといって、一つひとつを全部チェックしていったりすると、ギクシャクして実際に動かなくなります。だから、ある程度大枠で見て、それで長くみていくことをしなければいけない。自分ひとりでやれることをやっていても、仕方がない。まず、レッスンに来てやるのには、感覚や発声に慣れるということもあります。
自分ひとりでやっているときは楽だけれど、こういう場に来るときには結構大変でしょう。歌でよりいい声が出る状態を追求する。対外試合ではないけれど、レッスンは案外とそういうところがあります。感覚を変わるのに日常ではムリだからです。

○レッスンの進め方

全然やったことがなかったり、まったくひどい声だったというのなら、2,3回目まででよくなるでしょう。そうではない場合は、1回2回3回と変わるようなことをやれば、変わる。けれど、変えることが必ずしもいいことではないのですね。
自分の同じ声の中で、自分がどのくらいうまく感覚できていって、応用性ができてくるかということが大切です。レッスンとの関係だと、自分が歌を歌うときに、前よりも気づかないうちに楽になったとか、そういう感じでかえってくるのが一番いい。☆

ところがレッスンによっては、逆にその時期、前よりも声が出にくくなってしまったり、楽に歌えなくなってしまったりすることもある。そのときの判断が非常に難しいです。それでレッスンがおかしいということでは、必ずしもない。それをどこで元に戻すかというのも、トレーニングしだいです。期間というのもある。たとえば1年後にある程度までいくようにという場合と、3年後に基本ができているようにというのなら、やり方も違ってくる。

トレーナーと相談しながら、たとえば半年後にこういうのがあるから、とりあえず1回、そこでまとめなければいけないというときなら、あまり新しいことやハードなことはやらないで、むしろ歌が歌いやすいような状態にしていくほうがいい。歌が歌いやすい状態にすることと、体を鍛えたり、いろいろな呼吸を部分的に鍛えるようなことは、矛盾します。
ここの場合は、あまり短期で、今回は、次回は何ができたという形では見ていないのです。直すことよりも入れることが大切です。☆

○レッスンはステージ

レッスンでも、自分の中で威厳を持って、堂々と頭から歌わなければいけない。それが慣れないうちや、あまり場数を踏んでいないときには、どうしても緊張してしまったり引いてしまったりして、弱々しくなってしまう。レッスンであれ、声や歌を見せに来ている。歌に入れば、もう歌なのだから、それがもり上がった後が、安定して落ち着いているかです。
声や音楽の問題ではありません。精神的な問題です。頭から出さなければいけないということです。不安定さがあると、聞いているほうは不安になってしまうだけのことです。

気をつけて歌ってしまうと、そこで気をつけるように感覚が動いてしまうから、そのときに歌がとんでしまうのです。
注意点としては頭に残しておかなければいけないが、欠点を隠すくらいのことで、全体の流れをそのために失ってしまったら、元も子もないのです。歌は歌だから、その場できちんと捉えて、もう一度きちんと出していくということくらいです。何かを伝えなければいけないのです。

○違う色を出す

この曲は誰でも知っているわけです。うまい人のも聞いていますから、そこでたぐられてみて、あの曲だから、この人ので我慢しておくかというふうでは、歌が成り立たない。どういうことが必要かというと、こうやって聞いてみると、また違う意味でいい曲だと、何かしらあなたが、誰もが気づくいいところではない、もう少し違うところで価値づけることです。違う言葉のところで構成を変え、この曲をつくってこなければ、です。そこは本当に難しいです。作詞作曲の能力というのでなく、歌い手というのは、それを理屈なしにやらなければいけない。そうしたら色が出てくるわけです。徐々に変えてみてください。

○複数に学ぶ

複数の先生につけると、必ず混乱はするのです。ただ、ひとりのひとつの方法が全部、一番いいわけではない。
最終的には自分のヴォイストレーニングを組み立てるということであれば、いくつかのパターン、全然違うような方法から入るというのもいいと思います。

○呼吸づくり

日常の練習に関しては、体のことを今までやってきたのであれば、そこをヒントにします。体のことに関しては呼吸が中心だと思います。スポーツでも踊りでも呼吸というのはあると思うのです。けれど、歌の場合は、それが直接のエネルギー源になっている。他のものの場合は、リズムとかひとつの流れの中での呼吸ということになってきます。けれど、歌の場合は独特で、それが筋肉になる部分があって、それによって声も動かさなければいけない。呼吸の力についていうのであれば、あればあったほどいい。これも説明のしようもないようなもので、徐々に深くなっていくようにということで、息吐きとか、息を長く伸ばすようなことをベースのトレーニングとしてはやっておく。

○質のアップ

これも、必ずそこで固めてやってしまうと、一緒に悪い癖というのはついてしまいます。息を吐くことも、長く伸ばすことも、そこによって体を固定させてしまう。トレーニングということであれば、そこを分けて、それは部分的なことでやっているとする。歌や発声になったときには、いったん、それを忘れるか、その状態を置かなければいけない。ところがそれをそのまま、歌でやってしまう人がいます。

たとえば強い息でハッと吐く。それをそのまま、声にするといって、声にスムーズになればいいのですけれど、意識して声にしないとならない人の場合は、そのときに喉を押さえてしまったり、そこから体に力が入ってしまったり、と同時に覚えてやってしまう。それを気をつけなければいけない。そういうやり方をとらないで、響きのほうからやっていくトレーナーが多いのも、その理由だと思います。テキストを見てやる場合も、気をつけてほしいのです。

○弱いところ

体でいうと、どこか一箇所、怪我をしたように、一箇所だけ弱いと、声帯が一番弱いところですから、その一箇所の一番弱いところに全部が限定されていってしまう。体でいうと、どこか一つ、筋肉が弱い部分があったとしたら、たとえば水泳で、右手が弱いと、泳いでもバランスがとれない。すると、左手と同じだけの筋肉量がつくまでは、あまり全体のことをやっていても、よくない。常に無理が入ってしまう。そういうときは、左側を使わないで、右だけでやったり、右の筋トレをやることで補うのです。たぶん、普通の人にとっては、特に声の小さい人にとっては、声帯が一番弱いことになってくると思います。これが悪い状態にならないことが理想的です。

○練習量

練習量も、これは踊りと同じで、体のことというのは、筋力がついてくるにつれて、どちらかというと耐えられるようになってくるし、力も抜けるようになってくる。長い時間、質のいいことができるようになります。けれど、声のことも本来はそうなのですけれど、結構難しいことがあって、その日の状態で左右されてしまうことが多い。

練習量ということであれば、ほとんど、量はできないのです。けれど、休みを入れることによって、あるいはメニューをかなりゆっくりにやることによって、普通の体の感覚でいうと、1時間で40分くらいのことをやると思うのです。それよりもゆっくりくらいでいいかもしれないですね。
1時間とっても30分とか、あるいは20分くらいしか、実際に声を出さなかったとしても、目的が、正しく、癖をつけないで出すことが目的であれば、量よりも質です。この辺は何ともいえないところがあります。

声楽であれば、正しいということだけをやっていけばいい。ポップスというのは、いろいろな声があるので、ある程度、声楽的には違っていても、いろいろな試みをしてもいい。ただ、その分ロスをするのは確かなのです。
発声を正しくしようと思ったら、ロスしてはいけないわけです。ところがある意味では、トレーニングはロスしないと、鍛えられない部分というのがある。

声帯が直接的な筋肉の強さによるものではないから、そういう考え方が当てはまるかどうかがよくわからないのですが、結局、量をやっていることによって、皆ある一線を越えていく。そこがその人によって、たぶん違うと思うのです。
鍛えたらいいと言って、どんどん声を出して、応援団のようにやっていくのがいいのかというと、よい人も10人に1人くらいいる。すごく個人差がある。

私が、いろいろな人を同じやり方でやったときでも、10人いたら、10人とも結果が違った。それさえレッスンだけを24時間監視してやっているわけではない。家で何をやっているかということが、すごく影響する。本当の厳正な比較はできないのです。
ただ言えることは、その鍛えて、鍛えるということは、太い声にしていったり、そういう質量のある声にしていく部分です。そのことによって、太くなったり音色が出てくる人もいれば、あまりそういうところはない人もいます。むしろ細い声できれいに歌っていくほうが、その人の個性が出やすい場合と、これは両極ですね。

だから、ポップスのいろいろなヴォーカルを考えてみて、やっぱり巷で成功した人というのは、直感的にそれを見抜いて、その声で歌っている。それはトレーナーよりも結果的には正しいと思うのです。そうでない場合は、うまくいかないはずですから、活動が続いていかないと思います。当然マイクに頼る場合もありますけれど、それだけでもいろいろなパターンがたくさんあるということは、その人にとって、直感的に相性のいい声を選んでいる。それから作品重視です。特にシンガー・ソングライターの場合というのは、とにかく自分の歌える声で歌ってきたら、そうなってきたということもある。

○声の技術

私は、表現力を重視しています。発声から考えたり、声楽から考えるのではなくて、その人がとった、その形で、歌のメッセージが伝わるのであれば、それは一番いい。ただそれにリズムや音楽の音感、音楽的にいったときに芸術性を持つということを、両立させようとしようとすると、どうしてもそれ以上の体や声があったほうがいいということです。

ミュージカルであれば、声量は絶対にあるべきだと思うし、声域もあったほうがいいと思います。カラオケをやって、心に伝わる歌というより、まずは技術としてきちんと見せなければいけない。それが本当は一致しなければいけないのです。
今の日本の歌い手は、本当の基本のトレーニングがあって、体も強く、息も吐けて、クラシック歌手のような要素があったときに、プラスに出る人と、あまりそれがプラスに出ないか、むしろマイナスになってしまう人がいると思うのです。個性でやっている人はマイナスになるでしょう。

桑田さんが、クラシックを勉強にしに行っても、すでにあれでひとつの完成形です。あの味を、作詞作曲のよさがあるとしても、あの声を伴って、味が出ているわけです。あれを発声的にどうこうしようということを、考えるトレーナーというのはいないでしょう。
体から本当に出さず、口の中でつくっている部分も多い。マイクをとってアカペラでやったら、案外平凡なものになってしまうかもしれない。でも、それは考える必要がない。マイクのある世界だからです。

○ルイ・アームストロングのシャウト唱法

サッチモは欧米の中でも特別な扱いです。つぶして、かすれされて、あの音域まで持っている歌い手は、あまりいません。上のファやソまで使っているのですけれど、たぶん発声という考え方とは違うのでしょう。
現に、サッチモの歌い方に憧れて、欧米の人たちがそれが流行った当時に、皆真似たけれど、ほとんど声を潰したそうです。
トランペットの奏者は、ヴォーカリストよりも瞬間的に息をためたり吐いたりすることについては、強いと思います。というのは、マウスピースがついているから、声帯を必要しないので、かなりの強い息を吐いて、そこで音にできます。

ヴォーカルの場合に、声になるように息を調整するというのが普通ですから、ああいう息の吐き方というのは、普通はやらないですね。やると、欧米のトレーナーであっても、ダメ出しするでしょう。たぶんに特殊な声帯を持っていたか、そうでなければそれを支える何らかの体のバランスを保ったかです。少なくとも、トレーニングの見本にはとれないですね。

一つの感覚としてあれに近いタイプの人が、息を吐いてやってみるにはいいのかもしれません。日本人の場合は、1曲歌うと、喉の調子を悪くするでしょう。真似られる人はたくさんいると思いますが、本当の意味であのレベルでは真似られないと思います。
特にミュージカルの場合、音域をとらなければいけない。ミュージカルでもたまに、ああいうタイプの人は、外国にはいます。体から声を出して、どちらかというと旋律的に歌うというよりは、言葉を叩きつけるような歌い方をします。

それは体があるとか、生まれ持って声帯が強いといえます。声帯を強くできるかというのは、誰でもある程度、声帯の周りの筋肉も鍛えられるというのですけれど、発声と必ずしも一致しない部分があります。結局、発声というのは、声にして伝えることが前提にします。サッチモの場合は、体と息で伝えて、声がかすれようが何であろうが、感情が声のほうに込められていたらぐいぐいと押していくタイプです。そういう形というのは、相当いろいろな音楽が、中に入っているから、形づくられるのでしょう。普通の人が出してしまうと、動かせず、音楽にはなりにくいと思います。

役者がそういうことをやると、あれに似たようなかたちでハスキーにして出せる。それがひとつの味があるというのは、サッチモでなくても、ハスキーなヴォーカリストがたくさんいます。ただ、ハスキーというのは結果であって、それだけ声帯が強かったり、声が太かったりして、元々、持っていないと、あるいはかなり、鍛えないと全員ができるのではないと、考えています。

○のどを守る

できる人がやってみても、その状態で、音域が狭くなったり声量がなくなってしまいがちです。それを越して味があるという場合のみ許されるのです。その場合、がさがさにのどがなる人もいますから、それをさけるのは決して悪いことではないと思うのです。
しゃべっていても声がガサガサに枯れていると聞きにくい。それが明石家さんまさんみたいな状態だと、すごく歌いにくいと思うのです。
結局、音楽上、使えない。音楽が入っていないのが第一にありますけれど、音楽が入っていても、潰した声だと難しくなってくる。ところがああいう声に近い声を出していながら、歌を歌ってもそんなにおかしくならない人もいる。

Q.潰したというのは、使いすぎなのですか。

A.声帯の状態が悪くしていることです。声帯の筋肉といわれるのは、声帯そのものではなくて、その周辺をコントロールする筋肉のことをいうのです。この動きが悪くなります。声帯そのものに関しては、楽器の、笛のリードみたいなところで、楽器の形を曲げてしまったり、マウスピース自体を変形させてしまうと、音にはならない。やるべきところは、共鳴管や息を吹き込むところによる調整です。トランペットでいうと、マウスピースのまわり、マウスピースの形をどう保つかということに対し、変形を加える。マウスピースを伸ばしてみたりとか厚く使ってみる。
それ自体の接点から、隙間のところで声が生じる。そこで、隙間ができないような変形をしたり、これ自体が荒れてしまったりさせない。ポリープができてしまうと、どんな名人でも調整しようがない。だから、そこだけ他のものに比べて、気をつけなければいけない部分です。

Q.声帯の周りの筋肉が直ると、つぶした人でも回復しますか。

A.筋肉が疲労したなら休めば回復する。精神的なものも含めて、声帯の接点での調整能力です。
たとえば低いところばかり、太くばかりかすれた声ばかりでやっていくと、裏声や、高いところで微妙に使うというのは難しい。
声帯のへりのところを微妙に振動させなければいけない。そういうことができなくなってしまうということです。お酒を飲んで、最初は声が出るのに、だんだん声帯自体がカラカラになってきて、騒いだりして荒れてくると、高い声は出なくなってしまう。そういう状態と同じです。
お酒自体も声帯から水分を奪います。すると、喉が渇くように全体的に水分がなくなってしまう。そういう状態に近いです。
それはダイエットをしているときにもいえます。体全体の健康と関係することです。

喉が熱く痛くならないように、休みを入れること。レッスン自体を、30分でかなり詰めてやっていますが、ここの30分のレッスンを1時間くらいかけてやるか、同じ30分だったら、半分くらいの量で、家でやると思います。のどがやられているなら、息を吐くことですね。それから誰にでも起きることが、ないのではない。無理に声を出したら、そうなります。程度問題ですからそれだけは他のものと同じです。

Q.はじめてトレーニングしますが、どのくらいやってもよいのですか。早く鍛えたいのですが。

A.最初ということで一律の答え方はできません。たとえば1時間くらい同じことをやらせても平気で、声が出せる人もいます。同じ素人でも、1曲歌ったら喉が痛いという子もいれば、何十曲歌っても大丈夫という人もいます。
1曲歌って喉が痛いとだめかというと、それだけ体を使ったり大声で歌うと必ずそうなる。小さな声でしか歌わない女の子は、別に1時間声を出しても平気ということがあります。

だから、それはよしあしということより、使い方です。原則として休息をなるだけ入れていく。鍛えて強くするという考え方は、あまりとらないほうがいい。結果的にはそうなるとは思いますが。
スポーツをやっていると、勘違いしやすいスポーツは筋肉が守ってくれます。疲労があると、そこが麻痺して、いくら飛ぶ練習をしていてもとべなくなってくる。腕立てをしても、腕の筋肉が使えなくなって、倒れますよね。

しかし、そのことによって、制限され守られます。☆ある意味ではこれで力がつきます。
声帯の場合は、そういう形では音が発されていないから、その周辺に関しては、その考え方が通用することがあるかもしれませんが、息を丁寧に吐くとか音をイメージするとかでやったほうがいい。声そのもので出してやるというのは、10人に8人はロスする。
そのうちの3,4人は、そこでロスしていても、量の中で調整して、結果OKにもっていっているようです。そこだけは、自分の中で直感的にやっていくしかないですね。だから、できるだけ音楽を入れておいて、そこでその音楽にしたがって、最終的にどう使うのかということを、強くイメージしてやっていくことは大切だと思います。

○強化トレーニング

スポーツでも基礎トレーニングをやっているときに、基礎トレーニングと実際の試合と、試合の中でどう使われるのかというのが、結びついている人は、相当いいトレーニングになると思います。☆☆そうではないところで腕立てを1000回といっても続かない。自分が腕が弱いと、とことんわかってくる。
声帯も、自分の声は結果的にこう使われていく、こういう歌に対して足りないということと一致していると変わります。
要はやればやるほど、声帯は疲れて状態が悪くなります。その状態の悪いことをどこまで許せるかは、トレーナーは許せないのですけれど、本人の判断の中でやる。

私がそれを正しくと言われたら、状態がちょっとでも悪くなったら、そこでストップをかけるという形しかいいようがない。☆
ところが劇団は、それを越えて、ひどいかたちで使っていながら、その中で半分くらいは育っていく。それがある意味では強化トレーニングになっているのですが、そこの見分けというのが、簡単にはできない個人差が大きいのです。
10人に1人は、1年くらいで5,6年分やれてしまう。後の人も4,5年経つと、役者のような声になっていく。ただ、その代わり、それは自分に特化した声です。日本人にはわかってもらいにくい。☆

○声楽との相性について

実際ミュージカルのように誰に対しても、高いところをある程度、求めるようなものに対しては、声楽的にやり方で覚えていったほうがいいでしょう。声楽の中で声や響きが鍛えられていくというのは、歌の中では理想です。サッチモのような声は、まず使わないからです。
ところが役者のように、いろいろな人を演じなければいけないという場合は、ある程度、タフさが必要です。☆☆
ヴォーカルの場合は、自分の特長を捉えて、それが一番生かせるものを一本持つだけでいい。逆にそこにすべてを持っていかなければいけない。

声楽と矛盾してきたときには声楽を切り捨ててもかまわない。声楽がバックグランドとして支えられているときには、それでやっていくと、いろいろなことがわかっていいと思うのです。今、逆に3つのやり方が違ったら違うほど、いろいろなことに対するヒントが得られるから、それをつかむ。自分というのは、こういうところに可能性があって、このトレーナーのこういうところのやり方に関しては向いていないのではないかと思いつつも、いろいろと探っていくことです。

一通り眺めるのが難しくて、自分が苦手なところややっていないところは、やっておくといいというところもあるのです。どこかの時点になったら、ダンスなんかと同じですね、最初は幅広くなっても、全部やっておけばバランスとしてはいいわけです。
ところがある時点から上になると、特化して自分の種目だけを強化すると考える。その両方が両立できればいい。
ここのトレーニングの形態でも、半年ごとに見直してみて、1年ごとでもいいが、今年はどういうふうにしようと、プランニングする。これに特化して、このトレーナーのを増やしていくというような判断をする時期があると思うのです。元々一人について、月に4回しかできないレッスンが2,3人からアドバイスしてもらえると、いい方に捉えてください。

○ひびきとことば

安定している部分は、息が出ていて、それで言葉を言いやすいようにいっている。その部分を、これは歌の特徴でもあるのでしょうけれど、響きのほうに少しずつ持っていく。響き中心で歌う歌い手と、言葉中心で歌っている人といて、大部分がその間のところでやっているわけです。
響きのほうにだけやってしまうと、言葉がよく聞こえなくなってしまう。声が弱くなって細くなって、高さだけとりに行って、さえない合唱団員のようにだんだんなっていく。元の声がよくないと切り開けません。
すごくソフトに柔らかく歌う人なんかがいますが、どこかで強さがなければいけない。本当におさえて眠くなってしまうような歌い方になってしまう人もいます。

女性の中では多いですが、高いところだと細い声しか出ないから、ポップスは歌いにくいという。ジャズやシャンソンも、日本には両極のタイプばかりがいると思います。きれいな声で歌うことに憧れる人と、ハスキーがシャウトの人と。きれいな声に憧れる人は、声楽にいきます。そういうものよりも、声楽っぽいのが嫌いだと、違う味を求めると言葉中心になっていきます。
問題は、言葉中心になったときに、言葉ベースの流れが一本通っているかいないかでだいぶ違ってくる。日本語をつけてしまうと、どうしても頭で言葉をはっきりいわなければいけないので、ぶつ切れになって、つなぎにくくはなってきてしまいます。

○やり方で歌わない

「愛はかぎりなく」を、岸洋子さんと村上進さんと比べてみましょう。根本的に違うのがチンクエッティ。その一番ベースに対して、ドン・バッキー、ドメニコ・モドーニョがあります。あの歌い方は、声が太かったり、そんなに音域があって声を張れるわけではない人の、ひとつの理想のかたちですね。ビルラやミルバのようにあれば、何でもやれるのかもしれません。けれど、あれだけの大曲を、きちんとまとめていく、きちんと言葉でつないでいくには、ある意味で切り捨てていく。☆そんなに高くもしない。最後もああいうふうに張り上げようとしたら大変です。別に歌は上に持っていかなくても、落として終われば、音域はそんなにいらないのです。

だから、大曲になってくると歌えないというのは、すべてに恵まれ2オクターブくらい楽に出せる人が歌っているのを聞いてしまうからです。楽に歌えないと思ってしまうのであって、そうじゃないのを聞くと、音域的には歌える。やり方でも歌える。
ただ、その分、彼の持つ音楽性や、微妙な置き方というのは、なかなかできない。それでは、違う意味の難しさがあります。
日本人が歌っているのと違って、本当にやらせてみても難しい。声量など出てくると、似たようなことはできるようになるのですが、音楽にならないのです。

言葉で日本のフォークのように聞こえてしまうのですね。「ディオ」というところで、神様に最後に置いたところでも歌ではなくて、何か声でももっと深く伝わるものが出る。日本人の場合は感情移入していても、今度は感情に流されてしまう。ボソボソとなってしまったりする。バランスを、若いときにできてしまうというのは、才能だと思います。けれど、若い歳でなければ、破るのもできないのかもしれないです。プロのと比べたときに、どう考えても声はプロのほうがいいし、歌唱力もある。なのに、音楽として見たときに、なぜ奥の深さとか、何回も聞いて耐えるものはどうでしょうか。

その2人しか聞いていなければ、その2人をすごいと思ったと思います。向こうのものを聞いたら、それが結局、向こうの文化に根づいて出てきたところに深さだから通じない。それはいくら向こうの人が歌舞伎をやって、日本人より大きく動ける力があったとしても、その味が違うのと同じです。そこは比較しても仕方がないと思います。ただ、そこを勝ち得ないと、ある意味では言葉でしか通用する歌にしかすぎないのでしょう。だから、言葉は越えるべきだろうと思っています。

○オリジナルと日本版

フレーズの切り方が、言葉が違うから、切るときに日本語だとそうじゃないところもあります。だけど、そうじゃないからいいというものもある。
バルバラを日本語にすると、本当に違うものになってしまう。前は使っていたのに、バルバラも使えなくなりました。ましてピアフも、もう使えない。

原語で歌う人の考えだと、ビートルズを日本語で歌ってみてどうなんだということになります。それはその曲でないということになってしまう。
語はまだ、日本人もわかるからいいのですけれど、バルバラなんかは、どんなに歌って、ああいう開け方や飛ばし方はできない。向こうのをコピーしているところでしか成り立たないですね。バルバラを知っているので、途中であいてもおかしいと思わない。ああいう歌い方とみます。他の人の歌だとしたら、ああいう開け方はしない。すると歌としては成り立っていないわけです。

でも、歌唱力があるから、日本人のお客さんが聞いたときには、あれはああいう歌なんだなと思わされます。比べないかぎり、プロでもわからないほどしぜんなのです。☆☆日本でもそれなりの人が歌ったら、成り立っています。私が連れていかれたベコーのものを歌っているところは、明るい歌声喫茶のようなところですが、もう一声で違う、拒絶したくなるものがありました。

Q.オリジナルのシャンソンを聞いているのですが、そうすると日本語で歌えなくなってしまう。あまりにも日本語の歌詞を違った場合に、違ってきてしまう。

A.歌詞自体がよくない場合もあります。しかし、まだ、カンツォーネやシャンソンの日本詞は恵まれていると思います。どんな歌詞でも伝えられるようにしましょう。

○ハスキーヴォイスと子音処理☆

「神の思いのまま」は、全然違ってしまう。うまく歌えたから、うまく歌っただけの歌になってしまう。とことんその感覚は出したかったのに、フランス語というのと、歌と違うところから聞こえてくる部分もあります。でも結局は、彼にしか歌えないというものなのでしょう。ああいう1オクターブの処理というのは、日本人にはできないですね。日本人だったら、とんでしまいますよね。ここで言葉をいって、そうしたら息が押し出す。ああいう感覚は、私も声がかすれてわかってきたのです。私たちは声がしっかり出ているところでは、絶対にメロディと音をとりに行きます。言葉の子音で処理できません。

日本の中でいうと、ロックで西城秀樹が、声がなくて歌っているときに、高い音まで出す。上のFやGまで。そのときは、言葉でいっているのですが、結構高いところに届いていて、ああいう感覚が欧米人の場合は入っている。発声は違いますけれど、高く歌っても低く歌っても全然平気なのです。日本人の多くは、口の中で加工しています。欧米人の歌い方とは違うのです。感覚的には同じトーンで、高いところまで、声は細いのですが、太く出しているように聞こえる。あそこで歌ったら、フォーク歌手のように、オフコースや南こうせつさんやさだまさしさんのようになってしまうのです。

彼の場合はそうならない。それは、日本語を外しているからだと思うのです。日本語なのに、日本語ではない感覚、そこの処理の感覚ですね。バルバラもそうでしょう。普通の若い子が聞いてみても、うまいとかそうい意味では判断しないと思います。でも真似て少しでもできるかというと、できない。感覚なのです。それとともに、言語と音楽がすごく結びついている。あの言語を使わないで、「悲しみのベニス」もイタリア語でやると、日本人でも少しは格好がつくのでしょう。日本語でやると、単にきれいな歌になってしまう。

Q.オリジナルになると、どうしてこんなにいいのか。同じ立場にいるのに、まるで違う。そうすると歌えなくなってしまうのですが。

A.まさにそこの差でしょうね。日本でも優秀な人はいますけれど、やっぱり歌ってしまう。☆彼らのは歌っている感覚がそんなにないのでしょう。歌い上げているのではなくて、本当に、しゃべっているくらいの、会話が成り立っているくらいのところで、2オクターブを処理している。だからといって、言葉なのかといったら、言葉でもない。音楽でないとできない部分をきちんと生かしている。日本人でクラシックをやってきた人は、高音のところで、特にポップスに入って、浮かして逃げるやり方を皆知っている。それがすごく、耳につきます。上の音、下のほうでは役者のような声でも、上になるとフワーッとまわす。あれが、気持ち悪い。でも考えてみたら、日本人はあの感覚に近いところでとっている人が少なくない。ミュージカルもそうです。

ところが向こうの人たちは、そんなふうには、とっていない。芯があってストレートに出している。カンツォーネでもそうです。ただ、だんだん若い人はマイクを使って、高いところも張らなくなってきていますね。それだけインパクトがなく、私からすると物足りないのですが、今の中ではバランスがとれているのだと思います。だから、きちんと歌っている歌と比べる違いは確かに大きい。日本人のものを使って、原語で歌っている人とは全然違うわけです。

Q.ミルバのを聞いたら、もう歌えなくなってしまう。第一声の低いところで出して、声色が変わって、ソフトになっている。

A.結構、荒っぽくは聞こえるようでも押しているのでなく、引っぱっている。鳴らしているときいえます。☆ミルバは、歌い方をすごく多彩に変えています。「タンゴ・イタリアーノ」はリズムも3つ変わりますが、上のほうのふわっとした感じとか、タンゴの甘さなんだなという、“ドルチェ・タンゴ”のようなところは、真似たらできそうであって、違う。いわゆるタンゴのリズムを歌っているのではなくて、そのタンゴの音色みたいなものが、彼らがいう甘さはこういうものというもの。日本人の言う甘さというのは、言葉と感情で「甘いタンゴ」と言っているだけですから。だから、日本のプロがやっているのは、彼らにとっては素人さんの発表会レベルなのかもしれません。日本語がついているから、どうしようもないというところがあるのでしょう。でも、原語なら、さらに差がわかってしまう。

○最良の選択

ミュゼットののりも流れが表れない。血というか、日本人との違いというか、足に地がついているというか、そこの文化の中で育ってきて、そのままの感覚の中でやっている。日本人も優秀な人がコピーをしたり、持ってきたのですから、日本人が歌唱技術として才能がないということではない。そこの血でしょうね。歌い手の中で気づいてそこを分けている方と、気がついていないで、コピーできたから歌っている人がいます。日本の場合は、30代くらいで大御所になってしまうから、後者が多くて、気づいていないままいくのでないかという気がします。本当に気づいたら、越路吹雪さんが、向こうでピアフを見て、もう歌えないと言った。本当に気づいたら、歌い方から選曲まで変わってしまうと思います。

だから、やっぱり理由があるのです。私は説明をしなければいけないから、なぜこれがだめで、これがいいというのか考えます。たとえばミュージカル、こちらがダメで、原盤がなぜいいというのか、ことばにしようと努力します。というのは、その人のファンもいるし、それがいいという人がいる中で、どう説得できるかということも仕事だからです。皆さんの音楽の聞き方が浅いんですよとはいえないわけです。お客さんは一人ひとり違います。
要はそういう観点で聞いていない。歌という形があって、そこで安心して、我々の場合は成り立っているから、甘えているのですね。向こうの場合は、絶対にここはこうなんだということで構成されている。すごく自由なのに、結果から見たら、最良の選択をしている。☆☆日本のプロの歌というのは、私は何箇所も改良の可能性のある点を指摘できます。歌だけなら全部指摘できます。

○練り上げられたもの

ところがバルバラのものといったら、指摘するところがないです。これしかないなと、逆に気づかされます。こういうやり方があったのかとか、最初はわからないけれど、何回か聞いていくと、絶対にこれしかない、これがこういうものなんだと、深さが違います。
徹底して練り上げられているというか、それしかないところまで、完成させている短歌や俳句と同じですね。一字も変えられないというところまで。

最初は、変だとか、なぜこう終わったとか思うときもありしますが、何回も聞いていくと、負けを認めざるをえない。☆
自分が思っていたとおりにやると、味がなく、これがすごいというのがありますね。その感覚を持ってやらなければいけないと思います。
音域とか、向こうをコピーをするのではなくて、バルバラが開けたというところは、真似て開けるのではなくて、自分たちが歌っていたら、ここが開けたくなったら開けるのです。そうならなかったら、それは続けてしまうべきでしょう。
向こうが6番まで歌っていても、自分で2番で持たなくなったら、2番でやめるべきです。そこの判断があるかの違いです。
向こうのものはいいと感じるのは同じなのですが、それを日本で歌ったときに。そこの部分が歌だけで一人歩きしてしまう。そうしてジャズも、細かいところばかりにいってしまいます。元々のパワーやインパクトが失われてしまう。

○働きかけ、使い切る

日本人の歌は、最初にお客さんとの相互了承がとれているところの甘さがあって、向こうは元々、街頭で歌って、客が集めるところから勝負している。パワーが必要、厳しさが違う気がします。すごく鍛えられてきているのが、客への働きかけの部分です。技術的には、日本が低いと思いませんが、使い方が、有り余っているというか、余裕の中でやっている。向こうのは、本当にぎりぎりのところまで使いきって、本当に頭が下がるような歌い方というか、こういうものが完成品、芸術品だなというようなところまでやっている部分があります。

それはシャンソン、カンツォーネにかぎらず、ジャズでもポップスでもそうですね。日本の歌でも、そういうものがいろいろあったのでしょう。でも、日本人がつくった歌で日本語で歌っている歌は、向こうと比べられないところがあります。理由がはっきりしているから、最近は落ち着いてきています。
向こうから持ち込んだものは、歌詞はジャズやポップスは日本語で歌ったら、恥ずかしいような、読むだけでも恥ずかしいような、これはもうどうしようもないという歌詞が多い。そういう意味では、カンツォーネ、シャンソンの方がいい歌詞はたくさんある。日本のものと思ってもおかしくないものがたくさんあります。

「バラはあこがれ」もいいなと思います。音楽的に聞かなければいいのですが、ベコーが歌っているのを聞くと、全く違うということになる。
ただ、日本人が歌うとしたら、こういうふうになってしまうというのも当たり前でしょう。日本人がつくった歌も、皆、こういうふうにはなるという気がします。そこは言語の感覚からの違いだと思います。

○パワーの差

日本人の声の部分の感覚よりは、重くて、深い。向こうの声に近いような声をされているから、逆にそういうところは出しやすい気がします。そういう歌い手に比べて、器用な歌い手は、音域が広くて、特に上のほうで、声楽的な技法を持っている。結局、自分ではつくっていないのですね。それを借りて、いきなりそこに声楽が入ってしまうから、非常に違和感があるかたちになります。

日本人は、まだ声を大きく出したり、高くするところでびっくりするようなところがある。よくないと思います。そんなことを当たり前のようにできる国民の中では、そんなことをやっても、全然意味がないことがわかるのでしょう。日本の場合は、そこまでいっていないと思います。すごく弱く丁寧に歌うことで通じてしまうわけでしょう。だから、そこのパワーの違いは絶対にありますね。
向こうでいったら、皆寝てしまうなというところで成り立ってしまって、そこに感動したという。でも本当には感動していないのです。本当に感動したら、あんなふうにはならないのです。でも、無理に感動しなければ、無理にその歌をわからなければという熱心さが日本人にはあります。

だから私は、ライブに行かなくなってきた。向こうから働きかけてこないものに、お金を出すのは、無駄。何といっているのか、聞き取らなくてはいけないということ自体、おかしな話、こっちがお金をもらわなければいけないと思います。そういう意味では、本当にまだまだだと思います。この前、ゴスペルのKさんに会った。

○しぜんである価値の大きさ

向こうに行っていろいろなことを習ったと。声が出るようになった、今は高いところが出なくて、低いところでやって、それがちょうどよい。高いところで歌いたいとは、二度と思わなくなってきたというのです。今がちょうどいい、しゃべっているくらいで歌うのがちょうどよいと。
若い頃に高く歌おうと憧れたものは、今から考えたら、とんでもない。そのくらいで彼らは高いところまで歌っているというくらいなのでしょう。日本人のような無理な作り方をしていない分だけ、聞くに堪える。

何回聞けるかという話なのです。聞くほど味が出てくるのか、飽きてくるのかということでしょう。そうすると日本人のは、ストーリーで持っているにすぎない。音楽的なところで聞いているわけではない。こんな話とかこんな詞とか、それはすごく面白い。けれど、やっぱり物語がわかってしまうから、1ヶ月空けてから聞きたいとなるのですね。

一人の人のコンサートに行っても、また年に一回でいいなと。5年か10年に1回でいいと思う。
本当によかったら、明日でも行きたいと思うでしょう。そこがちょっと違う。日本の歌は朗読劇に近いと思います。朗読劇だったら、同じ演目を次の日に聞きたいとは思いません。映画でも、どんなによくても、次は、何ヶ月もあけてとなる。それはイベントで、そこにずっといたいとか、20曲でも30曲でも、この人の歌を聞きたいとはならない。歌は今までも歌えないし、これからも歌えないし、一生かけても歌えない。
声は使えるようになったし、扱えるようになったけれど、歌というのは難しいのよと言われていました。そうだと思います。

○本当の勝負とは

声の大きさや発音がきっちりしているということではなくて、歌は伝えたいことを伝えることの思いとか、その変化を見せていくわけです。若い頃はそういうことを処理できないので、どうしても元気がいいとか明るいとか、勢いがいいということに好感を持ちます。若手の漫才師でも、高い声ですごいテンションで入っていかないと、つかめない。聞くほうのお客さんも、子供っぽい、しんみりと言っても、集中しない。すると元気よくやる。それはその時期、技術がないがために求められたりすることです。それで最後までいいというのではない。なのに、それでカバーできてしまうのです。

要は伝わらなくても、大きな声ではっきり言っていると、相手は意味を汲んでくれる。最終的には、どんなに小さな声であろうが、どんなに弱くても、そこのところできちんと伝わる声にしないと通用しないのに気づけない。どれだけ繊細にていねいに、言葉を扱えるかというのが、最終的な勝負ですね。そのために最小限必要な声量というのはあります。当然、マイクのない世界で、声が聞こえないというのでは、どんなに言ってみても意味がない。聞こえた上での評価です。

そのためには、強め大きめというのが問われるのだけれど、それは強ければいいとか、大きければいいというわけではありませんね。
というのは、大きな声や強い声でやればやるほど、自分から、そういっているのですから、自分の中で無理があるわけですね。自分が大きい声、強い声でやるのは、普通ではないわけですから。ということは、マイクを通したり、長くなると棒読みになってしまう。平坦になってしまう。たとえば大きな声で歌ったりすると、小さな声でもやりにくいかもしれないですけれど、普通の声で歌うよりもメリハリがつけにくくなってしまう。

すると、実際に聞いている人は、最初は聞くけれど、ずっと聞いていると、飽きてきます。結局はマイクに入るから、小さな声で丁寧に歌っている人に負けてしまうのですね。平凡に聞こえてしまうのです。大きな声をいくら出しても、マイクでうるさいと絞られてしまうのです。歌としては一本調子になります。

その状況にもよりますね。生の場では、大きくやるしかない。芝居など。ところがアナウンスでやる場合には、大きくやると、かえってはみ出して、粗が目立つ。粗だけをマイクが拾ってしまうことになりますね。どんなものでもこなせるうまい人と、ある特定のものに対して、強い人がいます。どちらの売りでいくかでも違ってきます。両方やれれば、本当はいいのです。ああいう音色であんな個性が欲しいという人で選ばれる人と、どんなものを読ませてみても、この人はうまいからというのでやれてしまう人は、別です。

○個性から入る

皆、何でもできるように勉強する。自分の個性を生かそうと勉強する。実際勉強するにも、まず個性で売り出して、その個性があった上で、個性を消して、他の仕事もできるのが望ましいが、日本では逆パターンが多い。☆たとえば、太く強く読むけれど、やわらかく細くも読めると応用性が高まる。その辺は器用にやっていく人と、私はこういうのはできないけれど、こういうのはできるという人がいます。
たとえば5つくらいの役があったら、その5つともこなせてしまう人と、4つは下手だけどその1つはすごくうまくやれる人がいる。
それはその人の個性でもあるし、特徴でもあります。また、努力目標ですね。一つだけの役だったら、その役がないときには、およびがかからないわけです。他のこともできたほうがいい。全部が平凡に読めるだけだったら、素人と変わらないわけです。トレーニングなら両方必要です。

○流れ

流れの中にもいろいろな流れがある。赤という色を、ただ「赤」で出すだけでは、絵にならない。赤の中でもいろいろな濃淡や変化がある。
まだストレートにひとつの文章という感じで読んでしまっています。最初はしかたがない。
「ある日のことです。お釈迦様が」と言って、その流れがくずれてしまったら、ダメ。本当に言える人は、その流れをくずさないで、ニュアンスを詰めていかれる。出だしは大切なところで、出だしからしばらくで、その人の力がわかってしまうのです。

○切り替え能力

これから本番といって、アナウンスしなければいけないときに、声でしっかりと読むと、声がしっかり出てよくないわけです。プロは、こんな感じで伝えようとそれぞれの思い方、内容の面を考えているのです。
声はしっかりと伝えようと思わなくても、声が出るまでは、その練習をしておく。声が出ないわけではないのですから、あるレベルでは切り替えの能力です。練習のときは、何を意識してやってもかまわない。何でそういう練習をするのかというと、本番のときに、そんなことを忘れるためにやっているのです。
たとえば昨日やって、声が全然出なかったとしても、やる日の朝までは声をしっかり出せればいい。本番になったときには、その意識を消さないと、内容に入っていけない。声を出そうとか出せないとか思っていても、とにかく出さなければいけないのです。

自分の力はそこまでしかないのだから、それをどう使うかということに意識を向けることです。自分の調子のいいとき悪いときといっても、調子がいいという状態でやれるときはめったにないと思えばいい。最悪のときでいつもやらなければいけない。そのときに、声を最高にしようと思わないで、最悪の声の状態でも、内容をきちんと表現するというふうに考えないと、後ろ向きになります。
どんな人でも、ベテランの人でも、毎日仕事をしていたら、体調を壊したり、相当悪いときがあるのです。そんなことを考えたら、普通に何とか持っていこうとか、声をよくしていこうと思っても、できないです。今日は今日、今日はこの体だということをふまえて、それで内容に入って、見せていく。そこは切り替えないといけません。

○調整能力をつける

練習は、そこで声を気にしないために声のことをやっているのです。練習で声を気にするのはよいが、本番でもっと気にしたら、悪い結果になってしまいます。声はすごく精神的なものです。あなたが、ベテランに比べて声量がないということではないのです。ただ、彼らは自分のことをよりふまえているから、声量をどう使えば効果的か、どこで使ってはいけないのかという判断を的確にします。それは場慣れをしている。いろいろなことをやってきているから、あなたが彼らよりも声が半分しかないということではなくて、その調整能力がないと思えばいい。☆☆

だから、声を出そうということは、本番のときには思ってはいけない。練習のときに思ってもいいのですが、レッスンのときにもあまり思わないほうがいいですね。そう思うから出なくなる。声は調子悪いなと思ったら、調子が悪くしか出ない。どんなに調子が悪くても、今日はいいと思ってやることです。
仕事やレッスンのときは、結果として帰るときにも、出なかったとというのは、それはしかたがないと思います。気分的にも左右されるものです。嬉しいことが一つあったら、声はよくなるでしょう。  悲しいことがあったら、最悪になるのです。そっちでコントロールしたほうが、発声をどうしようと考えるよりもよい。その上で発声のことは別にやっておくということです。

○読譜能力をつける

先生についたとき、前の先生でないという形になることが一番困るのです。指導上、最低限の言及はかまわない。読譜と初見では、正しい発声でできなくても、リズムなりピッチがとれること、つまり正しく歌えることを優先してやっています。
昔は、発声のできる範囲内に下げてもらっていたのですが、今は逆に発声的に無理な音であろうが、とにかくそこで、その音を優先してよいということです。正確にやっていく。

プロでもあまり正確ではないから、音程でやるときには、歌や発声ということではなくて、音として正確かどうかということで割り切っている。
それが、必要であれば、発声練習をしたほうがいいのは確かです。声の注意も、発声上でとれない人には有効だと思います。
ポップスにとってみたら、自分の知っている歌でやったほうが、高い音が出たりリズムがとれるのを、もっと簡単な楽譜でとれないというのは、慣れていないだけです。

楽譜があるから、耳でとるのではなくて、目でとったものを声に置き換える作業に慣れていないだけです。
本当は教えないほうがいいのです。ただ、感覚というと耳ばかりに頼って、いい加減な人も多いです。一回きちんと枠にはめるのも勉強です。

とにかく、いろいろなことを言ってくる人もいますが、要は、本当にすぐれていたら、両方できるということです。どこかに偏っていても、とことん何かがすぐれていて、活動でもしていたら、何も言いません。そうでなければ、両方できるぶんには損はないわけです。後で読譜は必要ないと思ったら、やめればいいだけです。

何に役立つかよくわからないという部分です。ポップスでも初見ができると、合唱とか他の人と一緒の活動をやったときに便利です。 伴奏もコードでとれる。伴奏者が使っている楽譜は、コードだけで書かれているものが多い。ヴォーカルのにはメロディを入れているのです。アレンジや即興のために、バンドのにもメロディが書いてある場合もあります。
ヴォーカルがどこを歌っているのかを歌詞ではなくて、メロディでわかります。そういう意味で、ヴォーカルも、楽譜は読める方がよいという気がします。

読めなくてすぐれたている人は、たくさんいます。絶対にやらなければいけないというのではありません。2拍と、3拍が続くような部分などコールユーブンゲンのような、実際にポップスの曲にはないようなことも、一通りやっておくと、フラメンコなど、普通の人は絶対に歌わないでしょうけれど、いろいろなものがきたときに対処できる。譜面を渡されたら、こうなっているんだというのがわかります。

○つきつける

全員が飾りつけに嫌と思うようになってきたら、やめようと思います。私から言うと、無理に突きつけないと、最近の子は意識しない。少なくとも生徒がここに来たときに、ここはこういうことをやるところと伝え、声帯をちょっとは考えなければと言います。
お客さんには病院みたいに思われる。あまり見ていて気持ちのいいものでもないのですが。
今の生徒はなかなか難しい。言ったらわかるのですが、言われないで気づくということをなかなかしないのです。昔だったら、本屋に行って、医学書を見て勉強をしたのですが、今は身近にあるものしか見ないようです。

安定すると、下手には聞こえなくなってくるのですね。聞いてみると、何となくアマチュアじゃない。声楽もそうですね。
ところがそのことと、人を惹きつけたり、どうしてもその人のファンになろうとするだけ、心に働きかけるということは、まったく違う。
それが一致するのだったら、音大を出た人が歌ったら、皆感動するということになります。
声も技術もよくなる。役者も5年10年とやっていくと、役者の声になってくる。演技も身についてくるから、普通の人よりは何かできるようになる。けれど、だからといって、感動させられるのか、その人のファンになるかというと、一致しないですね。

○深める

ヴォイストレーニングは何のためにその人が使うのかということです。確かに声域を広げたいとか、高い声を出したいとか、いろいろな部分がある。けれど、そんなものが出ても、その先に作品や、その人のステージがなければ成りたちません。カラオケの中の世界であれば、何でも単にできたほうがいいということになる。

できた方がいいということではなくて、深まらなければいけない。その人しかできない作品にならなければいけない。そのときに、その人がもし曲を、才能があって生かしていきたいということであれば、歌というのは、その曲を邪魔しないほうがいい。
何もかもが声や歌で、全部やれるわけではない。詞と歌と、声のバランスが大切です。発声がいいということと、音楽の組み立てで見せていくことは違う。

歌い手の中でも、声がよくないし、歌唱力もない、でもヒットメーカーもいれば、いろいろなファンがついている独自の色のある人もいる。
ポップスの場合は、そこまで広げないと、声だけやっていて、どうなるかというと、かえって個性がなくなってしまいがちです。
その人の持ち味が、声が伸びたがために、魅力がなくなっていくこともなくはない。よほど、そこはトレーナーが気をつけるというか、その人の表現力がすごくあれば、それは大丈夫なのですが、真面目に考えてしまうと、どんどん歌えなくなってしまうところがあります。

○楽譜に学ぶ

バランスよくやっていきたいときは、1年目に発声が、必ずしもすごく伸びるということでもないと思えば、読譜や周辺のことをやりながら、2年目3年目に備えていくというのも、結局音をていねいに扱うという、ひとつのきっかけのようなものです。楽譜がていねいに読めたからといって、たいしたことはない。けれど、読めない人よりは、音の世界や音の意味をわかってくることがある。そういうことで学べるかは、読譜力をつけ、いろいろな楽譜を見るだけでも勉強になる。シンガーソングライターではないけれど、作曲をやると、いろいろな楽譜を見てる。要は曲で聞いたときには勉強ができないけれど、楽譜で見てみるとわかることもたくさんあります。

自分で書いてみても、鼻歌でつくってみたら、わからないことが、きちんと楽譜に書くことによって、ここはこうやったほうがいいと、バランスを考えて、ここがこう離れているから、ここもこう離れるべきだとか、そういうのを目で見て、チェックするには、楽譜は非常に便利です。使い方しだいです。

○近づくこと?

ステージでもそうですけれど、時間を選べない仕事なので、結局どんな状態のときでも、それなりに、見せていかなければいけない。そこでごまかしが入ってしまう部分も当然あるのです。だからこそ、それを自分で知ることです。
できたということが、本当の意味でいうと、できているのではなくて、うまくごまかせてしまったり、つなげられてしまっているということも、歌の中は非常に多い。そのうちに、それがやりやすかったり、それが確実に、ポイントが稼げるから、癖になっていったり固まっていくこともあります。☆

ほとんどが歌をうまく歌おうと思って、耳で聞いたようにして、やるところというのは、歌い手のベースの部分ではなくて、歌い手の格好いいところや、伝わるところとか、そういう部分ばかりを聞いて、その部分だけをやるから、どうしても実際、本人が思っている分には、上達したり、それに近づいているように思っていて、そうならない。本当に大切な発声のところを、やらないで、上っ面のところを真似ていくというかたちになりかねない部分もあります。

○安定すること?

声の状態によって、レッスン自体のその日の調子のよさに左右されてしまうところがあります。それは声からいうと、長くやっていくこと、続けてやっていくことによって、少しずつ底上げする。かなり調子が悪くても、力がつくと力の出し方を覚えるということがあります。3年5年前だったら、こうなったときには、どうしようもなかったということを、元の状態に戻せたり、ちょっと危ないと思ったときに、早めに切ってしまったり、戻すということで、とことん悪い方にいくのを早めにさける。

初めの頃は、そういうことがわからないから、やればやるほどよくなるとか、あるいはこうなってもまたがんばるということで、かえって壊しているようなことがあった。そういうことがなくなるから、底上げしてくる。声としては安定していくのです。けれど、安定していくことイコール表現や歌になるのかといったら、ならない。表現や歌のほうから、エイヤーとやったときに、裏返ったり、おかしくならないようになる。こっちにベースの部分がある。

その切り替えが難しいですね。発声がはまっているときには、気をつけなくてはいけません。当然のことながら、あまり考えなくて、無意識でその状態がいい方向に向いているから、そこでいいような感じで出していると、自由にできるようになる。ところがいつもの状態だと、たまたまのところが起きなくて、普通ですから、そこでちょっとうまくいかないなと考え出したり、力を使ったり、がんばろうとすることが結果として悪いほうに持っていってしまう。

○調子のよさと作品のよさは別

すごく声がいい状態といったから、歌が歌えるわけではない。声がいい状態だなと思うときと、すごく悪いときと、それほど差がないことが多いのです。現実的には、声帯にポリープができて絶対に声にならないということではない。むしろ気持ち的な部分で左右されることのほうが大きいですね。体調やバイオリズム、気力やノリもある。疲れというのもあります。ただ、多くの人を見ていると、本人が調子がいいといってもそれほどでもないと思う。逆に調子がすごく悪いといっていても、それほど悪くないと思うことのほうが多いです。

声がいいときは、その人がすごくいいことがあったとき、うれしいときには、そのままよくなります。悪いことがあったという日に、これは相当な技量をもっている人でも、声としては輝きを失ってしまったり、うまくいかなくなったり、全然声が出なくなることもあります。かなりそういう精神的なことで左右されるのです。自分の中の基準としてもてばいいと思います。はまっているときの中での問題を、さらに考えていくということです。逆にはまっていないとき、いつもの状態のときには、はまったときの状態と同じようなつもりでやってみることですね。

Q.すぐに声にならない。調子のいいときには、最初から何もやらなくても、結構声にはなります。

A.それは歌い出すときの頭のほうですか。それとも何回か歌って、発声練習をやってもということですか。声は、スポーツとは少し違うのですが、続けて使っていったりすると、その状態に当然そぐってきます。パッと出して声が出るというのは最初は期待しないわけです。5分10分たって調う。30分とか、1時間2時間たってからという場合もあります。1時間くらい歌いこんだほうが、声が使いやすい状態になるのは確かなのです。

ただ、同時にそれは度を越えていることもあるといったら変ですが、声が良く出るというのは、結構声を固めている部分があります。その状態が、やりすぎのことも少なくありません。1日寝てしまったり、ぐっすり寝すぎてしまうと、かえって声が出なくなったりする。本当にいうと、そこですでにロスしてしまっている場合があります。

もし1日目に声がよく出ることが、2,3,4日目にあまりよくなくて、休めて1週間2週間たって声が出るようであれば、それは声がよいときにやりすぎですね。結局、声がよい状態のときに、声が悪くなるところまでつくってしまっている。ただ、その当日は、それで出てしまうから、あまり問題がない。

○微妙さと危うさ

調子がいいときは、微妙に声帯が動くときです。それは、アルコールを飲んだり、風邪をひきそうであったり、危ないときでもあるのです。実際、自分が普通のときだったら、こんな声が出ないという声が出るのは、自分にとっては間違いなわけです。非常に微妙な状態ができているわけです。自分の中で意識しないけれど、たまたまそういう状態なのです。

そのときにあまりに歌いすぎてしまったり、使いすぎてしまうと、かえって痛めます。そういうときには、少し用心し、無理をしないで、もう少しやりたいという手前でやめておく。そのいい状態を次の日に残すことです。なかなか残らない。一回寝てしまうと、悪い状態もなくなる場合もあるのですが、いい状態もなくなることがあります。昨日はすごくよかったのにということが、よく起きる。だから、底上げしていくしかない。

最初はビギナーラックみたいに、すごくいい状態は、たまにしか訪れません。プロよりもいい状態で来るときがたまにあるのです。でも扱えないから、その状態をずっとキープできなくなってしまうのですね。ここでの問題は、結果として意識されたことです。実際に、いつもの息の状態、口まわりの力みなんていわれることは、力まないときに出ているからですね。うまくいかないときは、声にするときに、息の圧力や力みを入れないと、声にならないから入れてしまう。入れてしまった結果、バランスがとれないという悪循環になってしまいますね。

だから、この2つをギャップとしては見ておけばいいと思うのです。けれど、分けないほうがいい気がします。軽い圧力で声になるときは、本当に調子がいいときです。調子が悪くなるとやっぱり力でやっていきます。なおさら悪くなってしまいますね。声だけのことで、声たての問題があります。そういうふうにみられる人は、あまりいないのですが。

Q.調子の悪い状態で、発音とか音程とか、がんばろうとすると、悪くなるのではと、怖いです。

A.本来は、全部がうまく連環している方がいいのですが、しかし、分けたほうがいい場合もあります。
発声は発声に終始します。音程は音程のチェック、リズムはリズム、発音は発音というふうに、要は発音をやっているときに、この声は発声と違うとか、音程で音をとっているときに、発声でも音を正しくやろうと考えないことです。音程や発音というのは、やっているうちにそれが体にきちんと入っていたら、できてきます。発声のときに、適当にでも、音程も発音が正されていく。

発声をきちんとやっておいたらよい。最初は音程をとろうとか発音を正しくと思ったときに、発声は出てこない。発声が自然になってくれば、自然になってくる。というのは、余計なものがついていて、それをとっていくということもあるのです。
やがて自分の中でコントロールできるようになります。昔は音程が離れていたら、コントロールできないで不自然になっていた。それが、声も変わったり、発声のほうの器が大きくなって、自然にそのくらいの音程を、あまり意識しないでこなせるようになった。結局それが一番いいわけですね。チェックシートをつくるといいでしょう。課題を分けて考えて、そのギャップを埋めていくことです。
とにかく自分の意思を関係なく訪れてくる、いいときをあまり当てにすることはできません。悪いときをベースに考えて、それでも声にしていく。

Q.いいときは、息を出そうという感じではなくて、息がとまっていて圧力が下にかかっています。上半身が真空状態になるような感じです。
上半身にある空気がじゃまになる。上半身がふわふわする、無駄な空気が残っている。悪いときは、勢いで声を出してしまう。圧力のときはポイントを押さえていて、ひっぱているような感じです。

A.何か、変な言い方ですが、乾燥していてキンキン響く空気と、湿っていて響きにくいイメージですか。圧力でなく風量というのは、焦点、絞込みの問題でしょう。風量というのは広がっていくのです。効率がいいということですね。ひとつの力で10が出るというような感じですね。
風量というのは、10やっても1くらいにしかならないということですね。どこから崩れるのかによります。上半身の力を抜こうとすると、声にならない。だから自分の中でうまくまわっているときの、そのときを自分の体で意識したら、わかるのでしょうか。
とにかく自分の中でイメージを持って、認識をして、そのイメージをなるだけ出すほうにやるということです。

普通の人は、いいときと悪いときとの、この差がはげしい。その日に何となくいいとか悪いとかではなくて、明確に一番いいときを最低ラインとして、きちんとイメージすることです。無理にでもイメージすることでこれをもっていく。力では持っていけないから、それができれば一番いいですね。現実的には、ヴォイストレーニングの中だったら、それをメニューでやる。そうでなければ、歌でもいい。そのときに体としてはよくわからないけれど、歌を歌って、その歌のある箇所に対して、どんな声が出て、どういう働きかたをするかということで、このいい状態を覚えておいてください。

悪いときには、そう歌えないけれど、よいときの歌をきちんと体に入れていく。その歌を歌うことによっていい状態が戻ってくるというか、発声トレーニングもそうです。もっといい状態のときに、なぜ、それがいい状態であって、どういう積み重ねによってそういう状態が起きるのかを認識することです。

○トレーニングでほぐす

長く使っているというのは、固定してしまうのです。高いところでずっと出していると、高いところは出やすくなる。その代わり、低いところは出にくくなる。低いところばかりずっとやっていると、低いところではそれなりに出るようになるのに、高いところでは全然できなくなる。
トレーニングはそういうことを知った上で、意図的に行ないます。☆

高い声が出ないのに、高い声で今までやってきたと、そうしたら、そのやり方でできることなら、もうできているわけです。だから、できないだろうとみて、低いところでより声を丁寧に使ったり、逆に声を痛めないようなことをきちんとやっていく。そこで、高いところをパッと出してみたら、前よりも高いところが出るとか、トレーニングはそんなものです。

バレーボールをやって、今よりも高いところが打てないとなって、筋トレをして、あるときに飛んでみたら、高いところに届くようになったと。
現場でやれないことを、どんなにやっても、疲れていくばかりですから。結構、疲れさせているのに、気力があったり調子のいいときは気づかないのです。それをそれ以上、崩さないことです。

○トレーニングの効果

トレーニングのときは、ややこしい。トレーニングをやらないで、ずっと長く休んだ後が一番いい状態ということもあるが、そうしたらトレーニングは成り立たない。トレーニングをやっていることが必要悪です。自分の一番いい状態よりは、悪い状態を毎日続けているというふうに思わなければいけない。本当にいい状態といったら、いい状態がくるまで歌うなということになってしまう。毎日休んでいて、たまに歌うのが一番いい状態でしょう。サラリーマンやOLでも、カラオケで結構うまく歌えた、一番気分がのっていて、歌いたいと思うときに、歌うからです。

今日は体調が悪くて、発声が全然できないときにカラオケに行きません。そっちの方がいいのです。
トレーニングのときは、悪い状態が続く人もいます。でもその中でも、きちんと価値をつけていこうというような部分もあるので、それを自覚することによって、本当に無意識なときにいい状態がなくなるかもしれない。けれど、我々の世界の中では、意識的にコントロールできたところまでしか意図はさせません。

無意識で起きたときには、起きてくれたときにはありがたい。けれど、起きないからといって、当てにするわけにはいかないのですね。本当に勘や才能みたいなものですから。365日それができたら、勘でも何でもない。それが実力です。
すごく調子がいいときが、ときにあるけれど、後はダメだとなると、やっぱり使えないということになってしまいます。
それがあることはいいことで、体で起きる以上、それは何かしら理由があるのです。理由が何もないのに、自分の能力にないことはできません。高い能力で、それが自然と理想的に使われている。

それを分析したり、意識的に確実に取り出していくことをメニュにつくっていくことが、レッスンの一番の目的です。だから、もっと自分の中で、厳しく見られるといいと思います。トレーニングの中でも、この音をやるとすごくいい、でもこの音をやるとちょっと悪いとか、そうやって知っていく。こういうものを取り出すきっかけというのができるようになる。

トレーナーの場合は、それを、今のだと指摘はできるけれど、それはどうやって出るのといわれたら、それはあなたが今やったようにやるしかないとしか言えない。見本を示しても体を移しかえられません。そういうものがあれば、それをひとつの目的にする。
場合によっては、消えてしまうことがあります。トレーニングをやって、3年くらい経ったら、そんなことが起こらないようになる。
私はそういう人もたくさん見ているので、あまりそのことをすべてにして当てにしないようにもしています。たまたまそういう状態が起きたら、すごいいいことだと言っていますが。それが全部失われたからといって、歌や声がなくなるということではないのです。

ビギナーラックのようなものもあります。プロでもあのときの声は二度と出ないとか、あれから10年やっていたが、結局ものにできなかったと。それは本当にあったのか、わからなくなるときもあります。歌としては録音が残っていたら、このときのようには歌えないなというのは言えます。
だからといって歌の味がなくなってきたかというと、関係ない。もし味がなくなってきているのなら、歌としての表現力の衰えですから、声だけで決まることでもありません。そういう声がなくなったから、歌自体がよくなったということもありますから。

○自分のベストを聴く

特にいいときの状態を音源で聞かせてください。それでないと何ともいえないのです。ここでやって、もし両方がすぐにできるくらいなら、トレーニングは必要ないと思います。はまっているときはこうですとなると、全部それでやればいいでしょう。これでは冗談のような話になってしまうので、もしそういう状態があるのだったら、録音してみてください。もしかすると自分の中で思っているほど、違いがない場合もよくあります。自分の感覚としては、気持ちいい気持ち悪いと、でも出てきた声として比べたときに、このくらい違うと思っても、案外と同じということもあります。だから自分で録音して、聞いてください。
明確な違いというのは、ファルセットの領域で同じような感じでつなげられます。状態の悪いときにはつなぎきれないので、その時点でまったく違うという判断ができます。

そのときもテープでとってください。練習するときに、テープを録っておけばいいと思います。すると、違う感覚で出たということも、トレーニングの中で起こります。トレーニングもテープをとって、悪いのは捨てて、いいものだけ残していきましょう。その声を聞くと、その状態が戻ってくるという人もいます。
プロの人でも、一番いいときの演奏を入れておいて、それを何回も聞くと、自分の体ですから、戻りやすいです。それと似たようなものをつくり、発声もそれをやっておくといいですね。本当にいいのだけを残していく。ベストワンのものを調子の悪いときに聞いていると、早く調子が戻ってくることがあります。意図的にやってみてください。

○トレーナーとの相性

その人の中の何がいいのかということについて述べます。同じものを、たとえば5回歌われたら、これがいいとか、この曲の中ではこの声や、こういう使い方がいいという指摘はできます。しかし、それが、どうやったら出てくるのかというのは、個人に負ってしまいます。たとえば高い声が出ませんといわれたときに、やり方としては声楽的なやり方をとる場合がほとんどです。ポップスの方法はかなり短期的にレベルの低い効果をねらっているものが多く、さらに個人的な相称で大きく左右されるからです。☆☆

ところが声楽で出した高い声というのは、ポップスの、いろいろな歌い手のハイトーンとは違う。でもそう言ってしまうと、それぞれの歌い手のハイトーンが全部違うわけですから、誰かに合わせたらいいのかとなり、それも成り立たなくなる。結局、そのメソッドが、あってないようなものなのですね。

声楽の場合は、声楽をやっていたら、テノールのひとつの求められる要素に近づいていく、上達していっているとか、近づいていっているという感覚がきちんとする。この点で、声楽のほうがわかりやすいです。目的、性格を見て決めることも多い。とにかく1年2年と物事が重なっていくという実感がないと、その効果を感じられない人には、声楽でベースを固めておいたほうが安全です。

ポップスは、どんなものを体験しても、自ら血や肉にしていくタイプの人にはいい。几帳面な人や思い込みの強い人は、自己矛盾を起こす。そんなことをやれともいっていないのに、先生の言うことは全部違うといいだす。3人の先生がいたらバラバラだというところで悩んでしまう人も多いです。そういう人は、1人の声楽家に徹底してつくといい。
その声楽家が自分に向かないと思ったら、また違う声楽家につくという形のほうがわかりやすい。目的が変わってくれば、相談にのり、方法も変えます。

今のところ、ここを入った目的の延長上にいるのであれば、優れた声楽の先生を何人かつけます。違う声楽の先生でやってもかまいません。声楽の先生も、教え方が様々なので、誰のやり方が合うのかというのは、結果からしかいえません。最初、あの人が合うというのは、相性みたいなものです。案外、自分に合わない先生がいい先生というのもありますね。
自分に合う先生というのは、自分に似ているわけです。結構、悪いところを受け継いでいったり、自分の悪いところに気づかなかったり、先生の弱点がそのまま生徒にきてしまう場合も多い。

自分に合わない先生は、最初から対立しているから、徹底して悪いところを直されるし、違うものになれる。案外、可能性が違うところで出てくる場合もある。その辺は非常に難しい。
ここにいる間にいろいろな経験はしてほしい。同じ先生で長くやるのも大切です。でも、いろいろな先生を見てもらいたい。その辺は自分で、考えてみてください。その時期にもよりますね。発表しなければいけないときには、落ち着かなければいけないときもあるだろうし。
何をすればいいかではありません。絵と同じで、何を描けばいいのですかといわれても、好きなものを描きなさいとしかいいようがないのです。

Q.自分の好きなように歌うということですか。すると、いつも同じ歌い方になってしまう。

A.とにかく自分のものをきちんと育てていかなければいけないのです。けれど、それを、何でやらないのかということです。それがあればそれを持ってくればいい。自分の曲でやるのもいいと思います。こういうものは参考曲にすぎない。発声は発声の勉強で声をつけていく。曲は曲で解釈して、創造の勉強をする。漫画家になろうといって、漫画を描いていてもいい。でも、すぐれた漫画をみて、そこでどういうふうに独自に捉えられるかということです。☆
感覚的なことでいうと、それはどれだけ感動したということです。その心を持ってして、描けばいいのです。けれど、そんなにうまくいく人は、あまりいないわけです。

何回も自分で描いていると、自分のキャラや絵は出てきますね。漫画家でも売れている人のは、これは誰だというのが、1コマ見ればわかるくらいに、オリジナルが出ているわけです。それが目的です。だからといって、見て感動したからといって、同じようにも描けない。同じように描いてみても、それだけの価値でしかない。そこには、デッサンする力やコマを割る力もあれば、何を象徴して何をどう落とし込むかという、イメージがいります。
そういうものになっていく人は、別になろうと決めるとかにかかわらず、そういうふうに耳が働いて、そういうものを自分の知らないうちに分析をし、組み立てる力を持っていなければいけない。

研究所で、全然わからないような歌を聞いていく。それを真似てくる必要はない。それは、他のものの、すぐれた一つのものです。
何のために使うかというと、自分の中にある能力を引き出すために使うのです。☆それをどんなに真似て勉強しても意味がない。それは自分の中にあるものに、気づくきっかけです。

多くの場合、表現は、よほどすごいものを感じないかぎりは、ここからはみ出したらいけないと、全部抑制に回ってしまいます。ところが、それをいともたやすくぶち破ってやっているものを見ると、あんなこともやっていい、こういうことも自由なんだとわかる。たとえば30分でやらなければいけないことを、3時間かけて、30時間かけていく。そういう舞台はお客さんが持たないから、ありえない。けれど、それも考えようによっては、それだけ無茶なことをやった人がいるということは、それだけ型を破っていいということでもあるのです。だから、それを歌の中で捉えてやってこなければ、意味がないわけです。レッスンの中でもいろいろな歌い方が出ています。教えられた歌ではどうしようもないわけです。

自分が歌っているなかで、自分で気づき、自分で正し、自分でつくり上げていきましょう。
それに対して、こちらは聞いているほうだから、方向づけはできるのです。けれど、方向づけするにも、あなたがこういうものだと打ち出していかなければ、成り立ちません。それをきっとこうだから、こういうふうに変えてみたほうがいいよというのは、今の段階では早すぎることです。
自分が歌っている感覚の中で正していくことと、その正す方向性としてみて、より高いレベルの作品を自分の中に入れておいて、その判断がつくこと、その両方の力がなければ、本当のものには、きちんと近づいていかないわけです。

○イメージのキープ

ダンスをしろと言って、勝手に踊ってみても、基本もなにもないから、どう踊ってみても自由のようで人に働きかける形にならない。型があって、ある程度のパターンを覚えると、それだけではダメでも、それをきっかけにして、いろいろな展開ができます。歌の中でも、こんな歌を歌うというのではなくて、これをきっかけにして、あなたのものを取り出します。この歌をレパートリーにするわけではない。

できていないわけではないのですが。失敗すると転びますね。ところが、歌は失敗しても音が外れるくらいのもの。ダンスでは転んだら、そこで気をつけないと先は踊れませんね。転んだのはたまたまそういうことが起きたからで、同じところで転ばないかぎり、そこであえて気をつけることはしませんね。それはそれまでの流れが悪かったり自分のバランスが悪かったのだろうということです。歌でも、音を探り出していったら、どうしようもないのです。最初の歌い出しは、ほとんどコピーです。30分くらいの中でやっていくと、まず一つは、自分の中で、ここは成り立っているなとわかるところがでてきます。

たとえば「カーザ・ビアンカ」で1行目、2行目にそれなりのことは出てきています。構成なんかは甘い。「忘れられない愛の思い出」あたりになってしまうと、まったくとんでしまいます。ダンスより厳しいのは、常にイメージを、キープすること。ダンサーでも一流の人はそうでしょう。そこで何を歌っているのか。ダンサーでも3流の人は、形を踊っていると思う。一流の人になったら、そこで何を表現するのか、表情としてつけていくと、顔や体の表情にもなる。それを決められている型や何かが抑制してしまうとダメなのです。その型において、生かしていかなければいけないのです。

この3つ、違うことを歌っています。内容はわからなくても、それが同じに聞こえてはいけない。あなたので聞いても、これがどんな歌なのかがわからない。ということは、あなたが「忘れられない愛の思い出」ということを言いたくて歌っているわけではない。
そこは客観的な立場に立ってもかまわない。役者みたいにそれを演じる必要はないのですが、それを語らなければいけないですね。
「それだけのこと」というのも、「それだけ」で終わってしまったら仕方がない。どれだけの重みがあるのかを、一つひとつのところで入れていかなければいけない。詩と同じです。無駄なところは一つもないわけです。その意味を起こしていかなければいけません。歌詞は、そのヒントのひとつにしかすぎないわけです。それでも大きな解釈のヒントになります。

次においては「タタタタタラ」というところに音楽を自分が見つけて、入れていく。外国人のものは、音楽的につながっているものです。歌ってみたときにそのつながりがきちんとなっていなかったり、強かったり、イメージの問題が不足します。出だしでは。2,3割、それ以上の課題というのはそこからあるのです。けれど、今のあなたが、たとえば10点20点くらいだとしたら、今の体と感覚と能力と、音楽のベースの部分で持っているところで70点まで取れるのです。

だから、やるべきことは、その70点からあとのことです。ここ何ヶ月か見ていると、70点持っているのに20点くらいしか出していないから、黙るしかない。70点の人が60点くらい出していたら、いろいろなことを、その先はわからないのです。何となく言葉にはできるのですけれど、そこまでのものは、あなたの内面の問題です。書いてみましょう。たとえば1番で呼びかけ、これでは歌えないですね。

Q.解釈に何を書いていいのかがわからない。

A.これは感想にしかすぎないのです。もし、こういう歌がどうしても接点がつかないのであれば、おいておきましょう。つかないわけもないと思うのですが、自分の好きな歌を持ってきても、かまわない。要は歌わされていたのでは仕方がないのです。課題といっても何かがあるわけではない。やらなければいけないことは、歌はそんなに複雑なものではない。別れを歌っているとか、愛している気持ちを歌っているとか、そういう単純な気持ちだから、他の国の人が聞いても、言葉がわからなくても、伝わるものがある。その伝えるもののかたちとしても、レッスンだから、ない。ここで即興で作詞作曲でやりなさいといっても、声も気持ちも動かない。だからそこのものを借りている。演劇やダンスと同じです。

オリジナルでやりなさいということはない。何かオーディションや審査をするときに、この作品をやってみなさいといわれて、皆がその作品をやる。けれど、最初の何秒かで、ほとんどわかるくらいに、基本の能力があります。

これを基本勉強としなさいというのではない。この世界を自分のものに置き換えて、自分を出さなければダメです。まだ、歌との接点がつきにくいのでしょう。同じです。歌っている瞬間の中でも、先生が見ている。ここはこういう歌だから、先生がこう見ているから、こうやってはだめと、そんなものがない世界です。むしろ、客がひとりいる、あるいは客がたくさんいると考えてみればいい。すると、たくさんのお客さんに対して、さっきのような歌い方をしても、あなたの中でまわってしまうだけです。とても拍手はもらえない。あなたも歌いきったという感覚がないと思います。

ただ、何箇所かに、本当に集中して、他のことは何も聞こえなくて、そのことをまだ汲めていないけれど、思いが込められるなとか、音として成り立ちそうという可能性は出ているわけです。☆☆それがわからないのだったら、こんな世界はやめてしまったほうがいい。そこに対してとても厳しくしなければいけない。そのことをつなげなければいけない。それが何も出ていないところで、いくら歌っても仕方がないのです。

最初、3曲目までだめで、4曲目になってきて、こういうリズムな曲だから、ちょっと入れて、それを歌った後に少しほぐれて動かせるようになった。ここで緊張するのもわかるし、慣れていないのもわかるのですけれど、自分を見せなければいけない仕事です。自分の感覚も含めて、素っ裸になってみて、そこまでやるかということになって、お客さんの心がようやくついてきてくれる。素人がやるくらいなら、簡単にできてしまう。けれど、それは準備体操風景にしかすぎない。

そんなことでお客さんは、つかない。少なくとも、自分ができていることには感動しない。舞台で、この瞬間に、わずか1時間で、こんなところまでやってくれるというような1曲、この1フレーズに対して、そこまで入れ込んでいるという歌を見せる。そうしないと、誰も反応してくれないわけです。歌うのは歌えるのですから、歌っていればいいわけです。その歌をここに来たのであれば表現からみます。変化がないから変化をつけましょうということです。

○その世界に入る

変化しなければ死んでしまうわけですから。ダンスか何かでいうと、ただ歩いているだけになってしまうのです。それで舞台が持つ人は、それですごいとは思いますけれど、どこかで飛ばなければいけないし、飛んだところはどこかで降りなければいけない。飛んだ、パタッと降りて、それでいいのかという話です。飛び方にもいろいろあります。降り方も、降りたとわかってしまうような降り方では、やっぱりダメなわけです。
そうすると、すごくいろいろな意味で大変なことになってしまって、その大変なことをやっているときに変化がないとは思えないわけです。だから、不安になる必要はなくて、自信をもってやればいい。

どんなにすごいことをやってもらっても、ここで驚くようなことが起きるのは、5年か10年に1回くらいです。だから、そんなことは心配しなくていい。こんなにすごいことをやって、やることがなくなったらどうしようかとか思ったら、やめればいい。その日にやめれば、本当に喜んで送り出してあげる。そんな心配はいらないから、やるだけやってみる。

その意味合いが違う。他にあるものではない。あなたがこの世界に入るしかないのです。それはこの世界に入り込めなかったら、この曲を捨てるか、そうじゃなければ、その世界の住人になりきるしかない。「忘れられない愛の思い出」ということを訴えなければいけない曲ですから、ここだけを歌えということではありませんが、それが歌えないのだったら、仕方がない。何でもすればいいので、迷うだけ無駄です。ちょっと組織だってやっていったほうがいいのかもしれませんね。

○本当に優れたもの

使っている曲の楽譜、これでいいのですが、もう少し正確にイタリア語で知りたいとか、この音が何か、どうしても歌い手から聞けないというときに、参考になったり、あるいは片っ端からこなしていくというのであれば、曲集を使います。ここでやる曲が50曲くらいある。昔のグループの基準でいうと、だいたい2年で50から100曲くらい、個人レッスンは、これを1ヶ月で20曲だったら、全部やったら、2年で240曲になりますね。本当は4000曲10000曲でもやればいいのですけれど、数だけこなしてもしかたがない。そのくらいやって、ようやく耳ができてくる。要はごまかされない耳。何かうまいなというのと、本当にうまい、すごいというものの違いを耳で知ることが、結果的には自分の音楽を豊かにします。☆

確かに自分でやっていくというのもあるのですが、一番優れたものを、たくさん見ておいて、その作品において、自分の作品はどうかという見方をする。天才的な人というのは、徹底して比較というのをやっています。そういうかたちをとったほうがいいと思います。適当に渡されるほうが、性に合っているという人もいるのですが、重ねていったほうがいい。

なぜ、片方は世界に通用して、片方は日本の中のコピーになってしまうかということ。場合によっては、日本のもののほうが、声がいい場合も、技術もいい場合もある。でも音楽や歌としてみたときに、なかなかそうはいかない部分があります。そういうふうに見ればいい。まずは、聞く勉強からやってみてください。


■レッスン体験談[2006]

<Fレッスン体験談>

○作り込み不足、練習不足などで、自信のないまま歌ってしまうと、即、知られてしまう。
もう先生のレッスンを受け始めてから3年経ったが、多少慣れたとはいえ、未だに緊張する。そこに自信のなさが加わり、声も動きもほとんど出せないまま終わってしまう日もある。

最近思うのは、はったりでも何でも、とにかく自信を持って歌うことが肝心だということ。私は歌い手なんだと、そういう気持ちを持って歌うことで、自然と、表現するために体や心の機能が動き出す気がする。そしてその、歌い手である、という自覚、自信を確かに持つためには、やはり日頃の取り組み。自分で自分をごまかせやしないし、たったの1フレーズ(いや一声)に全て表れてしまうのだから、恐ろしい。
息が全部声になっていないと注意されることが多いのだけれど、それもやはり、自信や自覚、意志などに関わっているように思う。相手にきちんと伝えようと思って話をするときに息が漏れることはないのに、歌になると、そこに何か余計な考えが入りこんで邪魔をしているように思う。先生は、どんな小さなブレも聞き逃さないので、本当に恐ろしい。先生のレッスンの状況は他にはなく、とても有り難く思います。(FU)

○ここに来て、先生のレッスンを受け、試行錯誤の日々の中レポートを書き、再び先生にコメントやアドバイスを聞く中、自分の状態が、今まで以上に浮き彫りになり、焦りや戸惑い、落ち込み、発見、感動、面白さ、見直し、望み、さまざまな気持ちと葛藤する中で、四六時中、いろんな方向から歌、声、音楽、芸術を仕事としていくことを具体的に考えて学ぶようになった。
レッスンは、その内容、課題の一つ一つどれをとっても、ものすごく大きなもので、全力で努めていく前向きな集中力と、大きな努力が必要とされることを実感し、衝撃でした。

今は、声がうまくでず、自分の声を使う感覚がよくつかめていないこと、うやむやな癖、それによって弱弱しい印象のない声になっていること、どうしたら、それらをとっぱらい自分の自然な声を知ることができるのだろうかということなどが課題である。
「体を動かないと声がでない」ような感じを結びつけ、いつも体から声を出すこと。(重心を落とすこと。喉で声を押したり、上から下へ押しつけたりしない。口の中に響かせると音のロスになる。腰の後ろ、背骨の両脇の筋肉の辺が動いて声がでる感覚。足を肩くらいに開く、全身で、呼吸を結びつけて、発声する。かすれる時、呼吸、体の状態を整えて、胸の中心に保ち、背骨、腰の後ろの方からゆったりとリラックスして出す。

「あおい、あまい」を、「おい」「まい」の所を一語のように発声。「らい」「はい」が発声できたら、それらに音程をつけてみる。)
自分の声がどう使われ、どう聞こえるかが自分で分かるようになること、世界を作ること。そしてなによりも、これらを、学んでいくプロセスや結果をどこへ繋げていくのか、出口へとなる目的を考えそれに向けて向かうということの必要性など具体的にしなくてはならないことも教えられ課題となっている。

声の研究を自分でどんどんすること。ここに来てから、声についての聞き方感じ方も変わってきた気がする。どういうものが芸術として成り立ち、感動を呼ぶのか、アーティスト一人一人、その人が自らの何処を見せているのかを考えるようになった。レッスンを体験し、非常に有り難く、貴重な時間を送っている。(SH)

○一回目の時には、オリジナル曲を歌うときにのどを使いすぎている点について、「ハイ」や「ンガ、ンギ、ンゴ」などでのどをはずしてからうたってみる、それで今度はのどが外れても感情が入らなくなってしまうから、その辺の調整は同時にやっていく、ということでした。
また最近では、声の響きはいいけど、声しか聞こえてこないということを言われました。自分では特に語尾の処理が甘いと思っていたのですが、そこだけでなく全体的に構成を見て演出していくという作業が足りないということです。

歌っても、その景色も感情も伝わってこない、聞こえるのは音程だけ、という最悪の状態になっているようです。だから歌おうとしない、言葉のニュアンスを声で伝えるよう心がけなくてはならないと思いました。
また、速いフレーズでもあせらないようにする。もたつくわけではないけど、メロディーに踊らされずにあくまで言葉メインにやっていき、いずれそれが自然な流れになるようにしたいです。(KA)

○ここでのレッスンを通して、声や歌について様々な刺激を受けてきましたが、今それ以上に感じていることは、まず社会人として、またアーティストとして、またプロとして、必要な考え方や物事の見方を学べているということです。
「気づかせてくれた」、この「気づき」は、レッスンで使われた楽曲とアーティストの息と声とテンションや他のメンバーが発したもの、場の空気、先生方のお話やコメント、自分が感じたこと、発したもの...等、教えないレッスン、押し付けない指導、抽象的な内容が、自分の体内外にある様々な事象に目を向けさせ、耳を澄まし、集中し、感じ、考え、もがき、模索した結果、生み出されたものだと思います。
「気づく」ことで、課題が見つかり、それが考え方やトレーニングに生かされていくのです。声や歌をはじめ、人間的にもまだまだ足りないことばかりですが、ここに来なかったら自分に対しても、世の中の事柄に対しても、声や歌についても、これほど多くのことに「気づく」ことはなかったと思います。〔66ヶ月〕(MA)

○今まで細かい調整など、正直めんどくさくて、あまりしてこなかったので、先生の鋭く的確なアドバイスに対し、最初は動揺しました。でもそれと同時に、今まですごく声を雑に扱ってきたのと、音声表現を聴く耳が全然足りないんだって事を思い知らされました。
一瞬の隙も許さない、厳しい音声表現の基準の場―ごまかしや、物真似、いい加減なもの、全部見られてる気がします。
ハイ、ララなどのフレーズで、楽器として演奏としての視点で見て頂き、体の足りなさ、フレーズをコントロールする力、どこのキーからおかしくなってくるのかと明瞭でした。自分の歌にもっと説得力をもちたいので、そういった耳と判断力を養いたいです。それに、気付きや発見により新しい可能性が見えてくるという事を学びました。〔2年〕(OU)

○私がカラオケ教室で何か足りないおかしいなと感じ始め、その何かがわからずにいた。
その何かがこの魂、心を自分の声、自分の想いで伝えることが自分の求めているヴォーカリストなんだと確信しました。
最初の頃は歌のうまいへたでくらべられるのはイヤだなと思っていましたが、これは表面的にしか見ていなかったと今になってわかってきました。

そういう次元ではなく、それを越えて、自分の世界をつくり、聞かせる、見せる。自分の求めるスタイルは見えてきたけれど、それには何をすればよいのか。発声トレーニングは運動でいえば筋トレと同じ。この意味も最近になってやっとわかり、発声で歌うのではないということと、一流のヴォーカリストの歌を聞いていると、だそうとして声をだしているのではなくて、日常の生活の声の延長上にあると感じ、普段の生活の中でも声に関心を持つという先生のテキストの意味も、やっと体で感じはじめてきました。
歌にも声楽、心を伝える歌、ヴィジュアル的にみせる歌、歌にもいろいろあるのだと、やっとわけて聞けるようになり、いままで私の中で声楽的な歌と、ポピュラー(心の歌)とが一緒になっていたようような気がします(AI)

○レッスンを受けるようになって一年がたつ。ではそれが長かったかと聞かれると、はて、どうであっただろう。
ただ確かに言えることは、そんなことを考えたことがなかったということだ。そんなことを考える暇がなかったともいえる。他に考えることがあったからだ。とにかく、よく考えるようになった。朝から晩まで。道を歩いている時や食事をしているときにも考えている。
では一体何をそんなに考えているのか。それは、レッスンごとに気付かされること、についてである。毎回違うテーマが自分の中でわき起こってくるのだ。

レッスンを受けてすぐに「ああ、そうか!」と気付く時もあれば、レッスンを受けて半年くらい経って「ああ、あのときのは、これか!」と気付く時もある。だから日々考えずにはいられないし、日々考えていればいるほど、強烈に気付かされるのである。
とにかく、帰りの電車はノートを片手に、レッスンを受けて気付いたこと、試してみようと思ったことを忘れないように一心不乱に書き付けている。他の乗客には危ない人間に見えるかもしれない。 でも、そんなことはちっとも気にならない。それくらい集中。これは歌を歌う自分にとって幸せであると言える。

そしてもうひとつ。歌に対して常に前向きになれること。やはり練習をしていくと落ち込む日だってある。体調が悪い日だってある。 だけど、レッスンのおかげで、なぜ自分が歌うのかを改めて(しかも毎回毎回、自分にとっては違う形 の衝撃で)認識させられ、頭がすっきりした状態で練習に取り組めるのである。これは、自分が歌い続けていくということにとって、とても大きい。自分の歌を作っていくのだと気付かされる。今後もその初心を持ち続けながら、自分の歌をどう変化させていくか、レッスンでたくさん気付かされながら、考えさせられながら練習に励もうと思っている。〔18ヶ月〕(MK)

○石の上にも三年とは良く言ったもので、紛い也にも三年続けていたら自分で言うのも何だが、少しは上達するものなのだった。皆そうなのだ。そりゃまあ、すんごい上等!とは言わないけれど、けどびっくりですよ。鍛練って凄いな、3年は3念かな、などと思ったりする。ともかくも上達、というこの事実には他人事のようだが、感心する。

しかーし、同時に「うまくなるなんて全く何の意味もなーい」という事実にも直面するのだった。がーん。そんな話は聞かされてはいたが「まー、そんな贅沢な事を…」とあまり真剣に聞いてはいなかった。なのだが実際、ごっついステージをやるという事において、誰かを吃驚させる事において、ちょっとぐらい上手に歌えようが、そんな事はたいして役には立たないのだった。
(まあ、でもこれが「物凄ーい上手、絶品、上等!」だったら話は別だとは思います。けども、そんな事は全然果てしなく彼方にしか感じられない事なので論外にします。)

トレーニングな日々を送っておりますと、とどの詰まり何で生きるか?みたいな所へハマってしまう事が多いから大変でございます。
まさかはじめた頃は、そんなに生きるか死ぬか、になるとは思わなかった…。こんなん書くと怪しい苦行のようですけど、でもそうなんです。代々木寺。人一倍ヘタレな私は、しかし今さら退路もたたれ、何ちゅう事になってしまったの
かと思う日々も多々あり…。うーん、お山に入ったようだよ。けれど、うまく出来たもんで、ちゃーんと甘い汁もあるのでした。
ええそう。めちゃめちゃ面白くもあるので、やっぱりやってしまうのだった。どうおもしろいか?というのはなかなか言葉ではあらわしにくいのですが、自分が大きくなる感じ、もしくは小さく。(どっちだ…)いやどっちもです。

感覚が変容するってのは何よりおもしろい。よくアンテナという言い方をしますが、そうアンテナ、んーとそれもそうですが、意識・感覚・霊体・肉体いろいろグレードアップする感じ。(大袈裟か)そうすると、その瞬間世界も変わるわけです。人生も。地球も宇宙も新しくなっちゃう。知る事はつきないわけです。わっはっはー。 もうハイ、超〜ハイ!初めて夜の街へ出る田舎者みたいな興奮は多々あります。
でっかく、広く、深く、鋭く、細く…いろいろの方向へ広がる。目標は銀河系くらい、もしくは同率位のミクロ人間。ちょっと意味が解りませんけども、そんな感じ。ま、おもしろいわけです。こんな楽しい事してていいのかしら。って、こんな贅沢な人生を過ごしていていいのかぁ(ぱらぱらりーん)と思う。次の瞬間は涙してたりしますけど…。
この単細胞さが私の最大の強みであり弱点であった。吉凶は神のみぞ知る?ああ、神様よろしくお願いします。〔33ヶ月〕(NI)

○※信念上、正字正假名遣で表記してをります。
手本どほりにやらうとやるまいと、或いは工夫しようとしまいと、先生は何も仰らないが、それは生徒が自らの指向に氣付き、また自意識を芽生えさせるのを待つていらつしやるからなのだと思ふ。藝は人格から出るものであるから「教へた」としても付燒刃にしかならない。本人が、取捨選擇したものの中からさらにこれと思ふものを取り出さないと身に付くものではない。しかし取捨の材料を與へることはできる。先生はこの役目をして下さつてゐる。考へてみれば有難いことだ。

 私が最近出したふたつの結論が、先生が前前から仰つてゐるものと同じであることに氣付いた。ひとつは「藝に最も大切なものはキャラクターであり、技術はそれを支へるものに過ぎない」といふもので、もうひとつは「キャラクターとは舞臺上の人格であり非日常である。假初のものであるにせよ社會性を擲(なげう)たなければ非日常は生れない。社會的な利口者ではなく、非社會的な藝人たれ」といふものだが、これらは先生の言葉の「技術は手段である」「馬鹿になれ」に要約されるのではないかと私は思つてゐる。勿論本意とは異なるのかもしれないが。  自分で氣付かないと何度言はれても分らないものだなと、つくづく實感してゐるところである。〔41ヶ月〕(TS)

○感動する。
心が震える。
"偽りのない自分と向き合える数少ない時間"と感じる。
レッスンの前半は、第一級の耳で選ばれた曲のよいところだけを休む間もなく次々と聴き続ける。
入所当時は、私は、この聴く時間をヒマとかもったいないとか思っていた。
曲を聴いて何になるのか。何を聴き取れというのか。
確かに声はすごいけれど、むしろうるさいし、どの歌い手も張り上げているだけじゃないかといった具合だ。
ずっとそんな調子で、わけがわからないまま、とにかく聴き続けた。(忍耐)
そして、いつの間にか成長した。

曲の深さを感じ、見えないものが聴けるようになってきた。
毎回のレッスンで聴く歌が、ぐっと胸に迫るようになった。
歌からその歌い手の生き様を感じ、自分の不甲斐なさを反省する。
逆に、自身もこんなふうに人生をかけて歌いたいという希望を見出す。
心の奥深くに閉じ込められた自分の本当の想いを解放し、表現することを学ぶ大切な時間である。〔39ヶ月〕(TS)

○あこがれの先生のレッスンを直に受けることができて、とてもうれしく、幸せでした。カリスマ性のあるご指導というか、直接どうするかを指摘されるのではなく、「もう一度」と言われて自分で判断するということが、とてもスリリングでした。緊張して考えられる時間でした。(KO)

○とにかく先生のレッスンは、あたしにとっては「感度レベルの再認識」をさせていただく時間です。まずとにかく聴くこと。どこまで聞けるのか、自分はどんなに聞いていなかったのか。感じる音のガソ数を上げるといいましょうか、感じ取る耳のひだを細やかにするといいましょうか、ここまで聞けるんだ、と感度レベルの設定のしなおしですね。

またそれは、声を出すことにもつながってくると思います。聞けることは発せられる。聞けなければ無理ですが。
あとは、その音を自分が出せる状態にあるかどうか。具体的に楽器である身体の状態が整っているか、また、それに乗せていくメンタルな部分の処理。あたしの場合、まだこのレッスンでは聞くことが精一杯であろうと思います。聞けるレベルを再確認して、それからカラダにつなげていきたいと思っています。(ON)

○初めて先生のレッスンを受けたときの感想は、まるで「目から鱗」という感じがしました。先生は私の声を最初の数分間聞いただけで、顔や肩に力が入っていて喉に負担がかかっていると仰いました。これは自分でも自覚することができました。緊張しているのもありましたが、普段の練習でも体のどこかに力が入ってしまうことがあります。

次に「ハイ」「ナイ」「ネイ」「ライ」などの言葉を繰り返しました。先生はこの時に体の奥から深い声を出し、より遠くに飛ばすことだけを意識し、口型は気にしなくていいと仰いました。滑舌や口型を気にするから顔に力が入ってしまうようです。
私は現在、声優の養成所に通っており、普段からはっきりと話すように指導され、日常でも心がけていました。もちろんお腹から声を出すことも指摘されましたが、それよりも滑舌や口型に捕われていたことに気付かされました。
一つのことに真剣に取り組むのも大切だけど、もっと広い視野を持ち、多くのことを学ぶのも重要で、楽しいことなのだと思いました。(NK)

○先生の本を母が読んでいた影響で私は先生のことを知りました。とても憧れていたのでレッスンをうけられるのはとてもうれしいです。レッスンを受けて思うのはやっぱりすごいということです。常に上を目指すという姿勢と神業のような指摘…反省します。繊細で幅広く注意してくださるので、自分の音楽へのとりくみ方も悪い生活習慣も自覚します。先生のレッスンについていくのはまだまだ私ではたいへんですが、これからもよろしくお願いします。(OT)

○先生との初めてのレッスンで、本などで読んだ「ハイ」のトレーニングを行いました。自分が想像していた「ハイ」の発声が実際とは全然違い、びっくりしました。やはり本など読んで自己認識でやることはちょっと危険な気がしました。
「強い息」というのも先生と自分がやっているものでは全然違うことがわかりました。先生の息は非常に深いところから出ていて、厚みを感じました。(OG)

○オーディション用の歌をみていただいています。「じゃあ、まず歌ってみて」とおっしゃる、その場の緊張感がなにより強になります。(私が勝手に緊張しているのですが)。できていないこと、例えば曲として一本通っていない、フレーズの後半が必ず崩れる、「か」の音や撥音が気になるなどを指摘していただきました。あとで、どうすればよくなるだろう、と自分で考えて練習します。
解決の鍵は、他の先生がおしゃることの中にあったりします。先生、基礎が全くできていない私の歌をみていただいて、ありがとうございます。お話しする中で、自分の方向性を整理でき、モチベーションもあがっていきます。(KU)

<トレーナーのレッスン体験談>

○おかげさまで、以前に通ったことのあるヴォーカル・スクールとは全く異なる感覚でトレーニングを受け練習できています。以前は集団レッスンの形式で、今は個人レッスンというところの違いは大きいですが、自分自身の課題の見えやすさが全く違うので、研究所に入所して本当によかったと思っています。歌うことの難しさと楽しさ、自分が歌うことが好きなのだということを研究所のレッスンと、日ごろの練習と、いろいろなことを考えたりする中で感じています。

また、先生のさまざまな本を読みながらトレーニングを受けると予想以上に得るものが多いので、本+レッスンという形は私にとっては非常に効果的だと思っています。本に書いてあったことが、レッスンの中で「あ、こういうことか!」とわかった瞬間のうれしさといったらありません。(まだまだ理解していない、できていないことはたくさんありすぎますが…)

先生のレッスンは直接受けていませんが、先生の講演を聞き、カンセリを受けたことがあるので、先生の声や語り口を想像しながら本を読むと、まるでレッスンを受けているような気にもなったり…。先生のたくさんの著書、会報は研究所のレッスンを受ける上では欠かせないものだなと近頃強く感じます。会報は自分の心のたるみにいい薬です。いろいろな音楽に触れ、アーティストに触れ、資料に触れ、社会・人間に触れ、ということをたくさんしていかないと、自分の歌が本当の意味で磨かれていかないのだと毎月強く思わせられます。これからも甘えることなく、妥協することなく、あきらめることなく、磨いていきたいと思います。(AD)

○僕は今まで、踊りしかした事がなく声を意識して使った経験がほとんどないので、初歩の初歩から教えていただいてます。先生もダンスや芝居の経験があるとの事で、そういった方面から体の使い方やイメージを伝えていただけるのが、僕にはわかりやすくて嬉しく思います。体を使って技術を修得するという事は何に限らず大変だろうと想像はしておりましたが、歌うという事がこれほど大変で難しい事だとは、予想を遥かに越えてました。
今まで生きて来たなかで、もちろん音楽は身のまわりに常にあったわけですが、ただ漠然と聞いていただけでは入っていない物がたくさんあるんだ、という事がわかりました。音楽を聞くときに、ひとつの楽器に集中して聞いたり、歌っている人の体の使い方をイメージして聞いてみるなどといったアイディアは、踊りや他のジャンルにも活用できるものだと思いますし、そういう心構えで生活をしていたら日々の一瞬一瞬が、全てトレーニングになると思いました。(KB)

○まずはいたるところに変な力が入りすぎてることを指摘されました。もっと楽に、深いところから息をただ流す、しかし最初これはかなり難しかったです。しかし自分の声を聞いて、がんばっている、辛そうというのがばれてしまっているといわれて、これはまずいと思いました。
歌に関しても、言葉を読んだいるほうがまだましで、歌いだしたとたんメロディーが盾になって、言葉も気持ちも聞こえてこない。そう言われてガツンときました。そのとおりだと思いました。
まずはその盾を取っ払う、そのために言葉だけで読んで、そのことばがつながった状態のままで歌っていくというレッスン、トレーニングをしました。
また、歌っている空間が非常に狭いということも言われました。声の出発点も浅いし、客が遠くにいるイメージもできていない。目の前に客が500人くらいいるつもりでいつもトレーニングしないと、あまり意味がないということです。
課題は山積みですが、とにかく今はメロディーにとらわれずに、言葉の意味をしっかりつなげながら歌うことを徹底したいです。そのために詞の世界を自分の中にしっかり作り、情景を描きながら声にしていく作業をもっとしないといけないなと思いました。(KA)

○自分の歌い方を根底からたたきなおされた、というのがトレーニングでした。まだたたきなおされ中ですが、今までの自分の歌い方がいかにフレージングとしても、気持ちの入れ方としてもいい加減か、ただ単に流しているだけだということを思い知らされました。

また、特に、レッスンごとに ポイントを絞って指導して下さっているので、自分で練習するときのポイントが見えやすいです。
カンツォーネはイタリア語で意味はよくわからないけれど、その発音や独特なリズム感が、発声やフレージングを鍛えるのにいいというのは練習をしていく中で確かに実感としてあります。カンツォーネは、ストレートで感傷的な詩が多いので、気持ちの入れ方という点でもよい練習になっています。でも、正直なところ、こんな気持ちになったことないな〜とか、少し恥ずかしいな〜とも思ったりしますが…。
また、逆に、そういうふうに歌の中に気持ちを入れていったり、フレージングを構築していくことの楽しさも初めて知りました。
いずれは、何も考えないでも、息・身体・表情が勝手に動くようになっていきたいと思います。(AD)

○レッスンには他にはない緊張感がある。かといってかたすぎず、笑うとつられて笑ってしまう魅力もある。ユーモアを交えて話に何度もモチベーションをもらった。集中力が欠けている時、弱さをあからさまにだした時、無言のメッセージを何度もくれた。
私はレッスン時、録音をしていて家でたまに流してします。すぐに自分では気付きませんが、繰り返し聴くことによって、内容が自然と体に染みていたという体験をしました。(HA)

○体が、感覚(感性?)を優先させると追いつかず、また、失敗も試せる事も十分にやっていないので、自分でできることはもっとやってからレッスンに挑まないといけないなぁ、と思っています。比較しようがありませんが、レッスンでしかできない事がたくさんあり、それ以外は自分で面倒を見れるようにならなければと思う事が多いです。体を鍛えるのは自分でやるとして、感性と息の鋭さを勉強できるといいと思います。これもほとんど自分でやることですが。 〔18ヶ月〕(TN)

○ボイストレーニングなんてした事が無く、不安の連続だった中、いつも優しく見守ってくれました。レッスン中、心と体が緊張しがちな自分に笑いを交えたジョークを言ってくれるので、楽しくもあり、リラックス出来てありがたかったです。
一番印象に残ってるレッスンは、ここに入って三か月くらいにやったセリフの練習です。のどだけで声を出そうとしていた自分を見て、声をもっと遠くに飛ばしてとのアドバイスを頂きました。そんな抽象的なと戸惑いながらも、遠くをイメージして大きくセリフを言うと、荒削りながらも、普段使った事の無い、しっかりした声が出てきました。これが体を使う最初のきっかけであり、それから自分のボイストレーニングが開けていった様に思います。
先生には一貫して、大きい心で大きく表現しろと指導されてきました。このことは技術的にも精神的にも、とても参考にさせて頂いてます。いつも励ましと希望を頂いてる先生に感謝してます。〔2年〕(OU)

○教え方がとても丁寧だ。体の使い方は自分の体を使って見本を見せ、頭ではなく体で感覚を分からせてくれる。しかし、いざ実践となるとその判断はとても厳しい。いくら感情を込めて歌っていても、それが音声として伝わらなければ駄目で、「表面的なことしか聞こえてこない」とこの前も指摘を受けたばかりだ。また、感情が入っていなければ台詞をやることで、どう駄目なのかということに嫌という程直面させられる。しかし、この厳しい判断があるからこそ、課題のクリアを重ねていくごとに、自分の理想を現実として形に出来るのだと思う。そして必ず私も実現させたいと思い、この環境に出会えたことに感謝しながらトレーニングに励んでいる。
(SM)

○レッスンでは、「○○○のようなイメージで声を出して…」のように、非常に曖昧な表現がされる事が多々ある。その中で、各コーチの指示に対し、いかにポイントを合わせられるか、言いたい事が捉えられるか、それにはコーチとの相性も必要であると思っている。
レッスンは、「声は下から、力を抜いて」を絶対的な基本としてレッスンが進む。そのため方向性が間違いそうな時も、しっかりした基本があるので、焦らずにトレーニングを進められるイメージが大いにある。さらに私の場合には、コーチの抽象的な表現も把握しやすいので、気持ち良く、安心してブレスヴォイストレーニング研究所に足を運んでいる。今後もコーチのもと、更なる可能性に挑戦していきたいと思っている。 〔3年〕(SU)

○いつも研究所を利用させて頂いていて思うのは良い意味でブレーキをかけてくれる、ということです。というのは一人でトレーニングしていると僕の場合その一つに集中して全体のバランスみたいなものがみれなくなります。そうして歌うと崩れてきこえます。 響きの練習ばかりすると体をつかうことが一時的におろそかになるようにトレーニングではある一つをえる目的の側面に失うものも含んでいます。歌の中でのバランス、声全体としてのバランスをみて頂いて調整していく。それが私のいうブレーキです。
歌い手としての感覚は。どのトレーナーの方ももってらっしゃいますから、安心して間違えられる。歌い手の感覚は歌い手しかもってません。その感覚を盗みつつおおいに間違えて、いい声をつかみいい歌を歌いたいと思っています。〔6年〕(OH)

○「始めはきっと一声出す所から徹底的にやるのだろうな」と構えていたら、「なにか好きな歌を歌ってみてよ。」から始まった。
その後も基本的に実践的に歌うことが中心、普段歌うようなポップスだったり、カンツォ−ネだったり。その上で一般的なヴォイトレと言うよりも、私に足りない部分に合わせた指摘をして下さる。
始めは難しく考えすぎて、歌に力が入りすぎたり、発声ばかりを気にしてしまったりしたが、自分の歌いたい歌が見えてくると、そこから自分に必要な要素を自ら汲み取れるようになってきた。
また「歌詞に気持ちを込める」と言うことも定期的に釘をさしてくださる。ときには「日常生活で多くの感動をするように」なんて指摘もしてくださる。ちゃんと歌うことで今は精一杯だけれど、いずれもっと深く歌の世界に入れたらよい。自分で練習していて何となく行き詰まったときに、私の声を聞いただけで的確なヒントを与えてくれる、すごく私の事を解って効率の良い道を進む手助けをして下さっていると思う。(AK)

○体と息と声と感情のつながり、バランスの取り方についてのコメントやアドバイスをよくいただきます。
内容は具体的であり、抽象的ヤ感覚的なことが多いです。「声はそんなにいらない。声を半分にして息を倍に」「歌い終わった後にノドでなく、腰回りが何となく疲れたかなと思えるように」「心と気持ちをまずは動かして」「声0、気持ち100」などなど…。
そこから自分が気づいてる部分、気がついていない部分、弱い部分、殻が破れていない部分…など技術的にも、感覚的にも、精神的にも課題を見つけられる場です。その課題をどうトレーニングしていくかは、こちらも自分の心と体を見つめ、調整してやっていくしかありません。それもまたトレーニングなのだと思います。(MA)

○私の声は、自分では地声を出しているつもりでも、それは地声ですか、ファルセットですかと必ず聞かれるような声だった。高音域になるとチェンジするので、当時はやはり地声と思っていた。
目標は、ボリュームのある声を手に入れることと、セリフでも歌でも自由に動ける声・伝わる声を身につけることだった。
始めは、とにかくボリュームをつけることに専念したように思う。息をたくさん吸って遠くへ吐き続ける。そこへ声を乗せる。
今こうして書くのは簡単だが、吸った息を身体の芯へ取り込み、それをグルグルッと体内をまわして、音にして外へ出す。これを瞬時にし、それをし続ける作業だ。その時の、下半身の踏ん張り加減と上体の脱力加減と、お腹周りの力加減、この3つのバランスがちょうど良い時が、私の場合、伝わる声が出ている時だ。

感覚としては、楽だけれど(力んでいない)じわっと汗がにじんできて、身体が温まってくる、感じ。
「やっと手に入れた」と大喜びをしても、「この感覚を覚えた、大丈夫」と思っても、必ず毎回再現できないのがとても悔しい。緩やかなペースではあるが、確実に変化し続けている身体。それは嬉しいのだが、良い状態をキープできないのが辛い。セリフの練習も並行して行っている。これは瞬時にテンションを上げる訓練になるし、表現の可能性を広げるのにも役立っている。ここ数ヶ月、随分とセリフの声が安定してきたように思う。それだけに、セリフをいう時と歌の時の声の違いが目立つ。

自分では意識して変えていないのだが、吸った息を声にして出す時の声の出所が違ってしまうのだ。
今後の課題は、@歌の声もセリフを言う時の声と同じになるようにすることと、A吸った息を効率よく声にすること。Aに関しては、前回のレッスン時に、半分のボリュームで歌うことを試みた。自分の耳に聞こえる自分の声が、いつもよりも大きく聞こえる時は、私の場合要注意。息が遠くへ流れておらず、身体も理想的な状態では使えていない場合だ。
試行錯誤しながら進んできたが、自分の中でレッスンの方向を明確に絞れるようになったので、一つずつ期限を切って進んでゆこうと、そしてもっとスパルタにトレーニングしようと思っている。〔51ヶ月〕(SN)

○ホームページを拝見して"最も判断基準が厳しい"と直感的に感じたのが、入所させて頂いた理由です。自分一人では見失ったり甘くなってしまいがちな判断基準を、正す機会を頂ける場所と捉えています。また、具体的な技術面から精神面まで、自分の歌を磨いていく上で必要なものは充分すぎるほど用意されているため、あとは全て自分次第だと考えています。またレッスンに関しても、"上手くなる方法を教えて頂いている"のではなく、"その時の自分の状態を的確に説明して頂いている"のに近いため、何を得られるかは、その時の自分の姿勢、感性次第だと考えています。〔17ヶ月〕(HR)

○それまで一切音楽をやった事がないので、初めは言われた事も良く理解できませんでしたが、最近感覚で理解できるようになってきたので最近やっといいレッスンできるようになってきたと思います。
いつも言われることは息を遠くに流す、あとテンションを高く歌詞を理解して自分の気持で歌うなどです。自分で考えて、鍛えておかしい所を指摘してもらう感じでやってます。今は自分なりの表現で歌えるよういと思います。(FK)

○歌うことが大好きで、やりたくてやりたくて始めたヴォイス・トレーニングでしたが、1年ぐらいはどうもうまくいきませんでした。高校生の時に2年間発声練習を音楽の先生から受けていたのですが、完全に最初からやり直しでした。いま思えば歌謡曲教室のレッスンやカラオケでマイクを使って歌っていたときに悪い癖がついてしまったようです。
まだまだ声を出すので精一杯。歌唱なんていつできるのだろうと思います。でもそれが現実。深い声とはいきません。のどに力の入った、平べったい浅い声になりがちでした。でも今、少し声が出始めています。僕は「野口体操」というものを15年やっています。

ですので、レッスンを受けながら、体の力が抜ければ声の力が自然にでてくることを感じています。最近はオリジナルを聞きながら、どう歌えば自分の声が生かせるのだろう、楽曲をどう表現すればいいのか?と考えるようになりました。そして、表現が確実に変わり始めています。高い声もまだまだのどに力が入ってしまいますが、逃げることはなくなりました。一つずつ積み上げている途中です。
これからもいろんなジャンルの曲にチャレンジしていきたいと思います。歌うことがますます楽しくなってきました。(IT)

○まず非常にリラックスして時間を過ごせます。緊張して声が出せないという状況には絶対ないと思います。歌うということは緊張下でやるものではないと思うので、とてもすばらしいコンディションに作っていただいてると思います。
まだレッスン回数も少ないので、あたしの方の変化もそうあるわけではないと思いますが、アドバイスうける事柄もだいたい一つのことに集中してきているので、やはりそこが自分の弱点だと認識して直していきたいと思っています。
自分では漠然ととらえていた自分の歌い方や声について、具体的に客観的にアドバイスなりご意見なりいただけるのは、やはりかなりいい環境で、今の自分には必要だと思っています。

あたしのいいところも悪いところも、多分もう把握してらっしゃると思いますし、いきなり最悪のポゾションから歌いだしたとしても、きちっと零れ落ちることなく受け止めて下さるであろうという安心感があります。また、それをさらけ出せるという安心感があります。
これからは曲を通して、具体的に細かい自分の気づいていないクセや、その解決方法、練習方法などご指導いただければと思います。(ON)

○以前、別のスクールでヴォイストレーニングを受けていたのですが、そこは市販されているCDのカラオケを使ってのレッスンでした。まさにカラオケ教室の延長のような感じです。
歌うことは楽しいのだけれど、4,5年レッスンを続けても話すときの声が全然変わらないので、そこを辞めてこちらの研究所に通うことにしました。
こちらでの初めてのレッスンで先生に、私の顔や骨格に対して、声の出し方(トーン)が不自然だと言われました。なので現在は、自分本来の声で原稿を読めるようにトレーニングしてもらっています。

自分の声が、いわゆるアニメ声で、アニメ喋りっぽいなぁ…とは思っていたのですが、具体的にどうすれば治るのか、また、本来の自分の声がどんなだったかすらよく分からなくなっていたので、それに気づけたことは、私にとって大きな収穫です。
これから、今までやってきたことと、レッスンを受けて得たものの、両方ひっくるめて私として、仕事に活かしていきたいと思っています。〔声優暦5年〕(KT)

○先生のレッスンは今まで受けてきた先生より、より自分にあっているのではないかと思います。その時の自分の心境にもよると思うのですが、今はなんでもいいから吸収していこうという自然な姿勢で望んでいるという事も相互していると思うのですが、何かがわかりやすいのだと思います。
レッスンが終わった後に、割りにスッキリする日が多いです。それは声を大きく出してすっきりしたとかそういうことではなくて、自分なりの課題を7割は消化して、次の課題が見つけやすいからだと思います。

最後は必ず『息を吐く』という事を言われますが、それは音楽を体で感じなさいという事でもあると思います。
最近、音楽を体で感じれるようにはなってきたと思うのですが、ただ、実際歌ってみて、聴いてみると部分的にそう聞こえる部分もあるし、ばらばらです。
ただ、のどがあいている音がでたと先生が仰るので、この方向でいいかどうか確認をとります。そこで違えばまた新しいものの課題を出す、という感じです。そこで違えばやり直す、何かに執着しているなら、自分自信で執着に気付き、やり直す。
それから想像力も必要だと思います。私は漫画を描く事も歌を歌う事と同じくらい好きな事です。最初はへたくそです。慣れて来るとペン入れをする時下書きを見て、ペン入れ後の絵を想像しながらペン入れをします。

歌もまた、真似ないのなら自分の出す声をある意味想像できなければいけないと思います。どんな音でもいいからまずは想像して、それをレッスンの時に一音でもいいから必ずだせるようにもってくる。そこで方向性が違っていればやり直せばいいと思います。
私はオケがないと、不安ですが、これも解消しなければならない。それと先生の前だとどうしても緊張してしまう。緊張してしまうのはしょうがないけど、必ず何か引っ掛かる部分を解決しようとしています。(OM)

○入所して初めに感じたことは先生を筆頭にトレーナーさんたちの普段の喋り声の美しさです。第一声で僕は圧倒され、ここの研究所に対する期待や信頼感が より一層、深遠な物になりました。ブレスボイストレーニングというくらいなので「息の流れ」に重点をおいたトレーニングは予想していましたが、ここまで 「息の流れ」を意識するものとは思いませんでした。何度も何度も繰り返し身体の深いところから流れてくる「息」を意識する。数回のレッスンで今までとの声の違いを認識することができました。細く薄っぺらい声が、厚みのある温かい声に変わりました。
この様に、ほんの少しの「息の流れ」の差でこんなにも変貌してしまう声に対し、僕は畏怖の念を感じました。これからも自分自身の声に巧みに操れる様に、鍛錬に励みたいと思います。(OT)

○レッスンを始めて、今どんなトレーニングが必要なのかを見つけやすくなったし、自分がやってきたことが間違っていても、気づく機会がある。
レッスンを始めて強く感じたことは、どんなに効果的なレッスンをしていただいても、リラックスができていないと頭も体も十分に理解できないし、やるだけ辛くなる。ガチガチの私は、悔しいのでボディ・ワークなどを受けたり、あの手この手でリラックスに取り組んでいる。最近少しずつ心身共にゆるんできたように思う。
レッスンの体験談を言えるのは、もっとゆるんだ状態で、レッスンを最大限に活かせる自分になってからだと思っています。レッスンを始めてリラックスの必要性を思い知ることができて、本気でそれに取り組むようになれたことが、今の時点での体験談です。ありがとうございます。(OK)

○私が、ここの研究所でレッスンを受けるようになってまだ日は浅いのですが非常に充実した゛日常″となりつつあります!
それは、この研究所の教え方にあるでしょう。一般的に、こういったスクールでは講師がああだ、こうだ、と教えるというか自分の考えを絶対的なものとしそれを受講生らにおしつけます。こうすればうまくなる!という「答え」を。それはもちろん受講生自身も「答え」を求め、しかも手っ取り早く身に付けようとします。

しかし、この研究所は違います。あくまでも「答え」を出すのも探すのも自分自身だと言うことです。これは、今までただ与えられたことをやってきただけの人にとってはとてもキツイ事でしょう。いえ、だれにだってキツイということになるでしょう。
だからです。だから自分を磨け、もっと良くしようという意識が今まで以上にもてるようになるのです。
その結果、レッスン日以外の日も自分を磨いていこうとうことにり充実した毎日が送れるようになります。
自分もその一人であります。(MK)

○簡単な発声練習をして、自分の中でどの音域が一番響きがいいのかを教わりました。
基本的に、言われたことは普段のレッスンで言われてきたこととあまり変わりなかったですが、オペラや声楽の専門的な話も交えて具体的に説明してもらえたのがよかったです。私は体に力を入れすぎていて、逆に通りにくい発声になっているので、力を抜いた楽な状態で、裏声を出すときのように眉間に響かせるようにすれば、どんな音域でも遠くまで届くようになる…とのことでした。(TK)

○単純に声を出す、ということをここまで意識させられたのが新鮮だったのは共通しています。
そもそも、一応はステージの経験もありますし、本を見て家でそれなりにやってきてもいました。それでも、ここでのレッスン30分以上には、声を出すということを意識した事は無かったです。最初の内はただ必死で、それこそ汗だくになってやっていました。正直、身体のあちこちが痛くなったりもしました。

でも、それはある種快感でもありました。気兼ね無く全力で声を出せる、というのもそうですが、指摘を受け、それを少しづつでもモノにして行く度により大きく、より良い声が出せるようになって行くのが自分で分かるんです。調子の良い時は楽しくてしょうがないです。
ですが、未だそれを歌として活かし切るまでにはなっていないと思います。いつでもヴォーカリストとして、魅力ある声を出せるよう精進します。ただの大きい声では意味がありませんから。(ST)

○音階で発声練習をやるときも、コンコーネの歌を使っての練習でも、よくフレーズの最後の音が減衰してしまう。自覚はほとんどなかったのだけれど、先生に頻繁に指摘されるので、テープに録音して聞いてみたら、確かに最後の音が届いていない。どうしてその場で、自分で分からないのかと思う。コンコーネを使っての練習は、ピアノと一緒に歌うので楽しい。でもまだ声を出すことだけにいっぱいいっぱいで、ピアノの伴奏をろくに聞けていない。声のことなんて考えなくても出るようになったら、ピアノの音と歌との兼ね合いを考えて、音楽を奏でられるようになるのだろうか。今でも少しずつだけど、先生のアドバイスを受けながら、譜面上の楽語で指示された表現を勉強したりしている。

発声練習での言葉を「ノ」にしたり、「オ」「ア」と変えるだけでも、声の出かたが違ってくる。視線・あごを落とさないことで、声がより前に飛ぶ。私がよりよく発声できる状態を、先生が探して下さるので嬉しい。指示どうりにやってみて、高いところに声が届いたときなど、喜んで下さって、嬉しい。(FU)

○発声とコンコーネを指導いただいてますが、最初のころは、この発声って、声楽の発声だからポップスの発声と違うような気がするしなぁ、どうなのかなぁ、と半信半疑で受けていました。
ところが、5ヶ月くらいたって以降、普段自分が歌っている曲の歌い方がちょっと変わってきたことに気づき(たとえば、高音の出し方が以前はただ細くて出てるだけ、という感じだったものが、太い声で、スムーズに苦しくなく出せるようになった)、これは絶対にこのトレーニングのおかげだと確信しました。今は、中低音を豊かにすべく中声用のコンコーネを課題にし始めたところで、下降音ほど実は支えをしっかりしないとだめだということを痛感しているところです。(AD)

○指導してもらってから長くありませんが、不思議な心地よさがあります。たとえレッスン当日、精神的に安定していなくとも、自然な話で自然に笑わせて和ませてくれます。発声練習では、気持ちがこもり声が前にでない時、体で「前に、前に」とゆっくり引き出してくれます。
研究所の魅力は押しつけない魅力的なトレーナ−に声をみてもらえるだけじゃなく、その人達の生き方を生できけるところにあると思います。(HA)

○初めはいろいろと注意点が多くて、どこから手をつけたものか迷いましたが、毎回のレッスンで共通して言われるところがあります。それは息の流れとお腹のささえです。ずっとこの道を歩んでおられる方々には当たり前の事でしょうけれども、その当たり前の基礎を修得するという事が実は一番大変な事なのではないかと思います。何もないところから修得するのも大変だろうと思いますが、声を専門で扱った事がないとはいえ、生活の中で身についた発声や、体の使い方のクセがあるだけに、余計に時間と労力がかかりそうです。

先生には発声のところから細かに教えていただいておりますが、いろいろと考えながら歌っていると、考え過ぎて体が萎縮してしまうのもいけないと、こちらの緊張をほぐすような空気を作ってくださったりします。本当はそういうものも、自分でコントロールできるようにしていくのが、こちらでのトレーニングだろうとは思うのですが、まだしばらくは先生に頼る事となりそうです。(KB)

○まず指摘されたのは、高音に余裕がないことです。
顔の上のほうに空間がぜんぜんなく、ぎりぎりで出しているからぎりぎりな声にしかきこえなくなってしまう。
もっともっと上に行くつもりでその音を出すと、だいぶ改善されました。後は曲想についてですが、発声という意気込みもあってか、とにかく曲全体をはっきり出そうということばかりに気をとられていました。

そうではなく、フレーズには流れがあるのだから、それを感じて、ここは高音だけど張り上げたら明らかにおかしい、この低音からがんばって出しちゃったら後の高音まで持たない、逆に下降していくときに元気がなくなりすぎてしまう…などです。
前の先生にも言われていたことですが、常に歌っている少し先を視野に入れながらやらないと、目の前にある音だけ歌っていたのでは流れも何もない、無理のあるものになってしまうということです。その辺の意識は、決して難しい理屈ではないのですが、一人では気づけないものだったと思います。集中はするが、変な所でがんばらない、効果的にエネルギーを使うということも学びました。
今後は、より演出や見せ方の部分を学んでいけたらと思います。(KA)

○厳しい。レッスンの場では、なかなか進歩しない自分自身に苛立ちを覚えることしきりである。ただ少なくとも言えることは、先生のご指導によって少しずつ「息に乗った声」の感覚が身体で分かりつつあり、また普段歌を唄う中でも、それを感じることがある、ということである。
私は発声の本などで研究したことで疑問に思ったことは先生に質問するが、それでも「先生、これって正しいですよね?(間違ってますよね?)」といった「ALL or Nothing」の質問はしないことにしている。(明らかに間違っていると思うことは別。)
その大半は、絶対的な正誤で片付くものではないと思うからだ。(先生も回答に困ると思う)
それよりも大切なことは、私自身このような研究、トレーニングの過程を通じて、一刻も早く、自分の声に対する判断基準を知り、具体的に活かすことだと考えている。そして、先生はそのための指導者、レッスンパートナーとして信頼し、レッスンを続けている。(SD)

○声楽を教えて下さっている。私は今まで歌をちゃんとやったことがなかったから始めはなかなか感覚がつかめず、言われるがままにやっていただけだったが、続けているうちに徐々に自分で意識的に発声が出来るようになってきた。
「力を抜く」と言うことが中心だが、始めはこのレッスンを混合して上手くできなかった。とにかく言われたことだけを忠実にやるようにするうちに、声楽の発声法がつかめてきて、それの感覚をポップスにも応用出来るようになってきた。
毎回発声をして、コンコ−ネを歌う中で私の弱点を指摘して下さって、言われて意識するだけでも変わったりするし、時には乗り越えるためのトレ−ニング法を教えて下さる。

現時点での私の弱点は吐く息の量が少ない事。簡単に変われることではないが、私が忘れてきた頃に何度も根気強く指摘して下さるので、そのたびに心を入れ替えてトレ−ニングの質を高めて行くことができる。元々はカラオケなどで自分の満足行くように歌えなかったため、もっと歌を楽しめるようになりたいと始めました。今は大学でバンドサ−クルに入っていてそこでのライブの質向上のためにレッスンを受けている感じです。
自分で歌いたい歌ややりたいことが少しでもはっきりしていたほうが、レッスンから吸収出来ることも多いです。
逆になんだか解らなくなった時も突破口をひいてくれています。(AK)

○今まで他所でボーカルの基礎レッスンを2年半程受けていましたが、もっと基本に返って根本を養いたくて入所しました。歌うとはどういうことなのかを深く考えて実践&追究していける研究所だと思います。世界に通用することを念頭においてノウハウを培っているのは素晴らしいことですが、私の心構えとしてはエリート意識や慢心をすることなく精進して行きたいと思っています。
結果として自分の歌声が良く響き、表現力が輝けばと思っています。先生のレッスンは、腹式呼吸による下からの息の流れと共に横隔膜を下げて「支え」、身体に響かせて歌うことをトレーニングしていただいております。自分が今までに知り得なかった考え方や方法を教わり「学び体得していく喜び」を享受しています。自分の感覚を鍛えていくことが技術の研鑽につながると思うのですが、レッスンで一番興味深いと感じたことは、イメージや意識を持つ或いは変えるだけで声の響きが変わることです。歌も太極拳と同じく調心&調息&調身が大事なのですね。(NK)

○ヴォイストレーニングを、振り返ると段階的に、研究生のレベルに合わせて授業のカリキュラムが組まれいるのが解る。最初の頃は、演劇部の発声練習と代わり映えせず、何処が外国人と同じ発声に繋がるのか疑問を感じる事もあった。 しかし、年月と共に、授業での発声練習の方法も変化し、かなり当初イメージしていた声に近づいてきた様に思える。ただ、こちらの事を考えて、カリキュラムを組まれいるとはいっても、不特定多数が相手なので、個々人の要求には、合致しない事もある。自分が何を求めているのか、何が足りないのか、良く考えてこちらから働き掛けるのが大事だと、ここ数年思う様になった。〔96ヵ月〕(AH)

○最初のレッスンでアカペラで歌った時、先生に「声はいい。でも歌い方でダメにしている」と指摘されました。先生にも「持っている声が素晴らしい」とコメントをいただきました。自分では、本来の声質に自信が持てずにいたので心底嬉しかったのです。
レッスンでは、ジャズの譜面持参で曲での実際の歌い方の指導をしていただいています。大きく地声で歌おうとするとどうしても喉に力が入ってしまって声がひっくり返ってしまいます。そこでレッスンでは、喉の奥を開いて言葉が変化しても一定のポジションで歌えるように、喉と口元はリラックスした状態を保ちつつ腹式呼吸による息の量の変化で歌詞をフレージング出来るようにアドバイスしていただいています。
最近一番痛感した失敗例は、トレーニングによる歌い方の効果を知りたくて、本番で大きく地声でスローバラードを歌ってしまったことです。MD録音したものを先生に聴いてもらい「本番はもっと軽く抜いて歌っていい。トレーニングの効果は随所に出るから。練習用と本番用に歌い分けて」と御指摘いただきました。(NA)

○説明がわかりやすく丁寧で「発声においては、表現においては」とそれぞれ言って下さって、その意味が最近わかってきました。毎レッスンごと、ターゲットを訓練するためのトレーニングをぱっと出して下さり、引き出しの多い先生だなと感じています。説明の言葉も何通りかで言って下さるので、一度目でわからなくても二度目三度目で気付くことができます。
一番はじめは頭声を使うことがわかりませんでした。お腹から出す声=胸声・のどの声のように思っていて、頭声・裏声を使う(使っていい)ことがわかりませんでした。でも頭声でいいと教わって1オクターブを整えていった時、まだ完全にできないけれど中間の声で変化せず出せるようになりました。今まで地声と頭声が分かれるのをどうすればいいのかわからなかったのですが、ようやく解決できました。

この発声について、実は最初とてもクラシック的に感じ、少しとまどいました。が、今はポピュラーにも何にでも必要なことだとわかってきました。アエイオウを1音で出すとき、出ている声が自分で思っているより上下していることもわかりました。特にイとエが苦手ですが、レッスンで出しやすいオを出してからイを出せば良いと教わり、練習しています。できている部分を挙げてもらって、苦手な部分と結びつけた練習法を教えてもらうと、これだと良いとかできない部分はここが違うんだと自分でわかるようになってきました。
またGからCの下降のようなトレーニングでは一音ずつ支える難しさを感じています。言葉と声で教えて頂いてイメージはなんとなくつかめているから、実際にできるように体を作っていきたいです。(IM)

○気合を入れようとすると無駄な力が入りがちな私をほぐすようなやさしい口調で、歌に使う呼吸を丁寧にみていただきました。志摩先生のレッスンでは、常に深い呼吸を心がけるので、お腹がごろごろ鳴りっぱなしで少し困っています。音を鳴らさずに吸えるようになりたいです。呼吸の重要性を思い知り、医学書を読んだり、自分の呼吸を感じるようになりました。(KU)

○先生より、息を吐き続けて流れるような発声を仕方を重点的に教わっております。
レッスンでは、なるべく体を柔らかくするためにストレッチをして、正しい姿勢を保ち、なるべく力で押さずに発声をするように教わり、それを実践しております。まだまだ胸に力が入ってしまい、力が抜けた発声が出来てませんが、今後も上記を意識して、その方法をつかめたらと思っています。(OW)

○以前に、途中まで登場人物の名前が分からない小説を読んだことがある。小説の登場人物と実際に会うわけではないから、名前を知らなくても困ることはないと考えていた。しかし、名前が出てきた時、目が覚めた気分がした。それから、その小説をイメージしやすくなった。この研究所には、「自分には何かが足りない」と入所した。お二人を通じて―「音」という名前を認識させていただいた。あの小説を読んだ時のように。イメージの幅がひろがった。(OD)

○まさにゴムのような、歌う先生のお腹を触らせていただいたことが印象的でした。力の入れどころ抜きどころが絶妙で、楽器のように体を使うとはこういうことかと思いました。私も自分の体を使えるように、今まで気づかなかった体の感覚を少しずつ発見しています。
また、コンコーネをみていただいたときに、声が届いてこない、と指摘されました。後になって考えると、自分の体と声のことばかり気にしていて、歌を聴いていただこうという意識がなかったことに気づきました。初めて習う声楽の世界は、なるほど、と思うことばかりです。(KU)

○先生より、深い声の発声の仕方を重点的に教わっております。
レッスンでは、声帯を余計に広げて息をもらすのではなく、閉じた状態で音を作り、かつ声帯内で息を多く回すことでボリュームを付けていき、そして、音を作るポイントは声帯のまま、声の広がりを下へ下へと向けて深みを付けていく、ということを教わり、常にそれを意識して練習しております。最初は声帯を広げる形を作り、それを保つだけでも苦労しましたが、最近は苦無く出来るようなり、無駄な力を少しずつ減らせるようになりました。まだ、余計な力が入って力で声を押してしまうところがあるのですが、今後も先生の指導の下、改善して行きたいと思っています。その他のスクールでは教えてくれないような、具体的かつ的確な指導を頂き、毎回のレッスンが非常に勉強になります。(OW)

○声楽をやっている友人の歌声を生で聴くと、空気の波が眼に見えるくらいの迫力を感じました。そして彼等は相当量の修練を積んだのだと容易に想像できまし た。そして人に歌で何かを伝えたいと真剣に考えたとき、僕もその修練の日々に突入する決心がつきました。
正しい発声は想像以上に難しく、自分が発声して いるのをトレーナーさんに良い、悪いを判別してもらうのですが、最初のうちは自分ではその違いが全く解らないという状態でした。身体の感覚で少しづつ認識したり、録音したものを客観的に聴き、徐々に自己判断できるようになりました。これらを体験した率直な感想として、これは絶対に独学では体得できないと思いました。そして体得するにはやはり過酷な修練の日々が待っている、何か技術を身に付ける者の運命だと直感しました。(OG)

○やることを具体的に教えてくれるのでわかりやすい。同じ男性なので、先生が出してる声の真似をしやすい気がする。
自分が一番喉が開く発音を見つけてくれて、その発音を基準にして前よりのどが開きやすくなった。 (YG)

○身振りや手ぶりなどを使った巧みな表現でとてもわかりやすい発声のレッスンは身につきます。とても親切かつ丁寧で歩み寄るようなご指導なので、とてもやる気が出ます。いろんな悪い癖も見逃さず、一つ一つ丁寧に指摘してくださるので、自分のやるべきことがとても明確になり、こころからやる気が出ます。明るくさわやかなレッスンはとても楽しく真剣に取り組みやすいです。分かるまで粘り強く教えて下さるのとわかりやすいので間違ったところがはっきり自覚でき感謝してます。(OT)

○今は「ヴォーカル基礎 入門編」をやっています。仕事をしているので、声を出すことは週に2回位自宅でできればいい方です。
先週は仕事がきつく、ほとんど何もできませんでした。でも、時間と気持ちの余裕があれば、夜でもハミングならできますし、声が出せない時は楽譜を読み、キーボードでメロディーをテープに録音したりしています。なにしろ回数をやった方が確実にうまくいきます。
最初は楽譜恐怖症でした。それに集中力が続きません。4小節がやっと!休符さえ正確に取れない始末。また、リズムと音程を正確に声にするよりも、メロディーを歌おうとしていた時期もありました。先生はリズムや音程のずれにも丁寧につきあってくださるので、自分の弱点がわかってきました。地道なトレーニングですが、これが徐々に効果をあげています。いつか自分の大切な財産になるような気がするのです。今年中に入門編が終わればいいなと思っています。 (IT)

○やる前は音楽基礎、ということで正直、単に学校でやる音楽の授業のようなものを想像していました。が、やはりというか、実際はそれ以上のものでした。
音一つ取っても非常に微妙なラインの高低に拘り、譜面通りにやるということの難しさを痛感させられました。
そして、今までの自分が如何に低い水準でやっていたかということも。初めてのレッスンの日は、「足りないものを得られる」という高揚感と、「この程度のことも出来ていなかったのか」という悔しさが同居した不思議な気持ちでした。今でもしょっちゅう指摘を受けますが、音が全体的にフラット気味になる、という欠点もこのレッスンで明確になりました。最近では単に低いというより、その目標の音を明確に意識出来ていないせいのような気がしていますが。調子の良い時とそうでない時でムラがある辺り、まだまだだな、と感じます。
進みが遅い時等は焦りを感じることもありますが、一つ一つ、自分が出来ることをやって確実にモノにして行きたいです。(ST)

○いつも懇切丁寧に1つずつ指導してくださるので、非常にありがたいです。
今までソルフェージュの経験がないので、非常に緊張していました。でも、1つ1つの課題を常に同じステップで丁寧に指導してくださるため、だんだん不安がなくなりました。もちろんそれに甘えずに予習は必要ですが…。

また、音符を声で表現するときにちょっと外れたり、長さが正確でなかったりするときに、必ずポイントを示してくれるので、復習したり、その後の予習をする際に大変有効です。とはいえ、1つの課題を克服するのは時間がかかると実感しています。たとえば、ソの音が下がり気味だということについて、あるフレーズではうまくいっても、違うフレーズではまただめだったり…。繰り返し、いろいろなパターンを入れていかないと、と常に思いながら指導を受けています。(AD)

○僕は昔から音痴だと言われつづけてきましたし、自分でもそう思ってました。先生には音痴ではなく体に入っていないだけだから、練習次第で良くなると言っていただき、嬉しくなり、よりいっそうのやる気がでました。しかし、やはり人には向き不向きがあるようで、遅々として進歩の少ない自分に歯がゆい思いです。

そんな中、先生はいろいろと工夫をしてレッスンをしてくださいます。いろいろな母音を使ったり、ハミングでやってみたり。やっと取れたと思った音がもう一度やると出来なかったりするなかで、同じ音でも下から上がってくる時と上から降りて来る時で違って聞こえるなどという僕の無茶苦茶な意見にも、言葉をしっかりと受けとめ自分の言葉で受け答えをしてくださいます。
僕は踊りのリハーサルで、厳しい指摘を受ける事もよくありますので、そこまで過保護に対応してくださらなくても大丈夫です、と思うのですが、そういう対応をされるという事は、僕の態度、もしくは声に沈んだ気持ちがでてるという事なのでしょう。もっと強くなりたいと思いました。(KB)

○厳しくていいと思います。自分の耳がもっと鋭くなり、自分で修正できるようになる必要があります。音程の練習は毎日できていないので、そこが問題です。(TN)

○このレッスンでは主に音程、リズムを見ていただき、むしろ発声などには重点をおきません。はじめは戸惑ったし、音程をとろうとするために自然とのどに力が入りやすくなり、すぐに声がかれてしまうこともありました。
しかしそれはほかのレッスンで発声をやっていく上で、少しずつ直っていきました。
発声が変わってくると音のとり方も変わってくるわけで、時期によってとても不安定だったり、高音が出やすく低音が出にくい、またはその逆などという状態はしょっちゅうでした。

そういう中で基準が変わらないこのレッスンは、自分がどういう状態にあるのかをわからせてくれる意味であってよかったと思います。
正直に言うとほかのレッスンよりもつまらないのです。でもそういう気持ちでやるとすぐに声に出て、苦手な音程や丁寧に扱うべき音はずれてしまいます。これは結構大事で、いい加減にやると自分でもわかるレッスンというのは、いやですがありがたいです。
現在の個人的な課題は、気をつければできるようになることは、はじめからできるようにするということです。要は心構えの問題ということですが、その一回目を大切にできるようにしたいと思っています。
自分を解放することと同時にコントロールすること、このレッスンはそのコントロールの部分のトレーニングになっていると思います。(KA)

○自分の場合は低くなる事が多いのだが、レッスンでは、ハミングや口角を上げる事で声を上に集め、鼻の位置でキープすることが少しずつ出来てきたと思う。まだまだ合わない事が多いが、出来た時と出来なかった時の違いがわかる様になってきた。
音が合わない時のアプローチの仕方が増えて、レッスン中に修正出来る様になってきた。(HY)

○なによりまず思うのが、すごく真剣に一生懸命な姿勢がとてもありがたいです。的確に分かりやすく音程やリズムのズレを指摘してくださるし、とてもすがすがしい気持ちでレッスンを受けさせていただいています。教え方もすごく丁寧で分かりやすいので自分でも指摘された部分のどこがいけないか自覚できるくらいなので、本当に上達のサポートをしてくださり、またねばり強く根気のあるご指導と先生の鋭い指摘に感謝しています。(OT)

○すごく優しく丁寧に、音程やリズムのズレを性格に指摘して下さり本当に根気強い方だと思います。わたしはかなり初歩的にしかも同じところが何回もできない事が多々あるのですが、普通なら呆れてしまってもおかしくないのに、それどころか励ましの言葉をかけながら、できるまで何回もやってくださりありがたいです。間違ったところの指摘の仕方も繊細にやさしく言ってくださり、ちゃんとできたところはほめてくださるので、反省してやる気もおきます。(OT)


■トレーナーQ&A〔内容は参考にとどめておいてください〕

Q.先生と比べると口の開け方がかなり小さいが、口を大きく開けると、息の出し方や音程が制御しにくくなる。歌うときに口を大きく開けることの必要性が実感できない。

A.口を歌う時に常に大きく開けていて欲しい訳ではありません。特定の方法でしか声が保てないのでは、偏りが生じる恐れがあります。 現状口が閉じ気味なことで声が引いてしまっているように感じますので開放・解放のヒントの一つとして捉えて頂ければと思います。

Q.「ア」「オ」を発声するときのベストのポジションがよく分からない。発声練習と実際の歌とは区別するべきなのか、また普段の日本語の発声とも区別するべきなのか。

A.普段、日本語を発音する感触とは異なると思います。区別をする必要は無いですが。 重要なのは、(例えばですが)聞き手に日本語に聞こえることが大切なのであって、歌っている本人が通常の日本語の感触と同じであるかどうかは問題ではありません。
またベストのポジションは個々によって異なります。全員「ここだ」という特定の位置があるわけではありません。自身でそれを探し、それに近づく為の練習・レッスンだと私は思います。

Q.まっすぐな姿勢を意識して発声練習してみましたが、背中に力が入りすぎて筋肉痛になります。これは、余計な力が入っているせいでしょうか。背筋が弱く、バランスが悪いのでしょうか。

A.壁に頭、背中全体、ふくらはぎ、をなるべくくっつけて立ってみてください。それがよい姿勢といえます。体になるべく力を入れないように立ってみてください。

Q.喉によいものや、気をつけるとよいことを教えてください。

A.よく寝ること
イソジンでうがいをする
耳鼻科に行く
極力しゃべらない
のどあめなどを常備してのどを乾燥させない

こんな感じですが、食べ物としては、りんご、オクラなどがいいと聞いたことがあります。
りんごは、のどによく、オクラは、風邪にいいそうです。参考にしてみてください。

Q.実際に楽曲(ポップスやロック)を歌う時は、軟口蓋を広げることを意識した方が よいのでしょうか。

A.軟口蓋を広げ、そしてさらに喉の奥を上に引き上げるイメージを持って、声を出してみましょう。口の中の空間が広くなり、より響くようになって、声量も増します。また口を縦に開ける事で喉の位置が下がり、効率よく声が出しやすくなるポジションを得られるようになります。欧米人の多くは普段の話し声からこの形が出来ていることで、声に魅力がある人が多いようです。 

Q.「喉を開く」などのトレーニングは楽曲を歌う時、どのようにいかせばいいのですか。楽曲を歌う際に注意すべき点はありますか。

A.発声と歌の関係について、スポーツに例えてみます。スポーツ選手が何の準備もせず、いきなり試合に望むでしょうか?必ずウォーミングアップをしているでしょう。しかし、それはやたらめったらダッシュでランニングをしたり、投手が何十球もピッチング練習をしているわけではありません。どこの筋肉をどう使うか、などと考えながら短時間でより効果をあげるためにウォーミングアップをしているのです。歌の場合は発声がこれに当たるのです。単にギャーギャーと声を出していれば良いというものではありません。この時、どのようにすれば喉に負担をかけず歌に望めるか、どのようにすればより大きな声を出せるか、などと発声の仕方そのものを知るためにレッスンをしています。ですから、あくまでもウォーミングアップの仕方をレッスンしているわけで、「この楽曲の場合、ここで喉を開いて下さい」などと一言で言えませんし、ポピュラー音楽ですからご自身で使い方を決めていただくことだと思います。

Q.鼻声について、発声練習でそれほど気にならないものが、普段まわりから指摘されるというのはどういう理由があるのか。鼻に抜けてしまう発声のシステムを理解したい。

A.言葉の関係で、鼻声に聴こえることもあるかもしれません。おいおい、曲をやっていきながら、改善していきましょう。
息で歌うということは、意識したほうがいいですが、決して、息を漏らさない、息の上に声がのる意識をもってください。かなり、難しいことですが、あわてず、レッスンで一緒にやっていきましょう。

Q.今、自分に必要な練習方法を教えてほしい。

A.自宅での練習メニューは、レッスンでしていることをしてください。量より質を大事にしてください。喉を開く、声帯で音をとる、最下音声、音階練習でのラインの統一など発声で基礎作りをしないまま歌に進んでも、今と変わりません。地味なことの継続がとても重要であり、後に大化けします。私のレッスンではある程度発声が安定してきたところで、コンコーネ50番という教材を使用し、発声練習の際注意すべき点を歌(メロディ)で具体的に使えるようにしていきます。人前で歌うことはプロ・アマ問わず誰とて緊張します。そこで声に震えが出ないために、深い息と腹式呼吸が必要なのです。この二つを得られないとだんだん浅い声になっていきます。是非習得し歌に活かしてください。

Q.自分の一番よい声がわからない。自分キーがわからない。低い方が出しやすいが、聞く人によって、高めのすきとおる感じがよいといわれたりする。そうすると、小さな声になると、かき消されてします。小さな声でも、人をひきつけるのはなぜでしょうか。

A.先生の本の中に『自分の声は一生分からない。第三者に聞いてもらう』という一節がありました。まさにその通りでして、山城さんもご自身の声を録音されたことがあると思いますが、自分で聞こえる声と人に聞こえている声とは違うのです。歌とて同じです。 自分がよく歌えていると思っていても、他人には違う音で伝わっているのです。ですから第三者の判断が必要なのです。ですが、これも好みがありどの意見を参考にするか悩むところです。しかし、ポピュラーですから型がない分、好きなように歌うのもよいでしょう。 しかし私のレッスンでは深い安定した声・小さなPの音でも密度のあることを求めます。あとはご自身の判断となりますので、求められることと出したい声をしっかり理解し判断していくことが重要になります。

Q.本格的な腹式呼吸を身につけるトレーニングで、お腹に思い切り力を入れてトレーニングするようにしているのですが、最近周辺のお腹が鍛えられるような痛みと共に、息を入れると胃がとても痛くなります。姿勢が悪いのでしょうか。

A.姿勢の問題ではないと思います。
力を入れすぎかな。直接腹筋に力を入れすぎないこと。
体をリラックスさせて、その上で強く息を吐けるようにしていきましょう。
まずは仰向けに寝てみて、自然な呼吸を確認すること。決して腹筋を直接使っていないと思います。
そしてその状態から徐々に息の量を増やしていきます。
体をリラックスさせて、強く息を吐いている時に使われる筋肉を鍛えていきたいです。 
痛みがある場合は力みすぎか、使う場所が間違ってます。
まずはリラックスさせて呼吸するところから始めてみましょう。

Q.「喉が開く」ということに非常に興味があるのですが、喉を開いて歌うことができている歌手の人たちも、最初のうちは「喉を開ける」ことを意識して歌唱していたのですか。その結果、無意識でも「喉が開く」ようになったのですか。

A.意識しないで無意識で喉が開くようになったのだと思います。結果としてそうなったんだと。喉を開くことが歌う目的ではないですから。一流のプロの歌手は「喉を開ける」ことを意識して歌っていないと思います。
クラシックの場合は練習の段階ではそれを意識して声を出していることもあるかと思います。マイクのない舞台で歌うので、声を大きく響かせることが条件ですから。体は楽器であり、共鳴体ですから、のどの奥を開けて、その深いポジションから声を出していく。またのどの力が抜けて息の流れが良くなるというイメージでも「喉を開ける」イメージがつかめるかと思います。

場を踏んでいって自分で身につけていった方と、きちんとトレーナーや先生について学んできた方の二手に分かれると思います。なかにはごくまれにすぐに出来てしまった方もいるかもしれませんが、日本語はそういった話し方をしないので、ほとんどは意識して身につけたと考えてよいと思います。

その点、言語的にも母音の深いイタリアなどラテン語圏は自然に出来ていると思います。特に『ウ』の母音は明らかに違うので、意識して聞いてみて下さい。喉を開くというあまりにも抽象的な表現のためわかりにくいと思いますが、音で聞くと明らかに違います。まずは今、自分の出している声は喉が開いているかどうか確認し、開いていないと思うなら身につけられるよう練習するしかないのです。人が何日で出来たかどうかではなく、自分が出来るようになるかどうかが重要なんです。

無意識でも出来るようになるには相当な場の数をこなさないと不可能でしょう。私の事ながら、私は舞台に乗っている時には今でも『深いポジション』と意識をして喉を開くようにしています。しかし、これも初めのころは舞台に乗っていることだけで緊張し、喉を開くという意識は飛んでしまうのです。ですから結果的に言えば、無意識に出来ているようにしなければいけないのです。余裕がでてはじめて客観的に自分のスタイルを確認しながら歌えるようになってくるでしょう。

Q.私の場合舌を出すと、喉が閉まってしまい、また、首に力が入り、ペロンとした声になってしまいます。出さない方がやわらかく出て、首に力も入りづらいです。他の方は、舌を出した方が出やすいのでしょうか?なら、舌を出す以前に、何か単純に根本から私は違うんだと思うんですが。喉にひっかけて出す癖があると言われたのですが、喉が閉まってるという事でしょうか?

A.それ自体では不自由で使い道がないように感じられますが、そのトレーニングから開放された時、意識をしなくとも自然とその状態になっているのです。同様に、このトレーニングをしていれば、いざ歌おうとした時に意識をしなくても声帯を充分に使っているようになっています。ただそのトレーニングの仕方が間違っていては意味がないばかりか、悪影響を及ぼすこともあるでしょう。それを回避するためにトレーナーがいるのです。

まず、喉がしまって、首が堅く声がペロンとしてしまうというのは違う方向を向いています。舌を出すこのトレーニングの目的は綺麗に歌うことではなく、喉を開くためのものですから、自分には雑に聞こえるくらいがよいです。これは文字では伝えにくいので、レッスンで感覚を身につけていってください。
次に舌を出さないで歌った方が柔らかい声になっている、との事ですが、もちろん誰しもが口先で歌った方が楽でしょう。しかし、それは浅い声ですし、高音になれば締まった窮屈な声になります。

レッスンでは深い声にするためにトレーニングをしている訳ですから、楽なところで歌っていては意味はありません。また、自分に良く聞こえている声と、第三者に聞こえる声は別ものです。やはりトレーニングを受けている間は自分の耳を頼らず、まず良いと言われた時のフォームやポジションをしっかりと身につけることです。そして、百発百中できるようになった時に、自分の耳を信じてみてください。
次に音を引っ掛けるという表現はわかりにくかったと思います。一言で言うとレガート(なめらかに)ではないという事です。声を発した時の音や音階をとっている時の音が、直接的に当たり過ぎて前後の音の音色の関係が均一になっていないという事です。

Q.高音は自然な声で聞いていて気持ちがいいが、低音は無理に作った声の印象があるのですが。

A.ポジションが落ちているのでしょう。低い音だから声を低いくするのではなく、高音・中音・低音すべて同じラインで歌えるようにしてください。

Q.歌いだし、低音部、で鼻にかかる発音が時折気になる。「イ」の発音が不自然です。

A.「イ」「エ」は浅くなりやすく難しい発音です。口を横に開くというのではなく、声帯で話すようにしてください。口先の発音にならないよう注意してください。鼻声になるのは喉を締めているためです。そのため力も入っているでしょう。鼻くう共鳴は高音で使います。まずは話し声と同様声帯を振動させることを優先させて下さい。

Q.高音は自然で低音は不自然と感じられてしまう原因について、低音は声を安定させようと意識しすぎると、特にそう聞こえるようです。

A.やはりラインが統一されていないのでしょう。高音が自然と感じられるのであれば、そのポジションに合わせるのもよいでしょうが、その声が深い安定した声であるか、聞いていないので判断しかねるところです。

Q.感情をこめていくと台詞っぽくなっていってしまったのですが、いいのですか。

A.その感覚に慣れていないため違和感を感じているのだと思います。
まずは歌の世界に入り、その中で自分の感情を生かしていく。こういった気持ちで日々練習していくことです。
練習していく中でこの違和感もなくなり、より感情豊かな感性が磨かれていきます。

Q.最低音発声とそのキープについて、高い音もその状態をキープして持っていくには、どうしたらよいのでしょうか。

A.ノドを下げることです。下あごには力を入れないことです。「エ」「イ」の発音では、あごの関節を目いっぱい開く感じ、高音ほどイメージは下へします。あまり、キープすることにこだわらないでください。

Q.歌い方のくせを直すには、どうしたらよいのでしょうか。

A.音の上げ下げなどを、滑らかにできるようにしましょう。
母音の発音も一度、統一してとらえなおしましょう。

Q.元々人前で話すことに慣れておらず、また滑舌が悪い方なのですが、今でもうまく言えない言葉があるんです。それは、「ありがとうございました」という言葉です。
一人で練習している時は何の抵抗もなく言えるのですが、いざお客様を目の前にすると緊張して、最初の「あ」が出てこないんですが、どうしたらよいのでしょうか。

A.声や発音の問題よりも、リラックスやシチュエーション、つまりコミュニケーションの問題です。いつも、口に出して、慣れていくしかないと思います。

Q.野球を習っていました。でも、姉が、受験生だったので、両親に忙しく、野球のことは面倒が見れないといわれ、説得され、いやで、野球を止めちゃったんです。だから、ミュージシャンとして、皆にお礼がしたいです。でも、もし、それを両親が、知ったら悲しむから言えないんです。本当に、悩んでいるので、もし、いい案があれば教えてもらえないでしょうか。レッスンは遠くて、行けません。

A.本当に悩んでいるのはわかります。でも、あなたの手紙は甘えだらけです。姉に、両親に…、そして私に…。まわりがどうであれ、決めたのはあなた自身ではないのですか。お礼するのとミュージシャンになるというのも、勝手な結びつけです。歌っていけばよいでしょう。なぜ両親が悲しむのか、両親はそれがあなたに向いていない、無理なことを知っているからでしょう。他人依存をやめなくては、さらに迷惑をかけるだけになります。遠い? 私は、海外まで行きました。 

Q.GLAYのボーカルのTERUのような声を出すにはどうすればよいのでしょうか?またそのような声になるべく短期間でするにはどういう練習をすればよいのでしょうか、コツを教えてください。

A.どんなトレーニングも成果が出るには、時間のかかるものです。個人差も大きい。努力や素質以外にも、時代や方向性、運などもあります。到底、答えかねます。

Q.私は今ジャズのピアノと歌を勉強しています。レッスンの先生はプロのジャズピア二ストです。無理をお願いして歌わせてもらっています。まだまた人前で歌えるようなものではないのですが先生は場数を踏んだ方がいいとたまに先生の仕事で歌わせてもらっています。始めは楽しかったのですが今本格的にうまくなりたいと思い何冊か本を読ませていただいてきずきました。自分はなんて下手だったのだろうと。口先だけで歌い一本線も通ってない途切れた歌を歌っていたのです。これから勉強するつもりなのですが今現在も一人で練習していてこれで合っているのか不安になります。やはり自分で勉強するのは無理なのでしょうか。

A.自分で考えることです。私は無理だと思ったので、人に師事しました。そうしないで成功した人もいます。

Q.木管楽器の先生や、他のヴォイストレーナーの先生から、息を吸うときにはお腹が引っ込み、吐くときにはお腹から力を抜き元に戻すようにと言われました。(吸った息は背中に貯める)先生とは逆の呼吸法のようですが、どのように解釈すればよいのでしょうか。

A.生理的な現象としては、吸うと肺がふくらみ、腹部も出ます。トレーニングにおいては、何を目的とするかでさまざまな方法があります。私は、吸うことは意識下におかず(つまり、そのときの状態は特にどうするべきと決めず)、吐くときにコントロールできるようにすべきに思います。イメージや指導法は、ことばでは判断できません。ことばがどうであれ、正しく行なわれていることが肝要だからです。また、正しくというのも、何をもってそう断じれるのかは、目的によっても異なるでしょう。逆とは思いません。指導者本人に聞くことをお勧めします。 

Q.「ブレスヴォイストレーニング」のトレーニング100メニューを初めからはじめると、どのような効果が現れますか。歌は上手くなるでしょうか。

A.歌のための声の補強ですから、声そのものではありませんから直接うまくなることはないのですが、声が問題のときは解決に近づくでしょう。やみくもに効果を求めるのではなく、自分の目的をセットしてください。それに対して効果を計ってください。

Q.ギターの弾き語りの時 半音下げのチューニングにした方が歌いやすいのですが それは声そのものが 普段からこもってフラットしている為なのでしょうか?またそのまま半音下げチューニングでやり続けるべきでしょうか?

A.ナチュラルチューニングよりも半音下げチューニングの方が、ご自分の歌のKEYに合っているということなのではないでしょうか。 Grを半音下げチューニングにして演っているミュージシャンはたくさんいます。Grのチューニングと歌が♭しているかどうかは別の問題です。

Q.「ヴォーカルの達人基本編」を毎日やっていますが、一日だいたい体作りを含めて1時間やってます。時間的にはどれくらいがちょうどでしょうか。あと、本でいくと、STEP1、STEP2と続いていくと、どうしてもトレーニングがたくさんになります。
一分野どれくらいの期間でやって、次に進むときは、その前の分野はもう練習しなくてもよいのでしょうか

A.間は、目的とトレーニングの種類と密度によります。声を出すのは20〜60分、60分なら、かなり休みを入れてください。
期間や繰り返しも、目的とレベルによります。歌い欠けているところが充分にできるまでは、続けてください。

Q.腹式呼吸の際、鼻から息をすって口から出す、と教えられてきました。その間空気を吸ってという表現はおかしいとも聞きました。
朝日新聞に大人が1回に吸い込む空気は約300cc云々とありました。いつも疑問に感じていましたが 発声という面からいったら正しいのは何でしょうか。

A.言葉と実際は違います。吸うのではなく、入ってくるのです。腹式呼吸と鼻から吸うのは別問題です。口から自然と空気が入るのは当たり前です。腹式呼吸の習得法では鼻からといわれますが、実際の腹式呼吸は両方から入ります。風邪をひいて鼻が詰まったら、腹式呼吸はできないもの、歌えないものではありません。

Q.自分は比較的高音域は得意なのですが 低音域になると自信が無くなります。体の使い方も高音域よりも大変ですし、やはり基本にもどり体作りからやるべきなのでしょうか。

A.人によって違いますが、言葉のトレーニングをやってみたらどうでしょうか。

Q.腹式、息吐き練習をしています。仰向けでやっています。そのとき、のどが締め付けられるようなかんじがします。
声は出していないんですけど、これは大丈夫ですか。どうすれば楽に息を吸えますか。あと、あまり量が吸えないんですけど、どうすれば量を増やせるでしょうか。

A.発声のことを変に考えなければ、喉はしまらないはずです。状況がわかりかねますが、自然にやってください。息が出たら、自然に息は入ってくるはずです。量をあつかっても仕方ありません。トレーナーにつくのをお勧めします。

Q.日本人特有の長く・響かせる感覚と本に書いてありましたが具体的に言うとどう言ったことなのですか。

A.演歌や唱歌のビブラートや、全音符、2分音符の処理の仕方などにみられます。
ピッチ(音高、高低アクセント)中心で、母音が多いせいもあります。

Q.外人さんの歌は声が太く、声量があり、それでいて透明感があると思うのです。
それに比べて自分の声はこもっていて透明感がなく、作り声?に近い感じがします。
声のパワーという点では大分ついてきているのですが、どうもこもってしまうのがいつも気になります。発声になにか問題があるのでしょうか。

A.こればかりは、紙面では間違う危険があります。
1.比べる対象の不明確なこと
2.自分の声への認識の不明確なこと
3.その言葉が実際どういう状態であり、何に原因があるのか。
こもった声をはっきりさせるのは、メニュ100などを参照下さい。

Q.いつも歌った後に息が流れてないと言われますが その克服は支えになるのでしょうか。

A.呼吸の問題のように見えますが、どなたにどのような状況で、そのように言われているのかによって、判断が変わります。

Q.人から「夢とかある?」など、進路の話をされることも多くなりました。
私自身は以前から音楽が好きだったので、将来は「何らかの形で音楽にかかわっていく仕事がしたい」と漠然と思っていました。
そんな時、学校で「あなたには絶対音感がありますね」と言われたのです。
与えられた自分の能力が活用出来るなら、「絶対音感」を生かして出来る仕事をやりたいなと思うようになりました。そんな仕事ってあるのでしょうか。

A.本当に鋭ければ、ピアノの調律師などでは有利なところもありますが、音楽家の中で絶対音感のあることは、それほど特別なことではありません。必要条件でもないので、それを能力などと考えずに将来を考えたほうがよいと存じます。

Q.インフルエンザにかかってしまい、そのうち治るだろうと思い喉に違和感を感じながら歌っていたら喉をつぶしてしまい、医者に通い続けて見てもらってたのですがなかなかよくならず治りかけてきた頃にまた無理して歌ってしまって今痛めているという状況です。
こんなに何度も痛めたらもう治らないのでしょうか?仮に治るとしてもまたすぐに痛んでしまうような弱い喉になってしまったりもとの声に戻らないのでしょうか?それと、これは個人差があると思うのですがだいたい一般的にはどのくらいの期間で治るのでしょうか?

A.貴兄の声や病状をみていないため、専門の耳鼻咽喉科でご相談ください。
治療は医者の領域のことですし、一般的に治らないことはないと思われます。
元の声に戻らないことも少ないと思われますが、あなたの状態がわからないので、かかりつけの医者にご相談ください。

Q.女子中学生ですが、歌う事を恥ずかしがって去年ぐらいまでほとんどしませんでした。
今では歌う事がすごく好きなのですが、ずっと歌っていないことが声帯に影響することはありますか。

A.歌っていないからといって、声帯に特別に悪影響はありません。
ただ、歌うために少しずつ調整は必要となります。筋肉ですから使わないと衰えます。

Q.アマチュアの洋楽コピーロックバンドのメインボーカルを務めています。メインに対してコーラスが気をつけることや、逆にやることを改めて聞きたいのです。新しくコーラスが入りましたが、音外しが多かったり、自分のリズムで歌ってたり、練習や音取りもちゃんとやってない様子です。 コーラスはメインに対してどうアプローチをしていくのかを伺いたいのです。

A.少なくとも私の関わっているところであれば、ピッチもリズムもとれないうちは、参加させません。
よい作品を作るのであれば、あたり前のことではないでしょうか。コーラスの方法以前の問題に存じます。

Q.プロの方のレッスンは一日何時間ぐらいどのようなことをするのですか。
プロの一日の過ごし方を教えていただきたいのですが。

A.プロという対象では、一般的に答えられることではありません。
一人ひとりまったく違うので、お答えいたしかねますので、ご了承ください。

Q.「声がみるみるよくなる本」122ページ「トレーニング45」の1の「唇を閉じて、パ・バ・マを発音します」とはどのようにするのでしょうか。唇を閉じたままだと、まったく「発音」することができず、唇の運動にはならないのですが…。唇を閉じて、「パ」、「バ」、「マ」と音を出すのでしょうか。それとも、空気を出そうとするだけでいいのでしょうか。

A.閉じたままでなく、閉じてからということです。45-3の「唇を閉じて」も同じ意味です。
パ、バ、マは、唇を閉じてから、開口時に唇を使って発する音です。唇をきちんと閉じきれずに発する人がいるために、あえて、「閉じて」と加えたので、 わかりにくければ、「唇を閉じて」を消してください。音にしても、しなくてもかまいません。

Q.僕は深みのある声が出したいので、日常生活でも腹の底から声を出すように心がけています。僕の感覚では最下音での呼吸はお腹にぐっと力を入れた声なので、その声の出し方で喋っているのですが、お腹が筋肉痛になってしまいます。それと、歌っているときにお腹と背筋だけでなく、お尻の近くも負荷を感じます。これは体が出来てないという事なのでしょうか。

A.1.体のできたというのは、程度の問題です。
2.力が入っているから痛くなるのだと思います。
3.日常的なレベルではいい加減になるので、試みないほうが無難です。現状は、紙面で正しく伝わらないもので、これ以上は、言及できません。実際に聞かずには、わからないからです。


■レッスン感想録

<Lesson>

○自分の内から湧き出てくるエネルギーはほとんどなくて、
苦しくて、止まって気持の整理をしたいけれどそんな時間はない。
すべては同時進行。やるなかでみえてくるのを待つ。(TU)

○「Che Sara」
1.意図・注意点
タイトルの意味が「どうにかなるさ」「どうなるかわかりゃしない」という曲。
前回と同じ曲で、自分に言い聞かせるように歌いたいです。

2.歌詞・ストーリー
もともとの歌詞のニュアンスを生かしてみました。
夢を見てればいいのさ…今は夢に向かって努力してていいんだと言い聞かせながら歌えたらと思います。

3.音楽性
原曲よりはテンポを早めに設定しています。
場合によっては流れてしまうかもしれませんが、軽さを出したいです。

4.歌唱
声も軽めを意識しています。
前回、最後のほうでバタバタとテンポもリズムも崩れてしまったので、冷静さを持ちつつ、ベタベタと落ち着かないように、進みながら歌いたいです。(MA)

○荒城の月(作詞 土井晩翠  作曲 滝廉太郎)
1.意図・注意点
1)意図
A)B)が過去の傍観と現在の迷い。1行1フレーズで客観的に伝える。
C)D)が現在。C)でテンションをあげ、2行1フレーズで心境の変化を伝え、D)で1行1フレーズにもどり、現在の決意として納める。テンションはA)B)よりもやや高くする。
2)注意点
A)B)C)D)が同じパターンの繰り返しに聞こえないこと。
「荒城」が「工場」に聞こえないこと。

2.ストーリー
主人公は初老の男性。一代で起した事業で大成功をおさめるも、今では現役を退き、妻にも先立たれ、放心感に一人眠れぬ夜に古城を見上げ、第2の人生を独り見つめている。
天守閣で繰り広げられた花見の宴、見事な枝ぶりを見せる千代の松が生え茂ったきらびやかな城中であってもやがては落城していった…。
月夜に浮かぶ古城の天守閣の影に栄枯盛衰が世の常であることに気づき、これからの人生の新たな出発を固く決意する。

3.構成
A)B)C)D)の順  (YA)

○調が変わる時に次の調の音をイメージをつかむ。変わる時に外してはいけないポイントとなる箇所がある。音の流れを聞くと、大切な箇所だということがわかる。調の変わる部分と属音と主音でも確認する。音程と正確にということが第一にあるが、慣れてくるとリズムをつけたくなってくる。
自分の中で半音と全音の違いをもっと大きく意識する。そこをしっかり意識しているか、いないかは声に表れてくる。音がうまくとれないときは別だが、ある程度、イメージした音が出せている時、自分の中のあいまいな音、はっきりしている音がそのまま声に表れている。(IS)

○このアドロという曲を何度も聞いていると、リズムのとらえ方がわかったきたような気になっげくるが、また次に聞いた時には、そのわかったと思っているところが違うように思えてくる。聞いていて感じる心地良さ(グルーブ感というか、次のフレーズを巻き込んで流れていくような感じ)は変わらないのに、ちょっとしたところが前はぴったりだと思っていたところとずれてくる。言葉をわからない歌を聞いた時に、その歌のどんなところを聞いてよい悪い、好き嫌いと思っているだろうか。音色、フレーズ感、メリハリ、丁寧さ、安定感などだろうかと思う。少なくとも自分が聞いているようなところは、他の人も聞いているのだから気をつけなければいけないと思う。バランスも大切で、丁寧だと思ってもメリハリのない時は平坦な感じを受ける。(IS)

○私がピアフの歌をよいと思うのは、聞いていてあるべきようにあると思ってしまうからだと思う。納得してしまうというか。上手く言えないが。他の人が同じようにやってもだめで、ピアフの中に流れているもので、オリジナルのもの。それをあのピアフの声で歌うから力強く響いてくる。
今でもまだ、こんな抽象的な説明しかできないが、何もわからなかった頃でも、ピアフの歌は凄いということだけは分かった。
先生が日本人は感情やことばだけでやってしまうと言った。
「私の胸の中には〜などないの」の部分でも、言葉とその言葉に込める感情を重視してフレーズをつくってみるのと、伴奏にのせて自分の中に流れているものを重ねていくのとでは違う。言葉や感情重視では行きづまっていくように思う。声と楽器として扱うということは、音を感じるということと、体が大切なように思う。(IS)

○音が飛んでも頭で「飛んだとは思わない」で、まっすぐ進むつもりで歌う。
そして高いところをフォルテにしない。
ボリュームを半分以下にしかし、息の流れはそのまま。
引いて歌う時こそ、「息の流れ」をしっかり意識。
小さい時ほど余計に身体をしっかり使う。
聞こえない位に小さいはじまり方で→除々に大きくしていく
このフレーズを4回くり返す。
テンションが高いから、入り方は2回目以降の方がよい。
小さい表現を作る=バリエーションを増やす=表現の幅が広がる
身体は使ってソフトに歌う(ガンガン歌った時の「支え」を身体に覚えこませ、それからそれと同じ「支え」でソフトにも歌えるようにする)(NI)

○喉の状態がよくないと、フラットがちになる、語尾のキレが悪いので、注意。
高いところ=強になってしまう(リスク大)
ひびきを上に集めてみる(リスク減) 共鳴、抜く
集約と開放 テンション=放つ
高いところの密度を濃く
同じ線上に異なるものをおく時の工夫を、かなり何回もやるべしです。
確実に声にしていった方が安全。ニュアンスに気がいきすぎたかも知れない。
負担かけて効果があまりないとこは、それを思いきってカットする。
ノリは大切-リズム、テンションのノリがよければ、まわる曲もあり。
低いキーはきびしい。これは最近よくいわれます。喉や休まるかなと単純に低くしてしまうが、コントロールができないのでした。かすれるしもれるしフラットするし。高くても力を抜く方法をちゃんととれるようになれば、喉も負担かからず気にせずにいけるのだろうな。(NI)

○口をたてや横に動かしすぎる…ということを指摘され、日本語らしく歌わなきゃとやっていた気がします。あれこれしないで歌うのはラクでした。
このとき初めて日本語で歌ってみて、思ったより気持ちよく歌えました。歌ったことがないというのはある意味新鮮でいろいろと考えずに歌えることがいいんではないかといまは思います。「じゃあ練習してきて。」と宿題にして持って帰ると、出来ないところが次々目について考えながら迷いがそのまま声になって歌ってしまうことになってしまいがちです。聞き返してみるとやはり合唱っぽい感じがぬぐいきれないですね。
息の流れ的には全体としては比較的すっと入ってきた感じはします。
「のこったとげが」というところを「の・こ・っ・た・と・げ・が」となって次につながってないこと、コレは前にも言われたことがあります。いまひとつぴんとまだ来てない感じです。どうしてぶつぶつ切れるのか。はっきり言おうとして切れるのか。感情的に入ってないからでしょうか。とげが残るというイメージがついていない感じです。

普段話すときにはすらすらと話すことを、歌として歌おうとするときに、なぜだかぶつぶつと切れがちです。カタチにこだわるあまり、どこか感情が抜けている感じがします。なぜこんなに感情がないのか?
でも、前に歌った自作のうたよりいいんじゃないのと言われ、確かにそうかも、と思ってしまいました。息で歌う、ということを知っただけでも大きな違いですね。言葉と気持ちが合ってない。(KW)

○今回のレッスンで勉強になったことは、読むスピードのことです。
あるポイントの読むスピードを速くしたり、遅くしたりしようとするとすぐ、口先だけの上辺だけの対応になりがちですが、こういう時も文章を読むときの基本の「そこに、そういう気持ちがあるから、こういった言葉か出てくる」ということを守れば自然とその言葉が出てくるし、聞き手にも自然な印象を与えることができる。宿題が出ているので、それを全力でこなすことで今、課題となっている「滑らかに喋る」に近づいていきたいです。(MK)

○練習をするときは、練習という感じで歌ってしまうことがやっぱりまだまだ多い。
音は取れていても、音楽的な流れがないと曲は進んでいかない。
「愛は限りなく」を「マ」でやったが、はじめはただ音をとるだけになってしまった。
サビの部分は大きく4つに分けて、一つのフレーズの中にスラーが二つあって、その中でどう息を動かすかをちゃんと意識する。
息のピークを二つ目のスラーの初めにもっていって、流れを作ってみる。
次のフレーズに行くぞという気持ちで歌うことは前から何度も言われてきている。
その場で言われれば意識できるし、明らかに変わるのだが、まだ言われないとできないというのも事実である。
普段から、練習のときも音取りのときも、フレーズがこうあるのだから息の流れはこうかな、と感じなくてはならないと思った。
ただ、歌いながら考えすぎてもよくないので、歌う前の段階できちんとイメージしておく。
シンプルな事だけど重要で忘れがちな事なので気をつける。
流れを作る練習をしっかりやる。(KA)

○この曲を歌う場面は、ストーリーの中でも役の感情を表す、とても重要なシーンなのだそうなのだけれど、事前にストーリーの確認や、役の感情などを深く考えていなかった為、感情が全く汲み取れていないひどい歌にしてしまった。
今日の課題曲のフレーズ「決めたのよ〜心ここにいない」までの部分は、決意の裏に隠れた、絶望や悲しみなどの内面の気持ちをフレーズに表して、ベルの気持ちをより深く表現したいと思っていたのだけれど、とても軽く伝わってしまい、先生に「家に帰りたくて仕方ないという気持ち、絶望や悲しみの気持ちを作って歌ったり、そのイメージを作った中で「決めたのよ」と言わなければ、緊迫感や気持ちが伝わっていかない」とアドバイスをして頂いた。

役の置かれている状況をイメージし、気持ちを作って歌うようにすると、緊迫感や役の感情などが少しフレーズに出せるようになり、また、悲しみの気持ちを作って「決めたのよ」と歌うこと(先生がアドバイスをして下さった表現の仕方)が、自分の望んでいた、隠れた内面の気持ちを伝えることの出来る表現なのだということも分かり、自分の思い描くフレーズに一歩近づくことが出来た。
レッスン前の練習の段階では、他の人の表現を手本(真似)とすることは駄目だと理解しつつも、昔ビデオで見たPaigeO'Hara(ビデオのベル)の、役の感情を最大限に汲み取れている表現が頭から離れず、自分の解釈や、フレーズの出し方にも自信がなくて、彼女のフレーズを基準に役の感情を考えたり、フレーズの比較をしてしまっていたのだけれど、このレッスンで全く歌えないことで、自分で考え、役作りをすることや、先生にいつも指摘を頂く「自分の表現を追及すること」がどれだけ大切かということを痛感させられた。

また、表現について調べる中で出会った、演技について詳しく書かれている「ザ・オーディション」という本の、『自分の体験と役の感情が重なり、演技が真実(リアル)になる』という内容から、人の表現をどれだけ真似してみても、それでは中身(伝えたいこと)のない表面だけの表現になってしまい、本当の意味で聴いている人
に伝えることは出来ないのだということを学び、大切なのは、フレーズで上手く見せられるように歌おうとすることではなく、自分が伝えたいものやそれを伝えたい気持ちを持って歌うことなのだということに気づいた。(SM)

○「花よありがとう」
ラで。ラが多い。
点で瞬間的に音を取っている感じ。
前へ前へ、先へ先へ進んでいくように。
そうイメージすると、若干喉にかかっているが、まだつながる感じがする。

イタリア語読み。
イタリア語の発音は必ずしも正確でなくていいから、(分からなくなったらラにしてもいいから)前へ進むイメージで。
そのイメージでやれば滑らかになっている。
セリフやナレーションのときも、そのやり方は使える。
思いを息に乗せて吐き続ける。
その感覚でしゃべっても、滑舌や発音が完璧という状態になればいい。
逆に、意識するのが滑舌・発音だけということになると、コンピュータっぽい読みになってしまう。
歌声をこうしよう、と結果を意識するよりも、その結果を引き出すイメージをしていたほうが早いというのは面白い。(この場合は“前へ前へ”というイメージ)
自分がうまくできないこと、足りないもの。
それが上手くできるようになるためのイメージが、音楽や読みとは違うところで見つかることもあるだろうと思った。(SR)

○声優入門トレーニング

「蜘蛛の糸」
読んでいるときに、内容を理解しながら視覚的にビジョンとして、イメージする。映像に言葉をあてている感じで。
全体的に平坦な感じがする。
1.ある日のことでございます〜お歩きになっていらっしゃいました。
2.池の中に咲いている〜絶え間なくあたりへあふれております。
3.極楽はちょうど朝なのでございましょう。
4.やがておしゃか様は〜下のようすをごらんになりました。
5.この極楽の蓮池の下は〜はっきりと見えるのでございます。
この5つの場面が変わることを意識する。
場面が変わったことを分かるように表現する。
なおかつ、目の前に聴いている人(小学生)がいると思って読む。
聞かせようとして滑舌を意識しすぎているが、聞かせようとする
気持ちはいい。自分だけで完結するのではなく、聴衆を意識すること。

「風姿花伝」
初見だが、内容がどうかということと、自分の言葉でしゃべることが大切。
はっきりしゃべれて聞こえやすいのは当然で、それは前面に出すところではない。自然にしゃべる。
短い文章を使って読み分けてみる。
1.滑舌を意識して読む
2.ボリュームを上げて、腹から声が出るよう発声練習的に読む
3.普段のまま、自然に読む
今は、「自然に」と言っても「ハッキリ」モードになってしまっている。
自然に読んだのを録音したのを聴いて、聞き取れないところ、不鮮明なところだけ直すという方法もある。
どんな場合でも滑舌重視になってしまいがちなので、モードを意識して切り替えられるようになる必要がある。(SR)

〇「舌の位置下でキープ!そうすると裏返ったり軽くなったりしない」
「語尾が1番大事。伸ばし過ぎたりしない事。語尾に向かってエネルギーを使う」(HY)

○音が一音離れているときでも一オクターブ離れているときでも、抜いてしまわず同じポジションでつなげていく。
響きを落とさず力をいれず、途中の音を経過させないように思い切りよく出す。
あとはスタッカートの部分や音が流れてしまうようなフレーズでしっかり腹を使って音をとる。口先で切らない。
音階を一つずつ上がるようなのは、丁寧に気をつければ何とかなるがオクターブはまだ難しい。
出ない音程ではないわけだから、音が離れているからと力み過ぎないようにする。
高い音は鼻腔共鳴を使えといわれたが、それもまだ自然に力をいれずに、フラットせずに乗せる事ができない。
オクターブの練習をしっかりやっておく。(KA)

○発声をやって一回曲をやって、それで息が鋭く吐けてない、出だしがぼやけているといわれてやっと気をつけ始める。
何回もいわれている事なので、言われる前から出だしの息は鋭く吐く。
今日はオリジナルの曲を見てもらったが、初めに言った息をきちんと吐くことをまず徹底する。
出だしを鋭くはかないと後のフレーズが不自然に膨らむ感じになるので、たとえ弱く入りたくても、息は鋭く入ったほうが後を広げるのも自然にできる。

特に一番初めは、ヴォリュームは弱くしたいのだけど、テンションと息はサビ以上に気をつける。
かなり意識的に鋭く入って、フレーズを進めるときのテンションも意識的にあげていってと、今は考えてやる事も必要だということだ。
なんとなくで歌ってしまうといつまでも想いが出て行かないので、相手に伝わらない。
自分がこうしたいから歌いだしたのだと、聞き手が納得してしまうくらいの出だしにできるようにする。(KA)

○喉仏を下げたままの状態、つばを飲んだ時の状態にする。
喉から前に声を出す。下がりすぎ、ぼあっとした感じや、鼻に逃げてもダメ。力を入れなくても声は出る。
口をあけて、耳の下の部分をパクッと開ける→今まで上側ばかり上げようとしてた気がします。こうすると下に空きます。(OK)

○高音域に移行するほど、重心を下に持っていくということ。(のど仏 のあたり。)
口を開け、舌をただのせた状態のままのどを開いて発声するポジショ ンが、なかなかつかめず、ほとんどそのポジションをつかむことで 30分過ぎてしまった。

第一音の重要性。息の上に声をのせるということ。終わりの意識。下がらない。
音のつぶをそろえる意識をもつこと。そこに息の量をコントロールし てクレッシェンドをつけていく。クレッシェンドとは、音を強くするの ではなく、下に向かって広がっていくこと。
自分がいかに雑に声をあつかっていたかというのがわかります。

感じ方も、普段の生活ではなかなかこの時間のようにきめ細やかに感じ取ろうとする集中力を持たないので、まず、レッスン中に、聞こうとす るものを探すのに手惑い、それが見つかったら、なんとかそこに自分の体を変化させて聞きたい音を出そうとするのですが、それがまたすぐに はできず、その都度先生に注意していただいて近づいたりまた遠のいたり。
30分のうちに1個でもつかめればいいのですが、それに届くかどうかギリギリの状態。
時間かけてやっていくしかないという感じです。(ON)

○「1,2」ですぐにスタートなのですが、いつもとは異なる始まり方で慣れなくて発声できませんでした…。新しいことや、いつもと異なることにすぐに入っていけないなぁと思いました。
 発声で、低い音のときに「あー」と力を入れてしまうのですが、高い音から低い音に帰ってきたときにはその力まないという感覚がわかります。はじめから力まない発声をしたいと思いました。
いざコンコーネ1番をやり始めて、またもやつい力んでいたことや、「最初の音が浅い。最初の音の方向性を決めてあげて」と言われ、ハッとしました。低いドの音は出しづらいので、いつも「あぁ出しづらいなぁ…」と思ってスタートしていた気がします。方向性はここで考えていませんでした。実はどこの音にも言えるのかも知れないのですが。

二小節目がはねる。四分休符分休んで」ということもゆっくり歌ったので気づいたような感じがします。
いつもよりもコンコーネはゆっくりと歌ったので、いろいろと随所で「あ、音がぶれた」「あ、入るテンポが遅かった」と思いながら歌っていました。そういうことを少しでも思えるようになったことは進歩です。もっと気づいて改善するのが課題です。
 音が高いところから低いところに行くときに、癖でもって高い音をそのまま曲線を描くように下がっていくことを指摘され、これもハッとしました。

 先生の声も入っているので、聞き比べると自分の発声が子どもの声のような感じがしました。安定していない、ふわふわしたような感じです。それでもずっと以前の自分の発声と比べたら、安定した方向に進みだしたような気はするのですが。大きい声と強い声、小さい声と弱い声の区別がまだよく身体でつかめていません。
 たったひとつの音ですら、ぶれる・伸ばすと音質が変わる・テンポの入りが遅れる・迷う等まともに出ていないことを改めて感じました。(KW)

○体の力を抜く。喉の奥を空ける。
声を出し始める前に、おなかの下の部分を上に上げて、出す時に下に下げる。
息の流れで声を出すようにする。
基本的には、いつも言われることが同じで、気をつけなくてはいけないのに、忘れている。これを癖のように習慣化しなくてはいけませんね。(OK)

○最後の3〜4テイクは、今日の中ではわりと良かったと思う。それまでと変わったところは立ち方。気持ち重心を前に置いていた。
先生によると、その姿勢は「基本」。さらに、髪を上に引っ張られた様に、一本芯を通す様に立つのがいいらしい。
ほんの4〜5分だったと思うが、今日のそれまでと明らかに違った。
だいぶ前にやっていた空気イスの様に、膝、ふくらはぎに負担がくる。背中というか腰に芯がある様に感じた。それだけ体を使っていたという事だろう。

舌の位置下に。軽くならずはっきりした声になっていたと思う。が、舌を下げようと余計な力が入ったのか、喉に負担がきていた少し経つとそんな事はなくなり、しゃべり声もだしやすくなった。
翌日まで喉に残る事はなかった。とりあえず継続して様子を見ようと思う。(HY)


<Menu>

○ブレンダ・リーを聴く
ジャジーな道を聴く
若草の恋AABAを一通りやる
「構成のこと」トーク
地中海 村上進バージョン
(あちこちフレーズ かいつまんでやる)(NI)

○村上さん聞く
ひまわりのテーマ-頭から順に最後までフレーズまわす
ミロール-前半部分をやる
群衆-まん中をやる(NI)

○ハミングの時のように、鼻腔を広げ鼻に掛けることを意識しての発声。(声のポジションを地声のように落とさない為だと思います)。  声帯を意識して鳴らす。まず、弱く出してから息を送り込んで息の量でクレッシェンドやデクレッシェンドができるようにする。姿勢は、骨盤を広げる。息は鼻から吸う。下顎の力を抜いて、舌を平らに出して口の中をホールのようし、上顎の奥を広げる。(WA)

○首回り、肩のストレッチから入り、両手を上に上げ、まっすぐ下ろして胸の位置を高く、姿勢を整える。
基本の息の使い方の練習。1.2で鼻から吸って、「スー」とか「シー」と口で抵抗を付けて、1.2.3.4.5.6.7.8と吐く。8の間、吐けるようになったら、10、12と間隔を増やしていく。

ハミングでドレミレドレミレドで半音ずつ上がり、下がる。口の中は、舌を上顎にくっつけずに、ピンポン玉が入っているように空間を開ける。もう少しでアクビがでそうな感じ。こうすることで、表情も明るくなり、響きも出る。
ハミングの次は「お」。「お」は指が3本くらい入るくらい、口を縦に口の奥を開ける。次に「い」や「え」も。「い」は、歯を磨く時のように。その流れで「え」。高音になったら、声に芯を付けていく感じで。
コンコーネを音階で。音階で歌うのは、子音が付いているので、それを使って、音を飛ばす。「シ」は「シィ」と歌う。「お」で歌う時は、「お」が広がらないように。(WA)

○まず、伸びなどの柔軟。体に縦の線を感じるように。
横隔膜を動かす感覚を掴む。犬が散歩の後にハッハッハッとなっているように、横隔膜を動かしながら、ハッハッハッと息を吐く。横隔膜の動きを覚え、中音から「にゃにゃにゃにゃにゃ」で発声。
この横隔膜の感覚に、声帯にまっすぐに息を通す感覚を覚え「お」や「あ」で、最高、一オクターブまで上下して発声。一番高い音を目指して、初めの音は楽に発声する。高い音の時は、口は閉じ気味で。
声は、勢いでやる。高い音の時は、指で押さえて目一杯、顎を引く。高い声に向かい、屈伸しながら、屈伸の勢いを利用して高い音を出してみる。(TK)

○1.呼吸・体
ハッハッハ...と息でやらせて横隔膜の動きと呼吸が一体化しているか見る。犬が散歩した後ハッハッハッハッハとなる例を出す。
息は声帯が震えて声になる。それには2種類あって、ひとつは体から息が声帯を通って音になる。ふたつめは声帯自体に力を入れて音になる。前者のことをやりたいので、体からの息を身につけましょう。

2.発声
イタリアでもドイツでも言われるが、顔には面がついていてそれを上へはがす感じで出してみる。
舌が奥に引っ込んでるから前に出す感じで。
日本人の特徴として下顎が出ている、力が入っているから下顎はぶらさがってるだけだから、下顎を押さえて(高音は特に)で常に発声した。

にゃんにゃんにゃんにゃんにゃーをやる。鼻の頭にひびきを集めて前に声・体格の大きな人が大きな声を出しても一番遠くの観客や一番前の観客にも届かない。小さくても届く声をつくっていく。
ドレミファソファミレド、ソもドと同じところでそろえること。
私の声は多分高いので怖がらないで力まないで出す。だからと言って高い音域ばかり練習すると疲れてしまうので低音域の声もやっておく。自然な発声でよいとのこと。
音が暗くなりがちならしく、もっと明るくと言われる。
軟口蓋(上奥)を横にひろげるイメージでと言われる。(SJ)

○鼻腔への持って行きかた
※ハミング
地声→鼻腔発声(→裏声)
その切り替え方(わからないように)
切り替え場所(高さ)を知る
※切り替えの時、口を変えない
今の地声との切り替えポイントは「ラ」と「シ」
どうしても地声で無理に押してしまっている。
鼻空発声がまだよく解っていない(FD)

○息で歌うことを意識
”息の通り道”= 下っ腹→恥骨→背中を通って出てくるイメージ
「どういう息が出ているのか」を意識
息の量がポイント。(りんご○個分を持ち上げて投げるイメージ等)

ハミングから発声へ
ン〜→ア〜
無駄の少ない発声
口を目いっぱい開ける必要はなし
理由:響きが散ってしまう、息、パワー、労力を使いすぎてしまう。

※高音発声時は別
サンタルチア歌唱
高音はファルセット。(力強い裏声)
発声時、口角をもっと上げる→笑顔で歌うイメージ
無駄の多い発声
必要な息の量、配分を意識していく。
無駄の少ない息の使い方をしていく。
歌っている時に、呼吸が胸式になってしまっていると苦しくなる。腹式!(FD)