福島英 講演要旨 「ビジネスは"声"で決まる」 

<経営者、ビジネスマン向け>雑誌「経済界」での講演 061018 [改訂/090314/110313/141213]


○人を集め、感動させる

 私がライフワークとして日常的に関わっているのが、ヴォイストレーニングです。「声の使い方」や「声を鍛えること」を中心に、数名のトレーナーと共にやっています。
 歌手からはじめて、ミュージカル俳優や声優の人など、プロの方と多くやってきました。

 私は自分のこの研究所の資金集めで、いろんな仕事で全国を飛び回っていました。日本のシンクタンク、研究所は、経営やマーケティングでさえ、技術畑の人が考えているところばかりでした。ところが、80年代から、企業がどうやって人を集めるのかと、集めた人をどうやって感動させて返すのか、ということがテーマになってきました。感性中心に、文化芸術系の頭が必要になってきたのです。そこで、文化関係の研究所がいくつも作られました。そこをいくつも私はかけもちしました。

 なぜなら、舞台の仕事にはすべて、そういったことが入っています。人をどうやって集めるのか、それから集めた人をどう感動させるのか、感動させて帰さなければ、誰も来てくれなくなります。
 私は全国のいろんなテーマパークやホールを駆け回っていました。地方ではソフトも考えずにハコモノをつくりまくっていたので、その中身をどうするのかということでした。イベントをどういうふうに企画したり、どういうふうにセッティングしたりするかということを考えるわけです。私のアドバイスは、一過性のイベントをどうリピートのきくライブにするかということでした。そのために世界中をまわり、多くの人と仕事をしてきました。最近は見せ物としては、歌とか踊りが中心ではなく、バラ園などガーデニング、さらに照明など電飾で変わってきましたが、これも時代の流れと思います。

○声の研究

 音声というのは、最近になって、ようやく研究が発展してきた分野です。音声入力の分野では著しい発達がもたらされ、今後、これは通訳、さらにナレーションなどの自動化のような形で実現すると思います。
 どうやって発音したり、発声するのかということも少しずつ解明されてきています。自動音声もかなり聞きやすくなりましたが、これは、発音と言語コミュニケーションの分野で、声やのどそのものの研究ではありません。

 現実の社会では、どういう声がよい印象で伝わるような声になるのかということが問われています。声紋分析での共著本には、さまざまな声の分析を図で、目でわかるように載せています。 日本人は歌がうまくなりたいという人にカラオケ機材を開発し、ハード面から片付けていきました。私は芸術畑のことをやっているのですが、計測や分析に、そういうハード面も取り入れています。警察の科学調査や耳鼻咽喉科の医者、言語学者も使っているようですが、ヴォイストレーニングではここが最初でしょう。そこから声をどうしたら、人にうまく働かせられるのかというところから、必要な要素を補うのがヴォイストレーニングになってくるのです。

 ヴォイストレーナーというと、なんとなく呼吸法や発声法をやっている、声楽家や合唱団の先生のイメージがあります。発声を身につけて歌がうまくなる方もいらっしゃいます。しかし、一般の人も最近はヴォイストレーニングをするようになってきました。

 私たちのトレーニングでは、基本の声づくりをしながら、実際に自分の出している声が、相手にどういうふうに働きかけるのかということを問います。まず、声が相手に届くこと、そして、声が耳に届くだけではなく、その声が相手に働きかけ、相手があなたによい印象を持ち、そこではじめて評価されるということです。相手に評価されてはじめて、声が伝わったということになります。

 舞台の仕事は、お客さんが納得するだけでなく、感動しないことには、仕事になりません。声がよいとか、歌がうまいということだけでは通じないのです。声に何がのっているかが問題なのです。
 こうして、私はプロデューサーのような感覚でアレンジも含め、声の演出まで手がけるようになってきました。いわゆる声だけではなくて、声とまわりのものをどういうふうに組み合わせ、それをどう価値のあるものにするかというところにまで関わっています。

○クレームに対処する声

ビジネスにおいても、あらゆる分野であらゆる人が声と関わっているといえます。たとえば、コールセンターというのは、とても深い関係があります。電話は姿は見えず、声だけで問われるからです。
 今、声の使い方がもっとも必要とされているところの一つが、コールセンターです。コールセンターというのは、お客さんの声を企業に代わって伝える仕事です。アウトソーシングとして急増しました。私も、お手伝いしています。
 コールセンターとしてビジネスができるのは、クレームの処理がきちんとできるところです。クレーム処理の技術というのは、声の使い方の最前線なのです。

 コールセンターの管理システムというのは、かなり進歩しています。従来、オペレーターの人の後ろの方に管理するマネージャーがいて、お客さんと話が長くなると、マネージャーに替わらせていました。要するに、何分も話しているということは、クレームがこじれてきているということで、上司に変わったほうがよいからです。お客さんとの相性もあって、話せば話すほどうまくいかなくなる場合もあるのです。若い声からベテランの声になるだけで、お客さんのクレームの気勢もそがれます。お客さんの声とオペレーターの声をグラフでみて、お客さんが怒っているから、このオペレーターでは処理できないという判断ができるような機材もあります。

 オペレーターが答えるときには、できるだけ日本語として、相手に聞こえやすく、音声を加工することです。
 これはカラオケの原理と同じです。いわゆるカラオケというのは、下手な人、あまりうまく歌えない人を基準に、そういう人たちの歌が平均的にうまく聞こえるように、音響でリヴァーブがつけられています。それと同じようなものをコールセンターの中に入れて、声が聞こえにくい人とか、あまり声がよくない人でも、マイクを通すといい声に聞こえるというようなことをしているのです。

 ビジネスでは、直接、声の威力がわかるのは、電話です。電話は相手が見えませんから、耳へ働きかける声がすべて決めていきます。
 そういえば、電話の講習や新入社員研修などで、大きな声で返事ができるようにしてくれという依頼もありました。

○声でイメージアップする

 接客商売では、声の効果は計り知れません。居酒屋などでは応対マニュアルを指導する先生もいます。声のトレーニングの需要は、ますます求められています。
 今の若い人は、コンビニ、居酒屋、ファミレスなどイトをするときに、初めて大きな声であいさつをしなさいと言われます。それがちょっとしたヴォイストレーニングになっているようです。
 日本人は、学校や身内で話す言葉と、社会人になって話す言葉が違うので大変なのに、慣れない敬語でしっかりと声を出すのは、さらにやっかいなことでしょう。

 役者や声優を目指している人には、居酒屋などのバイトで、誰よりも声が通るようになりなさいという人もいます。現場で役立つよいトレーニングになるからだと思います。ただし、これらは、もとより声の弱い人には向いていません。声には、個人差がとても大きいのです。
 外国の政治家などセレブには、ヴォイスティチャーといわれる人がついてスピーチのイメージアップを学んでいます。
 日本人の偉い方は、よく失言します。人前で話す訓練を経ていないからです。話したことに突っ込まれる訓練をしていないからです。日本の聴衆は寛容です。音声コミュニケーションがしっかりと確立していないということです。
 ところが、人前で印象よく話すことは、ますます重要になってきています。そういう面では、さらに声の分野が重要になってくるでしょう。

○声を鍛える

 ヴォイストレーニングは、欧米からきたものというわけでもありません。
声楽家は、欧米のノウハウで声を変えていきます。役者や声優さんの場合は、日本語ですから、オペラの声を使うわけではありません。こういうことを考えても、声の世界は、けっこう混沌としているのです。
 ヴォイストレーニングにも、いろんな学校があり、いろんな方法があり、いろんなトレーナーがいます。
 どこでも声の使い方を教えるところが多いのですが、私は声の使い方のまえに、本来、自分のもっている声を充分に活かすところからスタートするべきだと考えています。
 私たちの場合は、役者や声楽家のもつ条件づくり、つまり、声そのものを日本人のワクを超えて、根本的に変えようということからやっています。
 要するに、今までに声が大して鍛えられていないのですから、声を強くし、タフにするということです。そこまで遡ってやっているところはほとんどありません。
 ですから、声優やポピュラーの歌い手がスクールに行っても、声そのものはほとんど変わっていません。声の使い方を変えてきれいに聞こえるようになったり、少し声域が広くなってうまく聞こえるようにはなっているくらいです。これだけでは、プロの現場では、とても耐えられないのです。体調の悪いときや少し年齢を取ってきたら、対応できなくなります。

 そのときの必要な条件というのは、歌がうまいとか、声がよいということではないのです。のどが耐えられる、のどを壊さないということです。スポーツ選手でいえば、怪我をしないことです。
 ヴォイストレーニングで、声の使い方に加え、自分の声の勝負所を知っていることが、こういうことへの強味となるのです。その辺は、歌や芝居はもとより、ビジネスで成功している人も同じでしょう。
 長期的に、第一線で現役でやり続けられるには、本当の意味での声のトレーニングが必要なのです。
 トレーニングというのは、長期的にやれるようになるということが、前提です。

 体で考えるとわかりやすいのですが、例えば、ミュージカルのためのダンストレーニングというものがあるわけではありません。そういうところに入れる人は、すでに器用にいろんなものを踊れるものですが、本気でやっていこうとする人は、クラシックバレエに通います。クラシックバレエを踊る必要はないし、小さいころからやっている人にはかなわないのですが、基本のフォームづくりと体の管理のためなのです。
 クラシックバレエの基本をきちんと毎日続けることによって、動きが美しくみえる、イコール体を機能的に使え、怪我をしなくなります。股関節などをやわらかくすることによって、いろんなジャンルやコンテンポラリーなものにも対応できます。体がいつまでも若く、うまく使えるようになるのです。私の考えるヴォイストレーニングもそのようなものです。
 つまり、本当のトレーニングというのは、今すぐに役立つことではないことを、どれだけやっておくかということです。長期的にみて確実に実力をつけていくのと、長く続けるために声を表現に耐えられるだけのものとしてキープするために必要なのです。

 さらに、過剰にやらなくてはいけないときに耐えられる余力をつけておくということです。一日に普通の人の何倍も体や声を使わなくてはいけない場合でも、体調や気分が最悪の場合でも、声は耐えられるようにしておくことです。
 声には健康状態がすぐに反映されますから、これを切り替えて使うのは、難しいものです。付け焼刃のレッスンなどでは通じません。
 今の日本のミュージカルなどでは、声楽の基礎をやっておかないと、のどを痛めてしまうこともあります。多くの人は自分の声の限度がわからないからです。例えば、演出家がもっと声を大きく出せといったら、きまじめな役者さんは、そのまま声を大きく出し、声をつぶしてしまいます。
 声を大きく出せということは、声を大きく出すことではなくて、声が大きく聞こえるようにするということなのです。声楽出身の人は、それまでに徹底して大きく出すことと、高く出すことはやってきていますから、自分ののどの状態を知っていて、セーブして出すので、より悪い状態を避けられるのです。声は大きく出さなくとも、大きく聞こえるように出すのです。この辺ができるかできないかが、生き残っていけるかどうかの鍵になってきます。

○声への判断力をつける

 研究所には、いろんなところのトップクラスの人も、声を壊した人もきます。医者にはドクターストップと言われている場合、トレーナーは難しい判断が迫られます。
 たとえば、のどにポリープができて手術して、医者が半年は絶対に声を出してはいけないと言っているのに、現場では、二週間後のステージで声を出している人もいます。そういうときに、誰がどう判断するのかとなるのです。私たちもいまだに全ての責任を持っては判断できません。無理をして悪くなってしまう人と、けっこう平気な人もいます。それを経験からくる勘で判断しつつ、少しでもよくみるために、必要に応じて専門家と組んでいます。セカンド、サードオピニオン制をとっているのです。

 最終的には、トレーナーの直感的なもの、勘になってくるのです。レッスンをして、トレーニングを積むということは、そういう判断力を磨いていくことになります。
 たとえば、今日は体の調子が悪くて、声も風邪っぽいとします。そういうときにどういうトレーニングを、どのくらいやるか。そのこと一つをとっても、さまざまな考え方があります。
 少し調子が悪いからやらないのでなく、基本的な考え方を知った上で、八分目くらいのトレーニングを継続していくことです。
 トレーニングは、今日でなく明日のために行なうものだからです。つまり、明日よりよい状態にするためにやるのですから、やりすぎてはいけません。

 一年のうちには、調子のよいときばかりではありません。どんな状態のときにも舞台があるからです。
 自分の一番調子がよいときだけ、人前に出るという仕事はないのです。むしろ、最悪の状態のときにカバーできることです。
 それは私たちも、役者や歌手でも同じです。そういうときに声が出ないと、信用を失ってしまいます。
 そういう意味でも、体と声に対して鋭くなって管理できることが、絶対条件です。
 これは、ビジネスマンや人前で話さなくてはいけない人にとっても、同じではないでしょうか。政界のリーダーには、日本ではまだそれほど問われていないのが声の力です。国際舞台では、致命傷になることもあります。

○声は長期的にみること

 プロの歌手や俳優は、何歳になっても、若々しい声を出しています。このあたりの秘訣はまとめました。(「人は声から若返る」祥伝社)
 以前から、モテ声というのも関心の的です。男女の間において、声というのは、第二次成長期での顕著な違い、つまりセクシャルな象徴でもあります。

 私はここ十年から二十年くらいトレーニングをやってきた人がどうなっていったかをみてきました。声でモテる人だけでなく、舞台に出てやっていける人というのは、歌がうまいとか、声がよいということだけではないのです。そこで何が違うのかがわかってきました。要は、声も含めて、相手に魅力的に働きかけられる人しか、残っていかないということです。
 十代から二十代の前半で世に出た人でも(日本ではその時期が一番売れやすくチャンスなのですが)、仕事の続く人は、生涯を考えてトレーニングに通い続けているのです。

 カラオケで声をよくしたいという方もいらっしゃいます。本を読んで、自分でできるところまでやっていくには、声ほど難しく、勘違いをしてしまう分野はないかもしれません。依存心が強い人が多くなっていますが、こういうメンタル面も大きな問題となってきています。最近は、ヴォイストレーナーなどもたくさん見ています。

○声の聞き方

 「人は見た目が九割」というベストセラーの本に「ヴォイストレーニングを必修にしてもよいと思う」という提唱がありました。
 私はいろんな仕事や芸事と関わってきましたが、声の力はけっこう大きいと思います。自分の声でいろんな仕事もとれたと思います。なんせ声のことをやるのに、声が決め手でなくては、誰も認めてくれないでしょう。
 第一印象はいい方もいらっしゃるし、そうでない方もいらっしゃいます。しかし、ビジネスを長く続けたり、人間関係を続けていこうという場合に、第一印象は、必ずしも信用になりません。その場ですぐに売るような商売にはよいかもしれませんが。
 第一印象は、誰かにコーディネートしてもらえば、それなりに演出できてしまうのです。自分でも客観的にチェックできます。それとて、もう一つ上の方からみると、メークも服装も取り繕ったところは見えてしまうものですが。
 その点、声は知っている人にはよく見えるのですが、知らない人には見えないという分野です。つまり、努力次第でかなりのアドバンテージが得られるのです。

 医者の問診などと同じで、相手の声の状況から、どれだけの情報をとれるかということは、大きくビジネスに関わってきます。声の感じというのは、コミュニケーション、人間関係そのものを反映しているからです。
 ビジネスに関わっている方には、声をどういうふうに使うかというところから入ります。しかしその前に、声をどういうふうに聞くかということがあります。
 たとえば、歌い手さんや声優さんになる人には、まず耳を鍛えるということです。ビジネスでいうと、話し上手になるには、聞き上手になることにあたると思います。
声の中から、どれだけ情報を読み取っていけるかが、次に声でどういうふうに対応するかというようなことの前提になってきます。

○伝えることと伝わることは違う

 話というのは、慣れていくと誰でもできるようになってくるものです。最初は緊張してどきどきしたり、頭が真っ白になったりしていても、ある程度、場を重ねると、話せるようになってくるわけです。
 ただ、話ができることと、それが伝わることには、大きなギャップがあります。そこに気づかない人が多いのです。要は、こちらが伝えたと思って声を投げかけてみても、それがどのように捉えられたかはわかっていないということです。
これが一番はっきりとわかるのが、芸能の分野です。特に、お笑いははっきりします。
相手の表情や拍手の量、帰りにCDを買ってくれるか、また来ていただけるかどうかでわかります。ビジネスでは納得したら買うのですが、芸能の場合は、感動しないと買ってくれませんから、厳しいのです。

ビジネスでも、そこから声を捉えてみるとよいのです。セールスマンなどは、一番わかりやすいと思います。
 ジャパネットたかたさんも声の力で流通革命を起こしました。何億円と稼ぐオレオレ詐欺も声一つの使い方です。
 よしあしは別として、コミュニケーションにおいて声ということを本当に駆使していったら、人の心まで操れるということです。そこには、うさんくさいものもたくさんあります。芸能も、歌や話で人からお金をとるというのは、元々うさんくさい。それが、人に喜ばれ、芸の真価として問われるレベルであってこそ、価値があるのでしょう。

 どのテンポで、どういう声、どのピッチ、どういうキーワードを中に入れていくかが明確にわかります。これをいい方向に使えば、ビジネスでも有効です。
 声の使い方のマニュアルがあります。つまり、ヴォイストレーニングは、どんなビジネスともかけ離れているものではないということです。
 ともかく、声という分野を今の時代、深く捉えておくことは、大きなメリットになるのは間違いありません。

○自分の声を知る

癒しやスピリチュアルということで声も使われてきたようです。声がよく出る状態が心身のリラックスであるために、結びつきやすいのでしょう。
 声に意識的に気をつけて、毎日の日常を送っていることによって、いろんなものが新しく見えてきたり、自分や相手の声の使い方に注意することによって、相手を動かしやすくなるということです。そこはコミュニケーションの基本です。

 一般的に、経営者やリーダーというのは、そういうことに秀れています。声が使えなければ人は動かせません。話がうまいとか、声がいいということでなくとも、そういう人は相手に伝わる声の使い方をしています。そこから学べることもたくさんあります。とにかく自分の出した声が、相手にどういうふうに聞こえているかという立場で、もう一度、自分の声を捉え直してみることです。

 役者やタレントは、自分の録画をよく見てチェックしています。私たちも指導をするときに、そういうやり方をとることがあります。ご自分の歌声を録って聞いたことはありますか。あまり自分の声というのは聞きたくないものです。
 これにはいろんな理由があります。一つは自分が普段イメージしている声と違うということです。皆さんに聞こえている声と、自分自身で聞いている声というのは、少々違うのです。
 自分で聞こえている声というのは、骨振動で響いているので、体の中(内耳)からも聞こえています。自分に聞こえている声の方が若干低いです。録音もマイクを使っているので、生で聞こえている声と違うのですが、充分に参考になります。
 自分の声だけがリアルタイムで、他の人が聞くようには自分では聞けないということです。その聞けない声を、相手は全員聞いているわけです。

 外見は、鏡でみてチェックできます。声も録音して、自分で聞き返してチェックすればよいのです。
 大体の人はショックを受けます。自分の思っているイメージでは、もう少しよいのではないかと疑うわけです。しかし、それが現実です。何となくTVのタレントなどと比べてしまうからですが、彼らはプロなのです。
 よく声にクセがついていると思う方もいらっしゃいます。自分で聞いている声は慣れていても、外に出ている声には違和感があるのです。
 たまに大きな問題のある方もいますが、多くの場合、皆それぞれによいのです。ただ、自分の声には慣れているだけです。ですから、安心してください。周りで声がいいと言われている人でも、ある部分だけを聞いてみると、けっこう変に聞こえるものです。まずは聞き慣れているか慣れていないかの問題です。

 声は出した瞬間に、相手のもの、相手へのプレゼントだと考えてみましょう。声には伝える相手がいるのですから、相手がそれを欲するかどうかで、価値は相手が決めます。そうなると、明るくハッキリとした声、それを聞くと心地よく元気になる声、さらに加えるなら、体の免疫が増すような声がよいでしょう。屈託のない笑い声は、最高の声の一つです。
それぞれの人に声があり、個性があります。しかし、そこで全部OKにしてしまうと、トレーニングなどどうでもよくなってしまうのです。声をよくしようとか、トレーニングしようと思ったときには、一つ上の基準を持たなくてはいけないということです。

○声と生活

 斎藤孝さんの「声を出して読みたい日本語」のベストセラーは、日本語の音声を体を使って味わうはずが、日本語の雑学ブームと古典的な名文紹介へ変わっていきました。彼は「体を揺さぶる英語入門」という、日本人からすると演劇的なことばとして日常の英語を紹介しています。そうなるほどに、私たちは日本語を、しっかりと発しきれていないということです。
 「脳トレ」の川島隆太さんの音読では、頭をよくするとか、ボケ防止として声を使います。ピアノで指を使ったり、ウォーキングをしたりでもよいのですが、声の方が即効的です。脳を使うだけでなく、振動やリズムを伴うところがよいのです。
 体調が悪くなって、風邪を引きそうだというとき、声に予兆が表れてきます。毎日声を出していれば、健康法にもボケ(認知症)防止にもつながるのです。誤飲防止にもなります。
読経などもよいでしょう。精神的な使い方は、これからも広がっていくと思います。

 引きこもり、ニートやいじめの問題も声に関わっています。大きな声が出なかったり、声が変だということはいじめられるきっかけとなります。そういう人で私たちのところに来る人もいます。まさに声と関わることは、社会の縮図としての問題と対することになります。
 とにかく声を出せる生活を送るということです。電話でもよいのですが、毎日、できれば直接、誰でもいいから話すのです。
 誰かに会い、声を出して何かを伝えるということは、大切なことなのです。そのことだけでも毎日行っていたら、悪い方向にはいかないものです。
引きこもりというのは、声を出す機会を逸することです。学校や会社を休んで、友達や家族など、誰とも話さなくなると、誰でも調子が悪くなるのです。人間は社会的動物なので、体の調子が少々悪くても、学校や会社に行って誰かと話すうちにリズムが取り戻せるのです。うつ病なども、このリズムが壊れることが、その一因になっているといえます。

○学校での声

 現実問題として、学校の先生が声を出せなくなってきています。声が必要なのは、「危ない」と危急のときに叫ばなくてはいけない体育やスポーツ部の活動の先生ばかりではありません。自分やまわりの人を守るためにも、声は必要なのです。海外では大きな声で「ヘルプ」と言えなければ危険です。
 昔は、点呼や号令、校歌を歌うなど、声を出す機会がたくさんありました。今はそういう経験の場がありません。幼稚園の発表会でさえ、録音された音声が流れるのです。その方が、皆が楽なのですがよくないと思います。大きな声をきちんと出せるという人間としての基本能力は、衰えさせてはいけません。
 例えば、日本のバスには、誰でも押せるところにたくさんのボタンがついています。海外ではボタンが少なく、声を出して運転手にいうか、ボタンの近くの人に声をかけて押してもらいます。日本では過保護なサービスが多いせいで、耳や声が鍛えられないともいえます。

○声の効力

 声は他人との一体感を高めるのに、とても効果的です。スポーツのクラブでは、かけごえをかけて練習します。声を出すと大きな力が発揮できます。
 集中力を維持したり、モチベートや連帯感を高められます。そこで会社の社員などに、声を出すように指導をしているところもあります。

 経営者は、声で従業員やお客さんの心をつかまなくてはなりません。
 例えば、声を大きく出さなくてはいけないような居酒屋には、合わない店員は辞めていくのですが、そこにはまっていく人は、それが心地よくなって居ついてしまうようです。
 声を出すことはよいことで、出しているうちに声の力もついていくことになるので、明らかに声が変わるのです。まさに武道にも通じることです。
 駅前で大声を出すことで有名な「地獄の特訓」のようなものは、一時ほどやられていませんが、今も重宝している超優良会社もあります。
日本の若い人には、大人になる儀式がなくなっています。何か抵抗のあることでも、苦労して乗り越えると自信がつき、その後は楽になるのです。営業マンとして毎朝、何十本も電話をかけていたら、2、3本かけることくらい何とも思わなくなるものです。
 せっかく声を出せる体で生まれたのですから、自ら体からの声を出して欲しいものです。

 今の若い人たちの問題は、ほとんどが、声を出すことへの抵抗というメンタルな部分での問題です。それを支えるフィジカルに力も欠けています。これには、体力や集中力、持続力なども含まれます。フィットネスやヨガなども、その技の習得よりも、カウンセリングのようなニーズといわれています。
 私も声について、テクニカルなことでやりたいのですが、声は技術と精神とが分かち難いのです。
 「一週間、眠れていないんです」といわれたら、ヴォイトレのトレーニング以前の問題です。
 歯科医の知人に「歯は歯だけみていればいいからいいですね」と皮肉をいったのですが、声には、日常の精神的なものが反映されます。(今のよい歯科は歯だけをみているわけではありません)
 うれしいことがあったら声は明るくなります。悲しいことがあれば声が悪くなったり、出なくなったりします。人間の心理と深く結びついているのです。
ビジネスでうまくやっていきたければ、そこで役者のように切り替える力を持たなくてはいけません。
 声は、思いから発してリアルな現実となります。ビジネスは奥深いものと思いますが、現実的に働きかけるのは、いつも一声からです。

 自信を持ったら声がよくなるし、愛されるようになるという本(「愛される声に生まれ変われる本」)を書きました。今の女性の幸せがお金を持つということと、いい男性にめぐりあうことの二つだとは思いませんが、声をよくすれば、もっと幸せになれるし、お金もつかめるのというのは、声がよくなれば自信がもてるということです。まんざら嘘でもないと思うのです。

○呼吸と間

ヴォイストレーニングで押さえていくべきことの一つは、声に対して敏感になっていくことでしょう。そこから相手の心の機微をつかめるようになってはじめて、適切な声で対応できるようになるということです。
 声をコミュニケーションに使うなら、相手と呼吸を合わせるということです。声は息でコントロールするのですから。これはクレーム処理などの基本です。
 たとえば、感情の起伏が激しい、相手の言い方でカチンときても、そのときにすぐに呼吸を切り替えられたら納められます。相手の声に引きずられ、同化してしまう人が多いのです。
 相手が怒って、言い方が強くなり、呼吸が速くなって、声も甲高くなってきたときには、どれだけ相手と異なる自分の呼吸を保てるかということです。いきなり起こっている相手を落ち着かせようとすることは無理です。相手のペースにあわせるような感じで、相手よりも声は落とし、相手よりもおだやかに、呼吸をゆっくりにして対応することです。すると、相手もしだいに落ち着いてきます。

 音楽療法で使われている「同質の原理」です。暗い気分や悲しいことがあったときに、明るい音楽を聞かせて、明るくなれといっても無理でしょう。こういうときには暗い音楽から聞かせて、だんだん明るいものに変えていくのです。
 クレーム処理の下手な人というのは、逆のことをやってしまうのです。相手以上に高い声を出し、相手以上に速い呼吸で、相手よりも強い言い方でいってしまう。こうなると、ケンカにならざるをえません。しかし、ベテランになってくると、声そのものの力よりも、声の間のとり方がうまくなってきます。

 日本の場合は、あまりそういうお手見本がありません。昔ラジオの講談家の徳川夢声が、「夫婦喧嘩のときの間」を使えといっていました。それはまさに絶妙な間です。
 向こうが言い返したら、間をはかって、パンチの効いたことばを返すというような間、今の若い人たちには、口論や議論はあまりないかもしれませんが、その辺を意識するということも大切なことだと思います。
 以前、外交官の方がいらしたときは、長く議論していると、カン高くなるからと、低く太い声をキープするトレーニングをしたことを思い出します。

○鍛え方と使い方

 トレーニングに来られる方は大きく二つに分かれます。
 一つは、自分の声に自信をもっていて、さらにそれを高めたいという方です。女性の管理職などもよく来られます。男性にプレゼンテーションをするときや、大勢のいる場で話すときに、どうしても声で負けているような気がするということです。でも日本人の場合は、声の力を思う存分発揮する方が問題です。声で勝つと、人の心がつかめなくなるのです。
欧米のように、声力とスピーチ力を磨き、朗々と話すようにしたらどうでしょう。日本では、必ずしも周りの期待に添えません。日本では、その場で勝っても、勝負で負けるということも多いです。

 つまり、声力だけでは主流派になれないということです。一匹狼として、独自のスタンスでやっていくというのであれば、それはよいのです。ただ、主流派になるためには、あまりしゃべらないで、最後に一言まとめる程度がよいのでしょう。
 ですから、声の力をつけるのは、まずは相手の心の声を聞くためというのです。
 声を鍛えるのは、大きな声を出すためではなく、小さくても通る声、相手に伝わる声をコントロールできるようにするためです。
 日本人は、音声での強い表現力を嫌います。歌を比べてみたら、そこは欧米とは全く逆であるとわかるでしょう。国際的にみると、日本人は音声の力が弱いのです。他の国に比べて、あまり声を使わない民族だからです。

 そういう意味では一見、声のトレーニングとは反するように思えるかもしれませんが、声の力は持っていたらよいのです。どう使うかは別の問題です。小さな声、弱い声の方が、体がなくては使いにくいからです。
 ヴォイストレーニングで大きく条件を変えたいのなら、日本人で、日本語を話して、日本で生活しているということを、いったん忘れるのも一手です。

○声のニュアンス

 今の若い人は、声の使い方に対して鈍感になっています。
 私の子供の頃は、友達の家に電話するときは、メモを用意していました。大体、向こうの親が出ますから、敬語をメモしておくのです。緊張しながら電話して、誰が出るか、声にドキドキしていたのです。
 今は相手の携帯に直接かけられるので、相手の声やそこから状況を判断しようとは考えない。それだけでも、ずいぶん声に対する神経というのはなくなったでしょう。ラジオもあまり聴かないでしょう。

 今の若い人というのは、ことばの裏を声のニュアンスで読むことができないのです。大きな声で怒られたこともないから、声に拒否感を示すよう声と体のセンサーが結びついていません。「もう来なくていいよ」といったら、本当に来なくなるのです。声からいろんな情報をつかむということ、声の真意をみるということです。

 人間はことばだけでコミュニケーションしているわけではありません。ことばでいっていることと、本当は逆のことが正しいこともあります。その声の調子なら何回もいえば変えられると、本音を取っていかなくてはいけないこともあります。極端にいえば、ただ虫の居所が悪いときだってあるのです。
 それをどこかで誰かが教えておく必要があるのではないかと感じています。ことばだけで受けて動くだけでは、マニュアル人間です。受けた声に、自分の声で最良の対応ができてこそ、仕事もうまくいくのです。

 幼い頃のあなたに理不尽に怒鳴る親とか、就職したところにスパルタの上司などがいたら、声には敏感になるでしょう。自分の機嫌や気分が悪いだけで人にあたるような人の近くにいると、声から気配を察するようにもなるのです。そういう中では、これを今いうとまずいとか、ちょっとタイミングをはずしていったほうがいいという判断ができるようになるわけです。
 こういうものは、本当は人と人がやっていくためには、とても大切なものなのです。そこがおざなりになっているような気がします。KY(空気が読めない)などということばが流行したのも、そういうことなのでしょう。

 昔は政治家などが手本を見せてくれたのです。表でケンカをして、裏ではしっかり握手をしている。人の世は、グレーで、ダブルスタンダードの世界です。ビジネスにもそういう部分があります。それが今の若い人たちにはわからなくなっています。そこを声から伝えたり、聞きとれたりできるようになったらよい、と思います。

 役者は、そういうトレーニングを積んでいます。同じことばをいろんな感情を入れて伝えます。
 トレーニングというのは、おおげさにやっていくのがコツです。最初は、目で泣けとか、目で笑うといっても、できません。だから、大笑いをしてみて、あるいは号泣をしてみて、そのときの目を覚えておく。そして、目だけで語れるようになる、というのは、トレーニングの成果です。大きく体を使って覚えた大きなイメージで、最小の体の動きで最大に伝えるのです。
パフォーマンス力、これも日本人は国際的に劣っています。
 人生において、人前で表現した体験がたくさんある人はけっこう応用できます。しかし、トレーニングでは、そういうものを早く応用が効くように身につけていくのです。

 トレーニングというのは、ふつう何年もかかることを、早くできるようにする、あるいは、トレーニングしなければ絶対にできないことをできるようにするものです。なかなかそこまでトレーニングを続けていく人は少ないものです。

 社会でも家庭内でも、声一つでケンカになったり、声一つで仲良くなったりするでしょう。私は若い人に、メールではなくて電話をかけなさいといっています。自ら声をかけることで解決することは多いからです。
 そこまで声が使えないなら、電話ではなくて、直接、会いに行きなさいといっています。その方が電話より簡単です。実際に会いに行けば、ほとんどのことは解決するからです。そういう行動力が伴わないために、悩んでいる人が多いのです。それはそういう経験が少ないからだと思います。声をかけることが、その人の人生を大きく変えていきます。

○声の相性と限界

 声というのは、高さ、強さ、長さ、音色などで分けられます。自分の声のマップを作ってみましょう。
 今までの中で、心に強く残ったことばなどは覚えていらっしゃいますか。心に強く残った声はどうでしょうか。

 その話がよかったという場合もあるでしょう。でも、どこかでその一声が残っていたということはありませんか。
 声にも相性もあります。よい発声といっても、声というのは、匂いと同じで、よしあしについても個人差が大きいのです。声の判断には、聞く人の好みや体験が入っているからです。
 いかにいい声であっても、もし聞いている人に、小さい頃、そういう声の人にいじめられたといった嫌な経験があるとしたら、よく思われないでしょう。
 声は受け手の聞き方に左右されるのです。そこは見えないところです。理由もなく嫌われているということもあるでしょう。そういう声で嫌な思いをした人にとっては、当たり前のことが、相手にはわかりません。
 モテ声のような、プライベートな関係では、この声を目指しましょうと、一つに絞ることはできないのです。
しかし、ビジネスにはこういう声がよいとか、コミュニケーションにはこういう声というのがあります。それを私たちは、声の機能面から評価しています。

 声がその人のキャラクターに合っているかどうかも大きな要素です。
 また、もって生まれた声帯というのがあります。どんなにある声を理想にして目指しても、誰もがそうなるわけではありません。もともと、それが出しやすい人には有利ですが、そうでない人にとっては不自然になってしまうからです。
 これが楽器などと違って、ヴォイストレーニングを複雑にしている要因です。
 声にはできることもあればできないこともあります。自分を知らずにアプローチしても、いい結果にはならないということです。

 常にTPOを踏まえることとともに、そのことばや声の後ろに何があるのかということを見ていく必要があります。相手の育ちもあれば、経験も、その日の気分もあります。声の受け止め方も十人十色です。その都度、対応も変えていかなくてはいけないのです。

○声は印象

 ビジネスも舞台も、終わってから何が残ったかということが勝負です。
 そこから、リピートしないものに関しては、仕事にならないし、舞台も成り立っていきません。大切なのは、あとに何を残していくかということです。声でいうのであれば、どういう声を最後の印象として残すのかということが、大切なことになります。

 声は、ことば以上にいろんなメッセージを伝えます。声自体もまたセンサー機能を持っています。体調が悪いときは、よい声は出ません。ただし、ビジネスやコミュニケーションのときには、それを切り替えて使う力が必要です。

 一般の方によくアドバイスしているのは、「一番嫌な人に、一番好きな人に対する声を使いなさい」ということです。これは効果的です。
 人というのは、相手が嫌な顔をしたら、こちらも嫌な顔になります。嫌な声で嫌な言い方をされたら、こちらもそうなります。
 それを把握していない人は、とても損をしています。同じように言ったつもりが、他の人は、好感をもってみんなに受けとられたのに、あなたは不快だとか、何か裏があるなどと思われたら、どうでしょうか。それが積み重なると人生が大きく変わってしまいます。
 ですから、自分がマイナスイメージを与えている声だと思う方は、声を大きく切り替える力をつけるほうがよいでしょう。自分の声を演出してみるということです。

 声を切り替える力を作っていくというのは、ヴォイストレーニングでも大きな要素です。俳優などは、泣いたあとに急に笑い出すことが平気でできます。人生を90分くらいで演じるわけです。しかし、これはビジネスや人間関係にも通じます。

 相手の健康状態、気分、本音など、隠れたメッセージがあります。それを第六感で見抜いていくということです。こういうことをやっていくと、超能力者のような能力がついてくるのでしょう。

○声づくりの条件

 声の大きさは、第一条件です。大きさがなければ伝わりません。強弱というのは、グラフにすると振幅です。
次に、高さをどの辺にするかになります。高低というのは波の数、周波数です。人の好む、聞きやすい高さがあります。
 さらに、音色があります。これらを組み合わせて、どういうふうにコントロールするかということになります。

 よく姿勢のことや腹式呼吸のことを聞かれます。発声のメカニズムを簡単に述べておきます。
 まず肺があり、ここから呼気、吐く息が出ます。この呼吸が声のエネルギーになります。
 それから、声帯で息を音に変換します。ギターでいうと弦を弾くところです。
 それを口とか鼻から出るところまでの声道で、共鳴させて大きくし、音色をつけます。この三段階が、発声のための楽器としての体のメカニズムです。

 本来、ヴォイストレーニングは、ここまでのことを中心に整えます。
 母音というのは、口の中で舌の位置を調整するのです。ここまでは楽器の音でできます。
 人間には、その上にことばがあります。ことばというのは、構音する(調音する)、つまり、発音します。唇や舌や歯とか、いろんなところで声を妨げ、子音を作っていくのです。そのことで、ことばの音に区切っていくのです。
 この4つの段階それぞれに、いろんな問題が出てきます。それをヴォイストレーニングで解決していくのです。

 例えば、呼吸を深くしていきます。外国人の場合、あまり腹式呼吸が問題にならないのは、日本人に比べて小さい頃から大きな声でけっこう長くしゃべっているからです。人前に出て3分スピーチするようなことを、彼らは常に相手との対話でして育っているのです。
相手は一分間しゃべりきるまで、何にも言わず聞いています。日本人のように、しゃべりかけたらすぐに「うん」と相槌を入れて、あいまいなまま、大して考えなくても会話が進むということはありません。向こうで対話というものは、いわゆる第三者が聞いていても成り立つようなものなのです。

 相手を説得しようとしたら、お腹からの息で声を動かさないといけません。外国の言語は、子音が多く、息が強かったり強弱アクセントですから、呼気圧を高め、息をしっかり吐かないと、ことばを発せられないのです。その深い息が声になります。
 ところが日本語の場合は、母音中心で高低アクセント、そんなに姿勢をよくして、向こうの人のように、強く息を発する必要がないのです。強い息では、高低がわかりにくくなります。口もあまり開けずにいえます。さらにコミュニケーションの違いがあります。
 その分、トレーニングで、体、姿勢、発声、共鳴などを変える必要があります。

 外国に一、二年住むだけで、日本人も、声が大きく響くようになります。声でしっかり表現しないと、まわりの人とうまくコミュニケーションがとれないからです。言語、文化と風土の違いです。
 ですから、最初のトレーニング段階では、ここまでのことをやります。できるだけ日本、日本語、日本人、日本人の生活から離れてみるということです。国際的なレベルでは、人間は、もっと楽に声が出るものです。日本人の多くはそこまで使っていない、鍛えられていないのです。

○声の基本能力をつける

 表現での問題は、そうやって手に入れた声をどこで使うのかといことです。日本なのですから、もう一度、日本人向けに戻すことになるのです。トレーニングである以上、強化したあと現状に対応するのに戻すのは当然のことといえます。最近は、邦楽の方もいらっしゃいます。日本古来の発声なども見直しています。

 音楽などでは、次の世代の感覚でやっていかなくてはいけないのですが、若い人の頭の中では、デジタルの音楽やゲームの感覚が主流です。正座も、しゃがむこともできない。そうなってくると、どこにアイデンティティを持てばよいのかとなります。
昔はジャズとかゴスペルでも、発声は日本の唱歌や童謡などから入ったわけです。ところが、今は、唱歌も童謡もまともに歌っていないのです。

 声のことで、もう一つ言っておきたいのは、とても安上がりだということです。よく眠れないとか、気分が安定しないという人には、声は有力な処方箋になります。ストレス解消に最適です。
日頃から声をたくさん出すようにしてください。読経というのは、邪気を払います。声は全身を使っていきますから、健康的だと思います。それを続けることによって、声の再現力や応用力をつけていくのです。

 スピーチがうまくなりたいという場合は、草稿を正しく読むことよりも、何も見ずにスピーチして録音し、それがどう伝わったかを再生し、チェックしてみてください。
 これは日本人に欠けている部分です。日本でのアナウンサーや演劇や落語家のトレーニングのようなことは、欧米では基本教育の中に入っています。日本でいうと、役者のトレーニングのようなものを、日常からしていないから難しいのです。

 ヴォーカルもいまや、どういうふうに音楽として組み合わせるかというところの勝負です。豊かな時代は、耳だけではなく、五感が満足しないと納得できなくなっています。ビジュアル面での演出も不可欠ですね。
 セールス、接客などをやっている方や、経営者やリーダーのように人前で話される方は、声をどう組み立てたらよいのかを学んでください。
 
 日頃から声に関心を持たれている人はそう多くはないことでしょう。だからこそ、チャンスです。声を見抜ける人、声を利用できる人は、今後どんどんと活躍の場が増えてくるのではないかと思います。

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