ブレスヴォイストレーニング研究所

 福島英レッスンの体験談1

 

福島英の(個人)レッスン受講者の体験談を掲載します。

 

1.福島英レッスン体験談(「中経出版」の取材掲載分)

 

○長唄の世界の応用

 

  伝統音楽を勉強する場合、発声の訓練のメソッドというものは、基本的に存在しません。入門すると、一対一で曲を修得していきますが、1フレーズ、あるいは2フレーズ、師匠が手本を示し、弟子はそれを忠実にコピーするというレッスンになります。その曲想によって、語り物、あるいは唄物と、声の使い方が違う訳ですが、声自体については、元も角、師匠と同じように出すということで、ああして、こうして、という指導は少ないと思います。 私自身、長唄の世界に入る以前に、演劇の勉強をしておりましたので、その折に修得した発声のメソッドに従って、自分なりに訓練をしていました。しかし、三十代後半に入り、声の出し方に迷い始めました。
  その時に出会ったのが福島先生のレッスンでした。ポピュラーボーカルという、全くジャンルの違う世界でしたので、多少の戸惑いはありましたが、思い切って飛び込みました。何か感ずるものがあったからです。
  ロックに限らず、カンツォーネ、ポップス、あるいは歌謡曲というジャンルに「唄う為の身体」という視点で見直す機会を得たことは、私の本業である長唄を全く違う角度から見直すということでもありました。強い息、深い息、又弱い息、浅い息、知識としてではなく、実感(身体の感覚で)する為の訓練は、又とても楽しいものでした。
  言語によって音楽は様々なヴァリエーションを持っていますが、その基本となる人間の身体自体には、それ程の違いはありません。福島先生のメソッドは、それがどの様なジャンルの音楽にも通用する、最もベーシックな部分の訓練法として、私の場合は長唄に応用させていただいております。(長唄師匠)

 

○こんなに微妙で広い世界とは

 

 「はい」という言葉を繰り返して、先生は「今のは違う」「今のは響きを無理につくっているから、もっとおとして」「音色を統一させて」「今のより、もう一つ前の方がよかった」というような、アドバイスを私にくれる。今の一つ前が、どんなのだったが、どうやってやったのか、正直わからない。でも集中して考えて思い出してみる。自分の体の何処に意識があったのか?何処にどれだけ力が入っていたのか?この空間の何処から響いてきたのか?今まで、自分が知っていた音楽の世界は、音程、リズム、表現ぐらいしかなかっので、一つの音の一つの言葉にこんなに微妙で、広い世界があることをしらなかった。今まで歌のうまい人は、楽器が良いか、天才とばかり思っていたが、そんな微妙なところを聞き分け、こだわって練習をかさねているに違いない。私はいろんなダンスを専門的にやっているが、体の感覚をふくめ理解していることと、知識として理解はしているが、まだ体では掴みきれていないものがある。時間をかけて、体験して、観て培ってきたつもりだ。歌に関しても、まずいろんなものを聴いて耳をこやし世界を広げ、オタクのようにこだわりを持ち続けて、いつかオリジナルになれるようにと、先生のレッスンを受けていておもう。(ミュージカル俳優 10年)

 

○先生の耳を借りる

 

 先生のレッスンでは、声においての世界の基準、それも最も高いレベルの基準で聞き分ける”耳”をお借りしているという意識があります。
  レッスンの最初は、「ハイ」「ライ」から始まって、歌の中で発声を正していくことをやりました。先生は、体に無理のない自然な状態で声が出ているか、私の息と声がピッタリ一致しているかなどを聞き分けて下さいます。結果、自分の中心の声というものをつかめたように思います。更には、自分の声を動かせる範囲が広がったためか、音程を意識することなしに、音の流れの中で歌えるようになりました。レッスン得られたものや自分の意識、感覚の変化などを自分の言葉で書き表すことにより明確に自分に落ちてくるように思います。
  次には、そのつかんだ自分の声を使って、作品(音楽)のイメージを声や歌でどう表していくのかということを研究しています。そして自由なイメージを持っていってみて、フレーズや山や谷がつくられているか、言葉が聞こえてくるか、それが音楽として聞こえているか、などいろいろ指摘を受けます。
  先生のレッスンを受けるようになってから、ただ単に声がよく出るようになったというだけではなく、歌や音楽の奥深さを痛感し、表現することの難しさや面白さを知ることができたということが私にとっては大きいことです。何しろ厳しい基準でものを言って下さるので、自分の現在の位置というものを嫌というほど測り知ることができます。本物が何であるかも付きつけられますのでなおさらです。それと、学び方を学ぶことができるのも、先生のレッスンのおかげと思っています。そんな中で、自分の目指すところはどこなのか、はっきりしてきました。(Vo.F)

 

○自分で見つけるという作業の大切さ

 

 私は生まれて初めてちゃんと唄ったうたが純邦楽。邦楽の指導は『まねる』ということが基本で構造的に考えたことがなかった。ひょんなことからマイクを持って人前で唄う人間になり、邦楽の発声をみつめ直す意味でも 唄を深めたいと思うようになった。
  いわゆるボイストレーニングを受けることは私は自分の持ち味を忘れてしまうことが怖くて二の足をふんでいた。しかし福島先生はただ声域を広げる声を作るという方針ではなく、楽器として人を感動させる表現力を重視、そしてなにより邦楽の演奏家にも造詣が深く、私もここで取り組もうと決意した。
  レッスンで私が一番受け取っているのは、自分で見つけるという作業を教えて下さること。そして、そのポイントとなるものを端的にだけど、自分には伝わる言葉で言って下さること。貴重なレッスンで自分のイメージで唄う時はいまだにどのステージより緊張する。でもその時間に裸になった私の声とまだまだつたない音楽観を、なんとかもがいて感動できるものにしていきたい。人と同じことだけしていては自分の歌は歌えないから!(プロ邦楽家 師匠)

 

○「本当の声」にたどりつくこと

 

 「私は何もしません。ただ、あなたが『本当の自分の声』に気付くための場を提供するだけです」。その言葉通りの現場を体験した時、人によっては「本当にこの先生、何もしてくれない」と文句を言うのかもしれません。しかしだからこそ私は、福島英というヴォイストレーナーは信頼に値する方だ、と思いました。
  私の場合、世界の歌達をとにかくたくさん聞きなさい、という指示のみ。聞いて、本物の声がどういう状態で発声されているのかをイメージするためです。
  「声のイメージ?なんじゃそりゃ。」けれどそう言われ改めて聞いてみると、途端に今までただの音楽だった歌たちが立体感を帯びて、体に乗り移るような錯覚を覚え始めました。これまでにも耳コピーで歌を唄うことはよくありましたが、耳で得た情報から具体的な体の感覚を再現し意識下に置いた時と、ただ音の波だけを耳コピーをするのとでは、見える世界そのものに大きな差が生まれるのです。そしてレッスン。
  福島先生はただ「何でもいいから、やってください」とだけ言って黙ってしまわれるので、耳で覚えたものを声に出してみます。体には、30日間聞いてきた本物の歌たちが巡っているのに、声にならない。相手は世界の大スター達なのですから当たり前です。
  けれど現在の私がレッスンで求められるのは「歌う」ことではなく、自分自身の持っている「本当の声」に辿り着くこと。聞いてきた歌たちは、そのきっかけをくれるものにすぎません。ありとあらゆる声を聞くことによって、それぞれ個性はちがっても、根底にある「本物」たる由縁を、感じ、掴まえる。ところが、気付かぬうちに付いたたくさんの飾りを先生は鋭く察知し、ひたすら「もう一度」を繰り返します。何度も同じところを歌っていると、そのうちわけがわからなくなって、シンプルな音になり始め、そこでようやく次に進むことが出来る。そんなことをしながら、私は今少しづつ、けれど根本的に変わり始めていることを自覚しています。(プロVo. 声優 T)

 

 ○一言で晴れる

 

 福島先生のところでヴォイストレーニングを学び早10年になりますが当初はポピュラーと言われた欧米人の歌と日本人の歌を聞き比べると同じ人間なのに何か違うな?何が違うんだろう?という疑問から私のウ゛ォイストレーニングは始まりました。母国(日本)語で歌いたかった私には避けては通れない問題でした。いろいろと学ぶうちに同じ人間でも文化の違い 体型の違い 言語の違いなどを知りました。でも日本語で歌いたかった私はそれゆえに元となる基礎のトレーニングに励みました。野球で言えば素振りですね。
  毎日毎日、反復練習。「これが本当に役に立つのだろうか」と見えたり見えなかったりする展望を胸に、自分との戦いです。訳が分からなくてもひたすら励みました。そのうち具合が悪くてもトレーニングをやらないと落ち着かなくなりました。もう脅迫観念です(笑)。今度は休む勇気を持つことが課題です。そんな自問自答をしている中、自分では答えが出ない問題が出てきました。それをレッスンの時に福島先生に聞いてみるのです。答えはいつもたった一言でしたね。 その一言で混沌としていた問題が、霧が晴れたように整理されクリアになり、方向性が分かったものです。
  それは今でも同じことです。一年目は一年目の問題が五年目は五年目の問題が出てきます。その問題に対して方向づけをしてくれる。怠けていた月なんて見透かされていて背筋が伸びる思いです。ここには原点がある。だから通い続けているのです。(Vo.A)

 

 ○「はい」一声のマジック

 

 独特の表現、しかしなんとも伝わりやすい表現。私は講演会で初めてお会いした先生の第一声ですでに驚いた。響きが全く違うのである。色々な方向へ散ってしまっている私の声に比べ、先生の太くまっすぐな声。まるで部屋の壁がスピーカーになっているようだった。先生の声、その一言一言がかたまりとなり私の耳へ入って来た。
  私の声を聞き先生は「今のは良い」、「今の声は響きがない」と言ってくれたのだが、私には違いが分からなかった。今度は先生が言ったように床へ向かって腕をだらーっとし、「はい」という言葉を言った。何度か「はい」を言っているうちに、先生の言っていた「良い」「悪い」の違いが何となく分かった。「良い」時には息を無駄なく声に変えられている。身体から「はい」が出て来てる感覚。「悪い」時には息が漏れていて喉にも違和感があった。「悪い」時の私の声には響きがなく、喉にも負担がかかり、もったいない息があった。一言一言を大切にできるようになるとこうも違うものかと実感した。
  しかし、なぜ「はい」と言う言葉でこんなにも色々なことを考えさせられたのだろうか…。とても不思議である。是非声に疑問を抱いている人みんなに体験してみてほしいと思う。これが最初のレッスンでの先生のマジックであり、今もって鮮明な記憶である。(Vo.M)

 

○つかんで離す

 

 私は年に半分くらい舞台の仕事をしているものです。先生が何かで「うまいぐらいじゃダメ、すごくなければ!」みたいなことを、おっしゃっていましたが、私の場合まさに歌、芝居、踊りどれをとっても、発展途上です。そんな行き詰っていた時に、レッスンだから、今まで積み上げてきた物を全否定される覚悟で臨んだのですが、その必要はないと言われ安心しました。ただ初めは、今までの声の扱い方がとっても雑だったと言う事を学びました。
  私の場合、舞台をやりながらということもあり、先生は「これをやってきなさい!」とおっしゃる事はなく、逆に「何をやりたいですか?」と言われて最初は戸惑いました。今はそのスタンスがとてもありがたいのですが、強制されない分、うまくなるもならないも本当に自分にかかってきます。本来そう言うものなのですよね、きっと!
  まだまだ、せっかくのレッスンを勉強不足のため、充分に生かしきれてない自分ですが、先生が話される「つかんで離す。」などの歌言葉みたいなものを、感覚で理解できる様になったらうれしいです。(プロ俳優 12年)

 

○いつも気づかされる

 

 先生には自分の声から発するすべてを一瞬で見透かされているように思う。
  本とは違い、決して多くを語らず、しかりもせず誉めもせず、ただ一声一声に神経を傾け、助言される。私はまだその一声すら極めることができない。
  ステージに立つ人間は、人を感動させなければその資格はないと思う。しかし今、私には音楽を作り歌うことが許されてそして、自分の為にこうして学ぶことができる、それだけで恵まれている。
  だからこそ、自分に与えられた力を極め資格をもっと得なければと思う。先生とのレッスンの中にはいつもそう気づかされるものがある。音楽で表現する人間の一人としていつか自分が世界の中でやれなければと思う。(プロVo.W)

 

 ○わだかまりから表現へ

 

 今まで、これほどまでに自分の声に対して的確なアドバイスをしてくれた先生はいませんでした。私はこれまでたくさん歌ってきましたし、ライヴや仕事もしてきましたが、いつも自分の中にわだかまりがありました。
  いつも自分は「そつなく」歌っているだけで、決してそれ以上のことがやれているわけではない、と実感していたのですが、根本的な原因がどこにあるのかがわかっていなかったので、「変わりたい」と思ってもなす術がありませんでした。また、周りの人は褒めてくれるばかりで、逆にそれが自分にとってストレスでもありました。
  そんな時、幸運にも研究所のことを知り、講演会で先生が「声」についてお話されているのを聞いて、「これだ!」と目から鱗が落ちました。
  レッスンが始まってからは、毎回驚きの連続です。今まで自分の中で悶々としていた悩みの原因を、先生は本当にクリアにわかりやすく言い当ててくれるのです。体調によって変化する声の調子、レッスンごとの私の集中度なども全て考慮して、毎回的確なアドバイスをくださいます。
  回を重ねていくうち、自分の声を改善するための感覚やきっかけがレッスン中につかめることが多くなってきました。また、普段の自主トレでも、ただ長時間漠然と歌うのではなく、今までにつかんだ感覚などをできるだけ生かし、短時間に集中してトレーニングできるようになってきました。「そつなく」歌ってその場をしのいでいた時は、自分が声を操っているのではなく、歌に合わせて自分が操られていたような気がします。表現という観点から見ても、そこに自分の意思がどれだけ反映されていたか定かではありません。研究所は声を自由自在に操るためには何が必要なのか、どうすればいいのかを体感できる場所です。これからも自分のキャパシティを上げるべく、頑張っていきたいと思います。(Vo.E)

 

○たった一声の感動

 

  いつだったか人数が二人しかいないとき先生が二十秒くらい、私には、なんか永遠に聞こえたー声をただのばされました。その瞬間これまで聞いたどんな声より感動しました。胸がつまり、その後レッスンにならなかったほど、強烈な印象でした。先生が求められる歌はそのうえにあるとわかり果てしなく遠くなりました。
  しかし、こうして常にギャップを明確にしてもらえる以上のレッスンは他にはありません。いつもクリエィティブなことはやさしくあるいは呆れて見守り、独りよがりやまねにきびしく許されない一貫した指導にとまどいつつ感心感謝してます。(プロVo.M)

 

○本質的でシビアな場

 

  私は、自分の表現の道具として声も使いたい、と思い入所しました。レッスンでは、毎回目の覚める思いがします。そのたびに自分の足りないところや間違っているところを発見するのですが、またわからなくなり同じ事を繰り返してしまいます。ただ単に発声方法の誤りであるとか音程のことなどではなく、もっと根本的な、本質的な部分の指摘をしてくださいます。それらはそう簡単につかめるものではないのだということも実感しました。
  声に対しても、こんなにもたくさん意識し、細かく細かくつくっていくのだということを初めて知り、自分の感覚の鈍さを目の当たりにしています。課題も分けも分からずとにかく聴くうちに、少しずつですが聴く耳ができてきたと思う瞬間があります。細かい積み重ねを、しかし確実に積み上げていく事こそが必要なのだと分かりました。
  福島先生の指導は、私にとっては声や歌だけのことではなく、生き方そのものに深く関わっていると言えます。自分の甘さを毎回突きつけられる、とてもシビアな場所ですが、そういう場所にこそ自分を置いていきたいと強く思います。生き方から変えなくては、一流にはなれないのだと痛感しています。(プロダンサー、役者)

 

○自分の声がむき出しになる

 

 それまでいわゆる普通の声楽のレッスンしか受けたことがないのですが、福島先生のレッスンは、たぶん他のどんなボイストレーニングとも違うスタイルなのではないかと思います。自分の声だけがむき出しになる時間。一言で「声」と捉えているものの中に、実は多くの表情やニュアンスが含まれているということに気づかされます。そしてそれはいずれ意識的に扱うことができるのかもしれないという期待がほのかに湧いてきたりします。
  私は芝居の演出をやりますが、芝居なら「ここでの芝居はこう持って行くのが一番効果的」とか「この先の展開から考えると、ここでこういう芝居をしておくべき」ということが瞬時に浮かんで来るのですが、歌になるとその発想が全く浮かんで来ないのです。私が若い役者さんたちに抱くはがゆさを、おそらく福島先生も感じていらっしゃるのではないかと思います。だからこそ逆に、どうやったら「感覚」を身につけていけるのか、その過程を実体験し、それも芝居にフィードバックできたらいいなと思っています。(俳優14年・演出家)

 

○妥協を許さない修行

 

 基本スタンスとしては、決して安易にほめられたり、励まされたりしない、厳しいレッスンです。一流のプロを育成することを目的としている場なので、表現への生半可な妥協を許さない姿勢があります。ほめられてしまったら、その時点で満足してしまい、自己の成長が止まってしまうリスクが高い。ある意味、職人の匠技を身につけるための修業と似ています。見て盗む、自ら研究して盗む。そして最終的には、オリジナルで勝負できるように、個々人の「音楽道」を追究する場(道場=研究所)です。
  レッスンについては、歌の表現の本質・芯をつかめるようになるためのレッスンです。どんな表現が、時代を超えて人の心を動かしうるのか。世界一流アーティストの作品を聞き込みます。全体を聞いたり、細分化して聞いたり。そのフレーズの中で繰り広げられた世界を、細かく細かく耳で観察し、感覚を鋭くしていきます。言葉にしようのない音の変化を、先生が言葉に置き換えてくれることがあります。そうすることで、理論的にもとらえられ、自己の感覚とシンクロさせることができます。そして、自己トレーニングの際に、その鋭くした感覚を呼び起こすのです。(Vo.5年)

 

(以上、「声がみるみるよくなる本」(中経出版)、「ヴォイストレーニング実践講座」(シンコーミュージック)に収録。)